土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

[雑感] 伊藤若冲展

2007年06月06日 | 
地下鉄烏丸線今出川駅から地上に出たところで、時間待ちプラカードを持ったお兄さんが「相国寺は東へ真っ直ぐに行ってください、次の信号を左折です。待ち時間約45分です。」有り難い仰せに一瞬女房と顔を見合わせた。日頃女房の顔をジックリ見たことがない僕としては恐る恐る拝顔すると歳の割には濃いメイクで光線によっては直視出来ない顔を僕の方に向けて至極穏やかにニーとにっこり「45分ぐらいなによ、早く行って並びましょ。」この仰せに一安心。同時に今日は曇り空であることも幸いした。ひょっとして「出直しましょ、時間が勿体ない。」とか云われるのではと何事にも小心な僕はビクビクした。駅から出た人ほとんどと、バス停から降りた人のほとんどが今出川通りを東に向かっている。

相国寺境内承天閣美術館の門をくぐるやいなや既に行列が始まっている。ただ今午前10時50分。美術館周回は廊下の如くテントが張られその中を行列が停滞しながら進んで行く。いっこうに入り口まで到着しない。曲がりくねったテントの道が続く、美術館の裏口と思しきところが入り口らしい。そこで20~30人位ずつ小出しに入場して行く、詰まったところでギュッと押し出す、僕たちはところてんか。やっとの思いでチケットを切ってもらった。このとき既に1時間30分経過。ただ今午後12時20分。第一展示室までまたもや蝸牛の行進。並ぶこと20分。ついに、ついにですよ憧れの若冲さんにお目にかかることが出来たのでした。ただ今午後12時40分。

第一展示室は今回の主役ではなくて、若冲さんの鹿苑寺への奉納大書院障壁画、襖絵墨画をはじめ相国寺蔵の宝物や絵画等が中心に展示されている。それにしても無彩色の世界でも天才は遺憾なくその力を発揮する。僕たち素人眼にはスゴイとしか云いようがないけれど、作家の心の奥底に潜む精微な精神性が墨の濃淡、筆の落としどころや強弱を一瞬の閃きで白い紙に墨跡を残す。そんな想いが僕の隙間だらけの脳をよぎった。葡萄図、芭蕉図、松鶴図にはただただ開いた口がふさがらない。口を開けたまんま約30分観覧。ただ今午後1時10分、顎がだるい。第一展示室の出口からはや第二展示室への行列が始まっている。行列すること40分、館内でですよ!

第二展示室へはまたもや蝸牛の行進とところてん。ただ今午後1時50分。やっとの思いで今回の主役、釈迦三尊像3幅と動植綵絵30幅がお目見えだ。展示室正面に釈迦三尊像、両サイドに動植綵絵15幅ずつが架けられている。ステレオ的一覧性の迫力とはこのことかと思ったが、右サイドから正面、そして左サイドへと流れがあるはずが如何せん人の頭が4重5重、しかも一向に進まない。広い展示場の真ん中は真空地帯、周辺に人々がへばりついてゆっくり回転している、以前遠心力を利用したこんな遊技があったような気がする。

相国寺蔵の釈迦三尊像3幅は中国の古画を若冲さんが模写したという大幅だ。僕たちが日頃見慣れている仏画とはハッキリと一線を画している。三尊のお顔は凡そ仏の顔とは思えない、どこか身近な人を連想する。これが中国の仏画かと思ったが、ひょっとして若冲さんのオリジナルが混ざっているのではという思いもした。宮内庁蔵の動植綵絵30幅は有名な鶏図をはじめ構図の大胆さ、色彩の妙なる鮮やかさ、精緻なデッサン力と聞きしに勝る表現力、これら総合的なクリエイティヴ力が1幅の絵の中に込められている。それがなんと30幅も。今まで断片的に印刷物でしか見たことのない本物の動植綵絵30幅が今、目の前にある。なんという幸運だろう。

この絵が宮内庁に渡った経緯は色々諸説があるようですがすべては明治初期の悪法廃仏毀釈が原因になっているのでは。この33幅は明治までは相国寺重要儀式[観音懺法]で方丈の周りにかけられたと伝えられています。仏像や仏画はそれ相応の寺院の堂宇でそれ相応の由緒に基づいて在るべきが本来の姿ではと思う。寄進した若冲さんもそう思っているのではないでしょうか。1幅1幅ジックリ見ることは出来なかったが40分ほどで周回すること数度、世紀の邂遁を観覧できたことに [満足] 以外に言葉なし。です。

[追記]
第一展示室観覧30分、第二展示室観覧40分、計1時間10分。行列と待ち時間計2時間30分、都合計3時間40分にわたって、承天閣美術館にいました。何のために僕はこんな計算をしたのでしょう。結論は云わないでおきます。女房の感想も云わないでおきます。それにしてもおっさんとおばさんに3時間40分の立ちっぱなしと蝸牛の行進は拷問ですよ。されど拷問が満足に変わるベリーグッドな3時間40分でした。