土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

南宗寺、茶禅一味の実践道場。

2019年10月25日 | 大阪の古寺巡り





(2019.10.13 訪問)


本願寺堺別院から大和路号は、26号線を南へわずかの距離に次の訪問先はあります。侘び茶の精神を大成させた武野紹鴎や一休さん、
千利休などのビッグネームが、境内を彩る茶禅の古刹、南宗寺に向かいます。




[ 南宗寺 ]
●山号 龍興山 (りゅうこうさん)
●寺号 南宗寺 (なんしゅうじ)
●宗派 臨済宗大徳寺派
●開基 三好長慶 (みよしながよし)
●開山 古嶽宗旦 (こがくそうたん)
●創建 大永六年 (1526年)
●本尊 釈迦三尊
▲大阪府堺市堺区南旅篭町東3丁1-2 TEL 072-232-1654
▲拝観料 400円 9:00~16:00
▲阪堺電軌阪堺線「御陵前駅」から徒歩で5分




▼甘露門 (重文)。山門、三間一戸、入母屋造、本瓦葺。上層は勾欄付、現在は通行不能。正保四年 (1647年) 建立。






南宗寺縁起
弘治3年(1557年)三好長慶が父元長の菩提を弔うために、大林宗套(だいりんそうとう)を迎え開山とした臨済宗大徳寺派の寺院です。
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣による焼失後、寺地を現在の場所に移し、沢庵宗彭(たくあんそうほう)らにより再建が行われました。




▼甘露門(重文)と書かれた山門扁額。清厳宗渭筆。






            ▼門前に建つ南宗禅寺と刻された石標。

 




▼総門。






▼利休の師匠武野紹鴎供養塔。






▼三好長慶像。






            ▼武野紹鴎縁の六地蔵燈籠。
             相当酷い姿、台座は別物で火袋は姿止めず、傘反りは欠けまくりでガタガタ。
             しかし竿と中台はドッシリしており当初は見栄えのする姿だったのでは。






            ▼千利休が愛したと伝わる袈裟形手水鉢。

     




▼実相庵。利休好みの茶室。昭和三十五年 (1960年) 再建。






▼方丈(本堂)。昭和三十五年 (1960年) 再建。






▼方丈前には枯山水庭園が広がります。古田織部の作庭と伝わるそうです。        
















▼大雄宝殿(重文)。仏殿、重層に見えますが一層目は裳階です。桁行三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、承応元年 (1652年) 建立。
 本尊釈迦三尊。今はご本尊釈迦如来お一人です。脇侍の文殊菩薩と普賢菩薩は盗難に遭い現在行方不明とのことです。
 堂内床は瓦タイル、広々とした堂内に高い須弥壇があり中央にご本尊が祀られています。






▼大雄宝殿天井画。高い天井には「八方睨みの龍」が描かれています。狩野信政筆。






▼大雄宝殿軒の扇垂木。






▼そよぐ芒。






▼鐘楼。明治元年再建。






▼狛犬がお守りしているお社。御神体不明ながらご挨拶かたがた南宗寺これにて オ シ マ イ






▼御朱印です。





茶禅一味を精神的基盤とする茶の湯が紹鴎や利休によって完成され、その精神性は禅宗と結ぶことにより確立されたと云います。南
宗寺はその精神を今に受け継ぐ古刹として、商都堺でその法燈を受け継いでいますが、ボクなどその精神のカケラも持ち合わせてな
いものにとっての南宗寺は、堺で一番大きなお寺だとその程度の認識、はなはだお恥ずかしい限りの南宗寺でした。 

本願寺堺別院、親鸞さん、蓮如さん両巨頭対峙す。

2019年10月17日 | 大阪の古寺巡り





(19.10.13訪問)


大和路号、今日は堺の街に向かっています。我が家から阪神高速一本、終点堺で下りるとはや市内、ものの30分です。目指すは本願
寺堺別院。本願寺堺別院は堺市内最大の木造建築物と云われている本堂を擁する浄土真宗のお寺で、親鸞聖人と蓮如聖人、真宗の両
巨頭が境内で対峙する名刹です。おっと、もう山門前に着きました。はや!





            ▼門前に建つ蓮如上人旧跡の碑。







            [ 本願寺堺別院 ]
            ●寺号 本願寺堺別院 (ほんがんじさかいべついん) 愛称北の御坊
            ●宗派 浄土真宗本願寺派 (じょうどしんしゅうほんがんじは)
            ●開基 道祐 (どうゆう)
            ●創建 文明八年 (1476年)
            ●本尊 阿弥陀如来  
            ▲大阪府堺市堺区神明町東3丁1-10 TEL:072-232-4417
            ▲http://www.sakaibetsuin.or.jp/
            ▲拝観料 境内自由
            ▲神明町駅出口2出口から徒歩約4分
             妙国寺前駅出口2出口から徒歩約5分
             綾ノ町駅出口2出口から徒歩約8分





▼山門。左右に五線を配した築地米。桁行一間、四脚門、切妻造、本瓦葺。宝暦二年(1752年) 建造。







本願寺堺別院縁起
西本願寺堺別院は、足利義氏の四男道祐が本願寺三世覚如に帰依して建立したのが始まりとされている。文明8年(1476年) 五世樫木
屋道顕が本願寺八世蓬如を招き「信証院」を建てた。寛文三年 (1663年) には、十三世乗珍が寺地を西本願寺に寄進、以来堺別院と
なった。現在の本堂は、文政八年 (1825年) に再建されたもので、堺市に現存する最大の木造建築とされる。廃藩置県に伴って明治
四年から10年間(1871~1881年)は、本堂と境内の土地が堺県庁として貸与され、堺別院は宿院町に移転した。





            ▼山門に掛かる堺別院の木札。







▼経蔵。桁行三間、梁間三間、宝形造、本瓦葺。江戸後期。相当頑丈に建物をガードしています。







▼手水舎と鐘楼。桁行二間、梁間一間の長方形手水舎。江戸後期。







▼前面に両巨頭が立つ本堂。桁行九間、梁間十一間、入母屋造、本瓦葺、三間向拝付。堺市内最大の木造建築物。







▼本堂前面。十段階段が付く三間向拝。







▼一間吹き通しの本堂外縁。







▼信證殿と書かれた本堂内陣扁額。







▼豪華な内陣仏間。中央須弥壇に本尊阿弥陀さんが祀られています。







            ▼本尊阿弥陀如来立像。







▼内陣左右の黄金の襖。ポルトガル宣教師達が描かれています。







▼蓮如堂拝殿。本堂右側に蓮如上人廟の拝殿。
 桁行三間、梁間二間、切妻造、本瓦葺。正面中央一間には軒唐破風が付けられています。江戸後期。













▼蓮如上人廟。方一間、方形造、銅板葺、二重基壇に建てられています。
 安永七年 (1778年) に大谷本廟を模して建立された蓮如堂の後身。江戸後期再建。







▼境内の大楠。







            ▼親鸞聖人と、







            ▼蓮如上人が向き合ってお立ちです。







▼蓮如上人のお顔。







▼信證堂。お堂の正体は不明です。







▼信證堂扁額。







▼信證堂内部はシンプルな作り、中央奥に須弥壇、遠目にも須弥壇壁面の黄金光の中に一体の立像がお立ちです。







▼さてこのお像は……、







            ▼阿弥陀さんかなお釈迦さんかな、さて?







▼お顔のアップ、ふくよかないいお顔です。阿弥陀さんでしょうネ。







▼どこの城門かと思うくらい立派な御成門ですネ。
 桁行六間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺。長屋門形式の立派な門で、両脇は築地塀、江戸後期。
 御成門からお暇と思ったんですが、残念ながら通行不可でした。





本願寺堺別院これにてオシマイ。今日の拝観、何を狼狽えたのか撮影漏れ多数。これは、もう一度拝観せねばと思いつつ次のお寺へ
向かいました。


常光寺、エーンさーてはァ~のお寺です。

2019年10月11日 | 大阪の古寺巡り





(19.10.05訪問)


堺の街から一路北へ、河内の中心八尾市へ向かいます。
エーンさーてはーいちーざーー アーノーみーなアーさーまへ ~~~
大阪中河内のあの名高い河内音頭発祥のお寺云われる八尾市の「常光寺」を訪ねてみることにしました。常光寺で伝えられている
「流し節正調河内音頭」は今の河内音頭の原型と言われ、毎年8月、保存会メンバーが歌い継ぐ河内音頭は、人々で埋め尽くされた
常光寺境内で高く響き渡るそうです。





▼河内音頭で歌いまくり踊りまくる盆踊り。( この写真はネットからもらってきました)







[ 常光寺 ]
●山号 初日山 (はつひざん)
●寺号 常光寺 (じょうこうじ)
●宗派 臨済宗南禅寺派 (りんざいしゅうなんぜんじは)
●勅願 聖武天皇 (しょうむてんのう)
●開山 伝行基 (ぎょうき)
●創建 伝奈良時代
●本尊 地蔵菩薩 日本三大地蔵のひとつ 
▲大阪府八尾市本町5-8-1 Tel. 072-922-7749
▲http://jyokouji.com/
▲拝観料 境内自由 ご朱印300円
▲近鉄大阪線「近鉄八尾駅」から徒歩7分





▼重層仁王門。三間一戸、入母屋造、本瓦葺、上層は勾欄付。初層左右に金剛力士を安置しています。







常光寺縁起
開創は古く奈良時代の初め、聖武天皇の勅願で行基菩薩が創建したと伝えられています。平安時代中期の寛治二年 (1088年)白河
法皇が本尊地蔵菩薩の霊験あらたであることを聞き、高野山に参詣のおりに当寺に参詣されたとのことです。その頃は新堂寺と称
されていましたが、室町時代の初め康応元年(1389年)足利義満が当寺の住職通玄和尚に「常光寺」「初日山」の扁額を奉納され
た時から初日山常光寺と呼ぶようになりました。





▼仁王門三間一戸の先に見えるのは本堂。







▼仁王門扁額には寺号が書かれています。







            ▼阿形金剛力士と、







            ▼吽形金剛力士が左右で睨みを効かせています。( この2点の写真はネットからもらってきました)







            ▼境内片隅に河内音頭発祥地の石碑が。







▼境内。この広場で河内音頭踊りまくるそうですよ。







▼鐘楼。







▼本堂。本尊地蔵菩薩。桁行三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、正面唐破風付向拝。







▼本堂正面。







▼やや側面からの本堂。







▼本堂基壇前に建つ八尾地蔵尊の石碑と常光寺のガイド。







▼境内で一際目立つ大樟。







▼本堂左翼の阿弥陀堂。方三間方形造、本瓦葺。戸口の格子戸と脇の火灯窓がこの上ないコンビネーション。







            ▼小窓から覗くと黄金の阿弥陀さんがお坐りです。







▼本堂右翼のお堂は正体不明。







            ▼五輪塔。







▼地蔵堂。小さなお堂です。







▼水子地蔵尊と書かれた地蔵堂扁額。







▼納骨堂観音殿。最近建てられたようです。







▼内部はシンプルな白木の須弥壇に一体の観音像が祀られています。







            ▼本尊観音立像。







            ▼宝篋印塔。







▼閻魔堂。方三間寄棟造、本瓦葺。







▼閻魔堂本尊閻魔さんのこの睨みにビビりながら常光寺 オ シ マ イ。







▼御朱印です。






さすがにこの時期、お寺BGM河内音頭は流れていませんが、お盆の時期の境内は歌いまくり踊りまくる人々でそれはそれは賑やか
な境内になるそうですよ。


高倉寺、泉北ニュータウンのど真ん中。

2019年10月08日 | 大阪の古寺巡り





(19.10.05訪問)


大大阪泉北ニュータウンのど真ん中、山内は狭地ながらも幽境と見紛う寺景を程し、樹々越しに高層住宅のテッペンがチラチラ望め
る空間にこれから訪ねる大修恵山高倉寺はあります。参道近くに車を止める失礼をお許し願い、さっそく参道石段を上ると目前に前
面格子戸の堂景優雅なお堂が迫ります。初っ端から気分高揚、期待感満々で入山しました。けれども……、





▼寺号石柱。一等格院の刻字が目立ちます。(一等格院とは本山の直末寺のこと)







[ 高倉寺 ]
●山号 大修恵山 (だいすえざん)
●寺号 高倉寺 (たかくらじ)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう) 一等格院
●勅願 文武天皇 (もんむてんのう)
●開山 行基 (ぎょうき)
●創建 慶雲二年 (705年) 
●本尊 薬師如来 
▲大阪府堺市南区高倉台2丁9-15 Tel. 072-291-0174
▲拝観料 境内自由 ご朱印300円
▲時間 9:30~17:00
▲泉北高速鉄道「泉ケ丘駅」から徒歩約15分





▼参道石段。







高倉寺縁起
高倉寺は行基建立の四十九院のひとつで、開創は文武天皇の勅命により705年行基菩薩が創建。自作の薬師尊像を安置したことに始
まる。730年聖武天皇勅願で七堂伽藍を造営、四十九子院があり以後歴代天皇の勅願寺とる。810年弘法大師が来駕、密教灌頂の道
場を構え、大日如来を刻し宝塔を建立安置した。以後真言宗寺院になる。その後、高倉天皇来駕の折、朱印地と「大修恵山高倉寺」
の山号寺号を賜わる。信長焼き討ちなどで山内消滅。当山中興の祖真海僧上が復興、僧快盛が1591年金堂再建、以後紆余曲折の後江
戸期に現在の形が整えられた。





▼石段の先に見えますのは……、







▼宝起菩薩堂です。前面格子戸の堂景優雅なお堂です。宝起菩薩、不動明王、役行者が祀られているはずですが。







▼宝起菩薩堂。桁行五間、梁間三間、一重入母屋造、本瓦葺、千鳥破風の一間向拝付、 明治十五年 (1882年) 再建。







▼堂内正面。中央に三間の須弥壇、中壇に法起曼荼羅図、脇壇右に不動明王、左に役行者が祀られています。







▼やや角度を変えて宝起菩薩堂。







▼金堂。本尊薬師如来。外縁周囲は高欄付縁。
 桁行五間、梁間三間、一重切妻造、本瓦葺、一間向拝付、四方錣庇、天正十五年 (1587年) 再建。







▼小ぢんまりとした須弥壇ですが、主役がいません。







▼金堂。堂姿の優れたお堂だと思います。







▼鐘楼。元文三年 (1738年) 再建。







▼弁天堂。弁財天と歓喜天が安置されてます。小さ~いお社ですが施錠ガッチリ。明和三年 (1766年) 再建。







▼御影堂。弘法大師、行基菩薩を安置。
 桁行三間、梁間三間、一重宝形造、本瓦葺、一間向拝付、正保二年(1646年)再建。







▼御影堂正面三間は蔀戸。







▼内部は超豪華なお厨子が置かれています。お厨子の中はどなたでしょうか。勿論お大師さんでしょうけど。







▼大日堂。本尊大日如来。三間四方の宝形造、本瓦葺。昭和十一年再建。







▼朽ちかけた宝篋印塔が並ぶ歴代住職のお墓。







高倉寺唯一の塔頭、寶積院を訪ねます。

▼寶積院山門。







▼山号大修恵山と書かれた立派な扁額が掛けられています。







▼寶積院庫裏。







▼庫裏のお庭です。例によりやはり蘇鉄が主役です。







▼庫裏玄関でお茶の接待をいただきました。恐恐縮縮でした。







            ▼庫裏庭園の十三重石塔。







▼寶積院金堂。入堂は出来ません。







▼金堂前の庭園。







            ▼高倉寺これにて オ シ マ イ。







▼御朱印です。




境内各お堂の本尊や脇侍仏にはお目にかかることは出来ません。過剰な期待はそれが外れた時のショックは甚だ大きく、一切の仏
像にお会いすることがなく拝観を終えた珍しいお寺でありました。

正圓寺、街中寺は小山のテッペンに在ります。

2019年10月03日 | 大阪の古寺巡り





(2019.09.30訪問)


「天下茶屋の聖天さん」が阿倍野天下茶屋に在ることを知り、ハルカスへお使いの帰りに訪ねてみました。
阪堺電車「松虫」で降り西へ500mほど、結構な小山が街中に在ります。そのテッペンに正園寺が境内を広げているのです。大大阪
の街中にこんな古刹があるとは、大大阪にはボクなどまだまだ知らない名刹があるもんじゃワイと妙に感心しつつ聖天さんを訪ねる
ことにしました。





▼お寺ですが鳥居が入山口です。歓喜天が本尊のお寺には鳥居が多いようです。







            [ 正園寺 ]
            ●山号 海照山(かいしょうざん)
            ●寺号 正園寺(しょうえんじ)
            ●宗派 東寺真言宗 (とうじしんごんしゅう)
            ●開祖 光道和尚 (こうどうおしょう)
            ●開創 天慶2年 (939年)
            ●本尊 大聖歓喜双身天王
            ▲大阪市阿倍野区松虫通3丁目2-32 06-6651-2727
            ▲拝観料 境内自由
            ▲拝観時間 6:30~17:00
            ▲阪堺線北天下茶屋駅から東に徒歩3分
             南海本線天下茶屋駅から東に徒歩6分





            ▼寺号石標。聖天山と刻されてますが、山号ではなく海抜14mの山の名前です。
             山頂に正圓寺が立地。







正園寺縁起
大阪府大阪市阿倍野区にある仏教寺院。通称「天下茶屋の聖天さん」。天慶2年(939年)光道和尚により開基。当時は、現在地よ
り東に500mのところにあった般若山阿部寺の一坊でしたが、江戸元禄時代に義道見明和尚が寺を移転し海照山正圓寺と改めました。
本尊は木彫の大聖歓喜双身天王で、これは日本最大だそうです。





▼鳥居をくぐると参道石段。                    













▼境内への山門が見えてきました。                 







▼山門。左右に浮き彫り仏が二体ずつ並んでいます。

         











▼海照山と墨書された山門扁額。







            ▼一願不動明王。う~んさすが睨みが鋭い! 享和三年(1803年)造立。







▼正園寺縁起が細かく記されています。







▼手水舎。上にネットが張られているので、どうも用をなさない水盆のようです。







▼鐘楼。







▼歓喜天扁額付きの石の鳥居が境内への入り口。







            ▼立派な石灯籠も左右に控えています。







▼鳥居があるので狛犬も付きものか。阿形狛犬。







▼吽形狛犬。







▼和合殿。お釈迦さんを主尊とし十六善神をお祀りしています。







▼「釈迦如来」と書かれた扁額。







▼和合殿前のマニ車。







▼左が本堂。本尊大聖歓喜双身天王(秘仏)。







▼「大聖歓喜天」と書かれた扁額。







▼堂内内外陣は格子戸で仕切られています。内陣は見ることができません。







▼扁額は「難羅窟」でしょうか。







▼地蔵堂。北向延命地蔵が祀られています。







▼地蔵堂扁額。どうみても読めませんでした。







▼堂内奥須弥壇横一列にお地蔵さんが整列。







            ▼センター地蔵はお坐りです。







▼大師堂。







▼弘法大師と書かれた扁額。







▼お大師さんがヒッソリとお坐り、前の光り物なんでしょうネ。







▼取ってつけたような護摩堂。内部は一切伺うことはできません。







            ▼この位置が聖天山の海抜14mの山頂らしいです。聖天山は大阪五低山の一つで
             その五低山とは1.天保山(てんぽうざん)2.御勝山(おかちやま)3.荼臼山(ちゃうすやま)
             4.帝塚山(てづかやま)5.聖天山(しょうてんやま) だそうです。







            ▼意味はさっぱり判りませんがこんな石柱も建っています。







            ▼ぼけ封じ地蔵さんや、







            ▼法界地蔵さんの前掛け、よく似合ってますネ。
             お地蔵さんは子供という説もあるようですヨ。







▼最後に庫裏ですが今日はお留守のようで御朱印はなしです。







▼もう一方の参道石段を下って正園寺 オ シ マ イ




街中寺はもう少し人の気配がしてもよさそうなんですが、ボクが訪ねた時は全くの無人、付近を歩く人の姿も見受けません。お寺の
方も居られず由緒縁起やガイドも手に入らず無い無い尽くしで正園寺参拝おしまいです。