土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

鞍馬寺、鞍馬天狗に会いに来たんですが…。

2012年05月29日 | 京都の古寺巡り


(2012.05.26訪問)
桜や紅葉シーズンの叡山電車「きらら」はさぞ満員のことでしょう。シート向きが山側に設えられて、これは
グーなアイディア!この時期青葉だけですが外人さんには結構な人気でした。
この日、本当に鞍馬天狗がいるかどうか確かめに鞍馬寺にやってまいりました。     結論、いません!

▼叡山電車鞍馬駅。
出町柳から30分少々で鞍馬到着です。




▼叡山電車鞍馬駅舎。
このレトロっぽさベリグー! 振り向けば駐車場はすでにクルマが一杯。




[ 鞍馬寺 ]
●山号 鞍馬山(くらまさん)
●寺号 鞍馬寺(くらまでら)
●宗派 鞍馬弘教総本山
●開基 鑑禎上人(がんちょう)
●開創 宝亀元年(770年)
●中興 峯延上人(ぶえん)
●本尊 尊天。毘沙門天、千手観音菩薩、護法魔王尊が一体の本尊。

鞍馬寺縁起
宝亀元年(770年)鑑真さんの高弟鑑禎さんが夢見でこの地に小庵を結び毘沙門天を祀ったのが鞍馬寺の初で、
延暦15年(796年)造東寺長官藤原伊勢人が堂塔伽藍を建立、千手観音菩薩を合わせ祀った。その後、寛平年
間(889~897年)東寺の僧、峯延が入寺中興し別当となる。宗派的にはじめ律宗、平安期には東寺真言宗、
天徳3年(959年)延暦寺末となり天台宗寺院として寺勢振るい、昭和24年(1949年)天台宗より独立、尊天
を本尊として鞍馬弘教を立教、総本山となる。


▼早速大天狗のお迎えです。
う~んマイッタ!!!妄想か迷想か、立派なものをお持ちです。




▼鞍馬寺門前の情景。




▼寺標も何となく意味深!と思うのはボクだけでしょうか?




▼参道石段下から仁王門。



▼仁王門。
重層三間一戸、十二脚門、銅板葺、和様楼門、勾欄付。明治24年(1891年)焼失、明治44年(1911年)再建。
当初建立は平安寿永年間(1182~1184年)、その後焼けたり、移築で場所が変わったりと散々な目にあって
来た経歴の山門、お気の毒な山門なんです。




▼仁王門扁額。




大仏師運慶嫡男湛慶作と伝わるそうですが不詳。顔の表情や動き、筋肉表現を見る限り慶派ではないのでは。
とチョット偉そうなことを云ってみたかったんです。
▼阿形金剛力士。




▼吽形金剛力士。




▼参道。
山門をくぐり左に行くと参道の入り口、まだ真っ直ぐですが、間もなく鞍馬名物九十九折坂に突入、イヤな
石段や坂道が約1キロ続きます。




▼義経供養塔。
源義経(牛若丸)が育った東光坊の跡地。牛若はここから山中狭しと走り回り、天狗たちと武芸修行に励んだ
ことはご存知の通り。




▼参道。石段イヤですね。もういいよと云ってもまだまだ続きます。




▼参道。まだ続きます。




▼中門(旧勅使門)。六脚門、屋根は柿葺だが現在は銅板を被せているそうです。




▼ヤット金堂エリアにつきました。手水舎。後ろの朱の堂宇は転法輪堂。




▼迫力満点、龍の水口。水は噴いていませんでした。




▼本殿金堂。
桁行7間、梁裄7間、単層入母屋造、銅板葺。昭和46年(1946年)再建。
本尊 三位一体の尊天(中央 毘沙門天、右 千手観音菩薩、左 護法魔王尊)、秘仏で60年に一度丙寅年に開扉。



尊天とは (鞍馬寺ガイドパンフレットより)
宇宙の大霊であり大光明、大活動体であり、私たち人間をはじめ万物を生かし存在させてくださる宇宙生命、
宇宙エネルギーであって、その働きは愛と光りと力となって現れる。愛を月輪の精霊=千手観音菩薩、光を
太陽の精霊=毘沙門天、力を大地の霊王=護法魔王尊のお姿であらわし、この三身を一体として「尊天」と
称する。

形而上的意味不明誇示付本尊論と云ったら失礼でしょうか?


▼尊天と揮毫された本殿金堂扁額。




▼本殿金堂内陣の荘厳された羅網(らもう)。キラキラときれいです。本当はこれも意味があるんです。




▼本殿金堂前左右に阿吽の虎。
虎は毘沙門天の使いといい、鞍馬山に毘沙門天が示現したのは寅の月、寅の日、寅の刻に虎がお連れしたそ
うです。






▼本殿金堂前のパワースポット。
お嬢さん方 (顔はわかりませんけど多分) が立っているところの中心が鞍馬寺パワースポット。金剛床と云う
そうです。宇宙と合体して何かいいことがありそうな…。




▼光明心殿。護法魔王尊を祀り、護摩行を修する道場。手前が護摩壇。




▼光明心殿本尊護法魔王尊。このお方こそ三位一体仏のお一人ですよ。




▼奥の院参道。
さて、ここから奥の院に向かいます。しつこく石段が続きます、イヤですね~。




▼奥の院参道。
お嬢さん (顔はわかりませんけど多分) がお一人敢然と奥の院に向かっています。
祈、大宇宙のご利益と毘沙門さんのご加護がありますように。




▼奥の院エリアにやってまいりました。この辺り一帯が僧正が谷。牛若さんと天狗さんが初めて会った所。
この辺で大いに修行したそうですよ。かなり鬱蒼とした森に囲まれています。杉の大木の梢の方で盛んに
音がしています。 ヒョットして…。




▼奥の院不動堂。
本尊 不動明王。四方3間、宝形造、本瓦葺、向拝付。昭和15年(1940年)建立の新しいお堂。




▼奥の院義経堂。遮那王尊(源義経)を祀っています。




▼ジャジャーン出ました木の根道。




▼奥の院木の根道。
なんと云ったらいいのでしょうこの模様、何とも云えません。
躓かないよう、滑らないよう、転けないよう気使います。以前ここでスベッてズッコケたんです。




▼奥の院魔王殿拝殿。切妻造、化粧屋根裏の簡素なお堂です。




▼奥の院魔王殿。本尊 護法魔王尊を祀っています。
四方一間の宝形造、屋根は柿葺に銅板を被せているそうです。チョット見にくいですが、石灰岩上に建って
います。




▼鞍馬寺西門。
ここは鞍馬寺の西結界、貴船側からの参拝口でもあり、結構な数の参拝者がの登ってゆきます。
相当ハードなことも知らないで。




鞍馬寺仁王門から西門まで約2.5キロ、石段あり、木段あり、地道ありと結構変化に富んだコースですが、
石段を見ると目の前が真っ黒になる性格ですので、登るのに精一杯、堂塔伽藍など拝観抜けがタクサンあり
ました。霊宝殿も拝観していません、国宝毘沙門さんも、兜跋毘沙門さんにも会ってません。何をしに鞍馬
寺を訪ねたのでしょう。どうも天狗に惑わされたようですネ。            反省でございます。

鞍馬寺 オ シ マ イ !



神社・お寺巡り ブログランキングへ




蓮華寺は、露座の石仏五智如来のお寺です。

2012年05月24日 | 京都の古寺巡り


(2012.05.19訪問)
仁和寺東門を出ると目の前が蓮華寺です。
このお寺を有名にしているのは、毎年土用丑の日の<きゅうり封じ>と境内の石仏五智如来です。境内は決
して広くはないのですが、五智如来五体をはじめ十一体の観音菩薩、地蔵菩薩や僧形石像が整然と並ぶ壮観
さは並ではありませんよ。

[ 蓮華寺 ]
●山号 五智山(ごちさん)
●寺号 蓮華寺(れんげじ)
●宗派 真言宗御室派 別格本山
●勅願 後冷泉天皇
●開基 藤原康基
●開創 天喜5年(1057年)
●中興 樋口兵太夫、僧名常信
●再興 寛永18年(1641年)
●本尊 阿弥陀如来立像。

蓮華寺縁起
天喜5年(1057年)藤原康基が後冷泉天皇の勅願により建立。当初嵯峨野広沢池の北西にあったが、応仁の乱
で焼失後、鳴滝音戸山に移設されるも長期の衰退荒廃、江戸寛永18年、豪商樋口兵太夫が再興、五智如来石
像を安置した。その後火災で焼亡、昭和3年(1928年)現在地に移されました。

▼山門。




▼山門から境内です。奥に見えるのは不動堂です。




▼蓮華寺の縁起が書かれている案内札。




▼本堂。本尊 阿弥陀如来立像。




▼不動堂。本尊 五智不動尊。近畿三十六不動尊第十五番霊場。
<きゅうり封じ>の祈祷などはこのお堂で行われます。




▼不動堂内陣須弥壇。




▼本尊五智不動尊。わかります?




▼境内の五智如来石像。
丈六石仏五智如来5体が南向きに露座しています。お寺が昭和3年(1928年)現在地に移された後も、石仏群
は旧地に残され、山上山下に無惨にさらされていたものを昭和33年(1958年)収集修復後、現境内に遷座安
置されたそうです。
右から、薬師如来、寳生如来、大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来です。
各お像は苦難辛苦を耐え、厳しい風雪を忍びながら今は穏やかな優しいお顔で並んでいます。




▼薬師如来坐像。病魔退散と医薬の功徳を担当します。




▼寳生如来坐像。福徳財宝の功徳を担当します。




▼大日如来坐像。五智如来の中尊として万物と五穀豊穣の功徳を担当します。




▼阿弥陀如来坐像。極楽往生の功徳を担当します。




▼釈迦如来坐像。知恵聡明の功徳を担当します。




▼石仏群。五智如来の後ろに並ぶ11体の石像。




▼鐘楼。




<きゅうり封じ>のウンチクを少々。
土用丑の日の前日~土用の丑の日に行われる。弘法大師が病魔をきゅうりに封じ込め、人々の苦しみと病を
取り除いたことに由来。参拝者はきゅうりに名前、年齢、病名などを記し、御祈祷してもらったあと持ち帰
り、からだの具合の悪い部分などをそのきゅうりで撫でて、治癒を願うと云うおまじない?と云ったら空海
さんに失礼でしょうか。

シニアゾーンに突入にて久しいボクなどおかしいところだらけ、おまじない?とは云え、一度おすがりしよ
うかなと思っている今日この頃でございます。と思っているご同輩も多いのでは。


神社・お寺巡り ブログランキングへ



御室御所、仁和寺を訪ねました。

2012年05月22日 | 京都の古寺巡り


(2012.05.19訪問)
きぬかけの道は以前何回か歩いたのですが、嵐電の御室駅で降りるのは初めて。レトロっぽい電車といい、
小さな駅の雰囲気といい、右から書<驛室御>という文字も何となく時代を遡った気がします。改札を出る
と真正面に仁和寺山門が見えます。コリャ楽ですわ、スグ境内です。

▼嵐電御室駅。
 わが家から、京阪、地下鉄東西線、嵐電を乗り継いでヤッとやって参りました。



仁和寺は、かっての最高格門跡寺院で御室櫻と世界遺産のお寺。広い境内も、桜のシーズンが終わりいくら
か閑を戻しているだろうと、この京の大寺を訪ねました。歴史を語る伽藍堂宇は今はなく、境内を彩る花の
色もありませんが、グラデーション鮮やかなグリーンシャワーを浴びながらのグリーン散策は一興、特に御
室御所と云われた格の象徴、御殿の建物を巡ると最上級の雅な一族の生活の一端が偲べますよ。

[ 仁和寺 ]
●山号 大内山(おおうちさん)
●寺号 仁和寺(にんなじ)
●宗派 真言宗御室派
●開創 仁和4年(888年)
●開基 宇多天皇
●本尊 阿弥陀如来。
●平成6年(1994年)世界遺産に登録

▼仁和寺寺標。




仁和寺縁起 (仁和寺HPから抄出)
仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって西山御願寺と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。
光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が遺志を継がれ、仁和4年(888年)完成。寺号
も元号から仁和寺となりました。宇多天皇は寛平9年(897年)譲位、後に出家し仁和寺第1世 宇多法皇と
なってから、皇室出身者が仁和寺の代々門跡を務め、平安~鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保ちま
した。応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱で、仁和寺は一山のほとんどを兵火で焼失するという悲運に
見舞われました。応仁の乱から約160年後の寛永11年(1635年)再興の機会が訪れます。
「仁和寺御伝」によれば、同年7月24日、仁和寺第21世覚深法親王は、上洛していた徳川幕府三代将軍家光
に仁和寺再興を申し入れ、承諾されるのです。御所から紫宸殿(金堂)清涼殿(御影堂)など建造物が下賜
されます。正保3年(1646年)に伽藍の再建が完了。ようやく創建時の姿に戻ることが出来たのです。


▼二王門(重文)。
 重層18脚門、入母屋造、本瓦葺、高欄付。堂高18.6m。正保元年(1645年)建立。
 後面には唐獅子像を安置。和様造の堂々とした山門です。




造像スペックは判りませんが、堂々とした像形は慶派の流れを彷彿とさせます。

▼金剛力士阿形像。







▼金剛力士吽形像。






▼境内から中門を。




▼中門(重文)。単層切妻造、本瓦葺、柱間三間、八脚門。向かって左側に西方天、右側に東方天を安置。




▼仁和寺の売り!御室桜。低木で遅咲きの八重桜。シーズンは身動きがつけないほどだそうで。
 貝原益軒さん曰く。
「春はこの境内の奥に八重桜多し、
 洛中洛外にて第一とす、吉野の山桜に対すべし、
 花見る人多くして日々群衆せり…」


 

▼五重塔(重文)。




▼大日如来を示す梵字が書かれた五重塔扁額。




▼五重塔(重文)。
 初層から上層までの低減率が少ない塔です。塔高36.18m、寛永21年(1644年)建立。本尊 大日如来坐像。





▼観音堂(重文)。本尊 千手観音菩薩 脇侍不動明王、降三世明王。
 桁行5間、梁行5間、入母屋造、本瓦葺。向拝付。須弥壇の背後や壁面、柱には、白衣観音をはじめ仏、
 高僧などが極彩色で描かれています。




▼金堂参道。




▼金堂(国宝)。桁行7間、梁行5間、入母屋造、本瓦葺、向拝付。
 本尊 阿弥陀三尊。
 慶長年間造営の御所内裏紫宸殿を寛永年間(1624~43年)移築。現存する最古の紫宸殿。当時の宮殿建築を
 伝えるの建築物として、国宝に指定されています。堂内は四天王像、梵天像が安置。壁面には浄土図や観音
 図などが極彩色で描かれています。




▼金堂軒の組み物と菊の御紋。これだけ見ても格の高さが窺えます。




▼金堂(国宝)。




▼経蔵(重文)。桁行3間、梁行3間、宝形造、本瓦葺。寛永~正保年間の建立。
 左右に花頭窓、禅宗様で統一され堂内中央に輪蔵、798の経箱に一切経を収納しています。




▼鐘楼(重文)。
 重層、入母屋造、本瓦葺、袴腰。上層は朱塗り、高欄付。寛永2年(1644年)建立。ひと際鮮やか朱色が目に
 しみます。梵鐘は見ることは出来ません。




▼水掛不動尊。近畿三十六不動霊場の第十四番札所。石造不動明王を安置。




▼御影堂中門(重文)。




▼弘法大師碑。




▼御影堂(重文)。
 桁行5間、梁行5間、宝形造、檜皮葺、向拝付。内裏 清涼殿の一部を賜り、寛永年間に再建。
 弘法大師像、宇多法皇像、仁和寺第2世性信親王像を安置。




▼勅使門。
 四脚唐門、入母屋造、檜皮葺、唐破風。大正2年(1913年)竣工。設計亀岡末吉。




▼御殿入り口。
 この地は、宇多天皇が出家後住まれた僧坊跡、明治時代に建てられた宮殿御殿。




▼華道御室流。このお寺はその総家元。




▼白書院。




▼宸殿。檜皮葺、入母屋造。内部は三室からなり、御殿の中心建物。
 寛永年間に御所から下賜された常御殿が明治20年(1887年)焼失。大正3年(1914年)再建。




▼宸殿上段の間。
 花鳥風月の襖絵や壁絵は原在泉(1849~1916年)の作。架かっている軸は宇多法王。




▼宸殿南庭。
 左近の桜、右近の橘が植えられ、白砂と松や杉を配した、簡素な庭。




▼宸殿北庭。
 南庭とは対照的な池泉式庭園で、斜面を利用した滝組に池泉を配し、築山、その奥には中門や五重塔を望む
 事が出来ます。




▼黒書院。
旧安井門跡の寝殿を移築、明治42年(1909年)竣工。内部は6室からなり、堂本印象が描い
た襖絵が室内全体を飾つています。




▼黒書院庭。小さいお庭ですが、青もみじの競演です。




▼霊明殿。本尊 薬師如来坐像。歴代門跡を祀っています。




▼宇多天皇陵への道標なんですが、ピサの斜塔じゃあるまいし、もう少しどうにかなりませんか。




▼東門。




さて仁和寺はオシマイ、次はこの門を出て、スグ前のお寺を訪ねます。


神社・お寺巡り ブログランキングへ



今木の泉徳寺、蔵王権現堂には石仏蔵王権現が祀られているそうです。

2012年05月16日 | 奈良の古寺巡り


(2012.05.12訪問)
吉野神宮から如意輪寺と後醍醐陵に行くか、はたまた帰るか考えた末、後醍醐さんには悪いのですが帰るこ
とに。169号から309号を走っていたら懐かしの花吉野CCを過ぎたあたり、フッと左を見ると真新しいお寺
の屋根が見えます、行きましょう。細い道ですがさすが軽、スイスイと駐車場へ。またまたフッと山手を見
ると何とも云い難い石段と山門が見えます。早速入山です。

▼蔵王権現堂山門(仁王門)。
古色蒼然、山寺の感!というより砦みたい。振り向けば泉徳寺鉄筋本堂が光っています。




[ 泉徳寺 ]
●山号 竜王山(りゅうおうさん)
●寺号 泉徳寺(せんとくじ)
●宗派 高野山真言宗
●開創 伝役行者小角
●本尊 薬師如来坐像。


▼泉徳寺山門。石標に役行者一の行場と刻されています。奥に見えるのが、鉄筋本堂です。




▼鐘楼と山門。




▼蔵王権現堂山門(仁王門)。切妻造、八脚重層門。重厚なスペックですが、簡素な山門です。




▼蔵王権現堂山門金剛力士阿吽像。両像とも像高200cm、明暦4年(1656年)造像。
玉眼が嵌った面長の仁王さんです。彩色が珍しく肌色で所々剥色が目立ちますが堂々としたお像です。








▼金剛力士のガイド板。




▼山門二層に天狗さんがいます。
堺の大寺から一晩のうち仁王さんを脇に抱えて飛んで来たという伝承を持つ天狗さんです。




▼蔵王権現堂への参道石段。
どうですこの参道石段の雰囲気、短いですがかなり急です。最近足元が覚束ないので、ゆっくりぼちぼち。



         
         ▼蔵王大権現碑。




▼蔵王堂。簡素なお堂です。閂が掛かっており堂内は拝観出来ませんでした。
権現堂内の石仏は、蔵王権現像に「永禄12年備中国」の銘文、役行者像と前鬼、後鬼像に「永禄11年」の銘
文、竜王像に「永禄12年備中国」の銘文があって、ほぼ同じ年代に作られたものです。特に蔵王権現像は石
造りとしては奈良県内でも珍しいものです。(大淀町HPから抄出)




▼覆屋の石仏群。
権現堂横の覆屋の石仏には永禄12年 ハウキ大山出雲大社の銘文があります。この頃には、すでに権現堂が建
っていて、遠く離れた山陰地域とゆかりの深い石仏が祀られているようです。



         
         ▼役行者石仏。



         
         ▼なんの石仏かよく判りませんがコワイです。




▼蔵王堂から旧薬師堂(旧本堂)への山道。




▼旧薬師堂(旧本堂)。
権現堂からのびる山道をさらに登ると、なにか出そうな古堂があります、コワイです。お堂の後ろが墓地で
ますますコワイです。旧薬師堂(旧本堂)だそうで堂内に安置されていた鎌倉様式を残す薬師如来坐像は、現
本堂内に移されているそうです。



決して大きくはありませんが、こんなお寺を発見する醍醐味、古寺巡りは止められません。
蔵王堂の石仏を拝観出来なかったのは少々心残りでしたが帰りますワ。


神社・お寺巡り ブログランキングへ