土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

丹州観音寺、関西花の寺二十五霊場第一番札所、あじさい寺です。

2015年06月30日 | 京都の古寺巡り



(2015.06.27訪問)


京丹波にも法道仙人所縁の古刹がありました。関西花の寺二十五霊場一番札所丹州観音寺です。最近このブログ○○札
所巡りがやたら増えていますが、今日はココ一番のお寺、福知山のあじさい寺観音寺を訪ねます。
梅雨空そのままの今日のお天気、しかし大和路号は軽快に舞鶴若狭道を走っています。中国道魔の宝塚渋滞も無く舞鶴
若狭道に入るとクルマはいっぺんに減ります。あとはスイスイ。……
とばかりに行きません大阪から福知山100キロ余り、ヤッパリ遠いですわ。

今日は同じような写真五十数カット大放出! アホラシなったら寝てくださいネ。


▼この山門を見る限り豪快な山内は予想出来ないでしょう。この先に仁王門があります。
 地元の方以外はこの山門は利用しないそうです。仁王門横に駐車場が有るため。





[ 観音寺 ]
●山号 補陀洛山 (ふだらくさん)
●寺号 観音寺(かんのんじ)通称 丹州観音寺 丹波あじさい寺
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●創建 伝 養老四年 (720年)
●開山 伝 法道仙人 (ほうどうせんにん)
●本尊 十一面千手千眼観音菩薩立像 (秘仏)
▲拝観料 400円 御朱印300円。
▲拝観時間 9:00~15:00
▲京都府福知山市観音寺1067 電話 0773-27-1618
▲http://www.tanba-ajisaidera.com/ 
▲関西花の寺二十五霊場一番札所
▲JR山陰本線「石原駅」から徒歩15分
 JR「福知山駅」または「綾部駅」からバスで「観音寺バス停」まで15分 徒歩10分
 舞鶴若狭自動車道「福知山IC」から綾部方面へ5分
  

        ▼寺石標も紫陽花に囲まれています。





観音寺縁起 (観音寺HPから抄出)
養老四年(720年)インド僧、法道仙人が霊木に十一面千手千眼観世音菩薩像を刻み、草堂に安置したのが始まりと伝わる。
平安時代、踊り念仏の空也上人が荒廃した寺を復興し七堂伽藍を建立。鎌倉時代には歴代将軍家より厚い庇護を受け二
十五余の寺坊が甍を並べる丹波国の仏教中心の地であった。現在、深々とした緑陰に取り囲まれた境内は静寂境。江戸
時代に再建された本堂や鐘楼が幾時代にもわたる觀音寺の歴史を伝えている。



▼紫陽花を前に堂々の楼門。
 三間一戸、入母屋造、本瓦葺。初層両脇の阿吽仁王像の目が凄いです。









        ▼阿形仁王さん。





        ▼吽形仁王さん。



        檜寄木造、両像とも像高約3m、玉眼、室町時代。仏師不祥。
        惜しいかな剥落が激しいですが均整のとれた像形で、やや大き
        めの玉眼の迫力は中々のものです。



▼仁王門から参道を見て見ると……





▼参道両サイド彩り綺麗ですねぇ。





▼寄って見るとこんな感じです。





▼参道端に手水舎。





▼取りあえずこの石段を上って本堂へ。





▼本堂。桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間付、桟瓦葺。天明四年(1784年)再建。





▼豪華な荘厳の内陣。本尊は秘仏のためお前立の観音さんがお立ちです。
 写真ではまったく判りませんが、外陣格天井には花々が描かれており、内陣の折上格天井はそれはそれは素晴
 らしいものです。内外陣間の欄間の透かし彫刻がこれまた凄い龍が三面彫られています。





▼本堂前の紫陽花。いよいよオシマイか、すこし元気が無いようです。





        ▼紫陽花が浮き彫りされた木札。





▼本堂右奥の紫陽花に囲まれたお地蔵さんの祠。





▼いくらか色変わりが判りますネ。





▼夏ツバキはこれからのようです。





▼本堂西に鐘楼。四本柱、切妻造、桟瓦葺。寛政元年(1789年)建立。





▼紫陽花。





▼わらべ地蔵ちゃん。





▼西洋紫陽花、名前忘れました。





        ▼可愛いわらべ地蔵ちゃん。三千院の童ちゃんとイイ勝負出来そう。





▼こんな紫陽花もいました。





▼こんなのもいました。





▼不動堂の中にはどなたもいません。右は慈母観音石造。





        ▼池中に弁財天のお社。





▼本堂裏東に鎮守熊野神社の参道石段。





▼小さいながらもユニークな屋根を持つ熊野神社拝殿。





▼熊野神社本殿です。





▼境内東奥に鎮守の稲荷神社がひっそりと。





▼これも紫陽花か?





        ▼空海さんが掘ったという閼伽水。





▼きれいな水が今もこんこんと。





さて、本坊まで続く境内山斜面に沿った紫陽花参道をいきましょう。

▼斜面一面が紫陽花で埋まってます。





▼白っぽいのは、本当は薄ピンクなんですが……





▼ひと玉アップだとそれなりに綺麗です。





▼ここはピンクから青へのグラデーション。





▼ピンクも綺麗!





▼ブルーも綺麗!





▼白っぽいのは、本当は薄ピンクなんですが……





▼左右の小さい玉、大きくなればピンクになるのかしら?





特別大提供! 大玉ピンクの内部です。





▼これは額ですね。





▼西洋紫陽花。





▼紫陽花参道を下ってきました。本当はこちらが紫陽花参道の入口らしいです。





▼本坊のお庭に鶏がエサをついばんでいました。土佐尾長鶏の原種「小国鶏ショウコクケイ」だそうです。
 雄君の尾が長いですネ。まるで若冲の世界を見てるようです。





▼雄君が、





▼ご休憩のようです。





▼紫陽花寺の桔梗も咲き出しました。









▼花の寺一番札所、紫陽花の観音寺オシマイです。紫陽花に送られておいとましましょう。





▼御朱印です。





丹州観音寺、なんと紫陽花百種類一万株が咲き揃うそうで境内は紫陽花で埋まっています。お寺の案内では六月初旬か
ら七月初旬が見頃と云うことで、まだ暫くは見頃が続きそうです。特に山斜面の紫陽花は絶景ですヨ。
ボク個人の感想では少し遅かったかなと寺務さんに聞くと、遅手がこれからと云うことで紫陽花ファンの方、チェック
は今のうちですヨ。





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両足院、清楚な白が緑イッパイの中でよく映えてます。

2015年06月23日 | 京都の古寺巡り



(2015.06.20訪問)


今日は西国三十三カ所十六番札所清水さんの御朱印を戴くために、京阪祇園四条から花見小路をフラフラ歩いていると
思ってください。建仁寺北門まで来ると、塔頭両足院「半夏生の庭園特別公開」のポスターが貼ってあると思ってくだ
さい。両足院にいつの間にか入っていました。と云うことで二年ぶりの半夏生観賞。
帰りに清水さんに寄ろうと思っていたんですが、気が付いたら京阪特急の中でした。



▼白い主張はことの外涼しげで綺麗です。





[ 両足院 ]
●寺号 両足院(りょうそくいん)
●宗派 臨済宗建仁寺派大本山建仁寺塔頭
●創建 開創1350年代
●開山 龍山徳見禅師(りゅうざんとっけん)
●本尊 阿弥陀如来立像

▲京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町591 電話 075-561-3216
▲http://www.ryosokuin.com/ 
▲拝観料 初夏特別拝観600円 茶室特別公開茶菓付500円。御朱印300円。
▲JR京都駅より市バス206系統、100系統 四条京阪下車、大和大路通りを南へ5分
  京阪電車 祇園四条下車、東へ信号2つ目、花見小路南へ突当り、徒歩7分
  阪急電車 河原町下車、徒歩10分 



▼例年この山門から入山してたと思うんですが……、
 例年の出口に新たに受付がありました。





両足院縁起 (両足院HPから抄出)
両足院は、建仁寺の開山、明庵栄西(みんなんようさい)禅師の法脈、黄龍派(おうりょうは)を受け継ぐ龍山徳見(りゅう
ざんとっけん)禅師を開山とする臨済宗建仁寺派の塔頭寺院です。



▼山門からの参道。人の姿は見えません、しかし……、





▼唐破風門の丸窓、緑の世界に気もそぞろ。





▼入山受付後、先ず方丈へ。





▼内部は見にくいですが、すでに多くの方が説明を受けてました。





▼方丈前庭は枯山水庭園になってます。





▼まだ白の世界は見えてきません。順路に沿って書院へ行きましょう。





ジャジャジャーン! さすがのボクも前に出る勇気は持ち合わせていません。なんせ気が弱いので。





▼さて、半夏生のオンパレードといきましょか。
 両足院では、庭園の池のまわりに約800株が植えられています。



半夏生は一茎の上から何枚目かまでが白くなるそうで、夏至から数えて11日目、7月1日か2日、あるいはその日から五
日間を「半夏生」と呼びその頃に花が咲くことから「半夏生」と呼ばれ、それが過ぎると葉はもとの緑に戻るそうです。




▼池畔に沿って白い帯が続きます。まさに池泉回遊式のお庭、ゆっくり歩きましょうか。





▼池と半夏生、写るのが青空だったら云うことなしですのにネ。





▼白い葉の間の房状が花なんです。花が開いてしまうと、白いお化粧もオシマイ。 





▼書院のお座敷から撮ったカットです。池の向こうのチョット大きめの石、達磨大師石と呼んでるそうです。





▼飛び石をつたって……、





▼石橋を渡って……、





▼茶亭水月亭にやってまいりました。織田有楽斎好みの如庵の写しだそうで、





▼部屋を広く見せる三角形の鱗板が見えます。





▼腰張りに中国暦が貼られています。





▼水月亭の隣、臨池亭で池面に映る半夏生を愛でながらお茶を一服。





        ▼茶亭前の灯籠と蹲踞。石と苔と半夏生、絶妙の美。





▼汀の白は周りの緑を一層引き立てています。





▼松の緑も元気がいいし…、 





▼飛び石もトントントンとリズミカル…、 




▼池の石までウキウキと。





▼アップで見てもヤッパリ不思議な葉っぱですネ。





        ▼奥に見える左、水月亭、右がお茶を戴いた臨池亭。





▼こぼれそうな白。





▼高台から書院。座敷は人で相変わらずイッパイ。





▼汀に映る半夏生、もう一つの美でしょうか。





        ▼ポツンと一茎、白の主張が……。





▼竹に白。





        ▼まもなくポツリと来そうな空模様、ボツボツ失礼しましょうか。





        ▼京阪電車の駅と花見小路、建仁寺境内にポスター告知されてます。





訪ねたのが夏至前の20日、少し早いんじゃないかと思いつつ両足院へ、書院で若住職(副住職)に聞くともう見頃ですよ
とのこと、成る程書院前の変化に富んだ池を中心にしたお庭には緑の中で白い葉っぱが堂々の主張、綺麗ですよ。

白無垢と云う言葉は汚れなき白、清純な緑の中で清楚で真っ白な葉っぱが、より一層周りの空気を浄化、精神の領域ま
でもが洗われるように澄み渡る、精神衛生上非常に結構な半夏生のお庭は、建仁寺塔頭の両足院でした。
7月9日まで公開中!





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興聖寺、比良山系朽木の名刹と名園を訪ねます。

2015年06月18日 | 滋賀の古寺巡り





(2015.06.13訪問)


竹生島から今津に戻り、若狭街道を西に走り旧鯖街道を一路南下、比良山系の山懐、安曇川沿いに旧朽木村が広がって
います。安曇川にはシーズンなんですね、鮎釣り人が川中点々と見えます。途中西に少し入ったところに目指す興聖寺
があるんです。このお寺、曹洞宗祖道元さんに関わりがあり、特に足利将軍たちの隠れ古刹で比良山系を借景にした秀
麗な足利庭園が残されていると云うので訪ねてみました。


        ▼寺標には興聖禅寺と刻されています。





[ 興聖寺 ]
●山号 高厳山 (こうげんざん)
●寺号 興聖寺 (こうしょうじ)
●開基 佐佐木信綱 (ささきのぶつな)
●開山 孤雲壊弉禅師 (こうんえじょう) 永平寺二世
●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
●創建 仁治元年 (1240年)
●本尊 釈迦如来坐像 (重文)
▲滋賀県高島市朽木岩瀬374 電話 0740-38-2103 
▲拝観料 300円 御朱印300円
▲拝観時間 8:00~17:00
▲ http://www.koushoji.jp/
▲関西花の寺二十五霊場十四番札所
▲JR湖西線「安曇川駅」から江若バス35分、「岩瀬」下車徒歩3分




▼山門代わりの冠木門。

 



[ 興聖寺縁起 ] (興聖寺HPから抄出)
当山は八十七代四条天皇の嘉禎三年(1237年)近江守護佐々木信綱が曹洞宗開祖道元禅師に承久の乱で戦死した一族の供
養をお願いし朽木の里に拝請、禅師は付近の山野の風景が伏見深草の興聖寺に似て、絶景だと喜ばれ一寺の創建を奨め
られ、山号を高巌山興聖寺とするよう勧奨されました。三年後仁治元年、遷仏式には永平寺二世孤雲懐奘禅師の拝請を
賜り、以来当山が曹洞宗第三の古道場といわれ永平寺の直末とし慶長三年まで格別兼務地として続き、近江八十八ヶ寺
の総禄所の地位を保っていました。開基佐々木信綱は宇多天皇の直系でその曾孫、義綱は氏を朽木と改めました。代々
朽木を領し明治廃藩まで続き、当山はその菩提所でもあります。


▼境内も緑で埋まっています。閑静な境内には本堂のほか、鐘楼と庫裏だけのごく小さなお寺です。






▼唐破風向拝付きの立派な本堂。最近再建されたものではないでしょうか。






▼荘厳豊かな内部は中央須弥壇に本尊釈迦如来が祀られています。






▼本尊釈迦如来坐像(重文)。像高約100cm、檜寄木造、平安時代。
 案内してくださった奥様の「須弥壇に上って見ていただいていいですヨ」のありがたいお言葉に大感激!
 小振りですがドッシリとした安定感は、ミニ定朝式を感じます。ただ見た感じ年代比定よりも古く感じるのは、この
 お寺に来るまでの変遷に相当な苦労があったのでは、土中に埋もれていた跡を感じました。平安後期、後一条天皇の
 皇子が薨去後、天皇の叔父藤原頼通がその供養に三仏を彫らせた内の一体と云われているそうです。






▼本堂屋根の鴟尾。少々不釣り合いの感否めません。






▼鐘楼。





旧秀隣寺庭園(高島市観光情報から抄出)

興聖寺の境内にあり、昭和十年に国の名勝指定を受けている庭園です。もともと、十六世紀の半ば、相次ぐ武将たちの
反乱に追われた室町幕府の第十二代将軍足利義晴、そして第十三代義輝が、朽木氏を頼って数年間滞在した居館の庭園
です。秀隣寺は、のちに他の地に移され、江戸時代に朽木氏の菩提寺である輿聖寺がこの地に移されて、現在にいたっ
ています。朽木一族を始め佐々木一族・京極高秀や浅井亮政、浅倉孝景等の協力で、管領細川高国が将軍を慰めるため
に贈ったといわれています。安曇川の清流と比良山系を借景として、西側の築山に石を利用した滝をしつらえ、屈曲し
た汀線を持った池に仕上げています。池には、二つの鶴亀島を置き、楠の化石の石橋が対岸の出島に架けられています。



        ▼庭園石柱。足利将軍義晴公之庭園と刻されています。






▼あまり広くはないんですが、角度を変えて数カット……。




































▼御朱印です。





        チョット寄り道のフロクで~す。

        ▼マキノピックランド前のメタセコイア並木です。
         マキノ高原への道路として約2.4km、一直線に約500本のメタセコイアの並木道が
         続いています。
         果樹園を見ながら鬱蒼としたグリーントンネルを走る、ベリーナイス! ですよ。







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宝厳寺、湖上の札所は大人気!

2015年06月15日 | 滋賀の古寺巡り



(2015.06.13訪問)


今津から行くか、長浜から行くか悩んだ末、今津から竹生島に渡ることに決定。
琵琶湖はヤッパリ大きい、殆ど南北を縦断する距離を迷車大和路号は走っています。
薄曇りときに青空、こりゃ日和絶好だわいと湖西道路を走りつつチラチラ琵琶湖を見れば何も見えない。
霧か靄かにスッポリ覆われているんです。対岸勿論見えません。船からも何も見えません。
見えるは波切り白波ばかり……。


▼竹生島の港から見た宝厳寺境内。右の覆屋は修復中の国宝唐門です。





[ 宝厳寺 ]
●山号 巌金山 (がんこんさん)
●寺号 宝厳寺 (ほうごんじ)
●勅願 聖武天皇 (しょうむてんのう)
●開基 行基菩薩 (ぎょうきぼさつ)
●宗派 真言宗豊山派 (しんごんしゅうぶざんは)
●創建 神亀元年 (724年)
●本尊 本堂 弁財天 (秘仏)
    観音堂 千手千眼観世音菩薩
▲滋賀県長浜市早崎1664 電話 0749-63-4410 
▲拝観料 400円 御朱印300円
▲拝観時間 9:30~16:30
▲http://www.chikubushima.jp
▲西国三十三カ所観音霊場第三十番札所
▲長浜・彦根・今津の各港より 汽船約25分~40分


▼始めに目に入る大きな建物本坊です。失礼ながら最初旅館かなと思いました。

 



[ 宝厳寺縁起 ] (宝厳寺HPから抄出)
神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の
聖地であるから寺院を建立せよ、すれば国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受
け、僧行基を勅使としてつかわし堂塔を開基させたのが始まりです。行基は、早速弁才天像を彫刻し、ご本
尊として本堂に安置。翌年には、観音堂を建立し、千手観音像を安置しました。



▼手水舎。





▼気を取り直しシャキッと行こう165段。祈りの石段とも。





▼上り始めてすぐ左に護摩堂。





         ▼石の鳥居の横に寺号石柱。ココまでは楽勝。





▼昭和のお姉さん方の早いこと!
 とにかく一段あたりが高い急石段、70段過ぎからアップアップでございます。





▼なんとかたどり着いた本堂。非常に複雑な堂形、何造りと云うんでしょう? 昭和十七年(1942年) 建立。
 本尊 辨財天像 (秘仏)。





▼外陣の賑わい。





         ▼内陣の扁額。モチロン辨財天と。





         ▼写真は脇の弁天さん。ネットから借りてきました。





         ▼本堂前に燃える不動明王。なんときれいなお不動さん。





▼天狗堂。





▼三十三カ所観音菩薩奉安殿。





▼三十三カ所観音菩薩が一堂に。





         ▼中尊に穏やかなお顔の如意輪観音さんがお坐りです。





         ▼最高所に三重塔が悠然と、
          ココから琵琶湖のすばらしい眺望の筈が今日は全く駄目!
          江戸時代初期焼失、平成十二年 (2000年) 再建。





▼それでは観音堂へ行ってみましょう。石段の下りは楽勝!





ザンネンながら国宝唐門は修復中、覆屋にすっぽりと……

▼唐門正面の観音堂壁面。千社札がこれでもか。





▼観音堂本尊 千手千眼観世音菩薩。格子から覗いた内陣の様子。





▼外陣通路で舟廊下へと……、





▼長さ約30mの舟廊下 (重文)。太閤はんの御座舟の船櫓を利用したと伝わるそうです。





         ▼舟廊下を外から見ると懸け造りになってます。





▼舟廊下を渡ると都久夫須麻神社本殿 (国宝) です。昇殿出来ませんでした。
 伏見城の「日暮御殿」を太閤はんが寄進。内部は桃山文化の華麗な装飾で荘厳されているそうです。





▼龍神拝所。ココが竹生島一の琵琶湖絶景の筈がご覧のように今日は全く駄目!
 前の鳥居に願い事を書いたかわらけを投げ鳥居を通過すると願い事が成就するんですよ。





▼ココでも昭和のお姉さんが、かわらけ投げにチャレンジ!
 真ん中の白い丸いのが投げたかわらけ、惜しい残念鳥居通過ならず。
 写真掲載はお姉さんのご了解を得ています。





         ▼彩色豊かな弁天さん。





         ▼参道のちょっと外れにボケ防止観音さんが見送ってくれてます。





▼船着き場に戻ってきました。帰りの便はまだ来ていません。





▼西国三十三カ所観音霊場第三十番札所のご朱印です。





珍しや湖上にある札所です。
五里霧中の言葉どおり、船は霧の行軍、どんなコースをとっているのかサッパリ判らずの状態。しかし小さ
い船ながら乗客はイッパイ!札所人気を改めて実感しました。竹生島は小さく急峻なので、伽藍などは山腹
にへばりついている感じ。その上石段が急で、*たかだか165段とは云え相当しんどかったです。

今日で西国三十三カ所観音霊場未訪問は残二ヵ寺になりましたが、御朱印未は七ヵ寺。
さて今年中に結願出来るか……。

*はボクの印象です。皆さんは決してそんなことはナイと思います。昭和のお姉さん方はスイスイでしたもん。





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