土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

諦應寺、銀杏生木に十一面さんが彫られています。

2015年04月30日 | 福井の古寺巡り



2015.04.25訪問)


松尾寺を辞しR27を東に向かいます。何かと問題多発の高浜原発や大飯原発への道路標識を左に見ながら小
浜を通過、多田寺、神宮寺や明通寺といった若狭の名刹はコッチだよの道しるべを惜しみつつ見ない事にし
て、若狭町安賀里の里、諦應寺へと迷車大和路号はひたすら走っております。ひょんな事からこのお寺に立
木観音がある事をを知り、是非是非見たいとの思いで一心不乱遠い道のりをやって来た次第であります。         



▼立木銀杏観音。樹齢450年という銀杏生木に彫られた十一面観音菩薩。





[ 諦應寺 ]
●山号 城谷山
●寺号 諦應寺 (たいおうじ) 
●開基 順翁慶随和尚 (じゅんのうけいずい)
●開創 永正三年 (1506年) 頃
●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
●本尊 釈迦如来坐像
▲入山料 境内自由 朱印 300円 駐車場無料
▲拝観時間 8:00~17:00
▲福井県若狭町安賀里33-1 Tel.0770-62-2864 


▼参道。





[諦應寺縁起]
開山順翁慶随は丹波篠山円通寺の牧翁性欽に師事し明国に渡る。帰国後、永正三年 (1506年) 若狭に諦応寺
をひらいた。



         ▼臭いものと酒は境内に入れてはならん。





▼山門と大銀杏。





         ▼この大銀杏に観音さんが彫り込まれているんです。





         ▼これが銀杏観音。





         ▼銀杏の生木に彫られて約160年、集落住民の安寧を念じ、
          諦應寺三十世住職仏山恵隆和尚が彫ったといいます。





         ▼観音さんの胸に見える窪みには曽ては経文が入れられていたそうで
          今は無く蓋のみだそう。





▼山門。高さ7m、幅6m、総欅造二階建、入母屋造、桟瓦葺、二階が鐘楼になってます。
 最近茅葺屋根から瓦葺に替えたそうですが新旧バランスが今ひとつ、頭でっかち尻なんとやら。





▼桁裄九間の立派な本堂です。雪害対策なんでしょう急勾配の屋根はトタン葺と思われます。
 左手の樹は樹齢約400年のギンモクセイの大樹です。





▼内部荘厳と須弥壇。





         ▼本尊釈迦如来坐像。
          若々しいお釈迦さん、バッチリ目が会いました。





▼小さいですがきれいなお庭です。





▼宝物庫と思うんですが。





▼境内にこんな石仏が。





▼参道左手に百体地蔵の丘。





▼実際は250体以上あるそうで祈祷のお礼参りにお祀りしているそうです。お地蔵さんもこういう並べ方は
 壮観です。





▼こんな環境に諦應寺はあります。





▼御朱印です。

 



立木観音と云う言葉は聞くんですが、実際に見るのはここが初めて。
生木に仏像を彫り込むと云う発想は樹の成長と共に仏の成長をも見込んだ計算なのか。逆に生木に鑿を入れ
る事による樹のダメージは計算したんだろうか、とか、ついボクたちは考えてしまいますが、いやいや往時
の仏に対する信頼感、信仰心がただひたすら一途に全身全霊で鑿を振るう、そう云う一種の祈りの形が160
年後の今でもこうして、銀杏も観音さんも何ら変わりなく往時の姿を保っている。信仰心の強さを示す一例
かも知れない。銀杏の古木は若葉が茂りだし、やがて鬱蒼の樹形を見せてくれるに違いない。
ただ惜しい事に観音さんの傷みが酷く、お顔の割れが目立ち体各部に欠けが目立つ。補修剤か補強剤か知ら
ないが像表面に樹脂風の何かが塗られている、これがまた剥げだしてお気の毒な状態になっているのが心残
りですわ。

と云う訳で今日は380km堂々の走破。家に帰ってバタンキュ~ウウウウウウウウウ!





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松尾寺、まつのおでらは西国観音霊場二十九番札所です。

2015年04月27日 | 京都の古寺巡り



(2015.04.25訪問)


迷車大和路号今日は若狭路丹後街道を走っています。
中国道から舞鶴若狭道舞鶴東ICで降り、久々の国道R27を東へ。西国三十三カ所観音霊場第二十九番札所松
尾寺を目指しています。R27から県道に入るとすぐ山道、細い上に曲がりくねりの道ですが舗装は完璧、駐
車場も二カ所、結構クルマが埋まってます。観音霊場札所は街中を除いて結構峻険な山寺が多いのですが、
それにもめげず白装束巡礼の方々も多くお参りされ、さすが札所という印象です。          


▼参道石段。




[ 松尾寺 ]
●山号 青葉山 (あおばざん)
●寺号 松尾寺 (まつのおでら) 
●開基 威光上人 (いこうしょうにん)
●開創 和銅元年 (708年)
●宗派 真言宗醍醐派 (しんごんしゅうだいごは)
●本尊 馬頭観音菩薩坐像
▲入山料 境内自由 朱印 300円 駐車場400円
▲拝観時間 8:00~17:00
▲京都府舞鶴市字松尾532 Tel.0773-62-2900 
▲西国三十三カ所観音霊場第二十九番札所
▲http://www.matsunoodera.com
▲中国自動車道から舞鶴若狭自動車道舞鶴東I.Cから約15分


▼石段右にはシャガのお花畑、と云うほど多くはありませんが咲き出してます。





[松尾寺縁起] 松尾寺HPより抄出
松尾寺が位置する青葉山(699m)は、その秀麗なさまは「若狭富士」と呼称されている。厳しい表情の険
峻な山は、早くから修験道修行の場となっていた。慶雲年中、唐の僧、威光上人が当山の二つの峰を望んで、
中国に山容の似た馬耳山という霊験のある山があったことを想起された。登山したところ、果せるかな松の
大樹の下に馬頭観音を感得し、草庵をを結ばれたのが、和銅元年(708年)と伝えられる。



▼仁王門。三間一戸、入母屋造、本瓦葺、江戸中期享保十五年~享和二年 (1730~1802年) の建造。





▼珍しや仁王さんは写真パネル。お二人ともお留守なんです。どうも修理後宝物殿におられるとの事。





         ▼山号が書かれた仁王門扁額。





▼例により千社札が貼りまくられています。





▼仁王門。





▼仁王門すぐ左手、放生池がありますが相当汚れているようです。





▼参道左に菊の御紋の勅使門。久しく開けられた様子がありません。





▼参道、前方石段を上がると本堂エリアです。





         ▼石段横に寺石柱。





▼石段から仁王門を見てみると。





▼蹲と竜口。大きなものなので手水鉢と云った方がいいかもしれません。





▼本堂。五間四方の重層宝形造、銅板葺、一間向拝付。享保十五年 (1730年) 再建。
 ユニークな重層建築で唐破風向拝がついています。





▼本堂正面拝観戸口です。





▼唐破風向拝天井の彫刻。相当手の込んだ彫技で下の龍などジックリ見ると惚れ惚れします。





▼外陣天井。奉納額いっぱい! 千社札もいっぱい!





         ▼本尊馬頭観音坐像。このお像はお前立ち像です。
          三面六臂、右輪王坐 (右膝を立て両足裏を合わす坐り方)
          馬頭観音が本尊なのは三十三カ所霊場ではここだけらしいです。
          このお像はお前立ち像でご本尊は秘仏になっているそうで、
          本尊御開帳は77年に一度、次回は2086年開帳とのこと、
          71年後か、拝観はチョット無理やな。





▼この御前立像はご本尊そっくりらしいですよ。
 変化観音の一つで唯一の憤怒像、炎髪の上に馬頭が乗っかり正面お顔は三眼、目は玉眼が嵌り眼光鋭くあ
 の柔和な観音さんの表情からはこの憤怒、想像がつきません、この観音の生い立ちを知りたくなりました。





▼本堂。





▼本堂西側面。





▼本堂と大師堂を繋ぐ渡り廊下。この廊下相当傷んでいます、通行止めです。





▼渡り廊下の前の枝垂れが満開。





▼大師堂。





▼心霊閣と書かれた大師堂扁額。





▼本尊は勿論弘法大師空海さん。お顔は見えませんが最上段にお坐りです。





▼スタイル抜群の鐘楼。袴腰入母屋造、銅板葺。





▼決して去年の秋の写真ではありません。





         ▼元永二年 (1119年) 鳥羽天皇お手植えの大銀杏。
          幹周り5.2m、樹齢870年。樹高相当高いです。





▼松尾寺は青葉山 (699m) の山懐にあり、こんな山中です。





         ▼弘法大師修業像。大師1100年遠忌に立像されたそうです。





▼本尊が馬頭観音だから、この馬がいるとは思えないのだが?





▼経蔵。





         ▼3m位の背の高いお地蔵さん。柔和なお顔をしてはります。





▼堂名がよく判らないお堂、前面縁にお地蔵さんが置かれていますが、堂内には多くの位牌が並べられてい
 ました。





▼本堂北側に白山信仰が今に続く、妙理大権現が祀られています。





▼これ石仏、捨ててはないと思うんですが、権現さんの周りの法面に貼付けてあるタイルのような雰囲気。





▼きれいな建物、何だと思います? 「烏芻沙摩明王殿」と名付けられたトイレです。
 烏芻沙摩明王(うすさまみょうおう)とは密教における明王の一尊、烏枢瑟摩明王、烏瑟沙摩明王とも 表記
 され民間信仰の中で不浄のものを除く力があるということから、トイレにこの明王の名前や姿が描かれる
 そうです。





▼きれいな椿が咲いてました。





▼赤い屋根の一見田舎の豪農風お屋敷。庫裏方丈の建物で、ここで御朱印を戴きます。





▼西国三十三カ所観音霊場第二十九番札所の御朱印です。

 



青葉山の山腹と云ってもかなり高いところにある松尾寺は、決して広いとはいえない境内に堂宇が配されて
います。銀杏や高野槙、杉の巨樹巨木が多く当然自然環境抜群の山岳寺院、霊場札所としての貫禄は充分。
しかし建物状態が相当酷いことになっているのと堂宇伽藍や仏像、お寺やお社の説明ガイド板が皆無なのが
惜しい!

次は若狭路を東に、小浜を過ぎたところ、立木観音のお寺に行きます。




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高台寺、数少ない豊臣の残香漂う、ねねさんのお寺です。

2015年04月24日 | 京都の古寺巡り



(2015.04.22訪問)


四条のマルタカにお使いに行った帰りに、久々の京町中をブラブラと東山へ。しばらくご無沙汰の高台寺を
訪ねてみました。相変わらず境内は綺麗で参拝者もお行儀が大変よろしい。ねねさんとはお会いした事はあ
りませんが、その人柄が皆さんに伝わっているようです。今日の東山界隈はいつもの賑わいがありません。
そりゃそうですね、よく考えてみるとウィークデイの真ん中、水曜日でした。しかし変な隣国団体のデカい
声だけはどこへ行っても聞こえてます。


▼いつもはごった返している、今日のねねの道。




[ 高台寺 ]
●山号 鷲峰山(じゅぶざん)
●寺号 高台寺 (こうだいじ) 正称 高台寿聖禅寺
●宗派 臨済宗建仁寺派
●開基 高台院湖月尼 (こうだいいんこげつに) 豊臣秀吉夫人北政所ねね
●開山 三江紹益禅師 (さんこうしょうえき)
●開創 慶長十一年 (1606年)
●本尊 釈迦如来坐像
▲入山料 600円 朱印 300円 駐車料 1時間500円 
▲拝観時間 9:00~17:00
▲京都市東山区高台寺下河原町526番地 Tel.075-561-9966
▲http://www.kodaiji.com/index.html
▲JR京都駅・近鉄京都駅から市バス206(東山廻り)→東山安井停下車東へ徒歩5分
 JR京都駅・近鉄京都駅からタクシーで約15分
 阪急 河原町駅・京阪 祇園四条駅から市バス207→東山安井停下車東へ徒歩5分


▼参道台所坂。





高台寺縁起 (高台寺HPから抄出)
正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所が慶長十一年開創し
た寺である。寛永元年建仁寺の三江和尚を開山として迎え、高台寺と号した。徳川家康は当時の政治的配慮
から多大の財政的援助を行ったので寺観は壮麗を極めたと云う。秀吉と北政所を霊屋に祀り、北政所像の下
はその墓所となっている。



▼台所坂を上がるとすぐ庫裏があります。





▼拝観手続きを終え、→に添って進むと茶室遺芳庵。灰屋紹益と吉野太夫との好みの茶席だといいます。

 

吉野太夫に興味のある方、
http://blog.goo.ne.jp/mrslim2/d/20130322 をご覧になってください。



▼書院から方丈へと進みます。





▼方丈西前庭。





▼本尊 釈迦如来が祀られている仏殿。





▼方丈東前庭。





▼庭園。開山堂の臥龍池、西の偃月池を中心として作庭されています。小堀遠州の作。





▼観月台 (重文)。
 書院と開山堂をつなぐ渡り廊下の中心に檜皮葺きの四本柱で構成され、三方に唐破風をつけた屋根の下で
 月を愛でたそうですヨ。





▼東山霊山の山麓に境内が広がっています。





▼偃月池。





▼開山堂 (重文)。





▼開山堂。高台寺第一世三江紹益禅師を祀る塔所。礼堂部中央の彩色天井には北政所の御所車の天井が用い
 られている。(高台寺HPから抄出)





▼臥龍池。





▼開山堂と霊屋をつなぐ階段、臥龍廊。霊屋からのシャッターです。





▼上に行ってみましょう。





▼霊屋 (重文)。
 秀吉と北政所を祀り、北政所像の下はその墓所となっている。須弥壇と厨子は華麗な蒔絵装飾が施され、
 桃山美術を代表する「高台寺蒔絵」として知られる。(高台寺HPから抄出)





▼軒の垂木や組物が再彩色、キンの金具で装飾されきれいですが、建物全体を見るとちょっとチグハグ感。





▼傘亭 (重文)。
 利休意匠の茶席。伏見城から移建したもの。





▼傘亭天井。
 竹と丸木が放射状に組まれ、カラカサを開けたように見えることからその名があり、正式には安閑窟と呼ばれ
 る。(高台寺HPから抄出)





▼竹林。





▼ボリュウム豊かに育ってます。





         ▼成長し過ぎの筍。いずれ竹になるんですよネ。





▼竹林。





▼阿の龍。横に吽の龍もいるんです。いったいこれは何?





▼勅使門。





▼江戸の葵が氾濫している中でやっと見つけた五七の桐。





▼御朱印です。





言い出しっぺは富士フィルムと聞いてますが、最近認知されて来た「ネオ一眼」を入手したので、今日はそ
れを使ってみました。
ワイド域16mm、ロング域200mm (ななんと1000mm超えもあるそうです) マクロ50mm~、アスペクト
比3:2のスペックを有しているカメラです。今日はオールフルオートで撮ってます。早い話がコンデジの高
スペックと思ってください。
なんと云っても小さくて軽いのが一番!!




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高源寺、全山天目楓のグリーンシャワーです。

2015年04月21日 | 兵庫の古寺巡り



(2015.04.18訪問)


迷車大和路号は丹波路を走っています。中国道から舞鶴若狭道、北近畿豊岡自動車道と乗り継ぎ丹波市を目
指して走っているのですが、遠いですワ、片道110キロは。
ピンクの世界がはや過ぎ去り、一雨ごとに黄緑の若葉が一斉に芽吹きだすグリーンシーズン到来、今日は丹
波三山の一つ天目楓の高源寺を目指しています。開山遠谿祖雄禅師が杭州天目山で修行後持ち帰った楓を境
内に植え天目楓と称しているそうで、それはそれは全山天目楓のグリーン息吹が聞こえてくるようです。
若緑から濃い緑へ、グリーングラデーションの変化を目の保養に、降り注ぐ瑞々しいフィトンチッドに心身
の癒しを、紅葉だけがモミジではありませんよ。



▼天目楓の新緑に囲まれた惣門。





[ 高源寺 ]
●山号 西天目瑞巌山 (にしてんもくずいがんざん)
●寺号 高源寺 (こうげんじ) 愛称 丹波のもみじ寺 
●開基 遠谿祖雄禅師 (えんけいそゆう)
●開創 正中二年 (1325年)
●宗派 臨済宗中峰派 (りんざいしゅうちゅうほうは) 本山
●本尊 釈迦如来坐像
▲入山料 境内自由 紅葉シーズンは300円 朱印 300円 駐車場無料
▲拝観時間 8:30~16:30
▲兵庫県丹波市青垣町桧倉514 Tel.079-587-5081
▲関西花の寺第四番霊場
▲http://kougenji-tanba.or.jp/
▲中国自動車道から舞鶴若狭道経由、北近畿豊岡自動車道青垣ICから車で約10分
 JR福知山線「柏原駅」から神姫バス「佐治」行きで40分、佐治下車、タクシーで10分


▼お地蔵さんにご挨拶をして赤い橋を渡ればその先が高源寺。





▼惣門。





         ▼寺石標。





[高源寺縁起] 高源寺HPより抄出
正中二年、遠谿祖雄(えんけいそゆう)禅師によって開創。遠谿祖雄は1306年に中国に渡り、杭州天目山
の中峰国師のもとで十年修行後帰国、天目山に似た佐治郷小倉に堂宇を創建。正中三年後醍醐天皇より高源
寺号を賜り、また後柏原天皇の代には、勅願所の礼遇を許され、住職は末代紫衣の宣旨を受けました。天正
年間、織田信長の丹波攻略で堂宇伽藍を焼失、その後享保年間天岩明啓禅師が再興、寛政十一年には、弘巌
玄猊禅師が柏原藩の援助を得て再建し現在に至っています。


▼弘巌玄猊禅師揮毫の「丹丘勝処」と書かれた惣門扁額。





▼天目楓の青もみじトンネルになっている参道石段。





▼天目楓。





         ▼参道横にポツンと五輪塔。





▼古刹の雰囲気がひしひしと迫ってくる参道石段。





▼城郭のような山門に着きました。





         ▼山門と青もみじ。





         ▼西天目瑞巌山と書かれた山門扁額。





▼鳳凰彫刻。





▼境内から見た「紫鳳楼」ともよばれる山門。三間三戸の重層楼門、入母屋造、桟瓦葺。
 両袖に階上への階段がついています。階上には釈迦如来坐像、十六羅漢をお祀り。
 寛政二年(1790年)弘巌玄猊禅師建立。





▼仏殿、高源寺の本堂で堂宇にしては小さい建物です。方三間、入母屋造、トタン葺に見えますが檜皮か茅
 葺にトタン囲みではないでしょうか、ご住職に聞くの忘れました。
 享保五年 (1720年) 中興天岩明啓禅師建立。





▼近くに寄って見ると、礎石に直置きですね。





▼仏殿扁額、まず読める方は居ないのでは。灋王殿 (ほうおうでん) と読みます。





         ▼仏殿本尊、釈迦如来坐像。
          このお像はお前立ち像で、ご本尊は秘仏になっているそうです。





▼なかなかユニークな石灯籠でしょ。





▼仏殿横の心字池に、





         ▼この滝が流れ込み、





▼汀が石で囲われた味のある池です。周辺は不思議と緑が少ないです。





▼仏殿横から小高い地へ、自然石を積みあげた石段はかなり急坂で一段の幅が20cmあるかないか。
 コワイ、滑りそうです下りはよほどの注意を。





▼そこに在るのは庫裏を兼ねた方丈なんです。





▼入堂出来ませんでしたが、開山、中興の禅師像が安置されているそうです。





▼この扁額だけは間違いなく読めます。





▼楓木立の中から方丈。





▼天目楓の鬱蒼の勇姿。





         ▼ニューファッションハット。





▼可愛らしい梵鐘が吊られていました。





▼三笑橋は虎谿泉という渓谷に架かる石橋です。




▼こちら虎谿泉の上手で、





▼こちらは虎谿泉の下手になります。





▼鬱蒼の天目楓。





         ▼三笑橋を渡ると三重塔エリア。





         ▼初層が開扉されてます。





         ▼毘沙門天と書かれた扁額。





         ▼お寺では多宝塔とよんでるみたいで、内部に輪蔵があるそうです。
          それにしても安定感抜群の塔ですネ。





▼いたるところ天目楓。





         ▼石仏や墓石が積み上げられたテッペンに
          お地蔵さんが集落を慈悲の目でご覧のようです。





         ▼もう一度山門横の楓を。





▼ちなみに高源寺の紅葉時期の写真です。ネットから借りてきました。



さすが丹波紅葉三山一と称される景観ですネ。



▼御朱印です。





御朱印を戴きつつご住職とお話の中、ご住職「紅葉の楓も良いのですが、新緑の美しいこれからのシーズン、
参拝者も少なくお寺をジックリ見ていただけます、ごゆっくり参拝して行って下さい。」
その説まったく同感!「ボクのお寺訪問はそれを実践しています」と申し添えておきました。
紅葉時の凄い人出に閉口感ありありのご住職でした。




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花山院は、西国三十三カ所観音霊場番外札所です。

2015年04月10日 | 兵庫の古寺巡り



(2015.04.04訪問)


法道仙人もえらいところにお寺を造ったもんで明らかに難所です。山頂境内にはそんな感じは微塵もありま
せんが、参道の急勾配は相当なもの。たかだか418mの阿弥陀峰と云うなかれ、迷車大和路号は中途でギブ
アップしそうでクルマの青息吐息とはこのことかと再認識。道は細く急カーブ、行き違い無理なところ数カ
所、クルマが来たらどうしょう的ビクビクもんでした。まして下からの歩き登拝は止めた方が賢明ですよ。
修行の聖地とは難所なり、さすが法道仙人です。

★クルマの青息吐息は迷車大和路号の印象で、皆様方の名車では決してそんなことはないと思います。


▼仁王門。三間一戸、八脚門、切妻造、本瓦葺。




[ 花山院 ]
●山号 東光山 (とうこうざん)
●寺号 花山院 (かざんいん) 正称 花山院菩提寺 (かざんいんぼだいじ)
●開基 伝 法道仙人 (ほうどうせんにん)
●開創 伝 白雉二年 (651年)
●宗派 真言宗花山院派大本山
●本尊 薬師瑠璃光如来坐像
▲入山料 境内自由 朱印 300円 参道通行料 500円 (参道維持費)
▲拝観時間 8:00~17:00
▲兵庫県三田市尼寺352番 Tel.079-566-0125
▲西国三十三カ所霊場番外札所
 西国四十九カ所薬師霊場第二十一番札所
▲http://www.kazanin.jp/
▲中国自動車道 「神戸三田IC」約20分山上駐車場
 JR福知山線「三田駅」下車、 乙原バレー行神姫バス 「花山院バス停」下車、山上まで徒歩30分。


▼仁王門山号扁額。





[花山院縁起] 花山院菩提寺略縁起より抄出
天竺より紫雲に乗り渡来したとされる法道仙人によって開かれたと伝えられています。法道仙人は役行者と
並ぶ法力を持った修験僧であり当山もその修行の聖地として開かれたのです。後に、花山法皇(第六十五代
花山天皇)が西国三十三カ所観音霊場巡察再興旅の途次、二十五番清水寺から東を望み八葉蓮華の山々を見
いだされ、再興成就の後たどり着かれたのが当山でした。その後当山を終焉の地として草案を結び、仏道修
業に励まれつつ寛弘五年 (1008年) 御年四十一歳当山にて崩御。それ以来当山は花山法皇の菩提を弔うお寺
として花山院菩提寺を寺号とするに至りました。



         ▼阿形仁王像。





         ▼吽形仁王像。





▼仁王門を潜るとすぐ宝珠をお持ちの方が迎えてくれます。手前に手水鉢。





▼この石段を上れば本堂エリア。途中お地蔵さんのお迎えが。





▼ごく狭い境内、この二堂の存在感は立派です。





         ▼修行大師。





▼花山法皇殿。霊場巡礼者参詣の本堂。桁行三間、梁間三間、宝形造、桟瓦葺、一間向拝付。
 本尊十一面観音立像、花山法皇坐像、弘法大師坐像が祀られています。





         ▼本堂正面。花山法皇殿の木札。





▼ところ構わず千社札。右の奉納額は花山法皇御製詠
       有馬富士 麓の霧は 海に似て 波かと聞けば 小野の松風





▼このユニークな虹梁、凄い細工をするもんです。





▼弁天池と弁天さんのお社。





▼薬師堂。花山院の本堂です。桁行三間、梁間三間、宝形造、桟瓦葺、一間向拝付。
 本尊 薬師瑠璃光如来坐像。両脇に日光、月光菩薩立像。





▼瑠璃光殿と書かれた扁額。

 



▼本尊薬師三尊。西国四十九カ所薬師霊場第二十一番札所の本尊です。





▼薬師堂。





▼薬師堂隣に「幸せの七地蔵」碑。七体のお地蔵さんがワイドに並んでいます。





         ▼代表して二体を。父 (夫) 地蔵と母 (妻) 地蔵。
          お地蔵さんの右手を見てください、光ってますね。
          皆さん手を握って祈願してるそうですよ。









▼宝篋印塔を中心に古い五輪塔などが置かれています。





▼境内小高い地に石垣を積み玉垣で囲われた花山法皇廟所。





▼花山法皇廟所前庭。





         ▼花山法皇廟所宝篋印塔。





御朱印を戴きに本坊へ行ってみましょう。

▼本坊への参道、向こうに中門が見えます。





▼中門手前右に花山院鎮守の三宝荒神堂。
 大日さん、文殊さん、お不動さんの合体神、荒神さんをお祀りしています。





▼中門を潜るとすぐ左手にスリムな鐘楼。





▼椿が咲き出していました。





▼正面に本坊書院の立派な玄関。右側に納経所が在りここで御朱印を戴きます。





▼本坊展望台から秀峰有馬富士標高374mを見下ろす。花山院は標高418mの阿弥陀峰山頂にあります。





▼西国三十三カ所霊場番外札所の御朱印です。





番外とは云えさすが札所、多くの方がお参りで納経所は列が出来ていました。
花山法皇は十七歳で皇位につき、在位二年で藤原氏の陰謀にあい退位、悲運の天皇と云われながらも一方で
は女好きのプレイボーイでかなりヤンチャ、しかし詠まれる和歌は秀逸で三十三霊場ご詠歌の大半は法皇御
製と云われ評価色々の方、当地に隠棲後法皇を慕って十一人の女御達が追いかけてきたとも伝わるそうです。
それこそ波瀾万丈の生涯の中で、衰退をたどっていた三十三カ所巡礼再興は法皇にとって最後の仏道修業だ
ったんでしょう。

男の鑑みたいな方なんですね花山法皇は。




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