土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

施福寺は、西国三十三所観音霊場第四番札所。参拝者と登山者で賑わっていました。

2011年12月26日 | 大阪の古寺巡り


(2011.12.24訪問)

三週続けてお山のお寺訪問です。
大阪にもまだまだハードな行程を要するお寺はあるもので、訪ねた施福寺も相当
きつい登りです。もともと金剛葛城生駒をテリトリーにした役行者小角が修験者
の道場として開き発展して来たこの山中は、小角さんにとっては恰好の地だった
のでしょう。その後、行基さん、勤操さん、空海さん、最澄さんと時の英雄たち
の活躍の場となり、寺勢が拡大していったと縁起は語っているようです。

[ 施福寺 ]
●山号 槇尾山(まきのおさん)
●寺号 施福寺(せふくじ)
●宗派 天台宗
●勅願 欽明天皇
●開基 行満上人
●創建 欽明年代(6世紀中庸)
●本尊 弥勒菩薩坐像。(観音霊場としての本尊は十一面千手千眼観音菩薩立像)
●札所 西国三十三カ所観音霊場第四番札所

施福寺縁起
欽明天皇病平癒の勅願で播磨の行満上人が開創、その後、役小角が法華経二十八
品を書写、金剛葛城の峯々に収納しその巻尾をこの山に納めた。巻の尾から「ま
きのお」となりその後「槇尾山寺」と称され、「槇尾寺」そして現在施福寺と称
されている。初期のお寺は歴史潤色が多く、詳しくは定かではないそうです。

▼参道。
この写真では、たいした上りには見えないでしょうネ。



▼寺名石標。苔むす立派なものです。



▼仁王門。
江戸後期の山火事で全山焼失、唯一免れたのがこの仁王門だそうです。
三間二層十二脚門。二層目は外廊高欄付き。銅葺屋根。正面左右に金剛力士阿吽
両像。



▼山門に控える金剛力士。



▼山門からすぐの所の秋の名残。この石段も急には見えませんネ。



▼こんな石段です。



▼が、だんだんこんな石段に。
白いツブツブは急に降って来た霰、見てる間に真っ白になりました。





▼弘法大師姿見の井戸。
さすがの空海さんも、渇きには耐えられなかったようで。



▼参道から大阪湾の眺め。関空はもう少し左です。対岸は神戸の街、背後の山並
みは六甲山系。この位置は槇尾山の標高500m位の位置らしいです。



▼愛染堂。
弘法大師御剃髪所跡に建ち、弘法大師、愛染明王、勤操大徳の肖像を安置。



▼弘法大師空海さん諸国行脚中の石像。



▼愛染堂から本堂境内へ最後の苦行石段。



▼石段中途にある御髪堂。
空海さんの御髪を納めているお堂。



▼ヤット着きました。手水舎の龍の水口が出迎えてくれました。



▼本堂。
槇尾山上の下の標高530mの位置に在ります。
本尊 弥勒菩薩坐像、左脇侍 十一面千手千眼観音菩薩立像(観音霊場としての本尊)、
右脇侍 文殊菩薩立像。三尊像とも秘仏(御開帳は毎年五月一日~十五日)



▼旧寺名の石標。
本堂横に建っています。



▼本堂後堂。
本尊 馬頭観音坐像。
馬頭観音由緒
花山法皇が西国三十三カ所巡礼で、三番粉河寺からこのお寺へ巡礼中、山中で道
を失い迷っている時、駒の嘶きを聞き、それを頼りに無事参拝を終えることが出
来たお礼として、馬頭観音を祀られたと云う故事があるそうです。



▼本堂後堂の正面。
本堂は両正面形式で格子から中を覗きましたが内陣は暗くてわかりません。



▼三十三観音堂。
三十三カ所観音霊場のご本尊がお祀りされています。



▼三十三観音堂の須弥壇。



▼観音馬。
花山法皇の故事により造立。



▼救世観音立像。



▼大師堂。
伝教大師(最澄さん)、弘法大師(空海さん)、元三大師(良源さん)の坐像をお祀りし
ています。



▼護摩堂。
不動明王をお祀りしています。



▼鐘楼。
草創時から山内の非常時のみに警鐘として使用しているとのことです。



▼宝篋印塔。



▼歴代僧侶の供養塔。



▼下りはなんと早いことか、山門が見えてきました。



▼仁王門横に、十三重石塔。



▼往きは全く気がつきませんでしたが、木の根の祠にお地蔵さん。



というような訳で、施福寺の参拝はオシマイ。
ですが、三週連続山寺を訪ねた結果として、お寺の印象よりいかに我が身の体力
の無さを痛感!
いずれの山寺も標高600m前後のお山に位置するお寺ですが、参道が急、随所に
自然石の石段、曲がりくねった細い山道とホトホト参りました。ボクにとっては
参道ではなく、惨道でした。
(悪魔でも、じゃなかったあくまでもボクの印象です念のため)

本年も大勢の皆様におこしいただきありがとうございました。
それでは又明年、不平、不満と愚痴の多いブログでお会いしましょう。

本山寺へはポンポン山への登山道を行きます。

2011年12月21日 | 大阪の古寺巡り


(2012.12.17訪問)

神峯山寺から本山寺駐車場まではクルマで十分余り、ここからが大変、歩き始め
丁石に七丁とあります。「ナアーンだ1キロない」と思ったのが間違い。相当な
急坂です。本山寺に行く方は覚悟してくださいよ。ハイカーたちが続々ポンポン
山から下りてきます。登山姿が様になってる昔嬢ちゃんの群れのなんと多いこと
でしょう、オバさんは元気ですワ、うるさいけど。「あのーお寺までどのくらい」
「あと30分ぐらい」「1時間見ときなさいよ」どっちやねん。勧請掛まで約20分
本山寺に到着です。

[ 本山寺 ]
●山号 北山(ほくさん)
●院号 霊雲院(れいうんいん)
●寺号 本山寺(ほんざんじ)
●宗派 天台宗
●開山 役小角
●創建 持統七年(696年)
●開基 開成皇子
●本尊 毘沙門天立像

本山寺縁起
神峯山寺縁起が語るように、役小角が神峯山の地に伽藍建立の時、金比羅童子が
四体の毘沙門天を刻し、一体は神峯山寺に留まり、一体は京鞍馬寺へ、一体は信
貴山朝護孫寺へそして、残り一体は神峯山の北峯本山寺へと飛び去ったと伝えま
す。それぞれが各お寺の本尊になったそうです。神峯山寺とは伝承がソックリ、
その縁起には神峯山寺奥の院霊雲院と書かれているそうですが、確たるものはな
いそうです。

▼参道。



▼案内板。



▼勧請縄(掛)。
これを潜ると本山寺へ、右にはポンポン山への登山道。



▼中の門。
どう見ても新造門としか見えなかったのですが、慶長8年(1603年)豊臣秀頼が伏
見桃山城内の門を移築したそうです。銅葺き屋根の立派な入山門です。



▼立派な庫裡門にも毘沙門天。



▼手水舎とお地蔵さん。



▼鐘楼。
慶長8年(1603年)豊臣秀頼が再建。



▼不動明王。



▼本堂への石段。
ご覧のようにかなり急な石段、境内は山の斜面にへばりつくように在ります。



▼本堂。
桁行5間、梁行4間、1間向背付き。銅葺き屋根。
本尊 毘沙門天立像(重文)。平安時代後期、木造。



▼本堂扁額も毘沙門天。



▼本堂釣り鐘。



▼本堂。



▼開山堂。
開山役行者をお祀りしています。



▼本堂から石段下の庫裡です。



▼本堂からの眺望。
樹々越しに大阪湾が陽光で光っているの見えます?



神峯山寺も本山寺も、いずれのお寺も日本三大毘沙門天の一つで、日本最初毘沙
門天を謳っています。三大○○とか四大○○とかはどなたが決めるのでしょうネ。
組み合わせ自由ということでしょうか。お寺の思惑を含めていろいろ競っていた
だくのも結構なことかも知れませんね。それにしても著名な毘沙門天、お会いし
たかったナア。
ポンポン山のお寺巡りオシマイ!

日本最初毘沙門天を祀る、神峯山寺を訪ねました。

2011年12月19日 | 大阪の古寺巡り


(2012.12.17訪問)

またまた登山参拝のはめに。
遅い秋が急ぎ足で去って行くとスグ冬が急ぎ足でやってまいりました。
ポンポン山ってご存知でしょうか? 面白い名前でしょう。京都市西区と大阪高槻
の府境に在る人気の山です。結構な登山者で賑わっています。
今日の目的、神峯山寺(かぶさんじ)と本山寺(ほんざんじ)はこの登山道の中程に在
ります。神峯山寺はともかく本山寺へは登山、二週続けて山寺登山はさすがにし
んどいですワ。
先ずは神峯山寺へ向かいましょう。

[ 神峯山寺 ]
●山号 根本山(こんぽんさん)
●院号 寶塔院(ほうとういん)
●寺号 神峯山寺(かぶさんじ)
●宗派 天台宗
●開山 役小角
●創建 天武元年(683年)
●開基 開成皇子
●本尊 毘沙門天立像

神峯山寺縁起 (神峯山寺HPから)
神峯山寺は天台宗寺院として千年以上の歴史を持つ古刹ですが、伽藍やお堂は天
台宗が伝わる以前から存在していたのです。大和の国葛城山中で修行をしていた
役小角は、北方のおぼろげに見える稜線付近から一点の光を見つけ、その地に向
かいます。そして辿り着いた九頭龍滝で、水神金比羅童子に出会ったのでした。
その金比羅童子は役小角に対し、この地に伽藍を建立するよう告げました。そ
の際に使った霊木から、童子は四体の毘沙門天像を刻んだとされています。そし
て、それらのうち一体は神峯山寺に留まり、第二は北東に位置する京都・鞍馬山
へ、第三は南方に位置する奈良・信貴山へ、第四は神峯山の北峯へと飛び去った
と伝えられているのです。四つの毘沙門天の軌跡を辿れば、この伝説の興味深い
点が現れてきます。

▼道しるべ。
ポンポン山への途中に目的のお寺は在ります。



▼どう見ても鳥居ですね。
神峯山寺HPにはこの鳥居が山門と書かれています。



▼勧請縄。
もうすぐ取り替えが始まるそうです。



▼石標。
日本最初毘沙門天の刻字。



▼仁王門。



▼もう少し分かり易く仁王門。
役小角時代の自然信仰と仏教との習合の結果でしょうか。阿吽の獅子と仁王さん
が侵入者に睨みを訊かせていますよ。



▼仁王門の扁額。山号が記されています。



▼阿吽の仁王さん。
阿形さんは新像か補修済みかで比較的新しいような感じ、吽形さん古姿を保って
いるようです。全身が撮れませんでした。あの無粋な細かいネット、何とかなら
んもんですか。暗い、見にくい、撮りにくい。



▼仁王門を潜ると本堂まで一直線。



▼手水鉢、でいいんでしょうか。



▼さてここからが山寺の雰囲気、本堂への石段。



▼本堂(毘沙門堂)。
桁行5間、梁行5間のほぼ正方形。1間の向背付き。銅葺き屋根。
明和二年(1765年)消失、安永六年(1777年)再建。
本尊 毘沙門天立像。



▼本堂扁額は縦長。毘沙門天王と揮毫されています。



▼本堂向背梁の注連縄。



▼境内の一部。



▼護摩堂。
本堂庭広場の右に建つ新しいお堂。



▼開山堂石標。



▼開山堂。
開祖小角さんを祀るお堂です。



▼開山堂扁額。
小角さんの菩薩号、神変大菩薩号を揮毫しています。



▼開山堂石段。短い石段ですがかなり急。



▼鐘楼。



▼観音堂。
本堂後ろの石段上に建っています。



▼石段に花梨の実が落ちてました。
花梨の木がやたら多いお寺です。今は殆ど落下していますが、幹に花梨の実が落
ちてきます、ご注意くださいの紙が貼ってありました。



▼十三重石塔。
奈良朝最後の天皇、光仁天皇は息開成皇子に神峯山寺再興を命じ中興。天皇勅願
所として後世に残したと伝えます。この十三重石塔は光仁天皇の分骨供養塔とし
て造立されたと伝わるそうです。



▼観音石像。



▼六地蔵。



▼境内を流れる小川は秋の名残で埋め尽くされていました。



戦いの神、勝利の神として名高い毘沙門天を拝見したくてお寺を訪ねましたが、
ヤッパリ秘仏、本堂もシャットアウト。残念でした。神峯山寺伝説の原点とも云
われる九頭龍滝へも行けませんでした。
さて、これからポンポン山の登山道に挑みましょう。すでに気は萎えかかってい
ます。

広島の一番寒い日に、宮島大聖院へ。

2011年12月14日 | 広島の古寺巡り


(2012.12.10・11訪問)

遅い秋が急ぎ足で去ってゆきました。名勝紅葉谷公園の紅葉もすっかり散りそめ、
世界遺産の島、安芸宮島は冬支度。よりによってこの日は真冬ですよ。にもかか
わらずさすが宮島、厳島神社の人の多さにはビックリ!フェリーもピストンです。
厳島神社参拝後、大聖院を訪ねました。

[ 大聖院 ]
●山号 多喜山(たきやま)
●院号 大聖院(だいしょういん)
●寺号 水精寺(すいしょうじ)
●宗派 真言宗御室派大本山
●開山 弘法大師空海
●創建 大同元年(806年)
●本尊 十一面観音菩薩立像(観音堂)
   波切不動明王立像(勅願堂)

大聖院縁起
弘法大師空海さんが唐から帰国途上、宮島弥山で100日間の求聞持秘法を修され
たのが今の弥山伽藍の地であり修業に使った火が今も燃えています。大聖院は、
鳥羽天皇勅願道場以来、歴代皇室との因縁深く、明治維新までは十二坊の末寺が
あり、厳島神社の別当寺として祭祀を行っていた厳島の総本坊。仁和寺との関係
は本山と末寺という結びつき以前に脇門跡、仁和寺院室、厳島御室などの称号を
賜った深い関係があるそうで、仁和寺第二十世任助法親王(厳島御室)が大聖院に
止往し、仁和寺塔頭に大聖院があったため、法流相伝の御室にあてられたものと
いわれているそうです。

▼仁王門脇に建つ大聖院石標。



▼仁王門。



▼長押と天井にかけてスゴイ龍の彫り物、目は玉眼。



▼向かって左に金剛力士阿形像、右に金剛力士吽形像。
堂々の像形に朱色鮮やかに残り、玉眼が嵌められています。






▼参道石段。



▼御成門。
総檜造り、唐破風、檜皮葺の勅使門。



▼御成門からの景は宮島随一らしいですよ。眼下に見えるのは、千畳閣と五重塔。



▼観音堂。
御成門のすぐ右手に観音堂が建っています。行基さん作と伝えられる十一面観世
音菩薩が本尊として祀られています。



▼勅願堂。
鳥羽天皇勅願道場で大聖院の本堂。豊臣秀吉が朝鮮出兵の時に、必勝海上安全を
祈願したと云われている本尊波切不動明王を祀っています。



▼勅願堂扁額。



▼勅願堂本尊 波切不動明王立像。



▼万福堂。
恵比須さん・大黒さん・毘沙門天・弁天さん・福禄寿・寿老人・布袋さんの七福
神を祀っています。お参りの皆さんが撫でまくり、触りまくっているのでツルツ
ル、ピカピカです。



▼摩尼殿。
弥山三鬼大権現の本坊御祈祷所。



▼大師堂。
大聖院最古の堂宇。真言宗の開祖空海さんが祀られています。また、お堂のまわ
りに西国三十三観音石仏が並び参拝のご婦人が丁寧に一体ずつ手を合わせておら
れました。



▼五百羅漢庭。
参道石段の左下に広がる庭には、羅漢さんがいっぱい!



大聖院本坊伽藍から弥山伽藍へ、これから登山です。紅葉谷公園を通り抜けると
ロープウエイ駅です。
▼弥山伽藍へのロープウエイ紅葉谷駅。獅子岩駅までラクチン空中散歩。



▼ロープウエイ獅子岩駅の弥山伽藍マップ。
このマップには騙されました。弥山伽藍への参道てなものではなく、これは登山
道です。



▼弥山伽藍への道。
こんな石段や石ゴロゴロの細い道、山崩れの後の道、コワイ怖い!それに強烈な
アップダウン。




▼弥山伽藍本堂。



▼弥山伽藍本堂内陣。本尊 虚空蔵菩薩坐像。
本尊脇に見えませんが不動明王と毘沙門天が祀られています。



▼弥山伽藍霊火堂。
このお堂は2005年に火災で焼失し、翌年再建されたそうです。「消えずの火」の
本家が火事になるとは、なにか意味深ですね。



▼弥山伽藍霊火堂扁額。かなりススで真っ黒けです。



▼弥山伽藍霊火堂「消えずの火」。
1200年以上経った今も霊火堂の中で燃え続けています。囲炉裏のような感じを受
けるのはボクだけかな。広島市内平和公園の「平和の灯」はこの「消えずの火」を
分火したものだそうです。



▼弥山登山道。大岩を階段状に彫り込んだ石段。



▼船岩とお地蔵さん。
とにかく、奇岩、大岩がゴロゴロしています。このお地蔵さんに被さるように見
えるのも大きな岩です。



▼弥山山頂。
やっと着いた山頂も奇岩だらけ。山頂にはそうとうくたびれた展望台があります。
それ以外は岩ばかり。風と寒さに負けましたのですぐ下ります。



▼巨岩のアーチ、奇岩「くぐり岩」



▼観音堂と文殊堂。この下はスグ本堂の地です。



宮島まで来て、登山をするとは思いませんでしたが、空海さんが残した跡と宮島
一の歴史を謳う大聖院の参拝は、地方においてもこれだけの大寺院があるという
仏教の深さ、信仰の大きさを改めて思いました。

東大寺界隈、名残秋の風。

2011年12月06日 | 


(2011.12.04訪問)

▼この講座を受講後、東大寺界隈をウロウロしました。



▼勧学院付近。



▼鏡池付近。



▼東塔址付近。



▼またまた東塔址付近。



▼法華堂付近。



▼またまた法華堂付近。



▼大湯屋付近。



▼またまた大湯屋付近。



▼講堂址付近。



▼戒壇堂付近。



▼水門町付近。



▼知事公舎付近。



▼県庁前。



そんな訳で今日は帰ります。