土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

大崎寺、海津大崎の崖上に建つ古刹です。

2017年07月31日 | 滋賀の古寺巡り





(2017.07.29訪問)


今日は湖西高島市のお寺三か寺を訪ねる予定で、我が家を朝九時の出発です。先ず最初の訪問先は海津大崎の大崎寺。名神京都東か
らR161を北上、ほとんど琵琶湖の北端ほぼ120km約1.5〜2時間コース。の筈が甘かった。このR161が大問題、山科から即渋滞、
北小松辺りまでノロノロそしてノロノロ、なんと大崎寺到着12時半です。「夏場の湖西琵琶湖畔は走ったらえらい目に遭うぞ」の鉄
則を完全に失念、そしてやっと大崎寺到着、目の前は石段、腰砕けになりました。今日三か寺まともに回れるかなァ〜〜〜。





▼本堂から琵琶湖の景観です。桜で有名な海津大崎の突端に位置する大崎寺は琵琶湖が手のうちに広がります。      







[ 大崎寺 ]
●山号 立石山 (りゅうしゃくざん)
●寺号 大崎寺 (おおさきじ)
●宗派 真言宗智山派 (しんごんしゅうちざんは)
●創建 大宝二年 (702年)
●開基 泰澄上人 (たいちょうしょうにん)
●中興 空翁上人 (くうおうしょうにん) 天文五年 (1533年)
●本尊 十一面千手観世音菩薩立像 (秘仏)
▲滋賀県高島市マキノ町海津128 電話 0740-28-1215
▲拝観料 境内自由 ご朱印300円
▲近江西国三十三カ所霊場第九番札所
 びわ湖百八霊場25番札所
▲時間 9:00~16:00
▲JR湖西線「マキノ駅」下車 徒歩30分
 北陸道木之本ICから国道8号経由20km30分
 国道161号線を北上、「海津」を右折。所要5分。





▼参道入り口は県道に面して石段があります。







大崎寺縁起 (大崎寺案内駒札から)
真言宗智山派石立山大崎寺宝光院といい、本尊は泰澄大師の作と伝えられる千手観音である。元は奈良の興福寺の末寺で僧坊三十九
院を有する大寺院であったが鎌倉時代以降荒廃していた。1536年法印が中興しそれ以来真言宗となった。豊臣秀吉が諸国仏閣復
興のとき、安土城の残材を用いて修復を行った際、血痕の残る天井板を使用した事から「安土の血天井」として知られている。その
後本堂は改築され、使われていた用材は昭和41年(1966年)、阿弥陀堂の改築の際、阿弥陀堂の天井に使われた。
また阿弥陀堂の本尊の阿弥陀如来像は聖徳太子の作と云われている。





▼ドンドン行きましょう。

      





            ▼チョットした広場に大崎寺の石標。







▼この先を右に曲がると境内です。







▼本堂ですが右端は崖です。







▼手水です。







            ▼この不安定さ、芸術的ですネ。
             五輪塔と云えるかどうか判りませんが、寄せ集め塔か。

    





▼相当古そうですネ。







            ▼こちら新しく造立の観音さん。







▼本堂。舞台のスグ下は崖です。当然のことながら本堂正面は撮れません。







▼正面の大提灯、径1mはありそう。







▼扁額。







▼内陣は質素然とした荘厳。







▼唯一お厨子は黄金に囲まれています。お前立ち仏が僅かに見えますが定かではありません。







▼境内からの琵琶湖。







▼かっては最高の見晴らしだったんでしょうネ。







▼阿弥陀堂。本堂以外唯一のお堂。方三間、宝形造、桟瓦葺。
 豊臣秀吉が安土城の血痕のついた城材を使って大崎寺を修復し、大いに法要を営んだ。血痕のある板を天井とした血天井の阿弥陀
 堂といわれている。







▼阿弥陀堂の横にへっついさんとお釜、何故ここに。







▼倒壊は時間の問題。







▼もっと酷い三社。何も祀られていない社の抜け殻か。       













▼唐突に竹生島で大崎寺オシマイ。







▼ご朱印です。







海津大崎、桜の時期は県道が一方通行になるなどクルマで溢れるそうなんですが、今日のお寺は静かなもんです。場所柄境内は狭小、
海津大崎の突端崖上に本堂が建つので琵琶湖の見晴らしは一級品、しかし創建1300有余年の歴史は、この狭さから感じることは残念
ながら出来ませんでした。





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禅定寺、見応えの藤原仏がズラリ。

2017年07月27日 | 京都の古寺巡り





(2017.07.22訪問)


正壽院から次に訪ねるお寺は実はスグ近くのはずでした。されどガイドはすれども一向に着かず。あげくは細~い山道をズンズン、
こりゃダメだと引き返し、第三候補のお寺をサーチ、これ又ガイドはすれども行き先不明。正壽院の所で書きました「賢いやっち
ゃ新大和路号のナビは!!」の前言を撤回、付き合いきれんはこのナビは、マッタク。
と云うことで、じゃドコを訪ねるか、この辺りでボクが知っているお寺と云えば、禅定寺しかありません。このナビめ有名寺院だ
けはしっかりガイドするんですワ。





▼県道に面した参道石段です。      







            [ 禅定寺 ]
            ●山号 白華補陀洛山 (ふだらくさん)
            ●院号 観音妙智院 (かんのんみょうちいん)
            ●寺号 禅定寺 (ぜんじょうじ)
            ●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
            ●開基 平崇上人 (へいそしょうにん)
            ●創建 正暦二年 (991年)
            ●中興 月舟宗胡禅師 (げっしゅうそうこ)
            ●本尊 十一面観音菩薩立像
            ▲京都府綴喜郡宇治田原町禅定寺庄地100 電話 0774-88-4450
            ▲拝観料 500円 ご朱印300円
            ▲時間 9:00~16:00
            ▲http://zenjyoji.jp
            ▲JR「宇治駅」京阪電車「宇治駅」から京阪宇治バス「維中前」下車 徒歩約2km
             京滋バイパス「笠取IC」から約9km





            ▼石段横にさり気なく建つ寺石標。







禅定寺縁起 (禅定寺HPから抄出)
正暦二年 (991年) 東大寺五十三代別当、平崇上人が藤原兼家の帰依を受け、私領の山野に五年の歳月を費やして堂を建て、十一面
観音菩薩像を安置したのが始まり、ついで長保三年 (1001年) 上人は田畑一千町歩を寺に施入。鎌倉、室町、戦国時代の兵火など
で創建当初の伽藍は壊滅。その後江戸時代延宝八年 (1680年) 加賀の国曹洞宗大乗寺の月舟宗胡禅師を迎え曹洞禅の道場として復
興が果たされた。





▼石段を上りきった所に壱の門。

      





▼仁王門。白壁に花頭窓を備えたユニークな山門です。三間一戸、切妻造、本瓦葺き、江戸享保四年 (1719年) 建立。







▼補陀禅林と書かれた仁王門扁額。







▼金剛力士阿形像。仁王門建立と同時期の造立と云われています。







▼金剛力士吽形像。







            ▼仁王門を潜ると左に建つ五輪塔。南北朝時代の造立の大和型の貴重な五輪塔。

    





▼本堂。茅葺きの大きな建物ですが、豪農の母屋の雰囲気、お寺のお堂には見えません。







▼本堂前面。中央ガラス戸を開けたのはボクです。正面から入堂させて頂きました。







▼本堂内陣の荘厳。中央須弥壇の奥に本尊阿弥陀三尊が祀られています。







▼変化に富んだお庭が本堂前に広がっています。   







            ▼池畔に閑かに佇む観音さん。







▼鐘楼。







▼観音堂。







▼園通閣と書かれた妙に大きい扁額。







▼観音堂内陣。メインというか本尊が見当たりません。







▼豪華な須弥壇台座の彫刻と漆芸。牡丹を挟んで阿吽の獅子が睨み合っています。







            ▼まさか本尊をこんな祀り方をしないでしょう。







▼右脇殿の地蔵菩薩坐像。貫禄ですネ。







            ▼左脇殿の薬師如来坐像。相当酷いことになってるお薬師さん。
             左手の薬壺、時にはご自分のために使っていいんですよ。







▼天蓋と瓔珞。







▼放生池に架かる太鼓橋。







▼平成大涅槃図。墓地の法面を飾っています。横45m、縦8mの大壁画です。一般の人たちも参加して平成十一年開眼。













▼仁王門手前に宝物殿。







▼正面に十一面観音菩薩立像 (重文) が安置、堂々体躯の仏像。お顔は丸く、お身体やや肥満気味でズングリムックリはご愛嬌か。
 漆箔は殆どはげ落ち黒漆地が出ていますが衣文の彫りは丁寧で緻密です。藤原時代作、像高286.3cm、木造寄せ木造、漆箔、
 頭飾胸飾をはじめ飾り物が非常に豪華です。



            (写真は禅定寺HPからお借りしました)





▼ 小川光三さんの写真集「南山城の古寺」から禅定寺のページです。







▼ご朱印です。







宝物館に収められている素晴らしい仏像の数々、ほとんどが藤原仏で禅定寺草創期からのものだそうです。お寺は今でこそ本堂と
観音堂しか残ってはいませんが、これらの仏像を見る限り往時の禅定寺の寺勢が偲ばれます。おそらく各種堂宇伽藍が甍を競い、
今残る仏像達がそれぞれのお堂で信仰を集めていた。とそんな想像が湧いてくるほど素晴らしい仏像の数々でした。
禅定寺 オ シ マ イ





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正壽院、ハートの窓と風鈴のお寺です。

2017年07月24日 | 京都の古寺巡り





(2017.07.22訪問)


ハート窓のあるお寺が注目されているそうで、それなら行ってみようと、新大和路号はR307号をドンドン東へ、途中本格山道に入り
これ又ドンドン上ってゆきます。相当複雑なややこしい道、ナビの威力を改めて。賢いやっちゃ新大和路号のナビは!!
お寺についてビックリ、駐車場の空きを探すのに四苦八苦、なんと訪問者の多いお寺なのか、駐車場の前の真新しい建物の入り口に
はズラリ人の列、この入り口がハート窓の部屋に通じる入り口なんです。





            ▼建てたばかりと思われる小さな寺号石標。      







            [ 正壽院 ]
            ●山号 慈眼山 (じげんざん)
            ●寺号 正壽院 (しょうじゅいん)
            ●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
            ●開創 約800年前
            ●本尊 十一面観音菩薩 (秘仏) 五十年に一度開帳
            ▲京都府綴喜郡宇治田原町奥山田川上149 Tel.0774-88-3601
            ▲拝観料 400円 ご朱印300円
            ▲時間 8:30~16:30
            ▲http://shoujuin.boo.jp
            ▲JR「宇治駅」京阪電車「宇治駅」から京阪宇治バス「維中前」で下車
             コミュニティーバス乗り換え「奥山田」下車 徒歩約10分
             京滋バイパス「宇治西IC」から約25分 「笠取IC」から約20分





▼境内入り口にはいきなり風鈴トンネル、さすが風鈴のお寺。






正壽院縁起 (正壽院HPから抄出)
正寿院は、高野山真言宗に属し、創建年は八百年ほど前と伝わる。慶長年間に祐胤大徳が中興されたと記録に残る。本尊は秘仏十一
面観音で五十年に一度だけご開扉される。また当院の不動明王坐像(重文)は鎌倉時代の仏師 快慶の作。




▼本堂玄関右の入り口が拝観受付。本堂外陣に茶菓子付きお席が用意されています。







▼山号扁額。

      





▼堂内右脇陣。







            ▼正壽院自慢の不動明王(重文)。現在京博に寄託中。



            (この写真は正壽院HPからお借りしました)





▼本堂内陣。本尊十一面さんは須弥壇お厨子の中、五十年に一度開帳されるそうです。







▼茶菓子を前に皆さん内陣にお尻を向けて風鈴の音色に聞きいってます、誰一人正面に手を合わせる人はいません。







毎年七月一日から九月十八日まで風鈴まつりが行われ、境内に約2000個の風鈴が吊られ涼を演出。

▼今日の京都は35℃、風鈴で涼を感じることは出来るでしょうか。











































▼本堂から少し坂を下った所に真新しい庫裡と客殿が有ります。







▼この客殿には女人を引きつける凄いものがあるそうで、しばらく前に立って見てますとドンドン入堂されてます。
 写真は一瞬の無人です。







▼客殿則天の間。この部屋が女人を引きつけるのです。
 一度メディアに紹介されると即人が集まるそうで、地元の人が本当にビックリしてました。







▼客殿則天の間のこれが噂の猪目窓 (いのめまど)。早い話がハート型の窓。















季節によりハートの外の景色の変化が見ものです。お寺のHPをご覧下さい。





            ▼午後四時頃になるとこんな情景が見れるそうですヨ。ダブルハートですネ。



            (この写真は正壽院HPからお借りしました)





▼次は則天の間の天井をご覧下さい。三月に完成したばかりの天井画160枚、色とりどりの花で埋められています。













▼縁の長押にも飾られています。







▼ご朱印です。







お寺の経営にこんな商法があるのかと、感心させられた正壽院でした。小さなお寺で伽藍や仏像に目立った歴史がなくともアイディ
ア一つで参拝者を呼べる、ハート窓や花鳥天井画が山寺の売りになり、休日になれば駐車場が足りなくなる。ひとたびメディアに紹
介されると、その威力は凄いものです。
ただ本堂に入って内陣に向って一礼している人は僅かに数人、大半はお尻を向けたまま、外の風鈴を見てお茶とお菓子が済めばその
まま出てゆく、精神的な心の拠り所のお寺に来てこれじゃあネ……、しかし
かつて大寺の貫首に、「目的がなんであれお寺に来るということ、それが信仰心の現れなんだよ」と云われたことがありました。

正壽院 オ シ マ イ

このお寺、どんなお寺か全く判らないまま、風鈴の音におくられて、次のお寺に向いました。ヤレヤレ






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奈良公園の百日紅。

2017年07月21日 | 花巡り





(2017.07.20訪問)

▼ここで今……、







            ▼この方の地獄極楽展をやっています。
             あの往生要集をベースにした六道絵や来迎図の数々、充実してます。
             最近博物館、美術館の入場料がやたら高いのに辟易してましたが、
             今回の入場料1500円にはナットク。







ナットクして外に出たらナットク出来ないコクショ、さすがの奈良公園も人影まばら、あつ~いカンカン照りのなか百日紅どうかな~、
炎天下に花を見に行く酔狂な人、先ずいません。

▼浮見堂にも人がいません。







▼浮見堂と百日紅。











































▼鷺池周回路と百日紅。













▼奈良公園でもここ浮き雲園地は百日紅集合地。





































            ▼春日野国際フォーラムの屋根を入れて。







            ▼若草山をバックに。













一本の樹の花付きはマバラ、奈良公園の百日紅は1〜2分咲き、八月まで待ちましょうか。
ナットク出来ない咲き具合の百日紅 オ シ マ イ





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慈尊院、空海さんがお母さん孝行のために建てたお寺です。

2017年07月20日 | 和歌山の古寺巡り





(2017.07.15訪問)


勝利寺から少し下ると女人高野慈尊院です。駐車場はクルマ満タンでした。僅か300mと離れない勝利寺とえらい違い。
母親でも入山を拒んだ女人禁制、高野山入山を許さなかった空海さんは、そのかわり一往復約五十キロの山道を母に逢いに月に九度
は高野山と慈尊院を往復、なんと3~4日に一度ですよ! それが九度山町の名の起こりと伝わるこの町に慈尊院はあります。
天才空海さんとて人の子、母を想う気持ちは人一倍、どこか身近に感じる空海さんの一面が伝わるようですネ。そんな慈尊院を訪ね
ました。





▼紀の川渡しから門前町をぬけると正面に表門。      







[ 慈尊院 ]
●山号 万年山 (まんねんざん)
●寺号 慈尊院 (じそんいん)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●開基 伝 弘法大師空海 (こうぼうだいしくうかい)
●開創 伝 弘仁七年 (816年)
●本尊 弥勒如来坐像
▲ 和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832 Tel. 0736-54-2214
▲拝観料 境内自由 ご朱印300円
▲時間 8:00~17:00
▲http://jison-in.org/
▲平成十六年(2004年)「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産に登録。
▲南海高野線「九度山駅」から約2km、徒歩20分
 京奈和自動車道高野口ICから約15分





▼表門から境内を見ますと、先ず多宝塔が見えます。







慈尊院縁起 (慈尊院HPから抄出)
弘仁七年、弘法大師空海が高野山開創の時、高野山参詣の要所に当たるこの地に、表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を
司る政所を置き、高野山への宿所並びに冬期避寒修業の場とした。大師の御母公珠依御前が善通寺より我が子が開いている山を見た
い一念から、高齢にも関わらず当院へ参られ、本尊弥勒菩薩を篤く尊祟せられた。承和二年二月五日、御母公が入滅された時に大師
は母公が弥勒菩薩になられた霊夢により廟堂を建立、自作の弥勒仏と御母公の霊を安置された。慈尊とは弥勒菩薩の別名で、これに
より慈尊院と呼ばれるようになった。






▼表門を潜ると右に大師堂。本尊弘法大師空海、脇仏に四国八十八霊場の本尊八十八躰をお祀りしています。
 三間四方宝形造、桟瓦葺。







            ▼左玉垣の中に建つ五輪塔。平安後期何か哀しい事件があったらしく、
             それ以後建てられたと伝えています。

      





▼訶梨帝母 (鬼子母神)のお社。







▼多宝塔。朱色が映える塔姿の優れた多宝塔です。平成二十四年解体修理及び彩色完了。    
 本尊大日如来。塔高約15m、方4.5m、寛永元年 (1624年) 再建。













▼正面初層頭貫上に色鮮やかな蟇股。ここだけ妙に目立っています。







▼上層の組み物。







            ▼多宝塔北面。







            ▼多宝塔相輪です。

    





▼デッカイ樹勢旺盛なナギの樹。樹高約15m、幹周り約2m、樹齢約350年。天然記念物に指定されてます。







▼拝堂です。本堂弥勒堂の拝殿の役目を担うお堂です。お大師さん画像と御母公尊像安置。







▼拝堂の扁額。







▼内陣です。豪華な瓔珞や吊り灯籠が所狭しと荘厳され賑やかな堂内、前方に見える窓の向こうが本堂弥勒堂の正面です。







▼大地蔵さんと小地蔵さんがイッパイ。







▼どなたが撮っても全景が撮れない本堂弥勒堂 (重文)。方三間、宝形造、檜皮葺。







▼本堂弥勒堂正面。







            ▼本尊弥勒菩薩坐像 (国宝)(秘仏)。像高91cm、檜一木造、彩色像、
             寛平四年 (892年) 造立。二十一年に一度開扉。



            (本尊写真はネットから)





▼弥勒堂檜皮の屋根の石造露盤宝珠。







▼屋外の弥勒菩薩坐像。高野山詣りの時はこの弥勒さんに一言ご挨拶、道中お護りしてくださるそうです。







本堂前の安産祈願の絵馬。
高野山への女人入山を禁じていた弘法大師は自分の母をも許さず、母はこの寺に住み弥勒菩薩を信仰したという。女人の高野山参り
はここ慈尊院に限られ、女人高野とよばれるようになったのです。女性のための安産祈願、子宝成就、育児、授乳等を願いを、乳房
型絵馬に託してを奉納するようになったと云われています。

▼悩み多き女性のための乳房型絵馬の数々。その奉納絵馬の多さには驚きました。    













            





▼世界遺産碑。平山郁夫さんの揮毫。

   





▼境内ど真ん中に蓮花をかたどるとはいえ少々場違いな噴水。

           





▼鐘楼。

            





▼大師とゴン。
ノラのゴンは慈尊院に住みつき、高野山金剛峯寺までの町石道を、お遍路さんについていくうち道を覚え、朝慈尊院を発ち夕方に高
野山上の大門まで案内、夜には慈尊院に戻る毎日を送り「お大師さんの使いの名犬」として有名に。平成十四年六月に慈尊院で永眠、
境内の弘法大師像の横に、ゴンの石像「高野山案内犬ゴンの碑」が建てられています。







            ▼迫力満点!水盤の登り龍。







▼庫裏です。







▼境内隅の石仏。







▼日本一古い土塀。境内周囲約250mの三方を巡らす土塀。







▼西門左右にも日本一古い土塀。確かに古そう、これも売りネタになるんですネ。







▼ご朱印です。弥勒さんのお膝に置かして戴きました。







拝堂の右奥に長〜い石段があります。テッペンまで行くと丹生官省符神社が有り、その本殿を右に行くと高野山町石道が始まります。
高野七口と云われる高野山登山道七本のうちの一本で、慈尊院から高野山壇上伽藍に至る約23kmの表参道のこと。ここからが高野
山詣での第一歩になるんです、勝利寺、慈尊院を訪ねたら次は空海さんが眠る高野山を訪ねる、至極当然の順路ですネ。
しかしボクは行きませんヨ、誰がなんと云おうと登山はしません。高野山を訪ねるにはケーブルに限ります。

こんど高野山をいつ訪ねるか迷いつつ慈尊院 オ シ マ イ





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