土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

[雑感] 嵯峨野巡り

2007年07月04日 | 京都の古寺巡り
京福電車嵐山線に初めて乗った。大宮から嵐山まで沿線の駅名が実にイイですね。目を閉じてアナウンスを聞いていると古の平安、束帯に身を包み多くのお付きを従えてゴトゴトと牛車に乗って嵯峨野巡りてな感じで(電車もかなりゴトゴトと……。)、横を見るとお付きは女房だけだった。彼女に駅名表示にある「車折神社ってどう読むねん」と聞くと「さぁなんやろね」間髪入れずに僕の右隣に座っていた至極上品なご婦人が「あれは[くるまざきじんじゃ]といいます。なんでも平安の昔、時の天皇はんにご由緒があるそうですよ。」たまにしか京都を訪問しない僕たちにスッと疑問に応えてくれるこのタイミング、嬉しいじゃありませんか。「お楽しみやす。」といってこのご婦人は[帷子ノ辻]で降りられた。

終点嵐山で降りると右や左へ人の流れが途絶えることがない。駅でもらった嵯峨野マップで今日のコースを女房に告げる。取りあえず右に方向をとった。「またお寺?」と女房、「当たり前じゃ、京都に来てお寺以外になにがあるねん。」嵐山という大観光地を忘れて一瞬しまったと思ったが敢然と言い放った。駅からスグの天竜寺はやはり人の群、減少しているとは聞くが修学旅行と思しき学生グループや若い人、シニアのグループ、外国の方々で溢れている。夢窓国師縁の庭園や方丈の[鳴き龍]を一度見てみたいと思っていたが諦めた。

女房が以前「嵯峨野の竹林が見てみたい」と云っていたのを思い出し行くことにした。デューク・エイセスの「女ひとり」が口から出た。♪京都 嵐山 大覚寺 恋に疲れた女がひとり 塩沢がすりに名古屋帯……♪ ふと横を見ると塩沢がすり否、今にも竹林の筍を掘りにゆく出で立ちで疲れという言葉からはほど遠いパワフルな女房がいた。野宮神社の横を左に入って細い道を嵯峨野竹林に向う、例によりやはり人混みで歩きづらい。♪京都 嵐山 ……♪とはチト風情が違う両側のお店を横目に小径を少し行くとスグ両側が竹林、いま盛りと真っ直ぐに伸びた竹は混み合っているので光が射しこまず鬱蒼とし薄暗い。鮮やかなグリーンは期待できないが、これも一種の風情かな。この小径を車夫のお兄さんがギャル二人のお客に色々ガイドをしながら人力車がゆく。竹林と人力車なかなかイイ取り合わせのように思えた。来てみたかった竹林の感想はと女房に聞くと「暗い、狭い、中に入れない。」が感想でした。竹林の中に入ってなにをするつもりなんでしょうね。ヤッパリ!

竹林を抜けて左に歩をとると小倉山の麓に常寂光寺がある。小倉百人一首の撰者藤原定家の山荘跡といい山の斜面に沿いこぢんまりとした緑に囲まれた良い佇まいのお寺だ。キット秋の紅葉シーズンはさながら真っ赤の世界でさぞ素晴らしいでしょう。都の雅からはほど遠い土地柄にはこんなお寺がよく似合う。山門を出てスグ左へ、少し行くと今度は右へ落柿舎はパスしてそのまま東へ。さて今日のメイン目的清涼寺はもうすぐだ。

渡月橋から真っ直ぐの道、取っ付きの所に山門がある。阿吽両金剛力士が控えた二層門はかなりの大きさで境内は広く本堂が霞んで見えるぐらいと云うのはちとオーバーか、それほど広い。駅近辺の雑踏からは考えられない閑散な境内、時間が巻きに入っているので本堂は参拝だけで入堂はパス、右手奥にある宝物館を目指す。とにかく一度拝したかった阿弥陀三尊が堂々の体躯で目の前に坐している。中尊の阿弥陀如来坐像は180cmに満たない坐高とはいえ間近で見るとじつに堂々たる体躯だ。漆箔の黄金色が衲衣の襞に残り、造像時を彷彿とさせる。額のやや大きめの白亳、そのお顔の端正な表情は光源氏に擬せられた左大臣源融(みなもとのとおる)の由縁が何となく納得できそうだ。脇侍の観音、勢至両菩薩も僕たちが見ても密教仏というのが理解できるほど胸飾瓔珞など躰の装飾がキラめかしいが嫌みはない。

端正な三体に見惚れていてフト我に帰ると宝物館はかなり狭く窮屈感で一杯。他の仏像と共に [置かれている] [展示されている] そのもの。[信仰]という言葉はこの宝物館からは感じることは出来なかったのでありました。[拝する] [合掌する] から[鑑賞する] では如来は浄土から人間界へどんな救済を施せばいいのやら。一方では大伽藍のご本尊として衆生の信仰を集め、その一方では美術鑑賞と称して大衆の耳目を集める、置かれた立場の違いに仏も「困ったこっちゃ」と嘆いているのでは。寺院経営の大変さをお察しいたします。そんなこんなでこのお気の毒な阿弥陀如来を是非描こうと決心をした次第であります。