土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

ダイ大阪のオアシス、靭公園ですよ~。

2010年05月28日 | 花巡り


オアシスといってもラクダなんぞいませんけど、とにかくオアシスです。靭公園
です。ウツボ公園です。カタカナで書くとなんかウソッぽいのでひらがなで書く
と、うつぼ公園、オアシスです。もういいか。
なかなかどうして見事なバラ園があるのですよ。なんとタダ。いい響きのタダ。
誘蛾灯のようなタダ。さすが大阪人、仕事中の昼ひなか誘蛾灯に誘われてワンサ
カとはいきませんが結構誘われていました。ボクも密かに、こそっと事務所を抜
け出して誘われてみました。



バラらしいバラ




バラらしくないバラ




バラらしいバラ




バラらしくないバラ


バラらしいバラ


バラらしくないバラ


バラらしいバラ




春バラ満開、香り満開、綺麗です、癒されます。オアシスです、靭公園ですよ。
ちょっと狭いのが玉に瑕、バラに滲み……、でした。

なんとお金持ちのお寺でしょう、生駒山寶山寺。

2010年05月26日 | 奈良の古寺巡り
5月22日、小学校1年生の遠足以来、数十年振りに近鉄生駒駅におりました。数十
年振りに生駒ケーブルに乗りました。かの有名なワンちゃんケーブルカーです。
寶山寺に行くために乗るのです。

ちゃんをつけるほど可愛いとおもいます?


ケーブル宝山寺駅に着きました。二人(別に知り合いではありません。)を除い
て他の人たちは乗り換えて山上遊園へ行くのでしょう。ここで降りたもう一人の
方(男の人です。)は何処へ行かれたか分かりません。

さて、参道です。が参道には見えません。ただの石段です。近鉄生駒駅のチョッ
ト上からズーっと石段です。
両側は旅館や料理屋さんが並んでいます。かの有名な生駒聖天通り。(ボクは知
りません。)宝山寺新地でしたか?(これもボクは知りません。)お店は開店休
業の態です。だって人がいませんもの。
♪~生駒は悲しいおんなまち~♪ ふるいナァ、郷愁ですナァ

下から歩いて上ってくると、とっくの昔に倒れていたでしょう。前を見るとおば
さん(と思います。)が上って行きます。ケーブルに乗ってはったかな?かなり
健脚です。早い。


百数十段(ハッキリ勘定はしてません。そんな余裕はありません。)上るといき
なり本当の参道です。お寺では表参道と呼んでいるようです。キット裏参道もあ
るのでしょう。先ほどのおばさん(と思います。)が前に見えます。


そうこうするうちにおばさん(と思います。)が見えなくなり、かわりに大鳥居
が見えます。
寶山寺は神社でしたか?(なんぼなんでも寺がつくからお寺でしょう。)


そこで寶山寺のご紹介。
真言律宗のお寺です。お寺草創は1678年江戸中期、開祖は湛海律師という方です。
本尊は不動明王像、このお像は開祖湛海律師が刻したと伝わります。寺歴は新し
いのですがこの地の由緒伝承は古いのです。役行者や空海さんの名が出てきます。
修行地の謂われは本堂後ろの洞窟、般若窟に役行者が般若心経を納め修行を積み
事実上の開山、空海さんもここで修行したそうです。
そして湛海律師は同時に大聖歓喜自在天をも勧請されたそうです。

やっと山門です。お寺パンフには惣門と書いてあります。石標に生駒山寶山寺と
刻しています。これを見る限り絶対にお寺です。


地蔵堂です。惣門を入ってすぐ左にあります。三体の石仏、空海さんを中心に右
地蔵菩薩、左わかりません。


鐘楼です。大きな絵馬です。可愛い猫でしょうか、いやキット虎でしょう。そう
だ今年は寅年だ。


中門です。ここから内に主要伽藍がギッシリ。


パンフによるとここは水屋?(関西では食器棚のことを水屋といいます。どうで
もいいですね。)ようするに手水舎です。このだんじりの屋根みたいな豪華な手
水舎は初めてです。この一つを見ても大金持ちのお寺ですネ。


宝塔とあるだけで説明なし。小さい鐘が沢山付いてます。なんでしょうカネ。


本堂です。結構な数の参拝者がいました。参道のあの静けさは一体なんだったの
でしょうか。(答え、皆さんクルマで来てます。)ここの本尊がこのお寺の本尊、
不動明王像です。お堂の中にも沢山の方が手を合わされていました。5月1日~10
日に内陣が特別参拝ができ本尊不動明王像が公開されたそうで、またも日がずれ
てました。ドジですねまったく。写真左上岩場の窪みが般若窟です。


拝殿です。この後ろの聖天堂に祀られているのが大聖歓喜自在天、「生駒聖天」
とし信仰を集めているいわば本尊です。拝殿前に鳥居があり扁額には歓喜天とあ
ります。拝殿とは直角に建っています。老化顕著な頭ではなぜだか判りませんで
す。このお寺ではダブル本尊がかなり幅を利かせている、キットそうです。




みえます?白い煙。ボヤではありません。線香場の線香の煙です。手前の屋根が
線香場という建物、ズバリの名称でいいですね。


宝形造りのお堂、常楽殿。


境内の一部、IXYではこれ以上広く撮れません。限界というものを簡単に知りま
した。


奥の院へ行きましょう。その前に多宝塔です。本尊は愛染明王、このお像も開祖
湛海律師が刻したと伝わります。




五社明神。生駒山の地主神です。


奥の院への参道。綺麗な道の両脇に石仏(二百数十体あるそうです。)が切れ目
なく奉納されています。このお寺は夜でも時間を問わず参拝できるそうです。そ
の証拠に蛍光灯が見えます。しかしボクなら断ります。怖いです。無理です。
女性お一人で参拝する方が居られるそうですヨ。正気でしょうか? オオコワ!


開山堂です。開祖湛海律師の座像が安置されています。中は暗いのでお顔はよく
見えませんでした。


奥の院本堂で比較的新しいお堂です。本尊はやはり不動明王です。かってこの地
に開祖の修練道場があったそうです。


さていよいよ般若窟です。
磐の崖を明らかに人の手で掘ったという印象の浅いけれどもれっきとした洞窟で
す。凄いです。やはり役行者は偉いです。居たのです。般若窟へはこんな道です。


洞窟風が二つ並んでいます。手前のほうには小さなお堂が二つ、お堂は新しいも
のです。向かって左が荒神さん、右が弁天さんを祀っています。由来はわかりま
せん。






さて奥の方の洞窟です。下から見上げたら左側です。
開祖湛海律師は、この寺域が弥勒浄土であるという古説から弥勒菩薩像をこの窟
の本尊として自作ではなく、仏師に造らしめたということらしいです。それがこ
のお像です。金銅製のお像でふくよかなお顔、目は半眼気味ですが間もなく悟り
を開き仏陀に昇格するゆとりなのか非常に穏やかなお顔をしています。宝冠、胸
飾も豪華に演出、蓮華座に坐し、手には宝塔をお持ちです。この場所にあっても
安定感は抜群です。


よくよく考えてみたら雨ざらしですよ。心配性のボクは心配です。心肺停止が心
配です。弥勒菩薩の[ 気 ]が雨を寄せ付けないのでしょうか。吹き飛ばすんでし
ょうか。じゃ風は、雪は、……は。霧が、いや切りがないからもう止めときます。


やはり居ました、役行者。
前鬼、後鬼はどこかへお使いでしょうか、お一人で岩場に座っていました。


最後に獅子閣。
公開していませんでしたので近寄れません。このお寺はお金持ちのVIP信者が多
いのでその人達のための迎賓館。(ウソですヨ。)寺域内の建物としては全くの
ミスマッチ。コンセプトを是非知りたいですが誰も教えてくれません。
迎賓館はホントです。


何とも豪華なお寺、神仏習合の見本のようなお寺、寶山寺。江戸中期の開創とい
うことで江戸期から昭和期に渡って建てられた堂宇群は新しく、山岳寺院特有の
規則性はありませんが、この地形ですのでちょっとゴチャゴチャして建物が込み
合っていますが総じて豪華造り、相当数の信者がおられるとのこと。特にお金持
ちが。よくお寺や神社に普通、奉賛金や寄付金として石柱や木柱が建てられ金額
が表示されていますがこのお寺のは桁が違います。億単位、千万単位の石柱が数
多く建っていました。
大聖歓喜自在天、凄い御利益があるんでしょうね。
皆さ~ん現世利益は寄付金額の多い順ですよ~。

花街と歓喜天と不動明王。♪~生駒は悲しいおんなまち~♪

榛原の古刹、仏隆寺から聖林寺を訪ねました。

2010年05月19日 | 奈良の古寺巡り
[仏隆寺]
真言宗室生寺派の古刹。
本山室生寺の末寺、そして南の大門として空海の高弟、賢恵の創建。それよりも
古いという異説もある古刹です。千年以上の由緒伝承が残る古刹は、確実な文書
でも発見されない限り、異説も色々出てくるのでしょう。そこが古仏や古寺古刹
を愛する人々が受ける魅力なのかも知れません。
古刹としての由緒や堂宇、古仏の著名度よりも県下最古の桜、千年桜と秋の彼岸
花、大和三名段(仏隆寺、段山神社、室生寺)のひとつ197段の参道石段とこ
ちらの方がはるかに名高い宇陀榛原の仏隆寺を15日に訪ねました。山の中、まさ
に山寺の風情。といっても道路は完ぺき、途中標示も親切、駐車場も小さいなが
ら完備しています。しかし周辺の環境は山の中です。花の季節は相当な人で溢れ
るといいます。今は緑一色、他の色はありません。

徒歩で仏隆寺を目指す方のスタート地点で「高井」バス停です。クルマはこのま
ま矢印の方向に進みます。


この道に出たらもうしめたもの。目的地はまもなくです。


参道近くに建つ石標。


石標の少しの所に参道石段が見えます。この石段こそが大和三名段の仏隆寺参道
石段です。


参道石段を少し上ると右側に県下最古の桜もちづき桜の巨木、本当に大きいです。
緑の葉のかわりにピンクの花を想像してみて下さい。


参道石段の中頃です。
秋にはこの石段左右イッパイに彼岸花が咲き乱れ、真っ赤な景観を求めて人人が
訪れるそうです。


さあ、間もなく山門に到着。


質素な山門です。
門の中央に賽銭箱が置かれて拝観料100円を入れるとチャイムが鳴ります。いっ
ぺんに興ざめ、チェックチャイムでしょうか。素通りすると鳴らないのでしょう
か、そんなことはないでしょうね。


境内は決して広くはありませんが、丹念に手は入れられているようです。石段を
上ると本堂です。ご本尊は十一面観音立像。お堂扉は閉められていましたが、お
堂拝観300円と書かれていたので寺務所に拝観のお願いに行くと冷たく指で×「今
日はダメ」とのこと。






本堂の床下。これを基礎とはまさか云わないでしょうが、これでお堂が建ってい
る不思議。


本堂への石段横に大きな長十郎梨の原木があり、桜が散るころ白い花が咲くと聞
きました。


境内に大和茶発祥伝承地の碑。
大和茶発祥の地とされているこの地は、空海が唐から持ち帰った茶種を弟子の賢
恵が育てたという由縁が伝えられています。同じく空海が持ち帰った茶臼も残っ
ているそうです。


求聞持堂。
不動明王をご本尊とするお堂。真言宗の行堂なんでしょうか。


山門に接して建てられている鐘楼。


境内は寺務所を除いて本堂と求聞持堂だけの本当に小さなお寺ですが、環境とい
い立地?といい感覚的に理想的な古刹のように思えます。ただ仏像や寺宝に会え
なかったのは残念。この日は、年輩のご夫婦連れ二組、単独の方お二人とお会い
しました。

[聖林寺]
仏隆寺を辞して近くの悟真寺を訪ねるために山道に入りましたが、山道は行き止
まり。もう一度伊勢本街道(国道369号)に戻り地元のおばさんに尋ねると同じ
道を教えられ再度アタック、又も行き着くことが出来ませんでした。不思議です。
ということで、榛原から桜井へ出て予定にはなかった聖林寺を訪ねることにしま
した。

いつも思うのですが、この場所から眺めると、とてもお寺とは思えない。山城か
堅固な砦のよう。


山門。




本堂。


さすが人気のお寺、というより十一面観音菩薩立像のスーパー人気なのか。
本堂内は人で一杯、みなさん北側の外廊に向かっておられ、外廊でムシャムシャ
の方も数名。ご本尊子安地蔵菩薩に手を合わせている方は皆無でした。写真中央
が三輪山。


本堂からの境内。




大悲殿(観音堂)への階段。


さてスーパースターの登場です。この写真の下部は、拝観者の頭だらけなのです。
この十一面観音の彷徨流転のお話は皆様良くご存じですよね。
木心乾漆造で思いきり乾漆を盛り上げているからか経時による割れが目立ち、特
にお顔に顕著、彷徨の艱難辛苦がお顔に出ているようで、ボクにはどうしても菩
薩の慈を感じることが出来ずむしろお気の毒な感じさえします。天平仏師の執念
が生んだ素晴らしいプロポーションや量感、天衣や裳の心地よい流れなどどれを
とっても一級品、しかしお顔は怒を含んで悲しげに見えます。現世をみすえた怒
りでしょうか。


九十九折りの先に石像大寺院、壺阪寺。

2010年05月11日 | 奈良の古寺巡り
壺阪寺
小嶋寺を辞して、高取壷阪山を目指します。高取山に続くこの道は、まさに九十
九折り。大した距離ではないのですが、観光バスの往来が頻繁です。西国三十三
カ所観音霊場ということで、お遍路姿のグループが目立ち、土曜日ということで
しょうか参拝者の数はハンパではありません。

真言宗のお寺です。正式名壺阪山 平等王院 南法華寺。
開創1300年大宝三年(703)元興寺の僧弁基上人が草創。
西国三十三カ所観音霊場第6番目札所。
お里澤市の物語で有名な、壺阪霊験記が語る観音霊験の奇跡で、眼病に霊験があ
ると伝わる十一面千手観音菩薩坐像を本尊とします。

境内は山岳寺院特有の伽藍配置、要するに規則性はありません。相当難しいグラ
ンドデザインだったことでしょう。新旧伽藍が混在していますが派手さ加減は否
めません。にもまして、大石造仏群のオンパレード、白く輝く石造は迫力満点で
す。

仁王門と左右に立つ金剛力士。





仁王門下に壺阪寺石標。


多宝塔
平成14年完成の新しい多宝塔です。本尊は平安時代の大日如来坐像。
お像は、密教作法の総てに及ぶ取り決め儀軌に則った造形です。お顔の一部とお
体の一部に漆箔が残っていますが剥落が劇しいようです。宝冠や瓔珞は質素です
が毅然とした美があります。写真は撮りましたがボケボケでお見せ出来ません。


灌頂堂
旧堂の部材を使用し、現在のお堂を再建。平成17年に完成。
本尊は十一面千手観音菩薩坐像。豊臣秀長とその家臣本多俊像を安置しています。


三重塔
室町時代再建の塔です。朱や緑に彩られた堂宇群の中での古色は一際目立ちます。






礼堂と本堂八角円堂
この両堂は軒同士が入り込んでいて、入堂すると一体感があります。
八角円堂中央一際高い須弥壇に本尊十一面千手観音菩薩が座し、参拝の皆さんは
寄り添うように手を合わされています。一見檀像風のこのお像はお顔や枝手、頭
上のお顔にも彩色が残りさすが「眼の佛」といわれるように、やや大きめの半眼
にはハッキリとした意志を感じます。


慈眼堂
阿弥陀堂後に建立されたお堂。このお堂の横に澤市投身の谷があります。


中興堂


大釈迦釈迦如来石像
身丈10m。
お前立に右文殊菩薩石像 身丈3m、左普賢菩薩石像 身丈3m。中央十一面千手
観音菩薩像 身丈3.3m。釈迦三尊に観音菩薩が組まれている珍しい形態。
当寺の大石像群はインドハンセン病救済事業の縁でインドから招来したものだそ
うです。


大観音菩薩石像
全高20m、総重量1200tといいます。なにしろ大きい。青空に映える真っ白な石像
は、何ものにもかえ難い浄土荘厳ではないでしょうか。








釈迦大涅槃石像
全長8mの涅槃像で後方に大観音菩薩石像が見えます。取り巻く群衆もいつか彫
像してほしいですね。




めがね供養観音石像
名前の通り、使用済みのめがね、コンタクト供養観音で、台座に奉納供養されま
す。


大石堂
アジャンタ石窟寺院をモデルとした総重量1,500tにおよぶ壮大な石の納骨永代供
養堂。




境内にはいたるところで風車が心地よい音を響かせています。


全貌ではありませんが境内の一部です。


なにしろ凄い山岳寺院の印象でした。

みなさん、目はお大事に、久米寺、小嶋寺、壺阪寺を訪ねました。

2010年05月10日 | 奈良の古寺巡り
半歳ほど前から眼医者通いで、うっとしいので願掛けに行って来ました。(うそ!)
いやチョットはその気があったかな。
世にいろんな患いや煩いがありますが、久米寺、壺阪寺はともに眼病平癒功徳大
といい、大勢の方がお参りされていることには驚きでした。
5月8日のコースは、小嶋寺→壺阪寺→久米寺とチョット変則でした。

[久米寺]
真言宗御室派のお寺。本尊は薬師瑠璃光如来。
久米寺と云ったら真っ先に思うのは久米仙人の故事と聖徳太子の弟来目皇子眼病
平癒に功徳がありお礼に、大伽藍を整えたという故事が知られていますが、一体
どちらなんでしょうね。久米寺は午後もチョット遅い訪問になりました。

綺麗な山門です。
右に阿形金剛力士、左に吽形金剛力士が小さいながらもバッチリ睥睨しています。


塔礎
塔の一辺が10.7mの大塔跡及び礎石が残っています。
空海さんがこの塔健在の頃、ここで大毘廬遮那経典を発見した故事は有名ですね。
保護色のにゃんこが気持ちよさそうにまどろんでいました。近寄っても全然動じ
ません。


本堂
薬師如来の功徳を求めて、ご年輩の方、障碍のある方のお参りで境内は結構な人
出でした。




多宝塔
空海さんが大日経感得時の塔跡に建つこの多宝塔は、京御室仁和寺の塔を移築し
たものだそうです。
真言密教宣布の基礎地と云うことです。


立派な鐘楼です。


太子堂


観音堂


地蔵堂


金ぴかの大日如来坐像
屋外にさらされて大丈夫なんでしょうか。


北門
むしろこちらが正門と思える堂々の石柱。
別格本山久米寺、真言宗根本道場の刻字が堂々の主張をしています。


薬師如来石
境内には、梵字を刻した巨岩が目につきます。


本坊のツツジ


鎮守社三寶荒神


すっかり静まった境内。


最後に真打ち登場。
ちょっとふざけた顔がいいですね。


[小嶋寺]
久米寺と同じ真言宗御室派のお寺。本尊は大日如来。
創建由緒はやはり不明ということですが開山二代目の僧が大将軍坂上田村麻呂と
共に清水寺を開基した事から小嶋寺を本寺、清水寺を末寺と呼んだということを、
本堂内で説明して下さったお寺の方が強調してました。
小嶋寺と久米寺は兄弟寺院です。ちなみに久米寺の貫主さんがこのお寺の貫主を
兼ねておられます。

なんといってもこのお寺には日本三大曼荼羅図の一つ「紺綾地金銀泥絵両界曼荼
羅図」ありますが現在は奈良国立博物館に預託中。
本堂にレプリカの両界曼荼羅図が掲げてあります。これがまた凄い。紺地に沈金
の工芸曼荼羅が寄贈されています。この両界曼荼羅制作に都合三十年以上の労作。
これを拝見するだけでも小嶋寺を訪ねた価値十分。とにかく凄い。作者のお名前
を聞きましたが失念しました。

山門
高取城二の門を移築したといわれています。


本堂






境内