土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

長谷観音、十一面さんにお目通りしてきました。

2013年10月20日 | 神奈川の古寺巡り


(2013.10.14訪問)

♩七里ヶ浜の磯づたい ♩稲村ヶ崎名将の ♩剣投ぜし古戦場

小学唱歌「鎌倉」ですよ。懐かしくて涙ポロリの方もいらっしゃるのでは。
ホテルを出てしばらく湘南の浜辺をフラフラ、七里ヶ浜から柄にもなく湘南ボーイに浸りきり、稲村ヶ崎で
新田義貞を偲び、長谷観音へと向かいました。江ノ電長谷駅から掃き出されるように人の列が続きます。長
谷観音に詣でる人、高徳院の露坐の大仏さんに詣でる大勢の人波にもまれながら、やっとの思いで長谷の観
音さんにやってまいりました。

▼長谷寺山門。赤い提灯がお迎えです。





[ 長谷寺 ]
●山号 海光山 (かいこうざん)
●院号 慈照院 (じしょういん)
●寺号 長谷寺(はせでら)通称 長谷観音(はせかんのん)
●宗派 浄土宗単立
●開創 伝 天平八年 (736年)
●開基 伝 藤原房前 (ふじわらふささき) 藤原不比等次男
●開山 伝 徳道上人(とくどうしょうにん)
●本尊 十一面観音菩薩立像
▲鎌倉市長谷3-11-2 電話0467-22-6300
▲HP http://www.hasedera.jp/
▲拝観料 300円、御朱印300円
▲JR鎌倉駅下車乗り換え、江ノ電「長谷駅」下車徒歩5分
 
長谷寺縁起 (長谷寺パンフから抄出)
寺伝縁起によれば、養老五年 (721年)、徳道上人は楠の大木から二体の十一面観音菩薩像を造像、一体を大
和長谷寺の本尊とし、残る一体は衆生済度の誓願を込め開眼供養を修した行基により海中に奉じられた。
その後天平八年 (736年) 尊像は相模の国長井浦に顕われ、その旨を受けた大和長谷寺開基藤原房前により鎌
倉に遷座、当山開創の礎となりました。


▼参道。





▼山門。





▼寺標。長谷大観音と刻されています。





▼鐘楼。





▼阿弥陀堂。方三間、宝形造、桟瓦葺。





▼阿弥陀堂本尊。上品上生印相の丈六仏。



頼朝さんの厄災消除を祈願し造立されたと伝わるそうですが、実際は室町時代作とされるそうです。切れ長
の玉眼をやや伏し目がち、一心に本願成就を願う清浄なお顔、一見して定朝の父作と云われる、大原勝林院
の阿弥陀さんにそっくり、定朝の流れをくむ仏師の作ではないかと思ったりしました。


▼本堂。通常観音堂と呼ばれているそうです。桁行五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、裳階付の単層。





▼長谷観音と揮毫された本堂扁額。





▼本尊。長谷寺式十一面観音菩薩立像。像高9.18m、木造仏。まさに大和長谷寺本尊とソックリ、圧倒され
ます。この観音さんが長谷観音のバックボーン。



写真はnetから借りてきました。


▼大黒堂。出世開運大黒天が祀られています。





▼境内眺望散策路から由比ケ浜一望。海の点々はゴミではありません、サーファーです。
♩由比が浜辺を右に見て…という歌詞もありましたネ。





▼経蔵。一切経が収められています。





▼輪蔵。経蔵の中央にあり、一回転させることにより一切経すべて読誦功徳があるそうです。





▼地蔵堂。





▼地蔵堂を囲む千体地蔵尊。





▼弁天窟の入口。




▼弁天窟内部。弁財天を中心に眷属の十六童子が彫られています。
岩盤を彫り貫いたなかなかの雰囲気の回遊洞窟。薄暗い中を歩くゾクゾク感がたまりません。








▼書院。大勢の皆さんが写経中でした。





▼書院庭園。新しく造園された庭園です。








▼卍池。文字通りズバリ卍形の池。





▼良縁地蔵。境内に可愛いお地蔵さんがあちこちに。





▼放生池。








▼内仏殿。寺務所エリアに建つ新しいお堂。何のお堂かは?





▼御朱印。





本尊が長谷寺式十一面観世音菩薩で巨大な木造仏、像姿もよく似、寺名も長谷寺。鎌倉長谷寺は大和長谷寺
末かなと思っていましたが、無関係と云う関係。共通項は徳道上人と藤原房前がキーワード、往時の観音信
仰の広がりで、高野聖をはじめ、大寺の聖達が各地を回り高僧や時の為政者を檀那として観音利益を広めて
ゆき、そんな流れの中で観音信仰の礎を築いた鎌倉長谷寺は「長谷の観音さん」として東国を代表する観音
霊場として今に至ると聞きました。出自の由緒伝承が同じなのは、そう云った事が大いに関係しているので
しょう。


フ ロ ク

♩極楽寺坂越え行けば ♩長谷観音の堂近く ♩露坐の大仏おわします

鼻歌にのせて露坐の大仏さんに初お目見え。
▼巨大な阿弥陀さんもこれだけ大勢に囲まれるとテレがあるのかな。





▼いやいや男前はやはりビシッとしてはります。





▼横顔もさすが。





▼慈悲!慈愛!





奥さんの顔色を窺いながらの鎌倉お寺巡り、結局三ヵ寺で オ シ マ イ




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建長寺、鎌倉五山第一位の禅刹です。

2013年10月16日 | 神奈川の古寺巡り


(2013.10.13訪問)

この連休は奥さん孝行で、奥さんが行きたいという鎌倉とついでに江戸へ行ってまいりました。
鎌倉に着いてすぐ建長寺に行こかは御法度、お寺訪問などと先に云うとおメメの両端がキュッと上がるのは
必定、甘味処で一息入れて、ならばと鎌倉の顔、鶴岡八幡宮へ若宮大路を歩きだしましたが、うちの奥さん
「ウワーなにこれ!」若宮大路は人で埋まってました。早々に八幡さんをクリア、建長寺行は問題なく納得
しました。目指す建長寺はここから鎌倉街道を十五分ほど、しかし鎌倉街道も人とクルマで埋まってますワ。

▼仏殿本尊、地蔵菩薩坐像。




[ 建長寺 ]
●山号 巨福山 (こふくさん)
●寺号 建長寺(けんちょうじ)正式には建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)
●宗派 臨済宗建長寺派大本山
●開創 建長五年 (1253年)
●開基 北条時頼 (ほうじょうときより) 鎌倉幕府五代執権
●開山 蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)
●本尊 地蔵菩薩坐像
▲鎌倉市山ノ内八番地 電話0467-22-0981
▲HP http://www.kenchoji.com/
▲拝観料 300円、御朱印300円
▲JR北鎌倉駅下車徒歩15分 JR鎌倉駅下車徒歩30分
 
建長寺縁起 (建長寺HPから抄出)
開山大覚禅師は中国西蜀淅江省に生まれた。名は道隆、蘭渓と号。禅師は淳祐六年 (1246年)博多に着き、
円覚寺にとどまり、宝治元年に知友智鏡をたよって泉涌寺来迎院に入った。智鏡は鎌倉下向を勧め、禅師は
鎌倉の地を踏む。来朝三年後、時に三十六歳。禅師は寿福寺におもむき大歇禅師に参じた。執権北条時頼は
禅師の居を大船常楽寺にうつし、禅師の元を訪れ道を問うのだった。時頼は建長五年 (1253年) 禅師に開山
説法を乞い純粋禅宗をもとに大禅院が創建、 入寺した禅師は、きびしい規式、作法で門弟を教育、開山みず
から書いた法語規則は国宝としてのこっている。禅師は鎌倉に十三年、弘長二年 (1262年) 京都建仁寺に、
その後鎌倉に戻る。禅師は弘安元年 (1278年)建長寺に再住、七月二十四日、衆に偈を示して示寂。ときに
六十六歳。諡大覚禅師号は、わが国で最初の禅師号である。

伽藍配置。
総門、三門、仏殿、法堂、方丈が一直線に並ぶのは、禅宗伽藍配置の独特のものだそうです。

▼総門。





▼山号が揮毫された総門扁額。



「巨福山」の毫は建長寺十世住持、一山一寧の筆と伝え、「巨」字の第3画目の下に、余分な「点」が書き
加えられているが、この点があることによって字に安定感が出ているとされる。


▼三門 (重文)。三間一戸重層楼門。安永四年 (1775年) 再建。楼上には五百羅漢像が安置されています。残
念ながら非公開。昭和二十九年大修理で茅葺を銅葺に、建立当初の堂々たる雄姿が蘇る。





▼寺号が揮毫された三門扁額。





▼萱葺き屋根の鐘楼。





▼梵鐘 (国宝)。重量2.7トン。建長七年 (1255年) 関東鋳物師筆頭、物部重光鋳造。





▼栢槙の古木。仏殿前の樹齢760年、幹周7m。参道両側に7本の栢槙が植わってます。





▼仏殿 (重文)。建長寺本尊地蔵菩薩坐像が祀られています。
桁行五間、梁間五間、寄せ棟造、銅板葺。将軍秀忠室小督(お江)の方の霊屋を移築したものだそうです。





▼仏殿本尊、地蔵菩薩坐像。像高239.5cm、玉眼、寄木造、室町時代。右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、
衣を通肩着けて蓮華座に結跏趺坐。体は彩色斑ですが、玉眼切れ長の目はいつまでも印象に残る優しいお顔
です。本尊左右の欄間透かし彫刻も細工が見事!





▼仏殿格天井。格子内には鳳凰を始め色々の仏鳥が描かれ、天蓋部分は折上格子。





▼奥、法堂 (重文)。桁行五間、梁間五間、裳階付、銅板葺。文化十一年 (1814年) 再建。





▼法堂本尊、千手観音菩薩坐像。





▼法堂天井の雲龍図。小泉淳作さん筆の雲龍図。





▼法堂本尊前にパキスタンから寄贈されたレプリカ釈迦苦行像が祀られています。





▼唐門 (重文)。勅使門のこと。屋根は唐破風銅板葺、脇柱、戸はキンキラキン。





▼方丈龍王殿。





▼方丈扁額。





▼方丈仏殿。





▼方丈庭園。方丈裏の名園。蘸碧池 (さんぺきち) を中心とした池泉禅宗庭園。大覚禅師の作庭と伝えますが、
江戸時代に改修されていると云われています。











▼建長寺御朱印です。





創建当初の伽藍堂宇は残念ながら残っていません。ほとんどが江戸期の再建や他所からの移築と云いますが、
総門、三門、仏殿、法堂、方丈が一直線に並ぶ景観は、鎌倉五山第一位の風格と重厚さは十分に感じること
が出来、鎌倉と云う地勢の中で武家社会に守られ発展した頭領の面目は、今もこれからも滔々と鎌倉禅の大
河となって行くんでしょうネ。

長谷観音につづきます。

フ ロ ク 
今日の鶴岡八幡宮。





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