土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

天野山金剛寺、蘇った金堂と見事な本尊大日如来そして眷属。

2018年05月15日 | 大阪の古寺巡り





(2018.05.12訪問) 


大阪河内の名刹天野山金剛寺が平成21年から今年まで約10年かけて金堂を中心に、多宝塔、鐘楼など大規模な修復、解体修理工事が
行われ、今年3月27日落慶法要が営まれました。2カ月遅れで金剛寺を訪ねました。このお寺、特に南北朝の混乱期に観心寺とともに
主役を張った名刹です。8年前に一度訪ねてるんですがサテサテどんなカタチで蘇ったのかワクワクです。





            ▼楼門前に建つ石標。







            [ 金剛寺 ]
            ●山号 天野山 (あまのさん)
            ●寺号 金剛寺 (こんごうじ) 通称は天野山金剛寺
            ●宗派 真言宗御室派 (しんごんしゅうおむろは)
            ●勅願 聖武天皇(しょうむてんのう)
            ●開山 行基(ぎょうき)
            ●開創 天平年間(729~749年)
            ●本尊 大日如来坐像
            ▲拝観料 200円 朱印300円
            ▲http://amanosan-kongoji.jp
            ▲大阪府河内長野市天野996 0721-52-2046
            ▲南海電鉄高野線または近鉄長野線「河内長野駅」下車 南海バス「河内長野駅前」
             光明池駅前行、槇尾中学校前行、サイクルスポーツセンター行のいずれかに乗車「天野山」下車。





▼楼門(重文)。三間一戸、重層楼門、入母屋造、本瓦葺。初層左右に二天像が安置されています。







金剛寺縁起(金剛寺HPから抄出)
奈良時代天平年間、聖武天皇勅命により行基が開山といわれています。平安時代に弘法大師が修行した聖地といわれ、平安後期に高
野山より真如親王筆の弘法大師像を拝受、御影堂を建立し、弘法大師御影供の法要を始め、金堂、多宝塔、楼門、食堂など伽藍を再
興。当時は女人禁制のお寺が多かったが、女性が弘法大師にお参りができたことから女人高野と呼ばれるようになりました。南北朝
時代、金剛寺は南朝方の拠点となり、正平9年(1354年)からの6年間にわたり、南朝の後村上天皇が、子院の摩尼院と食堂を行宮とし
ていました。その間、北朝の光厳、光明、崇光上皇が、子院観蔵院に幽閉。南北朝が終わると、寺領特産の「天野酒」が、寺の経済
を潤し、子院が90以上を数え、織田信長や豊臣秀吉の庇護を受け、幕末まで307石の寺領を所有。 そのため金剛寺には、国宝4件、
重要文化財37件をはじめ、数多くの歴史的建造物が伝えられています。特に金堂、多宝塔、御影堂、鐘楼、食堂、楼門などの重要文
化財のほか、五仏堂、薬師堂、開山堂などの大阪府指定文化財で構成されています。これらの建物は、慶長11年(1606年)に豊臣秀頼、
元禄13年(1700年)には徳川綱吉により修理が行われています。その後300年間大規模な修理は行われませんでした。そして300年の
時を経て、平成21年(2009年)から建物の解体修理が行われ平成30年に完了、3月27日落慶大法要が挙行されました。





▼楼門扁額。







            楼門初層左右の二天像。通常は金剛力士が安置されていますが、例外も多少あり、ココでは……、

            ▼右に増長天立像。阿形を表しています。







            ▼左に持国天立像。吽形を表しています。







▼楼門を潜り正面に見える境内景観。







▼簡素な手水舎。







▼食堂(重文)。桁裄3間、梁間6間、入母屋造、本瓦葺、唐破風付き向拝風の屋根が付けられています。政庁の格付けのための造作で
 しょう。建物前に「南朝六年間の常御殿」の石柱が建ってます。天野御殿と呼ばれ、南朝後村上天皇が政庁として使用。







▼鐘楼(重文)。重量感と美を兼ね備えている立派な鐘楼です。この鐘楼も平成大修復修理で屋根修復、再塗装されました。







今日の拝観目的は新装金堂の拝観です。3月27日落慶大法要が挙行されました。

▼見事に蘇った見違える金堂(重文)。桁裄7間、梁間7間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。治承二年(1178年)建立。







▼向拝正面の柱と貫の彩色。







▼向拝垂木の手挟みの意匠。これでもかの色使いと各部意匠の凝り具合徹底してますネ。繧繝彩色が綺麗でしたヨ。







▼堂内外陣の様子。内陣との仕切りは格子を全面巡らしています。

 





▼堂内内陣。ものの見事な三尊を拝することが出来ます。
 須弥壇上に本尊大日如来坐像、右脇持不動明王坐像、左脇侍降三世明王坐像が祀られています。

                 

 中央本尊大日如来坐像(国宝)、像高313.5cm、木造、平安時代。
 右脇持不動明王坐像(国宝)、像高207.5cm、木造、仏師快慶の高弟行快(ぎょうかい)作、天福2年(1234年)。
 左脇持降三世明王坐像(国宝)、像高220.9cm、木造、鎌倉時代。





▼本尊大日如来坐像。







▼金堂。







こんな感じでした2010年9月に訪ねた時の平成大修理時の金堂の様子。













▼白壁塀を巡らせた境内の一部。







▼多宝塔(重文)。本尊大日如来。檜皮葺の屋根の反りが美しい塔です。この塔も平成大修理で蘇りました。創建は平安時代。













▼上層の組み物のリズム感。







            ▼多宝塔の相輪です。







▼多宝塔。







▼経蔵。







▼五佛堂。平成大修理中の仮本堂。方3間、宝形造、檜皮葺、一間向拝付。創建は平安時代、慶長11年(1606年)再建。







▼五佛堂内陣。五佛堂の名の通り五智如来が本尊です。







            ▼五佛堂中尊大日如来坐像。







▼薬師堂。方3間、宝形造、桟瓦葺、一間向拝付。







▼宝蔵。







▼御影堂(重文)。本尊弘法大師木像を安置。







▼護摩堂。方3間、宝形造、本瓦葺。







▼法具蔵。







▼開山堂。阿観上人のお墓と伝えられているお堂。方1間、宝形造、杮葺。全面格子で囲み、中は三重石塔2基。







▼求聞持堂。方3間、入母屋造、桟瓦葺。少しばかり離れた高台に建てられた虚空蔵求聞持法を修する行堂。







▼シャガの花。お寺によく咲いている花ですネ、なぜシャガと云う名なのか、始めはシャカと云う名だったが、おシャカさんに余り
 に失礼なのでシャガにしたのです。ウソです。







▼光厳天皇分骨所。光厳天皇陵は京常照皇寺の山国陵、ココは分骨陵として、境内の高所にある宮内庁管理のエリア。







それでは本坊庭園と北朝三上皇の御座所へ伺いましょう。

▼天野川沿いの参道。白壁の続く石畳の道、川のせせらぎを聞きながら歩く、いいもんですヨ。







▼本坊の山門が見えます。







▼本坊大玄関。ココからは入れません、右側の建物が入口になってます。







▼庭園。草行山水自然形庭園と云うらしいです。今の時期杉苔を始め緑がことのほかきれいです
 室町期に創成、桃山期に手直し、江戸寛政期に改園改装されたと伝わるそうです。 

























▼庭園の片隅に持仏堂。







            ▼持仏堂本尊不動明王立像。







▼庭園南端の奥殿。南北朝期に幽閉された北朝三上皇の御座所となった建物。







▼三上皇の御座所。優雅な幽閉と云う感じ、どんな制約された生活を三上皇は送ったんでしょうネ。 













▼ご朱印です。







やんごとなきお方の生活を思いつつ、天野山金剛寺 オ シ マ イ 。

外見上、再塗装するだけでも印象は当然のことながらガラリと変わるもんです。経年古色を見慣れている眼には、ケバイと云う印象
も一方ではありますが、どんなお寺も創建時にはこのような色鮮やかな姿を世の衆生に見せていたハズ。繁栄と衰亡を繰り返しなが
ら寺景観も落ち着いた色に変貌して行くのでしょう。100年200年後の変わりようを見てみたいものです。

大和路号はもう少し南に向けて走ります。クルマ登山をするために……。





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