土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

西本願寺、偉大な親鸞さんを探しに……。

2017年08月29日 | 京都の古寺巡り






(2017.08.26訪問)


今日はクルマにするか電車で行くか散々迷ったあげく、京都市内クルマはダメと新大和路号を我が家に温存、京阪電車、近鉄電車を
乗り継いでJR京都駅に着きました。先週は真宗木辺派の本山錦織寺、それではと今日は真宗本願寺派の総本山西本願寺を訪ねること
にしたんです。半端じゃない京都の蒸し暑さ、特に今日は蒸し蒸し酷し、まあここから歩いて十五分ばかり、まさかひっくり返るこ
とはないでしょう。この昼中本願寺境内のあの広~い前庭には人影疎ら、写真を撮ってる人皆無、それではとボクの張り切り虫がで
てきました。それにしても暑い!





▼総門 (重文)。堀川通を挟んだ東側に建ってます。ここから入山する方は余りいないんじゃないかな。







[ 西本願寺 ]
●山号 龍谷山 (りゅうこくさん)
●寺号 本願寺 (ほんがんじ) 通称 西本願寺(にしほんがんじ)
●宗派 浄土真宗(じょうどしんしゅう) 本願寺派本山
●宗祖 親鸞上人(しんらんしょうにん)
●開創 文永九年(1272年)
●本尊 阿弥陀如来立像
▲拝観 境内自由 朱印はありません  
▲京都市下京区堀川通花屋町下ル 電話 075-371-5181
▲http://www.hongwanji.or.jp/
▲JR、近鉄「京都駅」より市バス9番、28番、75番で「西本願寺前」下車
 阪急電車「河原町駅」より市バス207で「島原口」下車
 京阪電車「七条駅」より市バス206番、208番で「七条堀川」下車





▼御影堂門 (重文)。







西本願寺縁起 (西本願寺HPより抄出)
本願寺は、親鸞聖人の廟堂から発展した。親鸞聖人没後、聖人の墓所は簡素なものであったため、大谷の西の地に六角の廟堂を建て、
親鸞聖人の影像を安置し遺骨を移したのが大谷廟堂である。本願寺の名称は、元亨元年ころに公称し、三代覚如上人から四代善如上
人にかけて親鸞聖人の影像の横に阿弥陀仏像を堂内に安置した。これを御影堂と阿弥陀堂の両堂に別置するのは、第七代の存如上人
のときである。その後八代蓮如上人が本願寺の興隆の基礎を築いたが、元和三年には失火により両堂などが焼失。翌年阿弥陀堂を再
建し、寛永十三年、御影堂が再建し書院や飛雲閣、唐門が整備。宝暦十年阿弥陀堂が再建され、ここに現在の本願寺の偉容が整備さ
れたのである。





▼門前の水の流れない掘り割り。堀川通の名の由来なんですよ。







▼御影堂門 (重文)。堀川通に面して建つ三つの門のうち南側の門です。







▼目隠塀。切妻造、本瓦葺の塀。何のための塀かよく判らない塀。







▼御影堂門を入った左側に柵に囲まれた鐘楼 (重文)。元和四年 (1618年) 建立。







▼妻下の彫刻に見惚れました。







▼枝振りが半端なく鬱蒼とし広く幹の太いこと、名の通り大銀杏。樹齢約400年。







▼手水舎の龍の水口。







▼御影堂「ごえいどう」(国宝)。広~い前庭に大きなお堂が二つ並んでいます左側のお堂です。                       
 東西48m、南北62m、高さ29m。入母屋造、本瓦葺、三間向拝付、寛永十三年 (1636年) 再建。
 中央に親鸞聖人の木像、左右に本願寺歴代門主の御影を安置し、重要な行事はこの御堂で行われるそうです。







▼御影堂前面。中央三間は閉じられ、その左右からの入堂です。







▼外縁二間が吹き通し、ここだけでも十分の広さを感じますヨ。







▼御影堂外陣。441畳敷き、柱227本、1,200名の人が参拝できる広さで運動会も出来そうです。







▼外陣から内陣、ワイドな内陣の中央に宗祖親鸞さんが祀られています。







▼内陣欄間に「見真」の扁額。親鸞さんは明治天皇から見真大師号が贈られています。







▼内陣須弥壇とお厨子。







▼須弥壇中央お厨子に親鸞さん木像。







▼内陣右脇の間の軸。







▼内陣左脇の間の軸。







▼御影堂天水受けを必死で支える邪鬼。今苦労すればあとあとキット報われるヨ。







▼御影堂。

                      




▼阿弥陀堂門 (重文)。堀川通に面して建つ三つの門のうち真ん中の門で、御影堂門と比べてキンピカ華麗な門です。







▼阿弥陀堂 (国宝)。本尊阿弥陀如来立像。本願寺の本堂。
 東西42m、南北45m、高さ25m。入母屋造、本瓦葺、三間向拝付、宝暦十年 (1760年) 再建。







▼阿弥陀堂前面。







▼一人の僧が外縁を通って足早に向こうの御影堂に向かわれているようです。







▼阿弥陀堂外陣。285畳敷き、800名の人が一度に参拝できます。







▼阿弥陀堂内陣須弥壇の設え。

 





▼須弥壇中央に本尊阿弥陀如来立像が祀られています。







▼阿弥陀堂。







▼御影堂と阿弥陀堂を結ぶ渡り廊下 (国宝)。







▼経蔵 (重文)。方三間の宝形造、本瓦葺。江戸寛永期、天海僧正開版の「大蔵経(一切経)」が収められているそうです。







▼経蔵正面、扁額には轉輪蔵と書かれています。

       





▼太鼓楼 (重文)。江戸期には太鼓で時刻を告げていたそうですヨ。







▼境内東南角を白壁に囲われた一角、庭園滴翠園です。塀中左僅かに見えるのが飛雲閣 (国宝)。庭園と飛雲閣は通常非公開です。







▼飛雲閣 (国宝)。金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つ。秀吉が建てた聚楽第の一部ともいわれ、三層楼閣建築です。
 (この写真は数年前本願寺訪問時に偶然の機会に撮れた写真です)







▼飛雲閣です。どこから撮ったと思います?
 お隣の興正寺境内からです。本寺では撮れずお隣からは撮れるとはこれいかに。







▼龍虎殿。本願寺の寺務所です。







▼北小路通りに面する大玄関門。この門は通れません。







▼書院大玄関。







▼大玄関から書院の建物。







▼大玄関門の隣の唐門 (国宝)。絢爛豪華な装飾門、緻密で精巧な色彩感性で中国故事を題材に極彩色彫刻が凄いです。
 檜皮葺、唐破風、四脚門、桃山時代。伏見城遺構と伝わるそうです。      













▼唐破風彫刻。見飽きることがありません。







▼扉両面の唐獅子。







▼前柱木鼻の阿形獅子。







▼吽形獅子。







▼扉上には孔雀もいます。今にも飛び出しそうな臨場感が凄い。







▼絢爛豪華に堪能しました。







▼境内から見た唐門。前柵が低いのでこちらの方が全容がよく判りますネ。







▼五線鮮やか南側の築地塀です。ず~と向こうに見えるのは堀川通です。ここ北小路通りを通って本願寺お暇です。







これにて本願寺終了、ご覧いただいた皆様、長々とごくろうさまでした。
 
御影堂と阿弥陀堂が並ぶ景観、前庭が広~くそれはそれは壮観ですヨ。いずれのお堂も内陣の荘厳や内外陣の仕切り欄間の荘厳はこ
れでもかと云う位凄く広いことこの上なし。いずれのお堂も勿論入堂可能です。惜しいのは非公開部署が多いこと、書院や庭園がな
ぜ非公開か判りませんが、親鸞さんの思想や哲学は総てをオープンにしてこそその心髄が行き渡るのでは。真宗の旗艦寺院です太っ
腹で行きましょうよ本願寺さん。





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錦織寺「きんしょくじ」と読みます。

2017年08月23日 | 滋賀の古寺巡り





(2017.08.20訪問)


晴れた湖国近江路は実に爽快、と云っても大半は名神高速一本道。今日は湖南野洲市にある錦織寺を目指しています。浄土真宗木辺
派に属するお寺です。木辺派って初めて聞く宗派、一度訪ねてみようと云うことで新大和路号は、名神を一路東へ。
「錦織寺」最初この寺号どう読むのかな「にしこり寺」「にしごり寺」「にしきおり寺」のどれかだろうと思っていたんですが、実
は「きんしょく寺」が正しいのです。お寺が織物を朝廷に献上した際、時の四条天皇から「天神護法錦織之寺」 の勅額を賜ったのが
きんしょく寺の寺号の由来だそうです。





▼参道と表門。







            [ 錦織寺 ]
            ●山号 遍照山 (へんしょうざん)
            ●院号 天神護法院(てんじんごほういん)
            ●寺号 錦織寺 (きんしょくじ)
            ●宗派 浄土真宗木辺派 (じょうどしんしゅうきべは)
            ●開創 天安二年 (858年)
            ●開基 慈覚大師円仁 (じかくだいしえんにん)
            ●本尊 阿弥陀如来坐像
            ▲滋賀県野洲市木部826 電話 077-589-2648
            ▲拝観料 境内自由 ご朱印300円
            ▲時間 9:00~17:00
            ▲http://www.kinshokuji.or.jp/
            ▲JR東海道本線「野洲駅」からバスで13分 「木部」下車から徒歩1分
             名神高速道路「竜王IC」から車で約20分





            ▼寺号石柱。







錦織寺縁起 (錦織寺HPから抄出)
親鸞聖人が嘉禎元年 (1235年) 関東から京都帰還途中立ち寄り、御仏の法を説いた縁の地です。この地は天安二年 (858年) 叡山三代
座主慈覚大師が御堂を建て、毘沙門天王の像が安置された所です。 寺伝によると、この毘沙門天王のお告げを承けて親鸞聖人がこの
御堂に立ち寄ったところ、地頭石畠氏をはじめ近在の人々の懇願に応じ逗留し念仏の法を説かれ、農民たちに「光明遍照」の経文や
讃文等に節をつけた田植歌で教化されました。それ以来、親鸞聖人の教えの流れを汲む真宗木辺派の本山として今日に至っています。





▼ここは親鸞さんの舊蹟ですの碑。

       





▼表門。一間薬医門、切妻造、本瓦葺、江戸後期建立。お寺の玄関口として、重量感のある堂々の四脚門です。

      





▼表門を入るとスグ中門が控えています。







▼中門を入るとスグ右に手水舎。六本柱、切妻造、桟瓦葺、文久元年 (1861年) 建立。







▼境内左に宗務所。こちらで御朱印を戴きます。







▼講堂。集会所との表示がありますが詳細は不祥。







▼正面参道の向こうに御影堂。







▼御影堂。本尊親鸞聖人御影。桁行七間、梁間五間、入母屋造、三間向拝付、本瓦葺。元禄十四年(1701年) 再建。







▼御影堂内。内外陣は各間に彫刻欄間をはめ込み、すべてを金箔で非常に華麗豪華です。







▼内陣扁額。明治十四年(1881年) 明治天皇は親鸞聖人に「見真」大師号を追贈、勅額を授与。
 この勅額がひたすら豪華絢爛、真宗ブルー地に双龍で「見真」を囲み周辺はオール金箔処理がされています。







▼須弥壇とお厨子。







▼見えるでしょうか、豪華なお厨子内の鸞聖人御影。







▼ビックリなのが欄間の彫刻。中央三間通しで雲間の龍、迫力満点!







▼左右脇欄間も龍で飾られています。               













▼御影堂。







▼御影堂と阿弥陀堂を結ぶ渡り廊下。錦織寺のお堂間は総て渡り廊下で結ばれています。







▼阿弥陀堂。本尊阿弥陀如来座像。桁行七間、梁間五間、入母屋造、三間向拝付、本瓦葺。天保二年 (1831年) 再建。







▼阿弥陀堂正面。







▼内陣扁額。四条天皇勅額「天神護法錦織之寺」錦織寺寺号由来の扁額。







▼須弥壇お厨子にチョット見ずらいですが本尊阿弥陀如来坐像が祀られています。







▼欄間をご覧ください。こちらは天女の機織姿の彫刻です。      







▼阿弥陀堂。







            ▼親鸞聖人銅像。







▼鐘楼。







▼天安堂。堂形としてはかなりの異形、しかし見方によれば非常に魅力的なお堂です。文久元年 (1861年) 再建。







▼天安堂内本尊のお厨子。本尊毘沙門天立像は秘仏。この像は伝教大師最澄が東塔にあった霊木で彫られた霊像と伝わります。







▼屋根トップに宝珠が乗るので宝形造りかと思われますが、込入った形状は変化に富んでます。







▼唐破風向拝のカーブに沿って龍が彫られているんですヨ。







▼鎮守の山王権現社。

 





▼境内伽藍裏手に親鸞聖人廟。







▼廟の周囲を蓮池が巻いてます。







▼蓮花もまだ蕾も沢山ついてます。                  













▼綺麗です。







▼親鸞聖人廟。







▼高廊下、御影堂への渡り廊下です。これからこの廊下の向こう側、東山御殿へ行きます。







▼大玄関。







▼いきなり東山御殿のお庭です。御殿各部屋は今日は入ることが出来ませんでした。   







▼親鸞聖人笈掛松。







▼東山御殿前庭。







▼東山御殿前庭の蹲踞。シンプルイズベストですネ。







▼小書院前庭。                            







▼奥の建物は茶室です。







▼境内景。左から御影堂、阿弥陀堂、天安堂。







▼ご朱印です。







特別フロク
▼明治二十九年の錦織寺境内マップ。驚きです、現状と殆ど変わりません。







浄土真宗には公式十派 (以外に十数派アリ) があるそうですが、東西本願寺とここ錦織寺そして仏光寺、興正寺しか知りません。
いずこも親鸞さんスベテは当然ながら、各寺院はそれぞれ大境内大伽藍を擁し堂内荘厳も格調すこぶる高い。親鸞さん蓮如さん
と続き、途中真宗弾圧の苦境を乗り越えて今がある浄土真宗は、我が国に置ける多数の仏教勢力から頭一つ突き出ているように
思えます。そんな真宗勢力の一派が湖国に根を張り、天台王国と共存する寛容さ、日本仏教のおおらかさを感じた錦織寺訪問で
した。

これにて錦織寺 オ シ マ イ
長々のお付き合いありがとうございました。





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修禅寺、修善寺温泉のど真ん中。

2017年08月19日 | 静岡の古寺巡り






(2017.08.14訪問)


願成就院で運慶さんの手腕にホレボレし、その運慶仏をタンノウして修善寺温泉のホテルに向います。チェックイン後、次に訪ねた
のは修善寺温泉の名刹修禅寺です。弘法大師空海が大同二年開基したと伝わる古刹ですが、鎌倉期の源氏にまつわる血なまぐさ~い、
暗~い話が残る古刹でもあるんです。頼朝の弟の範頼と、頼朝の息子で鎌倉幕府二代将軍の頼家が当寺に幽閉されこの地で殺害、裏
で北条家と北条政子の暗躍で知られているお話、そんなお話が残る修禅寺は温泉地のど真ん中に山門を構えています。

ちなみに正岡子規がこんな歌を詠んでます。
此の里に 悲しきものの 二つあり 範頼の墓と 頼家の墓と





▼参道石段、石段手前の桂川に架かる赤い橋虎渓橋が何とも印象的でした。(赤い橋虎渓橋、あまりに印象強く写真撮り忘れ)







            [ 修禅寺 ]
            ●山号 福地山 (ふくちざん)
            ●寺号 修禅寺 (しゅぜんじ) 正称 修禅萬安禅寺 (しゅぜんばんなんぜんじ)
            ●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
            ●開創 大同二年 (807年)
            ●開基 弘法大師空海 (こうぼうだいしくうかい)
            ●本尊 大日如来坐像
            ▲静岡県伊豆市修善寺964 電話 0558-72-0053
            ▲拝観料 境内自由 ご朱印300円
            ▲時間 8:30~16:30
            ▲http://shuzenji-temple.com/
            ▲新幹線「三島駅」乗り換え伊豆箱根鉄道終点「修善寺駅」下車 バス修善寺温泉行き終点下車徒歩5分
             新東名高速長泉沼津インターから伊豆縦貫道、伊豆中央道、修善寺道路、修善寺インター約30分
             東名高速沼津インターからR1、R136、修善寺道路、修善寺インター約45分





            ▼石段下の石柱。







修禅寺縁起 (修禅寺HPから抄出)
大同二年弘法大師によって開創され、以後四百七十年間真言宗として栄えました。鎌倉時代、中国から蘭渓道隆禅師が入山,臨済宗
に改宗。臨済時代は二百数十年間続きました。室町時代、北条早雲が隆渓繁紹禅師を遠州石雲院から招請、曹洞宗に改宗。江戸期文
久三年伽藍や宝物焼失、明治以降本堂をはじめ伽藍を再建。開創千二百年記念事業で慈照閣の建設や本堂、山門修復で仁王門が完成。





▼仁王門。両袖のガラス格子の中に仁王さんがいます。

       





▼木目鮮やか仁王門の扁額。例により全く読めません。

      





▼阿形仁王さん。像高183cm、一木造り。ガラス格子越の撮影は苦労しますネ。







▼吽形仁王さん。像高183cm、一木造り。怖いことも何ともないですネ。







▼やはり温泉地の古刹は人気が高いようです。







▼手水舎。さすが温泉地の古刹、龍の水口からは温泉が出てるんですヨ。







▼ユニークな石積みの基壇に建つ鐘楼堂。見上げると覆いかぶさるような屋根に圧倒されます。







▼鐘楼で二軒垂木も珍しいのに組み物も多重、しかも中央は格天井です。梵鐘が心無しか弱々しく見えるのはボクだけかナ。







▼本堂です。







▼これは読めます。







▼三陣構えの堂内は意外と広く、オール丸柱が簡素な荘厳の中で重厚さを演出しているようです。







▼内陣です。







▼須弥壇は御簾内を照明されているようで、お像が見えますがハテこのお像は何方?







            ▼本尊大日如来坐像 (重文)。像高103cm、膝幅73cm、玉眼、漆箔、桧寄木造)
             仏師実慶。奈良円成寺の運慶作大日如来とよく似ています。
             HPによると須弥壇に安置と書かれていますが、御簾奥の厨子内に安置されているのでしょう。
             御簾内に見えるお像はお前立ち像なのか、しかしどう見ても仏像には見えないんですがネ。



             (本尊写真は修禅寺HPからお借りしました)





▼本堂屋根正面の千鳥破風と唐破風、絶妙のコンビネーション。







▼大玄関。







▼こんなダルマさんもいます。







▼幹径50cmはあろうか百日紅の古木。花はもうお仕舞ですネ。







▼信徒会館慈照閣。







▼慈照閣の大広間。







▼慈照閣前に十六羅漢石像が並んでいます。







▼ご朱印です。







▼桂川に架かる虎渓橋の横に独鈷の湯。例により空海さんが錫杖でトントンと地面を打つと温泉が湧き出るお話の湯です。




これにて修禅寺 オ シ マ イ

修禅寺もまたごくごく小さいお寺です。今は鎌倉期の悲話哀話など微塵も感じることはありません。
手水舎で清めの手洗いでビックリ、思わず手を引っ込めました。さすが温泉地のど真ん中のお寺、なんと温泉が引かれているんです。

一泊後、下田街道を南下、天城峠と浄蓮の滝を目指す予定でしたが朝から生憎の雨降り止まず。
ホテルマン曰く「この雨では天城峠は止めた方がいいですよ」の言葉でウチの奥さんの顔を見ると大不満そう。
「帰ろか」「……」「帰ろ」「……」そして「シャクやけど」の一言でもと来た道を引き返した今回の伊豆旅行でした。

ボクは満足でしたけどネ。





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願成就院、憧れの運慶仏に会う。

2017年08月17日 | 静岡の古寺巡り





(2017.08.14訪問)


伊豆の修善寺から浄蓮の滝と天城峠を見に行こうとウチの奥さんが云うので、これは幸いと行ってきました。
例により盆休みの三日前くらいにいきなり云うので、修善寺温泉の2~3ホテル候補で最初にかけた電話で一発決定。
「ホテル取れたぜ」「いつ」「14日」「あッそう」それでオシマイ、あとは出発のみ。





▼今夜ここに泊まります。修善寺温泉「鬼の栖」というホテルです。







かねてから、伊豆の願成就院と云う名のお寺を是非訪ねたいと常々思っていたところ、いい具合にこの盆休み実現したんです。
新東名高速を長泉沼津インターで下り、下田街道を南下、修善寺手前伊豆の国市に願成就院があるんです。「ホテル着の前に一軒寄
るとこがある」と奥さんには一言お断りをして運慶作国宝五体に会いに行きました。






▼さすが運慶、この睨みを見たか!

 





[ 願成就院 ]
●山号 天守君山 (てんしゅくんざん)
●寺号 願成就院 (がんじょうじゅいん)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●創建 文治五年 (1189年)
●開基 北條時政 (ほうじょうときまさ)
●本尊 阿彌陀如来坐像
▲静岡県伊豆の国市寺家83-1 電話 055-949-7676
▲拝観料 400円 ご朱印300円
▲時間 9:00~17:00
▲伊豆箱根鉄道「韮山駅」「伊豆長岡駅」徒歩15分。 
 国道136号線沿い三島・修善寺間の中間地点。





▼切り妻、桟瓦葺きの簡素な山門。今日程ドキドキして山門を潜ったのは初めてです。







願成就院縁起 (願成就院HPから抄出)
この地で源氏再興の旗揚げをし鎌倉幕府を開いた源頼朝の奥州藤原氏征討の戦勝を祈願して、幕府初代執権で北條政子の父、北條時
政が建立し「願成就院」と称したことに始まります。幕府の事蹟を伝える歴史書には、三代執権北條泰時の頃までの様子が詳しく記
されています。時政が建立した大御堂と南塔、二代執権北條義時が亡父時政供養として建立した南新御堂、三代執権北條泰時による
北條御堂と北塔の建立など、堂塔伽藍の造営は北條氏三代にわたります。貞応元年「定額寺」とする宣旨が朝廷よりくだされ、この
地に守山を借景として、中之島のある大きな池を配した「浄土様式」の壮大な寺院が北條氏の氏寺として造営されていました。





            ▼寺号木札。

       





▼山門から大御堂が見えます。

      





▼左に石仏が集められています。







▼六地蔵もいます。







            ▼左の細道を行くと開基北條時政の墓。
             北條時政 (1138〜1215年) 平安後期~鎌倉時代の武将。



保延四年生まれ、北条政子の父。鎌倉幕府初代執権。政子と結婚した源頼朝の挙兵をたすけて幕府創設に寄与。文治元年京都で守護
地頭設置の勅許をえる。頼朝の死後二代将軍源頼家を廃して源実朝を擁立し実権をにぎる。さらに後妻の娘婿平賀朝雅を将軍にしよ
うとして失敗、伊豆に退隠した。建保三年一月六日没、七十八歳。





▼鐘楼。境内唯一朱の建物。







            ▼参道左右に建つ大石灯籠。







            ▼境内東端に空海さん修行像。







            ▼十三重石塔。







さていよいよ運慶さん作、五体の国宝仏に会います。

▼大御堂。このお堂に五体の国宝仏が祀られています。
 一歩堂内へ、思わず声を上げてしまいました。こりゃ凄いワ、今思うと、須弥壇前を行ったり来たり何度往復したことか。







▼中央 阿弥陀如来坐像 (国宝)。像高142.0cm、寄木造り、彫眼 。文治二年 (1186年) 造像。
 圧倒的な量感が凄い、安定感と云うか安心感が沸々と湧き出る感じ。残念なことに五体中一番破損度が酷く、特に前方で組む説法
 印の指の破損はお気の毒な感じがします。お顔と体躯の安定感はさすが運慶。



            (阿弥陀如来坐像写真は願成就院HPからお借りしました)





▼最も見たかったのがこの毘沙門天立像 (国宝)。向って右側。像高148.2cm、寄木造り、玉眼 。文治二年 (1186年) 造像。
 この毘沙門さん、毘沙門天像のスタンダードと云ってもいいでしょう。この精悍な顔つきを見て下さい緊張感が漲っています。い
 つも思うんですが、こういった戦士像の甲冑のデザインや全体の造形、細部のディテールデザインにいたるまでやはり運慶さんた
 だ一人の制作なのかナ。



            (毘沙門天写真は願成就院HPからお借りしました)





▼不動明王三尊像(国宝)。寄木造り、玉眼 。文治二年 (1186年) 造像。
 不動明王 像高137.2cm、右、矜羯羅童子 像高74.4cm、左、制吒迦童子 像高83.5cm。
 きかん気の制吒迦童子と少しすっトボケた矜羯羅童子を両脇に不動明王の眼光鋭い念怒の形相は煩悩を断ち切ってくれる大迫力を
 いやが上にも感じます。それにしても二童子の対照的な表情や動きには恐れ入りました。



                  (不動明王三尊像写真は願成就院HPからお借りしました)

五体の像に磁力を感じるように、正面、斜めからと右に行ったり左に行ったり、、とことん拝見とばかりジックリ運慶さんの技に見
惚れました。 ※各お像の像高表示は、願成就院のホームページとパンフレットとで違いがあるため、このブログではホームページ
の数字を採用しています。





▼放生池。













▼本堂です。檀家さんだけにしか入堂は許されないそうで、茅葺きの大きな建物です。寛政元年(1789年)建立。







            ▼本尊阿弥陀如来坐像。像高86.8cm 玉眼、鎌倉前期、作者不詳



            (本尊写真は願成就院HPからお借りしました)





▼本堂。







▼境内です。







▼ご朱印です。これぞご朱印の筆跡、上手い!







願成就院はごくごく小さいお寺です。言っちゃ失礼ですが、こんな小さなお寺に運慶仏が五体も? ホントかいなという思いと期待
ワクワクで山門を潜りました。サラッと境内を巡り、運慶仏を祀る大御堂に一歩入ったインパクトが凄い、いつも写真で見るしかな
く是非会いたかった五体が目の前の須弥壇に並んでいるんです。あのイヤラシいネットとかガラスのガードがなく目の前に祀られて
いるんです。ブラボーな祀り方に敬意を表し、納得の運慶仏拝観の願成就院でした。伊豆まで来た甲斐がありました。

これにて願成就院 オ シ マ イ
次に訪ねるのは修善寺の「修禅寺」です。





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大舟寺、茅葺き鐘楼は二階建てです。

2017年08月10日 | 兵庫の古寺巡り





(2017.08.05訪問)


蓮花寺から東へ一山越えて5キロほど走り波豆川沿いに北へ少し行くと大舟寺があります。ここまで来るとやはり山里、山々に囲ま
れて点在する家々、真夏の太陽に緑のグラデーションが目映い典型的な情景は、ボクなど街中の人間にとって暑いですけどこれ以上
の郷愁感はありません。寺友に是非行ってこいと云われた大舟寺、茅葺き鐘楼楽しみだなァ~





▼参道を覆う大杉。

 





[ 大舟寺 ]
●山号 式盧山 (しきろさん)
●寺号 大舟寺 (だいしゅうじ)
●宗派 黄檗宗 (おうばくしゅう)
●創建 延宝五年 (1677年)
●開山 慧林性機禅師 (えりんしょうき)
●本尊 聖観音菩薩立像
▲兵庫県三田市波豆川605-1 電話 079-569-0196
▲拝観料 境内自由 ご朱印不祥
▲時間 不祥
▲JR福知山線「三田駅」から神姫バス「波豆川」行で「大舟寺前」下車徒歩5分 
 中国自動車道「西宮北IC」からR176を三輪で右折、県道37を北へ途中県道323を波豆川沿いに右折約1km





▼山門前に手の混んだ寺号石碑が建てられています。







大舟寺縁起
敏達天皇の御代(572~585年)日羅上人が大船山頂上に舟寺を築いたのが現在の大舟寺の始まりと伝えられているが詳細は不詳。
その舟寺をいつごろにか麓に移され、延宝五年、子別伝禅師が黄檗山萬福寺三世慧林禅師を開山に勧請して大舟寺を開創。大船山
への参道には南北朝時代の町石が残され、大船山にお寺があったことは事実であろうと考えられている。





▼両袖付きの簡素で上品な山門ですネ。       













            ▼禅刹御用達。

      





▼両サイドに石垣が組まれた趣ある参道石段、参道右に張り出しているのが、







▼榧の木。三田市内で唯一の天然記念物。樹高約20m、幹周り2.5m、根廻り7.6m、樹齢約300年。
 根元から三方向に幹が張り、豪快な榧の木です。







▼白壁塀に迎えられ、参道石段を上りきると境内です。







▼境内右にオーなんとユニークな茅葺きの建物。







▼天明年間建立という鐘楼なんです。瓦葺四本柱の鐘楼のイメージからはほど遠い重層の建物は、茅葺ながらの量感抜群、一見鐘
楼には見えない意外性のある建物です。寺友の言葉に納得。







▼梵鐘は口径72cm、鐘高108cm、重量431kg。一撞きさせていただきました、余韻のナガ~イいい響きです。







▼左手に茅葺きの大きな建物、庫裡です。呼び鈴押せども空し~く響くだけ。







▼念のためこれもたたいてみましたが空し~く響くだけ。







▼百日紅もチョット淋し気。







▼境内です。こじんまりとした境内ですが、植栽が豊かです。          













            ▼鉢の蓮です。明日の朝ですかネ開くのは……。







▼本堂。これまた全景が撮れません。







▼本堂前面。中央三間は格子ガラス戸。







▼瑞光殿と書かれた扁額。







▼中央須弥壇に本尊聖観音菩薩立像がお立ちです。三方には夥しい数の位牌が並べられています。







            ▼本尊聖観音菩薩立像。
             特別豪奢な宝冠をつけられ胸飾も貴石が散りばめられ唐草光背も豪華です。
             腰から下の裳にも、截金を施された模様が散りばめられています。







▼豪華な宝冠に満足そうなお顔ですネ。やや角張ったお顔に伏し目、何かを想う思考のお顔か。







▼後ろ堂には釈迦三尊が祀られているというより置かれています。脇侍は獅子上が文殊菩薩、象上が普賢菩薩。







▼こにて大舟寺オシマイ、本堂から真っ直ぐの山門目指してお暇いたします。







ここ大舟寺を訪ねたのは、寺友から「茅葺きの鐘楼と豪農風茅葺き方丈庫裡が抜群の雰囲気だぜ」の情報を貰ってのことでやって参
りました。各地で茅葺き堂宇は結構見受けますが、茅葺き重層の鐘楼はなかなかユニーク、葺かれた茅は近々葺き替えが必要なほど
傷んでいますが、それはそれで山寺の雰囲気を醸しています。ゴ~ンと一撞き、気分上々でしたヨ。
お寺の方はご不在で残念ながら綺麗な本尊のお話や御朱印は戴くことは出来ませんでした。

これにて三田の二カ寺巡り オ シ マ イ





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