土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

興福寺仮金堂と北円堂が特別公開中です。

2012年10月30日 | 奈良の古寺巡り


(2012.10.27訪問)

13日から公開されている興福寺の仮金堂、北円堂特別開扉に行ってまいりました。
仮金堂では、いずれ復元再建中の中金堂落慶の折には、その本尊として祀られる釈迦三尊、釈迦如来坐像と
その脇侍、薬王菩薩立像と薬上菩薩立像、吉祥天倚像、大黒天立像が公開されています。北円堂でも円熟の
運慶仏が公開。奈良博でもこの日から正倉院展が始まっています。
いよいよ奈良の秋が佳境を迎えつつあります。

▼仮金堂特別公開のチラシ。




[ 興福寺 ]
●寺号 興福寺(こうふくじ)
●宗派 法相宗大本山
●開基 鏡大王 実質開基 藤原不比等
●開創 天智天皇八年(669年) 実質開創 和銅三年(710年)
●本尊 釈迦如来坐像
●平成十年(1998年)「古都奈良の文化財」として世界文化遺産に登録。

興福寺縁起 (興福寺HPより抄出)
法相宗の大本山として知られる興福寺。その前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さらにさかのぼると天智朝の
山背国「山階寺」が起源となります。その山階寺は、天智8年(669年)に藤原鎌足が重い病気を患った際
に、夫人である鏡大王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊、四天王などの諸仏を安置するために造営したもの
と伝えられており、この名称は後世においても興福寺の別称として使われています。
その後、壬申の乱(672年)ののち、飛鳥に都が戻った際に山階寺も移建され、その地名を取って厩坂寺と
されました。平城遷都の際、和銅三年(710年)藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」
と名付けられたのです

▼仮金堂への関門。午前11時頃の状況です。閑散としてますネ、やはり主役が違うからなのかナ。
下の小さい写真は、2009年仮金堂での阿修羅像公開時、順番待ちの人の列です。凄かったです。




▼仮金堂。



仮金堂は薬師寺の旧金堂を移築したもので、再建中の中金堂ができるまで、本尊などが安置されています。
●本尊 釈迦如来坐像。無指定ですが興福寺の本尊。像高283.9cm、木造、文化八年(1811年)造像。
漆箔が良く残りお顔の表情は独特、ややつり上がった両眼は伏し目で頬の張りとお口のポッチャリはご愛嬌 
か、非常に若々しい印象を受けます。 
●脇侍 左薬王菩薩立像(重文)。像高362.0cm、木造、建仁二年(1202年)造像。
●脇侍 右薬上菩薩立像(重文)。像高360.0cm、木造、建仁二年(1202年)造像。
両菩薩は、左右対称の像形で印相も同じ説法印、与願印結んでいます。宝髻は高く結い上げ、お顔も柔和で  
キリリとした姿勢と豊かな肉付けは女性を思わせます。両菩薩は兄弟菩薩で良薬を人々に与え、心身の病を 
救うといわれ、女性の菩提を弔うため勧進造像されたと伝わるそうです。

久々の仮金堂の拝観です。本尊、脇侍には何度か拝していますが、吉祥天倚像、大黒天立像は初めて、特に
吉祥天倚像の可愛い豊満さと宝冠、胸飾の細工、絵仏師の彩色技には目を見張りました。

▼北円堂(国宝)。開扉されている北円堂、ちょっと寂しい拝観者の訪れです。
本瓦葺、八角円堂、八角一面は4.9m、対面径は11.7m、養老五年(721年)創建、その後南都焼き討ちで焼失、
承元四年(1210年)再建。




▼北円堂本尊、弥勒仏坐像(国宝)。桂材寄木造、像高141.9cm、鎌倉時代。仏師運慶。
経時による痛みは相当酷く、螺髪の多くは抜け、漆箔も剥落が目立ちます。少しばかリ痛々しいお姿です。




▼弥勒如来坐像と脇侍 法苑林菩薩。本尊前左右に脇侍 法苑林菩薩、大妙相菩薩が祀られています。




▼無著菩薩(国宝)。本尊後方左右にインド大乗法相学を確立した無著(兄)、世親両菩薩(弟)が祀られ、運慶晩
年の渾身作とされています。

 

仏像写真はすべて堂外から望遠で撮ったものです。  


▼北円堂頂の宝珠。




▼東金堂(国宝)。桁行7間、梁行4間、寄棟造、本瓦葺。前面を吹放。神亀3年(726年)建立。
以来六度の被災再建を繰り返し、現東金堂はは応永22年(1415年)再建。




▼本尊薬師如来坐像(重文)。像高255.0cm、銅像、室町時代。




▼日光菩薩立像(重文)。像高300.3cm、 銅造鍍金、白鳳時代。




▼月光菩薩立像(重文)。像高298.0cm、 銅造鍍金、白鳳時代。




▼文殊菩薩坐像(国宝)。像高94.0cm、 檜寄木造、玉眼、鎌倉時代。仏師定慶。
維摩居士と対をなす像で、維摩経では維摩居士と対等に教義論を戦わせたと伝わり、釈迦の実在の弟子と伝
わるそうです。大きくはありませんがはちきれる若々しさを感じ、いかにも聡明な感じのするお像です。



仏像写真はすべて堂外から望遠で撮ったものです。


▼五重塔(国宝)。塔高50.1m、初層方三間8.7m、本瓦葺。天平二年(730年)建立。
五回の被災後、応永三十三年(1426年)再建。国内第二番目に高い五重塔です。初層四方には、薬師三尊像、
釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像を安置しています。




▼南円堂(重文)。西国三十三所観音霊場第九番札所、紫煙の絶えることはありません。
本瓦葺、八角円堂、八角一面は6.4m、対面径は15.5m、弘仁四年(813年)創建、寛政元年(1789年)再建。
本尊 不空羂索観音菩薩像(国宝)。像高336.0cm、 檜寄木造、玉眼、鎌倉時代。運慶の父康慶作。
周囲に四天王像(国宝)が安置されています。




▼南円堂扁額。




▼南円堂頂の宝珠。




▼国宝館。旧食堂跡に建てられた収蔵庫。国宝重文満載! あの阿修羅像ここのスターです。




▼大湯屋。早い話がお風呂。




▼本坊。




興福寺を辞して少しばかり公園をふらふらと…。
▼浅茅ヶ原園地の円窓亭。近くに梅林もあります。




▼浅茅ヶ原園地、サギ池のサギ。白ちゃんナイスキャッチの瞬間!




▼浅茅ヶ原園地、サギ池の浮見堂。




▼飛火野。ここがよく出てくるTVドラマがありましたネ。



ナンキンハゼが真っ先に色付いてます。奈良の赤い季節がすぐそこで、おいでおいでと云ってますよ。


中之島バラ園、少し遅かったようです。

2012年10月26日 | 花巡り


(2012.10.25訪問)

お昼休み過ぎの中之島バラ園です。
秋バラのピークも少々過ぎたようで、ちょっと寂しいバラ園でした。




▼入り口です。




▼オードリー ヘップバーン            ▼セント セシリア




▼カスクドール                  ▼ジーナ ロロ ブリジーダ




▼ロイアル プリンセス              ▼マーシャ スタンホープ




▼マリア カラス                  ▼フリージャ




▼マダム ヴィオレ                 ▼しのぶれど




▼熱情                      ▼ルージュ ロワイアル




▼スヴニール ドゥ アンネフランク          ▼プリンセス ドゥ モナコ


丹生都比売神社は空海さんとの関係が濃密な神社です。

2012年10月25日 | 和歌山の古寺巡り


(2012.10.20訪問)

高野山参詣道の一つ、慈尊院からの町石道の途中に丹生都比売神社がありますが、ひ弱な体は歩けません。
慈尊院から県道13号、109号をクルマで山越え、細くグニャグニャの山道をオソルオソル走り、丹生都比売
大神が鎮まる天野の地を目指します。
空海さんが高野山開創と壇上伽藍建立の前に着手し高野山鎮守とした御社(みやしろ)造立は丹生都比売神
社の祭神丹生都比売大神と高野御子大神を勧請したもので、その後の丹生都比売神社は高野山との繋がりが
相当深いものがあるそうです。

▼鏡池に映るなんとも美しい弧を描く太鼓橋、輪橋。一直線に本殿に向かいます。




[ 丹生都比売神社 ]
●社号 丹生都比売神社(にゅうつひめじんじゃ)
●開創 (四世紀ごろ)
●社格 旧官幣大社 紀伊国一宮
●祭神
 第一殿 丹生都比売大神 (にゅうつひめのおおかみ)  またの名(丹生明神)にゅうみょうじん
 第二殿 高野御子大神 (たかのみこのおおかみ)    またの名(狩場明神)かりばみょうじん
 第三殿 大食都比売大神 (おおげつひめのおおかみ)  またの名(気比明神)けひみょうじん
 第四殿 市杵島比売大神 (いちきしまひめのおおかみ) またの名(厳島明神)いつくしまみょうじん
●平成十六年(2004年)「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産に登録。

丹生都比売神社縁起 (丹生都比売神社HPより抄出)
紀ノ川より紀伊山地に入り標高四百五十メートルの盆地天野に当社が創建されたの、今から千七百年前のこ
とと伝えられます。天平時代に書かれた祝詞である「丹生大明神祝詞」によれば、丹生都比売大神は天照大
御神の御妹神で稚日女命 (わかひるめのみこと)と申し上げ、神代に紀ノ川流域の三谷に降臨、紀州大和を
巡られ農耕を広め、この天野の地に鎮座されました。
ご祭神のお名前の「丹」は朱砂の鉱石から採取される朱を意味し、魏志倭人伝には既に邪馬台国の時代に丹
の山があったことが記載、その鉱脈のあるところに「丹生」の地名と神社があります。丹生都比売大神は、
この地に本拠を置く日本の朱砂を支配する一族の祀る女神とされています。全国にある丹生神社は八十八社、
丹生都比売大神を祀る神社は百八社、摂末社を入れると百八十社余を数え、当社はその総本社であります。

●空海さんと丹生都比売神社の由緒 (丹生都比売神社HPより抄出)
丹生都比売大神の御子、高野御子大神(狩場明神)は、密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、
黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へと導きました。弘法大師は、丹生都比売大神から神領で
ある高野山を借受け、山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、真言密教の総本山高野山を開きま
した。
http://blog.goo.ne.jp/mrslim2/d/20120110 をご覧下さい。

▼外鳥居。丹色が映える鳥居、ここから一歩入れば神域です。奥に見えるのが輪橋です。




▼社名石標。




▼外鳥居横に丁寧な境内イラストマップが掲示されています。




▼鏡池に架かる輪橋。反り橋の形状になったのは淀君が寄進した時と伝わるそうです。




▼鏡池の中央、方形小島の小社。




▼中鳥居。高さ約7mの鳥居の手前はご神橋、奥に楼門が見えます。平成二十二年再建。




▼手水舎。




▼楼門 (重文)。三間一戸、梁行二間、重層、十二脚門、入母屋造、檜皮葺。
明応八年(1499年)建立。堂々の立派な楼門です。




▼楼門から四本殿を望む。右から第一殿、第二殿、第三殿、第四殿。




▼ちょうどお宮参りのご家族でしょうか、神官による祈祷中でした。




▼本殿。




▼本殿 (重文)。手前から第一殿、第二殿、第三殿、第四殿。一間社春日造、檜皮葺。鎌倉時代、北条政子の
寄進、室町時代に復興。




▼横から見た本殿の第一殿。




▼社務所の玄関、七五三衣装の飾りつけで巫女さんが頑張っていました。




▼参拝後は輪橋の構造美に感心しながら丹生都比売神社を辞しました。これから山越えで帰ります。




山々に囲まれた鄙の地に鎮座する重厚立派な丹生都比売神社、広い神域はとても明るい地でここが小盆地で
あることがよくわかります。女神丹生都比売もあまり不便な深山高峰よりも生活優先でこの地を選んだので
しょうか。



慈尊院は空海さんが母公のために建てたお寺です。

2012年10月23日 | 和歌山の古寺巡り


(2012.10.20訪問)

八葉蓮華の仏の世界高野山は、女人を永らく拒んできました。自らが決めた女人禁制の法度、母親すら入山
を許すことのなかった空海さんは、一往復約50キロの山道を母に逢いに月に九度は山と寺を往復、このお寺
に通ったと伝わる九度山町。それが九度山 (くどやま) の名の起こりと伝わるこの町に慈尊院はあります。
なんと3~4日に一度ですよ! 真言密教教義の完成者空海さんとて人の子、母を想う気持ちは人一倍、どこか
身近に感じる空海さんの一面が伝わってきます。そんなお話の残る慈尊院を訪ねました。

▼世界遺産碑 平山郁夫さんの揮毫です。




[ 慈尊院 ]
●山号 万年山(まんねんさん)
●寺号 慈尊院(じそんいん)
●宗派 高野山真言宗別格本山
●開基 弘法大師空海
●開創 弘仁七年(816年)
●本尊 木造弥勒仏坐像(国宝)
●平成十六年(2004年)「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産に登録。

慈尊院縁起
弘仁七年、空海さんが高野山開創時に参詣の要地に当たるこの地に高野山一山の用務寺務所を置き、伽藍を
草創、宿所と修行の場とされた。その後空海さんの高齢の母公が当寺に来住、本尊弥勒菩薩を尊崇、逝去後
空海さんは廟堂を建立し、自作の弥勒仏を安置されました。寺名慈尊院の由来は、弥勒菩薩の別名が慈尊で、
これにより慈尊院と呼ばれるようになったと伝わります。

▼表門。




▼訶梨帝母尊堂。




▼多宝塔。方三間、チタン葺。塔高16m、元は三重塔。寛永年間の再建の時に二重の塔に。
平成二十四年解体修理完成。




▼拝堂。本堂前に建ち拝殿の形をとるお堂。




▼拝堂扁額。




▼拝堂内の荘厳。
内部は豪華な荘厳がなされています。空海さんと母公の画像が祀られ、中央透過窓の向こうが本堂前面です。




▼本堂(重文)。弥勒堂、廟堂とも呼ばれています。方三間、檜皮葺、宝形造り。平安時代末。
本尊 木造弥勒仏(国宝)、像高91cm、(秘仏)。
平成27年4月2日~平成27年5月21日まで高野山開創1200年を記念して本堂の御開帳が行われるそうです。




▼本堂前の安産祈願の絵馬。
高野山への女人の入山を禁じていた弘法大師は自分の母も許さなかった。そのため母公はこの寺に住み弥勒
菩薩を信仰、逝去して弥勒菩薩に化身したという信仰になり、女人の高野山参りはここ慈尊院に限られ、女
人高野とよばれるようになるのです。女性のための安産祈願、子宝成就、育児、授乳等を願いを、乳房型絵
馬に託してを奉納するようになったと云われています。




▼鐘楼。




▼弘法大師修行像。




▼ゴンの碑。
山道20キロを歩きつづけたノラのゴンは1998年春、慈尊院に住みつき、高野山金剛峯寺までの町石道を、
お遍路さんについていくうち道を覚え。連日、大勢の参拝者を先導し、朝慈尊院を発って、夕方に高野山上
の大門まで道案内し、夜には慈尊院に戻る毎日を送り「お大師さんの使いの名犬」として有名に。1995年に
体力が衰えて引退、2002年6月5日、老衰のため慈尊院で永眠、同年7月23日に境内の弘法大師像の横に、
ゴンの石像「高野山案内犬ゴンの碑」が建てられました。




▼五輪塔。承安元年(1171年)の放火のためお寺全焼、その灰塚として建てられた石塔。



▼石段の上は丹生官省符神社。ここから高野山への表参道の町石道。石段を少し上ると高野山町石道第一番
の丁石が建っています。




●高野山町石道
高野七口といわれる高野山の登山道七本のうち、空海さんによって高野山開創直後に設けられた参詣道で、
慈尊院(海抜94m)から高野山壇上伽藍(海抜815m)、高野山奥の院弘法大師御廟に至る全長約23kmの高野山
への表参道のことです。

▼東門。




▼最後にもう一度多宝塔で慈尊院オシマイ。



信貴山雄岳頂上、天空の空鉢護法堂から、地上の劍鎧護法堂へ。

2012年10月18日 | 奈良の古寺巡り


(2012.10.13訪問)

大般若経転読祈祷で気分スッキリしたところで、信貴山雄岳山頂の空鉢護法堂「くうはつごほうどう」へ
お水をお供えに。急な参道らしく気は滅入りますが行く気マンマン。

空鉢護法堂 (朝護孫子寺HPより抄出)
命蓮上人が竜王の教えを蒙り、信貴山縁起絵巻 「飛倉の巻」の如く、空鉢を飛ばして倉を飛び返らせ、驚き
嘆く長者に慈悲の心を諭して福徳を授けたという出来事に由来します。山頂に竜王の祠を建てて以来、多く
の参詣者から、「一願成就」の霊験あらたかな守護神として信仰されております。山道は険しいものの、途
中に信貴山城址と行者の篭堂星祭り本尊があり、また空鉢護法堂からの眺めはたいへん素晴らしいものです。

▼空鉢護法堂へお水を運ぶ同志発見! 左の手にご注目。




▼水屋の奥にポットがズラリ。写真のような張り紙があります。




▼このポットにお水を入れました。さて天空の護法堂へイザ。




▼多宝塔の横から道は天空へ。いよいよ大嫌いな石段参道のはじまりです。




▼曲がりくねった参道がつづきます。




▼こんな感じで参道がつづきます。




▼まだまだつづきます。




▼いよいよ赤鳥居が出てまいりました。見えます? 参道真ん中のボクが運んでいるポット。




▼ズーッと赤鳥居がつづきます。




▼いよいよ山頂です。奥に見える石段の先に護法堂があります。毘沙門天のご加護か、何とか無事山頂到着。




▼信貴山雄岳山頂、空鉢護法堂、鳥居と拝殿と本殿です。なにぶん狭い空間全景が撮れません。




▼拝殿奥にかすかに御神鏡見えます?




▼すべて石造の空鉢護法堂本殿です。本殿を中心に石造鳥居や石造小社がギッシリ囲んでいます。




▼空鉢護法堂展望台から見た大阪方面ですがどの辺りかは判りませんです。




▼護法堂からスグのところ、信貴山城址の碑。奈良の敵、夢と散った松永弾正最後の城跡。




天空の護法堂はこれにてオシマイ。
地上の護法堂を訪ねる前に弁財天の滝に向かいます。
山内唯一の滝行場だそうですが、今は渇水期、ほとんど水はありませんでした。

▼塔頭玉蔵院前を下り分岐を右に、滝道につづき約10分ほどで到着。




▼相当寂しいところですが行場と云うイメージは何となく感じますが、今は行場としては使われていないよ
うです。




▼小さなお堂に弁財天が祀られています。




▼落差約5m、これが今の弁財天の滝。しょぼい水量ですが、季節によってはもう少し迫力があるそうです。




▼上の岩場には不動明王が祀られています。




弁財天の滝はこれにてオシマイ。
それでは今日の最終訪問、地上の護法堂、剱鎧護法堂 (けんがいごほうどう) を訪ねましょう。

剱鎧護法堂 (朝護孫子寺HPより抄出)
今から約1000年前、醍醐天皇が重い病にかかられた時、命蓮上人が勅命により毘沙門天王に病気平癒の祈願
をされました。数日後、加持満願の日、剱鎧護法の使者が天皇の枕元に出現されて、霊感を授けられると忽
ち天皇の病は癒され心安らかになられました。そこで、この地に剱鎧護法を「病気平癒」の守り本尊として、
祀られ日夜勤行されました。以来、無病息災、病気全快の霊験あらたかな神として篤く信仰されています。

▼シンボル大寅から少し下ったところに、剱鎧護法すぐそこの石柱が。参道入り口鳥居をくぐると、約3分。




▼参道です。




▼もう着きました。




▼剱鎧護法堂の拝殿です。阿吽の獅子がしっかり守っています。




▼拝殿と本殿を繋ぐ天井に並ぶ吊り灯籠です。キンピカの中で仄かな灯りが今日最後の荘厳です。



地上の護法堂これにてオシマイ。

「一願成就」と「病気平癒」の神が毘沙門天と習合のお寺、加えて聖徳太子戦勝祈願、祈りのお寺朝護孫子
寺はやたら鳥居が多いのが印象的。本地垂迹とは云わないまでも神仏調和と云う美しい形が、このお寺が広
く信仰されている証なんでしょうネ。

フロクです。
▼開運橋から見た信貴大橋。信貴生駒スカイラインを抜けるとこの橋に着きます。
帰りは左へ真っすぐR25で大阪へ。




▼朝護孫子寺へ向かう途中、信貴生駒スカイラインから大阪方面パノラマ。



朝護孫子寺オシマイ、長々とありがとうございました。