土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

伍拾弐週の〆はヤッパリ東大寺。

2012年12月31日 | 奈良の古寺巡り


(2012.12.29訪問)


▼何度訪ねても、魅力が尽きません。



▼久々の早起きと言っても着いたのは八時少し前なんですが、



▼人より鹿の方が多い。



▼おはよう、おはようございます、返してくれましたよ、きっと賢い男前六人組。



▼せんべいくれな通さへんで。



▼かろうじて、南大門を抜けイザ大仏さんに会いに。



▼青空が見えだしました。このお寺の色つき建物は結構珍しいのです。



▼このお二人にまずご挨拶。



▼世界遺産の象徴。



▼広大無辺の慈悲をよろしくお願いします。



▼しっかりと脇を固めた、虚空さんと如意輪さん。



▼そして広目さんと多聞さん。あとのお二人は休憩中なんだそうです。



▼発見!虚空さんの光背裏の紫雲。



▼この大仏様(だいぶつよう)が、



▼この大きな屋根を支えています。俊乗さんのおかげです。



▼天女が奏でる天音の調べが静かな境内に流れているようです。



▼天音に送られて今年の古寺巡りはこれでオシマイ!



先ほどから紅白が始まりました。あと4時間少々で巳年元旦!
ハッピーニューイヤーとなることを祈って、皆さん希望を捨てないでね。

多くの皆様にこの変なブログにおつき合いいただきありがとうございました。
それではまた明年!!



九品寺は石仏のお寺です。

2012年12月19日 | 奈良の古寺巡り


(2012.12.16訪問)

久々の葛城古道を走っています。桜の時期に一度訪ねた千体地蔵の九品寺へ向かいます。
一説によれば、大和朝廷よりも古く、この一帯を支配していたと云われる葛城一族、その葛城王朝夢の址、
葛城山麓は今も古寺古刹古社が点在し、行基さんや役行者が活躍した古は戒那千坊と称されるほどの寺々が
甍を並べたと云います。戒那千坊の一寺か、九品寺はそれはそれは綺麗なお寺です。

[ 九品寺 ]
●山号 戒那山(かいなさん)
●寺号 九品寺(くほんじ)
●宗派 浄土宗
●勅願 聖武天皇(しょうむてんのう)
●開基 行基(ぎょうき)
●開創 天平時代(729?749年)
●本尊 阿弥陀如来坐像(重文)

▼県道30号沿に建つ石標。左脇の道が九品寺へのアクセス、すぐソコ。




▼山門。




▼参道。冬枯れに負けない手入れの行き届いた境内は実に綺麗、清々しい空間です。




▼石段手前にも石標が。




▼清浄水と刻された手水鉢。




▼鐘楼。袴腰、切妻造、本瓦葺の立派な鐘楼。梵鐘は高1.8m、鋳造慶長十五年 (1610年)




▼地蔵堂。本尊地蔵菩薩立像。




▼本堂。桁行五間、梁行四間、入母屋造、本瓦葺、正面一間向拝付。明和五年 (1768年) 再建。
本尊 阿弥陀如来坐像(重文)。像高123cm、平安後期。



平成六年堂宇境内大修理が行われたと聞きました。
本尊以外観音菩薩や地蔵菩薩が祀られているそう、残念ながら入堂は出来ませんでした。


▼本堂扁額。




▼本堂前に行基さんの像が植栽に囲まれて、まるで説法をしているよう。




さて、このお寺を有名にしている境内裏山の千体地蔵を訪ねましょう。
境内には1700体を越える石仏が祀られているそうで、南北朝時代この地を支配していた楢原氏の兵が合戦寺
に身代わり仏として奉納したものと伝わるそうです。

▼本堂裏手の参道沿いに石仏が並べられています。相当風化しているのがうかがえます。




▼整然と並んでいます。なにか土止めのための感がしないでも。




▼曲がりくねった参道石段に秋の名残。




▼石段脇にも石仏が。




▼参道左手に本堂大屋根が真新しい幾何模様で迫ってきます。




▼本堂の甍越しに奈良盆地国中(くんなか)を望むと御所市街から橿原市街、大和三山が…。




▼散り忘れ楓が、冬枯れに色を添えているよう。




▼整然と並べられた石仏ピラミッド。斜面を切り取った観客席に阿弥陀さんとお地蔵さんを中心に石仏が並
び、見上げるボクたちはまるでプレーヤー、無数の目の注視では悪さはできませんネ。




▼階段にギッシリ。




▼ほとんどの石仏は目鼻顔立ちは風化のためかハッキリしません。



山門両脇に庭園「十徳園」が広がり、北側は西国三十三カ所の石仏観音、板東三十三カ所の石仏観音六十六
体が安置された霊場を再現しています。南側は一願不動尊を祀り、池泉回遊式の庭園が広がって、季節を主
張する楓や桜、ツツジが、植栽されています。

▼西国三十三カ所の石仏観音。




▼西国三十番札所、宝厳寺は琵琶湖を表す凹地に竹生島、ニクイ演出。




▼池泉回遊式の庭園への入り口。




▼池畔の丸く刈り込まれたツツジ、花咲く頃はさぞやでしょう。




▼池畔。




▼池畔。




▼ぽつんと傘形の灯籠。




▼やや奥まったところに矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)を従えた不動明王の石像
が睨みをきかせています。前には護摩壇が。




▼不動明王のアップです。




▼左、制多迦童子、右、矜羯羅童子。




▼駐車場横の広場にこんな灯籠が。マナコのように感じるのはボクだけですかネ。




▼その眼から覗いた御所市街。




▼初秋の頃彼岸花咲き乱れる空き地は、今はただの草茂る広っぱ。そこから見た大和三山です。
左耳成山、中央畝傍山、右香具山。



きっと、かの磐之媛も乱れる心の慰みをこのような高台から三山の景観を眺めていたんでしょうか。もっと
も父葛城襲津彦の屋敷はこの地よりもう少し南、高宮の地と伝わりますが。

▼カメラを南に向けると、まだ残りすすきが風に揺らいでいました。




▼帰りに見た二上山。この山麓を縫う竹内街道を大阪へ帰ります。




鹿王院は京都十刹第五の名刹です。

2012年12月13日 | 京都の古寺巡り


(2012.12.08訪問)

雨の中でも訪れる人の多い大覚寺から嵐電嵐山駅に向かいます。
さすが嵐山メインストリートは人、人、人、人、人。
雨はやんだようですが、寒すぎ、冷たすぎの中皆さん好きですね~。
ではでは鹿王院に向かいましょう。鹿王院駅は嵐山駅から二つ目、駅から5~6分で鹿王院。
そこはもう別世界、今、訪れる人も数人、紅葉彩なす頃はここも人で溢れると聞きました。

▼健気にも最後の赤を振り絞るように映える参道の楓。



[ 鹿王院 ]
●山号 覚雄山(かくゆうざん)
●寺号 宝幢禅寺 鹿王院 (ほうとうぜんじ ろくおういん)
●宗派 臨済宗単立
●開基 足利義満
●開山 春屋妙葩 (しゅんのくみょうは)
●開創 康暦二年(1380年)
●本尊 釈迦如来坐像

鹿王院縁起
足利三代将軍義満が康暦二年 (1380年)、二十四歳の時、延命祈願でこの地に建てた禅寺、覚雄山宝幢禅寺
鹿王院と称した。京都十刹第五の名刹です。

▼山門。
切妻造、本瓦葺、四脚門。覚雄山の扁額が架かります。室町時代初期。禅寺山門としては京都で建仁寺総門
につぐ古い遺構だそうです。




▼山門扁額。義満揮毫の覚雄山と書かれた扁額。




▼参道の残り紅葉。赤や橙、黄で埋まった空間も今やスケスケ、散りそめも、もう間もなくでしょう。




▼黄葉も最後の演出。




▼山門から一直線の先に建つ中門。




▼庫裡。




▼客殿。庫裡から廊下続きになっています。明治二十三年(1890) 再建。




▼客殿の前庭。右の屋根は舎利殿です。




▼本堂(向こう側)。裄梁三間、寄棟造、桟瓦葺。延宝四年 (1676年) 再建。




▼本堂内部。中央須弥壇に運慶作と伝えられている本尊釈迦如来坐像、左右に十大弟子が祀られています。




▼本堂須弥壇背面中央に弥勒菩薩坐像、右に鹿王院十一世賢渓玄倫和尚坐像、左鹿王院十二世虎岑玄竹和尚
坐像が祀られています。




▼当山開基の足利義満木造坐像。




▼本堂から舎利殿への渡り廊下。




▼舎利殿。裄梁三間、宝形造、桟瓦葺、二層に見えますが下層は裳階。宝暦十三年(1763年) 再建。



非常に重厚な扉を開けて入堂します。薄暗い異界に踏み込んだような一瞬の錯覚!暗闇の世界に目が慣れる
と中は天井が高く結構広い感じ、中央に須弥壇があり、周囲の壁面には十六羅漢図の軸が十六幅掛けられて
いますが新しいものだそうです。

▼舎利殿内陣。一間四方、内陣中央の須弥壇上に仏舎利を納めた多宝塔を安置。多宝塔屋根は四方同形の唐
破風造り。きらびやかな厨子風の多宝塔は周囲を四天王で固めています。




▼須弥壇の格子天井に彩色きれいに残る八角天蓋が吊るされ、その中央には昇竜が描かれています。各辺に
は豪華な垂飾が幽かに揺れています。




▼さよなら、とりどりの散り紅葉。




▼舎利殿横の宝物庫。密閉された土蔵のような印象の建物です。



ヒドイ写真ばかりでお恥ずかしい。
穴がなかったら掘りたい気持ち。カメラか、腕か、はたまた京の天気のせいでしょうか。



残り紅葉が精一杯頑張っている中、今頃になって青空が見えだしたじゃありませんか。
よってはらがたつので今日は帰ります。さいなら!


門跡寺院大覚寺は、心経写経の根本道場です。

2012年12月11日 | 京都の古寺巡り


(2012.12.08訪問)

嵐電嵐山に着き渡月橋へ、いままで橋景は撮ったことが無いもので北東川原で数カット、直後空にわかに怪
しく、いきなりバラバラと霰が降り出しました。その後霰が霙になりそして間もなくシトシト雨、今日一日
が思いやられますわ。にもメゲズに大覚寺に向かいます。

▼今朝の渡月橋。



今晩から嵐山花灯路が始まりますぇ。後ろの山と渡月橋がライトアップされて、川面に浮ぶ渡月橋がなんと
もいへん景色でおすぇ。見たいなぁ~、さぶいやろなぁ~、ぶぶずけほしいなぁ~。

[ 大覚寺 ]
●山号 嵯峨山(さがさん)
●寺号 大覚寺(だいかくじ) 正式名 旧嵯峨御所大覚寺門跡
●宗派 真言宗大覚寺派大本山(しんごんしゅうだいかくじは)
●開基 嵯峨天皇
●開山 恒寂入道親王(ごうじゃくにゅうどうしんのう)
●開創 貞観十八年 (876年)
●本尊 五大明王

大覚寺縁起 (大覚寺HPより抄出)
嵯峨天皇が建立された離宮嵯峨院を起源とし、恒寂入道親王を初代門跡としてお寺に改められました。天皇
になられるお立場だったんですが、承和の変に巻き込まれ、皇太子を廃立、母の淳和太后が我が子の最後の
よりどころとして、父嵯峨天皇がこよなく愛された嵯峨の離宮をお寺にし、息子である親王を守ろうとされ
たのです。それに尽力されたのが菅原道真で、離宮を大覚寺にするべく上奏文を起草、勅許を得て大覚寺が
誕生し真言宗の寺院として再出発したのです。以後、明治の初頭まで代々天皇もしくは皇統の方が門跡を務
められた、格式高い門跡寺院として今日に到ります。

▼参道。




▼嵯峨院御所跡を示す石柱。




▼大門。




▼式台玄関。白幕に菊の御紋が凛とした表情で迎えてくれます。




▼唐門。




▼宸殿。桁行九間、梁行六間、入母屋造、檜皮葺。
後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物。内部は四部屋が続き、狩野山楽の金碧襖画が飾られています。




▼広縁外廊と前庭。




▼古式正しい左近の梅と右近の橘。




▼宸殿前庭。




▼宸殿後景。




▼御影堂。桁行七間、梁行五間、入母屋造、桟瓦葺、正面一間の向拝付。
御影堂須弥壇には、嵯峨天皇、後宇田法皇、恒寂入道親王、弘法大師の尊像が祀られています。
この建物は御所の饗応殿を下賜されたもの。後宇田法皇六百回忌を機に大覚寺へ移築されたものだそうです。
北側に建つ心経殿の拝殿の役目をしています。




▼御影堂須弥壇。前の白っぽいものはフレアではありません、お線香の煙です。




▼御影堂広縁。




▼御影堂前庭。前は四方6mの石舞台、後方は勅使唐門。元は五大堂 (本堂) が建っていたそうです。




▼心経殿。嵯峨天皇をはじめ六天皇の般若心経写経が奉祀されています。
校倉風八角堂、大正14年 (1925年) 再建。




▼霊明殿。檜皮葺、二層方形造、正面に1間の向拝付。
建物は縁板まで含め総朱塗、大覚寺功労者の過去帳位牌を祀り、阿弥陀如来が本尊。




▼霊明殿広縁。縁板が見事なまでに光っています。




▼渡廊下。建物との間は屋根付き廊下で結ばれています。




▼御霊殿内部。内部は一間が下陣、その奥の二間が内陣で天井の格天井鏡板に花鳥などを描き、その奥が内
々陣で後水尾天皇をお祀りしています。折上の鏡天井に雲龍が描かれている。




▼五大堂。大覚寺の本堂。本尊五大明王をお祀りしています。
桁行五間、梁行五間、入母屋造、本瓦葺。正面一間の向拝付。天明年間 (1781~1789年) の再建。




▼鐘楼。




▼庭湖大沢池。嵯峨院の庭池、日本最古の人工庭苑池で嵯峨天皇が築池したと伝わるそうです。




▼鴨でしょうか、悠然と漂っていました。




▼蓮のなれの果てとはいえ、来年の勢時には池面いっぱい大輪で埋もれることでしょう。




▼北側沿いにもみじのトンネル、つい一週間前までは、豪華な赤の綾錦トンネルだったとか。




▼池に浮かぶ菊ヶ島。




▼雨空でもなお映える朱の心経多宝塔。昭和42年 (1967年) 建立。




▼聖天堂。




▼大日堂。




▼閼伽堂。




▼閼伽堂の檜霊水受け。一瞬檜風呂と思ったほど大きなものです。




▼最後にもう一度、すでに冬景色の大沢池。




♩きょうと~ らんざんだいかくじ~ 
    こいにつかれた おん~ながひとり~ 
        しおざわがすりに な~ごや~おび~♩
雨にけむる嵯峨野路にこんな女人の姿、いません。今や絶対いません。
てなことを云ってる場合ではないのです。今日の京都盆地、寒すぎ、冷たすぎ、まだもう一ヵ寺訪ねる予定
ですのに。




またも遅かった花の寺のもみじ、長岳寺。

2012年12月03日 | 奈良の古寺巡り


(2012.12.01訪問)

山辺の道沿いにある長岳寺で、狩野山楽の大地獄絵が公開されていると聞いたので訪ねました。長岳寺は花
の寺と聞き、ついでに紅葉をもとスケベ心も手伝い、紅葉見頃と新聞予報を信じて奈良へ向かいます。
残念ながら紅葉予報も今日の天気も見事に外れペケ。色褪せた残り紅葉を小雨の中、曇りの中で観るハメに
なりました。とはいえ、きれいな紅葉も残っていたことは念のため。

写真の紅葉の一部はPSでサワリまくっています。

▼紅葉。



[ 長岳寺 ]
●山号 釜の口山(かまのくちさん)
●寺号 長岳寺(ちょうがくじ) 釜口大師
●宗派 高野山真言宗(こうやさんしんごんしゅう)
●勅願 淳和天皇
●開基 弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)
●開創 天長元年(824年)
●本尊 阿弥陀三尊

長岳寺縁起
長岳寺は天長元年(824年)弘法大師空海が淳和天皇の勅願により大和神社(おおやまとじんじゃ)の神宮寺とし
て創建。盛時には塔頭四十八坊、衆徒三百余名を数えたそうです。

▼大門。長岳寺の総門。六脚、切妻造、本瓦葺。寛永十七年(1640年)再建。

 


▼参道。花の寺にふさわしく春は平戸ツツジのピンクで参道左右が染まります。




▼参道。もうすぐ楼門です。





▼鐘楼門(重文)。空海さん創建当時の唯一の建物だそうです。勾欄付重層四脚鐘楼門、一間一戸、入母屋造、
柿葺。現在梵鐘は吊るされていません。




▼もみじ。




▼本堂。桁行五間、梁行四間、入母屋造、本瓦葺、正面一間向拝付。天明三年(1783年)再建。




▼本尊阿弥陀三尊像(重文)。木造。中央本尊阿弥陀如来坐像、右脇侍観音菩薩半伽椅座像、左勢至菩薩半伽
椅座像。仁平元年(1151年)造像。



三尊はご覧のように三部屋に分かれて祀られています。脇侍の脚をご覧ください、半伽椅座と云う珍しい坐
り方で片足を下げています。目は玉眼、玉眼を用いた仏像としては日本最古のものだそうです。離れていま
すが三尊像として出色、金泥は落ちていますが、見事な調和、慶派に大きな影響を与えた理由がよく判りま
す。

▼本尊阿弥陀如来坐像(重文)。木造、玉眼。像高半丈六、仁平元年(1151年)造像。定印を結んだ結跏趺坐。



定朝様の匂いが残っていますが、鎌倉仏の先駆と云われるように量感が凄い、金泥が少し残っていますがお
顔が丸く口元の紅が子供の初化粧のように妙に初々しい感じがします。納衣のドレープを思わず摘みたくな
るほど。

四天王のお二人。両像とも彩色がよく残っています。あとの二天像はどこへ行かれたのでしょう。
▼多聞天立像(重文)。木造、仁平元年(1151年)造像。




▼増長天立像(重文)。木造、仁平元年(1151年)造像。




▼大地獄絵。
狩野山楽筆、安土桃山時代。写真は閻魔庁閻魔王図部分。
本堂東壁に九幅が、超細密カラーで描かれ凄い迫力で並んでいます。とにかく細かく精微、十王の表情や従
者、死者の怯えた姿かたちは言いようの無い怖さが迫ってきます。これだけの軸が無指定と云うのもよく判
らないなァ。
とにかく今日一!



九幅の軸で構成され、全体が一枚の絵となっています。内容は図の上部に十王裁判図、中程から下部にかけ
て、冥界入口の墓地、罪問間樹、死天山、三途の川、奪衣婆、賽の河原、八大地獄、餓鬼道、畜生道、修羅
道など、すざましい情景が描かれ、第九軸は、極楽より阿弥陀如来が聖衆を連れて極楽往生する人を迎えに
くる聖衆来迎図がえがかれています。

▼ご住職の地獄絵現代風絵解きに聞き惚れました。中学生集団も真剣に聞いていました。




▼天井画。格天井に家紋らしき絵が描かれています。




▼本堂から放生池。




▼本堂。




▼本堂前に建つ練塔。塔身に金剛界四仏の種子が彫られています。
八層石造層塔 (白色凝灰岩、高さ 約400cm) 鎌倉時代後期。




▼境内。




▼放生池。




▼拝堂。桁行三間、梁行二間、寄せ棟造、桟瓦葺。
後ろに建つ大師堂のための拝堂。弘法大師と記された扁額が。




▼拝堂ともみじ。




▼拝堂。奥壇から大師堂が拝せるようになっています。




▼大師堂扁額。




▼拝堂ともみじ。




▼放生池の南に建つ鐘楼堂。皆さん必ず一撞きしてましたよ。




▼もみじ。




▼傘付き石仏。




▼もみじ。




▼石垣と散りもみじ。この道を歩くと踏みしめると云う言葉が実感できます。




▼もみじ。




▼弥勒大石棺仏。三十三カ所道の入り口にたっています。約2mの古墳石材を利用した浮き彫。鎌倉時代。




▼もみじ。




▼もみじ。




▼石仏。




▼もみじ。




▼いずれ全山このような散りもみじで埋もれることでしょう。冬へと季節の衣がえが巡ってきます。




皆様お風邪など召しませんようにお大事にしてくださいませ。ついでに景気が良くなりますように×△○…。

長岳寺オシマイ