土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

慶田寺、微笑むお顔にゾッコン。

2016年05月31日 | 奈良の古寺巡り




(2016.05.28訪問)

迷車大和路号は、今日はその名の通り大和路を悠然と走っております。空は今にも降りそう、早い話がイヤな天気です。
R169沿いの桜井の箸墓近くに曹洞宗禅刹、慶田寺があります。このお寺には素晴らしい十一面さんがいらっしゃると聞きましたの
で早速今日訪ねることにした次第であります。



▼山門遠景。





[ 慶田寺 ]
●山号 三輪山(さんりんざん)
●寺号 慶田寺(けいでんじ)
●宗派 曹洞宗(そうとうしゅう)
●開基 海門興徳和尚(かいもんこうとく)
●開創 文明二年(1470年)
●本尊 十一面観音菩薩立像(重文、秘仏)
▲時間 9:00~16:00
▲拝観 志納 朱印300円   
▲奈良県桜井市芝753 電話0744-42-6209
▲JR桜井線「巻向駅」「三輪駅」から徒歩15分
 近鉄「桜井駅」奈良交通バス奈良行「芝」下車スグ前
 
 西名阪「天理IC」からR169 南約11km



▼山門。旧芝村藩織田家陣屋の大手門を移築。四間一戸、入母屋造、本瓦葺き。







            ▼寺号石柱。







▼武家門の貫禄!   













▼切妻、本瓦葺、袴腰の豪華な鐘楼。







            ▼ユニークなお顔、愛嬌があると云ったら失礼かなお不動さん。







▼立派な信徒会館。  













▼あの西岡常一棟梁が建てた本堂です。桁裄七間、梁間六間、入母屋造、本瓦、一間向拝付、後堂付。 
 注、西岡常一棟梁は法隆寺の宮大工、薬師寺金堂、西塔建造。







 





▼本堂扁額。







▼内陣の設えは四方板敷きで奥に両階段の須弥壇、円形窓の奥に本尊がお立ちです。







▼本尊 十一面観音菩薩立像
 近くまで寄ってご覧くださいと云っていただいたのですが、どうひっくり返っても本尊のお顔は拝することは出来ません
 でした。







            ▼本尊です。



            写真は慶田寺パンフから複写




            ▼本堂後ろ堂に蓋思殿と云う扁額が掛けられています。







▼蓋思殿の本尊 阿弥陀如来坐像。像高138.0cm、寄木造、玉眼、漆箔、鎌倉時代。







▼漆箔は少々酷いことになってますが、切れ長の目と小さめのお口のお顔は優しさが溢れてます。いいお顔です。





         さて今日の主役オンパレードと行きましょう! 素晴らしい十一面さんですよ。   

            ▼プロポーションはやや細身、観音特有の右手は長く、天衣を指に挟んで静かに佇立。 
             残念ながら左手持物の水瓶はありません。像高203.0cm、欅一木造、平安時代。











            ▼観音特有の瓔珞は一切身に付けず観音の華やかさはなく静かなものです。  






            ▼目は思考中なのか閉じていますが、口元が何とも優雅な微笑み、
             お顔を見ているとホッとします。











▼惜しいことに頭上の化仏、小面と頂上面がすべてありません、信仰上の悪さなのか彷徨の果てなのか勿体ない限り。見る所彩色痕
 は見当たりませんので、檀像形式のお像と思われます。全体に相当傷みが進んでいるのは、元々このお寺の寺仏ではなく、寺々を
 彷徨い、時の流れに身を任せながらこちらに辿り着いたという哀しい運命を背負っている観音さんかも知れませんネ。それにして
 もこの微笑みはなんだろう。

 

非常に魅力のある十一面さんですが、ご住職が檀家法要でご不在でしたので、正しい由緒伝歴はお聞きすることは出来ませんでした。
是非知りたいもんです。





            ▼本尊の横のお厨子にこんなお不動さんが……。
             左手を見て下さい後ろ手です。実はこの手にも剣を持っていると聞きました、
             変ですネ。
             造仏時に間違って同じ右手を二本彫ったものか、面倒くさいから付けとけ、
             てなことかな。よう判らんお不動さん。







▼よく手入れがされているお庭。

  




            ▼鎮守のお社。

 





▼そう広くない境内の一部ですが植栽の樹々が多く緑のきれいなお庭です。






            ▼こちらはまだ新しい十三重石塔。






▼境内裏手に旧芝村藩織田家の墓所があります。芝村藩初代は信長弟、織田長益(織田有楽斎)です。







▼庫裡です。今井町の造り酒屋を移築したそうです。







▼東門に連なる土塀。







▼東門。多くの人はこちらから入山されるそうです。そりゃそうです、前が駐車場です。







▼御朱印です。






曹洞宗の禅刹はお寺の大小関わらず、境内環境の整備や管理は見事に行き届いています。ここ慶田寺も大きくはありませんが、ご多
分に漏れず気分爽快のお寺です。ご住職は不在でしたが今日案内して下さった奥様も楽しい方で親切に対応して下さり、こちらが恐
縮するくらいでした。
素晴らしい仏像と楽しい奥様、ありがとうございました。                               合掌

慶田寺 オ シ マ イ




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靭のバラも最後の薫り……

2016年05月28日 | 花巡り




(2016.05.26訪問)

大大阪のオアシス靭公園は、お昼前と云うのにお仕事ほっぽり出した人たちで賑わってます。
水辺で遊ぶガキ、じゃなかったお子達を放ったらかしてママ友とおしゃべりに夢中のママ達で賑わってます。
色んな人で賑わってます。
もうすぐ雨が降ると云うのに。
ところでバラ園です。遅かりしでした。最後の色と薫りで頑張っているバラ達を少し。



▼ウィンチェスターキャシドラル







▼クィーンエリザベス







▼ゴールデンメダイョン







▼ダブルデライト







▼クリムソングローリー







▼マダムシャルルソバージュ







▼マチルダ







▼クリスチャンディオール







▼ホワイトクリスマス







▼マダムシャルルソバージュ







▼シャリファアスマ







▼ダブルデライト







▼サラバンド







▼マグレディスイエロー







▼ピンクピース







▼メルヘンケーニギン







▼ジュリア  初めて見ました、珍しい色です。







▼ゴールデンメダイョン







▼スヴニールドゥアンネフランク







▼セントセシリア







▼芳純







▼ゴールドバーニィ





結局この日、雨は降りませんでした。




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智恩寺、日本三文殊霊場の一つ、智慧の文殊さんですヨ。

2016年05月26日 | 京都の古寺巡り





(2016.05.21訪問)

舞鶴金剛院から迷車大和路号はまたまた舞鶴若狭道、京都縦貫道を約50km走り、智慧の文殊さん天橋立の智恩寺を訪ねます。
名勝天橋立の付け根にある智恩寺は、奈良の安倍文殊院、山形の亀岡文殊とともに日本三文殊の一つとされ、切戸の文殊として人気
が高く信仰を集めているようですが、肝心の本尊文珠さんは秘仏で会えません。最近とみに我が身に降り掛かる耄碌度急上昇ストッ
プの智慧を戴きたかったんですが、どなたに手を合わせれば良いのやら……。



            ▼門前に建つ寺号石柱。





[ 智恩寺 ]
●山号 天橋山(てんきょうざん)
●寺号 智恩寺(ちおんじ)
●宗派 臨済宗妙心寺派(りんざいしゅうみょうしんじは)
●開基 伝 平城天皇(へいぜいてんのう)
●開創 伝 大同三年(808年)
●本尊 文殊菩薩坐像(重文、秘仏)
▲時間 9:00~16:00
▲拝観 境内自由 朱印300円   
▲京都府宮津市字文珠466 電話0772-22-2553
▲JR山陰本線「綾部駅」乗換 舞鶴線「西舞鶴駅」乗換 京都丹後鉄道「天橋立駅」下車徒歩5分。
 
 京都縦貫道「宮津天橋立IC」から15分



▼三門。三間三戸、入母屋造、桟瓦葺。初層風通しの良い三戸の楼門形式。丹後地方最大をうたっています。







▼三門初層に「海上禅叢」と書かれた扁額。







▼上層の扁額「黄金閣」は後桜町天皇から黄金を下賜されたことによって称されています。







▼径1.5m余の大提灯。古色の中の赤は目立ちます。







▼三門から一直線、本堂文殊堂までスグ。







▼本堂文殊堂。桁裄五間、梁間六間、宝形造、銅板葺、三間向拝付。入側三方は吹放ち。
 屋根のソリを見ると面白いですヨ。照り起(むく)りといい、中央宝珠からスグやや膨らみ、そこからソリに入っています。
 ドッシリ感がいいですネ。屋根旧状は檜皮葺で明暦三年(1657年)改修で現在の形になったそうです。







▼文殊堂扁額。全然読めません。山号天橋山のほかに「五台山」号もあるのでそれかも知れませんネ。







▼内陣 は中央に四天柱を立て、来迎壁をつくって唐様須弥壇を設け、豪華なお厨子が見えます。本尊文殊菩薩はこの中に安置され
 ているのでしょう。







            ▼本尊文殊菩薩(重文)。
             文殊菩薩を中心に優填王と経箱を捧げ持つ善財童子の三尊形式の本尊です。
 


            制作年次や仏師、大きさなど詳細不詳、せめてパンフには記載してほしいもんです。
            本尊御開帳は、1月1、2、3、10日、7月24日の年5日間です。

            本尊写真は智恩寺パンフレットから複写。





▼豪華な奉納額です。







▼文殊堂。







▼文殊堂側面の柱にビッシリ絵馬が掛っています。文殊信仰の高さが窺えます。







▼名物らしい扇子おみくじが松の枝に吊られています。300円なんですこのおみくじ。

   





            ▼三門左に多宝塔(重文)。明応十年(1501年)建立。屋根は杮葺、雄姿堂々美しい塔ですネ。 
















▼無相堂。檀家の諸儀式などに使用されるお堂、四面蔀戸で中は窺えません。







▼境内。閑散としていますが結構お参りの方はいます。







▼竜宮門形式の鐘楼門。庫裡への門を兼ねてます。 寄棟造、桟瓦葺、享保七年(1722年)建立。の屋根は照り起(むく)り。







▼鐘楼門の扁額「暁雲閣」

  





▼鐘楼。桁梁三間、入母屋造、桟瓦葺、袴腰。明治十四年建立。

 





黒髪に白塗り、色艶やかな法衣を纏う艶やかな六地蔵。見るだけでドキドキ、何をお願いしたらいいんだろう?







            ▼和泉式部の歌塚、宝篋印塔。







▼お地蔵さん。雪舟筆の「天橋立図」にそれらしい姿が描かれているらしく、室町期永享四年(1432年)造立。







▼力石。当地文殊に伝わる力自慢を競った石だそうです。お寺との関係は?







▼御朱印です。300円投資の結果、文珠さんのご利益か、大吉のおみくじを添えて。







参拝後、折角ですので名勝天橋立を歩いてみました。  

▼単に海岸沿いの松並木が続くだけ、100m程歩いてスグ戻りました。向こう岸傘松まで歩く勇敢な人もいるようです。




結論! 天橋立は上から見るもんです。

名刹と名勝、隣同士のインパクトは凄い! 
特にセールスポイントの明快なお寺は、たとえ本尊が秘仏であっても人は集まるもんで、本堂前面の吹放ちは相当広いのですが、大
勢の人でごった返し、正面格子から中を覗き合掌、なかなか前へ行けません、よほどのご利益あるんでしょう。
期待してますよ文珠さん。

智慧の文殊、智恩寺 オ シ マ イ





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金剛院、花の寺第三番札所も今、花はありませんが、三重塔は見応えありますヨ。

2016年05月23日 | 京都の古寺巡り




(2016.05.21訪問)
初夏の京都縦貫道は部分的に新しいので気持ちよく走れます。迷車大和路号は風を切って走ると云ってもスピードは出ません。どち
らかと云うとトロトロ走行で、その上ナビがアホ、京都縦貫道が貫通しているのを知らないんです。わざわざ近畿道、中国道を走り
吉川JCTから舞鶴若狭道を指示します。もちろん京都縦貫道も綾部JCTで舞鶴若狭道に入るのですが、約40kmの差は総てでロス、
今日は第二京阪から京都縦貫を走ったのは云うまでもありません。
お願い日産さん、早いとこナビデータ更新してヨ。今それどころじゃないか日産さん!

アッそうそう、何処を訪ねたのか書くのを忘れてました。迷車大和路号は、舞鶴の金剛院を目指しています。



            ▼三重塔。






            [ 金剛院 ]
            ●山号 鹿原山(かはらさん)
            ●院号 金剛院(こんごういん)
            ●寺号 慈恩寺(じおんじ)
            ●宗派 真言宗東寺派(しんごんしゅうとうじは)
            ●開基 高岳親王(たかおかしんのう)
            ●開創 天長六年(829年)
            ●復興 白河天皇(しらかわてんのう)
            ●本尊 波切不動明王
            ▲時間 9:00~16:00
            ▲拝観 300円 宝物殿拝観 500円 朱印300円   
            ▲京都府舞鶴市鹿原595 電話0773-62-1180
            ▲関西花の寺第三番霊場
            ▲JR小浜線「松尾寺駅」から徒歩20分。
 
             JR小浜線「東舞鶴駅」からバス15分「鹿原」下車徒歩10分
 
             舞鶴若狭道「舞鶴東IC」から北東へ約5km




▼山門。






金剛院縁起 (金剛院パンフから抄出)
天長六年平城天皇第三皇子高岳親王により創建されました。親王は嵯峨天皇の皇太子となりましたが、政変に連座して皇太子位を廃
され無常観から空海の弟子となり、十大弟子の一人として真如と称し仏法興隆に尽くしました。さらに唐から天竺への求法の旅の途
中消息不明となりました。その後、当山本尊の波切不動明王は、白河天皇病気平癒祈願で若狭から勧請、功大いにあり天皇は当時荒
廃していた当山を復興、三重塔を建立し真如親王を追善供養、勅願寺として慈恩寺の寺号を下賜されました。
鳥羽天皇皇后美福門院は阿弥陀堂建立を初め堂塔を整備、当山は全盛期を迎えます。その後、江戸期には田辺城主の外護を得て山腹
の楓は細川幽斎の植樹で、秋の全山紅葉は誠に見事、また境内の鶴亀の庭も幽斎の作庭と伝えられています。




▼緑が覆いかぶさっている門前の鹿原川、水は少ないですが清らかな流れ。







▼やはりここは花の寺、両脇の木札も花の寺。







▼山門一歩入ると広~い境内が……。左は宝物殿。







            ▼左には田辺城主細川幽斎 (細川忠興の父) 作庭と伝わる池泉回遊式庭園、
             鶴亀の庭が広がっています。
             熊本市の水前寺成趣園の雛型と伝わるそうです。







▼お庭中心に礼拝石が……、







▼奥の小山の須弥山への礼拝石かと思われます。







▼鶴亀の亀は判るんですが……、







▼亀石ですよネ。鶴石は結局判りませんでした。







            ▼庫裡の横を通り伽藍エリアへ行く途中にデッカイ榧の木、樹高約22m、幹周5.3m。
             高岳親王御手植えと伝わる巨木で千年榧と呼ばれているそうです。







▼こんな緑のトンネルを少し進むと……、







▼手水舎。これがまたユニーク、右柱二本が何か意図があるのか左に傾けてあります。







▼三重塔(重文)です。白河天皇が眞如の追善供養のために建立したと伝わるそうです。
 塔高24.6m、杮葺。現塔は室町時代後期の再建。高岳親王坐像を安置。   

























▼本堂への参道石段。







▼唐破風の向拝と本屋根が比翼風、飛び立ちそうです。







▼本堂。桁裄五間、梁間四間、寄棟造、銅板葺、一間唐破風向拝付。梁間一間は吹き通しで床は高いです。
 本尊波切不動明王(秘仏)。空海さん入唐航海の故事から、火難水難除け、病気平癒祈願として信仰されているようです。







▼唐破風向拝天井の見事な彫刻。二段貫の上部に上は天女、下は龍の彫り物、貫にも文様が彫られ、これだけでも観賞価値あり。







▼向拝の虹梁。直線の柱と垂木に対してこの曲線の美!  













▼相当自信があるのでしょう、彫り師自らサインを残しています。「彫物師 丹波柏原住 中井権次橘正貞」
 丹波市柏原町の宮大工、中井道源を初代として、四代目の言次君音以後、九代目の貞胤まで神社仏閣の彫刻師として活躍した中井
 家の一統 六代目権次正貞より権次を名乗ったところから権次一統と称し、現存する作品は、北近畿一円に及んでいるそうです。

 





▼本堂。







▼本堂と雲山閣を結ぶ渡り廊下。







▼雲山閣は懸け造り。何のお堂か不明。







            ▼本堂から三重の塔を見ると……。







▼少々腰高の立派な鐘楼。入母屋造、桟瓦葺、袴腰。













▼弁天さんをお祀りのお堂。







▼裏山の滝道を200m程行くと……、







            ▼弘法の滝。山の水の雫と云ったら失礼かな、一応滝です。







▼御朱印は本堂吹き通しで撮りました。






山門から庫裡のエリアと伽藍エリアは少々離れています。白河天皇再興時には相当広い寺域を誇っていたのでは。現在は塔と本堂、
鐘楼を残すだけですが、それぞれの規模が大きく、全盛期の寺勢が偲ばれます。
舞鶴市街から丹後街道(R27)を東に少々、右に折れ県道を走ること10分ばかりの所に金剛院はあります。すぐそこが市街と云うのに
雰囲気はまるで山寺の感、境内は見る限り楓楓の林、錦繍秋の紅葉の頃はさぞやの感がする金剛院でした。

金剛院 オ シ マ イ

それでは次に訪ねるのは、あの日本三大文殊さんのお寺です。





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興聖寺、精神上曹洞宗発祥のお寺です。

2016年05月19日 | 京都の古寺巡り





(2016.05.14訪問)


広い広い萬福寺から京阪黄檗駅に戻り終点宇治駅を目指しました。次の三室戸駅で大勢の方が降りてゆきます、ヒョットしてつつじ
満開か、心動いたけれどここは初志貫徹、宇治川右岸の遊歩道をまっしぐらに興聖寺に向かいます。今日の宇治川は少々荒れ気味で
波高し、いつもの青ちゃん一羽もいません。




▼宇治川道沿いに寺号石碑と曹洞宗初開道場の石柱が建てられています。






[ 興聖寺 ]
●山号 仏徳山(ぶっとくさん)
●寺号 興聖寺(こうしょうじ) 正式名称 興聖宝林禅寺(こうしょうほうりんぜんじ)
●宗派 曹洞宗(そうとうしゅう)
●開基 道元禅師(どうげん)
●開創 天福元年(1233年)
●再興 慶安元年(1648年) 淀城主永井信濃守尚政(ながいなおまさ)
●本尊 釈迦三尊像
▲時間 9:00~16:30
▲拝観 境内自由 法堂拝観 300円 朱印300円   
▲京都府宇治市宇治山田27-1 電話0774-21-2040
▲京阪電車 宇治線「宇治」駅下車 徒歩約10分
 JR 奈良線「宇治」駅下車 徒歩約17分   
 京滋バイパス「宇治西」ICから10分





▼最近修復された総門(石門)です。ここから参道琴坂の始まり。






興聖寺縁起 (曹洞宗近畿管区教化センター 寺ナビから抄出)
宗祖道元禅師は宋から帰朝された後、天福元年、京都深草に日本初の純粋な禅道場として七堂伽藍を建立し、観音導利院興聖宝林禅
寺を開創。これが当寺のはじまりである。
道元禅師が越前領主波多野義重公の勧めで越前へ赴いた後、興聖寺は応仁の乱や兵火に遭って四世住持の後に廃絶した。寛永十年淀
城主として入国した永井信濃守尚政公が、道元禅師開創になる興聖寺の廃絶を惜しみ慶安元年伏見城の遺構を用いて本堂、開山堂、
僧堂、庫院、鐘楼、山門などの諸堂を建立整備し、道元禅師を開山とする仏徳山興聖寺を現在の地に再建した。




▼紅葉のトンネルもスバラシイですが青もみじのトンネルも負けず劣らずですよ。何と云ってもフィトンチッドが降り注ぎます。







▼小さな流れの音を聞きながら、200mほどの緑のトンネルを歩くと竜宮門、山門です。







▼♪ 目に青葉 坂に溢れる 緑かな







▼乙姫様の姿、チラッと見えたような……。







▼竜宮門、興聖寺の山門です。







▼山門を通して見る曹洞寺院の伽藍配置、薬医門の奥は法堂です。







▼薬医門。前庭も見応えあるお庭です。







▼薬医門前庭。前方右鐘楼、左庫裡。ココが入山受付になってます。







▼庫裡。







▼前方建物は方丈。お庭は方丈内庭、中庭風池泉回遊式庭園ですが降りることは出来ません。左の影は大書院。







▼書院大広間。







▼法堂(はっとう)、興聖寺の本堂。堂内清掃中につき入堂出来ませんでした。
 桁裄九間、入母屋造、本瓦葺、慶安元年(1648年)建立。







▼正式名称が揮毫された四条天皇勅額。







        ▼入堂出来なかった法堂内陣。道元さん作と伝わる本尊釈迦三尊に会いにきたのに、入堂出来ない
         なら先に言ってよ! 掃除も僧の修行のうちと諦めよう。



        写真はネットからもらってきました。





▼法堂前庭。







            ▼宇治川塔の島に建つ十三重石塔の旧相輪。なぜココにあるのか詳細不詳。







▼法堂前庭。前方の建物は僧堂、坐禅道場です。







▼法堂。







▼老梅庵(開山堂)。宗祖道元禅師をお祀りしているお堂です。桁裄三間、梁間四間、寄せ棟造、本瓦葺。







▼老梅庵内陣。中央奥に宗祖道元禅師像を奉安。







            ▼非常にリアルな道元さん。
             マトモに対峙できない威厳を感じ、言葉を変えると少々コワイです。







▼老梅庵前庭。水無川に石橋が架かり大小の石を巧みに配し味のある景観を見せています。







▼堂背後の斜面利用のお庭。







▼渡り廊下と老梅庵。







            ▼渡り廊下に三面大黒さん。







▼大黒さんはこんな顔。右面は弁天さん、左面は毘沙門さん。三者合体にどんな意味があるのでしょうネ。







▼僧堂(坐禅道場)。慶安元年(1648年)建立。







▼ただひたすらに只管打坐。修行を終えた僧の今を知りたいものです。













▼今でも使ってるのかしら、去る歳月の長さを感じますネ。







▼庫裡の隣にある浴室。







▼鐘楼。慶安四年(1651年)建立。







            ▼梵鐘には江戸時代の儒学者林羅山自選自書の銘があり、
             永井尚政の願文を撰書したもので、再興の由来が刻されているそうだが 
             まったく読めなかった。







▼薬医門前庭。







▼鎮守社、火の用心信仰の秋葉権現社。







▼薬医門前庭から竜宮門を見ます。







▼竜宮門先琴坂の青もみじの鮮気を受けながら興聖寺 オ シ マ イ







▼御朱印です。承陽大師は道元さんの大師号です。







フロク
▼今日の宇治川、少々荒れ気味。






本山永平寺の曹洞禅の厳格さや森厳な環境、道元さんの遺志みたいなものはあまり感じません。しかし再興恩人永井尚政の感性は思
い切り発揮されているようで、ミニ曹洞伽藍配置や庭園など大変美しい境内環境です。



            ▼総門脇に建つ「曹洞宗高祖道元初開之道場」の石標のみが興聖寺の変遷を語っ
             ているものかも知れません。







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