土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

浄妙寺、多宝塔が優雅な姿を見せています。

2017年12月29日 | 和歌山の古寺巡り





(2017.12.23訪問)  


興国寺から42号線を和歌山市方面へ北上すること約20km、有田川の河口の少々山手に浄妙寺はあります。このお寺はなんと云って
も多宝塔が有名らしい。塔にひときわ興味津々のボクにとっては願ったり叶ったり、ワクワクの気持ちを察したのか迷車大和路号も
機嫌良くそして例によりチンタラ走っております。





            ▼県道の分かれ道に建つ浄妙寺の石標、思わず見過ごす所でした。







            [ 浄妙寺 ]
            ●山号 醫王山 (いおうざん)
            ●寺号 浄妙寺(じょうみょうじ)
            ●宗派 臨済宗妙心寺派 (りんざいしゅうみょうしんじは)
            ●開基 藤原乙牟漏 (ふじわらのおとむろ) 桓武天皇の皇后 ※諸説あり
            ●開山 如寳律師 (にょほうりっし)
            ●開創 大同元年 (806年)
            ●再興 徳川頼宣 (とくがわよりのぶ)
            ●本尊 薬師如来坐像        
            ▲拝観 境内自由  
            ▲ 和歌山県有田市宮崎町1000 電話0737-82-3885  
            ▲JR紀勢本線「箕島駅」から徒歩 10分
             阪和自動車道「有田IC」から約20分





▼県道の左手を上って行きます。







浄妙寺縁起 (有田市HPから抄出)
寺伝によると大同元年、平城天皇の御母堂乙牟漏皇后とも阿波の尼僧西阿弥の建立ともいわれています。 開山は唐僧如宝和尚といわ
れ、もとは七堂伽藍の名刹であったらしく、嘉応元年(1169年)に宮崎定範がこの地方を領してから七十石の寺領を受けています。天
正十三年(1585年)秀吉の兵火により堂塔伽藍や縁起など焼失、薬師堂と多宝塔だけを残して全ての伽藍を焼失。以後永らく荒廃して
いた寺を正保四年(1647年)紀州藩初代藩主徳川頼宣が再興した。





▼次第にお寺の参道らしくなってきました。手入れの行き届いた植栽を左右にドンドン行きますと……、







▼左手に境内への石段が、さあどうぞ。







▼余り広くない境内ですネ。







▼本堂(重文)。本尊薬師如来坐像。薬師堂とも称されているようです。
 方三間、寄棟造、本瓦葺、一間向拝付、鎌倉後期。







▼本堂前面。中央戸口の桟唐戸が開けられ障子戸がビリビリ、中を覗くと……、
 真っ暗、全く何も見ることが出来ません。







▼よって、有田市HPから本尊写真をお借りしました。本尊薬師如来坐像と十二神将です。
 写真の十二神将はフルメンバーですが、12躯のうち6躯は1994年11月18日に盗難に遭い今は6躯のみ。







▼本堂。







▼境内に大きな蘇鉄が植わってます。







            さていよいよ多宝塔です。

            ▼多宝塔(重文)。塔高12.95m、三間、本瓦葺、鎌倉時代正慶元年(1332年)。
             塔内には五智如来を安置。







▼山間に佇む優雅な姿。ウ~ンナイス!







▼上層の四手先組物と軒の二重垂木。複雑な様相ですネ。







            ▼多宝塔。亀腹はかなり小さいですが決してバランスを崩しては居ません。







▼コーナーの組み物。







▼多宝塔。







            ▼多宝塔相輪です。







▼鐘楼。







▼梵鐘。







▼大師堂。







▼お大師さんの石像が祀られています。







▼弁天堂。肝心の弁天さん、よく見えませんでした。







▼庫裡の屋根葺き替え中。







▼方丈。中から読経の声が、







小さなお寺ですが、なんと二つの重要文化財を持つ浄妙寺です。その本堂も多宝塔も堂内を拝観することは出来ませんでした。方丈
では玄関口に履物がこれでもかと置いてあり、堂内からは読経が聞こえます、なにか大きな法要されてるみたい。 朱印を頂くため
庫裡に声をかけましたが残念ながら……。

浄妙寺 オ シ マ イ

紀の国古刹巡りをもちまして本年の「土曜日は古寺を歩こう」はオシマイです。
本年一月から数えて96カ寺の訪問になりました。拙いブログに多くの皆様にお越し頂き感謝に堪えません。ありがとうございました。
明年もどうぞよろしくお願いいたします。





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興国寺、紀州の大寺は「関南第一禅林」

2017年12月26日 | 和歌山の古寺巡り





(2017.12.23訪問)  


冬場の上天気、今日の迷車大和路号は阪和自動車道広川ICから熊野街道国道42号線、別名死に号線を走っています。
死に号線、いやな愛称?ですネ。迷車大和路号は紀州路を颯爽と疾走出来ません。なぜなら和歌山#のクルマが前にいると制限速度
より相当遅く、歩いた方が早いと思われる速度で悠然と、しかもセンターラインが殆ど黄線、後ろに付かにゃしゃーない。
さすが死に号線のプレッシャーか、かくなる上はユックリ行こう。と云う訳で由良町の興国寺を迷車大和路号は目指しています。
いつになったら着くんやろ。
(和歌山県民の皆様ゴメンナサイ、決して全部の方がそうじゃないですよ、チョットしたボクの印象です)





▼県道を右折し長閑でゆったりした道を行きます。正面に大門が見えます。







            [ 興国寺 ]
            ●山号 鷲峰山 (しゅうほうざん)
            ●寺号 興国禅寺(こうこくぜんじ)
            ●宗派 臨済宗妙心寺派 (りんざいしゅうみょうしんじは)
            ●開山 法燈国師心地覚心 (ほうとうこくししんじかくしん)
            ●開創 安貞元年 (1227年)
            ●再興 浅野幸長 (あさのゆきなが) 慶長六年 (1601年)
            ●本尊 釈迦如来坐像        
            ▲拝観 境内自由 朱印300円  
            ▲時間 早朝~日没 
            ▲和歌山県日高郡由良町門前801 電話0738-65-0154
            ▲JR紀勢本線 紀伊由良駅 徒歩約10分
             大阪方面からR42号線 (通称しにごうせん) から由良町門前を右折県道23号を0.6km、表示を右折スグ
             大阪方面から湯浅御坊道路(阪和自動車道)「広川IC」でおりR42号線由良町門前を右折約15分





            ▼興国禅寺石標にバス停表示が寄り添ってます。







興国寺縁起 (興国寺パンフレットから抄出)
興国寺は「関南第一禅林」と称され、安貞元年、鎌倉幕府三代目将軍源実朝の菩提を弔うために建てられた「西方寺」が前身。後に
法燈国師が宗旨を禅宗に改宗、最盛寺末寺143カ寺を数え多くの高僧を輩出、興国元年後村上天皇より興国寺号を拝受しました。天
正十三羽柴秀吉による紀州征伐で堂塔伽藍が焼失しましたが、慶長六年紀州初代藩主浅野幸長により再興され現在に至ります。





▼大門。チョット頭でっかちの門ですネ、ココからが参道、もとは県道に面して建ってたそうです。
 入母屋造、本瓦葺、六脚門。







▼大門の扁額。関南第一禅林と書かれています、多分。







▼大門からの参道です。







▼ユニークな石組参道は広く、グリーン鬱蒼の時期は緑のトンネルが綺麗でしょうネ。







▼参道途中に龍王社。雨乞い、農業神の八大龍王を祀っているお社。







▼少し先に五輪塔や板碑が集められています。無縁墓なのかナ。







▼大分参道も進んできました。廣度橋という石橋を渡ると石段が見えます。







▼石段の左右を見て下さい。







▼まるで城郭の構えみたい。







▼寄進門らしく昭和後半建造の山門です。切妻造、本瓦葺、四脚門。







▼山号が書かれた扁額。







▼例により山門から境内を見ます。正面は法堂、本堂です。







▼鐘楼。入母屋造、本瓦葺、袴腰重層の立派な鐘楼。







▼鐘楼に扁額は珍しいですネ、しかし読めません。







▼境内です。







▼法堂 (本堂)。堂々の貫禄、全山を圧倒する重厚感抜群のお堂です。上層の屋根を見て下さい、まるでお城。初層両端の白
 壁に花頭窓が安定感のバランスをとってるようです。
 桁裄五間、梁間四間、重層入母屋造、本瓦葺。寛政九年(1797年)再建。

         





▼上層の二重垂木と軒下組み物の複雑さ。







▼関南第一禅林と書かれた法堂扁額。







以下三点の写真は本来お見せ出来るような写真ではないんですが、お見せします。
奥の手も通用せず、条件が悪すぎました。言い訳です。

▼法堂須弥壇。広い堂内、二段須弥壇上階中央に本尊釈迦如来坐像と左右に四天王が祀られています。







▼本尊と四天王。







▼法堂天井鳴き龍図。絵師は不祥です。







▼法堂。







▼法堂と禅堂を繋ぐ渡り廊下。







▼禅堂。チョット小ぶりなお堂。雲水や僧侶方の坐禅道場。







▼使い込まれている開版。







▼禅堂の扁額。







▼位牌堂。







▼位牌堂扁額。







▼位牌堂の内部の須弥壇。中央には本尊聖観音菩薩が、左右に無数の位牌が祀られています。
 何の変哲もないシンプルな堂内なんですが、宇宙船の空間に見えません?







            ▼子守り地蔵。







▼天狗堂。シンプルなお堂です。
 興国寺は京都鞍馬寺と並ぶ天狗の寺として有名で、毎年成人の日に開催される天狗まつりは、入試合格、交通安全、降魔
 厄除に天狗の神通力を授かろうとする多くの信者、参詣者で境内は賑うそうです。







▼これもシンプルな天狗堂の扁額。







▼須弥壇を見て驚くなかれ。







▼どうですこの大天狗! ご利益ありそうでしょ。高さ2.4m、幅2.7mの大天狗面。
 兵火を被った七堂伽藍を天狗が来て一夜にして再建したという伝説があるそうです。







▼天狗堂の側面。今にも左へ飛んで行きそうな感じ、天狗の飛翔力とリンクさせてるみたい。







▼境内奥の開山堂。開山法燈国師の像を安置しています。方三間、宝形造、本瓦葺。文政六年(1823年)再建。







▼境内高台から混みいった伽藍群。







▼歴代住職の廟の傍らに立つ、これは石塔とは呼べないですネ。意味不明の塔?







            ▼慧日観音像。







            ▼このお顔を見て下さい、ホッとしませんか。開山法燈国師の母堂慧日尼さんの姿らしいです。







▼書院玄関。







▼後ろの大屋根堂宇が書院なんですが、門は締め切り中へは入れません。







▼先ほどの高所から書院庭を見下ろしています。







▼書院門の隙間から書院庭。







▼ご朱印を頂きに庫裡へ行きましょう。デッカイ庫裡です。







▼庫院と書かれたオシャレな扁額。







▼綺麗に磨かれた玄関。小さな鐘をコ~ンと一撞き、作務衣の僧侶がは~いと出てきてくれました。







▼ご朱印です。







ざっと八百年の法灯を守り続けている興国寺、ご朱印を書いて下さった壮年の僧侶としばらく雑談。これだけの大寺を八百年の歴史
を背負って、今何人の僧侶方で維持管理をされているのか聞くと「二人です」とのこと。これには驚きました。日々の作業で一番大
変なのは「掃除」に尽きるそうです。禅刹の掃除は修行の一つとはいえ境内が広くその上堂宇が多い、相当重労働、朝のお務めや檀
家衆との付き合い、年間の行事などは当たり前に僧侶の勤め、「しかし毎日の掃除がねぇ」と泣きが入ってました。御愁傷様、頑張
って下さいネとお寺をあとに……。

興国寺これにて オ シ マ イ





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真如堂、本名真正極楽寺、世に極楽寺は多けれど、こここそが正真正銘極楽の寺。

2017年12月22日 | 京都の古寺巡り





(2017.12.16訪問)  


真正極楽寺、通称真如堂へ向かいます。永観堂からそのまま鹿ヶ谷通りを越え西へ真っ直ぐ、白川通に出て北上、そのまま北へ真
っ直ぐ行きゃいいのにわざわざ丸太町へ左折、岡崎別院を越え金戒光明寺の西側をクルーッと周ってやっとの事で真如堂到着。京
都の地図を知ってるつもりが、実は中途半端な思い込み、結局知らないのと同じというお粗末、スマホナビを始めから使えばよか
った、は後の祭りでした。




▼参道。







            [ 真如堂 ]
            ●山号 鈴聲山 (れいしょうざん)
            ●寺号 真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)通称 真如堂 (しんにょどう)
            ●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
            ●開山 戒算上人 (かいさんしょうにん)
            ●開創 永観二年 (984年)
            ●本尊 阿弥陀如来立像 (重文)         
            ▲拝観 500円 朱印300円  
            ▲時間 9:00~16:00 
            ▲京都市左京区浄土寺真如町82 電話075-771-0915
            ▲http://shin-nyo-do.jp/ 
            ▲JR京都駅から市バス5系統、100系統で「真如堂前」下車、徒歩8分。
             京阪電車「三条駅」から市バス5系統で「真如堂前」下車、徒歩8分。
             阪急電車「四条河原町駅」から京都市バス5系統、17系統で「真如堂前」下車、徒歩8分。





            ▼なんと凄い貫禄の寺石標。







真如堂縁起  (真如堂HPから抄出)
永観二年の春、開祖戒算上人の夢枕に、阿弥陀仏の化身である老僧が現れました。老僧は、「我は叡山の常行堂より参った。京に
出てすべての者に利益を施すであろう。わけても女人を済度するものである。急いで京に下山させるべし」と、戒算上人に告げま
した。比叡山の僧衆が協議した結果、慈覚大師作の常行堂の阿弥陀如来を下山していただくことを決定。ひとまず、雲母坂の地蔵
堂に仮安置し、どこに遷座していただくかと協議していたら、また夢の老僧が現れて、「神楽岡のあたりに、小さな桧千本が一晩
のうちに生えた場所がある。そここそ仏法有縁の地であり、衆生済度の場である。まさしく末法の世に、真正極楽の霊地なるぞ」
とお告げになりました。その場所は、折しも同じ夢をご覧になった東三條女院(藤原詮子)の離宮でした。女院は寝殿を飾り、堂荘
厳を施して、ここに如来を遷座しました。これが真如堂の始まりです。





▼表門。真如堂の総門で、見た通り通称赤門とも。
 この門には敷居がありませんネ、なぜでしょう。答えは最後に。







▼その赤門からの境内、正面は本堂です。







▼境内参道。両サイドはモミジ。青もみじと紅葉がトンネルに、どちらも凄い景観と凄い人出だそうですヨ。







▼水口と井戸を備えた手水舎。入母屋造、本瓦葺の六脚舎。ボタンを押すと清水が出ます。







            ▼三重塔。塔高約30m、本瓦葺、宝暦年間 (1751~1763) 建立。







▼初層の組み物。







            ▼三重塔。







▼初層の組み物も斜めから見るとより精巧な感じがします。







            ▼三重塔。







▼縣井観音堂。 (真如堂HPから抄出)
 かつて縣井という井戸が御所ありました。その昔「この井戸の水を汲む者、必ず病が癒えるであろう」と井戸の中から如意輪観
 音のお告げがあり病気を治す不思議な水とされています。その如意輪観音を本尊としてお祀りしています。







▼縣井観音堂の扁額。







▼鎌倉地蔵堂。本尊地蔵菩薩。 (真如堂HPから抄出)
 鎌倉時代、下野国示現寺の玄翁和尚が造像、江戸期にこの地蔵尊を真如堂に遷座しました。鎌倉地蔵の名は、この尊像が当初鎌
 倉に安置されていたことに由来します。







▼鐘楼。切妻造、本瓦葺、江戸元禄年間の建立。







▼本堂。桁裄十五間、梁間十五間、総欅造、単層入母屋、本瓦葺。元禄六年から享保二年(1693~1717年)建立。







▼本堂の前面です。







▼本堂扁額。享保十一年 (1726年) 宝鏡寺宮からの寄贈。







▼本堂内陣。本堂正面の宮殿(徳川綱吉と桂昌院の寄進)の中には、本尊阿弥陀如来、不動明王、千手観音が奉安。







▼本尊阿弥陀如来立像。像高108cm、木造、平安時代。(写真は真如堂HPからお借りしました)
 永観堂の本尊は (みかえり阿弥陀) ですが、こちらの本尊は (うなづき阿弥陀) と呼ばれてるそうです。







▼本堂と書院を繋ぐ渡り廊下。







▼書院仏間。







▼書院東庭の涅槃の庭。 (真如堂HPから抄出)      
 釈迦涅槃図に基づいてこの庭でも、東山三十六峯を借景に向かって左北を頭にしたお釈迦さまが右脇を下にして横たわり、その
 回りを弟子や生類たちが囲んで嘆き悲しんでいる様子が、石によって表現されています。また、白砂はガンジス川を、桧などは
 沙羅の林を表しています。













▼書院南庭の随縁の庭。 (真如堂HPから抄出)
 モダン庭とでも申しましょうか、2010年に重森千青さん作庭。重森千青氏は重森三玲さんのお孫さん。庭に使われている自然石
 は境内にあったもの。寺を造営時地中から出てきたの。黒や茶、白の小石、苔などの仕切りに使われている石は、玉垣や縁石な
 どに使われていたのを再利用したものです。いずれも、重森氏が作庭に当たり、境内を巡って見出し使用されたものです。







▼万霊堂。







▼万霊堂扁額。







▼本堂裏手の敷きモミジ。これだけ綺麗に敷かれているのは、人の手が入っているのかも。







▼金銅阿弥陀如来露仏坐像。







▼石薬師堂。本尊薬師如来石像。







▼向拝前柱に取り付けられているコレ扁額? どう説明したらいいのか判りません。







▼元三大師堂。比叡山延暦寺第十八代座主慈恵大師良源さんの画像を祀っています。  
 桁裄四間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、二間向拝付。元禄九年(1696年) 建立。













▼新長谷寺。







▼本尊名が書かれた新長谷寺扁額。







▼新長谷寺須弥壇。荘厳は極めて質素で中央お厨子に本尊が祀られています。







▼本尊十一面観音立像。







▼放生池中の島に建つ赤崎弁財天。 (真如堂HPから抄出)
 住持昭淳律師は本堂資金が調達勧進のため永正十六年 (1519年) 周防国赤崎弁才天の宝前において祈念した。この赤崎明神とい
 うのは、芸州厳島明神が最初に影向されたところである。続いて厳島社に詣でて十七日間の参籠結願をし帰洛。まだ費用は不足
 していたので、京の近隣の貴賤に勧進をし、僧衆48人で別時念仏執行。無事に結願供養執行の運びとなったお礼に真如堂に分詞
 した。







▼ご朱印です。







以前訪ねた時はボランティアのオジさんの流暢なガイドに感心したんですが、今日はお目にかかれませんでした。もっとも、今日
は参拝の方々もいませんでしたの出る幕がなかったようです。
真如堂これにて オ シ マ イ

表門には敷居がありませんネ、なぜでしょうの答。
神楽岡 (真如堂の西にある吉田山のところ) の神々が毎夜真如堂に参詣する際につまずかないようするため。






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永観堂、やっぱりここは「みかえり阿弥陀さん」

2017年12月19日 | 京都の古寺巡り





(2017.12.16訪問)  


きのうのBS朝日五木さんの「百寺巡礼」で九州の禅刹梅林寺、山形の山寺立石寺、播磨の鶴林寺、そして京の永観堂をやってました。
九州と山形、これはちと遠すぎるし、播磨は中途半端、京都永観堂なら我が家から一時間圏内、よし決めた今日は永観堂へ行こう。
世の人々が褒めそやす「紅葉の永観堂」も華やかな赤の世界からいよいよ初冬の静寂へ、そう期待しつつ、迷車大和路号、ではなくて
今日は京阪電車に乗ってます。 注 : BS「百寺巡礼」は再放送です。





▼総門。鹿ヶ谷通りに面して門を開けています。一間一戸、切妻造、本瓦葺、四脚門、高麗門形式、江戸末建立。







            [ 永観堂禅林寺 ]
            ●山号 聖衆来迎山 (しょうじゅらいごうさん)
            ●院号 無量寿院 (むりょうじゅいん)
            ●寺号 禅林寺(ぜんりんじ)通称 永観堂 (えいかんどう)
            ●宗派 浄土宗西山禅林寺派 (じょうどしゅうせいざんぜんりんじは)
            ●宗祖 法然上人 (ほうねんしょうにん)
            ●派祖 真紹僧都(しんじょうそうず)
            ●開創 貞観五年 (863年)
            ●本尊 阿弥陀如来立像 (みかえり阿弥陀)          
            ▲拝観 600円 朱印300円  
            ▲時間 9:00~17:00 
            ▲京都市左京区永観堂町48 電話 075-761-0007 
            ▲ JR京都駅から市バス5系統で「南禅寺永観堂道」下車、徒歩3分。
             JR京都駅から市バス100系統で「東天王町」下車、徒歩8分。
             地下鉄烏丸線「京都」から「烏丸御池」にて地下鉄東西線六地蔵方面行き乗り換え「蹴上」下車、徒歩15分。
             京阪電車「三条」から市バス5系統で「南禅寺永観堂道」下車、徒歩3分。
             京阪電車「神宮丸太町」から市バス204、93系統「東天王町」下車、徒歩8分。





            ▼総門前右に、貫禄の寺号石標。







永観堂縁起 (永観堂HPから抄出)
平安時代初期に禅林寺を創建された弘法大師の弟子真紹僧都は真言宗の僧侶であったため、禅林寺は真言密教の道場として始まりま
す。創建にあたって、真紹僧都は「禅林寺清規に仏法は人によって生かされる、我が建てる寺は、人々の鏡となり、薬となる人づく
りの修練道場であらしめたい。」と照り映えるモミジ葉の輝きにも負けぬ、智徳ともにすぐれた人材養成を理想の旗印に掲げられた
ので、風光の美しさとともに、伝統的に各時代の指導的人材の輩出を数多く見ることとなりました。永観堂の歴史は大きく三つの時
代に分けられます。最初は真紹僧都から永観律師が住職になるまでの約220年間で、真言密教の寺院としての時代です。次は永観律
師から静遍僧都(じょうへんそうず)までの約140年間。この時代は、真言密教と奈良で盛んだった三論宗系の浄土教寺院でした。そ
の後は浄土宗の寺院となりました。





            ▼総門前左に、本尊名を刻したこれまた貫禄の石標。







▼アプローチ参道。石畳参道の左右は白壁塀、はみ出すモミジ。







▼溢れんばかりのモミジ。これで紅葉盛りだったらなァなんて事は云わないでおきましょう。







▼中門。この門が入山受付。一間一戸、切妻造、本瓦葺、四脚門、薬医門形式、延享元年 (1744年) 建立。







▼中門を入ると正面庫裏事務所。







▼左側に浴室があります。







▼そんなに広くない浴室なんですが、湯桶が沢山置いてます。







▼大玄関。さすが紅葉の永観堂、最後の彩りで迎えてくれました。







▼方丈の堂形が撮れません、扁額で代用。







▼方丈前庭。







▼唐門 (勅使門)。皇室勅使専用御成門。一間一戸、四脚門、入母屋造、檜皮葺、文政十三年 (1830年) 再建。







▼方丈前庭から見た唐門 (勅使門)。
 前の盛り砂は勅使の清めの砂、勅使はこれを踏んでからお堂に入るそうです。







▼御影堂。入母屋造、本瓦葺き、総欅造り、大正元年(1912年)建造。宗祖法然上人をお祀りしています。







▼須弥壇お厨子に宗祖法然さんがお祀りされています。







▼変化に富んだ渡り廊下。







▼臥龍廊。斜面に沿って作られた渡り廊下、その名の通り龍がうねっているような感じ。







▼阿弥陀堂参道。ではでは永観堂のスターみかえり阿弥陀さんに会いに行きましょうか。     







▼阿弥陀堂。禅林寺の本堂です。桁裄七間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺き、三間向拝付、慶長二年 (1597年) 建立。







▼この方が噂の本尊阿弥陀如来立像 (重文)。どなたも知ってる「永観、遅し」あの阿弥陀さんです。像高77cm、鎌倉時代。







▼阿弥陀堂向拝軒の装飾。                  













▼鐘楼。宝永四年(1707年)建立。







            ▼こんな観音さんもお立ちです。







            ▼こんな滝があったとは、今日初めて知りました。







▼結構な水量です。







▼滝の流れの横に歌碑がまとめて。







▼放生池。向こうに見える石橋は極楽橋。







▼小島で休憩の鴨と思うんですが。







            ▼放生池から見上げる多宝塔。昭和三年(1928年) 建立。







▼東山三十六峰の若王子山から南禅寺山が後景の禅林寺境内。







▼ご朱印です。







初冬の静寂といえども、そこは人気寺院永観堂、錦秋の喧噪こそありませんが訪れる人は三々五々途絶えることはありません。
やはり永観堂のスターみかえり阿弥陀さんと、衆生の心を癒す浄土思想が絶妙のコンビネーションで人々に訴えかけているからかも
しれませんネ。

永観堂禅林寺これにて オ シ マ イ





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浄厳院、檀家寺の境内は閑でした。

2017年12月14日 | 滋賀の古寺巡り





(2017.12.09訪問)


摠見寺から迷車大和路号は浄厳院へ、このお寺安土駅のほんご近所、といっても周辺は田圃が広がる長閑なところ。幹線道を折れて
南へフラフラ走っていると左手にいい案配に赤い楼門が遠望され、これがまた目立つんです。青空に朱色ほど映えるものはありませ
んネ。これはいやが上にも期待が膨らみはやパンクしそう。駐車場には迷車大和路号のみ、何方もいないようです。





            ▼周辺を田圃に囲まれた見渡しのよいところ、ど~んとこの石柱。







            [ 浄厳院 ]
            ●山号 金勝山 (きんしょうざん)
            ●寺号 浄厳院(じょうごんいん)
            ●宗派 浄土宗 (じょうどしゅう)
            ●開基 織田信長 (おだのぶなが)
            ●開創 天正六年 (1578年)
            ●本尊 阿弥陀如来坐像          
            ▲拝観 境内自由 8月13日14日15日本堂公開(本堂拝観は要予約500円) 朱印有無不明 
            ▲時間 9:00~17:00 
            ▲滋賀県近江八幡市安土町慈恩寺744 電話 0748-46-2242・5435 
            ▲JR東海道本線「安土駅」から徒歩10分
             名神高速道路「竜王IC」から20分 





▼白い築地塀に囲まれた堂々の楼門、アプローチとしてのインパクトは大。
 朱色も青空に映え、付近を圧倒するようにして建っています。







浄厳院縁起
近江源氏佐々木六角氏の菩提寺として建てられた慈恩寺(じおんじ)の旧地に、安土桃山時代、織田信長が安土城築城とともに創建
し近江、伊賀国両国の浄土宗総本山としたのが始まりです。





▼楼門(重文)。この地にあった旧慈恩寺の山門として建立されたもの。
 三間一戸、八脚門、入母屋造、本瓦葺、天文二十四年(1555年)建立。







▼山号金勝山が凄く目立ってます。







脇間左右の金剛力士。部分的に欠損部の後補が目立ちますが、筋肉表現は誇張が無くバランス的に優れた像形です。

▼阿形金剛力士。







▼吽形金剛力士。







▼楼門。







▼楼門戸口から境内、正面本堂です。







▼境内に第一歩、左に手水舎。







▼本堂(重文)。本尊阿弥陀如来坐像。
 桁行七間、梁間六間、入母屋造、本瓦葺、三間向拝付、元亀三年(1572年)建立。
 本堂は、もとは近江八幡市多賀町にあった天台寺院興隆寺の弥勒堂を移築したものだそうです。
 信長はあっちこっちから色んなものを持ってきますネ。スキホウだい、やりたい放題、やはり偉大な為政者です。







▼寺号の書かれた本堂扁額。







▼本堂。元禄年間に大規模な修理が行われ屋根の高い外観になったそうで、堂々の堂形です、風格抜群!
 残念ながら本堂は入堂はできず、堂内を窺う事は出来ません。毎年8月13日14日15日公開されるそうです。







            ▼本尊阿弥陀如来坐像(重文) 像高274.5cm、寄木造、漆箔、11世紀平安時代。
             定朝様の貫禄で螺髪が小さくまんまるお顔が失礼ながら可愛い印象の阿弥陀さんですネ。
             


             (本尊写真は神仏います近江HPから)





▼本堂。







▼本堂外縁。日当りはいいのでしばらくこの縁に坐っていましたが、寂しいですネ、参拝者はいません。







▼天気上々ですが時にこんな雲が湧きます。太陽半分逆光でゴースト狙い、サッパリ効果なし。







▼勅使門。一間四脚門、切妻造、本瓦葺。正面を見る事は出来ません、どこから行けばいいんだろう。







▼鐘楼。三段積基壇に袴腰なので背の高さに圧倒されます。寛保二年(1741年) 建立。







▼鐘楼の上層。屋根両端の鬼瓦に寛保二年銘が刻まれているそうです。







▼観音堂。桁裄三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺。享保六年(1721年)建立。







▼位牌堂。元不動堂が解体修理され位牌堂として再生。方一間、宝形造、桟瓦葺。唯一中が覗けたんですが、物置。







▼六地蔵。







▼庫裏と本堂を繋ぐ渡り廊下。あの下を潜って御朱印を頂きに庫裏へ。







▼庫裏。こんにちわ~~~、呼べど叫べど返事なし。結局ご朱印今日はナシ







▼裏門。切妻造、本瓦葺、袖塀付きの大型高麗門。江戸後期建立。







浄厳院これにて オ シ マ イ
           
ほぼ方形の境内には小さな堂宇がギッシリ、まるでジグソーのように綺麗に収まっています。境内周辺には墓地が整然と並び古から
の檀家寺なんでしょう。残念ながら本堂へは入堂できず、庫裏もお留守のようで、信長との関係やお寺の詳細をお聞きする事は出来
ませんでした。
湖国近江路は地形変化が豊かで色んな表情のお寺がありそう。来週湖北長浜辺りの観音さんを訪ねたかったんですが湖北は早雪便り、
長浜観音さん巡りは来春の計画にしました。





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