土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

西應寺、自慢の庭園はさすがです。

2018年02月22日 | 滋賀の古寺巡り





(2018.02.17訪問) 


新大和路号は栗東市の萬年寺から湖南市の西應寺へ向かっています。栗東市から湖南市へと市は変わりますが距離にして5〜6キロ、
チンタラ走行自慢の新大和路号でもアッと云う間に到着です。西應寺は小さいお寺ながらも立派なお庭が自慢だそうで、時には主義
から外れて冬枯れの庭園散策もと云うことで今日の第2弾、湖南市の西應寺にやって参りました。



[ 西應寺 ]
●山号 功徳円満山 (くどくえんまんざん)
●寺号 西應寺 (さいおうじ)
●宗派 浄土真宗大谷派 (じょうどしんしゅうおおたには)
●創建 天和三年 (1683年)
●開基 祐堂禅師 (ゆうどうぜんじ)
●本尊 阿弥陀如来立像
▲拝観料 境内自由 朱印300円
▲時間 9:00~16:00
▲滋賀県湖南市菩提寺1677 Tel.0748-74-1051
▲JR草津線「石部駅」下車 タクシー約7分
 名神高速道路「栗東湖南I.C」よりお車で約6分





▼山門。







西應寺縁起 (西應寺HPから抄出)
この地は、もと奈良興福寺の別院で、円満山少菩提寺と呼ばれ、多くの伽藍が建ち並んでいた。奈良時代、聖武天皇が国家繁栄と
安泰を願い、良弁僧正が創設した古刹である。当時は、広域にわたって大金堂、三重大塔、開山堂など7つの神社と36僧坊の偉容
を誇っていた。元亀二年(1571年)織田信長の兵火によって全山消失、このうち禅祥坊が現存の西応寺の前身である。
寺宝の明応元年(1492年)の古絵図には、盛時の状況が克明に描かれており、現在の山裾に禅祥坊があったことがうかがえる。





▼黒塀に五本線がよく目立つ山門、向こうに早速石段が見えます。







▼山門向こうに小さな流れに石橋が。







▼先の見える石段は気が楽ですネ。







▼手水舎で清めましょう。ボクなど頭から浴びる必要がありそうですが、冷たいので止めます。







▼木の香漂う本堂。







▼本堂前面。中央障子戸からご住職の奥様の説明付きで入堂させて頂きました。







▼本堂内陣中央にご本尊の姿が。







▼内陣欄間に山号功徳円満山の扁額。







▼降り注ぐ瓔珞の煌めきに……、







            ▼ご本尊阿弥陀さんが柔和なお顔で説法中かな。







▼本堂右脇殿。







▼本堂左脇殿。







▼本堂。







▼本堂脇にデ~ンと鎮座の大岩。







▼放生池。







▼池中央の石灯籠。不安定な姿が健気です。







            ▼高台に孤高を保つ。







▼本堂と書院を繋ぐ渡り廊下。何やら妙な造りになってますネ。







▼書院玄関。







庫裏横からこのお寺自慢の庭園を散歩しましょう。
広大な枯山水の庭は、噂に違わぬ色んな顔を見せてくれる独特の変化に富み、多数の石組みや大小様々な石灯籠が置かれ、庭園と
はコレだ!の主張が納得出来るいい庭園です。

▼庭園。                 







            ▼庭園東の台地に高さ約10mの十三重石塔。







▼一瞬の煌めき。        







▼小石の小径を通り……、         







▼石段を上がると……、          







            ▼ここでチョット一服、と云っても禁煙ですヨ。  







            ▼庭の中にこんなものも、石の擬宝珠柱。







▼最後に無量寿堂。







▼ご朱印です。







琵琶湖東側の湖北や湖東、そして湖南の地には、小さいながらも表情豊かな色んな顔を持つお寺が甍を競っています。湖国へは奈
良京都ほどではないにしろ結構訪れているのですが、まだまだ未知の古刹が控えています。特にイイお寺とイイ観音さんが目白押
しの湖北はまだ一度も訪ねたことはなく是非巡ってみたい、けど今はユキがコ ワ イ。





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萬年寺、瀟洒な朱の山門が目印です。

2018年02月19日 | 滋賀の古寺巡り





(2018.02.17訪問) 


新大和路号は名神近江路を例によりチンタラ走行です。久々の近江路の今日は時に青空、時に黒雲、時折パラパラの空模様。
幸い今日の訪問先は高速降りて比較的近くのお寺、先ず栗東市の禅刹萬年寺を訪ねます。
我が家から1時間圏内のお寺巡り、これはラクチン、今日は栗東市から湖南市の古刹をを巡ろうかと思います。


[ 萬年寺 ]
●山号 石場山 (いしばざん)
●寺号 萬年寺 (まんねんじ) 正称 石場山萬年禅寺
●宗派 黄檗宗 (おうばくしゅう)
●創建 天和三年 (1683年)
●開基 祐堂禅師 (ゆうどうぜんじ)
●本尊 聖観世音菩薩立像 (秘仏)
▲拝観料 境内自由 朱印300円
▲滋賀県栗東市小野297 Tel.077-552-0077
▲JR琵琶湖線「栗東駅」下車、バス18分 東宝ランド下車徒歩約10分。
 名神高速「栗東IC」から車で10分





▼最近塗り直された瀟洒な山門は朱色が映えています。







       ▼萬年寺縁起は真新しい石盤が語ります。







            ▼「葷酒山門に入るを許さず」酔っぱらいは入れません。
             禁牌石柱と云うそうで2mほどの高さです。







▼山門、重層の鐘楼門です。一間一戸、入母屋造、本瓦葺。棟瓦には立派な鴟尾がのってます。







▼上層の梵鐘見えますか。







▼山門から一直線の参道の先、本堂です。







▼山門白塀脇門から覗いてみます。







▼本堂参道。







▼本堂。桁裄5間、梁間5間、入母屋造、桟瓦葺。重層屋根の下屋根は裳階と思われます。







▼本堂正面の扁額は寺号が記されています。







▼本堂正面。







▼堂内の一段高い内陣の様子。







▼内陣扁額。圓通と読めますが、さて意味は?







▼須弥壇の荘厳、上段奥の厨子に本尊聖観世音菩薩立像が祀られ、前のお像はお前立ち像。







▼お前立ち聖観世音菩薩立像です。後ろの厨子に本尊がおられます。







            ▼お前立ち聖観世音菩薩立像。独特の光背を背負い、
             宝冠意匠も珍しいデザインで宝髻も思い切り高く纏めているようです。







            ▼本尊聖観世音菩薩立像 (秘仏)。
             ご住職曰く、本尊お厨子は33年に一度開扉なのでお見せ出来ませんが、
             本尊写真をお見せしましょうと見せて頂いた相当古いW&Bの写真がコレ。
             色々評価は出ると思いますが、このお像は萬年寺前身小野寺の本尊で、
             寺伝によれば聖徳太子の御作と伝わるそうです。







▼本堂。







▼ここにも立派な鴟尾が、棟中央には宝珠がのってます。







▼冬枯れの放生池。







▼雛壇水子地蔵。







            ▼宝珠のない鎌倉期の宝篋印塔。







            ▼聖観音石像。







            ▼オットットット、危険なバランスいつまで保つか五重石塔。







▼方丈玄関、こちらでご朱印を戴きます。







▼朱色が映える山門から萬年寺お暇です。







▼ご朱印です。







黄檗禅寺独特の中国風山門はインパクト充分、境内入山の期待が大いに盛り上がります。ご住職に山門は再建ですかと聞いたの
ですが、創建寺そのままの姿だそうで朱色の映えは最近塗り直したそうです。小さなお寺ですが境内はよく整備されており気持
ちのいいお寺でした。





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戒長寺、山寺の冬、お葉つきイチョウも大きな枯れ木。

2018年02月15日 | 奈良の古寺巡り





(2018.02.11訪問) 


佛隆寺からもと来た道R369号を戻り、中途右折して戒場山の山懐を目指します。戒長寺は佛隆寺と同様今は全く何もない冬の山寺、
縁起にあるような「平安後期には相当な寺観を呈し、戒場薬師と呼ばれ戒律道場として栄えた」と云うような印象今は全くなくただ
一古刹、山中にあると云っていいような山寺です。


[ 戒長寺 ]
●山号 戒場山 (かいばさん)
●寺号 戒長寺 (かいちょうじ)
●宗派 真言宗御室派 (しんごんしゅうおむろは)
●勅願 伝 用明天皇 (ようめいてんのう)
●開基 伝 聖徳太子 (しょうとくたいし)
●本尊 薬師如来坐像
▲拝観料 本堂拝観要予約 朱印不祥
▲奈良県宇陀市榛原戒場386 Tel.0745-82-1301
▲近鉄大阪線「榛原駅」から奈良交通バス針IC行で「玉立」下車、徒歩40分
 名阪国道「針IC」から、国道369号線、国道165号線で山辺三より市道を利用。





▼チョット躊躇しましたよ、この石段行くのを。







戒長寺縁起
寺伝では用明天皇の勅願により聖徳太子が建立。その後空海が伽藍を整えるとあるが、由緒は明らかでないが、仏像や梵鐘から平安
後期には相当な寺観を呈していたと思われる。戒場山のすそ野にある静かな山寺。薬師如来座像を本尊とし、俗に戒場薬師と呼ばれ
る。藤原時代には地方の戒律道場として栄えた。9体の藤原仏を伝来し、わが国唯一の十二神将を刻んだ銅鐘や、葉の縁に小さな実
がつく奈良県指定の天然記念物の「お葉つきイチョウ」が有名である。





▼まもなく山門が見えてきました。しかし相当荒れた参道ですネ。







▼石段はこんな感じ。







▼さて山門、鐘楼門のようです。







▼山門から境内、正面に本堂が見えます。







▼梵鐘 (重文) が吊られています。この梵鐘相当有名なものらしく鐘身に1面に3体ずつ十二神将像を鋳出する非常に珍しい梵鐘。
 鐘高121cm、口径66cm。正応4年 (1291年) 鋳造。







▼ウ~ン侘と寂が正面に建っているような本堂です。
 桁裄3間、梁間4間、寄棟造、桟瓦葺、元治元年(1864年)再建。ナヌ江戸後期の再建にしてはねぇ〜







▼本堂正面、扉は鍵が掛り堂内はもちろん窺うことは出来ません。







▼本堂正面の扁額。







▼本尊薬師如来坐像。薬師如来のスタンダードのようなご本尊。実物を拝することは出来ませんでしたが、写真を見る限り如来の柔
 和なお顔に造形抜群の全身像、翻波式衣文の表現など、相当な腕の仏師の作と見受けられます。



 (写真はネットからもらってきました)





▼どこから見ても荒れ感は否めません。







▼お葉つきイチョウ。凄い気根、乳と云うらしいですネ。樹高30m、幹周4. 20m。







            ▼五輪塔。







▼境内にある戒場神社の鳥居。扁額はありません。







▼本殿を囲む瑞垣。







▼戒場神社本殿。戒長寺の鎮守社、祭神は大山祇命 (オオヤマツミノミコト)







極々小さなお寺で一見荒れ放題、ジーッと見ても荒れ放題。本尊お薬師さんに会いたくて訪ねたんですが、錠前ロックで小窓もない
お堂、庫裡へ伺ったんですがお留守のようでご朱印もナシ、残念ながら早々にお暇した次第。
著名なお葉つきイチョウ今は枯木然、しかし凄い眺めで初めて見る気根は異様です。落葉期の写真を見ると境内一面の黄葉はまさし
く高級絨毯そのもの、ひっくり返って寝転んでみたいものです。

それではこれにて戒長寺おイトマ。





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佛隆寺。清楚な薄紅色と真っ赤の華やぎ、ああ!今は何も無し。

2018年02月13日 | 奈良の古寺巡り





(2018.02.11訪問) 


今週も新大和路号は我が家からR163号を走り、R369号を南へ南へ脇目も振らずまっしぐら。奈良を越え、柳生を越え、針を越え、
榛原を越えて室生山塊の山懐、佛隆寺を目指しているのであります。モチヅキ桜の巨木や参道石段両側の彼岸花で名を馳せているあ
の佛隆寺です。しかし今は全く何もない冬の山寺なんです。そう冬の山寺を巡るのがお寺巡りのコツなんですヨ。





▼R369号線沿い高井バス停に建つ佛隆寺への道標。赤いどおり勿論躊躇なく左折。







[ 佛隆寺 ]
●山号 摩尼山 (まにさん)
●寺号 佛隆寺 (ぶつりゅうじ)
●宗派 真言宗 (しんごんしゅう)
●開基 堅恵大徳 (けんねだいとく)
●開創 嘉祥3年(850年)
●本尊 十一面観音菩薩立像
▲拝観料 本堂拝観300円 朱印300円
▲拝観 9:00~16:30
▲奈良県宇陀市榛原区赤埴 Tel.0745-82-2714
▲近鉄大阪線「榛原駅」から奈良交通バス「高井」下車、徒歩20分
 国道369号線を榛原経由南に、途中高井で左折10分


▼冬枯れの山間道を進むとやがて……、


佛隆寺縁起
平安時代前期、弘法大師空海高弟の賢恵の創建と伝わり室生寺の南門として末寺の関係にある。空海が唐より持ち帰った茶を栽培し
たと伝わり大和茶発祥の地とされている。彼岸の頃には197段の石段の両側をヒガンバナが埋め尽くし花の寺として著名。聖徳太子
作と伝わる十一面観音を本尊とし本堂に安置。境内奥には開祖賢恵の廟と伝わる石室が現存し、重要文化財に指定されている。
因みに室生寺の四門とは、
●東門(田口の長楽寺)●西門(大野の大野寺)●南門(赤埴の仏隆寺)●北門(名張の丈六寺)





            ▼長~い石段が見え前に石碑が。正面に南無大師遍照金剛、
             何を血迷ったか左側を撮り忘れ、寺名は左側に刻されているんです。







▼進入禁止か。いえいえ、鹿などの防護柵でした。けど左右から進入し放題なんですけど。







▼さて石段参道です。大和三名段の一つ、197段だそうです。







▼石段右に樹齢千年と云われる名木天然記念木モチヅキ桜。樹高16m、幹周7.5m、開花は4月中旬頃。







▼満開はこんな感じ。(写真はネットからもらってきました)







▼今は緑陰もなくサッパリした石段を行ます。







▼こんな石段です。夏から秋にかけて石段左右には……、







▼赤で埋もれます。(写真はネットからもらってきました)







▼山門到着。







▼天を突く。







▼入山料200円を納め境内へ。







▼なんと立派な鐘楼。







            ▼このお寺は空海さんが唐より持ち帰った茶を栽培した大和茶発祥の地と伝わるそうです。







▼手水鉢。







▼五色幕が揺れる本堂。桁裄3間、梁間4間、入母屋造、桟瓦葺、四辺外縁に高欄が巻いてます。







▼本堂前面。入堂は両サイドの板障子から。







▼堂内内陣の設え。須弥壇中央のお厨子にご本尊がお立ちです。

                      





▼中央須弥壇。

                      





▼本尊十一面観音菩薩立像。像高約100cm、一木彫、右手に錫杖を持つ長谷寺型観音像。







▼本堂裏に求聞持堂。本尊不動明王。         













▼歴代住職の墓標。







▼開祖堅恵大徳の廟。左右7m、奥行き5m、高さ4.5mの石で組まれた宝形屋根の珍しい様式の廟です。







▼羨道奥付きに玄室が見えますが、石棺は見えません、代わりに五輪塔が置かれています。







            ▼十三重石塔。元徳二年 (1330年) の刻があります。







▼境内右に鎮守社の白岩神社、これは本殿。
 仏隆寺の鎮守として創祀されたと伝わり、祭神は須勢理姫命。岸壁の下に創祀された室生の龍穴神社と同じ水神を祀った社だと考
 えられているそうです。







▼参道口まで引き返し振り仰げば後山の優姿。







▼ご朱印です。







千年桜の花も葉もなし、彼岸花の赤の気配全くナシ、冬枯れの佛隆寺は197段の石段がいやが上にも真っ先に迫ってきます。この石
段が中々味のある石段で、自然石をそのまま組み込み所々苔むした色々な表情を愛でながらチンタラ上って行くといつの間にか山門
前へ。ヘッチャラの197段でした。

それではこれにて佛隆寺お暇。





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光明寺、噂どおりの鐘楼門。

2018年02月08日 | 奈良の古寺巡り





(2018.02.03訪問) 


世に光明寺や観音寺という名称のお寺は数多くあり、光明寺はこの宇陀近辺でも2〜3カ寺あるそうで、これから訪ねる光明寺も
その一つ。大願寺からR166線を北へ戻ること約10分、遍照山光明寺に着きます。このお寺素晴らしい山門を構えているんです。
檜皮葺きで重層楼門いわゆる上層に梵鐘を吊るす鐘楼門。「近くへ行ったら是非寄るべし」寺友Nの情報は○もあれば×もあり、
今日は○を期待して訪ねてみることにしたんです。





            ▼寺号標。







            [ 光明寺 ]
            ●山号 遍照山 (へんしょうざん)
            ●院号 朝徳院 (ちょうとくいん)
            ●寺号 光明寺 (こうみょうじ) 正称 遍照山朝徳院光明寺
            ●宗派 融通念仏宗 (ゆうずうねんぶつしゅう)
            ●開基 詳細不詳
            ●開創 詳細不詳
            ●中興 永欣上人 応永十年(1403年)
            ●再興 法俊上人 天正十四年 (1586年)
            ●本尊 阿弥陀如来坐像
            ▲拝観料 境内自由 朱印無料
            ▲奈良県宇陀市大宇陀西山121 Tel.0745-83-0254 
            ▲近鉄大阪線「榛原駅」から奈良交通大宇陀行きバスで15分、西山下車、徒歩5分
             名阪国道針ICから国道369線、370号線経由約20分





▼檜皮葺きの鐘楼門。檜皮葺山門は比較的珍しく、門構えも袖塀を備えた堂々とした構成を見せていますネ。カッコいい山門です。
 重層、一間一戸、入母屋造。江戸初期の慶安から寛文年間の建立。







光明寺縁起
創建は第五十九代宇多天皇の頃と伝えられるも詳細は不祥。その後応永十年(1403年)大念仏宗本山恵観浄善の弟子永欣が中興、
天正十四年(1586年) 法俊上人が再興。現在の本堂は、寛政五年(1793年)の建立。内陣に藤原時代の本尊阿弥陀如来立像、多聞
天立像、八幡大菩薩、大日如来、永欣和尚坐像などを安置。境内の観音堂には十一面観音像を安置しています。





▼久し振りに目にしました、莫山さん書の山号扁額。







▼斜めからのショットもカッコいい。







▼振り返ってみてもカッコいい。







▼境内は決して広くはないですが、参道以外は砂が敷きつめられ、お庭の植栽も古木が時代を添えて綺麗な境内です。







▼言い訳ですが、写真の撮りようがない本堂。寛政五年 (1793年) 建立。







▼院号が書かれた扁額。







▼本堂前面です。正面障子戸の両脇から入堂します。







▼僅か10cm足らずの隙間を埋める向拝彫刻、相当細かい彫技です。







▼本堂内陣の荘厳。







▼須弥壇奥の本尊、ほとんど拝する事が出来ませんでした。







▼内陣の扁額。ここは寺号が書かれています。







▼一般的な堂内構成。椅子席が外陣、畳が中陣、須弥壇以奥が内陣ですネ。







▼見上げると大屋根に飛翔寸前の鷺。







            ▼十三重の石塔。苔むす見栄えに歴史を感じます。
             塔高約400Cm、花崗岩、南北朝時代中期。
             初層軸部に金剛界四仏の薬研彫りされ阿弥陀が刻まれています。







            ▼こんな石灯籠も。







▼境内。







▼本堂左前の観音堂。本尊十一面観音菩薩。







▼宇陀西国一番札所のご詠歌が扁額代わりか。

             





▼宝蔵か経蔵か。

               





▼近年建て替えられた庫裡。こちらでご朱印を頂きます。







▼大玄関。







▼今ご朱印をお願い中、手前の椅子で待ってます。







▼丸く刈り込みがなされたツツジ (だと思いますが) の中に、直径30cmくらいのこれ何だと思います?
 中は氷が張って、しかも手が届きません。ハテなんでしょう? 判りません。 







▼ご朱印です。







先の大願寺に輪をかけて情報が少ないお寺でした。ご住職「当寺は観光寺院ではないのでお寺パンフは作っておりません」とのこ
とで、入山者はあまり有り難くない様子。入山料もなく、通常ご朱印は300円ですが、それすら受け取られません。と云って境内
や本堂入堂を拒否する訳でもなく「どうぞごゆっくり」の言葉まで頂戴、お言葉に甘えて境内くまなく廻ったのは云うまでもあり
ません。

これにて光明寺 オ シ マ イ





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