土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

丹生川上神社下社の祭神は水の神様。

2012年04月25日 | 奈良の古寺巡り


(2012.04.21訪問)

鳳閣寺からの帰途、R309沿いのやたら長い社号の丹生川上神社下社を訪ねました。
一の鳥居をくぐり境内に入ると祝詞の声が聞こえ、一台の新車が二の鳥居の前でお祓いを受けていました。
ボクもしばらく聞き惚れていました。いい声をしてはります、神主さんは。

▼社前を流れる丹生川。



[ 丹生川上神社下社 ]
●社号 丹生川上神社下社(にゅうかわかみじんじゃしもしゃ)
●創祀 不詳
●祭神 闇靇神(くらおかみのかみ) 祭神闇靇神は伊邪奈伎、伊邪奈美大神の息神
●摂社 八幡神社(応神天皇)、大山祇神社(大山祇命)、稲荷神社(稲荷大神)、祖霊社(川上六家の祖霊)

丹生川上神社下社縁起
白鳳4年(675年)天武天皇が闇靇神から宣託を受け創建された伝承があるそうですが、現在丹生川上神社と称
する神社は三社あり、それぞれ上社、中社、下社と呼ばれ、いずれが丹生川上神社かについては不明だそう
です。古来この地には多くの井戸が湧出し、祈雨止雨、農耕の守護神として丹生雨師明神と呼ばれ古くから
水信仰の神として崇敬されて来た由緒が三社とも残されているそうです。

         ▼社号石柱。官幣大社丹生川上神社下社とあります。




▼一の鳥居。立派な鳥居ですが扁額はありません。




▼二の鳥居前で祈祷を受けているクルマがいました。




▼境内北側の社務所。




▼手水舎。




▼二の鳥居。




▼拝殿。桁行5間、梁行2間、入母屋造、銅板葺き。




▼拝殿拝所。中央奥が本殿へのきざはし。




▼拝殿から本殿へのきざはし。七十五段の階段。




▼きざはしの内部。通常こちらへは入れませんが年一度、六月一日に行われる例祭のときに限り本殿開扉と
きざはし内に入る事が出来るそうです。




▼丹生山頂に鎮まる本殿。(丹生川上神社下社のガイドパンフレットからスキャン)




         ▼ご神木の欅。




         ▼ご霊木の多羅葉。






▼後醍醐天皇の歌碑。




▼産霊石(むすびいし)。






▼蛙石と牛石。



神域は相当広く、本殿は背後の丹生山に在り、拝殿から長い階段で結ばれています。前庭が広く、背後が山
というのは、森厳な山の霊気が広い前庭に降り注ぎ、一瞬敬虔な精神性を身に受ける。カッコウつければそ
んな感じの不思議が…。
いやいやチョットした気のせいですワ、ボクの場合は。


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鳳閣寺、役行者や理源大師の精神が息づいている聖域。

2012年04月23日 | 奈良の古寺巡り


(2012.04.21訪問)

奈良県のへそと云われている吉野郡黒滝村に初めて入りました。役行者が国家安穏祈願の修験道場として開
山したと伝え、鬱蒼の森、重なり合う山襞、季節の彩が織りなす深山幽谷と云う言葉がピッタリ。陰翳の変
化に富む百貝岳の中腹に建つまさに山岳寺院鳳閣寺。小角さんや聖宝さんの高邁な精神の聖域は、歩につれ
て杉の落葉を踏む音しか聞こえず、わずかな距離しか離れていない吉野のあの雑踏はここにはありません。

▼国道309号から百貝岳を目指す県道138号沿い黒滝川の名残の桜。



[ 鳳閣寺 ]
●山号 百螺山(ひゃっかいさん)
●院号 真言院(しんごんいん)
●寺号 鳳閣寺(ほうかくじ)
●宗派 真言宗鳳閣寺派大本山
●勅願 伝天智天皇
●開山 伝役行者小角
●開創 白鳳6年(678年)
●勅願 宇多天皇
●中興 理源大師聖宝
●中創 寛平7年(895年)
●本尊 如意輪観音菩薩

鳳閣寺縁起
白鳳6年(678年)天智天皇勅命により役小角が開山したと伝わり、寛平7年(895年)醍醐寺開山で修験道中興
の祖、聖宝が宇多天皇の大峰山復興の勅により中興したとされ、当山派修験道の寺として栄えたと云います。
真言宗醍醐派に属していたが、昭和26年(1951年)独立一派を形成、真言宗鳳閣寺派大本山となる。
聖宝の墓所として伝わる鳳閣寺廟塔が境内東方百貝岳山中にあり、重文に指定されている。

▼鳳閣寺案内板。




▼鐘楼。




▼本堂。
桁行3間、梁行4間、入母屋造、銅板葺き。外廊勾欄、正面1間向拝付き。前面に護摩壇




▼本堂扁額。鳳閣寺と揮毫されています。




▼見えるでしょうか、唐破風向拝柱の長押に龍の彫り物。




▼本堂側面。




▼鳳閣寺展望台から金剛山、葛城山や吉野山が一望できる大パノラマが展開します。
左のピークは金剛山、中央やや丸いピーク葛城山、右に二上山が見えます。




▼境内北方吉野山が一望。中央朱の屋根は金峯山寺蔵王堂です。
鳳閣寺から吉野奥千本は峰続き、約3.6kmだそうです。




          ▼境内に建つ道しるべ。




▼境内から百貝岳聖宝廟へ、杉林に覆われたこんな登山道が続きます。










▼聖宝廟。覆屋のなかに石造廟塔が建っています。




          ▼石造廟塔(重文)。理源大師聖宝さんの墓所と伝わるそうです。
          正平24年(1369年)造塔




▼百貝岳登頂はギブアップ!スゴスゴと聖宝廟から境内へ戻ります。



百貝岳山中にひっそりと在る鳳閣寺は、今は本堂と庫裏のみを残す小さなお寺です。この日は無人のようで
本堂もピッタリ閉じたまま。石造廟塔への登山道はまるで柤道、杉の落葉で埋まっています。静寂すぎると
何かゾクゾク、きつい上にコワさで、早々に戻りました。

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大澤寺、山中とは思えない景観にビックリです。

2012年04月18日 | 奈良の古寺巡り


(2012.04.15訪問)

草谷寺から葛城古道に戻り南へ走り国道310号へ。大阪河内長野へ通じる国道ですが、狭く小カーブばかり、
超安全運転です。しばらく走ると道路左脇に、らしくない案内看板がお寺へ案内してくれます。
大澤寺は古来「眼の薬師」として眼病、耳疾に霊験新たか。とか

▼五条から国道310号沿いにイヤでも目に入る案内表示。



[ 大澤寺 ]
●山号 神福山(しんぷくさん)
●院号 青龍院(せいりゅういん)
●寺号 瀬之堂大澤寺(せのどう だいたくじ)
●宗派 高野山真言宗
●開創 伝役行者小角
●本尊 薬師如来坐像 脇侍 持国天立像、増長天立像

大澤寺縁起 (大澤寺HPから抄出)
瀬之堂大澤寺は千三百年前、修験道の開祖役行者小角がこの地を扶桑第一の行場として、一宇の草堂を結び
薬師如来を勧請、朝夕祈願の浄域と定められたのが瀬之堂の開基です。弘仁年間弘法大師がこの地に止錫さ
れ、伽藍、僧房など真言密教の一大霊場の様相を整えられ、南北朝時代には仁和寺の別格本山になり広大な
寺域には十二の塔頭をはじめ諸国に末寺を擁していたと伝え、後醍醐帝はこの寺を勅願所と定め息後村上帝
は行宮とし、護良親王、楠公一族など南朝縁の寺院として栄え、京聖護院法親王より「柳の宿」の庵号を賜
ったと伝えています。

▼案内どおり左折すると、こんな参道が約1.2km。
舗装もされ、いい山道に見えるでしょうネ。ところがどっこい、幅員軽自動車ギリギリ、行き違いできず、
逃げ場なし、どうしましょ対向車があったら。ビクビクものでした。




▼大澤寺石標。




▼石標から少々登って左カーブすると、きれいな白壁が続くこの景観。
「山寺」そんな言葉はどこへやら。だけど本当にかなりの山中なんですヨ。




▼山門。ここから入山することは出来ません。正面に本堂が見えます。




▼入山はこちらから。




▼雪柳と庫裏。




▼手水舎。手水鉢は江戸享保年間時代のものらしいです。




▼お寺説明板。




▼本堂。桁行3間、梁行4間、入母屋造、1間向拝付き、桟瓦葺。
本尊 薬師如来坐像(秘仏) 像高189.1cm、楠一木造、平安初期。脇侍 持国天立像、増長天立像。




▼本堂扁額。瑠璃光仏(薬師如来のこと)と書かれています。




▼本堂内陣。美しく荘厳され、中央柱間奥お厨子の中に秘仏本尊が祀られています。
本堂右奥須弥壇には弘法大師、左奥には役行者が祀られています。




▼本堂横に賓頭盧尊者。この地域では「べんずりさん」と親しまれているそうです。




▼青龍の池(方生池)に架かる太鼓橋。山門からの橋ですが現在は渡れません。




▼青龍の池(方生池)。朱の欄干が池に映る景観は実に美しい。
緑水海の如く吹き出で四節涸くことなく青龍王現存す、病平癒祈願のため身替わり放生、成満供養に今も亀
や鯉の放生が信者によって続いているとのことです。




▼知恵の柳。弘法大師の杖より生じたと云われる柳。お寺古文書には「是当山知恵の柳也」とあるそうです。




▼青龍の池(方生池)と雪柳。




▼参道築地塀越しに見た本堂。



金剛山麓の山中に在るとはとても思えず、突然の白壁には驚かされましたが、周辺環境と共生した植栽の彩
りや境内景観の管理はとても行き届いた、気持ちのいいお寺です。歴史を語るお堂は本堂一宇だけの小さな
境内ですが「眼の薬師」として隠れた人気のホドは成るホドです。

ご住職はお留守でしたが、庫裏と本堂の渡り廊下を清掃中のご婦人に声をかけるとご住職の奥様でした。し
ばらく手を止めて庫裏の縁側で雑談の相手をして下さり、「あと小一時間で住職が本山修験の方達と戻り本
堂で法要を行いますので、それに参加されたら」とお誘いを受けたのですが、今回は遠慮させてもらいまし
た。 しかしよく考えて見るとアホですなァ、キット一人だと気が弱いんです。

いま眼医者と耳医者通いの身ですワ。ボクは。


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草谷寺、遷都祭の賑わいも今はただひっそりと。

2012年04月16日 | 奈良の古寺巡り


(2012.04.15訪問)

久々、葛城古道を走りました。
南阪奈道路葛城ICから県道30号線へ、葛城古道です。山麓沿いにはまだまだ薄紅色が山肌を飾っています。
南へ五条を目指します。高天で県道30号線から261号線へ入ると間もなく左手に五条市5万人の森公園が開
けます。
このアタリに草谷寺に向かう道がある筈なんですが…、標識が見当たりません…。道を訪ねるにも人の姿も
ありません、261号線を行ったり来たり、ついに道しるべ発見!
しかしこれじゃ北方面からは発見不可能、南向いてますもん。しかも小さい。クルマのための道しるべでは
ないんでしょうキット。
ナビのないクルマの悲しさモロ、帰ったらオートバックスに行こうかな。

         ▼ヤット見つけた草谷寺への道しるべ。



[ 草谷寺 ]
●山号 岸野山(きしのさん)
●寺号 草谷寺(そうこくじ)
●宗派 高野山真言宗
●開創 伝役行者小角
●本尊 薬師如来坐像(重文) 脇侍日光、月光菩薩立像

草谷寺縁起
役行者の草創と伝わりますが、伝承のみで詳細は不詳だと云うことです。

▼参道石段。結構急な石段です。




▼桜花散りだす風情、踏むのがはばかれます。




▼説明板。




▼本堂。宝形造、桁行3間、梁行3間、桟瓦葺。本尊 薬師如来坐像(重文) 脇侍日光、月光菩薩立像。




▼本堂正面には真新しい扁額が。




▼見てください! 本堂屋根の宝珠と桟瓦の造形、これこそ宝形の美。だと思います。




▼境内の桜。




▼袴腰で基壇上に建つ鐘楼。




▼薄紅色に埋もれるお地蔵さん。




         ▼宝篋印塔。




▼像高50cmくらいの可愛い六地蔵さん。




▼経文塚。本堂裏山にヒッソリと建てられていました。由緒は全く分かりません。




▼収納庫。本堂から少し離れたハードな石段の上に建ってます。
遷都1300年祭の時には相当な人出だったと聞きました。今は厳重に施錠されています。
内には薬師如来立像、聖観音菩薩立像、不動明王坐像、十二神将像、役行者像などが収蔵されています。




▼境内からの山また山。桜は今盛りです。




遷都1300年祭の時に人気を博した草谷寺。通常は本堂も収納庫も非公開だそうで、今日は山寺の雰囲気をと
いうことで訪ねてみました。

今日の第二弾!もう一つの山寺大澤寺へ。このお寺も大変な山寺と聞いています。

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本圀寺は国祷護国の大道場、日蓮宗総本寺です。別名金ピカ寺。

2012年04月11日 | 京都の古寺巡り


(2012.04.07訪問)

地下鉄東西線御陵駅から北に天智陵を巻くように住宅街の坂道を登って行くと琵琶湖疎水の遊歩道にでます。
細い道は入り組んでますが案内標識がしっかり導いてくれます。疎水沿いに山科方面へすぐに参道口があり
ます。
境内を回るにつれてお天気がハッキリしません。せっかく金ぴかパワーのシャワーを浴びようと勇んで訪ね
たのですが、ほとんどがただの黄色、残念でした。いかに太陽光が偉大であるか、改めて感じた次第でござ
います。

[ 本圀寺 ]
●山号 大光山(たいこうさん)
●寺号 本圀寺(ほんこくじ)
●宗派 日蓮宗大本山
●開山 日蓮上人
●創建 建長5年(1253年)
●本尊 七字名号十界曼荼羅

本圀寺縁起 (本圀寺HPから抄出)
本圀寺は大光山と号する日蓮宗の大本山で、750年前の建長5年(1253年)8月、高祖日蓮大聖人が鎌倉松葉
ヶ谷に御小庵を構え、法華堂と号したことから始まる。伊豆法難後の弘長3年(1263年)5月、大光山本国土
妙寺として創設された宗門史上最初の祖跡寺院である。御法難、遠流によって御出入りはあられたものの、
22年にわたる立正安国論の国諫運動を展開された、日蓮大聖人の御生涯の中心となるもっとも大切な布教の
根本道場である。日蓮大聖人の身延入山および御入滅後は日朗聖人、日印聖人、日静聖人が護山継承され、
ときの政治の中心鎌倉にて幕府の強圧と闘いながら、正法宣布の使命遂行に当たられた。北条幕府が滅び、
政治が鎌倉から京都に移った貞和元年(1345年)3月、日静聖人の時代、この霊跡大光山は光厳天皇の勅諚に
よって京都六条に東西二町、南北六町にわたる広大な永代寺領を賜り、鎌倉松葉ヶ谷から京都へ立正安国、
国祷護国の大道場本圀寺として移遷されるに至った。
時を経て本寺末寺の解体、敗戦による農地改革、寺所の散失などの時運に抗し難く、護山の不詳も相まって
山門の衰勢その極みに達する。昭和46年(1971年)宗命を受けて第63世伊藤日瑞上人が現在の京都山科区御
陵に移転、伽藍を再建して中興の任を果たした。

▼琵琶湖疎水に架かる赤い橋。
地下鉄東西線御陵駅から15分ほどで琵琶湖疎水の遊歩道に着きます。すぐに朱の橋が目に入ります。




▼正嫡橋。この橋が本圀寺の参道口です。欄干擬宝珠を見てください、キンピカ第一号。




▼綺麗に舗装された参道。




▼クッキリ南無妙法蓮華経の七字名号寺標。日蓮さんの自署と花押が刻されています。




▼開運門。通称赤門と呼ばれている山門です。文禄元年(1592年)加藤清正が寄進。




▼これまたクッキリ、山号を揮毫した赤門扁額。仏カラーふんだんこれでもか、です。




▼仁王門。
桁行3間梁行2間、12脚、瓦葺。平成15年(2003年)5月23日落慶。




▼ピカピカの仁王門扁額。正嫡付法とあります。



金色由来
当仁王門こそ、当本圀寺の山号の由来するところの「大光普照」にちなみ、御尊体を始めとし当然屋上の鯱
鉾に至るまでことごとく黄金色を用い、この御威光を千里の彼方まで普く照らすべく念じた所作也。
正嫡付法大本山本圀寺第六十八世伝灯 稽首和南

ということで金色の鯱や龍、仁王像に大梵鐘、その他金色ずくめの装飾を施した寺院となった由です。

▼屋根には鯱。キンピカ鯱も陽光がないとただの黄色。




▼もうちっと仁王門に近づいてみましょう。どうです両袖の仁王さんの輝き具合。
両袖に黄金仁王さん、屋根にはシャチが燦然と。長押の彫刻、柱の年輪木紋が美しいです。




阿吽両像は、運慶28代仏師常慶の造像。仏師常慶さんご存知の方教えてください。
まさにキンピカはこの両像だけでした。

▼金剛力士阿形像。




▼金剛力士吽形像。




▼本堂。本尊 七字名号十界曼荼羅寳号、釈迦如来坐像、多寳如来坐像。
桁行5間、梁行5間、入母屋造、瓦葺。鉄筋コンクリート造、正面3間の向背付。昭和46年(1971年)建立。




▼日蓮大聖人像。清澄山頂の旭が森に、日輪に向かって玄題口唱する、立教開宗の日蓮大聖人の御影。




▼こちらは本堂前に立つ祖師日蓮さん。




▼どうですこの日蓮さんのお顔。




▼日蓮像の台座にはめ込まれた知法恩國の書。東郷平八郎元帥揮毫。




▼本堂前に立つ燈籠。中の灯明も黄金の炎が揺らめくそうです。ウソですよ。




▼本師堂。宗祖日蓮さんの念持仏釈迦如来像を祀るお堂。
桁行5間、入母屋造、瓦葺。正面3間の向背付。




▼本師堂前に立つ石柱。勅 閻浮第一立像釈迦牟尼世尊と刻されています。




▼鐘楼。古色の鐘楼に黄金の梵鐘。




▼大梵鐘。文禄2年(1593年)太閤さんの姉君の寄進。
撞くたびに金粉が飛び散りキ~ンキ~ンと響くそうです。ウソですよ。




▼書院。




▼九頭竜銭洗い弁財天。財運祈願のご利益新たかな神さま。




▼龍神。願いが叶うと金の水を吐くそうです。ウソですよ。




▼本堂と本師堂を結ぶ渡り廊下。




▼本堂後ろの小高い丘に、清正宮鳥居と清正公廟。




▼加藤清正公廟。
本圀寺は加藤清正の帰依熱く、両親の遺骨とともに清正自身の歯や毛髪を石室に納めた生前墓。




▼一切経蔵(国宝)。輪蔵の中に一切経が納められており題目を唱えながら輪蔵を一回転させると一切経を悉
く唱えたのと同じ功徳があると云われています。と説明板に書かれていながら入ること出来ません。




▼寺務所と庫裏。




▼鈍い金色にサヨウナラです。赤門からもと来た道へ。




▼琵琶湖疎水の遊歩散策路は、山科から南禅寺まで続いています。花の色はありません、散策の人たちもポ
ツリポツリでした。南禅寺までウォーキングと思いましたが、思いとどまりました。




フ ロ ク
帰りは東山から白川沿いに四条まで歩きました。カラオケBGの定番、祇園巽橋の写真です。



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