土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

曼殊院門跡、一人の天才のプロデュース。

2018年11月26日 | 京都の古寺巡り





(2018.11.21訪問)


今日は久々に修学院辺りを歩いてみようと、叡山電車でやってまいりました。
「ふとん着て寝たる姿や東山」その東山三十六峰の一つ、修学院山麓のそぞろ歩きです。付近には修学院離宮を始め赤山禅院、林丘
寺、曼殊院門跡、詩仙堂丈山寺、金福寺、狸谷山不動院など名だたる古刹が甍を並べています。その中の一つ曼殊院門跡を訪ねてみ
ることにしました。
曼殊院門跡中興の祖、良尚法親王は歌道、書道、茶道、華道、香道、絵画をはじめ建築学や作庭に通じ、大書院や小書院など書院建
築そして庭園造園をリード、その識見、創造力は江戸初期のただ者ではないスーパーマンのような人のようです。その天才がプロデ
ュースした曼殊院門跡、数々のアートを随所に見ることが出来るそうで、門跡寺院のアート探検とシャレましょうか。





▼三々五々参詣者が行く、染まりだした参道。







[ 曼殊院門跡 ]
●寺号 曼殊院門跡 (まんしゅいんもんぜき)
●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
●開山 是算国師 (ぜさんこくし)
●創建 天暦元年 (947年)
●中興 良尚法親王 (りょうしょうほっしんのう)
●本尊 阿弥陀如来坐像
▲京都市左京区一乗寺竹之内町42 電話/075-781-5010
▲拝観料 600円
▲叡山電鉄 一乗寺駅または修学院駅下車徒歩約20分
 市営バス JR京都駅から5番、地下鉄北大路駅から北8番、その他31・35・65番系統、地下鉄国際会館駅より  
 5・31・65番系統で一乗寺清水町下車、東へ徒歩20分





▼山門並びの参道。ここは見事な紅葉。







曼殊院門跡縁起 (曼殊院HPより抄出)
延暦年間 (728~806年) 宗祖伝教大師最澄により、鎮護国家の道場として比叡の地に創建されたのが曼殊院のはじまりである。その
後、天暦年間 (947~957年) 是算国師のとき比叡山西塔北渓に移り、「東尾坊」と号した。また、この国師が菅原家の出生であった
ことから、北野天満宮が造営されると初代別当職に補され、以後明治維新まで北野別当職を歴任することになる。寺では是算国師を
曼殊院初代としている。天仁年間 (1108~1110年) 八代忠尋大僧正が寺号を「曼殊院」と改め、北山に別院を建立された。そして明
暦二年 (1656年) に二十九代良尚親王が入寺され、現在の地に堂宇を造営したのが今日の曼殊院である。





▼右に勅使門。







▼左に山門、拝観通用門です。







            ▼門札も貫禄の筆蹟です。







▼難しい読ですが「その奥に媚びんよりは、むしろ竃に媚びよ」良尚さん筆の庫裡玄関の扁額「媚竃(びそう)」 







▼書院途中の中庭。







▼大書院 (重文) 十雪の間。本尊阿弥陀さんが祀られています。







▼大書院から見るお庭。







▼扁額松花堂昭乗筆「閑静亭」







▼五葉松も見事に成長してます。







▼蹲踞。







▼宝来山を表現したお庭。







            ▼燈籠。曼殊院「五基八燈の灯籠」の一つといわれる三重塔型灯籠。







▼小書院 (重文)。







▼小書院前庭。 













▼鉢と受け石は亀、奥石が鶴を表す蹲、いわれれば何となくそんな感じがします。







▼扁額「塵慮尽」よこしまな心を払い取り除けという意味だそうです。







▼小書院富士の間と黄昏の間を仕切る菊透かしの欄間。







▼小書院黄昏の間の曼殊院棚。右は玉座。







▼赤のグラデが相当染まって来ています。







▼丸い刈り込みがお庭の変化。







▼お庭三態。 



















▼護摩堂がひっそりと。方三間、宝形造、桟瓦葺。明暦二年 (1656年) 建立。毎月28日護摩法会が行われます。







▼境外弁天池の紅葉を愛でながら曼殊院オシマイです。


















お庭をはじめ建物や室内の凝った設えや調度、さすが良尚法親王のプロデュース、天台五箇室門跡の一つとしての格式を強烈に感じ
る古刹です。お庭に下りること、歩くことは当然出来なく、全てが書院からの観賞、これだけのお庭を、門跡寺院の感性を味わいな
がら歩いてみたい、そんな気持ちを抑えながらの名庭観賞、縁先にしばらく釘付けでした。


大覚寺、橘嘉智子ってどんな人?

2018年11月15日 | 京都の古寺巡り





(2018.11.10訪問)


直指庵から真南約5~600mにある嵯峨天皇勅願のお寺大覚寺を訪ねます。嵯峨天皇と云えば絶世の美女の誉れ高い檀林皇后橘嘉智子
の名が先ず思い浮かびます。絶世の美女って誰か見たことがあるのか嘉智子はん、ホントどれほどのベッピンだったのでしょうネ。
ベッピンはさておいて、今大覚寺では、勅封心経殿で嵯峨天皇をはじめ、6天皇の「勅封般若心経」が特別公開されています。これは
必見と云うことで大覚寺を訪ねたのであります。決してベッピンが目的ではないんですヨ。





            ▼旧嵯峨御所の格式は何事にも代え難い格調の石柱。







            [ 大覚寺 ]
            ●山号 嵯峨山 (さがざん)
            ●寺号 大覚寺 (だいかくじ) 正式名称 旧嵯峨御所大覚寺門跡
            ●宗派 真言宗大覚寺派大本山 (しんごんしゅうだいかくじは)
            ●勅願 嵯峨天皇 (さがてんのう)
            ●開山 恒寂法親王 (ごうじゃくほっしんのう)
            ●開創 貞観十八年 (876年)
            ●本尊 五大明王 (重文)
            ▲京都市右京区嵯峨大沢町4番地 TEL.075-871-0071
            ▲拝観料 500円 御朱印300円
            ▲拝観時間 9:00~17:00 
            ▲JR嵯峨野線「嵯峨嵐山駅」下車 徒歩約15分
             京福電鉄嵐山線「嵐山駅」下車 徒歩約20分 
             市バス「大覚寺」下車 徒歩スグ





▼参道を左に行けば玄関門。







大覚寺縁起 (大覚寺HPから抄出)
平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたのが、大覚寺の前身離宮嵯峨院である。嵯峨院が大覚寺と
なったのは、皇孫である恒寂入道親王を開山として開創した貞観十八年 (876年) のこと。弘法大師空海のすすめにより嵯峨天皇が浄
書された般若心経が勅封(六十年に一度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場として知られる。明治時代初頭まで、代
々天皇もしくは皇統の方が門跡を務めた格式高い門跡寺院である。





▼玄関門。三間一戸、切妻造、本瓦葺。







            ▼門跡寺院木札の墨跡。







▼式台玄関。こちらからは入れません。参道脇には今盛りと嵯峨菊の鉢。







▼嵯峨菊、黄色がまた周囲によく映えているんです。







▼宸殿 (重文)。桁裄九間、入母屋造、檜皮葺、寝殿造。
 江戸期、後水尾天皇より下賜された寝殿造の建物。入内した将軍秀忠の娘、東福門院和子が寝殿として使用していた。







▼宸殿前庭の右近の橘。左近の桜は今見る影もないですが、この橘は元気で実がたわわ。







▼宸殿襖絵は狩野山楽の作。        



















▼御影堂。桁裄七間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付。大正十四年 (1925年) 建立。
 大正天皇即位に際し建てられた饗宴殿を式後賜り移築したもの。心経殿の前殿であり、内陣正面は心経殿を拝するため開けてあり
 内陣左右に嵯峨天皇、弘法大師、後宇多法皇、恒寂入道親王など大覚寺の歴史に大きな役割を果たされた方々の尊像を安置。







▼御影堂から前庭奥の勅使門遠望。







▼勅使門。四脚門、切妻造、銅板葺。嘉永年間 (1848~54年) 再建。
 屋根梁、正面および背面に軒唐破風を付け、全体は素木造りだが唐破風の部分のみ漆塗で金鍍金の飾り装飾を施している。







▼唯一の紅葉。







▼嵯峨菊、云いようのない姿形。







▼村雨の廊下、諸堂を結ぶ廻廊をそう呼んでます。







▼安井堂内陣、後水尾天皇僧形を奉安。
 京都東山にあった安井門跡蓮華光院の御影堂を明治四年 (1871年) 移築されたもの。







▼後水尾天皇僧形像。







▼内陣の格天井に描かれた花鳥図。







▼勅封心経殿。大正14年、法隆寺の夢殿を模して再建。      
 殿内には嵯峨天皇をはじめ、後光厳、後花園、後奈良、正親町、光格天皇の勅封心経を奉安し、薬師如来像が奉伺されている。
 特別公開「嵯峨天皇宸翰勅封般若心経」が公開されています。平成30年10月1日(月)~11月30日(金)詳細は大覚寺HPをご覧くだ
 さい。













▼嵯峨菊。







▼ひっそりと聖天堂。方三間の宝形造。







▼心経宝塔 (多宝塔)。昭和四十二年 (1967年) 建立。大沢池のほとりに佇み、嵯峨野の四季の風景にとけあった朱塗りの端正な
 姿が美しい多宝塔です。嵯峨天皇心経写経千百五十年を記念して建立。基壇内部に「如意宝珠」を納めた小塔を安置、内部には
 弘法大師像を奉安。   































            ▼心経宝塔の相輪。







▼近くに石仏が並んでいます。







名勝大沢池を巡ってみましょうか。
周囲約1kmの日本最古の人工の林泉。嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営時、唐の洞庭湖を模して造られたところから庭湖とも呼ばれて
います。





            ▼池の汀に立つ石柱。







▼少し寂し気な池景。







▼静かな池面に付かず離れず。







▼いつの間にやら桟橋へ、何やらヒソヒソ……。

 





▼冬真近と云う寂しい感じでオシマイなんですが……、







▼せめてピンクの嵯峨菊で気分ホッコリ、大覚寺と大沢池オシマイです。







特別フロク
▼嘉智子はん、こんなベッピン。(写真はネットからもらってきました)






宮廷文化絢爛期を導いた嵯峨天皇は橘嘉智子を皇后に迎え、男として誇らしげで華麗な一生をおくった天皇としてその名がよく出て
きますネ。大覚寺は天皇自らが寺として建立したものではなく、続く皇女、皇孫がその遺志を継いで年を経て離宮から寺へと変貌し
ていったものと云います。門跡寺院としての格調は半端じゃないと聞きますが、寺院の格って? 天皇が創建したから? 天皇や皇
族が門跡を勤めたから?

直指庵、尼寺ではないんですよ。

2018年11月13日 | 京都の古寺巡り





(2018.11.10訪問)


赤やオレンジに彩られる綾錦に魅せられる候にはチト早い今日、京都奥嵯峨の直指庵を訪ねるために早々に我が家を出ました。チト
早いとは云え十一月、世間のクルマが京都、奈良へ集中するであろうことを予測し久々早めに大和路号は我が家を出発したと思って
ください。有ろう事か大和路号のアホナビは、なななんと嵐山経由のコースを指示するではありませんか。高速降りて京北端へは市
街を北へ走るのは止むを得ませんが、選りに選って西向いて一番混雑する嵐山を通るなんて論外のアホナビめ、距離優先のため止む
を得ず従いました。案の定嵐山銀座はクルマも人もイッパイ、ノロノロノロとあとはなるようになれでした。
しかしよくよく考えて見ると、直指庵は嵐山の北スグなんですよネ。





            ▼自然石に彫り込まれた寺号じゃなかった庵号。直指庵は寺号がありません。







            [ 直指庵 ]
            ●山号 祥鳳山 (しょうほうざん)
            ●寺号 直指庵 (じきしあん)
            ●開山 独照性円 (どくしょうしょうえん)
            ●開創 正保3年 (1646年)
            ●宗派 浄土宗
            ●本尊 阿弥陀如来
            ▲拝観料 500円 朱印300円
            ▲時間 9:00~16:00 (11月~12月上旬は16:30まで)
            ▲京都市右京区北嵯峨北ノ段町3 Tel.075-871-1880
            ▲JR「京都駅」から市バス28系統「大覚寺」徒歩15分
             JR「嵯峨嵐山駅」徒歩約30分





▼山門。門前は小砂利が敷き詰められいい雰囲気です。







直指庵縁起 (直指庵パンフレットから抄出)
臨済禅を学んだ独照性円が南禅寺栖雲庵から正保3年 (1646年) 嵯峨細谷に草案を結んだのが始まり。その時の庵の名を没蹤庵とい
うそう。独照は枯れ松の枝が地に落ちるのを見て大悟し、直指人心の旨を守って庵を直指庵と号した。独照性円が明の高僧隠元隆琦
に黄檗禅を学び、隠元を直指庵に招じてからは、伽藍を建立し大寺院になったが、その後荒廃し、幕末に近衛家の老女津崎村岡局が
浄土宗の寺として再興したのが現在の直指庵である。





▼直指庵駒札。上記縁起より詳しく書かれています。







▼ではでは境内へGO ! 早速上りですネ。
 うっすらと赤みが増して、もう少し秋が深まると素晴らしい紅葉を見せてくれそうですネ。







▼参道脇には石蕗が咲いてます。







            ▼3m余りの大きな燈籠。







▼後ろには竹林が控えています。   













▼参道を進むと茅葺きの本堂が見えてきました。







▼本堂。本尊阿弥陀如来。屋根は茅葺、明治32年 (1899年) 再建。
 玄関横には蓑が掛けられ、どこか農家の佇まいが感じられます。







▼直指庵と書かれた扁額。







▼本堂の隣に「珍しい竹の庭」と木札がありますが、ドコが珍しいのかよく判らないお庭でした。







▼本堂前に縁結びの愛逢い地蔵のお二人。顔の下にブラブラするものなあーに?







▼石仏と云えども姿形不詳の七体。







▼参道道すがら「待合」と云う小さな門風の建物、気になる名前です。







▼直指庵を再興した村岡矩子さんの墓所。







▼村岡矩子さんとはこんな方。







▼徴老和尚の塔。







▼境内の右手奥に「思い出草観音像」がお立ちです。
 直指庵には、この地を訪ねた人が、様々な思いの丈を綴る「思い出草ノート」が置かれています。綴られた苦しみ悲しみの一切を
 救ってくれる観音さんです。







▼釈迦涅槃のレリーフ。           













▼開山堂。







            ▼開山独照和尚の墓、大円塔。







            ▼ちょっとコワーイですが独照和尚の木像が祀られています。



            (和尚写真はネットからもらってきました)





▼開山堂の前に開山独照和尚自らが「出でて吾が塔を護る」と序した「亀石」があります。







▼境内。







▼石畳の道。







▼でっかい茅葺きの修練道場。玄関は締め切りでした。     













▼ドウダンツツジの真っ赤に見送られて直指庵 オ シ マ イ 







特に理由はないんですが、ボクはこのお寺ズーと尼寺と思っていました。
直指庵を訪ねる前にHP拝読すると、お寺として外部媒体の直指庵論に相当ご不満があり、HP1ページを割いてそのTOPに「直指庵は
尼寺ではありません」とキャッチコピーを入れ、訂正や反論を滔々と述べています。よほど腹に据えかねたものと思われます。
やはりボクたちもお寺ガイドや雑誌特集などをそのまま鵜呑みにして、そのお寺を理解していたきらいがあります。
情報の取捨必要ですネ。

次の訪問はここから南に少し下った、あの大寺院です。

阿弥陀寺、ここも大原なんですが……。

2018年11月05日 | 京都の古寺巡り





(2018.11.03訪問)


大原の里も今日訪ねた古知谷まで来ると先ず人の気配はありません。三千院などがある所からクルマで10分ほどの距離に関わらず参
拝者はボク一人でした。まだ紅葉には幾分早いとはいえ、大原の喧噪はここにはありません。深山幽谷の感が味わえる山道を登って
行くとやがて阿弥陀寺の石垣が見えてきます。色とりどりの可愛い大文字草が迎えてくれ、一刻の安息感に気分はホッコリ、ホッで
した。





▼参道入り口に山号を刻した自然石がドンと置かれています。







[ 阿弥陀寺 ]
●山号 光明山(こうみょうさん)
●院号 法国院(ほうこくいん)
●寺号 古知谷阿弥陀寺(こちだにあみだじ)
●開山 木食上人弾誓(たんぜい)
●開創 慶長14年(1609年)
●宗派 浄土宗
●本尊 弾誓仏(弾誓上人自ら彫った像で自身の頭髪を植えた仏像)
▲拝観料 400円 朱印300円
▲時間 9:00~16:30
▲京都市左京区大原古知平町83 Tel.075-744-2048
▲京都市営地下鉄国際会館駅→京都バス大原小出石行きで30分、バス停古知谷下車、徒歩15分
 名神高速京都東ICから50分





▼掘割りの中を行くような参道。







阿弥陀寺縁起 (阿弥陀寺パンフレットから抄出)
尾張出身の弾誓上人が開基した如法念仏道場が始まりで、上人は霊木から像を刻み、自身の頭髪を植え、本尊として堂に安置し寺名
を阿弥陀寺と名付けました。





▼重層の竜宮門、山門です。      







            ▼弾誓上人の刻した本尊を誇っているようですネ。







▼山号を記した勇壮な筆蹟。







▼では境内へ。







▼例により石段前に「臭いものを喰って入るな」







▼実相の滝は二段滝のはずですよネ、けどこの滝しか見えなかった、不思議?







▼一転空が開けた、石垣が見えます、境内に着いたようです。







▼懸け造りのお堂が、こういう見方をするとヒヤヒヤものです。これは瑞雲閣という茶室です。







▼参道を彩る大文字草。
 阿弥陀寺は九輪草が有名なんですが、そのシーズンが終わると大文字草の出番なんです。







▼本坊です。本堂へはここから入ります。







▼大文字草。色も色々可愛い小花です。







▼本堂です。桁行5間、梁行4間、寄せ棟造、浅瓦葺。瑠璃瓦風の艶のあるきれいな瓦が葺かれています。







▼本堂扁額。院号法国院と揮毫されてます。







▼本堂正面。







▼本堂内陣の荘厳。







▼内陣扁額には梵字らしきものが書かれています。







▼内陣須弥壇には立派なお厨子に本尊がお立ちです。       













▼本尊は弾誓上人自ら彫った像で自身の頭髪を植えているそうです。どこか異神の感じがする本尊です。







▼それに引き換え堂々の脇仏阿弥陀如来坐像(重文)。鎌倉時代、明恵上人作と云う説もあるそうです。







▼畳敷きの外陣、一眠りしたいくらいの日差しいい案配。







▼かってはエライ僧の上り下りに使っていたのかな。







▼本堂前のお庭。







▼大文字草。境内の所々に可愛い表情を見せています。







▼石仏五智如来。







▼鐘楼。







▼大文字草。                          













            ▼孤高のお地蔵さん。角柱に半浮き彫りのお像です。







▼文字通り大の字に見えますネ。







▼弾誓上人石廟。奥に石窟が掘られ……、

  





▼この石龕に弾誓上人は眠っています。
 弾誓上人六十三歳のとき、修行中の僧たちに彫らせたこの石窟石龕に今も上人は端坐合掌の相でミイラ佛として安置されているそ
 うです。奥行き2m位の窟です。暗いです。ヒンヤリしています。水滴が滴っています。正直コワイです。







▼弾誓佛と書かれたご朱印を頂いて古知谷阿弥陀寺オイトマです。







▼フロク。






広くはない境内に本堂一つの古刹ですが、お寺のエッセンスがギッシリ詰まった素晴らしいお寺です。いま盛りと咲く大文字草のあ
まりの可愛さに本尊のお顔の印象がおぼろになってしまいました。お寺とお花、可憐な花々に癒されながら巡る境内は見方によれば
また違った発見があるかも知れないですネ。