土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

養源院は相國寺塔頭、秘仏毘沙門天ご開帳!

2016年01月28日 | 京都の古寺巡り




(2016.01.23訪問)


続いて塔頭の養源院に向かいます。茶々さんの養源院とは違いますよ。相国寺山内の塔頭です。
秘仏公開と云われても、たんに仏像が大好きと云うだけのボクなどお寺や仏像好きにとって、その仏像の仏教的価値や学術的価値、美
術史的価値など皆目無知、書かれた解説書を鵜呑みにする俄知識で取りあえず拝見するのだが、時にはこれらを越えたオーラを発する
お方にお会いすることがあります。今回の毘沙門さんがそうなんです。




            ▼門前の石柱。






            [ 養源院 ]
            ●山号 万年山(まんねんざん)
            ●寺号 養源院(ようげんいん)
            ●宗派 臨済宗相國寺派(りんざいしゅうしょうこくじは)
            ●開山 曇仲道芳(どんちゅうどうぼう) 
            ●本尊 薬師如来立像
            ▲拝観 特別拝観 600円 朱印 300円 駐車場無料
            ▲時間 10:00~16:00 
            ▲京都市上京区今出川通鳥丸東入相国寺門前町701 電話075-231-6702 
            ▲http://www.shokoku-ji.jp
            ▲地下鉄烏丸線「今出川」下車徒歩5分
             市バス「同志社前」下車 徒歩3分
             京阪電車「出町柳駅」下車 今出川通りを西へ徒歩15分




▼山門。






養源院縁起 (相國寺HPから抄出)
開祖を曇仲道芳といいます。常光国師空谷明応に参じ、空谷和尚の相国寺住持に際して焼香侍者を、また結制には問禅の禅客を勤めま
した。長じて国師の法を嗣ぎますが、座元以上の法階を望まず終生黒衣で通します。ことに詩文に優れ足利義満、義持父子の寵遇を受
けました。相国寺常徳院内に養源軒を設け退隠したのが養源院の始まりです。 応永十六年世寿四十三歳で示寂。東山百万遍の長生軒を
塔所として葬った。常徳院内の旧隠居所に倣って養源院と改名。 相国寺七十九世横川景三は、曇仲道芳三十三回忌に東山養源院に於い
て香を焚いてその弟子となり、養源院を相国寺内に移転、第二世となりました。薬師如来を本尊とし、毘沙門天を祀り近隣の信仰を集
めています。




                 ▼特別公開の案内ポスター看板。






▼山門を潜ると正面に本堂。この堂内に今日の主役が祀られています。






▼多聞天と書かれた扁額。






▼きれいに手入れをされた境内、玄関は左にあります。






室内や須弥壇、仏像写真などダメダメ尽くしなのでいきなり本日の主役登場!

▼毘沙門天立像(秘仏)像高約170cm、木造、鎌倉時代。慶派仏師の作と伝わるものの詳細不詳。長年その存在は知られていなかったが、
 江戸時代「我が像を修復して人々に参拝せしめよ」という夢のお告げで発見されたと寺伝は伝えているようです。



(写真はポスター看板を複写)

久々に拝見した美形、天部像の典型的な憤怒像形ではなく、人間的表現と云うべきか、写実優先と云うべきか同じ鎌倉仏師
の荒々しい豪快な作風から一歩踏み出した画期作ではないだろうか。と言っても決してヤワな毘沙門さんではありませんヨ。
この男前には吉祥天さんも、惚れ直すこと間違いなし!




▼この目力、オトコでもゾクッ!



ネットで全身像の写真を探しまくりましたが発見できませんでした。




▼書院渡り廊下前の中庭。白砂の枯山水庭です。






▼苔が上手い具合に絡んでいる蹲踞。






▼書院庭園。
 池を中心に池泉回遊式庭園ですが、庭に降りることは出来ません。
 お庭側はガラス障子でこれ又締め切り、写真もガラス越しになり写り込みが大変ですワ。
















▼本堂前庭に鎮守社。






▼築山が造られ宝篋印塔風の石塔が置かれています。






▼境内。






▼御朱印です。






約30分で拝観終了。僅か30分されど30分、この小さなお寺にこんな素晴らしい毘沙門さんが残されている不思議、30分の大半は須弥
壇の前に座り込んでいました。お気の毒に本尊のお薬師さん、脇殿で小さくおなりでした。
納得の600円!お釣が来る程の感激毘沙門天像でした。





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相國寺、「京の冬の旅」で非公開文化財の特別公開やってます。

2016年01月25日 | 京都の古寺巡り





(2016.01.23訪問)

今京都で禅刹を中心に十六ヵ寺の非公開文化財が特別公開されています。
50回記念「京冬の旅文化財特別公開」で臨済宗の京都五山弐位の相國寺を訪ねました。
山外塔頭の鹿苑寺、慈照寺を持つこの禅刹は、本山でありながら両寺より地味な感じを受けていましたが、なかなかどうして五山文化、
禅文化の中心としての相國寺は名僧や文化人、特に若冲など傑出した文化人を輩出し、学問芸術の拠点としての地位は京都五山弐位の
格に相応しい禅刹なんですネ。




            ▼50回記念「京冬の旅」文化財特別公開のパンフレット。






            [ 相國寺 ]
            ●山号 満年山(まんねんざん)
            ●寺号 相國聖天禅寺(しょうこくしょうてんぜんじ) 通称 相國寺(しょうこくじ)
            ●宗派 臨済宗相國寺派大本山(りんざいしゅうしょうこくじはだいほんざん)
            ●勅願 後小松天皇(ごこまつてんのう)
            ●開基 室町三代将軍 足利義満(あしかがよしみつ)
            ●始祖 夢窓疎石(むそうそせき) 
            ●開山 春屋妙葩(しゅんおくみょうは) 
            ●開創 明徳三年(1392年)
            ●本尊 釈迦如来坐像
            ▲拝観 境内自由 特別拝観 法堂、方丈 600円 朱印 300円 駐車場無料
            ▲時間 10:00~16:00 
            ▲京都市上京区今出川通烏丸東入 電話075-231-0301
            ▲http://www.shokoku-ji.jp
            ▲地下鉄烏丸線「今出川」下車徒歩5分
             市バス「同志社前」下車 徒歩3分
             京阪電車「出町柳駅」下車 今出川通りを西へ徒歩15分




            ▼堂々の寺号石柱。






▼総門。五山二位の禅刹に相応しいのかな、サインや立て看板類。
 今出川通り御苑今出川御門の向かい、同志社に挟まれて参道があります。






相國寺縁起 (相國寺HPから抄出)
臨済宗相国寺派の大本山である相国寺は、京都五山第二位に列せられる名刹です。正式名称は萬年山相國承天禅寺。
十四世紀末、室町幕府三代将軍の足利義満により創建されました。幾度も焼失と復興の歴史を繰り返しましたが、現存する法堂は日本
最古の法堂建築として一六〇五年に再建された物を今に伝えています。
夢窓疎石を開山とし、創建当時は室町一条あたりに総門があったといわれ、北は上御霊神社の森、東は寺町通、西は大宮通にわたり、
約百四十四万坪の壮大な敷地に五十あまりの塔頭寺院があったと伝えられています。




▼総門左に勅使門。実際使用されることがあるんでしょうか、権威付け飾り門?






▼境内マップ。開創時の境内地は約140万坪を擁したといい、現在約4万坪あるそうですよ。






▼放生池の天界橋。天文二十年(1551年)に相国寺が焼亡した天文の乱はこの橋をはさんで始まったと伝わるそうです。






▼鐘楼。入母屋造、本瓦葺。天保十四年(1843年)再建。「洪音楼」と云う名があります。






▼経蔵。桁裄三間、梁間二間、重層宝形造、本瓦葺。万延元年(1860年)建立。高麗版一切経が納められています。






▼浴室。桁裄三間、切妻造、本瓦葺。慶長元年(1596年)再建。






▼庫裏。切妻造、本瓦葺、文化四年(1807年)建立。庫裏仕様のサンプルのような美しい建物です。






            ▼方丈を囲む漆喰土塀と松の並木。






                 それでは特別公開の法堂と方丈の拝観に行きましょう。

                 ▼特別公開の案内ポスター看板です。






▼法堂(重文)。「はっとう」と読みます。重層に見えますが下屋根は裳階です。
 桁行七間、梁行五間、入母屋造、本瓦葺、裳階付。慶長十年(1605年)再建。
















▼法堂須弥壇。左右両階段の付いた約2mの豪快な須弥壇に三尊が祀られています。
 本尊 釈迦如来坐像、脇侍 迦葉尊者 阿難尊者。






▼本尊 釈迦如来坐像。木造、像高110cm 、鎌倉時代。一説に運慶作と伝わるそうです。
 遠目で拝見するも漆箔がよく残り、お顔はやや面長で螺髪は大きめ、安定感のある量感は運慶作かなと思いたくなるほどの本尊です。






▼天井に描かれている狩野光信による蟠龍図。どこの禅刹にも鳴き龍として描かれてますネ。堂内に手を打つ音が響いていました。
 (写真はポスター複写)








法堂から渡り廊下で方丈へ。 

▼華頭窓から方丈前庭です。






▼方丈。桁裄十三間、単層、入母屋造、桟瓦葺、切妻造、切妻造。文化四年(1807年)再建。






▼方丈扁額。






▼廊下両端に杉戸絵が、東の滝図。






▼長~い廊下は約25m、雑巾掛けのやりがいがありそうですネ。中央から西を見ています。






▼西の杉戸絵、白象図。原在中筆、江戸時代。これはレプリカです。






ではお庭巡りです。

▼方丈前庭(南庭)。シンプルイズベスト、これぞ禅の境地、「無」でしょうか。






▼方丈前庭(南庭)。光でもあればキット目映いことでしょう。






▼方丈勅使門前です。後ろは法堂。






▼方丈東庭。一転このお庭は渓谷美!手前はなだらか、対岸は断崖を表しているのでしょう絶壁の切れ込み、谷底は小石を
 敷きつめ奔流が滔々と流れています。こういうお庭構成は初めて見ます。











▼方丈北庭(裏方丈庭園)。全面苔の彩り、石の配置がなく松が変化を与えているようです。苔が映える頃はさぞかし緑の競演で
 素晴らしいお庭でしょうネ。その頃是非見てみたい庭園です。











▼書院中庭。白砂の坪庭、白砂の海に石三つ、小竹は何を言いたいんでしょうか。











▼もう一度方丈で、相国寺 オ シ マ イ






▼御朱印です。無畏堂とは法堂のことです。






公開寺院一ヵ寺の拝観料600円です。
相國寺の場合、塔頭養源院と長得院の二ヵ寺も公開されていますので、都合拝観料1800円也、全寺回って9600円、高いか安いかは貴
方次第。ちなみに600円は文化財保護のための浄財として使用させて戴きますと能書きにあります。
「文化財保護のため」いいフレーズです。

続いて塔頭の養源院へ回ります。





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観菩提寺、お水取り創始のお寺。

2016年01月21日 | 三重の古寺巡り




(2016.1.16訪問)

新大仏寺から帰途の道筋島ヶ原に、やはり東大寺に縁のある観菩提寺が在ります。
東大寺二月堂に先駆けてお水取りが行われることで著名なお寺で、東大寺と同じく創始実忠和尚の名が残っているようです。五年前に
一度訪ねているのですが、折角ですので改めて訪ねることにしました。
昨年十一月、三十三年に一度の秘仏本尊十一面観世音菩薩のご開帳が済み、今年の修正会はまだ少し先、今は何もない時期、要するに
肝心な時を必ず逸するボクのお寺巡りは、今年もこんな調子の繰り返しになりそうです。事前調べをすりゃ済むことなんですがネ。




▼参道石段。






[ 観菩提寺 ]
●山号 普門山(ふもんざん)
●寺号 観菩提寺(かんぼだいじ)
●宗派 真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)
●勅願 聖武天皇(しょうむてんのう)
●開山 実忠和尚(じっちゅうおしょう)
●開創 天平勝宝三年(751年)
●本尊 十一面観世音菩薩立像 三十三年に一度開帳される秘仏。
▲拝観 正月堂修正会の時 500円 朱印 300円 駐車場無料
▲時間 9:00~16:00 
▲三重県伊賀市島ケ原1349 電話0595-59-2009
▲http://www.shindaibutsu.or.jp
▲JR関西本線「島ヶ原駅」より徒歩20分




▼仁王門(重文)。






観菩提寺縁起 (観菩提寺パンフから抄出)
観菩提寺の創建時は観音寺、植山寺とも称され、当時未開地であった島ヶ原の南面傾斜の地域を切り開いて、段階的に諸伽藍を配置す
る様式であったと思われる。創建翌年東大寺僧実忠和尚によって伽藍が再興整備され観音堂が建立され、本尊十一面観世音菩薩を中心
として東大寺出作の墾田開発が展開されたのである。修正会を正月に勤修した観音堂は正月堂と称され、本尊は島ヶ原郷の守護神とな
った。




▼仁王門(重文)。重層楼門、三間一戸、入母屋造、檜皮葺、初層左右に金剛力士像、室町前期建立。
 鄙と云っては失礼ですが旧島ヶ原村にこれだけの豪華な建造物が千二百有余年累々と残る不思議。東大寺や実忠と云う普遍の名が関
 係するこの地こその理由なんだろうか。何とも云いようのない素晴らしい仁王門です。

      




▼仁王門には扁額が二つ、上額は山号、下額は寺号が書かれている余り見かけない一門二扁額。






▼右脇の阿形仁王さん。






▼左に吽形さん。



両像とも玉眼が睨みをきかせていますが、体型的に頭でっかち、少々アンバランスは愛嬌かな。室町期作と伝えるそうです。




            ▼仁王門の後室右に広目天が、






            ▼左に多聞天が境内を見守っているようです。両像とも平安後期の作。






▼なんか変な写真ですけど、境内は狭く本堂(正月堂)と仁王門だけが天平の香りを残しているようです。






▼本堂(正月堂)(重文)。桁裄三間、梁間三間、入母屋造、檜皮葺、三間向拝付、室町前期建立。






▼正月堂と書かれた本堂扁額。






▼本堂を正月堂と呼ぶ由縁。



毎年二月十一日と十二日に行われる「修正会」は天平勝宝四年(752年)創始以来実に1260年以上の歴史を持ち、東大寺二月堂の「お水
取り」に先駆けて行われる正月堂の「お水取り修正会」なのです。お水取りと言えば東大寺の二月堂ですが、二月堂は旧暦二月に行われ、
こちらお堂では旧暦一月に行われます。どちらも実忠和尚によって創始され、こちらはひと月早く行われるので「お水取り発祥の地」と
云われ、このお堂を正月堂と称しているそうです。




            ▼本尊十一面観世音菩薩立像(秘仏)。
             像高177cm、十一面六臂、木造寄木造、檀像系、平安初期。



            (写真は観菩提寺パンフレットをスキャン)




            ▼本尊のお顔です。



            (写真はネットからもらってきました)

およそ観音の慈悲のお顔とはほど遠い凄まじい異様な感じ、衆生救済のための観音の苦渋がこんなお顔を作り出したのか、はたまた造
仏時の不安定な世相を仏師達が感じ、その心の怒りがこんなお顔を作り出したのか。ともあれこんな厳しい表情の仏は、高雄神護寺の
薬師如来以外ボクは知りません。

まるで見てきたような書き方をしましたが、あくまでも写真を見てのボクの感想です。




▼本堂。






            ▼国宝正月堂の石碑。戦前の旧国宝が今じゃ重文、悔しいでしょうねご住職。
             こうゆう例が全国で結構あるようですが、文化庁さん「ナゼ」なのかを教えて下さい。






▼鐘楼。






▼八十八カ所巡りが出来ますよ。






▼御朱印です。






受付で、昭和のお姉さんから御朱印を戴き、本堂拝観をお願いすると「ダメです!」「事前予約です!」けんもほろろのお言葉。
と云うことで、観菩提寺これにてオシマイ。




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新大仏寺、快慶さん渾身の如来が待ってくれてました。

2016年01月18日 | 三重の古寺巡り




(2016.1.16訪問)


迷車大和路号は、163号線をひたすら東を向いて失踪じゃなかった疾走しています。その昔、国道163号線を四日市線と云ってたのを
ご存知の方もまだいらっしゃるでしょう。ホンマに四日市まで行ってるのか、又その昔、ロードマップを広げて確認したところ163号
線は四日市には行ってなく、津とまりだったんです。で最近四日市線と云わんようになったんかなァ。
そんなことはどうでもいいんです。
今日はなぜ東を向いて走っているのか、163号線は我が家から真東に向かっています。非常に分かり易い道なのです。迷車のナビがア
ホなんで分かり易い道とお寺はどこだ、探したところ新大仏寺が伊賀に在ったんです。




▼山門。三間一戸、八脚門、入母屋造、本瓦葺。両脇に仁王像が安置されています。
 仁王さんの撮影失敗、奥の手が使えません。






[ 新大仏寺 ]
●山号 五宝山(ごほうざん)
●寺号 新大仏寺(しんだいぶつじ)
●宗派 真言宗智山派(しんごんしゅうちざんは)
●勅願 後鳥羽法皇(ごとばほうおう)
●開基 源頼朝(みなもとのよりとも)
●開山 俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)
●開創 建仁二年(1202年)
●本尊 盧遮那仏坐像(重文)
▲拝観 新大仏殿(宝蔵庫)300円 朱印 300円 駐車場無料
▲時間 9:00~16:00 
▲三重県伊賀市富永1238 電話0595-48-0211
▲http://www.shindaibutsu.or.jp
▲近鉄大阪線 「伊賀神戸駅」(乗換え) 「上野市駅」下車、バスさるびの温泉方面汁付行き「成田山前」下車
 国道163号線上野城の北を右折、次の信号を左折、東進(国道163号線)名阪国道中瀬ICをくぐって約20分
 名阪国道天理方面から名阪国道中瀬ICを下車 、 東進(津方面へ約20分)



           ▼寺号石標。






新大仏寺縁起 (新大仏寺パンフから抄出)
新大仏寺は、建仁二年(1202年)源頼朝公が後鳥羽法皇の勅願寺として開創。開山は東大寺再興の勧進職重源上人とし、全国に七カ
所の東大寺別所の中の一つで、伊賀別所として南北六十丁、東西四十丁の広大な寺領伽藍を有したと云われ、新大仏寺と称するところ
は上人が東大寺に敬意を払って寺号に「新」の一字を加えてものです。




▼山門両脇の赤いもの、仁王さんなんです、真っ赤なんです。






▼この額を扁額と云っていいかどうか、全国に七ヶ所東大寺別所の一つの証。






▼蹲踞。






▼明王殿、交通安全祈願所。モダンデザインなのか変なデザインなのかよく判らないデザインのお堂。
 成田山不動尊から伊賀成田山不動尊の称号を称賜、伊賀の成田山としてご利益を求めて参拝者が後を絶たないそう。
 しかし今日は誰もいませんでした。

 




▼本尊不動明王立像。






           ▼高台の法面に白寿観音と、






▼慈母観音の像が置かれています。いずれも銅像です。






▼鐘楼。






           ▼鐘楼前の十三重石塔。まだ新しいもののようです。






▼芭蕉歌碑丈六塚。  ~丈六に 陽炎高し 石の上~
 貞享五年(1688年)芭蕉帰省の際、旧友とこの寺を訪れた時、詠まれた句。






▼大師堂。四方二間、宝形造、元文三年(1738年)建立。ペリーが浦賀来航時、国難消除の祈祷を修したと伝わるそうです。






▼堂内須弥壇。空海さんをお祀りしています。






           ▼浩宮徳仁親王(皇太子)来寺記念の碑。






▼大仏殿(金堂)。
 桁裄三間、梁間四間、入母屋造、銅板葺、千鳥破風と唐破風の二重破風構成の重厚な屋根造。大仏様式。
 本来の本尊は盧遮那仏坐像であるが今は収蔵庫に祀られ、釈迦如来立像を本尊としています。






▼内陣扁額。






▼四天柱に囲まれた内陣、中央に本尊釈迦如来立像。






▼ピッカピカの本尊と欄間の飛天絵。右絵は鼓を打つ飛天、左は太鼓を打つ飛天が豊かな彩色のまま残されています。






           ▼本尊を横から。






▼左欄間の飛天絵。右絵は笙を吹く飛天、左は琵琶を鳴らす飛天。






▼琵琶の飛天をアップで。






▼天井組、梁、斗供など大仏様の見本市。






▼四天柱の内陣と周囲の作り。外陣は畳式になっており周囲を回りジックリ拝観が出来ます。






           ▼後陣には地蔵菩薩立像と、






           ▼ちょっくらマンガチックな役行者と前鬼、後鬼が祀られています。






▼真正面の大仏殿。






▼豪華な銅製の妻飾りが付けられています。






▼大仏殿後ろの護摩祈祷堂。不動明王拝殿でもあります。






           ▼岩屋不動尊。後ろの岩肌を穿った半洞窟に像高6mの不動明王が二童子を連れて
            お立ちです。






▼こんなお顔のお不動さんです。






▼本堂(上人堂)。桁裄五間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付。寛永九年(1632年)建立。






▼上人堂と書かれた本堂扁額。
 元は重源像を祀った由縁から上人堂と称していたが、現在は本堂として阿弥陀如来を本尊としている。






▼本堂内陣と須弥壇。中央に阿弥陀如来坐像が祀られています。






▼本堂。






▼宝蔵庫(新大仏殿)。宝蔵庫には本尊盧遮那仏坐像の他に重源さんの木像も祀られています。






           今日の最大トピックスは盧遮那仏坐像だ!

           ▼新大仏寺の本尊盧遮那仏坐像(重文)。
            像高4.04m、木造寄木造り、仏師快慶、鎌倉時代。
            快慶作は頭部のみ、体部は元阿弥陀三尊像を江戸期に修復改変したそうで、
            快慶の傑作、播磨浄土寺の阿弥陀三尊像の様式だったと云います。




           (写真はネットからもらってきました)




           ▼本尊盧遮那仏のお顔。
            お顔は誰が見ても快慶さん作と思うほど、とにかく言いようのない素晴らしさと
            美しさ、改変されずに三尊が残っていれば間違いなく国宝、浄土寺三尊像と優劣
            を競ったことでしょう。惜しむらくはお顔の再彩色、金箔と体部の金箔処理の必
            要があるのかなァ。



           (写真はお寺パンフを複写)




           ▼こんな面白い石塔が立ってました。






▼八十八カ所巡りのどこかのお寺、舟形光背に半彫りの千手観音さん。小さな石仏も並んでます。






▼八十八カ所巡りの参道から境内を。右大師堂、中大仏殿、左本堂。左端にちょろっと見えてるのが宝蔵庫。






▼御朱印です。






本尊盧遮那仏坐像を拝して。
江戸期の仏師も大したもんだ。立像を坐像に改変したそのテクニックはお見事、お顔と体部の継のバランスの崩れもなく当初の彫像
と見紛うほどの出来だと思われます。この出来だと快慶さんも許してくれるでしょう。
仏師は慶派の祐慶、運慶の流れは時代を経ても力量的に褪せることはないんですネ。

ただなぜ、三尊立像の中尊を坐像に、そして脇侍の観音勢至は一体どこへ消えたのか、誰もこの訳を教えてくれませんでした。
 



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弘仁寺、霊験あらたかな虚空蔵菩薩が本尊です。

2016年01月14日 | 奈良の古寺巡り




(2016.1.09訪問)

弘仁寺は正暦寺から南西に約3kmほんのご近所、虚空蔵山の山懐に1200有余年の法灯を灯し続けています。
奈良盆地東に連なる大和青垣の丘陵を鶯じゃないけれど谷渡り、新春の長閑な田舎風景と古刹を巡るの相性はすこぶる良好、しかし鄙
の風情を残すこのあたりも最早正月風景を見ることは出来ません。
県道から山に向かう参道は細い一本道、虚空蔵山と云っても標高182m、五分もあれば山門到着です。



            ▼参道途中に建つ寺号碑。





[ 弘仁寺 ]
●山号 虚空蔵山(こくうぞうさん)
●寺号 弘仁寺(こうにんじ)
●宗派 高野山真言宗
●勅願 嵯峨天皇(さがてんのう)
●開山 小野篁(おののたかむら)
●開創 弘仁六年(815年)
●本尊 虚空蔵菩薩坐像
▲入山 200円 本堂拝観 400円 朱印 300円 駐車場無料
▲時間 9:00~17:00 
▲奈良県奈良市虚空蔵町46番地 電話0742-62-9303
▲http://www.kouninji.org/
▲JR、近鉄奈良駅から奈良交通バス米谷線「高樋町」下車、徒歩5分。
 JR奈良駅から奈良交通バス天理線「窪之庄南」または「森本町」下車 東へ約3km。




▼東門前に庚申塚がひっそりと、新しい花台に新しい花が、寂の中に少しばかりの華やぎが。






弘仁寺縁起 (弘仁寺HPから抄出)
弘仁寺の創建に関しては二つの物語が伝わっています。一説には、嵯峨天皇の夢に老人があらわれて「奈良の南に霊山がある、もろも
ろの仏があらわれてお経の声がたえない、ここに寺をたてて衆生を利益されたい」と申された。夢から目覚めた嵯峨天皇がその地を探
されたところ現在の虚空蔵山にあたる場所がわかり、お喜びになった嵯峨天皇が建立されたという物語。 他説には虚空蔵山に流星が落
ちるのを見た弘法大師が霊山として開基したという物語。もとより千二百年を経た現在となっては、確かめるすべはありませんが、弘
仁寺は平安初期に創建された寺院であります。中世には華厳宗の寺院であった時期があり、東大寺の書物に弘仁寺の記述が見られます。
その当時の弘仁寺は多くの堂宇が立ち並ぶ修業道場であったようです。 戦国時代、松永久秀の兵火により伽藍の大部分が焼失してしま
い、江戸時代に宗全によって再興されました。現在の建物はその当時のものです。 戦災により荒廃した時期もありましたが、平安時代
初期から現在に至るまで、法灯を守り続けております。




▼東門。こちらが弘仁寺の正門と思ってましたが、その実、裏門なんです。






▼東門からの境内は実に静か、あの正暦寺の賑わいはここにはありません。そりゃそうですワ、拝観者はボク一人です。






▼右手を見ると少し高台に、手前明星堂、向こうに本堂が雄として寺観を高めています。






▼明星堂。
 本尊木造明星天子立像(重文)、像高134.5cm、一木造、平安初期。一説に弘法大師作と伝わるそうです。
 方三間、宝形造、桟瓦葺、弘仁五年(814年)建立。
 現在本尊明星天子立像はここにはいらっしゃいません。奈良博に出張中。






▼ズバリ明星堂と書かれた扁額。






▼本堂。
 重層寄棟の素晴らしい堂形、この地にこれだけのものが残るは地場の信仰心の高さか。
 桁裄五間、梁間四間、重層、寄棟造、本瓦葺、一間向拝付。弘仁五年(814年)建立。
 現在の本堂は寛永六年(1629年)再建。
 本尊虚空蔵菩薩(秘仏)、伝弘法大師作、厨子内に安置されています。
 本尊虚空蔵菩薩は古来「十三詣り」で知恵授かりや厄除開運祈願にもご利益あらたかで、地域に根ざした強い信仰があると云い
 ます。

 




▼寺号が書かれた本堂扁額。






            ▼正面外廊天井から吊るされている本尊提灯。






▼須弥壇の様子です。






▼相当時代がかったお厨子ですが、本堂再建時のもので、この中に本尊虚空蔵菩薩が安置されています。






▼もう一度堂々たる本堂を。






            ▼本堂正面の常夜灯。
             江戸享保期に作られたもので、竿に享保十一丙午歳の銘が刻されています。






▼星供祈願会の柴燈大護摩の準備なのか、常夜灯の横に護摩木が井桁に組まれています。






▼護摩木の一本にこんな茸が。






▼星供祈願会柴燈大護摩法要とはこんなんです。
 星供祈願会は毎年二月十三日挙行。厄除、開運、家内安全を祈願して大護摩を焚きます。



(写真は弘仁寺HPからお借りしました)




▼明星堂から見た庫裏と寺務所。






▼境内西に臥龍松。真に龍のごとくですネ。






            ▼本堂横にボケ封じ地蔵尊。最近至る所故障発生、思い切り撫で回りました。






▼鎮守社。主神に事代主大神と大国主大神が祀られています。






▼境内東の高台に鐘楼。






▼石段途中にお稲荷さん。






奥の院へは山門を出てスグ左、石段を下ります、これがまた薄暗い。

▼黄泉の国へ吸い込まれそうな奥之院への石段。
 普通山寺の奥之院は上へ上へがボクの印象ですが、ここは下って行きます。
 下り石段124段、暗くてゾクゾクしますが、なんと云っても下りはラクチン! けど帰りがねェ。






▼奥之院の縁起。






▼不気味な暗さの奥之院。(写真は思い切り明るくしてます)






▼不動堂。余りの簡素なお堂に唖然! お堂じゃないですワ、まるで木の囲い。






▼石龕が組まれ、お不動さんの石像が祀られています。(写真は思い切り明るくしてます)






▼御朱印です。






ご住職の案内で本堂拝観。
堂形からは考えられない本堂外陣の狭さ、須弥壇の前でご住職と並んでお話を聞くことに。
このご住職がまた超早口で殆ど聞き取れず、当方ただただ頷くのみ。
ご住職も「こいつ分かってんかな」と云うような顔をされてました。
ハイ、全く分かっておりません。

と云うことで新春初のお寺巡りこれにてオシマイ。
こんなブログですが、本年もよろしくお付き合いのほどを。




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