土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

長岳寺、花のお寺も冬枯れ中。

2018年01月29日 | 奈良の古寺巡り





(2018.01.27訪問) 


久々の西名阪を新大和路号は疾走中! 相変わらずこの高速道路はクルマが途切れる事がありません。天理ICから天理市内を通り
169号線を南下、左手に山の辺の道、大和青垣の山並みを望みながらしばらく走ると、崇神天皇陵の手前に長岳寺の道標、左に折
れればお寺はすぐそこに。長岳寺では著名な本尊阿弥陀三尊を見ることができます。この三尊は玉眼入り像としては最古の像らし
く、今日はその玉眼像とにらめっこをするために長岳寺に向かっています。





▼参道。







[ 長岳寺 ]
●山号 釜の口山 (かまのくちさん)
●寺号 長岳寺 (ちょうがくじ) 愛称釜口大師
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●勅願 淳和天皇
●開基 弘法大師空海 (こうぼうだいしくうかい)
●開創 天長元年 (824年)
●本尊 阿弥陀三尊
▲拝観料 350円 朱印300円
▲時間 9:00~17:00
▲奈良県天理市柳本町508 Tel.0743-66-1051
▲JR桜井線「柳本駅」下車、東へ徒歩20分
 近鉄天理駅からバス桜井方面行、近鉄桜井駅から天理方面行 長岳寺で下車。 東へ徒歩5分
 西名阪自動車道「天理IC」から国道169号を南へ約6km



長岳寺縁起
天長元年 (824年) 弘法大師空海が淳和天皇の勅願により大和神社 (おおやまとじんじゃ) の神宮寺として創建。
盛時には塔頭四十八坊、衆徒三百余名を数えた。





▼大門。長岳寺の総門。六脚、切妻造、本瓦葺。寛永十七年(1640年)再建。







▼参道。







▼雪が残っています。







▼鐘楼門。







▼鐘楼門。梵鐘はありませんが鐘楼門と云ってます。







▼本堂。桁行五間、梁行四間、入母屋造、本瓦葺、正面一間向拝付。天明三年(1783年)再建。







▼本堂前面。







▼本尊阿弥陀三尊像(重文)。中央本尊阿弥陀如来坐像、右脇侍観音菩薩半伽椅座像、左勢至菩薩半伽椅座像。
 この三尊は我が国初の玉眼入り像として最古の像。
 写真では判りにくいですが、本尊両端の半伽椅座像の脚を見て下さい。片足を垂らしています。これも中々例を見ませんネ。







            ▼本尊阿弥陀如来坐像(重文)。木造、像高半丈六、仁平元年(1151年)造像。







▼増長天立像(重文)。木造、仁平元年(1151年)造像。







▼多聞天立像(重文)。木造、仁平元年(1151年)造像。







            ▼大地獄絵。狩野山楽筆、安土桃山時代。写真は閻魔庁閻魔王図部分。
             九幅の軸で構成され、全体が一枚の絵となっているそうです。







▼本堂裏。頭隠してなんとやら。







▼本堂から見た放生池。全面凍結、鯉達はどうしてるんでしょうネ。







            ▼本堂前に建つ練塔。塔身に金剛界四仏の種子が彫られています。八層石造塔 鎌倉時代後期。







            ▼お不動さんの石像。外では見れないユニークさ。







▼本堂前の石段を上り高台へ行ってみましょう。

          





▼拝堂。このお堂は大師堂の拝殿です。

             





▼拝堂扁額。







▼最奥の扉が少し開けられ、大師堂が拝されるように設えてあります。







▼大師堂。







▼扁照殿と書かれている大師堂扁額。扉は完全〆切、内部は窺い知れません。







            放生池を巡る池泉回遊式庭園を回ってみましょう。

            ▼これは宝篋印塔でしょうか、背の高い石塔です。







▼鐘楼。







            ▼空海さん石像、目がリアルです。







▼歌碑。







            ▼石造りの卒塔婆。何やら梵字が刻まれています。







▼放生池対岸からの本堂です。相変わらず池は全面凍結。







▼各所に石仏が。



















▼庫裏山門。庫裏に素晴らしい菩薩が居られるんです。







▼台所の照明。







▼小さいながらもきれいなお庭。







▼庫裏延命殿内、正面のこの方が普賢延命菩薩、やはり象に乗ってます。







            ▼普賢延命菩薩。千手の普賢さんて珍しくないですか。







▼右真手が握る三鈷杵、間違いなく密教菩薩です初めて見ました。
 造作要素の多い条件で破綻なくバランス抜群、そして男前。久々に納得の普賢さんでした。







▼このお寺には人嫌いなニャンコが多いんですが、こいつだけ逃げないで一人暴れをやってました。







▼ご朱印です。







放生池は凍り、人っ子一人いない冬枯れの境内はやはり寂しいもんです。数日前の雪の名残がところどころ残り、寂しさをより一
層高めているようです。常々お寺巡りは冬場に限ると云っているんですが、これって負けず嫌いなんでしょうか。
そうそう、本尊とにらめっこは出来ません、須弥壇までちょっと距離がありすぎました。

長岳寺 オ シ マ イ





  ↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

橘寺、聖徳太子舊跡、上宮王院の名残り。

2018年01月25日 | 奈良の古寺巡り





(2018.01.20訪問) 


山のお寺威徳院から県道155号線を戻ります。右手に川原寺の広場がある県道を挟んだ丁度前、橘寺の標識が建ち、左への小径を
200mほど行くと橘寺西門に着きます。お天気上々、またもや貸し切りか、人の気配なし、ジックリユックリ拝観出来そう。
1400年の寺歴もその間、兵火、災害など艱難辛苦の歴史へて江戸期にはその勇壮な寺景は悉く無に帰し、聖徳太子夢の跡となった
そう。確かに境内を巡っていて往時の面影は残念ながら感じる事はありませんでした。





▼西門。







[ 橘寺 ]
●山号 仏頭山(ぶっとうさん)
●院号 上宮皇院 (じょうくうおういん)
●寺号 橘寺 (たちばなでら)
●勅願 伝 推古天皇 (すいこてんのう) 聖徳太子叔母
●開基 伝 聖徳太子 (しょうとくたいし)
●開創 伝 推古天皇十四年 (606年)
●宗派 天台宗
●本尊 聖徳太子像 (重文)
▲拝観料 300円 朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:30
▲奈良県高市郡明日香村橘532 Tel.0744-54-2026

▲近鉄橿原線「橿原神宮前」駅より奈良交通バス「岡橋本」下車 徒歩約3分





▼手水舎。







橘寺縁起 (橘寺パンフより抄出)
聖徳太子は推古天皇十四年天皇の勅で勝鬘経講讃した。その時大きな蓮の花が庭に1mも降り積もり、南の山に千の仏頭が現れ光明
を放ち、太子の冠から日月星の光が輝き、不思議な出来事が起こったので、天皇はこの地にお寺を建てるよう太子に勅した。そこで
造ったのが橘樹寺(たちばなのきてら)で、聖徳太子建立七ヶ大寺の一つに数えられた。当初は東西870m、南北650mの寺地に、金堂、
講堂、五重塔を始め六十六の堂宇が立ち並んでいた。日本書記には天武天皇十年 (681年) 尼房失火のため十房焼いた記録があり、当
時は尼寺であったと思われる。





▼本堂。本尊聖徳太子立像。
 豪華な向拝は妻を千鳥破風、前に唐破風を置き杮葺、お堂本体が本瓦葺の合体堂姿、ユニークな感じがします。
 桁行三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。後堂が付属してます。元治元年 (1864年) 再建。







▼本堂前面。







▼境内から甘樫丘、川原寺趾遠望。







▼太子愛馬黒駒。斑鳩との往還に疾走する太子の勇姿が目に浮かびます。







▼護摩堂。桁行三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。







            ▼三塔並ぶ中央の石塔、大乗妙典と刻されているようです。







▼観音堂。桁裄三間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。
 このお堂は安永六年(1777年)に本堂として建立されたが元治元年(1864年)現本堂建立に伴い現在地に移
 築されたそうです。







▼如意輪と書かれた扁額。







▼観音堂本尊如意輪観音坐像(重文)。右真手に持つ如意宝珠が光ってますネ。







▼経堂 (阿弥陀堂)。方3間、宝形造、本瓦葺、一間向拝付。







▼経堂内陣。須弥壇中央に本尊阿弥陀さんがお坐りです。







▼経堂本尊、阿弥陀如来坐像。阿弥陀さんの見本のような堂々たる像形、二重円光背の後ろに舟形唐草光背が最高格を表現している
 ようです。







▼二面石。左右に善相と悪相が彫られており、人の心の二面性を表現しているそうですヨ。







            ▼石灯籠。火袋に球体の石が置かれています。何か意味があるんでしょうネ。







▼放生池。







▼五重塔跡の心礎。直径90cm、三方に添え柱孔、塔高推定38mになるそうです。

          





▼鐘楼。

           





▼阿字池。聖徳太子作池と伝承。梵字がモチーフだそうです。

           





▼宝蔵か経蔵か判りませんが蔵です。さすが橘寺、蔵まで時代係ってますネ。







▼恐らく用を成さないでしょうこの錠前。







▼往生院。写経研修道場として平成九年 (1997年) 再建。







▼往生院扁額。







▼広い室内、左右イッパイに須弥壇が設えられています。中央に本尊阿弥陀三尊が祀られています。







      





▼浄土を表す華天井。260点奉納されてるそうです。







▼東門から本堂へ、一直線の参道。







▼東門、橘寺の正門。なぜか狛犬がいます。







▼東門越しの境内。







▼ご朱印です。







本堂の太子孝養像と愛馬黒駒の像のみが僅かに聖徳太子を偲ぶよすがでしょうか。寺伝に述べられているようなお寺創建時の姿はと
ても感じる事は出来ませんが、超人聖徳太子は確かに歴史上にその名を残しています。そんな超人がこの地に残した仏教文化の一つ
のカタチがこの明日香の地に今なお息づいている。嬉しい事じゃありませんか。法隆寺や四天王寺だけが聖徳太子ではありませんも
んネ。
橘寺 オ シ マ イ





  ↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

威徳院、天空の村にある毘沙門さんのお寺。

2018年01月22日 | 奈良の古寺巡り





(2018.01.20訪問) 


新大和路号は先週に続いて明日香路失踪中、じゃなかった疾走中!
先週飛鳥寺から自宅への帰りコースを今日は戻っているんです。国道169号線橿原市から明日香村に続く県道155号線は今日も長閑。
冬真っ最中も絶好のお寺巡りになる予感。訪ねるのは「大和の隠れ寺」とお寺が自称している威徳院です。 



▼石舞台からしばらく走ると、はじめての大きなカーブにかかる手前に「大和の隠れ寺威徳院」のサインが建っています。脇の細い
山道が威徳院への道、道は鋪装はされていますがなにしろ細い、その道がこれです。







            [ 威徳院 ]
            ●山号 籐花山 (とうかさん)
            ●寺号 威徳院 (いとくいん)
            ●開基 不詳
            ●開創 江戸時代末
            ●宗派 真言宗豊山派
            ●本尊 毘沙門天
            ▲拝観料 境内自由 朱印300円
            ▲奈良県高市郡明日香村尾曽267 Tel.0744-54-2702
            ▲近鉄吉野線「飛鳥駅」「岡寺」から徒歩1時間
             循環バス (金かめバス) 上バス停から徒歩6分





            ▼道の両側は樹林が続き、途中右にお寺の石標が立っています。






威徳院縁起
寺伝によると、飛鳥時代日羅上人という方が毘沙門天を感得し開いたと伝わり、江戸期に開創され尾曽の毘沙門さんとして信仰され
ている。



▼1キロほど走ると尾曽の集落に到着。左側に威徳院が見えてきました。







            ▼白壁の前に建つ石標。







▼簡素な山門。







▼境内一望、でもないんです。右手が高台になり小さいお堂や石仏が点在しているんです。







▼鐘楼。







▼本堂。桁裄4間、梁間4間、寄棟造、本瓦葺。
 本尊は毘沙門天。通常秘仏で年1回4月10日に特別公開されるそうです。ご住職に入堂お願いしましたが、厳として断られました。







▼本堂前面。







▼毘沙門天王と書かれた扁額。







▼大屋根の瓦。







            ▼本堂前に建つ観音菩薩石像。
             飛鳥時代の戦乱兵火で滅んで行った蘇我氏、物部氏や藤原氏などの
             人々を弔うための観音さんだそうです。







▼佛足石。







▼魚濫観音が祀られていますが、なに故に山のお寺に。







            ▼魚濫観音。
             鯛でしょうか、その背に乗っています。魚売りの美女が観音様であったという
             中国説話にもとづくものといいますが……。







▼弁天堂。







▼弁天堂扁額。







▼弁天堂の須弥壇です。ご本尊がお坐りのようですが、残念見えません。

          





            ▼お不動さんの石像。

                     





▼珍しや樽のお堂。お醤油か、お味噌か、お酒か分かりませんがこれは樽です。

                     





            ▼中に小さな観音さんがお立ちです。







▼こちらの樽には……、







            ▼阿弥陀さんでしょうか祀られています。







▼空海さんもいました。







もう一段高台には四国を形どったミニ四国八十八カ所霊場のお砂踏み道場があります。

▼四国八十八カ所霊場お砂ふみ道場。
 四国八十八カ寺のご本尊の石像が祀られ、像前に霊場砂が納められた蓮華石板、石板を踏みながらミニ霊場巡りが出来ます。         













            ▼一番札所霊山寺の釈迦如来坐像。







▼石橋が架けられ変化に富んだ霊場巡りが楽しめますヨ。







            ▼霊場を空海さんが見守ってくれているようです。







▼霊場を取り巻くように、山茶花が満開です。







▼威徳院はかなり高い位置に在るので見晴し抜群。後方は明日香村から橿原市街。畝傍山、二上山が望めます。







▼ご朱印です。







頂いたお寺のパンフには現状を記すのみで開基開創等の詳細は不詳のお寺のようです。
在地の尾曽は明日香でもかなりの高地にあるので、いつしか天空の村と呼ばれているらしく、境内高所からの眺望はなかなかのもん
です。残念なことに今日のお天気上々なれど、遠望効かず、眼下も霞んでいました。

威徳院 オ シ マ イ





  ↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

黄色が満開!

2018年01月20日 | 花巡り




(2018.01.19訪問)


今年も好きな黄色に会いに大阪城梅林へ行ってみました。
梅林の蠟梅は満開、少ない株一本一本に鈴なりの黄色が……、
青空に黄色、これほどのカラーマッチングはありませんよネ。






































































今日の大阪城。







  ↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

飛鳥寺、本邦初の寺院で本邦初のお釈迦さんが健在です。

2018年01月18日 | 奈良の古寺巡り





(2018.01.14訪問) 


新大和路号は九品寺から明日香の飛鳥寺を目指しています。
我が国黎明期の政の中心明日香の地。蘇我氏打倒に名を成した中大兄皇子や中臣鎌足が活躍した飛鳥時代。権力闘争が繰り返された
この地に我が国初の本格寺院として建立されたのがこの飛鳥寺なんです。創建時の一塔三金堂、取り巻く廻廊など壮大な寺形や伽藍
規模は偲ぶべくもありませんが、唯一飛鳥時代の香りを残し、悠久の歴史と時を刻みながら整然と坐す釈迦如来が健在です。当時の
エース仏師鞍作鳥が精魂一徹、我が国初の仏像として造像されたお釈迦さんに会いに行きましょう。 





            ▼東門前に建つ飛鳥寺の代名詞。







            [ 飛鳥寺 ]
            ●山号 鳥形山 (ちょうけいさん)
            ●寺号 飛鳥寺 (あすかでら) 創建時 法興寺 (ほうこうじ) 現在称 安居院 (あんごいん)
            ●開基 伝 蘇我馬子 (そがのうまこ)
            ●開創 伝 推古天皇四年 (596年)
            ●宗派 真言宗豊山派
            ●本尊 釈迦如来坐像
            ▲拝観料 300円 朱印300円 駐車場 無料
            ▲拝観時間 9:00~17:00
            ▲奈良県高市郡明日香村飛鳥682 Tel.0744-54-2126
            ▲近鉄橿原線「橿原神宮前」下車 東口から周遊バスにて「飛鳥大仏前」下車スグ





▼東門。手前が駐車場なので入山はこちらからになります。







飛鳥寺縁起 (飛鳥寺パンフより抄出)
第三十二代崇峻天皇元年 (588年) 蘇我馬子が発願し、第三十三代推古天皇四年 (596年) に創建された日本最初の寺であり、寺名を法
興寺、元興寺、飛鳥寺とも呼んだ。昭和三十一年の発掘調査により創建時の寺は塔を中心に東西と北に金堂を配する最初の本格寺院
で、外側に廻廊を巡らし、北に講堂を含む壮大な伽藍であった。本尊飛鳥大仏は推古天皇が詔して鞍作鳥 (止利仏師) に造らせた日本
最古の仏像。旧伽藍は平安、鎌倉期の火災により焼失、室町以降荒廃したが、江戸期に再建され今日に至っている。





▼境内南に鐘楼。







▼今はごく小さな境内、創建法興寺の面影を感じることは出来ません。







▼放生池も小さいですが、面白い形をしてます。真ん中の四角い石はなんでしょうネ。







▼本堂。桁裄3間、梁間3間、寄棟造、本瓦葺。
 創建時の中金堂趾に建ってるそうです。祀られている本尊こそが我が国最古の仏像なんです。







▼本堂内陣。







▼本尊釈迦如来坐像(重文)。飛鳥大仏として親しまれている我が国最古のお釈迦さん。
 銅像、像高275.2m、使用銅量15トン、仏師鞍作鳥(止利仏師)、飛鳥時代、推古天皇17年(609年)造像。
 本尊は創建時に据えられた石造台座の上に安置されている。発掘調査の結果、この石造台座は創建時から動いていないことが明ら
 かになったそうです。







▼苦労の跡が偲ばれるお顔。平安鎌倉期の落雷や大火災のため全身罹災、補修や後補の痕だらけ、相当酷いことになっていますが、
 端正な姿勢はさすがお釈迦さん。







▼飛鳥彫刻の神髄、止利仏師渾身の作。







            ▼本堂右脇壇に阿弥陀さんが祀られています。







▼阿弥陀さんのお顔です。







            ▼左脇壇にはお厨子に入った聖徳太子孝養像。







            ▼太子16歳のお顔。凛々しく賢そう、父用明天皇病気回復祈願中だそうです。







▼堂内の緊張感に全く合っていない飛鳥大仏大提灯。これは要らんでしょう。







▼観音堂(思惟殿)。方3間、宝形造、桟瓦葺。







▼思惟殿と書かれた観音堂扁額。

          





▼堂内は少々雑然とした感じ。

             




            ▼本尊観音さん、表現のしようがないお顔、非常にユニークな本尊です。

            




▼飛鳥寺西門。こちらが本来の正門です。







▼甘樫丘側から飛鳥寺を見ると。







▼飛鳥寺の南、かって真神原と云われた地は、今もなおこんなところです。







            ▼西門から約100m西にある蘇我入鹿の首塚。
             中大兄皇子、中臣鎌足によって決行された蘇我入鹿殺害クーデターで、
             その時切られた首がこの地まで飛んで来たんです。
             その祟りを祓うために首塚が建てられたと伝えます。







▼ご朱印です。







1400年の時間の流れは時として酷い仕打ちをするものです。最古の仏像釈迦如来坐像は満身創痍で傷だらけ。非常にお気の毒な状
態ですが、狭い本堂の中で時の流れをものともせずに整然と坐す姿には思わず手を合わせ、よくぞ今まで、とこれからも、とエール
を送りたくなるお釈迦さんでした。

飛鳥寺 オ シ マ イ





  ↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ