土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

東大寺、江戸再興の功、公慶さん縁の法楽寺を訪ねました。

2010年08月30日 | 奈良の古寺巡り


(2010.8.28 訪問)
我が家からR163生駒清滝越えで、茶筌の里高山に着きます。茶道の祖、村田珠光
以来茶道五百年の伝統は、茶道具、高山の茶筌としてしっかり守られているよう
です。この高山の里に法楽寺は在ります。天平時代、東大寺大仏殿建立で聖武天
皇が西北方除のため行基によって開創させたと伝えられていますが戦国末期の兵
火で、こっぴどく痛めつけられましたが、この地の城主鷹山氏により再興された
と伝わっています。東大寺江戸再興の立て役者、公慶上人はその鷹山氏の末裔と
いわれています。

[ 法楽寺 ]
山号 光龍山 寺号 法楽寺 宗派 新義真言宗
本尊 薬師如来坐像

寺歴にはやはり行基さんの名が出てきますが、往時のものは一切無く唯一の本堂
も1663年の再建といわれています。公慶上人はこのお寺で東大寺大仏の修復、
大仏殿の再建と勧進成就祈願をしたといわれ、このお寺の僧も勧進活動に協力し
たといいます。公慶さんと法楽寺は浅からぬ因縁があり関係文書も残っています。

下の写真、公慶さん関係文書の一部。生駒市HPから借用。


●参道。
参道入り口からは低い松並木が続き、すぐに四角に植栽された綺麗な参道が丘へ
と向かっています。


●法楽寺石標。


●山門。
参道右手高台に山門があります。山門をくぐると新装の観音堂と庫裡が並んでい
ます。その前でたくさんのチビッコ達が走り回り近隣子供会の行事の会場になっ
ていました。結局上の堂宇は拝見出来ませんでしたが、すぐご住職の奥様でしょ
うか、申し訳なさそうに、「今日はこのような状態で申し訳ありません。下の本
堂は開けていますのでどうぞごゆっくり拝観して下さい。」とご丁寧なご挨拶を
受け、早速下の境内へ。


●本堂。
入母屋造り瓦葺き、正面向拝付きお堂。
観音堂と庫裡があまりに立派なので、本堂を一目見て驚きました。かなりヒドイ
ことになっています。入堂するのが憚かられるほどの状態。外廊を歩くと軋み音
がひびき、欄干に手を置くと外へ倒れそう、屋根を支える組み物も心なしか隙間
大、外柱付け根はぼろぼろ。




●本堂外柱のひとつ。
経時の痛みだけではないようで、アライグマか何かがワルサしてるのではないで
しょうか。


●本堂内陣。
外陣と内陣は格子で仕切られ、内陣は立派な荘厳で黒いお厨子が一段高い須弥壇
中央に置かれ、扉は閉められていました。


●本堂外陣。


●鐘楼。


●境内。
中央上に見えるのが山門、かなり高低差があります。この地には本堂と鐘楼しか
ありません。


●下の境内にはかなり多くの石仏、石塔があります。
宝篋印塔とお地蔵さんと笠付き板石碑。






上下境内併せても決して広くはありませんが、数少ないながら新旧の堂宇の差が
著しく印象に残ったお寺です。

公慶さんのお墓は、造東大寺勧進上人の墓名で、東大寺子院「五劫院」にあります。
あの有名な、長髪クルクル螺髪の五劫思惟阿弥陀坐像のお寺です。

願はくは 花の下にて 春しなむ ……、 弘川寺を訪ねました。

2010年08月24日 | 大阪の古寺巡り


(2010.8.22 訪問)
またまた大阪の古刹、葛城山西側山麓河南町に在る弘川寺を訪ねました。このお
寺は草創以来ビッグネームがズラリ。開山役行者、天武天皇請雨祈願の勅願寺、
行基がこの地で修行、嵯峨天皇勅願で空海が中興、空寂上人による後鳥羽天皇快
気、そして弘川寺のスーパービッグネーム歌聖西行法師終焉(他所の説もあるよ
うです)の地でもあります。
春は西行桜、秋は紅葉と葛城山麓の自然美も、今はなにもない夏のただ単に暑い
だけの日を選って出かけるあほらしさはさておいて、弘川寺をエイヤーで訪ねま
した。

[ 弘川寺 ] ひろかわでら
山号 龍池山、寺号 弘川寺、宗派 真言宗醍醐派準別格本山。

●参道石段。
このお寺には山門はありません。石段下は 駐車場になっています。


●本堂。
石段を上ると真正面に本堂が見えます。正面向拝付きのお堂。屋根は銅板葺き。
外廊は欄干が巡っています。1463年守護畠山兄弟の兵火により全山焼失。以来
500年ぶりに再建されたそうです。


いがいに広いお堂外陣でご本尊、薬師如来坐像と対面させていただきました。小
ぶりのお像ですがこれまたかなり小さい日光、月光両菩薩脇侍の薬師三尊の形式
で後面に十二紳将が控えています。お堂内は暗いのでお顔はハッキリとは判りま
せんでした。天武天皇勅願像と聞きました。印相がやや珍しい形をとっています。
通常は施無畏与願印(奈良の大仏様を思いだして下さい)といって、右手は施無
畏印、左手は与願印で左手のひらを上に向け、薬壷を乗せているのですが、この
薬師如来は、両手の手のひらを上にして膝上で上下に重ね合わせた定印を結び手
のひら上に薬壷を乗せています。釈迦如来に多い印相をしています。


●御影堂。
弘法大師空海さんをご本尊としてお祀りしています。


●護摩堂。
不動明王がご本尊です。お堂もご本尊も新しいものです。本尊横には役行者も祀
られています。




●本堂から南を観ます。


●鐘楼堂。
護摩堂の隣に建っています。


●鎮守堂。
弘川寺の鎮守社。八所権現を祀っています。このお寺で一番古いお堂で桃山時代
の建築だそうです。


●地蔵堂。
御影堂横にこぢんまりと建っています。


●本坊山門。
本坊には庫裡門として立派な山門が建っています。


●本坊庭園。
本坊を巻くように庭園が。お庭に降りることは出来ません。


白い花は百日紅です。




●本坊間からお庭。




さていよいよ、桜山に行きましょう。本堂右横の参道を上ります。


●西行堂が見えてきました。


●西行堂。
西行坐像を祀っています。このお堂は西行さんを師と尊び西行顕彰に生涯をかけ
た江戸期の歌僧似雲法師が建立。この方はこの地にある西行墳を発見された方で
もあります。毎年4月の第一日曜日のみ開帳されるそうです。




●西行墳。
しばらく参道を上りますと突如広い平坦地に出ます。西端に西行さんの墳墓がこ
んもりした小山を造っており前に自然石二段の墓石に「西行上人之墓」と刻され
ています。経10m位の円墳のような感じ、周囲を巡ることが出来ます。
1189年当時の座主空寂上人を慕い西行さんが入山、僅か一年の寄寓で翌1190年
七十三歳でこのお寺にて入寂されたと伝わります。






●似雲墳。
似雲法師を葬っています。西行墳の対面東端にあり、墓石に「似雲法師之墓」と
刻されています。
この方は西行終焉の地を探しつくし、藤原俊成歌集所載により弘川寺であること
を教えられ江戸享保十七年二月十六日、奇しくも西行入寂の日にこの墳を発見、
出来過ぎの感はありますが、そう伝えられています。


●西行歌碑。
名歌「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」が刻まれて
います。
西行墳の横に建つ歌碑。揮毫は歌人で国文学者の尾山篤二郎(おやまとくじろう)
さん。この弘川寺には歌碑、句碑が14基建てられ、西行歌碑はそのうち6基ありま
す。


●西行桜
似雲墳の横から、桜山を巡る周遊路が上に向かっています。山周辺に桜千本が植
樹されているそうですが、今は小道も草に埋もれ緑一色、桜花の風情は当然なが
らありません。山中には西行庵、似雲庵跡の案内板だけが寂しく残されています。
面白い桜を発見!二本が絡み合い完全にくっついています。まるで似雲さんが西
行さんと踊っているようで喜びがこちらまで伝わってきます。桜のシーズンにど
んな咲き方をするのか、もう一度観てみたい思いでシャッターを押しました。


弘川寺は葛城山西麓山中にありながら山岳寺院、修行寺院の印象はありません。
やはり放浪の歌人西行さん終焉の地という、平安期最後の歌聖の印象が強く残る
お寺ではないでしょうか。

どなたが主神か本尊か、清荒神 清澄寺に初めて。

2010年08月17日 | 兵庫の古寺巡り
(2010.8.12 訪問)
少し早いお盆参りで宝塚中山寺墓参のあと、お隣の清荒神清澄寺を訪ねました。
うん十年来宝塚へは通っていますが、噂に聞く清荒神は初めてです。前日の変な
雨が尾を引いて朝から曇り、狂暑はいくらか和らいでいます。参道露店の活きの
いいお兄さん、お姉さんの声も聞こえず、お店もテントでカバーされたまま、参
拝の方々もパラパラと少し寂しい清荒神さんでした。

[ 清荒神 清澄寺 ]
山号 蓬莱山 神号 清三寳大荒神王 寺号 清澄寺
宗派 真言三宝宗総本山。

●山門。
三門形式に則った山門で、明治40年頃の建立だそうです。正面の扁額には蓬莱山
の山号が書かれています。


●大銀杏。
山門すぐ宗務所前に樹齢約500年といわれる2本の大銀杏。宝塚市の天然記念物に
指定されているそうです。


●天堂(拝殿)。
石畳の参道を上ったところに東面して立つ天堂。三宝荒神王、大聖歓喜天、十一
面観世音菩薩他が祀られていますが、どなたが本尊なのかよく判りません。拝殿
内陣は暗くてよく見えませんでした。拝殿の前に大鳥居が建ち、合行如法油供と
いう秘法厳行が毎日行われているそうで何びとも入坐は許されないそうです。最
重要神事とのことです。




●護法堂。
天堂後方に立つ神殿造のお堂。正面には大勝金剛転輪王(如来荒神)、右に歓喜
童子、左に弁才天がお祀りされています。お像は全く見えません。正面に鏡、こ
れが主神と思いましたがそうでもないようです。


●龍王堂と眼神祠(がんじんし)
真ん中の小堂が龍王堂。善女龍王を祀る水の神様です。水分社の別な形でしょう。
左眼神祠、やはり水に関わる神様。霊水が眼病を癒すそうです。


●神変大菩薩 行者洞。
岩壁をくりぬいた祠、修験道の開祖役行者(石像)をお祀りしています。


●宝稲荷明神。
天童から本堂への参道途にある稲荷明神。


●本堂。
山門を入ると真正面石段上に南面して建っています。本尊大日如来、左に不動明
王、右に弘法大師が祀られています。がやはり暗くてよく見えませんでした。こ
のお堂に拝して初めて仏教寺院でもあるのですねの実感。




●一願地蔵尊。
金銅製の大きな立像です。水かけ地蔵さん。


●修行大師像。
弘法大師空海さんの行脚姿の立像。


●鐘楼。


●池泉回遊式庭園。
江戸初期~中期に作庭、池泉を中心に石組を配し、滝、亀島、船着石などを配し
た観賞式庭園。本堂石段下に広がっています。




一見、何でもありのお寺のように見えましたが、神仏習合の具体例が顕著なお寺
だと思い直しました。

大原の悲話、建礼門院ゆかりの寂光院を初めて訪ねました。

2010年08月11日 | 京都の古寺巡り
(2010.8.7 訪問)
比叡山からもと来た道を白川通りまで戻り、国道367号線を北へ大原の里へ向かい
ます。3時過ぎでしたが相変わらずクルマは繋がっています。大原の里へやって参
りました。寂光院は今まで一度も訪ねたことはなかったので、是非訪ねようとこ
こで女房と何年かぶりに意見が一致。

[ 寂光院 ]
山号 清香山、寺号 玉泉寺、寂光院は玉泉寺の子院。天台宗の尼寺。
本尊 六万体地蔵菩薩立像。
推古2(594)年に、聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝え
られている尼寺。また平家物語で後白河法皇の大原行幸で法皇と対面する建礼門
院のお話で、当時の名残りのお庭や心字の池、千年姫小松などが残る閑かで優し
いお寺です。

●参道。


●山門。




●本堂。
平成12年、放火により全焼。平成17年6月2日再建。
本尊は六万体地蔵菩薩立像。旧本尊は炭化に近い損傷を受け現在収蔵庫に。
復元本尊は美術院国宝修理所で制作、平成十七年に完成。ヒノキ材の寄木造。




●四方正面の池。
本堂北側の庭園と池、秋の紅葉はさぞや。


池の広さに比べて、やたら大きい鯉がウジャウジャ。


●書院。


●諸行無常の鐘楼。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 
           沙羅双樹の花の色 勢者必衰の理を顕わす
読んでないので知りません。しかしいい響きです。きっとこの鐘も憂いを含んで…。


●汀の池(心字の池)
池向こうに千年姫小松。建礼門院の生き様を静かに眺めていた樹齢千年の名木も
平成十六年に枯れ死。


●建礼門院の大原西陵。五輪塔の仏教式御陵です。


[ 三千院 ]
大原をたずねて三千院に寄らねばと失礼だろうと、拝観時間のこり僅かでしたが
御殿門へ。
三千院は妙法院、青蓮院、曼殊院、毘沙門堂とともに天台宗五箇室門跡寺院のひ
とつです。

●御殿門。
三千院はさすがに人気、まだ拝観の方は入って行きます。


●客殿。
聚碧園を見渡す緑の変化はたいそう美しゅうございます。


●往生極楽院。
なんと云ってもこのお堂のスターは、本尊阿弥陀三尊。舟形光背の阿弥陀如来は
貫禄十分。脇侍の観音菩薩、勢至菩薩の両菩薩は大和坐りという珍しい坐り方で、
まさにこれから立上って衆生を導く慈悲の姿を顕わしていると云います。
この日は、見るからに暑苦しいじゃなかった、よく肥えた若いお坊さんがお堂と
本尊のガイドをし、笑いを取っていました。なかなかのガイドぶりでしたヨ。


●聚碧園から見る往生極楽院。


●聚碧園。


ちょっと慌て拝観で結局境内上の方は回れませんでした。もったいない!

みなさま、よいお盆休みをお過ごし下さい。

熱中症に気をつけて下さいネ。
渋滞に巻き込まれないようにして下さいネ。
無駄遣いしないで下さいネ。
山で滑って転落しないで下さいネ。
海で溺れないようにして下さいネ。

以上の防止策 → 家から一歩も出ない、エアコンの利いた部屋でボーっとする。


比叡山延暦寺から大原の里へ。

2010年08月11日 | 滋賀の古寺巡り
(2010.8.7 訪問)
盆前なのでクルマも人もいくらかはましだろう…とボクが申しました。山だから
暑さもいくらかはましだろう…とウチの女房が申しました。全然ましではありま
せんでした。
考えることがいつもながら本高砂屋のきんつばよりアマイ二人が自分を責めなが
ら(ウソにきまってます)、気合いで山中越比叡山を目指しました。

[ 比叡山延暦寺 ]
いわずと知れた伝教大師最澄さん開山の大寺院。比叡山全山が寺域で東塔(とう
どう)エリア、西塔(さいとう)エリア、横川(よかわ)エリアと大きく三エリ
アからなる天台宗の総本山。最近では千日回峰行を2度満行した行者、酒井雄哉大
阿闍梨が有名ですね。よくよく考えると人間業ではないですネ。

東塔(とうどう)エリア
●根本中堂。
本尊薬師如来(秘仏)。
延暦寺の総本堂です。内陣には開創1200年以来消えることのない「不滅の法灯」
が灯り続けています。このお堂は内陣がボク達がいる中陣よりも3m低く掘り下げ
られているので本尊(秘仏)をはじめ仏像や法灯が参拝者の目の位置に来るのでま
さに仏と一体と云えそうです。これを「仏凡一如」云うそうです。


「不滅の法灯」がこの中に




●大講堂。
平安仏教の祖師、法然、親鸞、日蓮、道元、栄西さんたちの尊像が祀られていま
す。祖師たちは大人気、堂内は一杯の人であふれていました。


●鐘楼。
ダイナミックな鐘楼です。開運の鐘一撞き50円。やはりここも人気、列が出来て
いました。


ボクは撞いていませんが女房はシラットした顔で一撞き、ボクのこと何かお願い
してくれたかと聞くと、「自分のことで精一杯」だって。


●文珠楼。
本尊文殊菩薩。上層に祀っています。
延暦寺の総門。根本中堂前の急石段上に建っています。円仁さん創建といわれて
いるそうですが、現在の門は江戸初期の再建。独特の建築様式で下層は禅宗様式、
上層は入母屋造りです。


●十三重石塔。
文珠楼横の新しい石塔です。層間に参拝者が積む小石がいっぱい。かなり高い位
置まで小石が、手が届かないはずですがどうして。


●戒壇院。
天台授戒の戒壇院は最澄さんの悲願。最澄さん死後7日目に勅許が下りたそうです。


●阿弥陀堂。
昭和12年の建造。宝形造、二層に見えますが下屋根は裳階です。


内部内陣は極彩色でキラキラ、本尊もピカピカです。
本尊丈六阿弥陀如来坐像。仏師は内藤光石さん。


●法華総持院東塔。
400年ぶりに再建されたきれいな宝塔です。根本中堂と共に重要な信仰道場。内部
には立派な壁画があるそうです。


●阿弥陀堂と東塔を繋ぐ回廊。


●前唐院。
本尊慈覚大師(円仁さん)。入唐後大師が持ち帰られた新言密教曼茶羅を納めて
いる。大講堂裏に建っていますが人気は在りませんでした。


延暦寺は新旧の堂宇が併存しています。が創建時の堂宇は信長の比叡山焼き討ち
ですべて消滅。
各お堂はすべて石段付きで、たいがいしんどいです。この日は東塔エリアだけで
比叡山参拝予定時間終了。西塔、横川エリアへは又こんど来ることにしょうと女
房に云うと「もういい」とのことでした。

[ ガーデンミュージアム比叡 ]
延暦寺参拝前に寄ってみました。
ここはきれいに整備されたフランス風お花畑です。ところどころにフランス印象
派画家ルノアール、モネ、ゴッホなどの陶板名画が展示されています。山頂とい
えどもこの狂暑、お花さんたち可哀想。元気なのは睡蓮と鯉とウチの女房だけで
した。

睡蓮の池


プロバンス風。


グリーンローズ。非常に珍しいバラだそうです。
管理されてる方が自慢してました。


カフェから琵琶湖が……、よく見えませんネ。
わるいのはIXYでしょうか、腕でしょうか。


おしゃれな庭案内。


大原へつづくのです。