土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

唐招提寺、隋の皇帝になったつもりで瓊花(ケイカ)を見る。

2016年04月28日 | 奈良の古寺巡り





(2016.04.26訪問)


堺筋本町の事務所10階の窓からボーッと雲ひとつない生駒の峰を見ていたと思ってください。
ジャストタイミングで、テラトモ奈良通のNから唐招提寺の瓊花(ケイカ)が見頃でっせ!の電話があったと思ってください。
空は青空、雲もなく、あまりの好天、気が付けば、いつの間にやら天平時代、金堂の前に立ってました。

▼金堂(国宝)。唐招提寺はよく訪ねますが、いまだかって雨に降られたことが無いのが自慢です。







♥これが瓊花(ケイカ)。ウンチクを少々。
 瓊花は鑑真さんの故郷中国揚州の名花。かって隋の皇帝煬帝が愛し以来門外不出となった花。鑑真和上遷化千二百年の昭和三十八
 年に記念事業の一環として中国仏教協会から贈られたものです。
 唐招提寺の瓊花は御影堂供華園に植えられいる七株、御影堂前庭に一株、鑑真廟に一株で計九株があるそうです。瓊花はガクアジ
 サイに似てますがガクアジサイではありません。アジサイは低木ですが、瓊花は4~5mほどになるそうで、周辺の五弁は花ではな
 く装飾ガクで必ず5枚、ガク数はすべて8。中央の小さい集合が花で黄色い細い突起が蕊です。ご覧の写真は完全に開花の状態です。







♥大体がこのように混み合って咲いてます。







▼金堂(国宝)。あのやかましい団体はいません。これが名刹の理想的環境!
 本尊盧舎那仏を中心にお薬師さんと十一面さん、内陣九尊が織りなす曼荼羅世界に鑑真さん理想の世界を想い、一刻自分を見つめ
 るのも時には……。







♥かわいい小さな花です。







▼講堂(国宝)。平城京から移築された唯一の宮殿建築の遺構だと云います。







♥殆ど上を向いてますので、低い所のカットばかりで……、







▼鼓楼(国宝)。うちわまきが有名ですネ。







♥大体が同じようなアングルに……、







▼鐘楼(重文)。







♥なってしまいます。







▼鑑真廟への参道、門が見えますネ。







♥何とも云えない、いい薫りが辺りに漂ってます。







▼緑の苔が……、







♥遠目にも何か主張しているようです。







▼木立の影の濃淡と共に……、







♥白い小さな花と黄色の蕊が……、







▼青もみじの緑を通して……、







♥今を盛りと誇っているようです。







▼ますます映えています。







▼鑑真大和上の廟。







♥どうしても花にピンがきません、ヘタですねぇ。花の大きい写真はこれしか無いので……。







▼境内で唯一、四堂一覧撮影はここしかありません。







♥こいつは金輪際こっちを向いてくれませんでした。ゆうこと聞かんやっちゃ、マッタク。







▼御朱印です。




写真の瓊花は御影堂供華園に植えられいる七株を撮影したものです。御影堂は入ることは出来ませんので、供華園は隣の中興堂から
の入場になります。案内表示があるのですぐに分かります。

清楚な白に魅了された一刻でした。まだしばらく見頃が続くそうですヨ。





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永澤寺、関西花の寺第十一番霊場です。

2016年04月25日 | 兵庫の古寺巡り





(2016.04.23訪問)


迷車大和路号は春の丹波路を悠々と走っています。三田市郊外、春の野はゆったりまったり長閑でランラン。やがて丘陵地から山麓
へ、そして三国ケ岳の南麓、標高五百メートル位の所に目指す永澤寺があります。ここは丹波篠山や摂津能勢にも近く、両国に跨が
っている所から「摂丹境」とも通称される曹洞宗のお寺なんです。凄い仏がおられるそうなんです。


県道49号線に面して門が三つ並んでいます。だから三門、とは云いません。右から、

▼金鶏門。







▼勅使門。茅葺き勅使門は全国で二カ所しかないそうです。







▼玉兎門。今日はこの門から入山。



いずれの門も昭和四十年再建。




[ 永澤寺 ]
●山号 青原山(せいげんざん)
●寺号 永澤寺(ようたくじ) 通称 摂丹境(せったんきょう)
●宗派 曹洞宗(そうとうしゅう)
●勅願 後円融天皇(ごえんゆうてんのう)
●開基 細川頼之(ほそかわよりゆき) 室町幕府管領、細川家当主
●開山 通幻寂霊禅師(つうげんじゃくれいぜんじ)
●開創 応安年間(1370年頃)
●本尊 釈迦三尊
▲拝観 境内自由 朱印 300円  
▲時間 8:00~17:00
▲兵庫県三田市永沢寺210 電話079-566-0401
▲関西花の寺第十一番霊場
▲http://youtakuji.net
▲JR福知山線「三田駅」からバス40分「永沢寺」下車すぐ
 
 舞鶴若狭道「丹南篠山口」ICから南へ約13㎞。
 
 中国道「神戸三田」ICから北へ約18㎞。
 ナビに頼るのが無難だと思いますよ。




▼仁王門前の放生池。







▼モダン仁王門。銅板屋根の緑と十二脚の薄朱が凄くいい感じ。昭和四十六年再建。







▼三間一戸、重層の楼門形式の仁王門です。初層両側に仁王さんがいます。






永澤寺縁起 (永澤寺HPより抄出)
永澤寺は、応安年間(1370年頃)五州の大守細川頼之卿が後円融天皇の命により七堂伽藍を建立、通幻寂霊禅師を開祖とする禅寺であ
る。曹洞宗大本山總持寺の直末である。末寺は十七カ寺、通幻禅師ゆかりの寺院は八千九百カ寺を数え通幻派といい、本尊は釈迦如
来、大日如来、阿弥陀如来の釈迦三尊。開祖堂前には大地蔵菩薩、妙高閣には大観世音菩薩、信貴山本尊の御分身毘沙門天が祀られ
ている。建物は、安永七年(1778年)再建された本堂、開祖堂、庫裡、接賓、書院のほか、昭和四十年の台風23号で崩壊した後に再建
された勅使門、玉兎門、金鶏門、山門(仁王門)、妙高閣がある。




▼山号が書かれた仁王門扁額。







            ▼右に阿形金剛力士。







            ▼左に吽形金剛力士。







▼一直線本堂への参道。







▼参道右手に手水舎。







▼本堂。







▼本堂。桁裄九間、入母屋造、銅板葺、三間向拝付。安永七年(1778年)再建。







            ▼関西花の寺木札。







▼本堂扁額。







▼内陣長押の寺号扁額。







▼内陣の荘厳。正面須弥壇に本尊釈迦三尊が光を放っています。







▼本尊釈迦三尊。中尊釈迦如来坐像、右大日如来坐像、左阿弥陀如来坐像。由緒はあるんでしょうが、変則三尊ですネ。

 





            ▼本尊釈迦如来坐像。







            ▼左脇殿に三界萬霊の地蔵菩薩立像。像高3.6m.
             大変きれいなお地蔵さん、現代仏師の作、法衣の截金技術にはビックリ!







▼天蓋もまた豪華!







            ▼堂内右のお部屋床に仏足石の拓本軸。







▼鐘楼門。上層に梵鐘。

       





▼一撞きさせていただきました。







▼観音堂です。妙高閣と呼んでるそうです。平成六年建立。この中に吃驚暁天の観音さんがいます。







▼妙高閣扁額。







            ▼観音堂本尊大観世音菩薩立像。



総高9.2m、身丈4.6m。平成六年開眼。美しい上に大きい、本堂地蔵菩薩と同じ仏師作。
数世紀を経たお像の色落ち古色を見慣れているせいか、彩色華麗なお像を見るとなんとチャライ、しかしよくよく考えてみると、
造像時は檀像以外は殆どの像が彩色され、祀られる堂宇も朱や緑に、環境総てが色の世界、浄土再現の結果がこの華麗な彩色に
なったんだろうと納得。それにしても天衣や裳の緑、朱、赤のシットリした色相は古代色再現だと思うがお見事と云う外なし。
チャライなんて罰当たりなこと云ってスンマセン。



▼こんなお顔です。







            ▼下から見上げてみました。







            ▼現仁王像の完成で、現役を退かれた山門の旧仁王像。












▼仁王門横には本堂へ続く長廊下。













            ▼こんな縄が吊り下がっています。おみくじ縄です。







            ▼観音菩薩石像。近年の石像彫刻は凄い!







            ▼不動明王石像。







▼墓地本尊の釈迦涅槃石像。台座を含めた一個の巨石から彫りだされたものだそうです。総丈5.4m、重量30ton。







▼安らかなお顔、癒されます。



お釈迦さんに癒されて永澤寺 オ シ マ イ




▼御朱印です。



昭和四十年の台風23号で相当な被害を被ったそうですが、殆どの堂宇が再建、修復されて実に美しい境内です。


関西花の寺第十一番霊場として、お花好きにとっては有名なお寺らしく、県道を隔てて向かいにお寺経営の「ボタン園」「花菖蒲園」
があり、両方とも少し早く見頃はまだ先。
ところが隣の芝桜専門庭園「花のじゅうたん」は丘陵面一帯がピンクの丘に変身、初めて芝桜を見ましたがスケールの大きさに驚きです。





■開園期間 4月中旬頃~5月中旬頃
■営業時間 8:00~ 18:00 開園期間中は無休
■入 園 料 (税込み)大人(中学生以上)600円 小人300円
■電 話 079-566-0446(代)

▼入園料600円を払ってサア入園しましょ。ここは永澤寺の経営ではないみたいです。







▼誰が勘定したのか1億輪の大群落へ。






















































可愛い花にも結構種類があるようで、その内の数点を。

▼多摩の流れ                          ▼アメージンググレース







▼思い出                            ▼ホワイトアドミラル







▼ライラッククラウド                      ▼ダニエルズクッション




何と申しますか、凄い仏像と凄いピンクに圧倒された一日でありました。





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東大寺讃歌!と?

2016年04月21日 | 奈良の古寺巡り




(2016.04.20訪問)


10階の事務所の窓から生駒を見れば雲ひとつなし。
あまりのお天気の良さに、気が付けば南大門の前に立ってました。

viva 東大寺 !



▼南大門。







▼大仏殿。







▼大仏殿から中門を見ると。







▼奈良太郎。







▼二月堂。







▼三月堂。







鏡池の変?
これはなんだ。鏡池に舟が浮かんでいます。





























           それは、
           「東アジア文化都市2016奈良市」プロジェクトイベントの一環。これがそのシンボル。




「東アジア文化都市」は、日本、中国、韓国の三か国で、文化による発展をめざす都市を各国一都市選定、日本は奈良市、中国は寧波
市、韓国は済州道、各都市が行うさまざまな文化プログラムを通して、交流を深める国家プロジェクトです。その一環として美術部門
のシンボルプロジェクトとして、中国アーティスト蔡國強氏によるアート作品が東大寺鏡池にて展開されます。それがこの木製の帆船
(ジャンク船) です。東アジアの文化交流の象徴として、船をつくる過程から公開し、完成後は4月15日から10月23日まで鏡池に浮かべ
て展示。

色々なプログラム、イベントが用意されています。興味のある方は「東アジア文化都市2016奈良市」サイトへ
http://culturecity-nara.com/


しかしなんで東大寺鏡池なの。




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東本願寺、正式名称を真宗本廟といいます。

2016年04月19日 | 京都の古寺巡り





(2016.04.16訪問)


お西さん西本願寺には過去二度訪ねていますが、お東さん東本願寺は一度も訪ねたことはなく前を通ったことすらありませんでした。
お東騒動や門主継承のいざこざなど宗家内紛など興味は無いし、別に西に対する東と云う意味での対抗心でもないのですが、江戸のタ
ヌキが絡んでいると云うことが、足を遠ざけた理由の一つかも知れません。
数年来続いていた阿弥陀堂の修復事業が昨年末完成したと云うことで訪ねることにしました。
東本願寺飛び地に渉成園という池泉回遊式庭園があります。このお庭は見事です。


真宗の一方の旗艦寺院、写真で凄さを感じて下さい、今日は無言です。
▼御影堂門。






[ 東本願寺 ]
●寺号 東本願寺(ひがしほんがんじ) 正式名称 真宗本廟(しんしゅうほんびょう)
●宗派 浄土真宗(じょうどしんしゅう)
●宗祖 親鸞上人(しんらんしょうにん)
●開基 教如上人(きょうにょしょうにん)
●開創 慶長八年(1603年)
●本尊 阿弥陀如来立像
▲拝観 境内自由 朱印 ありません。真宗寺院は何処とも無いようです。  
▲京都市下京区烏丸通七条上る 電話075-371-9181
▲http://www.higashihonganji.or.jp
▲JR「京都駅」から徒歩7分
 地下鉄「五条駅」から徒歩5分
市バス「烏丸七条バス停」から徒歩1分




▼御影堂門扁額。






東本願寺縁起 (東本願寺HPより抄出)
宗祖である親鸞聖人の門弟らが、宗祖の遺骨を大谷から吉水の北に移し、廟堂を建て宗祖の影像を安置したことに起源する。第八代蓮
如上人は、その生涯をかけて教化に当たり、宗祖親鸞聖人の教えをひろく民衆にひろめ、本願寺教団をつくりあげていく。このことか
ら、当派では蓮如上人を真宗再興の上人と仰ぐ。第十一代顕如上人の時代に、石山合戦に敗れ大坂も退去。天正十三年本願寺は豊臣秀
吉により大坂天満に再興。さらに天正十九年京都堀川七条に本願寺現在の西本願寺は移転した。顕如上人没後、教如上人が本願寺を継
ぐも、秀吉より隠退処分をうけ、弟の准如上人が継職。その後も教如上人は活動を続け、秀吉没、慶長七年京都烏丸六条、七条間の地
を徳川家康から寄進される。慶長八年上野国妙安寺から宗祖親鸞聖人の自作と伝えられる御真影を迎え、阿弥陀堂建立。慶長九年御影
堂を建立し、新たな本願寺を創立した。これが当派本山である真宗本廟のなりたちであり、教如上人を東本願寺創立の上人とするゆえ
んである。




▼御影堂。向こうが新装阿弥陀堂です。







▼御影堂内。







▼御影堂外縁。







▼御影堂から御影堂門を見ると。







▼御影堂。







▼御影堂妻の黄金の光。







▼御影堂と阿弥陀堂を繋ぐ渡り廊下。







▼阿弥陀堂門。







▼阿弥陀堂。







            ▼阿弥陀堂内。







▼阿弥陀堂。







            ▼龍の水口。







▼鳩の行水。

 





▼鐘楼。







▼玄関門。







▼大玄関。







▼菊の門。







▼向拝の設え。

       





▼大寝殿。







▼最後に御影堂の勇姿。





阿弥陀堂の修復事業が昨年末完成し、御影堂と阿弥陀堂が並ぶ景観は壮観、修復された阿弥陀堂は、内陣の荘厳や内外陣の仕切り欄間
の調度はこれでもかと云う位凄いことになっています。いずれのお堂も勿論入堂可能で、熱心な信者の方がお参りをされています。




それでは池泉回遊式庭園「渉成園」へ行きましょう。

▲京都市下京区下珠数屋町通間之町東入東玉水町 電話075-371-9181
 烏丸通から本願寺正面通を東へ二本目の間之町通に面して入園西門に受付があります。
 入園料500円払ってください、豪華なパンフレットが戴けます。




▼ユニークな庭園北口門。いよいよ園内へ。






初めに渉成園のうんちく。
東本願寺の飛地境内地で十三代宣如上人が徳川家光から東本願寺の東側の土地を寄進され、詩仙堂を開いた石川丈山による作庭と云わ
れている池泉回遊式庭園。歴代の隠居所となり、現在の建物は明治以後再建。江戸後期の頼山陽はこの風趣を「渉成園十三景」として
紹介。昭和十一年仏寺庭園として国の名勝に指定されています。
頼山陽が紹介した「渉成園十三景」を歩くことにします。




▼スグ左手に小さな池に面して臨池亭(りんちてい)。







▼池向こうに小さな滝。







▼臨池亭とL字に並んで滴翠軒(てきすいけん)。十三景の一







▼小さな池から流れ出た小川、花菖蒲でしょうか水辺の景色です。







▼亀の甲井戸。







▼緑の中をぶらぶら、やがて園林堂(おんりんどう)。持仏堂です。







▼その隣に蘆菴(ろあん)。二階建ての茶室。







            ▼蘆菴前の春日灯籠。







▼園林堂の正面に傍花閣(ぼうかかく)。十三景の二







▼傍花閣の周りは桜の園、今はもう最後の八重が1~2本懸命に咲いています。













▼大きな池に出ます印月池(いんげつち)。睡蓮池と云ってもいいのでは。後一月もすると凄いことになりそう。十三景の三







▼侵雪橋(しんせつきょう)。木造の反り橋。十三景の六







            ▼侵雪橋を手前に南を見ると現代景、京都タワーが水鏡に。







▼小さな入り江の石橋を渡ります。







▼縮遠亭(しゅくえんてい)。茶室。ココは島です、しかし名はありません。十三景の七






▼睡蓮で埋まってます。







            ▼源融ゆかりの塔。







            ▼侵雪橋の袂に碧玉の石幢。







▼島と対岸を結ぶ回棹廊(かいとうろう)。十三景の十二







▼印月池東岸に紫藤岸(しとうがん)。藤棚です。十三景の八







▼回棹廊はこんな形。







▼印月池の西岸は広~い芝地。向こうに見えるのは……、







▼ろう風亭(ろうふうてい)。書院です。ろう=門構えに良、こんな字はありません。







▼印月池の南岸に漱枕居(そうちんきょ)。茶室。十三景の十一






文人好みの訳の判らないネーミング。判る人には判るんでしょうが、判らない人には判らない、これを風流心と云うらしい。
相当端折ってますが渉成園でした。個性的な建物や四季折々の美が堪能できるお庭愛好家にはたまらない、廻り応え、歩き応えのある
池泉回遊式庭園です。




▼入園受付の正面にこんな石垣が。左に行くと庭園北口門になります。色んな石材を集めてご苦労なことです。







            ▼豪華なパンフレットがコレ!






かっては歴代の隠居処と説明されていますが、一寺院が都心にこれだけ広い庭園を造作出来たのは江戸のタヌキや幕府のバックアップ
があればこそ、やはり後ろに権力が付いている強みは例え寺院であっても、何事にも代え難い財産なんでしょうネ。





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轉法輪寺、ここは空海さんと狩場明神邂逅の地です。

2016年04月15日 | 奈良の古寺巡り





(2016.04.09訪問)


栄山寺から再び大嫌いな国道24号線に出て和歌山方面に少し走ると、空海さんが高野山を拓くきっかけになった「狩場明神」との邂逅
の地に建つ轉法輪寺があります。空海さんがあの犬二匹を連れた狩人との遭遇で有名な場面がココです。

お寺さんで「本日休業日」の張り紙が寺務所の入り口に貼ってあるのを初めて見ました。もちろん寺務所には何方もいません。拝観無
理かなと思ってるところに、ご住職が檀家法要の帰りでしょうか境内でバッタリ、非常にラッキーでした。




▼山門は鐘楼堂を兼ねています。前の道路は大嫌いな国道24号線。






            [ 轉法輪寺 ]
            ●山号 犬飼山(いぬかいさん)
            ●院号 遍照院(へんしょういん)
            ●寺号 轉法輪寺(てんぽうりんじ) 轉=転
            ●宗派 高野山真言宗(こうやさんしんごんしゅう)
            ●開基 伝 弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)
            ●開創 伝 弘仁七年(816年)
            ●本尊 弘法大師像
            ▲拝観 境内自由 朱印 300円  
            ▲時間 8:00~16:00 月に数日の休業日があります、HPをご覧ください。
            ▲奈良県五條市犬飼町124 電話0747-22-4403
            ▲http://inukai.info/
            ▲JR和歌山線「大和二見駅」(駅から徒歩15分、タクシーで5分) 
             南海高野線「橋本駅」(駅からタクシーで15分)
             近鉄吉野線「福神駅」(駅からタクシーで25分)




            ▼山号犬飼山とこの地が空海さんと狩場明神邂逅の地であることが刻されています。







▼では入山しましょう。







▼注連縄が目立っています。なぜお寺に注連縄か、スグ解りますワ。






轉法輪寺縁起 (轉法輪寺HPより抄出)
弘仁七年七月のこと、空海さんは自身が唐から投げた三鈷を尋ね大和国宇智郡今の五條市を行脚中一人の猟師と邂逅、背丈は八尺ほど、
弓矢を持ち見るからにたくましい狩人で白黒二匹の犬を連れていました。大師はこの猟師に呼び止められて、旅の目的を話しました。
猟師は「私は南山の犬飼だがその場所を知っている、教えよう」と言い、連れていた二匹の犬に空海さんを先導するように命じました。
道中でまた一人の山人と邂逅、山人は空海さんに言いました。「ここから南に行くと平原の沢がある。そこがそなたの求める地だ。


▼高野大師行状図絵。空海さんと狩場明神の邂逅場面。(写真は轉法輪寺HPからお借りしました)




あなたに私の領地を上げよう」さらに山を分け入ると、空海さんは八つの峰に囲まれた平原に至りました。平原中の一本の松の樹に三
鈷が輝くのを見て、求めた禅定の地がここであることを知りました。空海さんは山人に「いったいあなたはどなたなのですか」と尋ね
ました。山人は「丹生明神(丹生都比売大神)」と名乗り、白黒2犬を遣わせたのは「高野御子大神(狩場明神)」であると名乗られ
たそうです。二神は親子神です。その後空海さんが狩人の姿をした「狩場明神」に出会った場所に轉法輪寺が建立されました。
大師と
明神、仏と神が共栄する理想の仏閣として1200年の法灯を保持しています。




▼手水舎。







▼山門を潜るとすぐ左、地蔵堂です。







▼昭和三十九年(1964年)に開眼された本尊子安地蔵尊。目一杯の高さを誇っています。後ろ壁面には永代供養のお地蔵さんがズラリ。



(写真は轉法輪寺HPからお借りしました)





▼本堂、休業のあおりか締め切りです。
 本尊 弘法大師。方三間、宝形造、銅板葺,一間向拝付き、寛永十年(1633年)建立。
 裏堂には600体の修行大師像をお祀りしているそうです。







▼木肌そのままシンプルな弘法大師扁額。







▼宝珠が青空に輝いていますネ。







            ▼本堂前の修行大師像。この地で狩場明神にお会いになったのもこんな旅姿なんでしょうネ。







▼どんなお顔か覗いてみました。







▼境内で一番大きなお堂、大教堂遍照殿。お寺の主な行事はここで執り行うそうです。







▼正面入口。このお堂は常にオープンしているそうです。

 





▼広~い畳のお部屋の西に仏殿が設えられ、豪華な荘厳がなされています。







▼遍照殿と書かれた扁額。ナントカと云う銘木にナントカ彫りとナントカ塗りの超豪華扁額、まさに芸術品!







▼二段須弥壇奥に本尊弘法大師空海さんが祀られ、左右に不動明王とお地蔵さんが並び、前方には密教法具が燦然と輝いてい
 ます。







            ▼優しいお顔の本尊空海さん。







▼お庭から見た大教堂遍照殿。

       





▼境内東に護摩堂。毎朝護摩が焚かれているそうです。本尊不動明王。







▼扁額です。







▼立派な庫裏と客殿。







▼明神社。空海さんがお会いになった二神、丹生明神(丹生都比売大神)と高野御子大神(狩場明神)の親子神を祀る二社が並立。
 一間春日造、室町時代建立。平成六年修復彩色復元がされたそうです。







▼右の狩場明神社。







▼もう一度空海さんと狩場明神の邂逅場面。(写真は轉法輪寺HPからお借りしました)







▼左の丹生都比売明神社。







            ▼四国八十八ヶ所お砂踏み霊場。霊場毎に錫杖が立てられています。
             お砂板を心して踏みしめましょう。



















            ▼つつじが咲き始めました。







▼裏門のサクラの花弁がヒラヒラと……、







▼その下に置いたご朱印です。







▼高野山に先立つ空海さんの聖地、轉法輪寺を辞します。






ご住職にお会いし早速寺務所に入れていただき、しばらくお話の機会をいただきました。
話の端々に空海さんへの敬愛、こちらが恐縮する程丁寧な対応、改めて仏教者の矜持と信仰の深さ、そこから空海さんの偉大さを教え
られました。ありがとうございました。                                        合掌




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