土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

鏑射寺、古くて新しい凄いお寺を発見!

2016年10月31日 | 兵庫の古寺巡り





(2016.10.29訪問)


久々に迷車大和路号は裏六甲を走っています。今日は二カ寺を訪ねる予定でしたが、またまたアホナビにしてやられました。
目指すお寺は姿カタチなし、一瞬躊躇するような山中の道、けもの道と思しき枯れ葉で埋まる細道、軽自動車一台がかろうじて通れ
るそんな山道をアホナビは誘導。行けども行けども山中彷徨の体、とにかくクルマが通るような雰囲気じゃなくUターンしたくても
出来ず、バックでビビりまくって元来た道までなんとか戻ることが出来ました。この間小一時間、迷うことはあっても今回は初めて
のヒドイ経験。しかし禍あれば福もある。めげずに次に訪ねたお寺、これがまたブラボーなお寺なんです。




▼参道入り口。





[ 鏑射寺 ]
●山号 獨鈷山 (とっこさん)
●寺号 鏑射寺 (かぶらいじ)
●宗派 真言宗単立 (しんごんしゅうたんりゅう)
●開基 伝 聖徳太子 (しょうとくたいし)
●創建 伝 敏達天皇十年 (581年)
●本尊 大日如来坐像 
▲兵庫県神戸市北区道場町生野1078-1 TEL 0789-86-4095
▲拝観料 境内自由 朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:00
▲http://www.kaburaiji.or.jp
▲札所 近畿三十六不動尊第十一番霊場 仏塔古寺十八尊第十六番霊場 神戸十三佛満願霊場
▲JR宝塚線「道場駅」下車 徒歩1.7km
 JR宝塚線「三田駅」下車 タクシー約10分 
 クルマの場合は「武庫の台ゴルフ場」を目標に




▼参道を少し行くと正面に客殿。






鏑射寺縁起 (獨鈷山鏑射寺略縁起より抄出)
当山は、神体山として数千年の歴史を有し、神秀倉、甘楽山、五智の峰などと呼ばれ尊崇、聖徳太子は此の山に伽藍を建て仏教弘通
の道場として鏑矢を奉納、鏑射寺と命名。 その後戦兵火、山火事で伽藍の大半を焼失。江戸後期勇阿上人が再建。 山内西国三十三カ
所、四国八十八ヶ所石仏はその時造営されたものです。明治六年、天誅組が神社仏閣を襲い僅かに焼け残った太子堂及び本尊什器は
寺廻りに移されて廃寺となりました。その後約百年、昭和三十年久邇宮朝融王が鏑射寺の再建と国家国民の安寧を祈願。 昭和三十四
年現山主中村公隆師が入山、昭和四十一年に護摩堂(不動明王)、昭和四十八年には三重塔(虚空蔵菩薩)、逐次旧寺領を買い戻し、平成
四年に大日如来、愛染明王を奉迎して本堂の落慶入仏法要を厳修、同六年に弁天堂落慶。




▼客殿左側から入山です。右端が入山受付とご朱印頂戴どころ。







▼横の花壇に秋明菊が、ボツボツおしまいかも。






            ▼右を見ると三重塔が見えます。






▼境内正面に今色の本堂が静かに佇んでいます。決して大きくはないんですが、中心伽藍として堂々の姿です。
 桁裄五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。平成四年 (1992年) 建立。












▼本堂扁額。







▼堂内外陣、光は入り口と連子窓からのみ。







▼内陣須弥壇は殆ど目視出来ません。最近の写真機は凄い!しかしさすがにピンはきません。
 本尊大日如来坐像。作者は村岡久作仏師。






            ▼本尊大日如来坐像。PCで初めてお顔を見ることが出来ました。
            若々しいお顔とお見受けします。






▼側面の本堂。

 





▼本堂裏手に石蕗が咲いてました。

                  





▼大師堂。木の香漂いそうです。方三間、宝形造、本瓦葺。一間向拝付。

 





▼墨跡鮮やかとはこの扁額を云うんでしょうネ。







▼大師堂須弥壇の本尊弘法大師像坐像。






            ▼脇壇の毘沙門天立像。このお像も村岡久作仏師の作でしょうか。






▼大師堂横のショット。







▼三重塔にやってきました。ドン曇りが一挙に素晴らしい青空!  
 初層に村岡久作仏師の作本尊虚空蔵菩薩が祀られています。昭和四十八年 (1973年) 建立。






























            ▼三重塔相輪です。







▼境内もだいぶ染まってきました。






            ▼宝篋印塔。






▼護摩堂。再興後初めてのお堂として昭和四十年 (1965年) 建立。
 桁裄五間、梁間五間、入母屋造、桟瓦葺、唐破風一間向拝付。







▼護摩堂正面。この本尊不動明王は近畿三十六不動尊第十一番霊場の本尊です。







▼向拝軒長押の龍の彫刻、阿吽を表しています。







▼山号扁額。切り抜きの立体文字手が混んでます。







▼内陣須弥壇上中央に眼光すこぶる鋭い本尊不動明王。左脇に毘沙門天、右脇に八大竜王が祀られています。
 護摩焚のため天井から壁面はススで真っ黒ケ。ススの黒は実に美しい黒、まさに漆黒。







▼本尊不動明王半跏椅坐像。不動明王としては珍しい座り方の像ですネ。真っ黒ケですが並の迫力ではありません。
 不動明王を中心に左脇侍、制吒迦童子、右脇侍、矜羯羅童子を従える不動三尊。村岡久作仏師の作。












            ▼左脇壇には毘沙門天立像。






            ▼右脇壇には八大竜王像。八神の中のどの竜王なのかは不詳。






▼真っ赤になればさぞや鮮やかなことでしょう。






            ▼映える楓。






▼善光寺石塔。







▼護摩堂の前に巨岩を配した岩庭園を見ることができます。







▼味のある参道石段を上り境内高台の弁天堂へ。







▼弁天堂。平成六年 (1994年) 建立。桁裄二間、梁間四間、銅板葺。







▼女神のお堂らしく堂内どこか華やか。弁天さんは中央お厨子の中にいらっしゃるようです。







▼弁天堂。







▼鐘楼。







▼江戸後期に造営された西国三十三カ所霊場巡りと……、







▼四国八十八カ所霊場巡りができ、味のある石仏、石塔を見るのも一興です。







▼大師堂の前にきれいな放生池、竹生島があります。






            ▼西国三十三カ所霊場竹生島宝厳寺の本尊弁天さんがお祀りされてます。






▼きれいな放生池でしょう。







▼その放生池の汀に置いて撮りましたご朱印です。







公式なバックアップがあったのか、現住職個人の力量でこれだけの山内と伽藍再生をしたのかは窺い知ることは出来ませんが、兎に
角凄いとしか言いようがない立派なお寺です。寺歴は古く堂宇伽藍は新しい、栄枯盛衰世の習いとは言え、輪廻転生を地で行く昭和
の再生を見事に成し遂げた獨鈷山鏑射寺に乾杯!

EX.
仏師村岡久作さんは存じ上げませんが、各お堂の仏像には絶句、五百年、千年後のお堂と仏像のコンビがどういう形で時代を生きる
のか可能なら見てみたい、そんな気がします。これも偏に間近で仏に拝すること、撮影をお許し下さったお寺にお礼申します。  
                                                         合掌     





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正明寺、清浄を絵に描いたようなお寺です。

2016年10月27日 | 滋賀の古寺巡り





(2016.10.22訪問)


あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る

額田王が蒲生野で詠んだという相聞の歌、湖東蒲生郡が蒲生野推定地の一つと云われている古代ロマンの地、この標野あたりを今迷
車大和路号は走っているんです。中大兄や大海人、額田王が遊んだ蒲生野は今国道307号が走ってます。
長閑な近江平野もこのあたりは結構なクルマの数、古代ロマンを感じる暇はありません。迷車大和路号は石馬寺から東に約20キロ、
正明寺と云う禅刹を目指しています。このお寺やはり聖徳太子創建と云う由緒があるそうです




▼「ようこそお参り」と聞こえるようです。






[ 正明寺 ]
●山号 法輪山 (ほうりんざん)
●寺号 正明寺 (しょうみょうじ)
●宗派 黄檗宗 (おうばくしゅう)
●開基 伝 聖徳太子 (しょうとくたいし)
●再興 寛文四年(1664年) 龍溪性潜禅師 (りょうけい しょうせん)
●本尊 千手観音菩薩立像 (秘仏) 
▲ 滋賀県蒲生郡日野町松尾560 TEL. 0748-52-0227
▲拝観料 境内自由 朱印300円
▲http://shomyoji.jp/
▲札所 近江西国観音霊場第二十四番札所 日野観音霊場第三十三番札所 近江湖東名刹霊場第二十七番札所
▲JR「近江八幡駅」近江バス「北畑口」行 「横町」下車 徒歩15分
 
 近江鉄道「日野駅」近江バス「北畑口」行 「横町」下車 徒歩15分
 名神高速「八日市IC」から国道421号 307号で約20分
 新名神高速「甲賀土山IC」から国道1号 307号で約20分。




            ▼参道脇に札所石柱が。






正明寺縁起 (正明寺HPより抄出)
正明寺は聖徳太子の創建と伝えられており、比叡山延暦寺系の寺として栄えていましたが戦国時代の兵火兵乱で焼失。江戸初期に再
興、永源寺の僧一絲文守大和尚を通じて後水尾上皇の勅建寺となり、寛文四年(1664年)には黄檗禅の高僧龍溪性潜禅師を中興開山と
して迎え、禅堂、経堂等を整え黄檗禅の中本山としての寺格を備えました。数多くの名僧をこのお寺から輩出しました。戦国時代の
戦火により焼きつくされ、以前のことを探る史料はほとんど残されていませんが、他のお寺、神社の記録により日野谷の中心となる
寺院であったことが知られています。



▼なんときれいな参道でしょう。







▼一歩参道に足を踏み入れたらビビッと感じる緊張感が。







▼山門です。







▼山号が書かれた山門の扁額。







▼袖塀には五本線がクッキリ。







▼正面に本堂が。







▼静寂の中、風の音だけが聞こえるようです。低木植栽で区分、砂利を敷きつめた境内、清浄な雰囲気。






            ▼翻る五色の吹き流し。






▼本堂 (重文)。仏堂に見えませんネ、そうなんです御所清涼殿の建物なんです。
 桃山時代の建物を後水尾天皇の叡慮で江戸初期に移築されたそうです。どうりで気品のかたまりですネ。
 桁裄五間、梁間五間、檜皮葺、寄棟造、一間向拝付。向拝の屋根は唐破風。

 





▼本堂は園通殿と云います。

        




▼内陣です。荘厳の色合いはやはり黄檗禅ですね。本尊は秘仏で、須弥壇奥のお厨子に祀られています。







▼内陣扁額。後水尾天皇筆による宸筆勅額。







▼これが正明寺厨子 (重文) と呼ばれているお厨子です。






            ▼本尊千手観音立像 (重文)。三十三年に一度開帳されるそうです。
             本尊は三尊形式で左脇侍は毘沙門天、右、不動明王、いずれも重文、鎌倉時代。



            (本尊写真はお寺で購入した生写真をスキャン)




▼本堂。







▼外縁に坐るのは赤ずきんちゃんではありません、お顔が妙にリアルなビンズルさん。







▼禅堂。







▼禅堂扁額。読めません、こういう文字がサラッと読める教養が欲しい。







▼鐘楼。この写真では分らないので……、







▼後ろに廻りました、間違いなく鐘楼です。







▼放生池。蓮花のなれの果て、人生そのもの。







▼元気な二葉。







▼放生池を隔てた高台に経堂。







▼一切経五千余巻が収められてるそうです。方三間宝形造。面白いのは裳階風二層屋根、上が本瓦、下屋根には桟瓦がしかれています。







▼経堂の扁額。まったく読めません。






            ▼三重の法華石塔。






▼開山堂。見事に刈り込みされた躑躅が、見事に開山堂を隠しています。







▼これは読めます。







▼開山堂こんなお堂です。再興された龍溪性潜禅師像を安置しています。桁裄三間、梁間二間、宝形造、桟瓦葺。







▼境内西に連なる建物は、右から玄関、庫裡、済堂。







▼玄関です。







▼済堂扁額には應供堂と書かれています。







▼済堂軒端の大魚板。打ち鳴らされ続けてもメゲへんぞ、ガンバレ魚板。







▼済堂の本尊がどなたなのか分らないまま正明寺 オ シ マ イ。







▼ご朱印です。






蒲生野日野町の山手に甍を構えるこのお寺、ご住職の話によると宇治の本山萬福寺の十分の一の寺域があるそうで、地域一番寺の誇
りが話の端々に感じ、境内は黄檗禅の伽藍配置がまるで小型萬福寺のように整然と、そしてこれ以上の清浄感はない程清められてい
ます。何とも気分爽快なお寺です。
アッそうそう、このお寺聖徳太子創建の由緒があるそうと書きましたが、どこにも聖徳太子は見当たりませんでした。
                    





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石馬寺、宝物殿にはビックリです。

2016年10月24日 | 滋賀の古寺巡り





(2016.10.22訪問)


先週、迷車大和路号は近江路の「牛のお寺」を訪ねましたので、今週は同じく近江路の「馬のお寺」を訪ねます。
近江平野は長閑です。どこまでも続く黄色と緑の田圃、ところどころで立ち上る藁焼きのケムリ、青空のもとのドライブなら気分壮
快なんですが、残念今日は曇天、昼からパラパラ来るかも知れません。訪ねるのは五個荘の石馬寺、聖徳太子と愛馬の由緒が残るお
寺です。またまた石段参道があるんですよ、イヤですネ。



            ▼貫禄の國寶刻字。高さ3mのインパクト、変則四つ辻に建つ石碑。
             ここからが参道と思われますが、しばらく左右に民家が続きます。





            [ 石馬寺 ]
            ●山号 御都繖山 (ぎょとさんざん)
            ●寺号 石馬寺 (いしばじ) 愛称 馬の寺
            ●宗派 臨済宗妙心寺派 (りんざいしゅうみょうしんじは)
            ●開基 伝 聖徳太子 (しょうとくたいし)
            ●創建 伝 推古二年 (594年)
            ●本尊 十一面観世音菩薩立像 (秘仏) 
            ▲滋賀県東近江市五個荘石馬寺町823番地 TEL 0748-48-4823
            ▲拝観料 500円 朱印300円
            ▲拝観時間 9:00~16:00 月曜日休み、月曜が祝祭日の場合は拝観可、翌日火曜休み。
            ▲http://ishibaji.jp/
            ▲札所 湖東二十七名刹十六番札所 近江西国三十三カ所霊場第九番札所 近江百八観音霊場第六十九番札所
            ▲JR琵琶湖線 「能登川駅」 下車 バス 5分 「石馬寺」下車10分 
            名神高速道路「竜王IC」から、国道8号「五個荘南」から約2km、駐車場徒歩5分。



▼参道石段口までやってきました。自然石に刻された寺号碑が建っています。
 この地には聖徳太子が建立された大門が建ってたそうです。





石馬寺縁起 (石馬寺HPより抄出)
約1400年前、推古天皇摂政の聖徳太子が、鎮護国家、仏法興隆を祈る道場を求め、繖山 (きぬがさやま) の麓来ると、駒は歩みを止
めて進まなくなり、傍らの松の樹につないで山に登ったところ、瑞雲たなびく風光明媚な風景が広がっていたのです。
聖徳太子は「積年の望みをこの地に得たり」と深く感動して再び山を下ると、松の樹につないだ駒が傍の池に沈んで石と化していま
した。この奇瑞に大いに霊気を感じ、この山を「御都繖山」と名付け寺を建立、馬が石となった寺「石馬寺」と号されたのです。




            ▼石馬寺命名の由来池です。






▼今でも聖徳太子愛馬が石と化し沈んでます、どっちが頭でどっちがお尻なんですかネ。







▼さて地獄の石段、お寺ではかんのん坂と呼んですそうです。やれやれ吸い込まれに行きますか。







▼杖が置いてあると云うことは……、







▼何処まで続くやら……、







▼上り出してすぐ左に僧坊跡。







▼跡地一角に石仏が捨ててある、てなことはないですよね。







▼石段の石の形状がなんか不規則に……、






            ▼苔むす風情の石段です。どこかで見たことありますよネ、
             そうです、三尾の神護寺もこんな石段でした。

 




▼石段分かれ道に、標石どうり右に行きます。

             




▼参道には五輪塔を中心に石仏が並んでいます。

 





▼テッペンが見えてきました。石段は約300段、ボクの足で約10分、神護寺より楽チン、カープみたいなもんで楽勝です。







▼境内スグに左に鐘楼。







▼庫裡です。先ず入山手続きを。







▼庫裡続きの書院から見た石馬の石庭。禅風石馬の縁起を表しているそうです。   













▼境内の一角。







▼平成十二年 (2000年) に建立の宝物殿。
 まだ木の香が漂うようなきれいな堂内、左右一杯に仏像が並んでいます。壮観です。







▼いきなり正面に丈六阿弥陀如来がド〜ンとお坐りです。
 丈六阿弥陀如来坐像(重文)像高274.0cm、木造、漆箔、平安時代。
 漆箔はかなり剥落していますが、定朝風像形の安定感は負けず劣らず。お顔はやや伏し目で、瞑想中とお見受けします。







▼阿弥陀さんのお顔。






            ▼十一面観音立像 (重文)像高179.7cm、木造、平安時代。






     ▼二天像 (重文) 四天王が左右二体ずつ分れてお立ちです。
      堂内右端の二天。
      右、持国天 (重文) 像高204.8cm、木造、彩色、平安時代。
      左、多聞天 (重文) 像高151.2cm、木造、彩色、平安時代。



      堂内左端の二天は、
      増長天 (重文) 像高203.6cm、木造、彩色、平安時代。広目天 (重文) 像高159.2cm、木造、彩色、平安時代。




            ▼役行者 (重文) 木造、鎌倉時代。



            その他、十一面観音立像 (重文) 大威徳明王牛上像 (重文) が安置されています。





▼本堂です。どの角度からもスッキリした堂形は撮れません。







▼本堂正面は締め切り、横の入口からの入堂になります。







▼過剰な荘厳はなく質素な内陣です。







▼中央須弥壇にお厨子が、本尊十一面観世音菩薩立像 (秘仏) が祀られています。






            ▼お厨子前にお前立ち観音像がお立ちです。
             天衣、上帛、裳が黒いのは珍しく新しいお像と見受けました。






▼中興の祖、雲居国師像。







▼さりげなく壁面に聖徳太子筆と伝わる、石馬寺と書かれた扁額。これが本物としたら、てなことは考えずにおきましょう。







▼境内の端に行者堂。







▼内部はまさに「がらん堂」本尊は宝物殿へ避難している役行者像。







▼行者堂。          












            ▼不動明王石像。ユニークですネ、実物見たら笑っちゃいますヨ。






▼本堂横にさり気なく石仏。






            ▼こちら本堂前に建つ聖観音さんに一礼して、石馬寺 オ シ マ イ






▼ご朱印です。






宝物殿はとにかく凄い!これだけの仏像をお寺の経て来た栄枯に盛衰、兵火や自然災害、時代変化にとらわれず守り通してきたお寺
の精神の持ちように驚くばかリ、こんな山寺と云っちゃ失礼なんですが、近江のお寺は実に奥深い、お寺のみならず時代時代の地域
住民の信仰心の深さや寺社に対する畏敬の念がこういった宝物を大事に大事にしてきたんだろうと改めて思います。
仏像に感激しすぎで聖徳太子はどこかへ行ってしまった感、皇子大変失礼しました                    合掌

次につづきます。近江路では珍しい黄檗宗のお寺です。





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園養寺、牛の寺と呼ばれています。

2016年10月20日 | 滋賀の古寺巡り





(2016.10.15訪問)


妙感寺から東へ約5キロ、野洲川の流れに沿って走ること約15分ほど、園養寺に到着です。湖南市の東端になります。
天台宗祖最澄さんと牛の逸話が残るこのお寺、近隣からは「牛の寺」と呼ばれ農家の厚い信仰が寄せられているそうです。
小さいお寺なんですが、本堂横に護摩壇が設えられ、天台密教1200年の法灯を紡ぐ由緒のお寺のようです。



▼な、なんと!参道へは線路を渡るんですヨ。
 このお寺入口がありません、参道前をJR草津線が走ってます。踏切ナシ、右見て左見て注意して線路を跨ぎます。
 線路敷設でJRのゴリ押しと云う説もチラホラ。





[ 園養寺 ]
●山号 華蔵山 (かぞうざん)
●寺号 園養寺 (おんようじ)
●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
●開基 伝 伝教大師最澄 (でんぎょうだいしさいちょう)
●創建 伝 延暦年間 (782~806年)
●本尊 大日如来坐像 十一面観音菩薩坐像
▲滋賀県湖南市三雲11 TEL 0748-72-0059
▲拝観料 境内自由 朱印300円
▲拝観時間 8:30~17:00
▲札所 湖南二十七名刹九番札所 近江西国三十三カ所霊場第三十二番札所
▲JR草津線 「三雲駅」 下車 タクシー 5分、徒歩20分 
 名神高速 「栗東IC」から約30分



▼この石段!この雰囲気! いいですね~。





園養寺縁起
この地は古来野洲川を渡る渡しが設けられ伊賀に達する街道の分岐点と云う交通の要地であったそう。延暦年間、最澄が延暦寺の造
営にあたり、用材調達をこの地に求め、難阻と云われたこの地で牛車とともに難儀し、苦労した牛への供養のために、この地に大日
如来を祀り牛馬の安全を祈願したのがこの寺の由緒だそうです。




▼期待してドンドン行きましょう。







▼最後の石段、山門が見えます。







▼山門です。見たら分りますネ。







▼山門から境内です。





山門を潜るとスグ右正面に本堂。アラッ植栽が荒れてのび放題、境内は小さいようです。
ヒョットして無住寺院?と云うような第一印象。

▼緑の中に埋もれている本堂。桁裄三間、梁間三間、寄せ棟造、桟瓦葺、一間向拝付。







▼本堂正面は閉め切られた格子戸。お堂内部は一切窺うことは出来ません。本尊 大日如来坐像、十一面観音菩薩坐像。







▼菊の御紋が燦然と光る扁額。なぜ菊の御紋かは確認出来ず不祥。山号は花蔵山、他の資料は華蔵山、なぜかこれまた不祥。







▼向拝貫の彫刻。由緒通り牛と馬が刻されています。







▼妙に賽銭箱が目立ってます。

                  





▼本堂。

 





▼牛堂。







▼近隣の信者から「牛の寺」と呼ばれ、寄進されたという牛が寝そべっています。
 大日如来を牛の守護神として正月初丑の日に祈願祭が行われるそうです。







▼なぜか手水鉢の前に石臼が置かれた手水舎。







▼護摩壇があります。枯れ葉や枯れ枝が集められているので、一応掃除はされているようですネ。







▼行者堂でしょうか。






            ▼役行者の石像が祀られています。






            ▼傍らに立派な宝篋印塔。






▼やや離れた高台に比較的新しい鐘楼が。この辺りはキレイに整備されてます。






            ▼この灯籠を建てた石工の感性に乾杯!






▼御朱印です。







▼右見て左見て注意して線路を跨ぎ駐車場へ。



線路渡りの臨場感をだすために、電車通過の写真を狙ったんですが、しばらく待ってもいっこうに電車は来ません。
待ちくたびれました、今日はもう帰ります。 
 
入山時に気付きませんでしたが、線路を渡ったスグ右に庫裏がありました。決して無住のお寺ではありません。
しかしお寺ガイドなど無いようで、詳細なプロフィールは不祥です。
いささか消化不良の 園 養 寺 オ シ マ イ
 




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妙感寺、完全無欠の千手観音菩薩、一見の価値。

2016年10月17日 | 滋賀の古寺巡り





(2016.10.15訪問)


迷車大和路号はまたまた近江路を走っています。ナゼ今週も近江路か、それは寺友から湖南市に「完全無欠の千手観音」がいらっし
ゃると云う情報が有り、疑いつつもそれではと云うことで名神栗東で降り湖南市を目指しているのであります。しかし相変わらず迷
車大和路号のアホナビはアホです。湖国には親切な方が多い、今度はJR草津線の三雲駅でタクシーの美人ドライバーに、妙感寺の場
所を尋ねたと思って下さい。なんと丁寧な教え方、さすがタクシードライバー、その後は迷うことなく一発到着です。



            ▼参道口の寺号石標は妙感禅寺、碑も刻字も立派なものです。





[ 妙感寺 ]
●山号 雲照山 (うんしょうざん)
●寺号 妙感寺 (みょうかんじ)
●宗派 臨済宗妙心寺派 (りんざいしゅうみょうしんじは)
●開基 微妙大師 (みみょうだいし)
●創建 伝 建武三年 (1336年)
●本尊 千手観音坐像
▲滋賀県湖南市三雲1758 TEL 0748-72-7640
▲拝観料 境内自由 朱印300円
▲拝観時間 9:00~17:00 12月から3月は9:00から16:30)
▲札所 湖南二十七名刹十番札所 近江西国三十三カ所霊場第三十三番札所
▲JR草津線 「三雲駅」 下車 タクシー 10分 
 JR草津線 「三雲駅」 下車 バス 10分 妙感寺下車徒歩3分
 名神高速 「栗東IC」から約30分



▼駐車場から境内へ、左右に小さいながらもきれいなお庭に囲まれた放生池。





妙感寺縁起 (妙感寺パンフから抄出)
雲照山妙感寺は、南北朝時代、大本山妙心寺第二世微妙大師によって創建。大師は建武中興の元勲萬里小路中納言藤原藤房卿その人
であり、後世、新田義貞、楠木正成とともに建武の三忠臣と讃えられた方です。藤房卿は大徳寺開山の大燈国師に就いて参禅し、建
武元年(1334年)三十九歳で出家。妙心寺開山無相大師(関山慧玄)に就いて修行、正平十五年(1360年)に妙心寺のニ祖となり、
四十二歳の頃、知行地であったこの江州三雲の郷に草庵を結びその後、後醍醐天皇念持仏の千手観音を泰安する持仏堂を建立された
のが妙感寺のはじまりです。大師は八十五歳で遷化、現在の開山塔がその墓所です。




▼十人前はありそうなアライが寄ってきました……、いかんいかん邪念はいかん。







▼石橋を渡ると正面に大きなお堂が。







▼方丈です。桁裄六間、梁間五間、寄せ棟造、銅板葺。
 元は仏堂ではなく、兵火で焼失後再建の際、中興の愚堂国師が後水尾天皇中宮東福門院の御殿を下賜されたそうで、中宮御座の間
 と愚堂国師安居の間があるそうです。













▼きれいに整備が行き届いたお庭から見た方丈。






            ▼中宮東福門院の御殿を表す木札。






▼方丈裏。







▼方丈庭園。まだ造園進行中かナ。







▼左手本堂前の手水鉢。ビックリする水の勢い。







▼境内左手、石段上に本堂らしくない小さな本堂 (観音堂)。桁裄三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺。







▼本堂 (観音堂)。







▼本堂扁額。







▼本堂内陣須弥壇上に噂の本尊千手観音がお坐りです。

                





▼本尊千手観音坐像。像高164cm、檜寄木造、玉眼。法衣は金泥仕上。南北朝。仏師不詳。      
 約700年と云う径時にも関わらず、全身一点の欠けもなく非常にリアル、法衣の金泥など未だ光っています。
 お顔が躯に比べ大きめで若干全体のバランスをくずしていますが、それ以外はお見事、素晴らしい千手さんです。

 





▼胸飾は胸に直接描き、金箔押しで瓔珞を表現。手の混んだ細かい造作でビックリします。







▼非常に厳しいお顔と玉眼はやや下向きで、一身に衆生救済を願っているようです。 


















            ▼右脇手。






            ▼左脇手。


 
            いずれの脇手にも持物が握られていますが、こうアップで撮るとちょっとグロ感が。




▼本堂天蓋。







▼本堂後堂の中央須弥壇上に閻魔さん、左脇には中興愚堂国師が祀られています。



(堂内写真は許可をいただいています)





▼逆光の本堂。きれいなゴーストを狙ったんですが……。






            ▼境内口に建つ開基微妙大師の廟所の石柱。






▼開基微妙大師の廟所。







▼廟所の開山五輪塔。







▼小さな五輪塔や板碑などが集められている一角,大きな南無阿弥陀仏碑が。






            ▼裏山登り口に三段の不老の滝。






▼この木段を上って行くと奥之院、と云っても磨崖仏が有るだけなんですが……、







▼イヤイヤ上ると……、







▼もう少し上ると……、







▼ちょっとばかり粗末な小屋の中に、二人の童子を連れたお地蔵さんの磨崖仏が鎮座。






            ▼御影石の巨岩に彫りだされています。像高173cm、鎌倉後期。
             右手に錫杖左手には宝珠を持ち、船形光背を彫り込み半浮き出しの像で蓮華坐にお立ちです。






            ▼左、謎の童子。






            ▼右、謎の童子。



     平安末の偽経「仏説延命地蔵菩薩経」が説く延命地蔵の脇侍、掌善、掌悪の二童子ではないかと推測されているそうです。




            ▼お地蔵さん上半身アップ。






▼お顔です。惜しいかなお顔だけが摩耗が進んでいるようです。







▼ご朱印です。






ここ妙感寺のご近所には湖南三山も控えており、各お寺は決して大きくないんですが、歴史を紡いできた自負でしょうか仏像をはじ
めとする宝物がさりげなく置かれ、非常にオープン、人情の機微、そこに住む人々の心の豊かさ、強いては湖国の奥深さを近江路を
走っていると強く感じます。湖北、湖東、湖南、そして湖西には魅力的な古刹が数多く点在。これからは湖国の古刹巡りが増えそう
です。

次はもう少し東に走ってみます。 





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