土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

本邦氷室濫觴の霊地に鎮座、氷室神社。

2012年08月29日 | 奈良の古寺巡り


(2012.08.25訪問)

下之坊からもと来た県道186号を戻ります。5~6分でしょうか、左に氷室神社社号石標が建っています。
このお社こそ本邦初、氷の神様をお祀りする神社です。

▼氷室神社縁起 (参道口 氷室神社御由緒書)




▼日本の氷室発祥の地石碑。
氷室神社が鎮まる後方室山にその昔、天然氷取り出し貯氷し献氷した茅荻池及びその氷室跡、この氷の祖神、
闘鶏稲置大山主命の墳墓古碑が今も残っているそうです。近辺には往時の氷室跡が結構残り新しく復元され
た氷室が近くの山林で公開しています。




[ 福住 氷室神社 ]
●社号 福住 氷室神社(ふくずみひむろじんじゃ)
●開創 允恭天皇三年(414年?)
●祭神 闘鶏稲置大山主命(つげいなぎおおやまぬしのみこと) 
    大鷦鷯命(おおささぎのみこと) 仁徳天皇です。 
    額田大中彦命(ぬかたおへなかひこのみこと)

▼氷室神社はこの森の中に鎮座。




▼参道口。民家が並ぶ奥に鳥居が見えますね。




▼社号石標。




▼石の鳥居。




▼石彫の鳥居扁額。社号横にルビ風の小文字が彫られていますが読めません。




▼手水舎。ここを直角に右へ。




▼参道。先に勧請縄を張る石柱が見えます。




▼相当広い前庭。




▼ワイドな拝殿。右横は社務所だと思います。




▼拝殿唐破風正面。




▼拝殿、奥が本殿になります。




▼本殿。祭神の三神が鎮座されています。




▼後ろからの本殿。本殿後ろに回り込むのは少々憚れましたが…。




▼煌めく青もみじ。




▼摂社。左、三柱神社。祭神 御霊大神、天照皇大神、八幡大神
    右、二柱神社。祭神 春日大神、白山大神




▼摂社。琴平神社、津島神社。




▼神池の横で、親子か兄弟か全くの他人?か、蛙が二匹ジーッとしてました。




不思議写真
▼その1. 神池の水の色。
大杉の鬱蒼の中で、水の色はボクの目には暗緑色にしか見えませんでしたが、何度撮ってもこの色。



▼その2. 本殿がゴーストだらけ。
これほどバラバラにゴーストが入っている写真も珍しいのでは。
カメラが悪いのか、レンズが悪いのか、はたまた腕が悪いのか、ではなくて腕は悪いです。
ヒョットして本殿玉垣に身を乗り出して撮ったため、御祭神のお怒りなのか。
フクちゃん、教えて!





↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ


下之坊にはビックリ山門が待ってますよ。

2012年08月27日 | 奈良の古寺巡り


(2012.08.25訪問)

久々に西名阪を走りました。福住までですが。
友人のK君から携帯に
「福住の下之坊って云うお寺知ってるか」「いや知らん」「そしたら一回行ってこいよ」
「なんでや」「山門がデカイ杉の木や」「えっ!」
と云うことで福住を目指しています。

[ 下之坊永照寺 ]
●山号 普光山(ふこうざん)
●寺号 下之坊永照寺(しものぼうえいしょうじ)
●宗派 真言宗豊山派
●勅願 聖武天皇(しょうむてんのう)
●開山 良弁僧正(ろうべんそうじょう)
●開創 天平十一年(739年)
●本尊 十一面観音菩薩立像

下之坊永照寺縁起 (下之坊案内板から)
聖武天皇の勅願で良弁僧正の創建と伝わり、中世までは上、中、下之坊、湯屋坊など六坊が甍を並べていた
そうで火災や兵火により下之坊を残して焼失。上、中之坊、などは再興されず下之坊一宇を残すのみである。
本堂と庫裏が修復再興され現在の寺観になっています。現在は無住、地元で管理されているそうです。

▼豪快無比の二本杉が確かに山門と云えなくもない。圧倒されます。K君が云ったことが判ります。
その巨木二本の間に今にも崩れそうな石段が。




▼これが噂の婆羅門杉。どうですこの巨木。
右、幹周7.2m、樹高48m、樹齢800年。 左、幹周5.1m、樹高43m、樹齢800年。




▼本堂。後の改修復があるものの、室町時代創建と伝わるそうです。
本尊 十一面観音菩薩立像。毎年8月28日だけご本尊十一面観音様がご開帳されるそうです。
特徴ある屋根が目立ちます。寄せ棟造、トタン葺 (最近の修復らしいです)。もともとは桟瓦葺と思われます。




▼本堂石段。上るのが憚れるほどでした。




▼庫裏。本堂と同様屋根はトタンが葺かれています。




▼位牌堂。聖武天皇の位牌をお祀りしているそうです。




▼今にも倒れそうなお堂が建ってます。まるで婆羅門杉が護っているようです。




▼これでもかの婆羅門杉。




▼放生池中之島に弁天様のお社。緑の中で唯一朱色です。




▼本堂から見た婆羅門杉。どちらから見てもデカイものはデカイです。




訪ねたのが25日、ご本尊開帳が28日、今週はノーチャンスです。
帰ってからネットチェックで知りました。みなさん、やはり事前チェックお忘れなく。

日曜日にK君に「スゴイ杉やな」「そうやろ」
ところで「御開帳28日って知ってたんか」「イヤ知らん」でオシマイ。

それでは道沿いの氷の神様を祀るお社を訪ねましょう。



↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ


魚山声明の来迎院は閑かでした。

2012年08月24日 | 京都の古寺巡り


(2012.08.19訪問)

三千院石標を山手に折れると来迎院への参道、参道脇の小さい流れ呂川に沿って少し上ると来迎院の山門が
迎えてくれます。大原の里に今も法灯を守っている多くは、叡山天台系の寺院で、天台声明修行の場として
開かれたと聞きます。往時声明修行の人たちで盛況だった大原には四十九もの僧坊が覇を競い、朗々の声が
里に流れていたと云います。三千院の賑わいは別格として、ここ来迎院は三千院から僅か200~300mしか
離れていませんが全く閑か、訪れる人も無く山寺然とした佇まいに拍子抜けしました。この静寂の中で声明
が流れていたらまた違った感慨に浸たれたかも。

その代わりと云っちゃなんですが、
♫ き ょ う と ~ お~ は ら さ ん ぜ ん い ん こ ~ い に つ か れ た ………♫
を口ずさみながら境内参道を本堂へ向かいました。チョット罰当たりでしょうか?

[ 来迎院 ]
●山号 魚山(ぎょざん)
●寺号 来迎院(らいごういん)
●宗派 天台宗
●開基 慈覚大師円仁(えんにん)
●開創 仁寿年間(851~854年)
●中興 聖応大師良忍(りょうにん)
●本尊 三如来坐像(重文) 薬師如来坐像、釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像。

来迎院縁起 (来迎院パンフレットから抄出)
平安仁寿年間 (851~854年) に円仁さんが天台声明の修練道場として開山。その後、天台僧良忍さんは叡山
経学に飽き足らずここ大原に隠棲、天仁二年 (1109年) 来迎院を再興、数ある天台声明を統一、魚山流声明を
集大成し後の天台声明の礎とした。良忍さんは念仏三昧中阿弥陀如来から融通念仏を感得、大阪平野に大念仏
寺を総本山に融通念仏宗を開宗し、六十歳でここ来迎院で示寂。その後の来迎院は声明名僧や理論家を輩出、
声明本山としてその血脈を守り続けている。

▼山門。




▼本堂への参道。




▼鐘楼。




▼本堂。




▼本堂須弥壇。
本尊 三如来坐像(重文)。
中 薬師如来坐像(重文)、木造寄木造、漆箔。藤原時代。
左 釈迦如来坐像(重文)、木造寄木造、漆箔。藤原時代。
右 阿弥陀如来坐像(重文)、木造寄木造、漆箔。藤原時代。




▼本堂須弥壇。
堂内中央に四本柱で内陣を構成し、上段須弥壇に三尊を、下段に脇侍の不動明王と毘沙門天をお祀りしてい
ます。須弥壇上部天井は繰上げ天井で天と側面に絵が描かれています。非常に印象的な荘厳です。




▼元三大師画像。
天台中興の祖、慈恵大師良源さんの画像です。良源さんはおみくじの創案者とも云われていますよ。




▼本堂外縁。




▼本堂外縁は二重で内側が一段高くなっており、外陣を兼ねているのでしょうか。




▼本堂。




▼良忍上人の廟への石標。




▼良忍上人廟参道。進むにつれてやけにゾクゾクしてきました。




▼来迎院の事実上の開山、聖応大師良忍上人の廟。




▼良忍上人廟三重石塔(重文)。




▼特別フロク
良忍さん開宗の融通念仏宗の総本山、大阪平野大念仏寺山門です。



↓ 三年前の大念仏寺訪問記です。
http://blog.goo.ne.jp/mrslim2/d/20100706

酷暑上天気の大原巡りこれにて、オ シ マ イ


↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ


大原三千院、緑の絨毯はそれはそれはきれいです。

2012年08月22日 | 京都の古寺巡り


(2012.08.19訪問)

まだまだ文句なしの上天気です。
静寂の阿弥陀寺から大原メインエリアの三千院へ、僅か十分足らずの間に閑と騒の世界がこれほどハッキリ
存在する仏の世界、隠遁した天台僧たちは今、これを見てどんな感慨を持つのでしょうか。

わらべお地蔵ちゃんが今日もご機嫌よく迎えてくれた三千院は訪れる人もさすが多い。光と影が織りなす有
清園の緑の絨毯は、いかなペルシャよりも上等に見えます。

▼わらべ地蔵。




[ 三千院門跡 ]
●山号 魚山(ぎょざん)
●寺号 三千院門跡(さんぜんいんもんぜき)
●宗派 天台宗
●開基 伝教大師最澄(さいちょう)
●開創 延暦年間(782~806年)
●本尊 薬師如来立像(秘仏) 宸殿に祀られています。

三千院縁起 (三千院HPから抄出)
比叡山延暦寺を開かれた伝教大師が、東塔南谷に草庵を開いたのに始まり、その後幾たびか移転しました。
寺名も円融房、梨本房、円徳院、梨本門跡、梶井宮と変遷、応仁の乱後、梶井宮の政所であった現在の地を
一時仮御殿とされ、明治維新までは御所の東、河原町御車小路梶井町に御殿を構えておりました。元永元年
(1118年) 堀川天皇第二皇子、最雲法親王が梶井宮に入室され正統を継がれて以来、皇族出身者が住持する
宮門跡となりました。
妙法院、青蓮院、曼殊院、毘沙門堂とともに天台宗五箇室門跡のひとつです。


▼ご存知、御殿門前の参道です。




▼ご存知、御殿門。




▼宸殿。
本尊 薬師如来立像(秘仏)。
大正15年(1926年) 宮中行事の御懺法講儀式を行うため御所の紫宸殿を模して建立。




▼宸殿から往生極楽院。




▼有清園。宸殿前から往生極楽院を取り囲む庭園。




▼往生極楽院(重文)。桁行三間、梁行四間、単層入母屋造、柿葺。寛和2年(986)の建立。




▼往生極楽院の本尊。
本尊 阿弥陀三尊像(国宝)。脇侍は向かって右、左脇侍観音菩薩坐像。向かって左、右脇侍勢至菩薩坐像。
中尊阿弥陀如来坐像(国宝) 像高233.0cm、木造檜寄木造、漆箔。久安四年(1148年)。
脇侍観音菩薩坐像(国宝) 像高131.8cm、木造檜寄木造、漆箔。久安四年(1148年)。
脇侍勢至菩薩坐像(国宝) 像高130.9cm、木造檜寄木造、漆箔。久安四年(1148年)。
衆生を彼岸へ誘うため阿弥陀さんと、菩薩お二人の来迎する姿を表している相。菩薩お二人は、まさに立ち
上がろうとする瞬間の姿、上半身やや前屈みのご存知大和坐りで。



三千院名物僧の漫談風説明会は時間の関係か今日は聞くことが出来ませんでした。機会があれば一度聞いて
ください。なかなかのものですよ!


▼往生極楽院。




▼わらべ地蔵。




▼有清園の緑の絨毯。




▼わらべ地蔵。




▼金色不動堂。
本尊 金色不動明王立像(秘仏)。三千院の祈願道場。平成元年(1989年) 建立。




▼観音堂。
周りの環境がすっかり変わっているのには驚きました。お堂の前や周りは何も無かったのですが、今は植栽
され補陀落浄土を再現した石庭が造られています。




▼観音堂本尊。キンピカの観音立像が祀られています。




▼阿弥陀石仏。境内西に端坐、律川の赤い橋が目印ですよ。




▼緑陰。




▼朱雀門。
境内南端にあります。今は飾り門のように思います。藤原期様式門で江戸時代再建。極楽院を本堂としてい
た頃の正門だそうです。



信仰と観光、寺院とはなんだ、仏像とはなんだ、と云うよなヤボなことは考えず、ここまで徹底して観光寺
院化させた三千院はなかなか立派じゃないですか、かえって気持ちがよろしい。

朱雀門の前の道は来迎院への参道。呂川沿いに少々上ると着くそうです。それではまいりましょうか。


↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

大原古知谷の阿弥陀寺は深山幽谷にひっそりと。

2012年08月20日 | 京都の古寺巡り


(2012.08.19訪問)

文句なしの上天気です。
天台の隠れ里、洛北大原を訪ねました。この里も最早どこが隠れ里やと云いたいほど変貌。この日は先ず、
大原から北約3kmの山中にある古知谷阿弥陀寺を訪ねました。深山幽谷がそのまま当てはまる森閑とした山
中に開山上人のミイラ仏が祀られている阿弥陀寺はひっそりと法灯を守っています。大原の喧噪はここには
ありません。

▼山門の青もみじ。ここから参道沿いに約300本の楓が古知谷の秋を彩るそうですヨ。




[ 阿弥陀寺 ]
●山号 光明山(こうみょうさん)
●院号 法国院(ほうこくいん)
●寺号 古知谷阿弥陀寺(こちだにあみだじ)
●宗派 浄土宗
●開山 木食上人弾誓(たんぜい)
●開創 慶長14年(1609年)
●本尊 弾誓仏(弾誓上人自ら彫った像で自身の頭髪を植えた仏像) 

阿弥陀寺縁起
尾張出身の弾誓上人は美濃山中で二十数年の修行後、ここ古知谷に慶長十四年に赴き、最後の修行地とし、
如法念仏道場として一寺を建立。上人は霊木から理想像を刻み、自身の頭髪を植え、本尊として本堂に安置
したのが阿弥陀寺のはじまりと伝えるそうです。

▼山門。竜宮門風の山門です。
この山門から本坊まで参道は約600m、チョットしんどいですよ。内緒ですが実は本坊下にもう一つ駐車場
があります。




▼実相の滝。参道脇に二段の滝、ホッと一息。






▼古知谷かえで(天然記念物指定)。
樹齢七百五十年とも八百年とも云われ、弾誓上人入山時にはすでに植わっていたと伝わる楓の古木。幹を覆
う苔が時代を感じます。




▼最後の参道。この石段を上りきったところが境内です。




▼書院の玄関。




▼本堂。桁行5間、梁行4間、浅瓦葺。瑠璃瓦風の艶のあるきれいな瓦が葺かれています。




▼本堂正面。




▼本堂扁額。法国院と院号が記されています。




▼本堂須弥壇。
中央宮殿風お厨子に祀られているのが本尊弾誓仏です。上人自身の植髪も現在は両耳の近くに少し残ってい
る程度らしいです。前からはよく見えませんでした。




▼本堂から前庭。




▼本堂外縁。床板が相当傷んでいます。




▼本堂外縁欄干で一休み中のトンボ。もう少し前か後ろだったら日陰があるのに。




▼鐘楼。




▼お庭に可愛い五智如来の石仏。




▼この日のお天気。




▼半彫りの地蔵菩薩。




▼境内の青もみじ。




▼弾誓上人開山窟への階段。




▼弾誓上人石廟。
弾誓上人六十三歳のとき、修行中の僧たちに彫らせたこの石窟石龕に今も上人は端坐合掌の相でミイラ佛と
して安置されているそうです。奥行き2m位の窟です。
暗いです。ヒンヤリしています。水滴が滴っています。正直コワイです。




それでは大原のスター寺院へ行きましょう。



↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ