土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

梅だより、大阪城梅林一分咲き。

2013年02月28日 | 花巡り


(2013.02.26訪問)

紅白いずれも早咲き種がパラパラ咲いている程度で、一分咲きといったところでしょうか。
ほぼ例年通り三月十日過ぎから中旬位になりそうです。
あまり淋しいので咲いている梅花はアップでアップ?

▼早咲き鹿児島紅もこの程度。




▼満月枝垂。




▼寒紅




▼古城




▼道知辺




▼八重野梅




▼鹿児島紅




▼小梅




▼紅冬至




▼白滝枝垂




▼黒雲




▼香篆




▼旭鶴




▼緑萼




▼楊貴妃




▼早咲き八重野梅もまだ蕾もたくさん。




▼見渡せばこんな感じの大阪城梅林2月26日でした。


曼殊院門跡は、一人のただ者ではない僧侶の創造力の結晶。

2013年02月26日 | 京都の古寺巡り


(2013.02.23訪問)

スーパーマンの力はやはり偉大です。中興の祖と仰がれる良尚法親王がその人、良尚さんは止ん事無き秘所
の出。出生がそうさせたのか歌道、書道、茶道、華道、香道、絵画には並外れた才を持ち、建築学や作庭に
通じ、大書院、小書院など書院建築を、名庭園の誉れ高い今の庭園造園をリードし、その識見、創造力はい
わば総合プロデューサーでありアートクリエーター、江戸初期に置けるただ者ではない人です。ちなみに父
上は桂離宮を創建した桂宮智仁親王、その父にしてこの子あり、稀代の創造者が今に残す数々のアートは、
このお寺の随所に見ることが出来ます。

▼小書院前の亀島。




[ 曼殊院 ]
●寺号 曼殊院 (まんしゅいん)
●宗派 天台宗
●開山 是算国師 (ぜさんこくし)
●創建 天暦年間 (947~957年)
●中興 良尚法親王 (りょうしょうほっしんのう)
●本尊 阿弥陀如来坐像
▲京都市左京区一乗寺竹之内町42 電話/075-781-5010
▲拝観料 600円
▲叡山電鉄 一乗寺駅または修学院駅下車徒歩約20分
 市営バス JR京都駅から5番、地下鉄北大路駅から北8番、その他31・35・65番系統、地下鉄国際会館駅よ
 り5・31・65番系統で一乗寺清水町下車、東へ徒歩20分

曼殊院門跡縁起 (曼殊院HPより抄出)
延暦年間 (728~806年) 宗祖伝教大師最澄により、鎮護国家の道場として比叡の地に創建されたのが曼殊院
のはじまりである。その後、天暦年間 (947~957年) 是算国師のとき比叡山西塔北渓に移り、「東尾坊」と
号した。また、この国師が菅原家の出生であったことから、北野天満宮が造営されると初代別当職に補され、
以後明治維新まで北野別当職を歴任することになる。寺では是算国師を曼殊院初代としている。
天仁年間 (1108~1110年) 八代忠尋大僧正が寺号を「曼殊院」と改め、北山に別院を建立された。そして明
暦二年 (1656年) に二十九代良尚親王が入寺され、現在の地に堂宇を造営したのが今日の曼殊院である。

▼参道。




▼参道。五本線が格を誇る築地塀と苔。植わっているのは全部楓、凄いことになるそうです。




▼勅使門。この前も凄いことになるそうです。秋には。




▼勅使門、中に見えるのは大玄関。




▼門札。




▼拝観通用門への参道です。




▼「その奥に媚びんよりは、むしろ竃に媚びよ」良尚さん筆の庫裡玄関の扁額「媚竃(びそう)」。




▼いきなりの中庭。




▼大書院 (重文) の一部。




▼「よこしまな心を払い、取り除け」大書院廊下の扁額「塵慮尽 (じんりょじん)」と書かれています。
 この字を読める人はどんな人でしょうね。




▼大書院滝の間と奥が十雪の間。間を仕切る卍くずしの欄間。




▼この方がスーパーマン、良尚法親王さん。




▼大書院滝の間からお庭の五葉松。




▼鶴島の五葉松と根元にちょろっと見えるのがキリシタン燈籠。このお庭には五基八燈の燈籠」と称される燈籠
が置かれているそうですが、これがそのうちの一つ。




▼お庭鶴島の樹齢400年といわれる五葉松。太い幹からグッグッと伸びる枝振りを鶴に見立てています。




▼蹲。




▼障子の引手一つにも凝った杉戸の瓢箪引手。




▼蓬莱山を表すお庭。




▼燈籠。五基八燈の一つ、三重塔型燈籠か? 二基以外発見できませんでした。




▼小書院 (重文) 。




▼「閑静亭 (かんじょうてい)」彫られた扁額。この書も良尚さん筆と思いますが、読めませんでした。




▼朱の毛氈が鮮やか、小書院廊下。季節により毛氈の色が変わるそうです。




▼小書院黄昏の間の曼殊院棚。寄せ木の数がハンパじゃないみたい。




▼小書院富士の間と黄昏の間を仕切る菊透かしの欄間。




▼亀島。以前は亀形の松が植わっていたそうです。




▼鉢と受け石は亀、奥石が鶴を表す蹲。いわれれば何となくそんな感じがします。




▼富士に彩雲の釘隠し。




▼菊と短冊の釘隠し。




▼中庭。




▼ここにも感性の一端、オシャレやねェ、障子の引手。




▼谷崎潤一郎寄贈の梵鐘。




▼護摩堂。四方三間、宝形造、桟瓦葺。明暦二年 (1656年) 建立。毎月28日護摩法会。




▼蕾み固し。




▼良尚さん筆の隷書(レプリカ)。




境外弁天池に菅原道真を祀る弁天島があります。
▼弁天池の石橋。




▼弁天堂への参道鳥居。




▼先ほどの石橋を渡ります。




▼弁天堂。




▼天満宮。北野天満宮を勧請したお曼殊院のお宮さんです。




▼御朱印です。




お寺としての印象は個人的にはほとんど感じませんでした。むしろ寺院という名の美術館。お庭をは
じめ境内環境、建物、室内の凝りに凝った設えや調度、良尚さん個人の卓越した能力が、天台五箇室
門跡の一つとしての格式を強烈に高めているようです。永徳や探幽の障壁画などが各部屋を飾ってい
ます、禁写真! 残念、念、念。
お庭に下りることが出来なかったことも 残念、念、念。

▼今日午後3時頃の出町の出会いです。






吉野水分神社、神の聖域を独り占め。

2013年02月22日 | 奈良の古寺巡り


(2013.02.16訪問)

金峯山寺の参拝を終え、塔頭喜蔵院で孔雀の相手をしましたが、全然相手にされず、それではと上千本を目
指すことにしました。
最初は行く気マンマン、すぐにマン、そしてヘト、やがてヘトヘト…。
キツイ坂を上るにつれて、雪が目立って来ました。道はジュクジュク、一台タクシーが行きましたが、それ
以外動くものはいません。朱色の鳥居が見えました、 ホッ!

▼上千本付近から吉野の山々。




[ 吉野水分神社 ]
●社号 吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)
●開創 不詳
●社格 式内社 旧村社
●祭神
 正殿 天之水分大神 (あめのみくまりのおおかみ)
 右殿 天萬栲幡千幡姫命 (あめよろずたくはたちはたひめのみこと)
    玉依姫命 (たまよりひめのみこと)
    天津彦火瓊瓊杵命 (あまつひこほのににぎのみこと)
 左殿 高皇産霊命 (たかみむすびのみこと)、少彦名命 (すくなひこなのみこと)、御子命
▲奈良県吉野郡吉野町吉野山字子守1612 電話/07463-2-3012
▲近畿日本鉄道阿倍野橋駅から特急吉野行きで終点吉野駅、ロープウエイ千本口駅から吉野山駅。
シーズン中は吉野駅、吉野山駅から奥千本行バス便がありますが、冬期は運行していません。
タクシーか歩いてください。詳細は吉野大峯ケーブル自動車のHPをどうぞ。

吉野水分神社縁起 (鳥居前案内板から抄出)
創立年代は不詳ですが一千年前の延喜式神名帳にすでに大月次、新嘗に案上官幣に預る旧社にて大和四処水
分の第一として記され吉野八大神祠の一社で、俗に子守大明神と申されます。水分とは「水配」の意味で水
を程よく田畑に配分する神様で、毎年四月三日に五穀豊穣を祈る御田植祭が盛大に行われ、その神事は吉野
町の無形文化財として指定されています。
当社が子守の神になった事については「水配」が「みくまり」「みこもり」 「こもり」と転訛して子供を護
る神、子供を授ける神になったと言われています。

▼鳥居。




▼神社案内板。




▼立派な楼門です。昭和六十二年解体修理されたそうで、古色の境内の中では異彩です。




▼正面から楼門。重層、入母屋造、橡葺(とちぶき)、十二脚門。




▼境内。右に本殿、左に拝殿、正面幣殿。
社殿がコの字形に配されたこじんまりとした境内は、人の気配なし、物音なし。




▼三棟一体の本殿 (重文)。中央春日造、左右流造、檜皮葺。慶長九年 (1605年) 豊臣秀頼再建。
棟をつないだ建築様式で水分造 (みくまりづくり) というそうです。




▼右殿(重文)。




▼正殿(重文)。




▼正殿(重文)。




▼左殿(重文)。




▼幣殿に祀られている子守大明神。切妻造、柿葺。




▼豊臣秀頼寄進と伝わる神輿。幣殿左右に二基置かれています。




▼境内。手前右にしだれ桜。これがまた凄いらしいですよ。




▼拝殿のつらら。




▼拝殿の吊り燈籠。これは新しいものです。




▼枝に雪。なんの木か知りませんが芽吹いています。春待ち雪のオシャレな姿。と思いません?




▼道端に役行者。
この前の道を右に行くと、奥千本で僅か3キロほど。もう行く気はありません、絶対に! 




▼神社から少し下ったところからの眺めですよ。




▼よくぞ来たものよと感無量! 中央上、蔵王堂ですよ。




深閑とした吉野山中、雪景色の中に鎮まる吉野水分神社は、小さな神域に歴史の星霜を経た悠久の時が留ま
り、静かな祈りの世界がここに在る、そんな精神の聖域を、凛とした静寂の中、今、独り占めしています。
きらびやかな大神社のあの雰囲気はここには有りません。静です、閑です、物音一つしません。

桜シーズンになると、そんな感傷は何処かに吹っ飛ぶそうです。

金峯山寺、吉野の山は一面雪景色のはずが…。

2013年02月18日 | 奈良の古寺巡り


(2013.02.16訪問)

冬の吉野は雪に埋もれているだろう、とクルマはやめて電車で行こう、と阿倍野から近鉄特急に乗りました。
さくらライナー特急料金500円はきわめて快適、1時間少々で終点吉野に到着。
降りた方なんと数人、まるで大阪の空気を吉野まで運んでいるようなもの、近鉄さんも大変ですナ。天下の
名所もオフはこんなものかと一人ナットクして駅を出たらすでに誰もいない! 雪もない!

▼蔵王堂。




●山号 国軸山(こくじくさん)
●寺号 金峯山寺(きんぷせんじ)
●宗派 金峯山修験本宗総本山
●開基 (伝) 役小角 (えんのおずぬ)
●創建 白鳳年間 (7世紀後半)
●本尊 金剛蔵王大権現三尊(重文)
●平成十六年(2004年)「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録。
▲奈良県吉野郡吉野町吉野山 電話/0746-32-8371
▲近畿日本鉄道阿倍野橋駅から特急吉野行きで終点吉野駅、ロープウエイ千本口駅から吉野山駅。
 京都、名古屋方面からは近畿日本鉄道HPでご確認を。

金峯山寺縁起(金峯山寺HPより抄出)
大和の国、吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山 (きんぷせん) と称し、古代より世に広
く知られた聖域でした。この金峯山に役行者神変大菩薩が白鳳年間 (7世紀後半) に修行に入り、修験道独特
の金剛蔵王大権現を感得されます。この姿を桜に刻んで、山上ケ岳(現大峯山寺本堂)と山麓の吉野山に祭祀さ
れます (現金峯山寺蔵王堂)。これが金峯山寺の開創と伝えられています。

▼大阪阿倍野から、この特急で着きました。近畿日本鉄道 吉野駅。




▼吉野山の入り口、吉野駅前。4~5人の人がいたのですが? はや誰も。



ロープウェイにはお一人相客がいましたが…

▼黒門。金峯山寺の総門。




▼黒門の説明です。




▼黒門をくぐり少し行くと参道左右にお店が軒を連ねています。ほとんど閉まってます。
アッ!お一人前に、ロープウェイの方です。




▼銅の鳥居。かねの鳥居というそうです。




▼はや仁王門に着きました。広角忘れたので写真の撮りようがありません。おおお屋根に雪が…。




▼寺標。




▼仁王門 (国宝)。境内一部補修中で直進できず、迂回路で境内へ。
重層楼門、桁行三間、梁間二間、三間一戸、十二脚門、入母屋造、本瓦葺。康正二年 (1456年) 再建。




▼金剛力士阿形像です。阿吽両像とも像高5.7m、大仏師康成 (運慶の曾孫) 作、延元元年 (1338年) 造像。




▼吽形像です。




▼蔵王堂 (国宝)。本尊金剛蔵王権現三尊は秘仏。
金峯山寺の本堂。内部の柱は、自然状態柱が使用され、樹種色々の柱が用いられている。
桁行七間、梁間七間、入母屋造、檜皮葺、高さ34m。重層ではなく単層、下の屋根は裳階 (もこし)。
桃山時代再建。




▼蔵王堂扁額と大提灯。




▼本堂後堂に祀られています金剛蔵王権現像。本尊三権現はお厨子でお休み中。
木造、像高459cm、鎌倉時代後期。元は吉野山の奥の院と呼ばれた安禅寺の本尊。




▼銅灯籠 (重文)。




▼鐘楼。




▼観音堂。




▼境内案内図。




▼愛染堂。




▼神楽殿。




▼威徳天満宮。




▼威徳天満宮の説明です。




▼南朝妙法殿。南朝後醍醐天皇行宮となった旧実城寺跡に、南朝四天皇と忠臣を祀っています。
本瓦葺、八角三重の塔。




▼下から見る南朝妙法殿。




▼境内南から塔頭の並ぶ参道を奥千本まで行こうかなと思ってるんですが…。




▼誰もいない参道を歩くのは結構勇気いりますわ。




▼少し歩くと左手谷向こうに如意輪寺の多宝塔が見えます。正行さんに手を合わせ、先を急ぎましょう。




▼塔頭東南院 (とうなんいん) 多宝塔です。




▼本尊大日如来坐像です。




▼東南院の説明です。




▼吉水神社の参道。元は吉水院といった塔頭です。




▼境内。左が南朝行宮跡。後醍醐天皇の玉座が残っています。




▼一目千本、中千本の今! 花霞 春よいつ来る 冬の山

 


▼塔頭喜蔵院本堂 (きぞういん)。




▼喜蔵院本堂内陣。本尊役行者。




▼孔雀明王の化身がいます。じっとしてます。 おん まゆら きらんでぃ そわか




▼塔頭桜本坊山門 (さくらもとぼう)。




▼桜本坊本堂。




▼桜本坊大師堂。




▼桜本坊の説明です。




▼塔頭竹林院山門。




▼名庭群芳園入口。




▼竹林院の説明です。




▼金峯山寺御朱印です。蔵王堂と書かれています。




さて竹林院を出て上千本へ向かいます。いきなり急な の、の、のぼりです。車道を行かずハイク道を行っ
たのが間違い。この際雪が有るとか無いとかはどうでもいいですわ。上千本まで行き着けるか…、これが問題。



東寺、五重塔初層が特別開扉されています。

2013年02月13日 | 京都の古寺巡り


(2013.02.10訪問)

五重塔初層が開扉されている東寺を訪ねました。真言密教の凝縮された世界、講堂の立体曼荼羅とはまた違
った世界が狭く薄暗い空間に展開されています。一歩入るとググッと来る緊張感が何とも云えませんワ。

▼南大門(重文)。九条通のクルマは途切れることがありません。




●山号 八幡山(はちまんさん)
●寺号 東寺(とうじ) 公称 教王護国寺(きょうおうごこくじ)
●宗派 東寺真言宗総本山
●開基 桓武天皇
●宗祖 弘法大師空海
●創建 延暦15年(796年)
●本尊 薬師如来坐像(重文)
●平成六年(1994年)「古都京都の文化財」として世界遺産に登録。
▲京都市南区九条町1番地 電話/075-662-0173
▲拝観料/拝観場所やシーズンにより表示が多岐、HPで確認してください。
▲JR京都駅から市バス「東寺南門前」「東寺東門前」「東寺西門前」下車すぐ。
 近鉄京都線「東寺」駅から徒歩5分。


東寺縁起
桓武天皇により平安京遷都後、京鎮護のための寺院として東寺と西寺が建立。その後、嵯峨天皇から空海さ
んに東寺が下賜され、真言密教の根本道場として栄え、順次寺景が整えられ日本最初の密教寺院として空海
哲学を今に継承しています。

▼南大門右横に立つ、寺名石標。




▼南大門(重文)。明治二十八年(1895年)三十三間堂の西門を移築したそうです。




▼金堂。東寺本尊薬師三尊が祀られています。




▼金堂前に立つ銅灯籠。竿には南無大師遍照金剛と刻されています。




▼金堂(国宝)。
桁行七間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、一重裳階。延暦十五年(796年)創建。慶長八年(1903年)再建。
本尊 薬師三尊像(重文)、脇侍は日光、月光菩薩立像(重文)。薬師如来像高288cm、木造、仏師康正。
広い堂内に南面して祀られています。両脇に蓮華が置かれているのみでシンプルな荘厳です。中尊の台座に
は十二神将が配されています。これがなんともスゴイ!双眼鏡でじっくり見てください。




▼講堂(重文)。云わずと知れた立体曼荼羅の世界が展開! モチロン入堂しましたよ。




▼五重塔(国宝)。九条通から見た、塔南面。




▼五重塔初層です。右南面、左西面。扉は東、南扉が開けられています。




▼金剛界四仏の一、宝生如来坐像(ほうしょうにょらい)南面。




▼金剛界四仏の二、阿閦如来坐像(あしゅくにょらい)東面。
ちなみにその三、阿弥陀如来坐像は西面、その四、不空成就如来坐像は北面。です。



いずれのお像も外から撮っています。

▼五重塔(国宝)。境内の塔西面。塔高55m、木造、本瓦葺。
天長三年(826年)空海さん創建。過去四回焼失、現在の塔は五代目、江戸寛永二十一年(1644年)徳川家光の
寄進で再建。初層内部は密教空間が再現され心柱を大日如来とみなし、その周りを金剛界四仏像と八大菩薩
像が安置されています。江戸期の再建とはいえ、空海さん哲学がこの狭い空間に凝縮され、祀られている江
戸期の四仏漆箔も見事、四方柱や梁間の彩色もよく残っています。




▼五重塔相輪。




▼境内東の瓢箪池に映る五重塔。




▼慶賀門(重文)。中に見えるのは食堂です。今日はここから西本願寺に向かいます。




▼初めて戴いた御朱印です。せっかくですので五重塔開扉ということで、大日如来と書いていただきました。