土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

平城遷都1300年祭の平城宮跡に行ってきました。

2010年04月30日 | 奈良の古寺巡り
昭和の日に天平の昔に浸りたかったのですが……。
近鉄大和西大寺駅から歩こうかなと思ったのですが、結局シャトルバスでエント
ランス広場まで。
ほとんどが草っ原でとにかく広い、広い。かなりしんどいですよ。

朱雀門です。門前庭のイメージがすっかり変わっていました。
下は朱雀門から大極殿を見ています。


上はエントランス広場、下は遣唐使船です。


大極殿です。




上は大極殿中央の高御座、下は大屋根の鴟尾と宝珠。


東院庭園です。


             早咲きの花菖蒲でしょうか。


東院庭園は大極殿に比べて訪れる人はかなり少なかったです。




室生寺から請雨祭祀の司雨神、室生龍穴神社と大野寺、戒長寺を訪ねました。

2010年04月28日 | 奈良の古寺巡り
[ 室生龍穴神社 ]
室生寺から室生川に沿ってしばらく行くと、室生龍穴神社に着きます。完全舗装
された県道沿いの左側に鎮座。神社境内には杉の巨木が鬱蒼とそそり立ち、昼な
お暗きが実感され拝殿前庭とその奥との陰翳の変化、明暗差は何となく神の存在
を思わせ森厳な神域の気を身に感じます。祭神は竜神、水の神で祈雨、雨乞いの
司雨神といい古来鞍馬貴船神社と雨乞いを競ったそうです。歴史由緒は相当古く、
延喜式内古社で室生寺とは神宮寺と鎮守社の関係にあったと云います。


前庭鳥居から拝殿


拝殿


拝殿の扁額


拝殿前杉の巨木


拝殿前の狛獅子
阿形は古毬、吽形は子獅子を抱かえるやや珍しい形です。




本殿
鬱蒼の緑のグラデーションの中で、一際映える本殿の朱。この社は春日大社若宮
社の旧社殿を移築したものと云います。


龍神が住むという龍穴
社から山道を少し行くと吉祥龍穴の案内板があり小道を下ると、小作りの遙拝所
があります。室生川を挟んで今も竜神が籠もるという洞窟があり龍穴と呼ばれ、
ここで請雨祭祀が行われたそうです。


招雨瀑
龍穴の少し上流に、招雨瀑と云われる滝が岩盤を豪快に滑り落ちています。


[ 大野寺 ]
桜のシーズンは著名枝垂れ桜の見物で参拝者が溢れると聞きます。境内は細長く
かなり狭く、元々室生寺草創の折りの寺域で四門の一つ西の大門といわれた歴史
があるそうです。このお寺の最大の売りは、何と云っても宇陀川対岸涯面の磨涯
仏でしょう。


大野寺石仏
正式には弥勒下生線刻大磨涯仏。挙身光式という凹みを切り込み、その内面に弥
勒仏を線刻したものです。仏身の高さは蓮座ともで11.5メートル。縁起には宇陀
川を隔てて彼岸に造立とあり、対岸は彼岸であり弥勒浄土、お寺側は此岸で現世
を表していると伝えます。(大野寺しおりから略記)


山門


本堂
本堂前に遙拝所が設けられています。ここから対岸の磨崖仏を拝することが正し
い拝し方なのでしょう。お庭の奥まで花期には、桜を中心に花々が競うそうです。
どうもボクの場合はいつも旬を外すようで特に今は花色はありません。


[ 戒長寺 ]と[ 戒場神社 ]
戒長寺は真言宗御室派のお寺です。聖徳太子と空海さんの由緒が残っているそう
です。大野寺から165号線にもどり、朝来た道を針方向に右折、例のカフェの前
を少し行くと左側に戒場集落への細い山道があり、対向車を気にしながら15分ぐ
らいで戒長寺への案内表示がある所に到着。

山門
急な参道石段の先に鐘楼門が見えます。梵鐘は正応4年(1291年)の銘があり鐘
身に十二神将像を鋳出する珍しい形式の鐘だそうですが、この情報は家に帰って
から知りました。なにをしに古寺を巡っているのでしょうカネ。




本堂
本尊薬師如来坐像、お前立の薬師如来坐像、十一面観音、地蔵菩薩を安置してい
るそうですが、お堂扉は施錠されていました。


本堂扁額


奈良県指定天然記念物のオハツキイチョウ
気根乳を垂らしたオハツキイチョウは葉のつけ根に小さな実がつく珍しいイチョ
ウです。


境内
本堂から見た右が山門、左が戒場神社の鳥居。真ん中の大木がオハツキイチョウ。


戒場神社
戒長寺と同境内に並んでいる神社。神宮寺と鎮守社の関係なんでしょうね。石段
の奥に可愛いお社が見えます。


同じく奈良県指定天然記念物のホオノキ
戒場神社側にある根元に空洞を持つ樹齢300年以上の日本一のホオノキです。


戒長寺の第一印象、「これってお寺の遺跡?」「本当に名刹?」と思ったほどの
境内環境でした。

鎧坂の石楠花はまだまだでした。室生寺

2010年04月27日 | 奈良の古寺巡り
この日は、宇陀の室生寺、大野寺から榛原の戒長寺を巡りました。朝のテレビで
室生寺の石楠花が4~5分咲きと案内していましたので、急遽行き先変更。何度か
訪ねていますが石楠花シーズンは訪ねたことがなかったのでいさんでゴー!
奈良に入ったと同時にパラパラと雨、少々不安に。165号線に出るチョット前に
おしゃれなカフェがあり雨宿り、カメラ好きのマスターとしばらく雑談。おかげ
で晴れて来ました。

室生寺
真言宗室生寺派の大本山。
石楠花はとてもとてもまだ全体では2~3分咲きというところでしょうか。花はと
もかくとしてこの日は、灌頂堂(本堂)の重文如意輪観音坐像に初めて拝すこと
が出来ました。

護摩堂前の石楠花


表門
赤い反り橋の正面に表門があります。女人高野室生寺の石標がこのお寺の性格を
表しています。今この門は使われていません。




仁王門
立派な仁王門です。色付き金剛力士が左右から睨みを利かせています。


鎧坂
左右の石楠花がこのお寺のシンボルですが…。


金堂
超豪華仏像のオンパレード。お堂内の照明が一新されたのでご本尊をはじめとす
る五尊と十二体が揃っている十二神将像は圧巻です。ご本尊は釈迦如来立像。し
かし像名に曰わく因縁があるお像と云われているそうです。五尊にはそれぞれ板
光背がつけられており彩色、構図ともに見事です。


弥勒堂
金堂西前にある柿葺きの小さなお堂。ご本尊は弥勒菩薩立像ですが、むしろ右側
に客仏と云われている釈迦如来坐像が有名です。


灌頂堂(本堂)
室生寺の中心お堂です。緑に埋もれるお堂は本当に綺麗でした。前面の扉が開け
られているのも初めての経験で、このお寺のご本尊如意輪観音像は須弥壇中央の
お厨子の中で坐しています。双眼鏡でジックリ拝観、口元に少々残る紅以外は残
念ながら色落ちた古色、お体も相当痛んでおり光背及び持物は後補のものと思い
ます。


灌頂堂前の緑


五重塔
国内最小の五重塔。可愛らしい塔です。数年前の台風被害の痕跡も一切無く見事
に再建、緑の中で朱色が映えています。


五輪石塔
灌頂堂の横にあり、北畠親房の墓と云われています。


奥の院への道
かなり手こずる急な石段、720段あるそうです。相当しんどいです。




奥の院御影堂
空海さんをお祀りしているお堂。宝形造りの小さなお堂でこの日は閉まっていま
した。


奥の院位牌堂


面白い奉納額が飾られています。


奥の院位牌堂を後ろから見ると精巧な舞台造りが見えます。


奥の院七重石塔
溶岩凝縮の岩場に立つ七重石塔。この岩は禁足地になっているそうで、上ること
は出来ません。左の木を見て下さい、落雷なんでしょうかかなり酷いことになっ
ています。


護摩堂
このお堂の周辺と本坊前の石楠花はかなり咲いていました。


護摩堂と本坊前に咲いていた石楠花








この日は、平城遷都1300年祭のオープニングが平城宮跡で行われ相当の人出と報
道されていましたが、ここ室生寺も結構な人出でした。室生山塊の山中といって
も、これだけ大構えの古刹はやはり人気があるのですね。

栄山寺から花の寺金剛寺へ、そして吉祥寺へ。

2010年04月20日 | 奈良の古寺巡り
栄山寺を辞して、クルマで約15分の地に花の寺金剛寺はあります。市街地のただ
中に在り、入り組んだ道路はすれ違いもままならないほど狭く、近くに辨天宗総
本山如意寺の広大な寺地が、多くの信者を集めています。クルマもビックリする
ほどの数が狭い道路を行き交っていました。

金剛寺
ボタンの花で有名なこのお寺は平安末期、平清盛の長子平重盛の創建によると寺
伝は伝えています。一時期奈良朝最後の天皇光仁の皇后井上内親王と実子他戸親
王が謀略陰謀のにおいプンプンの事件により謀反死があり、その怨霊鎮めの官寺
としての位もあったそうで、天正年間の兵火で灰燼に帰したが、江戸初期に復興
したと云います。

山門
参道は丸く重なり合った植栽が片側に並び正面に鐘楼を兼ねた簡素な山門が迎え
てくれます。山門をくぐると枯山水風の小さなお庭があり、ここも丸く刈り込ま
れた平戸つつじの植栽が目を引きます。


庫裡
萱葺き庫裡は元禄の再建、幕末から大正にかけて、唐招提寺長老の隠居寺として
この庫裡に住んだと云います。寺院には珍しい茅葺き屋根になぜかホッと…。




本堂
堂宇が並ぶ境内はボタン園を除いて極めて狭く、江戸再建の本堂を中心に観音堂、
護摩堂、庫裡と庇を並べて寄り添うように建てられています。


本堂ご本尊は、中央須弥壇に木造薬師如来坐像、脇侍に日光、月光両菩薩の薬師
三尊。ご本尊薬師如来は堂々の体躯とふっくら気味のお顔は、現世利益を担う如
来として拝する人への信頼感、安心感を与えていることでしょう。全身に漆箔が
残り、三尊共に平安末期の作と聞きます。左須弥壇に見える坐像は、阿弥陀如来
坐像、鎌倉時代の作と説明されています。




観音堂
正面が観音堂、右手の庇が本堂です。十一面観音、准胝観音が祀られています。


観音堂の鴟尾
どこかで見た鴟尾だと思いませんか。そうです、唐招提寺金堂の大屋根にのる鴟
尾と似ていますね。この鴟尾の背に「唐招提寺金堂之模造」と記されているそう
です。唐招提寺長老の隠居寺としての名残を感じさせますネ。


ボタン園
この日は、ボタンの花期には早く、二株の早咲きが花を付けていただけでした。
ボタン園といっていますが、ボタン以外にかなりの種類の花々が植えられており、
4月後半から5・6月頃のシーズンには相当見応えのある花園になると思います。


早咲きボタン


石楠花
これも早咲き石楠花、ブルーアイと奥早出




白やまぶき




関西花の寺二十三番霊場として花の寺の名に恥じない綺麗なお寺です。

吉祥寺
五条丹原町に在る高野山真言宗のお寺です。
幹線国道から細い道へは迷う方が多いのでは、少しばかり分かりにくい地にこの
お寺は在ります。まさにの細い田舎道と参道入り口にある対の石標のモダンさと
山門の寂れ具合の三者のアンバランスに先ず驚かされます。考えように非常に巧
妙な演出かも。日本三毘沙門霊場の一つと聞いていたのでこの日訪ねました。
開基はやはり空海さんだそうです。

参道
左石標に吉祥寺、右に開運坂と刻まれています。ここから200メートル余り歩き
ます。坂道登りで相当しんどいです。


山門
簡素で小さな山門ですが、いい雰囲気を醸しています。土塀の崩れ具合など…。


山門内側から
白木蓮に八重桜、青紅葉に赤紅葉、ツツジの刈り込みの青々した葉の輝き、手入
れの行き届いた綺麗な境内です。


鐘楼


本堂
宝形造の堂宇。日本三毘沙門霊場の一つということで、ご本尊は毘沙門天立像、
室町時代の作だそうで扁額には毘沙門天と墨されています。




鐘楼から本堂を見る。紅葉が入るとどうにも季節感が合いませんネ。


本堂右に広い庭園があります。間もなくの花期シーズンにはいろんな花色が競う
のでしょう。だけどこの庭園と山門の雰囲気、どう考えても同じお寺とは思えま
せん。




この日参拝者はボク一人でお寺の庫裡にも人の気配は感じませんでした。お寺の
寺歴パンフを頂きたかったのですが無理でした。したがってお寺の詳しい内容は
さっぱり分かりません。

大阪への帰り道、この前通った葛城古道を北へ、左に金剛葛城連山を見、緑のグ
ラデーションを楽しみながらその麓を走りました。ふいに笛吹神社の大砲を一度
見ておこうと急に寄りたくなり丘陵を上りました。

笛吹神社 正式には葛木坐火雷神社


主祭神 火雷大神(火の神様) 天香山命(音楽の神様)
相 殿 天津彦火火瓊瓊杵命 大日霊貴命 高皇産霊神 伊古比都幣?ス
天香山命の子孫、笛吹連が代々この地に住み、祖先神に奉仕し、この土地を笛吹
と称えた。その為か、現在も正式な葛木坐火雷神社という名よりも笛吹神社とい
う名の方が地元の人々に親しまれている。
現在は火雷大神が火の神様であることから、火を扱う職業(飲食業、製造業、工
場)や消防関係の崇敬を集めている。又、天香山命の御神徳から笛やフルート、
尺八など、楽器演奏の上達を願う人々の崇敬が篤く、奉納演奏に見える方も多い。
以上(葛木坐火雷神社のホームページから)

参道石段下にある手水舎


参道石段
両側には、奉納灯籠がズラリ。




露国製ぶんどり大砲
かなり大きな大砲(あたりまえか)で反動車輪も大きなものです。野ざらし展示
はどうかと思いますが、明治時代世界の武器技術の結晶なんでしょうね。なぜこ
んなものが政府より神社に奉献寄進されたのか、説明はありません。
ボクなど日露戦争当時の従軍写真を見ただけで、本物の兵器など始めて見ました。


大砲前の説明板を拡大しました。
今上陛下とあるのは昭和天皇のことです。


拝殿への石段


拝殿


拝殿から本殿を見る


藤原南家、権勢の果ては…。栄山寺を訪ねました。

2010年04月19日 | 奈良の古寺巡り
古寺歩き絶好シーズンの緒、10日の土曜日、所用のため古寺訪問出来ず、ついに一
週間空けてしまいました。休みに仕事とはトホホ…。気を取り直して17日は…。

栄山寺
今月はじめ、NHKで「大仏開眼」が放送されました。あの時代の権力構造の複雑さ
と権力者間の人間関係の葛藤を含めて天平という仏教文化絢爛期、律令政治の萌芽
から実践面で民衆との乖離と仏教が果たした役割と成果とは、など時代の中のボク
たちが理解しているエポックを脚色しながら物語は進行しました。ストーリーや登
場人物の性格付け、内容については、見た方それぞれの思いやご意見がお有りでし
ょう。いつの時代も絶頂期は続かない、凋落の早さは時の仲麻呂といえども例外で
はなかった。かなり気の毒な役回りの藤原仲麻呂がその絶頂期に関係したと云われ
る、五条の栄山寺を訪ねました。

黄色やまぶきが今盛り。


涛々と流れる吉野川の河畔に、仲麻呂の父、南家の祖武智麻呂が、その父不比等が
力を注いだ興福寺建立の槌音が響いていた頃、南大和の地に建立したと伝えられて
います。武智麻呂が歴史に名を残しているのは、やはり有名な長屋王事件への関与
が挙げられます。続日本紀、藤原氏家伝にその事績が語られていますが、栄山寺造
立に関しては明快な記述は見あたりません。考えようによっては、藤原一門が全身
全霊で興福寺を造営中に不比等長子が遠く離れたこの地で同時に寺院を造営する事
が可能だったのだろうか。


参道
バス停前にすぐ入り口。山門はもう少し東に有りますが現在は締め切りです。


鐘楼
国宝中の国宝と謳う梵鐘、「平安三絶」の名鐘と云われ、菅原道真や小野道風の名
が記されているという。鐘楼はコンクリート造で国宝梵鐘とは非常に不釣り合いの
感じがします。


本堂
室町時代再建の本堂には、木造漆箔の薬師如来坐像を祀っています。本堂は中央蔀
戸と左右の扉は閉まっていました。


蔀戸から堂内を覗くと中央須弥壇にお厨子が置かれ扉は閉ざされていました。


本堂前の青紅葉


本堂前の石灯籠
鎌倉中期の銘があり、栄山寺形と云われる著名な灯籠で重要文化財です。


八角円堂
栄山寺で最も著名な堂宇。藤原仲麻呂が父武智麻呂と母供養のために建立したと伝
わる国宝堂宇。当初は草葺きの屋根で明治の終わり、解体修理の時に瓦屋根にした
という記録が残るそうです。国宝の定義ってなんでしょうネ。


八角円堂で著名なものは、法隆寺夢殿、興福寺北円堂、南円堂などがありますが、
それらに比べて遜色のないお堂です。小さいお堂ですが、構造は独自工法で天平後
期の名建築に数えられているそうです。


八角円堂の内陣
中央須弥壇にご本尊薬師如来坐像が祀られています。黄金の光背が一際光彩を輝か
せています。後補のものですが、見事な曲線の流れが上部へとまるで薬師如来の気
の流れがお堂全体を覆うようなそんな感じがします。


八角円堂の格天井
八角柱4本に支えられた格天井の彩色画は今はほとんど見ることは出来ません。


塔之堂
栄山寺は真言宗豊山派のお寺で、このお堂は大日堂です。空海さんと不動明王、観
音菩薩を祀っています。


塔之堂前に咲くやまぶき


七重石塔婆
初層四面に金剛界四仏の種子(梵字)が彫られ、奈良時代の建立で最も古い石塔と
云われています。


栄山寺前バス停
時刻表ご覧になれるでしょうか、一日4本です。そんなところに栄山寺はあります。


吉野川の流れ
川色は深みのある青磁、涛々の流れは歴史に翻弄されない意志を感じます。激動の
時、平穏の時、いつの時代もこの流れは変わらずその時々の世を、その時々から未
来へと移り変わるその時の姿を眺めていたのでしょうか。