土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

中山寺、西国札所は今日も賑わっていました。

2017年09月27日 | 兵庫の古寺巡り





(2017.09.24訪問)


お彼岸の墓参をかねて中山寺伽藍巡りに行ってまいりました。彼岸中日一日遅れの二十四日なんですが、なんと云っても中山さん、
西国第二十四番札所とともに子授け、安産祈願、お礼参りと、ご利益大の聞こえめでたく、若いご夫婦、赤ちゃん連れのご夫婦など、
そして墓参の方々でまだまだ結構な人出でした。





▼阪急中山観音駅を出るとスグお寺への参道。お正月の賑わいはないようで。







[ 中山寺 ]
●山号 紫雲山 (しうんざん)
●寺号 中山寺 (なかやまでら)
●宗派 真言宗 (しんごんしゅう) 中山寺派大本山
●開創 伝 推古天皇時代 (593~628年)
●開基 伝 聖徳太子
●本尊 十一面観音菩薩立像
▲拝観 境内自由 朱印300円
▲時間 自由
▲http://www.nakayamadera.or.jp 
▲兵庫県宝塚市中山寺2丁目11-1 Tel.0797-87-0024
▲西国三十三カ所観音霊場第二十四番札所
▲阪急宝塚線「中山観音駅」下車 徒歩厄3分
 JR宝塚線「中山寺駅」駅下車 徒歩約10分





▼仁王門。三間一戸、重層楼門、入母屋造、本瓦葺。正保三年(1646年)徳川家光再建。







中山寺縁起 (中山寺HPより抄出)
中山寺は、聖徳太子の創建と伝えられ、わが国最初の観音霊場です。御本尊は十一面観世音菩薩で、古くより安産・求子の観音とし
て数多くの婦人より篤く信仰されてきました。御本尊は古代インドの勝鬘夫人が女人救済の悲願をこめて、自ら等身像を刻したこと
に由来する尊像と伝わり、人々の正しい願いを聞き入れて、憂いや苦しみを取り除き、心の畏れのない境地を与えられるご本尊本来
の願いを、その両手にあらわされているお姿であり、平安初期のすぐれた尊像です。皇室の崇信もあつく、源頼朝をはじめ武家、庶
民にも深く信仰されていました。豊臣秀吉は当山に祈願して秀頼を授かり、秀吉亡き後、秀頼は片桐且元に命じ伽藍再建をしました。
これが現在の伽藍です。





▼仁王門扁額。寺号は金色なんですが、カメラが悪いのか腕が悪いのか?







▼仁王門両脇をしめる右阿形金剛力士。







▼左吽形金剛力士。







▼仁王門から一直線の参道。両側には塔頭寺院が甍を並べています。







▼芙蓉シーズンの時は綺麗なんですが、すでに葉っぱだけです。







▼この石段を上ると伽藍広場ですが殆どの人は例外なく右にあるエスカレーターへ。







▼エスカレーター真ん前に五百羅漢堂。方三間、宝形造、本瓦葺。







▼名前の通り本尊左右に羅漢さんがイッパイ。五百じゃなくて八百の羅漢さんが居るそうです。







▼右側の羅漢群。







▼左右に迦葉さんと阿難さんを従えた本尊宝冠釈迦如来。







▼左側の羅漢群。







▼鐘楼。







▼寿老人堂。







            ▼七福神のお一人寿老人が本尊ですが、後ろのお地蔵さんが妙に目立っていませんか。







▼大黒堂。







▼大黒堂の須弥壇。大黒さんと左に千手観音立像が。







▼大黒さんお顔アップ。ほっぺ下の耳たぶ、これを福耳と云ふ。







▼閻魔堂。







▼色とりどり賑やかな地獄の入口!







▼閻魔大王。







▼本堂です。慶長八年 (1603年) 豊臣秀頼が再建。







▼香台の紫煙。







▼本堂お参りの人々。







▼本堂扁額。







▼内陣中央のお厨子内に本尊十一面さん(秘仏)が祀られています。







▼軒のカラフル彩色。







▼護摩堂。慶長八年 (1603年) 豊臣秀頼が再建。







▼五大尊と書かれた護摩堂扁額。五大尊とは五大明王のことです。







▼須弥壇中央に本尊不動明王、左右二体づつ明王さんが五体並んでいます。







▼開山堂。聖徳太子が祀られています。方三間、寄棟造、本瓦葺。







▼聖徳太子と書かれた扁額。







▼阿弥陀堂。このお堂からはいつも読経の声が聞こえてきます。







高台のエリアに行ってみましょう。

▼大願塔(多宝塔)への参道石段。左石垣に塔が建っています。







▼大願塔(多宝塔)。一層目は祈祷室で安産祈願、地下層は位牌室になってるそうです。







▼中山寺鎮守社、えべっさん(恵比寿神)を祀ってます。

 





▼子授け地蔵堂。このお堂もお参りの人の絶えることはないみたいです。







            ▼建立一年未満、ほやほやの五重塔。ア〜ア青空がほしい。









            青空の中の五重塔の写真も見て下さい。http://blog.goo.ne.jp/mrslim2/d/20170104





▼五重塔扁額。塔色紺はこの紺色が近いです。







▼お堂最後は空海さんを祀る大師堂です。どこか堂形が軽薄、空海さんの重みを感じないのはボクだけか。







▼大師堂中央戸口。







▼大師堂須弥壇。







▼ヤッパリ〆は空海さん。眼の表情が半端じゃないですネ。







▼五重塔を遠望して中山寺お暇です。







ナニを隠そう中山寺は我が家の菩提寺、しかしボクは本尊十一面さんに一度もお会いしたことがないんです。
かれこれ半世紀以上年3〜5回はお参りに来ているんですが、毎月18日の開帳日には来たことがないんですネこれが。
仏像大好き人間としてはこれではいかん今年中に一度お会いするぞと云うのが今日の反省でありました。
中山寺 オ シ マ イ





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観心寺、大楠公にごアイサツ。

2017年09月14日 | 大阪の古寺巡り





(2017.09.09訪問)


願昭寺からR170を南へ河内長野からR310を東に走ると観心寺はスグ、約6キロの道のりです。
実は観心寺は今日の予定にはなく別のお寺を訪問予定、しかし新大和路号のナビもアホの系譜は続くようで、指示はすれども付近を
ウロウロ、一向に着かずのため急遽行先を観心寺に変更した次第でございます。アホナビもビッグ寺院はきっちりガイドします。
まったくイヤなやっちゃ!





▼門前の大楠公。大大阪人気 No.1の大スター武将楠木正成像。
 後醍醐天皇勅命で楠木正成が金堂改修。自身も報恩のため三重塔建立を誓願、しかし足利氏との湊川合戦で討死。三重塔建立は道
 半ばで挫折、現在建掛塔として境内に残っています。正成の首級は当寺に届けられ、正成首塚として祀られているんです。







[ 観心寺 ]
●山号 檜尾山 (ひのおさん)
●寺号 観心寺 (かんしんじ)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●開創 弘仁六年 (815年)
●開山 弘法大師空海 (こうぼうだいしくうかい) 道興大師実恵 (どうこうだいしじちえ)
●本尊 如意輪観音菩薩坐像
▲拝観 300円 朱印300円
▲時間 9:00~17:00 
 毎年4月17日と18日は本尊御開帳日(午前10時から午後4時まで)につき、特別拝観料として700円 
▲大阪府河内長野市寺元475 Tel.0721(62)2134
▲南海高野線及び近鉄長野線「河内長野駅」から南海バス小深線「観心寺」下車
 タクシーは「河内長野駅」「三日市町駅」から





▼参道。奈良五条へ走るR310号沿いに観心寺はあります。







観心寺縁起 (観心寺 HPより抄出)
大宝元年 (701年) 役小角によって開かれ、初め雲心寺とよばれていた。その後、平安時代の大同三年 (808年) に弘法大師空海が当寺
を訪ねられた時、境内に北斗七星を勧請され、弘仁六年 (815年) 衆生の除厄のために本尊如意輪観音菩薩を刻まれて寺号を観心寺と
改称される。弘法大師は当寺を道興大師実恵に附属され、実恵は淳和天皇から伽藍建立を拝命、天長四年 (827年) より造営工事に着
手された。以後、当寺は国家安泰と厄除の祈願寺として、また高野山と奈良、京都の中宿として発展する。





            ▼山門手前に大寺号石柱。南朝史蹟と刻されています。







▼両脇を築地塀に囲まれた切り妻本瓦葺の四脚門。







▼簡素な扁額。遺跡 (ゆいせき) 本山と書かれています。







▼山門を入るとスグ右に後醍醐天皇の次に即位した後村上天皇の舊跡碑がヒッソリと建てられています。彷徨の天皇、後村上天皇が
 一時期このお寺を行宮にし、約十か月政務を執られたと伝えます。







▼参道です。







▼参道右に手水舎。







▼更に参道を進むと右手に、







▼訶梨帝母天堂 (重文)。観心寺の鎮守社。空海さんが勧請した春日造り檜皮葺きの鎮守堂。訶梨帝母 (鬼子母神) を祀っています。







▼参道前方に金堂が見えてきました。







▼金堂 (国宝)。本尊如意輪観音。七間四方、単層入母屋造、本瓦葺、三間向拝付。室町初期建立。和、禅、大仏様の折衷様式の大阪
 府下最古の国宝建造物です。







▼金堂前面、入堂口は三間。







▼金堂外陣。格子戸で内陣と仕切られています。







▼さてなんとか書かれた扁額でしょうか? 内陣長押に掛かっています。







▼金堂内陣。奥の須弥壇上にお厨子が三連、中央お厨子に本尊如意輪観音菩薩が祀られています。
 本尊御開帳は毎年4月17日~18日。行かれる方は人の多さを覚悟の上でどうぞ。







                   これを官能美と云わずしてなんと云う!

      ▼本尊如意輪観音菩薩 (国宝)。像高109.4cm、彩色六臂、栢の一木造ただし一部乾漆技法が併用、平安初期の作。
         これだけの像形を彫りながら名を残さなかった仏師は果たして、まさか空海さんじゃないやろネ。







            ▼どう思います、この表情。



            (上二点の本尊写真はネットからもらってきました)





▼金堂。







▼建掛塔 (重文)。正成さんも三重塔竣工を見たかったでしょうネ。







▼大日如来坐像が祀られています。







▼軒下の仕様。茅葺きを支える垂木は竹材を併用し、屋根裏は複雑な組様ですネ。







▼重厚な鐘楼。切妻造銅板葺きの屋根に、石組基壇木製袴腰が乗る初めて見る鐘楼です。







▼鐘楼の前に建つこれは経蔵か宝蔵か判りません、どちらかでしょう。







▼弁天堂。水草に埋まった小さい池の真ん中に可愛い弁天さんが祀られています。







▼阿弥陀堂。宝形造りの小さなお堂なんですが、堂内を覗くことは出来ません。







            ▼修行大師。







▼御影堂。空海さんをお祀りしています。方三間、宝形造、桟瓦葺、一間向拝付。







▼堂内お厨子の空海さん。きれいなお像、最近の作でしょうか。







▼行者堂。どこかの家の離れみたいで少々くたびれたお堂の印象。堂内を覗くことは出来ません。







▼本願堂。開山道興大師実恵上人を祀っていますが堂内を覗くことは出来ません。。方三間、宝形造、茅葺。







▼楠木正成首塚。楠公さんはここに眠ってるそうです。小さな五輪塔だけなんです。







▼道興大師廟。







▼後村上天皇檜尾陵への参道石段。今日は石段参拝遠慮させて頂きました。







●金堂方向へ戻って西のエリアへ行ってみましょう。

▼金堂前から山門の遠景。







▼牛滝堂。







▼牛滝堂内部。須弥壇にお厨子が置かれ、大威徳明王が本尊らしいのですが、お堂の性格は全く不詳。







デッカイ建物が西端にありました。前面外縁が吹き放しに八本の丸柱、ややエンタシス気味で唐招提寺金堂のようで非常に重厚なお
堂です。しかし観心寺1100年の歴史の重みに直接関わりのあるお堂ではないみたいですネ。


▼恩賜講堂。桁行6間、梁間7間、入母屋造、スレート葺。大規模な建物です。
 通常非公開。
 昭和三年 (1928年) 昭和天皇即位大礼にあたり、京都御苑内に造営された大饗宴場の一部を下賜され、昭和五年 (1930年)建立。
 内部は昭和建築の華麗な装飾を見ることが出来るそうですヨ。

 





▼恩賜講堂外縁吹き放し。







▼さてこれにて観心寺お暇です。最後に大楠公に一言ご挨拶!







▼御朱印です。







今日本尊如意輪さんは拝見出来ませんでしたが、あんなベッピンさんなら何度会ってもありがたい気持ちは変わらないでしょう。
しかしあのもの凄い人出を考えるとチョット……。

以前本尊開扉時に訪ねた時の印象。
昨年 (2009年のこと) 四月お厨子開扉のとき本尊如意輪観音菩薩座像を拝見しました。外陣から内陣お厨子へは少々距離があり、ご
本尊は約110cmの大きさなので肉眼では非常に見え辛く、終始双眼鏡を利用しました。写真で拝見するとおり往時の色彩は見事に残
り官能美は心をくすぐります。一説に嵯峨天皇の皇后、絶世の美女橘嘉智子 (檀林皇后) がモデルという説があるそうです。

観心寺 オ シ マ イ





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願昭寺、五重塔は平成の名塔。

2017年09月12日 | 大阪の古寺巡り





(2017.09.09訪問)


R170富田林付近を走っていると東の山懐に朱色鮮やかな五重塔が見えます。
あのお寺は何と思いつつ、寄りもせずいつも通過だけなんですが、たまたまある方のブログで願昭寺という新しいお寺で、人気のパ
ワースポットなんて書いてありましたので今日はそのお寺、願昭寺を目指しています。

八宗兼学真修教と云う仏教宗派をご存知でしょうか。ボクは全く知りませんでしたが、戦後設立の新宗教だそうで、南都六宗と天台
宗、真言宗を合わせた八宗兼学、特定の宗派に偏しない教えを基本教義としている八宗兼学真修教の大本山、それが今日訪ねる願昭
寺なんです。





            ▼R170号から見えていた五重塔はこれです。
             富田林市で一番高い山金胎寺山標高296.2mの中程標高169mに建つ五重塔。







            [ 願昭寺 ]
            ●山号 浄心山 (じょうしんざん)
            ●寺号 願昭寺 (がんしょうじ)
            ●宗派 真言宗系 八宗兼学真修教 (はっしゅうけんがくしんしゅうきょう)
            ●開教 浄心、智信の弟姉 (じょうしん、ちしん)
            ●開創 昭和十六年 (1941年)
            ●開山 昭和二十七年 (1952年) 願昭大和上、浄心大法尼
            ●本尊 目白不動尊立像
            ▲拝観 境内自由  
            ▲大阪府富田林市伏見堂953 Tel.0721-35-5751
            ▲近鉄長野線「汐の宮駅」から徒歩15分





▼境内入口に、まだ行き場のない仁王さん。囚われの身のようなチョット気の毒な感じ。







▼現代仏師の作でしょう、よく出来ていて迫力満点の阿形仁王さん。







▼左に吽形仁王さん。早いこと仁王門が欲しいと云ってましたヨ。







            ▼五重塔。目立ちすぎるほど目立つ、朱色が青空に鮮やかに映え過ぎてます。
             塔高37.27m、平成二十三年 (2011年) 竣工。
             国内の五重塔では10番目の高さで大阪府内では唯一となる木造五重塔。







▼五重塔初層の前面。金色の金具がまだまだ映えてます。







            ▼五重塔。







            ▼五重塔相輪。高さ10.3m。







▼鐘楼堂。四隅の基礎柱に柱間二本の補助柱で重厚な屋根を支える豪快な鐘楼です。
 十二本柱、入母屋造、本瓦葺、総欅造。







▼全国規模4位という大きな梵鐘で重量12トン、高さは2mくらいありそうです。







▼重厚感はこの角度の方が出てますネ。







▼コレまたデカイ本堂。真言宗系寺院では戦後最大規模らしいです。
 桁裄五間、梁間四間、入母屋造、銅板葺、三間向拝付。







▼前面三間の入口。







▼山号が書かれた扁額。







▼本堂外陣風景。びんずるさんとか風神雷神さんとか観音さんが適当に置かれ祀られています。内陣とは障子で仕切られています。







▼一段上がった奥内陣。







▼大きな本尊を中心の須弥壇。







▼本尊目白不動尊。お目目ぱっちり、像高3mくらいありそう、樹齢八百年の樟の一刀彫とはコレまた凄い彫像です。







▼手の混んだ豪華な天蓋。







▼本堂。







▼無風快晴。







▼手水舎。







▼手水舎の水口。これは鳳凰のかたわれ or 不死鳥?







▼護摩堂。前方に護摩壇があるのですが、不思議なことに直線上じゃないんです。
 全く不思議なお寺で、お堂のカラーが統一されてません。このお堂は白基調。













▼境内。







▼境内南端にお地蔵さん大デレゲーション。







▼中尊子安地蔵尊を中心に左右相当な数のお地蔵さんです。







▼開山堂。開山願昭大和上をお祀り。方三間宝形造、本瓦葺、一間向拝付。
 このお堂、全く目立たない、庫裡建物の裏手にポツンと建てられています。







▼開山堂扁額。揮毫は懐かしいお名前が、数代前の大阪府知事です。







▼開山堂。







▼境内西端の小高い所に八大竜王が祀られています。







            ▼色彩豊かなお不動さん。







▼緋 (正しくは衣偏に非) 袍大明神への入口。立派な石鳥居が建てられています。鎮守社かな。
 緋袍大明神って?







▼こんな山道に鳥居のトンネルが続き……、







▼あの上にあるお社まで続きますので、テッペンまで行くのはご遠慮しました。







▼庫裡です。インターフォンでお寺ガイドと朱印をお願いしたらたらウチはやってません!
 ケンホロの対応でこのお寺、詳細内容はサッパリ分りません。







各お堂はそれなりに完成しているようですが、伽藍配置など従来の形式にとらわれない配置、言葉を変えればバラバラ、仁王さんは
出来ているが仁王門はない、境内くくりの土塀もない、まだ完成寺院ではないように思える願昭寺でした。
それにしても五重塔は立派なものです。500年1000年先には、キット平成の名塔と評価されるでしょう。

※お寺のガイドなどないため、記載の数字や内容などはウィキを参照、五重塔の各数字は建設会社の数字を参照しています。

願昭寺これにて オ シ マ イ
次に訪ねるのは正真正銘あの名刹です。







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青蓮寺、菟田野日張山山中に在る尼寺です。

2017年09月05日 | 奈良の古寺巡り






(2017.09.02訪問)


新大和路号は正真正銘大和路を走っています。やがて刈り入れの稲穂が揺れている久々の大和路は長閑です。
R166を南へ途中青蓮寺への道しるべ、左折してしばらく走ると一転山中へと道は向います。中将姫の伝説で著名な日張山青蓮寺は山
の中。標高595メートルの日張山中腹に青蓮寺は在ります。対向車の通行を許さない狭く急坂、急カーブ、まあ凄い山道です。うっ蒼
とした杉木立の間を行くと、やがて目の前にぽっかりと空の見える所、視界がグッと広がりまるで浄土世界がそこに在るように境内が
広がっています。





▼日張山への道半ば、石仏などが祀られ、余裕の道に見えるでしょうネ。
 この道が曲者、だんだんと対向車の通行を許さないくらい道幅が狭くなりそのうえ急坂、まあ凄〜い山道となります。







[ 青蓮寺 ]
●山号 日張山 (ひばりやま)
●院号 成就院 (じょうじゅいん)
●寺号 青蓮寺 (せいれんじ)
●宗派 浄土宗 (じょうどしゅう) 尼寺
●開基 中将姫 (ちゅうじょうひめ)
●開創 天平宝字九年 (765年)
●本尊 阿弥陀如来坐像
▲拝観 境内自由 朱印300円 
▲時間 6:00~17:00  
▲奈良県宇陀市菟田野宇賀志1439 0745-84-2455
▲http://web1.kcn.jp/seirenji/
▲近鉄大阪線「榛原駅」から奈良交通バス「菟田野行き」「東吉野役場行き」で「松井橋」下車徒歩約4km





▼何者かよく判らないお二人。







青蓮寺縁起 (青蓮寺HPより抄出)
奈良朝右大臣藤原豊成の息女、中将姫が継母のざん言によって十四歳でこの山に配流、武士松井嘉籐太に助けられ、ここに草庵を結
び、閑居練行二年六月ひたすら念仏三昧の生活をおくられた。そのうち父君が遊猟に来られ、不思議に再開を得て奈良の都に帰館さ
れたが、菩提の志止みがたく遂に当麻寺に入りて出家剃髪の身となり法如尼と名のり、有名な当麻曼荼羅を感得、十九歳の夏再びこ
の山に登り、一宇の堂を建立、自らの影像と、嘉籐太夫婦の形像を自ら刻み安置、日張山青蓮寺と名づけ尼主の道場とされた由緒あ
る山寺である。尓来1200年の星霜を経て、幾多の変遷をまぬがれず、現今の堂宇は弘化四年(1847年)に再建建立。数々の遺物と嶺の
松風、渓の清流は昔ながらに中将姫の哀れにもゆかしい物語を今日に伝えている。





▼その横にお地蔵さんが微笑んでます。







▼手水舎。どうもここからが参道のようです。
 先への道のしんどさを象徴するように、日張山用の杖、ご自由にお使い下さいと書かれてたくさんの杖が用意されていました。







▼無常橋がかかっています。この辺りは宇賀志川の源流らしいです。







▼参道の先に山門が見えます。







▼山門。質素な山門の前に、青蓮寺の案内札が立てられています。







▼山門を潜ると石段の綺麗な参道が一直線。庫裡の屋根が見え出します。







▼青空が広がる境内、尼寺の何となく優しい香りが漂います。







▼青蓮寺の本堂開山堂。中将姫をお祀りしています。
 冬場の雪が相当深いらしく銅板葺きの屋根の傾斜はかなりのものです。
 桁裄三間、梁間四間、寄棟造、銅板及び桟瓦葺、一間向拝付。弘化四年 (1847年) 再建。
 縁の欄干のみ朱色、少しばかリ異形の感あり。







▼頂いた古い絵はがきの本堂、トップ屋根は茅葺ですネ。
 前庭もかなり違い、キャプションも右横書き、字体も古字が含まれ、住所表示も古い、何時頃の写真でしょうネ?







▼寺号が書かれた扁額。







▼内陣の設え。中央須弥壇奥のお厨子に中将姫が祀られています。







            ▼この方が中将姫。姫自らが手彫りしたお像と伝わるそうです。







            ▼當麻曼荼羅。中将姫が当麻寺に入り出家、この曼荼羅を織り感得、
             再び日張山に戻り青蓮寺を建立したという由緒があります。



             (曼荼羅写真はネットから)





▼中将姫が彫ったという松井嘉籐太夫妻の像。法如尼(中将姫)の弟子になった嘉籐太の妻静野(如春尼)へこの寺を与えられた。







▼松井嘉籐太と妻静野の墓。







▼本堂開山堂。







▼鐘楼。







▼梵鐘「無常の鐘」







▼阿弥陀堂。本尊阿弥陀如来坐像。桁裄三間、梁間四間、入母屋造、銅板葺、唐破風の一間向拝付。







▼頂いた古い絵はがきの阿弥陀堂、屋根はやはり茅葺ですネ。







▼阿弥陀堂扁額。阿弥陀仏殿と書かれています。







▼須弥壇上の本尊。







            ▼本尊阿弥陀如来坐像。
             像高1mくらい、全体のバランスも整い、躰部の金泥は非常に綺麗。
             ご住職曰く江戸初期くらいの作だそうです。







▼半眼の玉眼は細工が見事です。
 お顔の金箔剥がれは「私の仕業」とご住職、ついつい擦りすぎたそうです。勿体ない!







▼阿弥陀堂。







▼この石塔は墓標ではないそうで、何か記念石塔らしいです。







            ▼十三重石塔。黒御影石製、すこぶる高価そうですね。







            ▼何方か解りません、石像です。







▼庫裡前の小さな池。







▼庫裡です。こちらでご住職から御朱印を頂きました。
 このご住職 (勿論尼僧です) 話し好き、各お堂を案内説明し、お経まであげて頂きました。感謝合掌!







▼御朱印です。







創建1200年以上のお寺と伝わる青蓮寺は山寺と云う古寂びた感じはなく、尼寺と云う言葉の響きからでしょうか、どこか柔らかな優
しい雰囲気が漂っていました。ただ周辺環境はかなり厳しく、生活環境、日々の暮らしは大変な所、ご住職も「ここへは住めません、
私は毎日下からお弁当持って通っています」とのこと。それも立派な修行の一つ、しかしたった一人で尼僧としての修行はどんな感じ
なのか思い浮かぶことはボクには出来ませんでした。

青蓮寺これにて オ シ マ イ





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興正寺、お隣本願寺とは真宗兄弟のようです。

2017年09月01日 | 京都の古寺巡り





(2017.08.26訪問)


暑い暑いと云いつつ次は本願寺のお隣興正寺を訪ねます。親鸞さんを共に仰ぐ両寺はまるで兄弟寺院、北小路通りを挟んで堀川通を
隣同士で甍を並べる景観は、まるで一つのお寺のように感じます。いい関係なんでしょうネ。境内の広さや伽藍の数は本願寺に劣り
ますが、中心伽藍の御影堂や阿弥陀堂は決して見劣りはしません。内陣の荘厳などコレでもかと云うほど豪華絢爛、キンピカの極楽
浄土を見せてくれます。オー山門は楼門ですよ、凄い貫禄です。
それにしても暑い!





▼三門。三間三戸の重層楼門、堂々の景観です。お寺ではあえて「三門」と云ってるようです。







            [ 興正寺 ]
            ●山号 圓頓山 (えんとんざん)
            ●院号 華園院(けおんいん)
            ●寺号 興正寺 (こうしょうじ)
            ●宗派 浄土真宗興正派(じょうどしんしゅうこうしょうは) 本山
            ●宗祖 伝 親鸞上人(しんらんしょうにん)
            ●開創 建暦二年(1212年) 異説あり
            ●本尊 阿弥陀如来立像
            ▲拝観 境内自由 
            ▲時間 6:00~17:00  
            ▲京都市下京区堀川通七条上ル花園町70 電話 075-371-0075
            ▲http://www.koshoji.or.jp/
            ▲JR京都駅から市バス9番、28番、75番で「七条堀河」「西本願寺前」下車スグ
             JR京都駅から徒歩10分〜15分 





            ▼三門前に建つ寺号石標。







興正寺縁起 (興正寺 HPより抄出)
興正寺の寺号は、日本に仏教をひろめた聖徳太子の事績にちなみ「正しい法を興しさかえさす」との意味が込められています。
創建
は鎌倉時代山科に建立、創建後数年を経て山科から東山渋谷へと移転、その時ご本尊が光を放ったことから、後醍醐天皇より佛光寺
の寺号を賜り名を改めます。室町時代、蓮教上人は本願寺の蓮如上人と歩みを共にし、佛光寺を弟に譲り、再び山科の地に多くの門
徒と共に興正寺を興しました。その後は本願寺と歩調を合わせ、度重なる移転にも常に行動を同じくしています。桃山時代、現在の
地へ移転し、堂舎が隣接して建てられているのも本願寺との深い関係を示しています。多くの変遷を経ながらも「正しい法を興す」
という願いのもと興正寺の歩みは続けられています。





▼三門。この三門を見る限り相当大きなお寺を想像しますネ。







▼鐘楼。安永三年(1774年)建立。







▼手水舎。







▼御影堂。本尊宗祖親鸞聖人真影。お西さんと同じく「ごえいどう」と読みます。
 東西33m、南北41m、高さ28m。入母屋造、本瓦葺、三間向拝付、明治四十五年 (1912年) 再建。







▼御影堂外陣から内陣、内陣の中央に宗祖親鸞さんが祀られています。







▼内陣須弥壇。







▼内陣欄間に「見真」の扁額。見真は親鸞さんの大師号です。







▼お厨子の親鸞さん。親鸞聖人四十歳の真影と伝わるそうです。
 いつも思うんですが、殆どのお寺の本尊や宗祖のお顔、ハッキリ見えないように幕や房などを前に垂らしているんでしょうかネ。







▼屋根付き渡り廊下で結ばれる左御影堂、右阿弥陀堂。







▼阿弥陀堂。本尊阿弥陀如来立像。興正寺の本堂。
 重層屋根に見えますが一層目は裳階、入母屋造、本瓦葺、三間向拝付、大正四年 (1912年) 再建。







▼阿弥陀堂前面。







▼阿弥陀堂外陣。







▼外陣と内陣とは柵で仕切られ内陣には進入禁止。







▼内陣欄間七間の空間には阿弥陀浄土を天衣優雅になびかせ戯れ遊ぶ天女の姿が彫られています。







▼小鼓をたたく天女。







▼横笛を吹く天女。







▼須弥壇中央に本尊が祀られています。







▼本尊阿弥陀如来立像。こちら幕と瓔珞でお顔が見えません。

       





▼阿弥陀堂。







▼経蔵。嘉永元年(1848年)建立。基壇の上には御影石の欄干が付けられ豪華でユニークな堂形です。



という所で唐突に興正寺オシマイ
興正寺はスケール的には本願寺には及ばず、伽藍も御影堂と阿弥陀堂のみ。と云ってもれっきとした浄土真宗興正派本山、小さくと
も寺格は同じです。





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