土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

伊藤若冲ゆかりの羅漢さんのお寺、石峰寺です。

2012年02月28日 | 京都の古寺巡り


(2012.02.26訪問)

天才画家若冲さん縁のこのお寺石峰寺は、東山連山南の稲荷山の裾懐に法灯を灯しています。今は本堂と庫
裏を残す小さなお寺ですが、若冲羅漢として著名な羅漢さん四百数十体が裏山一帯をうめています。画家若
冲さんが残した五百羅漢群、絵画とはまた一味違った羅漢さんをゆっくり見せていただきました。

[ 石峰寺 ]
●山号 百丈山(ひゃくじょうざん)
●寺号 石峰寺 (せきほうじ)
●宗派 黄檗宗
●開山 千呆性案(せんがいしょうあん)禅師  
●創建 宝永年間(1704~1711年)
●本尊 釈迦如来立像

石峰寺縁起
江戸中期、黄檗宗大本山萬福寺第六世、千呆性案が禅道場として開創。

▼竜宮門(赤門)。まさに中国風朱塗りの山門。




▼山門扁額。「高着眼」と揮毫。開山千呆性案禅師の師、即非如一禅師の書。




▼山門を彩る南天の実。




▼山門屋根に鉤形鴟尾というんでしょうか。




▼本堂。昭和60年再建。




▼本堂須弥壇の本尊。




▼伊藤若冲墓と筆塚。
晩年をこの寺で過ごした若冲さんは、生涯独身を貫き、隠棲者として八十五歳の生涯をこの寺で閉じた。
墓標右に書家貫名海屋(ぬきなかいおく)の撰文の筆塚が建っています。




▼羅漢参道と赤門(竜宮門)。
本堂右に羅漢道が、細い石段を上ると竜宮門の朱がやや場違いに、くぐると小山一帯が竹林、所々羅漢さん
が見えてきます。




▼五百羅漢。
五百羅漢仏は、若冲さんが晩年石峰寺古庵に住み、六十歳ごろから石仏羅漢の下絵を描き、石工たちに彫ら
せたもので釈迦誕生から涅槃までと諸菩薩、羅漢を一山に配した釈迦物語。表情や姿態はユニークで「動植
綵絵」や「釈迦三尊図」のあの若冲さんからは考えられない作風、天才アーティストの別の一面を見る思い
がしますヨ。径時の刻は風化を呼び、苔寂び丸みを帯びたお顔や姿は、趣を一段と高めているようです。



若冲さんの下絵というかスケッチ類は残っていないんでしょうか。気になりません?

里にねざした薬師さんと阿弥陀さん、ひのやくし法界寺へ。

2012年02月22日 | 京都の古寺巡り


(2012.02.18訪問)

京阪宇治から六地蔵、乗り換えで京都地下鉄東西線六地蔵から石田へ。そこから歩きで約1キロに法界寺は
在ります。日野の地は藤原北家の傍流、あの親鸞さんや日野富子を生んだ日野氏の領地で法界寺はその菩提
寺。近くには親鸞さん誕生の地、誕生院が在ります。

平等院から法界寺に回ったのはチョットしたワケが。平安期末法思想蔓延の影響で極楽浄土の再現として各
地に阿弥陀堂が建てられ、現存する阿弥陀堂の典型が、いくらも距離の離れていない宇治と日野の地あり、
その本尊阿弥陀如来像も両寺に祀られていることから、同時にその傑作像を拝見したい、それです。

▼石田大山交差点に法界寺道標、乳薬師とあります。



[ 法界寺 ]
●山号 東光山(とうこうざん)
●寺号 法界寺 (ほうかいじ) 日野薬師、乳薬師とも
●宗派 真言宗醍醐派別格本山
●開基 日野 資業(すけなり)
●創建 永承6年(1051年)
●本尊 薬師如来立像(重文)

▼山門。




▼石標、ひのやくしとあります。




▼山門から境内を覗いてみました。お堂の屋根に雪が残っています。




▼手水舎の井戸と手水鉢。




▼境内、参拝者の姿は見えません。とりあえず石畳に沿って境内へ。
庫裡のインターフォンで来訪を告げますがなかなか応答がありません。待つことしばし、作務衣の方が現れ、
早速阿弥陀堂の扉を開けてくださり「どうぞ写真はだめですよ」と念を押されそのまま庫裡へ戻られました。




▼阿弥陀堂(国宝)。
桁行五間、梁行五間の宝形造、一間の廂外廊、屋根は檜皮葺。二層に見えるが下は裳階(もこし)。
ドキドキで堂内に入っての第一印象は、よけいな荘厳が一切なく、古色蒼然の堂内、これこそが仏堂の荘厳
だと感じました。お堂中央四天柱に囲まれた須弥壇上に本尊が坐しています。
四天柱それぞれに菩薩や文様の柱絵、四天柱間の小壁には飛天や宝相華や唐草の壁絵。特に小壁の飛天は彩
色も見事に残りベリーグッドとしか言いようがありません。とにかく阿弥陀浄土をこの世に再現した見事な
堂内。といくら書いても臨場感ないですよね、ぜひ一度訪ねてください。百聞は一見にしかず!!




▼阿弥陀堂本尊 阿弥陀如来坐像(国宝)。(写真は淡交社 古寺巡礼 京都25法界寺より)
像高280cm、丈六仏、漆箔、木造。
今日訪ねた主目的、阿弥陀如来にお初です。
平等院定朝仏と相前後して造像され、常に比較されているこの阿弥陀さんは、仏師不詳と聞きますが、定朝
様式に最も近い阿弥陀像の典型的な仏像。体型はふっくらと柔和、お顔はやや大きくまん丸で、お口は小さ
く童顔。阿弥陀定印を結び半眼瞑想する姿は非常に穏やかな感じを受けます。可愛い阿弥陀さんです。鳳凰
堂の阿弥陀さんとは相当印象が違います。ぜひ一度訪ねてください。百聞は一見にしかず!!




▼ 阿弥陀堂正面。




▼屋根に残る雪。




▼阿弥陀堂一間廂の外廊。




▼境内の方丈池。一部が凍っています。




▼薬師堂(重文)。法界寺の本堂です。
本尊 薬師如来立像(重文)。秘仏、像高88.8cm、木造。永承6年(1051年)造像。
桁行五間、梁行四間、寄棟造、屋根は本瓦葺。康正二年(1456年)建立。
外陣は畳敷きになっいます。格子を境に内陣になり、中央にお厨子が見えますが本尊薬師如来は秘仏のため、
お厨子が閉じたまま、左右にもお厨子があり、それぞれ十二神将が祀られているそうです。




▼薬師堂外陣のよだれ掛け。
乳薬師の名前どおり、薬師さんの功徳をいただいたよだれ掛けが、内陣格子一杯に結ばれています。薬師信
仰の一つの形でしょうか。この薬師さんはよほど功徳があるのでしょうネ。




▼薬師堂北屋根に残る雪。




▼阿弥陀堂裏手に芭蕉句碑。比較的新しい句碑のようです。
留守といふ 小僧なぶらん 山桜



平等院と法界寺、規模は相当差がありますが、両寺の阿弥陀如来は甲乙付け難く、定朝仏は端正でやや硬さ
を感じ、貴族仏の印象。法界寺仏はおいでおいでと衆生をくまなく救う暖かさがあり、その地に根ずく信仰
の深さを一手に引き受けている、そんな感じがします。

このブログくどくど文章長いですね。反省しつつ宇治と日野巡り オ シ マ イ !

宇治の極楽浄土、平等院を訪ねました。

2012年02月20日 | 京都の古寺巡り


(2012.02.18訪問)

十二年振りに宇治平等院にやってまいりました。なんとマアきれいに!
天気晴朗ならまさに極楽浄土なのでは、てな感じ。ただただ唖然!
古寺を散策するイメージはどこかへ行ってしまいました。
古都京都の文化財として1994年ユネスコ世界文化遺産に登録。

▼宇治橋から、この日のお天気。



[ 平等院 ]
●山号 朝日山(あさひさん)
●寺号 平等院 (びょうどういん)
●宗派 単立
●開基 藤原 頼通
●開山 明尊上人
●創建 天喜元年(1053年)
●本尊 阿弥陀如来坐像(国宝)

▼参道を通り表門広場に平等院石標。




▼表門広場。




▼表門。




▼入った左手に観音堂(重文)。その横になんと立派な藤棚、シーズンはさぞや。
昨年から冬期拝観は中止らしいです。
本尊 十一面観音菩薩立像(重文)、像高167.2cm、平安時代。




この日の鳳凰堂です。
▼鳳凰堂(国宝)。
天喜元年(1053年)建立。中堂入母屋造、左右の翼廊切妻造、中堂後ろに尾廊。





いつも思うことですが、往時の寺社建造物設計者の頭の中や設計思想、デザイン能力、それを具現化するプ
ロデュース能力、一体どういう人がこれだけのものを造り得たのか、会ってみたいと思うのはボクだけでは
ないでしょう。

本尊 阿弥陀如来坐像(国宝)。(平等院HPから借用)
像高278.8cm、檜材寄木作り、漆箔。天喜元年(1053年)。仏師定朝
定朝さんの唯一の作例といい、以後阿弥陀さんの造像サンプルといわれているそうですヨ。




▼浄土庭園、洲浜と阿字池。青空が見えてきました。




▼鐘楼。架かっている梵鐘はレプリカ。
本物は国宝、今は鳳翔館で見れます。鐘身に刻されている文様や飛天など見事です。




▼鳳翔館。
平等院ミュージアム。2001年3月1日オープン。前回訪ねたときは鋭意工事中だったようで。
雲中供養菩薩26体は圧巻!
鳳凰堂とミュージアム、この見事なミス(?)マッチ。隣同士に並んでいます。




▼南門。




▼塔頭最勝院山門。




▼最勝院本堂不動堂。
本尊 不動明王立像。像高144.5cm、木造。




▼最勝院境内に源頼政墓と由緒。






▼最勝院境内の春日型灯籠。




▼塔頭浄土院阿弥陀堂。




▼浄土院本尊阿弥陀如来坐像。
像高89.0cm、木造。像形や印相など鳳凰堂本尊によく似ています。




▼浄土院境内の羅漢堂。
このお堂も昨年から冬期拝観は中止らしいです。




▼もう一枚、阿字池に映る鳳凰堂。そうそう鳳凰堂入堂にも拝観料が必要です。




平等院へは、春分、秋分の日(だったと思います)の日の出前に来るのがベスト。
宇治川対岸の朝日山からのご来光が、鳳凰堂阿字池に反射し、徐々に中堂の本尊のお顔を照らす、この一瞬
が平等院の醍醐味だそうです。が拝観時間が決まっているので今は無理みたい。

宇治橋三の間から上流を見ていたら、旧橋桁にこんな鳥が。



それでは、これから日野の里へ。法界寺に向かいます。

室生寺は雪のない冬景色。

2012年02月13日 | 奈良の古寺巡り


(2012.02.11訪問)

今日は建国記念の日でしたね。一日休みがトンズラ、なんともったいない!
室生寺では、五重塔の初層が開扉され、祀られている五智如来が本堂で拝見できるというので早速ゴーです。
名阪針ICからR369を南下、外の橋を県道28に入り、とりあえずアートハウスさんに立ち寄る。朝のコーヒー
ブレイク、ここは本当においしいコーヒーを飲ませてくれる。マスターと友人Y君の消息をあれこれ、そのう
ちコーヒーファンががぼつぼつと。
R165に出ると室生寺口はすぐ、あとは室生川に沿って走るだけ。雪と凍道を心配しつつやってきましたが
全く何にもなし。外は2℃ということでしたが。

▼室生川です。




[ 室生寺 ]
●山号 宀一山(べんいちさん)
●寺号 室生寺(むろうじ)
●宗派 真言宗室生寺派大本山
●開基 賢憬(けんきょう) 修円(しゅうえん)
●創建 宝亀年間(770年~781年)
●本尊 釈迦如来立像(国宝)

室生寺縁起
奈良朝末、時の皇太子山部親王(桓武天皇)病気平癒祈願が興福寺の賢憬さんはじめ五人の僧が室生山中で修
し病気は回復、その功により賢憬さんが勅命で室生寺を創建。その後弟子の修円さんが後を継ぎ今の伽藍の
基礎を築いたと伝わるそうです。以来各宗兼学寺院として仏教文化を形成、江戸中期、法相宗から真言宗寺
院となり厳しく女人禁制して来た高野山に対して女人参詣を許したことから女人高野として今に至っていま
す。

▼太鼓橋。この朱い欄干はいつ見てもヤッパリ朱いです。




▼表門。門前石柱には女人高野室生寺とあります。




▼寺標。この石標は仁王門の前に建ってます。




▼仁王門。
三間八脚門、重層、桧皮葺の楼門。初層左右に仁王像が睨みをきかせています。




▼室生山の揮毫、仁王門扁額。




奥の手が出せませんでした。金網が細かい。
▼阿形仁王像。




▼吽形仁王像。




▼ばん字池。
仁王門からすぐ左手にバン字池。仁王門映ってるの見えます?




▼鎧坂。
石楠花のシーズンでは、こうはいきません。




▼金堂(国宝)。
桁行五間、梁行五間、寄せ棟造り、柿葺。傾斜地利用で正面外廊は舞台造。平安初期。
内陣には、本尊釈迦如来を中心に、五仏が整然と祀られています。
本尊 釈迦如来立像(国宝)。




▼金堂と書かれた扁額。




▼十二神将(重文)。
内陣五仏の前に、神将十二体がレビュー。(お土産十二神将ポストカードセット12枚入りから)




▼彌勒堂(重文)。
桁行三間、梁行三間、入母屋造、柿葺。
修円さんが興福寺の伝法堂を移築したと伝えています。
本尊 弥勒菩薩立像(重文)。像高94.4cm、榧材一木造。奈良後期から平安初期。




▼釈迦如来座像(国宝)。
彌勒堂の客仏として本尊の右に祀られています。
像高106.3cm、榧材一木造り、平安時代。数年前に描きましたペン画です。




▼伝南朝忠臣 北畠親房供養塔。




▼灌頂堂(国宝)。
室生寺の本堂。桁行五間、梁行五間、入母屋造、桧皮葺。
本尊 如意輪観音坐像(重文)。像高78.7cm、檜一木造り、平安時代。
五重塔初層に祀られている五智如来が内陣一番前に一列で安置されています。通常秘仏、思ったより小さく、
像高各50cm前後、全身金泥がきれいに残っていますがきれいな筈です江戸期の作といいます。なぜ秘仏か
さっぱりわからず、内陣入り賃、特別拝観400円はどうかと思うよ。




▼桂昌院供養塔。




▼五重塔参道石段から見た灌頂堂(本堂)。




▼五重塔参道。




▼五重塔(国宝)。
塔高16.1m、桧皮葺、平安初期。
室生山中最古の建造物、屋外にある五重塔では我が国最小。台風で痛めつけられた塔も2000年落慶、朱と
白のコンビネーションが冬の山中に相変わらず映えています。




▼五重塔初層開扉。
何の変哲もない初層の中、心柱が見えるだけ。通常五体の如来どういう祀り方をしているのでしょうネ。




▼五重塔九輪。
九輪の上は通常水煙ですが、この塔は宝瓶をのせ宝鐸を吊っている珍しい例だそうです。




▼ちょっと上から五重塔。




▼修円僧都廟。
賢憬さんの高弟修円さんの廟。修円さんは賢憬さんにかわり室生寺建立の実務を取り仕切ったと伝わるそう
です。




▼奥の院へ。
さてこの紅い橋は地獄?の入り口、本当は今日の奥の院は予定になかったのですが。




▼どなたが何をお祈りしたのでしょう。




▼なおも奥の院へ。一番しんどいところ。




▼もうすぐ奥の院。
位牌堂の懸造がヤット見えてきました、もうちょっと。




▼奥の院御影堂(重文)。
三間四方の宝形造、瓦葺、鎌倉時代。弘法大師42歳像をお祀り。




▼奥の院位牌堂。




▼位牌堂内。




▼奥の院七重石塔。
太古室生火山帯活動で形成された岩が露出した岩上に建てられた七重石塔。この岩は禁足地になっています。




▼お帰りはもと来た石段。なんと楽な事よ下りは。




▼護摩堂。




▼本坊。どこのお寺も本坊だけは立派ですわ。




▼表門から太鼓橋。
表門の中から太鼓橋を見ていると、カッコいいお兄さんが太鼓橋の上から室生川を撮ってました。




▼ボクも負けじと早速室生川を撮りました。




今日の室生寺、久々の期待はずれ!五智如来がねエ。
といっても、双眼鏡の威力もありますが、金堂五仏と十二神将はいつ訪ねても感動もの、特にライトが新装
になってからの内陣は明るく五仏の板光背の美しいことはこの上なし。前に並ぶ十二神将もAKB48の向こう
を張ってMRJ12としてレビューステージを飾っています。

真冬の室生寺巡りは太鼓橋畔の橋本屋さんで天ぷらうどんをいただいて予定終了。 オ シ マ イ !

河内三太子の一つ、中之太子野中寺へ。

2012年02月08日 | 大阪の古寺巡り


(2012.02.04訪問)

道明寺からクルマでほんの15分、ひとっ走りです。府道31号線沿いに 野中寺の山門は在ります。
野中寺は聖徳太子ゆかりの河内三太子のうち、中之太子と称されているお寺で、今の境内は決して広くはあ
りませんが創建当初はこの辺りの豪族の強大な力で相当大きな寺域を占める大寺だったようです。なんとい
ってもこのお寺を有名にしているのは、像高20cm足らずの謎多き弥勒菩薩に尽きるのでは。

[ 野中寺 ]
●山号 青龍山(せいりゅうざん)  
●寺号 野中寺(やちゅうじ)
●宗派 高野山真言宗
●発願 聖徳太子
●開基 蘇我馬子
●創建 飛鳥時代推古年間(600年はじめ)
●本尊 薬師如来坐像

▼野中寺を有名にしている、弥勒菩薩半跏思惟像(重文)。(写真はウィキから借用)
像高18.5cm、金銅仏。丙寅年(606年or666年)



この像の台座框に「丙寅年四月大旧八日癸卯開記栢寺智識之等詣中宮天皇大御身労坐之時請願之奉弥勒御像
也友等人数一百十八是依六道四生人等此教可相之也」と銘文が陰刻されていますがコレが曲者、解明未だ至
らずが現況のようで、由緒などまだまだ不明の点が多数残る謎多き仏像として有名。
大変ファンが多いそうです。特別開扉は毎月18日。

野中寺縁起
一説に聖徳太子建立の48寺院の一つで、太子発願、蘇我馬子が開基建立したと伝わり、一方では渡来系氏族
船氏の氏寺として建てられたという説もあるそうです。南北朝の戦火兵火でお寺は壊滅、復興したのは江戸
期寛文年間と伝わるそうです。かつては大規模な伽藍が並んだ往時の夢の跡が今も残っています。塔跡に残
る土壇と礎石、金堂跡の土壇と礎石など創建当時の伽藍配置が法隆寺式伽藍配置と判明しているそうで、
「野中寺旧伽藍跡」として国史跡に指定されています。

▼朱塗り鮮やかな山門。
府道31号線に面して山門は在ります。通行量がはなはだ多くまさに一瞬のチャンスでした。この門は旧中門
跡と伝わり、ここより南1キロに我が国初の官道竹内街道が走り、街道沿いに南大門が在ったといいますので
相当広い境内を有していたのでしょう。古代氏族、豪族の勢力がいかに強大であったかが偲ばれます。




▼石標。
山門左に寺標、右に山号青龍山が刻されています。




ジャジャーン出ました仁王像。造像年代は江戸時代と聞いていますが。
▼阿形仁王像。




▼吽形仁王像。




▼本堂。
創建当時の旧講堂跡にこの本堂は建っています。
桁行五間、本瓦葺。今はこじんまりとしたお堂で、両サイドには花頭窓が付いています。




▼本堂内陣。
須弥壇中央にお厨子が置かれ、本尊はこの中だと思います。前のお像はお前立ちではないでしょうか。お厨
子左に不動明王、右に愛染明王が祀られています。この両像の像容や材質などはハッキリとはわかりません
が豪快な炎光背など見る限りジックリ拝見したいお像です。すべて本堂正面の小さい格子から覗いた印象です。




▼大師堂。




▼地蔵堂。
本尊 木造地蔵菩薩立像(重文)。鎌倉時代。
お堂正面格子から覗いてみましたが中はさっぱり。堂前の石柱には、国宝地蔵大菩薩中之太子と刻されてい
ます。



▼朝鮮石人像。
朝鮮三国のどの国でしょうか。聖徳太子その人だと云う説もあるそうです。




▼手水舎。




▼鐘楼。



▼塔跡。
境内左の土壇上に心礎を中心にその周囲を柱礎石12基が方形に並んでいます。三重塔と推定されているそ
うです。




▼塔跡の心礎孔。
心礎孔を中心に添柱孔を3本穿っており、どこかで見たと思ったら明日香橘寺塔跡の心礎孔とほとんど変わ
りません。




▼金堂跡。
少し判りにくいですが、境内右手金堂跡土壇上に礎石が見えますね。なぜか土壇上に石塔が三基建てられて
います。




▼モチノキ。
金堂跡の東に大きなモチノキが二本、わんさかたわわに赤い実を付けています。
モチノキって、樹皮から鳥餅を作るらしいですね。



▼本坊。




▼お染め久松の墓標。
油屋の一人娘お染めと丁稚の久松のそれはそれは悲しい物語は世話物や浄瑠璃、歌舞伎なんぞで語り継がれ
ていますネ。そんな二人の墓がこの野中寺に在ります。父親天王寺屋権右衛門が建てた墓碑の裏には、
享保七年十月七日
俗名 お染 久松
大阪東堀天王寺屋権右衛門とあります。悲しい父親の精一杯の思いが込められているのでしょう。




このお寺も寺宝弥勒菩薩半跏思惟像の特別開扉は毎月18日、同時に各お堂も入堂拝観が可能だそうで、改め
てもう一度訪ねて見ようか思案中、です。