土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

[ 雑感 ] 滝坂の道

2006年10月24日 | 花巡り
柳生但馬守宗矩、十兵衛、荒木又右衛門などそうそうたる剣豪、剣客たちが奈良と柳生を行き来したと云われる旧柳生街道滝坂の道。10月22日、初めてその由緒ある道を円成寺目指して歩いた。曇りのち降るかも知れないという予報の中、なんのなんのベリーグッドな秋日和。我が女房殿には主目的を円成寺の大日如来とは云わず、「美容の友フィトンチッドを思い切り浴びて鬱蒼たる森の中を森林浴さながら石仏をところどころ見ながらナイスな道をハイキングだぞ」。と云いつつ破石町で市内循環バスを降る、サア出発。
内緒だがこの時期に森林浴もないものでしかもフィトンチッドなるものが如何なるものか、あるかないかは責任が持てない。紅葉、黄葉は一体いつ来るのだと聞きたくなるほど、春日原生林は深緑一色、木々が深くてまさに鬱蒼陽が差し込まない。我が名機キャノンイオスも光が無い限り重た~い塊、されど一応シャッターは切っておく、出来上がりは定かではない。
名だたる石畳の道の折々に石仏を見る。刻されたのは鎌倉時代に遡るというが、このような場所で誰がなんのため、誰のために何故。仏師なのか石工なのか或いは僧であるのかは判らないにしても往時の人々の仏に対する強烈な思いや信仰心、パワフルなエネルギーが石を彫るというダイナミックで一心不乱な鑿の一撃が、通りすがりの僕たちにまるで飛び散る石粉と火の粉がこの深閑な森の中でその音と一緒に降りかかってくる思いがする。まだ錦秋というシーズンには早いせいかこの道を歩く人の姿は限られてはいるようだが、歩く人にはこの乾坤一擲の気魄と情熱がビンビンと響いてくるのではないだろうか。然しこれ程石畳の道が歩きにくいとは思わなかった。皆様石畳にもいろいろあることをお忘れなきように。
そうこうするうち創業190年といわれる「峠の茶屋」に到着。見るからに茶屋の風情と思いきや猫がウジャウジャ、小さいのや大きいのや柄もとりどりの団体が迎えてくれた。猫はきつねうどんの甘あげが好きだとみえてまとわりついて離れない。中に一匹変な奴がいて右手でおくれをする、かなり躾の行き届いたうい奴だった。「峠の茶屋」からあと距離にして約半分、円成寺までは誓多林の集落を抜け茶畑などを見ながら舗装された道(所々地道も山中もある)を行くのだが前半と印象が随分違う。休みを入れつつ約3時間にして円成寺に着いた。