土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

金色堂は今も輝いています。奥州藤原四代の栄華、中尊寺を訪ねました。

2011年10月07日 | 岩手の古寺巡り


(2011.10.02訪問)

松尾さんの奥州紀行、奥の細道の一部の追っかけに行ってまいりました。
みちのく古寺巡礼、四寺廻廊巡りということで、中尊寺、瑞巌寺、立石寺を訪ね
ました。毛越寺はパスです。
いずれの古刹も、慈覚大師円仁さんの開基と伝えられ、松尾さんも奥の細道紀行
で名句を残しているお寺、特になにを血迷ったか山寺立石寺を無性に訪ねたくな
り、行ってまいりました。
大震災後の当地を物見遊山で廻ってよいものか当初迷いましたが、内心の合掌と
応援の気持ちで決行しました。

五月雨の 降りのこしてや 光堂
松尾さんは、江戸を発って44日後の5月13日、平泉を訪れています。

[ 中尊寺 ]
●山号 関山(かんざん)
●寺号 中尊寺(ちゅうそんじ)
●宗派 天台宗東北大本山
●開山 慈覚大師円仁
●草創 嘉祥3年(850年)
●中興 藤原清衡
●創建 長治2年(1105年)
●本尊 阿弥陀如来坐像
中尊寺は平成23年(2011年) 6月、平泉の文化遺産として世界文化遺産に登録。

中尊寺縁起(中尊寺HPから)
中尊寺は嘉祥3年(850年)、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁によって開かれまし
た。その後12世紀のはじめに奥州藤原氏初代清衡公によって大規模な堂塔の造営
が行われました。 
清衡公の中尊寺建立の趣旨は、11世紀後半に東北地方で続いた戦乱(前九年・後三
年合戦)で亡くなった生きとし生けるものの霊を敵味方の別なく慰め「みちのく」
といわれ辺境とされた東北地方に、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を建
設するというものでした。それは戦乱で父や妻子を失い、骨肉の争いを余儀なく
された清衡公の非戦の決意でもありました。清衡公は長治2年(1105年)より中尊
寺の造立に着手します。まず東北地方の中心にあたる関山に一基の塔を建て、境
内の中央に釈迦・多宝如来の並座する多宝寺を建立し、続いて百余体の釈迦如来
を安置した釈迦堂を建立します。この伽藍建立は「法華経」の中に説かれる有名
な一場面を具体的に表現したものでした。

▼参道
門前のバスターミナルから参道月見坂を上ります。いきなり結構きつい坂道です
よ。坂道と石段はイヤ!といいつつ黄金に目が眩んでいます。



▼黒門を越えると後はユルやかなだらだら坂。参道両脇の杉の大木が迫ります。



▼急坂を上りきると弁慶堂があります。
やはり義経さんと弁慶さんに関係があるお堂なんでしょうネ。



▼二股杉が仲良く並んでいます。二組というのは初めて見ました。



▼本坊山門。



▼本堂。
本尊 阿弥陀如来坐像。
中尊寺の根本道場。明治42年(1909年)再建。



▼本堂内陣。
本尊を前に若い僧侶が読経中。若いといえどもさすがに僧侶、お経がウマイ!



▼本堂前の大きな蹲。



▼鐘楼。



▼鐘楼越しに杉の叢林。大半の大杉は樹齢350年、伊達藩の植樹によるものらし
いです。



▼薬師堂。



▼大日堂。



▼大日堂内陣。
黄金に輝く本尊大日如来坐像。脇侍の阿弥陀さんともう一体、お名前わかりません。



▼鐘楼。



▼阿弥陀堂。



▼弁財天堂。



▼讃衡倉の仏像。
讃衡蔵(さんこうぞう)という宝物館が金色堂の隣にあるんですが、この中に安置
されている阿弥陀如来を中尊に脇侍に薬師如来を添えた三尊は、丈六坐像で3m
近くあり、結跏趺坐で定印を結ぶ像形は、十分に漆箔が残り安定感抜群、奥州大
寺の主尊と云っていいのでは。聞けば以前は本堂の本尊だったとのことです。

阿弥陀如来坐像(重文) 像高267.9cm 桂材の寄木造り。(中尊寺HPから借用)



▼金色堂石標。
さて、いよいよ中尊寺の華、金色堂の参道です、人の途切れることがありません。



▼金色堂(国宝)。
建立 天治元年(1124年) 藤原清衡
金色堂はさすがに立派、キンキンピカピカです。中央須弥壇上に並ぶ本尊阿弥陀
如来(重文)を中心に脇侍の観音(重文)、勢至菩薩(重文)、六体の地蔵菩薩(重文)、
持国天(重文)、増長天(重文)が並ぶ凄いステージです。それぞれのお像は決して大
きくはありませんがインパクトは大です。残念ながら各お像の印象はノーコメント、
ジックリ拝する時間がありません。
中央ステージの左右にも須弥壇が設えられ、同数の仏像を祀っています。壮観で
す。堂内の柱には、螺鈿、蒔絵を始めとする精巧な細工の凄い荘厳はまさに極楽
浄土とはこれだとばかりの主張をしています。それぞれの須弥壇下には藤原四代
の遺体が納められているそうです。



▼これが金色堂ですヨ。(中尊寺HPから借用)
今まで写真知識しかなかったものが本物を前にすると、その説得力の強さに脱帽
です。屋根が木製瓦ということも初めて知りました。
覆堂の中は、この寒いのにサウナ状態!身動きなりません。説明アナウンスが終
わるとトコロテン式に堂外へ。



▼経蔵(重文)。
中尊寺一切経(国宝)を納めていた堂宇。



▼旧覆堂(重文)。
金色堂の解体修理工事が始まるまでの約500年間、金色堂を守ってきたお堂。



▼旧覆堂内部。
化粧天井でお堂中央に卒塔婆。



▼釈迦堂。



▼塔頭大長寿院山門。
山内に本坊のほか、17の塔頭がありその一つ。
創建 藤原清衡 嘉承2年(1107年)



▼塔頭大長寿院本堂。



▼塔頭大長寿院山門側壁に積まれている小石。



▼境内の叢林。



中尊寺さん、写真2点HPから無断借用しました。お許しください。

さすが奥州の大寺、堂塔伽藍、塔頭の数は相当なもの。当然廻り切れません。
またの機会と云うことで藤原四代夢の跡を辞し、松島瑞巌寺からワクワクの山寺
立石寺へ向かいます。