土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

千手寺、眼病効果の霊水「お香水」が戴けるんです。

2015年09月28日 | 京都の古寺巡り




(2015.09.26訪問)


今週も大和路号は京亀岡にやってまいりました。
亀岡の山手、標高431mの行者山の山懐、まさに山岳寺院の様相満点の千手寺は、クルマ登山に相応しい深山幽谷の地に
ありました。舗装こそされている参道ですが、とにかく細い、さすがにビビりまくり、対向車が来たら恐らく為す術は
無いのでは。そんな山道を走ること約10分、2~3台でイッパイの駐車場らしきところに着きます。ヒョットして左脇に
山道が続いているので、境内近くに駐車場が有るのかな……。
真ん前に参道石段、急坂95段が待ってます。




        ▼参道口ですが……、






[ 千手寺 ]
●山号 獨鈷抛山(とこなげさん)
●寺号 千手寺(せんじゅじ)
●宗派 臨済宗妙心寺派(りんざいしゅうみょうしんじは)
●開創 伝 大同二年(807年)
●開基 伝 弘法大師空海
●再興 禅岩宗悦和尚 明暦三年(1656年)
●本尊 十一面千手千眼観音菩薩 
▲拝観自由  
▲京都府亀岡市薭田野町鹿谷大タワ7 電話0771-23-1434
▲JR山陰本線「亀岡駅」から京阪京都交通バスで約15分「国道佐伯」下車徒歩約3.5Km
 JR山陰本線「亀岡駅」から車で約30分
 京都縦貫道「亀岡IC」から約20分



▼ここまでが大変な道、まず対向車が来るとアウト、 滅多に無いことですが、祈りつつ大和路号はやってまいりました。
 途中止まって写真を撮る余裕すらありません、大原野の金蔵寺といい勝負です。






千手寺縁起 (千手寺HPから抄出)
寺伝によると大同二年(807年)弘法大師の開創といわれ、遣唐使として唐に渡り、密教の奥義を伝授された大師が帰国に
際し、本国に向かって「独鈷(とっこ)」を天に投げたところ白雲を引いて飛び去ったといいます。帰国後その行方を奈良
の春日神社にうかがい「丹波国佐伯の庄山内村の北峰娑婆山の松の枝にかかっている」との神託により、白鹿に導かれ
てこの地に来られたということです。以来この地を「鹿谷(ろくや)」山号を「獨鈷抛山(とこなげさん)」十一面千手観音
(大師一刀三礼の作)を安置するので「千手寺(せんじゅじ)」というようになりました。当寺は創建後藤原時代に焼失し禅
宗の止菴和尚が復興し真言宗から禅宗に移りました。その後天正五年(1577年)にも兵火にかかり、妙心寺の禅岩和尚が
再興、妙心寺派に属するようになりました。




        ▼参道石段の前に獨鈷抛山千手寺、難しい字と読の寺号石柱。
         とこなげさんせんじゅじ、先ず読みは不可能!






        ▼途中平地がありますが、前石段50、後石段45段、オール95段あります。






▼平地に湧水手水舎。この湧水は「千手寺の霊水お香水」と云われ、ホウ酸成分を含むので眼病に効果があり、本尊千手
 観音も眼病にご利益があり、毎年4月17日、7月17日の観音法会には多くの善男善女の参詣が絶えないそうです。






▼後ろ石段45段を上りきったところに……、






▼楼門がドーンと。






▼左脇に千手寺の由緒書きが。






▼上層は鐘楼になっています。三間一戸、鐘楼付き楼門、入母屋造、桟瓦葺、八脚門。






▼楼門に架かる青もみじ。






初層左右に金剛力士。細オモテでオーバーダイエットか、肋骨か筋肉か判らない、少々弱そうなお二人さん。

        ▼右、阿形金剛力士。











        ▼左、吽形金剛力士。











▼鐘楼門から境内です。






▼間違いなく梵鐘が吊られています。











▼境内には石碑が多くありますが由緒がねェ。






▼虚空蔵堂は非常にユニークなお堂、写真の歪みではありません、壁面がテーパーなんです。
 こんなお堂見たことはありません。一間四方宝形造、桟瓦葺。






▼薬師堂。一間四方宝形造、桟瓦葺。






▼奉納額が一枚。






▼中央須弥壇に本尊お薬師さんが……、






        ▼丸顔半眼のかわいいお顔です。







        ▼なぜここにこんな石碑が。






▼本堂です。






        ▼開創千二百年記念法要並晋山式厳修供養之塔。






▼立派な基壇上に建つ本堂。桁裄三間、梁間四間、入母屋造、銅板葺、一間向拝付。
 本尊 十一面千手千眼観音菩薩 像高91.0cm、鎌倉時代。眼病ご利益絶大だそうですよ。



ご本尊は内陣奥深くにいらっしゃるので、チラッとだけ拝することは出来ましたが、残念ながら全身像はわかりません。




▼本堂前面は格子戸、板戸をはじめ飾り欄間の菱形格子など平面組み物のサンプルのような本堂です。






▼奉納額は相当古いもののようです。






▼向拝軒は直線垂木が美しく、頭貫先端の木鼻を象で飾り、垂木の手挟みの細かい文様は見事としか言いようがありま
 せん。






▼本堂内陣の扁額とその左右に山号と寺号額が。






▼開基堂。空海さんをお祀りしています。千手寺で最古のお堂だそうで約六百年前の建立だそうです。
 屋根は赤いトタン葺ですが、元は茅葺きと思われ、雪害対策の処置なんでしょう。外陣が吹き放ちのため裳階風の桟
 瓦葺屋根が付けられ、なかなかユニークなお堂です。






▼書院風方丈、オールガラス障子の細長い建物、お寺の堂宇には見えません。






▼境内です。






▼内側からの鐘楼門。左手が庫裏だと思うんですが、お声掛けしたんですがどなたもいらっしゃいませんでした。






▼境内から亀岡市の見晴らし。亀岡市って結構山に囲まれた街なんですネ。






標高400m余りの山懐、決して高所とは云い難い山中ですが、これほど近づき難い古刹も稀ではないでしょうか。とは
云っても年二回の観音法会には眼病ご利益を求めて多くの人々の参詣列が続くそうです。しかし今日の参詣者はボク一
人、静まり返った山中で無音の山響きを全身に受けるのも時にはいいもんですヨ。ちょっとコワかったですけど。
庫裏のインターフォンを押しても反応ありません。書き置きもなく御朱印を戴くことが出来ませんでした。

帰りの山道、クルマが来ませんようにと祈りながら、次のお寺に向かいます。





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苗秀寺、モニュメント山門にはビックリです。

2015年09月22日 | 京都の古寺巡り




(2015.09.19訪問)


山門が一風変わった禅寺が「亀岡にあるよ」と寺友N君の情報、一方で隠れた紅葉の名刹、苗秀寺はモミジ寺とも云わ
れているそうで、そりゃーシーズン前に行かねばと、大和路号は亀岡を目指したのでありました。
青もみじに覆われた石のモニュメントを潜ると参道はこれまた青もみじのトンネル、思いやられますワ錦秋繍赤のシー
ズンは。



        ▼寺号石柱。






[ 苗秀寺 ]
●山号 霊松山(れいしょうざん)
●寺号 苗秀寺(みょうしゅうじ)
●宗派 曹洞宗(そうとうしゅう)
●開創 伝 奈良時代
●再興 祖海 玉峰 千巌 (いずれも曹洞僧) 寛永二年(1625年)
●本尊 釈迦牟尼仏
▲拝観料 無料  
▲京都府亀岡市薭田野町佐伯大門47 電話0771-22-0811
▲JR山陰本線「亀岡駅」から車で約10分
 京都縦貫道「亀岡IC」から約15分
 亀岡ふるさとバス「上佐伯」バス停から徒歩約5分




▼参道紅葉もいよいよシーズン到来か!






苗秀寺縁起 (苗秀寺門前ガイド板から抄出)
当寺は山号を霊松、寺号を苗秀と言い、永平寺、総持寺を両大本山とする曹洞宗に属する禅寺である。昔在の寺は長安
城の西路丹陽の古刹であり叢林の霊苗永く無窮に秀るところから名付けられたと伝えられている。その後、能下に移し
諭伽宗徒が数百年間居たが天台宗に改宗した。間もなく、明智日向守の兵災により煙没しその当時を詳細に知ることが
できない。江戸初期に曹洞宗の祖海、玉峰、千巌の三師によって此の地に再建され山城国綴喜郡神応寺十六世石峰寅経
禅師を請して開山となる。時に寛永二年のことである。




▼大モニュメント風石造山門。なるほどこんな山門は初めて目にします。ビックリです。






▼覆い被さるこの青モミジ、シーズンの人出が予想できます。






▼モミジ寺の面目、紅葉シーズンにはこんな感じ!



▲紅葉写真はネットからもらってきました。




▼綺麗な参道ですネ。






        ▼蹲踞がさり気なく。






▼法面にキノコ。






▼モミジのトンネルを少し行くと……、






▼右手石段の先……、






▼薬医門です。






▼薬医門の扁額。いい味の扁額なんですが、なんと書かれているんでしょう、「丹山法窟」と思うんですが、






▼鐘楼。






▼梵鐘。本尊銘が浮き出されています。






        ▼鐘楼四本柱は獅子と象が支えています。見ようによっては、背中を刺されてる感じ、痛そう。






▼境内の五葉松。






▼どうですこの本堂屋根の印象?






▼茅葺屋根を覆う、鉄板メッキ葺なんです。
 ご住職曰く「茅を葺く職人さんがいなくなりましてねぇ」






▼山号が書かれた本堂扁額。






▼内陣の荘厳。須弥壇最上段に本尊がおられます。






▼寺号が書かれた内陣の扁額。






▼山号扁額が光ってます。






▼境内にはお地蔵ちゃんが……、






▼お団子を食べてます。






        ▼子安地蔵もまとわりつかれて。






        ▼彼岸花も一輪。






▼大日堂。






▼大日堂扁額。






▼かなり豪快な萩シャワーが。






▼もう花アップはイヤ! ピントがきません。






▼そろそろお暇を、薬医門から参道の向こうは……、





▼見事な石垣が築かれていました。






▼仏足石に御朱印です。遅かりし帰宅後日付間違いに気付きました。正解は十九日。






禅とは、禅精神とは、なんて皆目判っていないボクが云うのもなんですが……、
小さいながらも曹洞禅を受け継いでいる禅寺、数百年の年月を経た今も、毅然とした精神の本流が木立一本にも生きて
いる、そんな精神性の非常に高い印象を受けるお寺です。境内は非常に綺麗に管理され、本堂屋根のシルバーの輝きが
禅精神の一端を担っているのでは。
檀家の法要があるにもかかわらず、本堂に入れて戴き、話し相手になって下さったのは亀岡市仏教会会長、大谷俊定ご
住職でした。ありがとうございました。 ご住職、ご朱印の日付間違ってましたヨ              合掌




本日の特別大フロク
英国の片田舎、ドゥリムトン村発見!






苗秀寺からR423経由、茨木市を経て中環から帰えろうと、山道を走っていると突然英国の田舎の情景を絵に描いたよ
うな小さな村を発見。イングランドカントリー、ドゥリムトン村なんです。極々小さいエリアなんですがレストラン、
パブ、チャペルと云った小さなカントリー風建物が並んでいます。

こんな村です、しばし長閑な情景を味わってください。


























































いかがでしたか、イングランドカントリー
いいなァ、思い出すなァ、行ったことはないんですが……。






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法起寺、世界遺産の古刹ですが…。

2015年09月17日 | 奈良の古寺巡り




(2015.09.12訪問)

法輪寺からわずかなところ、法起寺に向かいます。駐車場が見当たりません、細い道をクルクルしているうちに、西門
前に到着。まさか門前に止める訳にもいかず、どうしょうか、その時、近所の方でしょうかオジさんが、「駐車場は道
の向こうに有るけど、ココに止めときなはれ、まずクルマは通りまへんから大丈夫」よその方にお墨付きをいただいて、
堂々の駐車違反、西門を潜りました。ドキドキ…



▼西門、入山はココからになります。この真ん前に迷車大和路号は止まってます。






[ 法起寺 ]
●山号 岡本山(おかもとさん)
●寺号 法起寺(ほうきじ) 別名 岡本尼寺、岡本寺、池後寺、池後尼寺
●宗派 聖徳宗(しょうとくしゅう)
●開基 山背大兄王(やましろおおえのおおきみ) 
●開創 舒明天皇十年(638年)
●本尊 十一面観音菩薩立像(重文)
▲拝観料 300円 御朱印300円  
▲拝観時間 2月22日~11月3日:午前8時30分~午後5時 11月4日~2月21日:午前8時30分~午後4時30分
▲奈良県生駒郡斑鳩町大字岡本1873番地 電話0745-75-5559
▲「法隆寺地域の仏教建造物」として世界遺産に登録
▲近鉄橿原線「郡山駅」下車 奈良交通バス法隆寺方面行「中宮寺前」下車 徒歩20分
 近鉄橿原線「筒井駅」下車 奈良交通バス王寺方面行「中宮寺前」下車 徒歩20分
 JR大和路線「法隆寺駅」下車 徒歩 35分




▼放生池越しの三重塔。

 




法起寺縁起 (法起寺HPから抄出)
推古三十年(622年)2月22日、聖徳太子はその薨去に臨み、山背大兄王に岡本宮を改めて寺とすることを遺命、大兄王は
大倭国田十二町、近江国の田三十町を施入したといわれています。その後、舒明十年(638年)福亮僧正が聖徳太子のため
に、弥勒像一躯と金堂を造立し、天武十四年(685年)恵施僧正が塔の建立を発願、慶雲三年(706年)塔の露盤を作ったと
されています。近年境内発掘調査で前身建物の遺構が確認され、法起寺の建立以前に岡本宮と見られる宮殿が存在して
いたことが明らかとなりました。 中門を入って右に三重塔、左に金堂、中央正面奥に講堂があり、廻廊は中門左右から
堂塔を囲み、講堂の左右に接続する様式の伽藍であったと推測されています。奈良時代には相当栄えていたようですが、
平安時代後寺運徐々に哀微、鎌倉時代に講堂や三重塔が修復されましたが室町時代に再び衰え、江戸時代のはじめごろ
には三重塔を残すのみであった。再興発願した真政圓忍とその弟子たちは、延宝六年(1678年)三重塔修復、その後元禄
七年(1694年)に講堂再建、文久三年(1863年)聖天堂建立。現在の寺観が整えられました。




▼放生池の睡蓮。






        ▼三重塔(国宝)。塔高23.9m、本瓦葺。我が国最古の三重塔、慶雲三年(706年)建立。






▼元気です。






        ▼三重塔。






▼初層内。






▼法隆寺と同じ卍崩しの高欄。






▼相輪。






▼鐘楼跡。






▼本堂。旧講堂跡に建っています。桁行五間、梁間五間、錣葺き寄せ棟造、本瓦葺、元禄七年(1694年)再建。
 ガードが固く内部は窺い知ることは出来ません。本尊が居られないのでヒョットしたらガランドウかな。






▼本堂扁額。






立派な収蔵庫が本堂の隣に建てられていますが、前面ガラスで外の映り込みがあり内部がよく見えません。
本尊をはじめ九体の仏像が安置されているらしいのですが、残念ながらよく拝することは出来ません。
拝観寺院である限り、もう少し拝観者への利便性を…、
と云ったらお寺は反論するでしょうネ。



        ▼本尊十一面観音立像。収蔵庫に捕われています。
         像高350cm、杉材一木造、平安中期。
         是非お会いしたかったこの十一面さん、お像を前にしながら、感想を云えないモドカシさ。



        ▲写真はネットからもらってきました。
         それにしてもどういう経過でこの写真撮ったんでしょう!




▼聖天堂。本尊歓喜天。旧金堂跡に建っています。方三間、宝形造、本瓦葺、文久三年(1863年)建立。
 完全ガードで入堂拝観は出来ません。このお寺にナゼ歓喜天?






▼聖天堂正面に「歓喜天」の扁額が…、






        ▼その下にこんな額に入った貼り紙が…、
         手描きもいいんですが、もうちょっどないかならんもんですか。






        ▼西側面に「聖天堂」の扁額が掲げられています。






▼長い土塀が立派な西門。迷車大和路号は違反駐車してますので、モチロン逃げるようにして法起寺を辞しました。






▼御朱印です。法輪寺の御朱印と較べないように!






世界遺産の一部で、法隆寺を本山と仰ぎ、歴史的価値も揺るぎないこのお寺、しかし拝観寺院として残念ながらボクに
とっては期待外れでした。境内も夏の名残か、少々荒れ気味で雑草生え放題、惜しい!です。





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法輪寺、斑鳩の男前、十一面さんに逢いにやってきました。

2015年09月14日 | 奈良の古寺巡り




(2015.09.12訪問)
久々の斑鳩路はやはりクルマが多いですが、なぜか毎度喧噪の法隆寺参道や駐車場は、朝のせいかいつもの賑わいはあ
りません。今日の大和路号、この法隆寺を華麗にスルー、目指すは法輪寺と法起寺であります。
「法隆寺地域の仏教建造物」として世界遺産に登録されているこの地域で、この法輪寺は指定外なんですが、法隆寺式
伽藍配置でその規模は法隆寺西院伽藍の三分の二規模と云われ、ミニ法隆寺と云われているそうです。伽藍はすべて近
世から現代の再建で、寺歴が誇る草創歴史を感じることは出来ませんが、草創時から伝わる仏像群の素晴らしさはまた
別格です。




▼なんと静かで長閑な法輪寺の山門でしょう。






[ 法輪寺 ]
●山号 妙見山(みょうけんざん)
●寺号 法輪寺(ほうりんじ)
●宗派 聖徳宗(しょうとくしゅう)
●開基 伝 山背大兄王(やましろおおえのおおきみ) 他説有り
●開創 伝 推古天皇三十年
●本尊 薬師如来坐像
▲拝観料 境内自由 講堂(収蔵庫)拝観料 500円 無料駐車場あります。  
▲拝観時間 3月~11月 8:00~15:00 12月~2月 8:00~16:30
▲奈良県生駒郡斑鳩町三井1570 電話0745‐75‐2686
▲近鉄橿原線「郡山駅」下車 奈良交通バス法隆寺方面行「中宮寺前」下車 徒歩15分
 近鉄橿原線「筒井駅」下車 奈良交通バス王寺方面行「中宮寺前」下車 徒歩15分
 JR大和路線「法隆寺駅」下車 徒歩 35分




▼さてさて入山です。下馬標識に従い大和路号を下車。

 




法輪寺縁起 (法輪寺HPから抄出)

当寺の創建には二説が伝えられています。
●ひとつは、推古三十年(622年)聖徳太子がご病気になられた折、太子の御子山背大兄王がその子由義王らとともに太子
 のご病気平癒を願って建立されたという説。
●もうひとつは、天智九年(670年)の斑鳩寺焼失後百済開法師、圓明法師、下氷新物の三人が合力して造寺したとする説
 です。
昭和の発掘調査では、伽藍配置が法隆寺式であること、規模は法隆寺西伽藍の三分の二であること、出土する鐙瓦、宇瓦
の文様が法隆寺のそれぞれと類似することが判明しています。薬師如来坐像と伝虚空蔵菩薩立像の飛鳥様式の仏様二体を
伝えるところからも、7世紀末頃にはかなり寺観が整っていたであろうと考えられます。




▼真っすぐ参道正面は講堂、収蔵庫です。






▼参道右は金堂です。今は本尊薬師如来は居られません。まさにがらんどう。桁行五間、梁間四間、寄せ棟造、本瓦葺。
 旧金堂跡に一回り小さく建てられているそうで、二層ですがユニークな堂形を見せています。初層が裳階なのか二層
 建てなのかよく判りません。しかしバランス的に上層がかなり小さいので安定感は抜群の堂宇です。ただ経時の老朽
 化激しく相当激しく傷みが進行しているようです。






▼誰を守っているのか、金堂の鬼瓦。






▼金堂。右側が正面です。






        ▼そして参道左に三重塔。
         法隆寺五重塔、法起寺の三重塔と共に斑鳩三塔と呼ばれています。
         惜しいかな昭和十九年(1944年)雷火で焼失、昭和五十年(1975年)再建。






        ▼相輪の水煙に付けられた風鐸、どんな音色を奏でるのでしょう。






▼講堂、実は収蔵庫なんです。法輪寺のほとんどの仏像と宝物がここで拝観できます。






        ▼講堂正面。






        ▼講堂の本尊、十一面観音菩薩立像(重文)。像高約360cm、
         杉材一木造、両腕は接ぎ付、平安中期。
         体躯もさることながら、まさに男前、大きな目鼻立ち、天衣や裳の柔らかな感じ、
         彩色も残り非常に穏やかなイメージを受けます。光背は挙身光で後補とはいえ大変
         美しいものです。
         嬉しいのは後ろに廻ることが出来、各お像の背面もジックリ見ることが出来ます。


 
        ▲写真はネットからもらってきました。




        ▼やや吊り目気味のシャキッとしたいいお顔です。



        ▲写真はネットからもらってきました。




▼薬師如来坐像(重文)。                ▼虚空蔵菩薩立像(重文)。



▲写真はネットからもらってきました。         ▲写真はネットからもらってきました。

●薬師如来坐像は法輪寺の本尊、本来は金堂に祀られていたお像です。
像高110.2cm、樟材一木造、宣字座は檜材、光背は後補、飛鳥時代後期。
宣字座に結跏趺坐の姿は、法隆寺金堂釈迦三尊の中尊によく似ています。あちらは金銅造、こちらは木造ですけどネ。

●虚空蔵菩薩立像、像高175.4cm、樟材一木造、飛鳥時代後期。
全体のプロポーションは寸詰まりでけっしてスラリとはしていないけれど、体のそり具合などは法隆寺の百済観音に
よく似ています。虚空蔵菩薩と称されていますが、左手に水瓶を持つのは本来は観音菩薩ではないだろうか。この二
体はボクなどでも知ってる止利仏師集団の作ではないかな、こちらも法隆寺の一連の作によく似ている感じがします。

講堂ステージには上記三体の外に重文仏を含む五体、計八体のオンステージは実に見応えがあります。




▼境内にザクロの実がなっていましたがまだまだ固いです。






▼鐘楼。






▼妙見堂。格天井には星が描かれ、天井全体が星曼荼羅を構成してるそうです。
 本尊妙見菩薩(秘仏)。北極星が仏格化された仏で普く願いをお聞きしてくれる諸願成就の仏様だそうです。






▼妙見堂扁額。堂々とした揮毫ですネ。






▼正面から見てみました。






▼地蔵堂。一間四方宝形造、本瓦葺。江戸期建立。






        ▼お地蔵さん。鎌倉末刻。






▼境内の片隅に、礎石が並んでいます。宝篋印塔のなれの果ても。






▼夏を惜しむかのように庫裏前の白百日紅、健気にもまだ咲いてます。






▼御朱印です。講堂の尼僧さんが書いてくれました。達筆です。






この斑鳩の地での聖徳太子一族の悲運は山背大兄の滅亡でその幕を閉じ、1400年近くの時の流れは、往時の人々の葛藤
と悲しみをうたかたの夢として、太子哲学と大伽藍群、そして数多くの仏像を残して、消え去った。
ボクはこの斑鳩の地を巡るたびに、明日香の明るさに比べ、なぜかどんよりした心の一点が拭えない暗さを感じるんです。
権力の浮沈はいつの時代にもあることですが、傑出した偉大な英雄の喪失はこの斑鳩の地の空気感すらも変えてしまった
んでしょうか。

斑鳩町の皆さん、こんな暗い印象を持ちましてスンマセンね! ボクだけの印象なんでお許しを。





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浄願寺、癒しの庭は、グーですよ!

2015年09月11日 | 奈良の古寺巡り




(2015.09.05訪問)


九品寺から帰途、葛城古道から山麓公園の山手細道をウロウロと大和路号が走っていると思ってください。
ちょうど県道254号を北に向かっていると「浄願寺」の標識がいくつも目につきました。県道から山手の細い細い曲が
りくねった道を行くと左手に立派な石垣の石段奥に山門が控えているではありませんか。
ワオ! 凄そうなお寺、これは訪ねなきゃ、と云うことで山門を潜った訳であります。




▼参道石段前は非常に狭い道です。






[ 浄願寺 ]
●山号 布施山(ふせさん)
●寺号 浄願寺(じょうがんじ)
●宗派 浄土宗(じょうどしゅう)
●開山 伝 行基(ぎょうき)
●開創 不祥
●本尊 阿弥陀如来立像
▲拝観料 境内自由  癒しの庭園入場料 500円 無料駐車場あります。  
▲拝観時間 8:00~17:00
▲奈良県葛城市寺口1170 電話0745-69-5601
▲ 近鉄南大阪線「高田市駅」下車 タクシー約10分。
  近鉄御所線「新庄駅」下車 タクシー約7分




        ▼寺号石標。






浄願寺縁起 (浄願寺HPから抄出)
奈良時代の僧、行基菩薩によって開山された、浄土宗「布施山 浄願寺」は、昔から修験道の聖地として知られる葛城
山の麓にあり、一千二百有余年の長い歴史と共に「子宝に霊験あらたか」な古寺、通称「子授け寺」としてその名を全
国に知られている。その昔、子宝に恵まれなかった文徳天皇が当寺を訪れて祈願したところ、めでたく世継の清和天皇
に恵まれたと伝えられるところから、文徳天皇ゆかりの「子授け寺」として今日に受け継がれ、御本尊の阿弥陀如来も
上記のような由来から別名「子宝如来」とも呼ばれている。




▼山門。






▼スグ左手に鐘楼。






▼本堂。本尊阿弥陀如来立像 別名 子宝如来。
 子宝に恵まれなかった文徳天皇が当寺にお参り祈願したところ、世継の清和天皇を授かったと伝えられ、全国から子
 授け祈願に訪れるご夫婦が非常に多いらしいです。
 子授け祈願や檀家の方以外は本堂には入堂できないようでした。






        ▼本堂前に子授け地蔵がお立ちです。






▼境内南側、東に大和三山が望める庭園があります。






        ▼踏み石を渡ると茶室和順庵へ。





癒しの庭を歩いてみましょうか。

(浄願寺癒しの庭パンフから抄出)
本堂、庫裡など老朽化と狹謚のため、2020年を目処に本堂、客殿、庫裡、庭園など諸施設をこの地に遷寺し、新しく至
宝山浄願寺として建設工事が進行中です。仏教の根幹を成す教え「六道輪廻」を中心に設計された庭園、四季折々の花と
樹木で回遊式の「癒しの庭」が完成しましたので、一般公開をすることに致しました。
と云うのが、癒しの庭のコンセプトです。

▼癒しの庭の山門、三学の門。






        ▼門を潜ると正面の知足観世音菩薩立像が迎えてくれます。






▼鬼門除け三尊石。中央弥陀石、右観音石、左勢至石。






▼喜門坂を上りますと、






▼蓮ロードの向こうに歓喜門が見えます。






▼地獄道や、






▼人間道を通り、






▼往生橋の下を行って、






▼修羅洞を潜ると、






▼黄色の彼岸花が一輪。






▼東を見ると大和国中(くんなか)葛城市から御所市にかけてパーッと開けます。



癒しの庭の写真は少ないですが、実際は回遊路を巡ると、今は花色は無く、巨石や岩ばかりが目立ちますが、上手く
高低差を利用し、樹木や花株も豊富で、シーズン毎の彩りはさぞやの感じ。各所に仏教用語が名付けられ、26ものポイ
ントを巡るようになっています。




▼御朱印です。






このお寺、旧村落の檀家寺のようで、本堂と庫裡、納骨堂が建ち、チョットしたお庭だけの決して広くない境内ですが、
文徳天皇ゆかり「子授け寺」として有名なお寺で、その名を全国に馳せているそうです。
そして山手道路を隔てたところに広大な回遊式の「癒しの庭」を展開、将来はこちらに遷寺するそうで、相当立派なお寺
になるんでしょうネ。小さなお寺でも、強力な檀那衆がおられるんでしょうキット。
 




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