土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

大日寺は、四国八十八カ所霊場第4番札所です。

2018年12月29日 | 徳島の古寺巡り





(2018.12.22訪問)


三番札所金泉寺から約6キロ、第四番札所大日寺に向かいます。金泉寺でも感じたんですが、四国遍路道を走っていても、白装束の
お遍路さんの姿が見当たりません。12月なんてお遍路する方はいないんでしょうか。そうこうするうちに大和路号は山間に入って
行きます。道も終わりのところ、赤い山門が見えてきました。





▼参道脇に自然石に刻まれた立派な寺号石標が。







[ 大日寺 ]
●山号 黒巌山(こくがんざん)
●院号 遍照院(へんじょういん)
●寺号 大日寺 (だいにちじ)
●宗派 東寺真言宗 (とうじしんごんしゅう)
●開基 伝 弘法大師 (こうぼうだいし)
●開創 弘仁6年(815年)
●本尊 大日如来坐像(秘仏)
●徳島県板野郡板野町黒谷字居内28番地 TEL. 088-672-1225
●拝観料 境内自由 御朱印300円
●JR四国高徳線「板野駅」下車 約4.5キロ
 徳島自動車道「藍住IC」から約7.5Km
 高知自動車道「板野IC」から約7キロ





▼珍しや山門に対して真っ直ぐでない参道。







▼山門。







大日寺縁起 (四国八十八ヶ所霊場会HPから抄出)
弘法大師が弘仁6年、この地で修行中大日如来を感得。大師は一刀三礼し大日如来像を彫造、これを本尊としてこの寺を創建。寺号
を本尊に因んで「大日寺」と命名したと伝えられる。「黒巌山」の山号は、境内が三方を山に隔てられており、この地は「黒谷」と
称されたのが由来といわれ、地元では「黒谷寺」とも呼ばれていたという。かつては立派な堂塔が並び、美しく荘厳な小門から入っ
た境内は広々としていた。歳月が経ち、伽藍の軒は風化していたが、応永年間(1394年~1428年)に松法師という人に夢の託言が
あって修復されたという旨が記されている。





▼山門。重層鐘楼門、入母屋造、本瓦葺。下層の柱は角柱、上層は丸柱の珍しい造り。今年再建。







▼山門上層に梵鐘。







▼それでは入山しましょう。前方の建物は本堂です。







▼境内参道、左に工事中の建物があるようですネ。







▼小さなお社が祀られています。







▼一枚岩を刳り貫いた豪快な手水鉢。







▼時代の波に翻弄されながらも、よく耐え抜いた様な少々くたびれた本堂。







▼山号が記された本堂扁額。

 





▼本堂内陣。須弥壇中央に本尊大日如来(お前立ち像)がお坐りです。       













            ▼本尊大日如来(お前立ち像)







▼本堂。







▼本堂前の石仏。全員お地蔵さんのようです。







▼大師堂。方3間、寄棟造、本瓦葺、1間向拝付。







▼大師堂内陣。中央須弥壇にお大師さん、両脇に弘法大師像の軸が掛けられています。







▼過剰な荘厳は一切ナシ、最奥お厨子に本尊お大師さんが端坐されてます。







▼本尊お大師さん。







▼大師堂。







▼工事中の薬師堂。







▼本尊お薬師さんは拝観出来ます。







            ▼薬師堂本尊薬師如来坐像。







▼本堂と大師堂を繋ぐ回廊には三十三体の観音さんが並んでいます。  







            ▼中にこんな方や……、







▼こんなベッピンさんが居られます。この弁天さんは石像なんです。







            ▼ベッピンさんと少しばかリお話をして第四番札所大日寺オシマイです。







▼第四番札所ご朱印です。






写真はないのですが、本堂と大師堂を繋ぐ廻廊に一列に並べられている西国三十三カ所霊場の三十三観音像は圧巻です。
この三十三体を拝するだけで四国まで来たかいがおお有り、大納得の大日寺拝観でした。
最後の写真の弁天さん、いかがですかベッピンさんでしょう。
ホイホ〜イと次のお寺を訪ねることにしましょう。次に訪ねるのは第五番札所地蔵寺です。

金泉寺は、四国八十八カ所霊場第三番札所です。

2018年12月26日 | 徳島の古寺巡り





(2018.12.22訪問)


四国祖谷の「かずら橋」を渡りに行こうとウチの奥さんが云うので行ってきました。
そうだものはついでと申します、せっかくの四国路、ウチの奥さんには「かずら橋に行く前に八十八カ所霊場の三カ寺を先に訪ねる
ぞ」と言い聞かせ納得して戴いて22日早朝、大和路号は我が家を出発しました。今年4月に八十八カ所第一番札所霊山寺と第二番札
所極楽寺を訪ねて以来八カ月振りの八十八カ所霊場巡りです。第三番札所は亀光山金泉寺、きこうざんこんせんじと読みます。高松
自動車道「板野IC」を降りてスグです。




▼山門。重層楼門、桁裄3間、梁間2間、入母屋造、本瓦葺。初層左右に金剛力士像を安置しています。







[ 金泉寺 ]
●山号 亀光山 (きこうざん)
●院号 釈迦院 (しゃかいん)
●寺号 金泉寺 (こんせんじ)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●勅願 聖武天皇 (しょうむてんのう)
●開創 伝 行基 (ぎょうき)
●開創 伝 天平年間 (729年~)
●本尊 釈迦如来坐像
▲徳島県板野郡板野町大寺字亀山下66 TEL. 088-672-1087
▲拝観料 境内自由 御朱印300円
▲JR高徳線「板野駅」下車 徒歩約10分
 高松自動車道「板野IC」から約1Km、徳島自動車道「藍住IC」から約3.2Km





▼木札には四国霊場第三番、亀光山金泉寺と揮毫されています。







金泉寺縁起 (四国八十八ヶ所霊場会HPから抄出)
聖武天皇の勅願により行基菩薩が寺塔を建立し「金光明寺」と命名したと伝えられ、本尊は釈迦如来像、脇侍に阿弥陀如来像、薬師
如来像の三尊像を安置して開基したという。弘仁年間、弘法大師が四国を巡教の際、村の人たちが日照りに苦しんでいるのを見て、
この地に井戸を掘られた。この井戸から湧き出た水は霊水で、「長寿をもたらす黄金の井戸」とされ、寺名の「金光明寺」を改め、
「金泉寺」とした。その後、亀山法皇が弘法大師を篤く信仰されて各地の霊跡を巡拝、金泉寺にもしばらく滞在されたと伝えます。





▼右には少々ユニークな阿形さんが、







▼左に吽形さんがガッチリ守りを固めています。







▼それではごくらく橋を渡って境内へ。







▼鐘楼。







▼境内の一部。左が本堂、右にチラッと見えるのが大師堂。







▼少し高みに八角の観音堂。白塗り二重垂木がが目立ちますネ。正面の四角穴から中を覗いて見ましょう。







▼観音堂の内部は荘厳が煌めき、須弥壇中央にお厨子が見えます。本尊勝運観音はこの中でしょう。







▼これもお堂でしょうか、少々侘しい黄金地蔵尊が祀られるお堂です。







▼お堂内のこの井戸、水面に顔がはっきり映ると長生きが出来、ぼやけると命短し。ホンマかいなと覗きましたが暗くて見えません。







▼閻魔堂。







▼本尊は当然ながら閻魔さん。







▼大師堂。方3間、宝形造、本瓦葺、1間向拝付。







▼弘法と書かれた大師堂扁額。







▼内陣の荘厳は瓔珞が数多く飾られ金色燦然、最奥お厨子に本尊お大師さんが見えます。







▼本尊お大師さん。紫色の彩色は高貴と云うよりいささか怖いお大師さん。







▼大師堂。







▼本堂です。桁裄3間、梁間3間、入母屋造、本瓦葺、1間向拝付。







▼精魂込めた鑿の後が窺える向拝貫の彫刻、素晴らしい!







▼本堂内陣須弥壇の本尊釈迦如来坐像。瓔珞でお顔が見えないのが残念です。







▼右横からの本堂。







            ▼黄金の太刀に巻き付く倶利迦羅龍王は不動明王の化身と云われてるそうです。







▼中之島に建つ小さなお社。







            ▼弁天さんもお立ちです。







▼切れ長の目、ゾクッとしませんか。







▼六地蔵。アーチ型の建物が中々ユニーク。







▼境内後方高台に亀腹がない多宝塔。







            ▼上層屋根下の組み物。豪快な造りですネ。

 





▼敷き紅葉もまだ綺麗なままです。







▼お初なアングルで撮ってみました。







▼石段上の忠魂塔にアタック。







            ▼立派な忠魂塔にご挨拶をして第三番札所金泉寺オシマイです。

                  





▼第三番札所ご朱印です。







四月に訪ねた一番、二番札所でも感じたのですが、ここ三番札所も参拝者の姿見当たらず、非常に寂しい感じを受けました。
季節によるものなのかは定かではありませんが、お陰でユックリ、ジックリ拝観出来たことはボクにとっては当たりでした。
次に訪ねるのはここから約六キロ、第四番札所大日寺です。近くで大助かり!

永保寺、夢窓疎石作庭の庭園が見ものです。

2018年12月12日 | 岐阜の古寺巡り





(2018.12.08訪問)


岐阜の名刹を訪ねる第二弾は、多治見市の虎渓山永保寺を訪ねます。
迷車大和路号は近畿自動車道、第二京阪、名神高速、東名高速、中央道と日本の幹線高速を突っ走り、東に向かっています。
オッと間違いました、迷車大和路号は突っ走ることは出来ません、例によりチンタラ走行で約200キロを行かねばなりません。
さてさて何時間かかるやら。高速道路は高速で走れるクルマのため、迷車大和路号はスピードが出ません、しかし高速道路を走ります。
ひょっとして今話題のあおり運転をヤラレているかも、しかしそれすら気付かないまま迷車大和路号は悠然と高速道路を走っています。
本当はビクビク。





▼穏やかな土岐川の流れ。手前に永保寺が境内を広げています。







[ 永保寺 ]
●山号 虎渓山(こけいざん)
●寺号 永保寺 (えいほうじ)
●宗派 臨済宗 南禅寺派 (りんざいしゅうなんぜんじは)
●開創 夢窓疎石 (むそうそせき)
●開山 元翁本元 (げんのうほんげん)
●開創 正和二年 (1313年)
●本尊 聖観世音菩薩
▲岐阜県多治見市虎渓山町1-42 TEL. 0572-22-0351
▲拝観料 境内自由 (制限日、時間あり) 御朱印300円
▲拝観時間 5 : 00~17 : 00
▲http://www.kokei.or.jp/
▲JR多治見駅から東鉄バス小名田、小滝行き「虎渓山」下車、徒歩7分
 中央道多治見ICから県道381号経由8分





▼土岐川に沿って建つ簡素な黒門、この門からの入山です。







永保寺縁起 (永保寺 HPから抄出)
山号は虎渓山、虎渓の名称は景色が中国廬山の虎渓に似ていることによるといわれています。正和二年(1313年)土岐氏の招きをう
けた夢窓疎石が長瀬山の幽境に庵居しこの禅寺を開創されましたが、文保元年(1317年)夢窓は同門の元翁本元(仏徳禅師)に後事を
託して上京。建武二年(1335年)夢窓が臨川寺(京都)開山となったとき、永保寺開山は元翁本元に改められました。 元翁の寂年は元
弘元年(1331年)で、開山となられた時にはすでに遷化していましたが、 元翁の塔所である南禅寺正的庵末寺の五山派寺院として展
開しました。 しかし文明期以後には衰微しましたが、江戸時代延享三年(1746年)には末寺28カ寺、孫末寺1カ寺を有し、 山内塔
頭の輪番によって住持をつとめ護持されてきました。





            ▼虎渓山永保寺と自然石に刻された寺号石標。いきなりのボケPでど〜も。







▼もみじとお地蔵さんが迎えてくれました。







▼お寺では鐘つき堂と云ってるようです。







▼鐘つき堂とさざんか。花の色はこのさざんかだけでした。







▼キレイですネ。







▼鐘つき堂。







▼旧本堂跡に再建された本堂。桁裄七間、入母屋造、檜皮葺の横になが〜い建物です。







▼本堂仏間。須弥壇奥のお厨子に本尊がお祀りのはずです。







            ▼本堂前に対の燈籠。3mはあるでしょうか陶製の燈籠。







▼境内の一部です。







▼本堂と庫裏を繋ぐ建物の唐破風玄関。出入りはしてないようです。







▼庫裏です。







▼一瞬一休さんのお寺に来たのかと錯覚しそう。







            ▼どうですこの堂々たる冬景色。大銀杏なんですが葉っぱはすでに下一面。
             永保寺のイチョウ、多治見市指定天然記念物、
             樹高25.5m、枝張り21.2m、樹齢約700年。







▼まさに黄色の絨毯。手で押さえるとクッションになってました。







▼再び庫裏。







▼臥竜池。観音堂を中心として、手前に臥竜池を配すなど名勝に指定されている庭園です。     
 夢窓疎石の作庭と伝わるそうです。













▼臥竜池の汀に建つ観音堂(国宝)。







▼前面一間の吹き通し、桁裄五間、梁間四間、入母屋造、檜皮葺、一重裳階付、鎌倉時代。
 永保寺のもっとも重要な仏殿、鎌倉末期の禅宗様建築の代表的遺産、檜皮葺屋根の大きな軒反り、凄いでしょ。
 残念ながら堂前でシャットアウト、堂内は窺うこと出来ません。







▼観音堂須弥壇。中央岩窟式厨子の中に本尊がお坐りです。(写真はネットからもらってきました)







            ▼本尊聖観世音菩薩坐像(重文)。像高62.5cm、檜寄木造、玉眼、盛上彩色。
             本尊御開帳は毎年3月15日、年1日だけの御開帳です。
             (写真はネットからもらってきました)

 





▼再び観音堂。屋根の大きな軒反りよく判るでしょう。







▼臥竜池とオシャレな反り橋、無際橋。







▼無際橋。反り橋の中央に観月台。







▼池の汀に立つ石灯籠。







▼手を叩くだけでこれだけ寄ってきました。







▼無際橋観月台。







▼橋に扁額。

 





▼も一度無際橋。







▼切り立った断崖絶壁の梵音巌。







▼梵音巌のテッペンに建つ六角堂霊擁殿。







▼梵音巌斜面には石仏が一杯。                    







▼萱葺の小さなお堂、六角堂霊擁殿。中には千体地蔵が祀られているそうです。







▼流れる小川に秋の名残が……。







▼池を巡る回遊路。この小径はもう冬の装いが始まってるようです。







▼自然石積みの瓦土塀が独特の味を醸しています。塀中に見えるのは開山堂。













▼開山堂は少し離れた塀の中、入ることは出来ないので扉の菊紋から覗いてみると……。







▼開山堂(国宝)。
 入母屋造、檜皮葺、南北朝時代。方三間の昭堂(外陣、礼堂)と奥の方一間裳階付きの祠堂の複合建物。
 昭堂には夢窓国師および開山仏徳禅師の頂相が安置、奥の祠堂には開山の墓塔である石造宝篋印塔を安置している。
 (写真はネットからもらってきました)







▼参道沿いに獅子吼庭。
 京都東福寺本坊庭園の「井田の庭」を模しているそうです。何故ここにこんな庭があるのかよく判りません。







よく判らないまま永保寺 オ シ マ イ

▼拝観初めからオシマイまでこんな天気でした。






開基の夢窓疎石という人は、相当なマルチ人間だったらしく、臨済宗の禅僧で天龍寺の創建に関わり、各地に多くの禅刹を開山、
時の権力者室町将軍家から国師号を与えられ、政治的発言力もあり将軍家からも重用された人物だったようです。
中でも夢窓疎石の名を不動のものにしているのは、作庭家としての名声。お馴染みの「枯山水庭園」「池泉回遊式庭園」を最初に
手掛けた人物とされているそうです。そんな夢窓疎石が手掛けた永保寺の名勝庭園は、素人のボクの眼から見ても、名庭要素が総
てクリアされた庭園に見えました。お寺としての構成要素は、観音堂と開山堂の国宝建造物二棟と本堂、庫裡、庭園の臥竜池、そ
して断崖絶壁の梵音巌と変化に富んだ境内です。大阪から三時間かけてやって来た「お値打ち多ありの永保寺」でした。

これにて永保寺 オ シ マ イ

華厳寺、西国三十三所観音霊場三十三番札所です。

2018年12月05日 | 岐阜の古寺巡り





(2018.12.01訪問)




たまたま西国三十三所観音霊場のご朱印帳を眺めていたら、何としたことでしょう、知らぬ間に三十二所のお寺が拝観済みになって
るじゃありませんか。残り一カ寺を残すのみ、それが三十三番札所谷汲山華厳寺、締めの結願寺院なんです。お寺を訪ねて十数年、
特に三十三所を意識して訪ねてはいませんが大半寺院が近畿圏内にある中で華厳寺は岐阜県にあります。我が大大阪からは少々遠い
ので敬遠していたのかも知れません。よっしゃ、結願しようじゃないかと云うことで大和路号は取り敢えず名神を走っています。





▼境内マップ。







            [ 華厳寺 ]
            ●山号 谷汲山 (たにぐみさん)
            ●寺号 華厳寺 (けごんじ)
            ●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
            ●開祖 豊然上人 (ほうねんしょうにん) 
            ●創建 延暦十七年 (798年)
            ●本尊 十一面観世音菩薩 (秘仏)
            ▲拝観料 無料 朱印 300円
            ▲ 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23
            ▲札所 西国三十三所観音霊場三十三番札所
            ▲JR東海道本線大垣駅→樽見鉄道 谷汲口駅下車 名阪近鉄バス、揖斐川町バス(谷汲山行き)谷汲山下車
            名神高速(関ヶ原IC)(大垣IC)(岐阜羽島IC)から共に約60分 約35km
             東海北陸自動車道(各務原IC)から60分 約35km





            ▼西国三十三満願霊場の碑。







華厳寺縁起 (華厳寺HPより抄出)
奥州会津の出身の大口大領は十一面観世音の建立を願い奥州の文殊堂に参篭し苦行の末、満願明に霊木を手に入れる事が出来、大領
はやっとの思いで尊像を完成させました。京の都から観音像を奥州へ運んでいこうとすると、観音像は近くにあった藤蔓を切って御
杖にして、御笠を被り、わらじを履いて自ら歩き出しました。途中、美濃国赤坂 (現岐阜県大垣市赤坂) にさしかかった時、観音像は
立ち止まり「遠く奥州の地には行かない。我、これより北五里の山中に結縁の地があり、其処にて衆生を済度せん」と述べられ、奥
州とは異なる北に向かって歩き出しました。しばらくした後、谷汲の地に辿り着いた時、観音像は歩みを止め、一歩も動かなくなっ
たので、大領はこの地こそが結縁の地だろうと思い、山中に柴の庵を結び、誠に持戒堅固な豊然上人が住んでいたので、大領は上人
と力を合わせて山谷を開き、堂宇を建てて尊像を安置しました。すると堂近くの岩穴より油が滾々と湧き出し尽きることが無いので、
それより後は燈明に困ることが無かったといいます。





▼仁王門。重層楼門、3間1戸、入母屋造、銅板葺、奥の間左右に仁王像を安置、宝暦年間の再建。







▼山号谷汲山と書かれた仁王門扁額。







▼早速入山しましょう、いきなりのインパクト、期待出来そうじゃないですか。







▼参道沿いはとりどりの赤。







▼十王堂。







▼須弥壇には閻魔大王を中心に十人の裁判官が睨んでいます。







▼羅漢堂。







▼須弥壇中央にはキンピカの阿弥陀三尊、周囲に十六羅漢が取り巻いています。







▼境内は赤の競演。







▼英霊堂。







▼南無阿弥陀仏と書かれた扁額。







▼堂形の珍しいお堂、一切経が納められた経堂です。







▼観音さんと勢至さん、仲がおよろしいようで。







▼袴腰で鐘楼と判りますが、唐破風付きの立派すぎるほど立派な鐘楼。







それでは本堂へ参りましょうか。
▼本堂への石段。







            ▼フル表示は本堂前に。







▼これが結願札所の本堂です。本尊十一面観世音菩薩。桁裄5間、梁間4間、入母屋造、本瓦葺、1間向拝付。







▼香煙の絶えることはありません。







            ▼向拝左右の柱の「精進落としの鯉」
             西国巡礼をこのお寺で満願して記念にこの鯉に触ると万々歳。







▼本堂正面の扁額、寺号が書かれています。







▼本堂外陣には多くの奉納額が。







▼内陣に架かる大きな鰐口と山号扁額。







▼質素でシンプルな須弥壇ですネ。







▼奥はこれ以上見えません。お厨子と思われる中に本尊はいらっしゃるのでしょう。







▼本堂後堂に祀られる観音さんと彩色鮮やかな四天王の面々。







            ▼お札を貼りまくられている雨乞い祈願仏。







▼本堂前から来た参道を見下ろすと。







▼見言聞のタヌキ版。







▼本堂横段上に納骨堂。







▼おいづる堂。西国三十三所巡礼を終えた人々が奉納した笈摺、朱印帳さらに千羽鶴(折鶴=笈摺)が奉納されされています。







▼おいづる堂内部には奉納された数々の品。







▼奉納された千羽鶴。







▼おいづる堂隣の子安観音堂。本尊子安観音。安産子宝祈願のよだれかけが奉納されています。







▼子安観音堂内の子安堂にはキンピカの観音さんがお坐りです。







▼山々もいい感じ。







            ▼紅葉のボリュームに負けず劣らずの満願堂石柱。







▼小さいながら堂々の堂姿ですネ。お堂周囲に満願の文字の刻まれた狸が大勢並んでいます。







▼満願堂須弥壇。中央に本尊がお立ちです。







            ▼満願堂本尊十一面観音立像。お顔が見えないのは残念でした。







            ▼紅葉と十三重石塔。







▼今盛り。







▼庫裡の一部の阿弥陀堂。







▼本尊阿弥陀さんはまだ新しいようですネ。







▼とりどりの赤。







▼境内の少し離れた所に建つ不動堂。







▼本坊中門、門内から外は赤グラデの世界。







▼講堂は大修復中。







▼全く読めない講堂扁額。







▼講堂仏間。中央のお厨子に立つのは何方かナ。







            ▼今日一印象に残った襖絵。







▼最後に庫裡玄関。







▼西国三十三所観音霊場三十三番札所ご朱印です。






広い境内に所狭しと建ち並ぶ堂宇伽藍、古色に彩られ落ち着きと重厚さが漂うその姿は結願寺院そのものの貫禄か。さすが西国三十
三結願寺院の開創1220年の歴史は伊達じゃありません。西国三十三所観音霊場三十三番札所として巡礼者の最後のお寺として、そし
て時は絶好紅葉のシーズン、もみじの名所としての顔をも持つこの華厳寺、訪れる人の多さは半端じゃありませんでした。ボクの場
合特に巡礼を目的としてお寺を訪ねている訳ではありませんが、ここ華厳寺へは観音霊場結願寺院の重みを感じながら、大阪から約
160キロの道のりをやって来た次第であります。

これにて華厳寺 オ シ マ イ