土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

河内長野三山のうち、大楠公ゆかりの観心寺を訪ねました。

2010年09月23日 | 大阪の古寺巡り


(2010.9.18 訪問)
河内長野市街から東へ金剛山越えで奈良五条へ走る国道310号線、まもなく金剛
の山懐に入る少し手前の山麓、その国道310号線沿いに観心寺はあります。南朝
忠臣大楠公、楠正成や南朝後村上天皇と縁が深く、有名な何とも表現のしようの
ない艶っぽさ、国宝彩色如意輪観音菩薩座像が祀られている古刹です。

[ 観心寺 ] かんしんじ
山号 檜尾山(ひのおさん) 寺号 観心寺 宗派 高野山真言宗 本尊 如意輪観
音菩薩座像

観心寺縁起
役小角が開創した前身寺院を空海さんが北斗七星を勧請し再興、甥で直弟子の実
恵さん、孫弟子真紹さんが寺院造営、仏像整備当たったと寺伝は伝えているよう
です。空海さんがもたらした密教理論とその文化は国家鎮護と衆生安康の祈願寺
として時の皇室の帰依も得、発展してきたと伝えています。

●山門。
両脇を築地塀に囲まれた簡素な四脚門、観心寺唯一の門です。


●山門横の寺標石柱。


●御村上天皇行在所旧跡。
先の金剛寺から観心寺に移られ、この地で約十か月政務を執られたと云います。
山門を入りすぐ右に在ります。


●石段参道。
正面に金堂が見えます。


石段参道を上りきったところが金堂です。


●手水舎。


●訶梨帝母天堂。
空海さんが勧請した、春日造り檜皮葺きの鎮守堂。訶梨帝母(鬼子母神)を祀っ
ています。


●拝殿。
訶梨帝母天堂の南側に池をはさんであり、小さい太鼓風橋が架かっています。訶
梨帝母天堂のための拝殿なのでしょうか。


●金堂正面の弘法大師礼拝石。
どんな由緒があるのかよくわかりません。


●金堂。
単層の入母屋造、和、禅、大仏様の折衷様式、室町初期の建立。昭和五九年大修
理落慶。組み物や柱の朱色、白壁に連子風窓の緑が境内で一際目立って映えてい
ます。大阪最古の国宝建造物です。


●金堂内陣。
後方須弥壇に本尊如意輪観音菩薩座像(国宝)は中央黒いお厨子に、向って右の
お厨子には不動明王(重文)、左には愛染明王(重文)が祀られていますがいず
れも秘仏のためお厨子は閉じられています。厨子前には木造四天王立像が一列に
並んでいます。


●建掛塔。
大楠公建立予定が湊川で討死のため、未完に終わった三重塔の初重。


●鐘楼。


●弁天堂。
金堂横の小さなお堂、30cm位の可愛いい弁天様が祀られています。


お百度を踏む3人の女性(お一人は小学生くらいの娘さん)


●閼伽井戸


●阿弥陀堂。
境内少し高台に建っています。


●御影堂。
空海さんをお祀りしています。若い女性お二人長時間一心に般若心経を唱えてい
ました。




●大師修行中の銅像。


●行者堂。
前身寺院を開創した役小角をお祀りしています。


●境内。


●本願堂(開山堂)
観心寺の実質的開基、空海さんの一番弟子の実恵さん(道興大師)をお祀りして
います。


●道興大師実恵さんの御廟。


●大楠公楠正成の首塚。
湊川で討死した正成の首級を足利尊氏がこのお寺に届けたと伝わります。毎年5月
楠公供養祭が行われています。


●後村上天皇檜尾陵。
御影堂横から後村上天皇檜尾陵への参道。




後村上天皇
第97代天皇(南朝第2代)、後醍醐天皇第8皇子、在位約30年。
鎌倉北条政権を倒し天皇親政を貫いた後醍醐天皇の意志を継承するため、戦乱の
中での生涯だった。吉野宮、賀名生宮、河内行宮(金剛寺、観心寺)、住吉行宮
を転々。住吉行宮で崩御、41歳。当地後山に陵を造営。

檜尾陵。


●牛滝堂。
金堂西少し下ったところに在り、牛馬の安全祈年祭が毎年8月に行われています。


●楠正成騎馬銅像。
山門西側で、遠く吉野の宮を望んでいるのでしょうか。


昨年四月お厨子開扉のとき本尊如意輪観音菩薩座像を拝見しました。外陣から内
陣お厨子へは少々距離があり、ご本尊は約110cmの大きさなので肉眼では非常に
見え辛く、終始双眼鏡を利用しました。写真で拝見するとおり往時の色彩は見事
に残り、官能美は心をくすぐります。一説に嵯峨天皇の皇后、絶世の美女橘嘉智
子(檀林皇后)がモデルという説があるそうです。

河内長野三山巡りおしまい。

河内長野三山のうち、「天野行宮」金剛寺を訪ねました。

2010年09月22日 | 大阪の古寺巡り


(2010.9.18 訪問)
河内の名刹、天野山金剛寺は境内が工事現場と化しています。金堂が半解体修理、
多宝塔が屋根葺替・部分修理、鐘楼が屋根葺替・部分修理ということで平成29年
まで修復修理のためです。特に金堂周囲は覆屋建設のための基礎工事が為されて
おりコンクリート基礎がほぼ出来上がっています。まもなく覆屋が立ち上がって
行くのでしょう。金堂、多宝塔だけは近寄ることは出来ませんが、他の堂宇はま
だジックリ拝観することが出来ました。

南北朝鼎立の動乱期、南朝行在所がここ金剛寺におかれ天野行宮と呼ばれ南朝の
後村上天皇が六年間ここで政務を執られたそうです。同時期北朝の三上皇が人質
としてやはりこの地で幽閉、四年間御座所として過ごされ南北両朝が行在所を置
く特異な時期がしばらく続くという事があったそうです。

[ 金剛寺 ] こんごうじ
山号 天野山 寺号 金剛寺 宗派 真言宗御室派大本山 本尊 大日如来坐像

金剛寺縁起
奈良天平期、聖武天皇勅願で行基さんが開創し、のち空海さんが修行されたと伝
えます。その後一時期衰退、平安後期、高野山阿観上人が全山を復興、最盛期に
は七十余坊の塔頭が軒を並べたと伝えています。

●南大門。
門の前は国道170号線です。簡素な山門にいままで騙されていました。国道170号
線はたびたび通るのですが、この簡素さに入山することに躊躇いがありましたが、
しかし入山してビックリとはこの日のことでした。


●楼門。
南大門から歩くこと数十メートル、堂々とした重厚な楼門です。


●楼門から境内。
左に見える枝垂れは後村上天皇お手植えの桜だそうです。


●食堂。
南朝の政庁。後村上天皇はここで政務を摂ったといいます。向拝屋根は作為的で、
チグハグな感じにみえます。


●手水舎。


●鐘楼。
袴腰の立派な鐘楼ですが、間もなく屋根葺替と部分修理がはじまります。


●金堂。
平安後期の創建。重文です。
離れた位置からしか見れません。すでに修復修理のための覆屋建設用の基礎が出
来上がっています。
本尊は木造大日如来坐像、脇持に左木造不動明王坐像、右木造 降三世明王坐像。
本尊と不動明が京国へ、降三世明王は奈良国へ、それぞれの工房で修復修理が進
められています。




●多宝塔。
この塔も修復修理されます。周囲が囲まれていて 近付くことは出来ません。


●五仏堂。
平安期の創建、江戸初期に大幅な修理が行われたそうです。
小さいお堂ですが、仮本堂になっています。仮本尊は多宝塔本尊の大日如来が祀
られています。


●御影堂。
弘法大師空海さんの御影を祀っています。




●観月亭。
御影堂東側に張り出すように造られています。南朝帝、北朝帝どんな気持ちで月
を眺めていたのでしょうか。


●求聞持堂。
虚空蔵菩薩を修する行堂。やや離れた高台に建てられています。


求聞持堂からの境内。


●護摩堂。


●北朝光厳天皇陵。


●境内です。遠く見えている門は北門です。


●北門。


●摩尼院書院。
北門横にある南朝後村上天皇の行宮。残念ながらこの日は拝観出来ませんでした。




●摩尼院から本坊へ向います。天野川の清流は南北朝の動乱を見つめ、670有余
年後の今も静かに流れています。


●本坊。


●本坊庭園。
室町期の作庭で枯山水の庭。杉苔がきれいなお庭です。このお庭の南側に北朝御
座所、奥殿があります。




●奥殿御座所。
北朝三帝が過ごされた御座所。人質の身でありながらも優雅な待遇は尊氏の影が
ちらついたのでしょうか。




御座所手前の大広間。中央に見えるのが白洲正子さんが盛んに誉めてました重文
の日月山水図のレプリカです。


●総門。
かなり離れた位置にポツンと建っています。くぐることは出来ません。車での参
拝はここから駐車場へ。


付録です。総門の前にいました。


南北朝の動乱は、このお寺の形をすっかり変え、動乱の戦火は七十余坊を焼きつ
くしたと伝えています。繁栄と衰亡のドラマの歴史に彩られ、今に残る古刹の姿
を往時の帝たちはどんな思いで彼岸から見ているのでしょうか。

それでは南朝の思い色濃く残る観心寺に向かいます。

河内長野三山のうち、「夕照の楓」の延命寺を訪ねました。

2010年09月14日 | 大阪の古寺巡り


(2010.9.11 訪問)
河内長野三山として名高い、檜尾山観心寺、天野山金剛寺、薬樹山延命寺のうち、
この日は延命寺を訪ねました。この名刹は全山もみじにおおわれています。まだ
まだ強い陽光を通して見える緑のグラデーションは青もみじの美を余すところな
く見せてくれ、ボク達の目に潤いを与えてくれています。毘沙門堂の横でお寺の
おばさんとしばらく雑談、「本当の美は紅葉の時、言葉に尽くせない美しさです
よ、是非その時もう一度お訪ね下さい」とおばさんが教えてくれました。

[ 延命寺 ] えんめいじ
山号 薬樹山 寺号 延命寺 宗派 真言宗御室派 仁和寺末 本尊 如意輪観音坐像

延命寺縁起
草創は弘法大師と寺伝は伝えるらしいですが詳らかではありません。むしろ時代
は下がりますが、江戸初期の浄厳和尚が中興の祖としてこのお寺の発展に大きく
寄与し、薬樹山延命寺と号したと伝わります。歴代住職は学究肌が多く、民衆教
化に足跡を残した方が多いといいます。

●参道と山門。
長くはないですが、青もみじのトンネルの先に山門があります。




●山門扁額。
薬樹山と揮毫されています。当地は古来から薬草が多く、その由来から浄厳さん
が薬樹山と号したと伝えます。


●山門横に石柱。
お寺の常套句。「不許葷辛酒肉入千界内」と刻されています。


●手水舎。


●境内。奥に見えるのは毘沙門堂。


●鐘楼。


●毘沙門堂。


本尊は毘沙門天。楠木正成の念持仏と伝わります。左脇持不動明王、右愛染明王。




●本堂。
本尊は如意輪観音菩薩坐像。
この日、本堂は閉じられていました。昭和26年再建のお堂が昭和44年失火焼
失、昭和48年再建された比較的新しいお堂です。


本堂編額。大悲殿と揮毫されています。




●光明堂と慈母観音立像。




●宝物館。
清涼寺式釈迦如来像があると聞いていたのですが、拝見することは出来ませんで
した。


●庫裡。
大玄関を備えた立派な寺坊です。


●山門横の道場。


●夕照の楓(ゆうばえのかえで)
大阪府指定天然記念物。樹齢1000年、楓の巨木。空海さんお手植えと伝えていま
す。今は樹の体をなしていません。かなり酷いことになっており、幹には雑草が
宿生していますが、枝振りは堂々、凄い生命力を感じました。


●蓮池。
中央に五重の石塔を置くきれいな放生池。今はもう蓮も睡蓮もおしまい。






●境内を取り巻く遊歩道。境内は長野公園に含まれています。


●浄厳和尚のお墓。
江戸期の高僧。悉曇(梵字)学者。法隆寺伝存の悉曇を書写判読をしたものが東
博に現存。お墓は、台座に卵形の塔身をのせているところから卵塔と呼ばれるそ
うです。


歴代和尚のお墓も同じ形をしています。


●求聞持堂。
遊歩道途中にポツンと建つ虚空蔵菩薩を修する行堂。いま寺僧がお一人中に入ら
れました。


●山門を内側から。


●境内一円を青もみじが。錦秋の季節はさぞや…。


戦国、室町期を経てきた山中に点在する古刹の多くは草創時の姿は偲ぶべくもな
く、殆どが近世以後の姿になっているようです。このお寺も草創は平安初期と伝
わりますが、例外ではないようです。

こもりくの泊瀬は山の中、観音信仰の雄、長谷寺を訪ねました。

2010年09月07日 | 奈良の古寺巡り


(2010.9.4 訪問)
奈良盆地国中(くんなか)の東、三輪山はじめ神奈備の山々の奥に連なる東山中
(ひがしさんちゅう)、その懐に長谷寺はあります。こもりくというこの地の神
秘性が観音信仰の中心として今に続く理由かも知れません。

近鉄長谷寺駅、おりたのはボク一人。駅員さんも一人。ここから否応無しにトボ
トボがはじまります。神隠しにあった町、と思うほど誰もいません。太陽が目を
むいてるなかトボトボ歩く自分が信じられませんけどトボトボ歩いてます。




門前参道沿いのお店。人発見!奇特な人ですネ。日本人でしょうか。


[ 長谷寺 ]
山号 豊山 寺号 豊山神楽院長谷寺 真言宗豊山派総本山 西国三十三観音霊場
第八番札所 本尊 十一面観世音菩薩立像

長谷寺縁起。
686年道明上人は天武天皇のために著名な国宝銅板法華説相図を西の岡(本長谷
寺)に安置。
727年徳道上人は聖武天皇の勅で、東の岡(本堂)に十一面観世音菩薩を造像し
祀る。西国三十三所観音霊場巡拝の開祖といわれている方です。道明上人の弟子
筋の方です。 

●参道石段、立派な長谷寺の顔です。相変わらず誰もいません。青空がきれいで
す。撮ってるほうはたまりません。




●仁王門。偏額はよく見えませんネ、IXYが問題なのです。後陽成天皇の宸筆だそ
うです。




●仁王門前の放生池。石の上の亀さん全員が首を伸ばしています。どうしたんで
しょうネ。


●登廊。仁王門をくぐるとすぐ登廊入り口です。重文です。相変わらず千社札が
汚らしく貼ってあります。この雰囲気いいなァ。下廊、中廊、上廊とあります。
要するに真っすぐ、右折、真っすぐ、左折、真っすぐ。なだけです。
本堂まで399段あるらしいのですが、数えてるうちにバカらしくなったので止めま
した。

下廊。


中廊。


上廊。


●本堂。とにかく大きいお堂で、正堂と礼堂をひとつにした双堂様式。南面は舞
台造り、大悲閣の偏額が照り輝いています。キラキラです。








ご本尊は長谷寺式十一面観世音菩薩、像高10.18m。圧倒されますヨ。我が国で最
も大きな木造の仏像で重文です。
いろんな伝承がある仏像で現在の像は、室町時代1538年に大仏師運宗らによって
造立されたと伝えます。

床もみじ。もみじかなにかサッパリ判らないのがいいのです。ウン?


床そら。床が光ってるだけ、全く意味のない写真ですネ。


舞台からの眺望。こんなにベリーグッド眺望なのに誰もいません。




●大黒堂。本堂西側の小さなお堂です。大黒さんの表情がこれまたナイス。




●開山堂。長谷寺創建の徳道上人を祀るお堂。篰戸式の全面格子が目を引くお堂
です。




●弘法大師御影堂。空海さんをお祀りする新しいお堂です。






●本長谷寺。長谷寺草創のお堂です。ここで女性二人組と会いましたがおしゃべ
り夢中で素通りでした。






●道明上人御廟塔。登下廊の脇に十三重石塔が建てられています。


●五重塔。昭和29年建造後はや半世紀、檜皮葺の屋根で塔色の朱色が落ち着きを
見せて映え、緑との競演がきれいですネエ。


●陀羅尼堂。何のお堂なんでしょうかよく分かりません。




お堂の前に、鶏頭の花一輪。お堂の写真ばかりの中で癒されますわ。


●祖師堂。真言宗中興の祖、興教大師覚鑁(かくばん)上人を祀るお堂です。




●歴代能化(長老や住職)の墓所。




奈良南部のメジャー寺院、さすがに広い寺域です。お寺パンフの参拝ルートBコ
ースを主に巡りましたがギラギラ太陽とアップダウンとおなかがへってヨレヨレ、
もうすでにお昼を大きく回っています。トボトボ帰りの前に腹ごしらえ。二枚目
の写真の田中屋さんに這うようにして入り、にゅうめんと柿の葉ずしセットをい
ただきました。金1000円なりです。大変おいしゅうございました、おなかがへっ
てると。

帰り道、トボトボ歩くご同輩がおひとり。お気をつけて。


最後まで御覧いただいた方、相当辛抱強い方ですネ。ありがとうございました。

9月真夏?の長谷寺巡り、おしまい。