土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

[ 雑感 ] 深々雪の大原と思いきや

2007年04月12日 | 
ちと古い話で恐縮ですが…。
立春が過ぎたとはいえ2月の半ば、大原の里はまだまだ比叡颪と京都盆地特有の底冷え残る里という印象を持ちつつ、殊に寺々の甍の軒先に残る雪や庭園の美を演出する名残雪、里の家々や山裾の墨絵ボカシの遠景などを期待し、ゆっくりと名跡名園を訪ね、声明の声、朗々と響き鐘の余韻の如く里の彼処に流れ渡るを聞く、そして叡山別院の各古刹に伝わる数々の物語に浸ってみようと期待ワクワクで大原の里を訪ねた。ましてこのシーズン、連休の最終日とはいえまだまだシーズン的には冬ですよ。人出も少なく十分堪能できるであろうとの淡い期待を抱きつつ訪ねた。期待は見事にはずれた。

五木ひろしが大原を絶唱する「京都恋歌」なんぞ口ずさみながら京都バスに乗った。「ちょっと、バスの中で鼻歌はやめなさいよ」と女房がいったので「文句があるならマイク持ってこい」といいたかったが止めておいた。そうこうして大原に着くとすでに人と車がいっぱい、そして非常に暖かいし冬の空ではない。「隠里」「祈りの里」という風韻を感じることは出来ない。三千院を目指しているのだろう人々は一定方向に行進、そぞろ登りの坂道ではすでに汗ばむほどだ。目指す三千院では名庭園有清園、聚碧園の桜木、楓木、杉木立よりもはるかに多い拝観者の姿。木立を通して見え隠れする往生極楽院の簡素な佇まいは深々と降りそぼる雪のなかでこそ寂びた風情が一層増すのではとそんな思いがした。ご多分にもれず狭い堂内は混雑気味、しかし念願のご本尊阿弥陀三尊にはお会いできたし殊に脇侍の観音菩薩、勢至菩薩両菩薩像は立像ではなく坐像、その坐りかたが非常にユニーク、上半身が屈み気味で正坐に近い大和坐りという珍しい坐り方、ほかでお目にかかった記憶はない。

幸いなことに不動堂前の広場で初午大根焚きの無料接待に与った。境内のどこよりも人で一杯。世に口に入るもので嫌いなものは無いという我が女房は径10cm厚さ5cmはあろうかと思える大根二切れの入ったお椀を事も無げに平らげた。お代わりをしょうとしたが「それだけは止しなさい」と僕はいった(これは嘘)。さては参拝者の目的はこれだったのか、人の多さはこれだったのかと納得せざるを得なかった三千院でした。それにしてもその後訪ねた勝林院や実光院、来迎院のひとけの少なさはなんだろう。冬景色皆無を嘆きつつ大原をあとにした。夜、今日の最高気温は15度、3月下旬の暖かさでしたとTVがいっていた。なにか気候が変ですねぇ、四季の持つらしさが崩れていくようです。