土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

正樂寺、びわ湖百八霊場 湖南第百弐番霊場です。

2019年06月30日 | 滋賀の古寺巡り





(2019.06.22訪問)



東光寺から南へ約10キロ、来た道を引き返すことになりますが、行きがかり上引き返えします。これから訪ねる正樂寺は近くにJR栗
東駅がある街中寺、本堂と不動堂二つの東光寺と同様に小さなお寺です。このお寺にも本尊阿弥陀三尊が祀られているそうで、今日
の阿弥陀三尊巡り第二弾として湖南第百弐番霊場を訪ねてみます。




▼山門。







[ 正樂寺 ]
●山号 碧雲山(へきうんざん)
●院号 霊仙院 (れいせんいん) 
●寺号 正樂寺(しょうらくじ)
●宗派 真言宗勧修寺派 (しんごんしゅうかじゅうじは)
●開創 不詳
●中興 実應僧正 享保18年(1732年)
●本尊 阿弥陀三尊
▲滋賀県栗東市霊仙寺6-3-1 077-554-9548
▲びわこ百八霊場湖南第百二番霊場
▲拝観料 境内自由
▲拝観時間 9:00~16:00
▲JR琵琶湖線「栗東」駅西口より、徒歩約8分
 名神高速道「栗東」ICから約10分




正樂寺由緒
この地にかつて天台宗の霊仙寺という巨刹があったといわれ、正樂寺の建つ今の場所は塔頭の一つである霊仙坊の跡とも言われる。
創建当時はここではなく、野洲市の山賀村にあったが元亀年間(1570~1572年)の火災で消失し、その後仮堂に仏像を安置してい
たが、その後、亨保十八年(1732年)に僧実應により現在の地に移築された。





            ▼山門木札。







            ▼正樂寺ガイド。







▼全面に彫刻が施された味のある小さな鐘楼。







▼全体に黄金を纏った味があり過ぎの梵鐘。







▼小さくて簡素な本堂。桁行三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、1間向拝付。

 





▼珍しや楕円の本堂扁額。

 





▼本尊阿弥陀三尊像。左右に観音勢至菩薩を従えた、阿弥陀三尊の見本のような貫禄です。







▼本尊阿弥陀さん。まさに瞑想中のお顔、見事に金箔が残っていますネ。







            ▼少々危なかっしい石塔。







▼不動堂。小さな金剛力士が中央戸口を護っています。







▼内陣中央須弥壇上に二童子を従え、火焔を背負うお不動さん。     













▼霊仙三蔵御姿像。
 この正樂寺に縁ある「霊仙三蔵」は日本人で唯一、三蔵法師の称号を贈られた方です。霊仙は弘法大師空海や伝教大師最澄らと共
 に、遣唐使船で中国に渡っ た僧侶の一人でした。霊仙は、留学僧の任期である二十年間余り、中国に留まって仏教の研鑽に励まれ
 たのです。霊仙は三蔵法師の称号を中国皇帝より贈られ、日本人でその称を得た唯一の栄誉ある僧となったのです。
 何故この正樂寺境内に霊仙の像があるのか、正樂寺に縁ある霊仙という方と正樂寺との関わりがもう一つハッキリしません。どん
 な縁があるんでしょうネ。







▼石塔や石仏が少々無造作に置かれています。







▼新しい石塔。







         ▼ご朱印です。






正樂寺は先の東光寺同様ごく小さなお寺です。こんな小さなお寺にも立派な阿弥陀三尊と二童子を従えたお不動さんが毅然と祀られ、
訪れる人々の心を癒してくれているのでしょうネ。
「お参りは心の洗濯です。折にふれお参りいただき、心のご修業を積み、人の誠を行じて下さい。  合掌」
正樂寺ご住職の言葉です。


東光寺、湖南第廿六番霊場。

2019年06月25日 | 滋賀の古寺巡り





(2019.06.22訪問)


迷車大和路号は今日も大阪から東へ名神行脚、栗東目指して走っています。栗東ICが近ずくにつれて正面に近江富士の優美な山容が
近づいて来ます。その昔俵藤太が大ムカデ退治をしたというお話で有名なあの三上山です。栗東ICでおりR8号から県道11号を北上、
中途R477号を右へ約2キロで目指す東光寺に到着です。東光寺には平安後期作と云われる本尊阿弥陀三尊が祀られているそうで、今
日はその三尊と会うためにやって来た次第であります。





          ▼山門横に立つ寺石標。







          [ 東光寺 ]
          ●山号 日照山(にっしょうざん) 
          ●寺号 東光寺(とうこうじ)
          ●宗派 天台真盛宗 (てんだいしんせいしゅう)
          ●開創 不詳
          ●中興 真慧上人 (しんえしょうにん) 永正六年(1509年)
          ●本尊 阿弥陀如来座像
          ▲滋賀県守山市幸津川町1189 ☎077-585-2222
          ▲http://www.usennet.ne.jp/~tokoji/
          ▲拝観料 境内自由
          ▲名神高速「栗東IC」を右折、所要18分。
           国道8号線「辻」を左折し、地方線11号線へ。「洲本町」を右折し、「幸津川南」のバス停向かい
           JR琵琶湖線「野洲駅」から近江バス「幸津川南」下車、徒歩すぐ



東光寺の由緒は室町時代末の元亀二年(1571年)、江戸期嘉永六年(1853年)二度の天災で開基沿革は不詳ですが、総本山西教寺眞慧上
人 (三世) 永正六年 (1509年) に中興、現在天台真盛宗の末寺です。



▼山門。一間一戸、切妻造、桟瓦葺、袖塀、脇戸付きの薬医門形式。大正15年(1926年) 第29世木村哲忍上人により再建。







▼鐘楼。明治41年(1908年) 第26世台谷哲隆上人により再建。







▼地蔵堂。







▼本尊地蔵菩薩坐像。珍らしやお座りのお地蔵さん。







▼本堂。桁行七間、梁間五間、重層屋根、桟瓦葺、入母屋造、3間向拝付。安政5年(1858年)再建。

 





▼寺号が映える本堂扁額。

 





▼本堂。







▼下層正面の扁額。まったく読めません。







▼内陣欄間のカラフルな獅子や鳥の彫刻。







▼内陣正面の山号が書かれた扁額。







▼内陣中央須弥壇最奥に本尊阿弥陀さんがお坐りですが、あまりに奥過ぎてほとんどお顔、姿はおぼろです。
 残念ながら脇侍の観音勢至の両菩薩は見えないだけなのか御姿を確認する事は出来ませんでした。







          ▼阿弥陀如来座像。像高約50cm、一木造、平安時代後期。(本尊写真は東光寺HPから借用)







▼左脇壇。お厨子は閉められままですが、こちらには十一面さんが安置されてるそうです。







▼右脇壇。中興の真慧上人だと思われます。







▼境内に咲く大振りの白い花。







▼六地蔵や







           ▼子安お地蔵さんにご挨拶して東光寺 オ シ マ イ







▼こんな花も咲いてました。ピンクの可愛い花です。






ものの10分で拝観オシマイという本堂と地蔵堂二つの小さなお寺。しかし小粒でもピリリを地で行くお寺でもあります。
特に小さな地蔵堂に安置されている本尊のお地蔵さん、地域の住民の皆さんには絶大な人気を誇るお地蔵さんらしく、なかなかユニ
ークでまんまるお顔で左手に宝珠、右手に錫杖、ここまでは普通の御姿、ただ座っているのが数少ない例。お地蔵さんも立ちっぱな
しではしんどいもんネ。今日の主目的は果たせませんでしたが、このお地蔵さんに免じて良しとするか。


金鳳山正法寺、優しいお釈迦さんに会えますヨ。

2019年06月17日 | 岐阜の古寺巡り





(2019.06.08訪問)


両界山横蔵寺から岐阜市内に戻り日本三大仏の一つ、岐阜大仏の黄檗宗金鳳山正法寺を訪ねます。岐阜大仏が余りに有名なので、
さぞやの大寺と思い込んでの訪問は大仏殿一つのお寺でした。お寺は小さくても気宇壮大なお釈迦さんがおられます。この地で
黄檗宗のお寺があるというのも新しい発見でした。





            ▼大仏殿と呼ばれている本堂一つの大きくて小さなお寺です。







            [ 正法寺 ]
            ●山号 金鳳山(きんぽうざん) 
            ●寺号 正法寺(しょうぽうじ)
            ●宗派 黄檗宗 (おうばくしゅう)
            ●開山 千呆禅師 (せんがいぜんじ)
            ●開基 天和三年 (1683年)
            ●本尊 釈迦如来坐像 (岐阜大仏)
            ▲岐阜市大仏町8番地 TEL.058-264-2760
            ▲拝観料 200円
            ▲岐阜駅より岐阜バスで岐阜公園方面行きバスで「岐阜公園歴史博物館前」バス停下車徒歩5分。





▼本堂。境内唯一のお堂、江戸時代後期に建てられた三層構造、およそお寺の建物とは思えない重厚な堂形をしています。







▼扁額には獅子窟と書かれているのかな、ハッキリ言って読めません。







 簡素な堂内には、主役が見た目イッパイにお坐りです。

▼この方が日本三大仏の一つ岐阜大仏。穏やかないいお顔をされてますネ。 
 この大仏は木材で骨格を組み、その上に竹を編んで粘土を塗り、お経を書いた紙を張って、漆を施し、金箔を置いた「乾漆仏」
 と呼ばれる仏様で、乾漆仏としては日本一の大きさ。簡素な堂内には、主役が見た目イッパイにお坐りです。
 お堂の引きが狭いので、ほとんど見上げるカットばかりになります。

    





▼像高13.63m、顔の長さ3.63m、眼の幅0.66m、耳の長さ2.12m、鼻の高さ0.36m、口の幅0.70m。 

  





▼寛政六年(1794年)から天保三年(1832年)まで38年を費やして完成したと伝えられています。  







 





▼穏やかで優しいお顔を見上げるとホッとします。  







▼堂内周囲には百数体の羅漢さんが色々な表情で並んでいます。江戸中期の造像。







                ▼裏堂には天国と地獄絵図の軸が掛けられています。   













▼本堂正面です。







▼青空と宝篋印塔。







▼境内で妙にこの黄花が目立っていました。







▼ご朱印です。







さすがに像高13m超えのお釈迦さんは迫力半端じゃありません。やや俯き加減のやさしいお顔を参拝者に向け、「ようお参りじゃ
感心々々」と言われているような錯覚さえ受けます。ほんに暖かみのあるお釈迦さん、皆さんも一度お会いになってみては。

正法寺、オ シ マ イ 。

横蔵寺、伝教大師最澄ゆかりの古刹。よこくらじと読みます。

2019年06月11日 | 岐阜の古寺巡り





(2019.06.08訪問)


久々の岐阜遠征、揖斐川町谷汲に法灯を灯す両界山横蔵寺と岐阜市の岐阜大仏金鳳山正法寺を訪ねます。
先ずは横蔵寺を訪ねましょう。大阪から名神をひとっ走り、名神関ヶ原からR303号に入り北上、途中揖斐川沿いの道は中々の風情、
初夏の心地よい川風と共に迷車大和路号は軽快な走り、じゃなく、いつもながらのチンタラ走りで横蔵寺へヨタヨタとまっしぐら、
ようやく30キロほど走ると第一目的の横蔵寺に到着です。





▼駐車場から見える真っ赤な橋、医王橋です。







[ 横蔵寺 ]
●山号 両界山(りょうかいざん) 
●寺号 横蔵寺(よこくらじ)
●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
●開山 伝教大師最澄 (でんきょうだいしさいちょう)
●延暦20年 (801年)
●本尊 薬師如来坐像 (秘仏・重文) 60年に一度開扉
▲岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原1160 TEL.0585-55-2811
▲拝観料 境内自由 宝物殿と舎利堂 500円
▲拝観時間 10時00分~16時00分(宝物殿と舎利堂のみ)
▲JR東海道本線「大垣駅」から樽見鉄道「谷汲口駅」下車 揖斐川町コミュニティバス(名阪近鉄バス)谷汲行き
「谷汲山」下車→揖斐川町コミュニティバス(名阪近鉄バス)横蔵線終点下車すぐ
 名神高速大垣ICから国道258、21、417、303号経由、乙原トンネルより県道40号にて約70分





▼こんな小川が流れています。







▼雰囲気がいよいよ濃くなって来る参道石段。







            ▼堂々の寺号石標。







▼医王橋を渡って境内へ。







▼重層仁王門。楼門、三間一戸、檜皮葺、上層は鐘楼を兼ねています。延宝三年(1675年)建立。







▼仁王門の偏額。情なやまったく読むことが出来ません。







            ▼三重塔。姿形共すぐれた塔です。方三間、檜皮葺、寛文3年(1663年)建立。







▼三重塔初層の組み物。







▼本堂側面です。全景撮り忘れのお粗末でした。方五間、入母屋造、檜皮葺、寛文11年(1671年)建立。







▼正面鰐口と貼りまくられている千社札。







▼本堂内陣。







            ▼本堂前には本尊の大きな幟。







▼このお堂正体不明。







▼観音堂。方三間、入母屋造、檜皮葺、一間向拝付。







▼これまた味のある扁額が掛かっています。







▼観音堂内。奥のお厨子に本尊観音菩薩がお立ちです。







▼舎利堂。







▼舎利堂内陣。見えるでしょうか、奥のお厨子には妙心上人の舎利仏(ミイラ)が安置されています。







▼石垣に囲まれて……、







▼寺門が中へと誘います。







▼石垣の苔もいい味をだしてますネ。







▼門を潜ると正面に客殿の立派な玄関が……。







▼宝蔵も緑に埋もれて。







▼正体不明の石室。







            ▼最後に立派な法華塔にご挨拶をして横蔵寺を辞しました。






        舎利仏一考!
        妙心上人の人となりは不明ですが、その舎利仏が今に残り、そのままの姿を見ることが出来ます。
        妙心上人もご自分のミイラ姿を人目に晒すなんて彼の地からどんな思いで眺めているんでしょうネ。
 
        このお寺、今に残る寺構えからして、寺格の高さと寺勢華やかりし頃の姿が彷彿とするお寺でした。
        横蔵寺、オ シ マ イ 。