土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

揚谷寺、霊水独鈷水(おこうずい)二杯いただきました。

2014年09月30日 | 京都の古寺巡り



(2014.09.27訪問)


またまた西山三山を訪ねました。残る三山の一つ西山揚谷寺です。柳谷観音として眼病平癒の霊験新たかな
十一面観音をお祀りし、信仰を集めているお寺なんです。私儀でなんですが、最近いよいよ右目が壊れかか
り、来月修理する事になりました。四~五年放ったらかしの報いが来たようで、こりゃいかん、修理の前に
神頼み、じゃなかった観音さんにオスガリしようとやってきた次第であります。本尊十一面観音さん、眼力
稲荷さん、空海さんおすすめの独鈷水(おこうずい)をいただき、最後に空海さんに直接お願いと今日はお
願いしまくった一日でありました。             


▼本堂。




[ 揚谷寺 ]
●山号 立願山(りゅうがんざん)
●寺号 揚谷寺 (ようこくじ) 愛称 柳谷観音
●開基 延鎮僧都 (えんちんそうず)
●開創 大同元年(806年)
●宗派 西山浄土宗
●本尊 十一面千手千眼観世音菩薩立像
▲拝観料 無料 朱印300円 駐車料無料
▲拝観時間 7:00~17:00
▲新西国三十三カ所観音霊場第十七番札所
▲京都府長岡京市浄土谷 Tel.075-956-0017
▲http://www.yanagidani.jp
▲阪急「長岡天神駅」 徒歩約90分    
 阪急「長岡天神駅」からタクシー 約20分
 阪急「西山天王山」 徒歩約60分   
 長岡京ICよりクルマで約10分


▼参道。





揚谷寺縁起 (揚谷寺HPより抄出)
大同元年(806年)京都清水寺開創の延鎮僧都によって開山されました。僧都はある夜、夢の中に観音菩薩
が現れ、「京都西山に行けば生身の観音菩薩を仰ぐことができる」とのお告げを受け、直ちに西山に踏み入
ると、柳の生い茂る渓谷の巌上に生身の十一面千手千眼観世音菩薩が顕現されました。 僧都はそのお姿を刻
まれ、その場所に堂宇を立て安置し、日夜給仕をされていましたが、清水寺のご本尊をお守りする大切な任
務があるため帰洛されました。延鎮僧都が下山された後、延暦二十年(811年)弘法大師空海が度々当山に
参詣されておりました。今に残る独鈷水を発覚された大師を当山では、第二世と仰いでいます。


▼きれいな境内マップが山門石段下に。





▼山門。一間四脚、切妻造、本瓦葺。





▼山門扁額。





▼山門左右に風神雷神が。





         ▼山門を潜るとお地蔵さんが迎えてくれます。





▼切妻造、本瓦葺の豪華な手水舎。





▼鐘楼。一撞き50円。





▼本堂。桁行七間、梁間七間、入母屋造、本瓦葺、三間向拝付。江戸前期の建立。
 他寺に例のない土足のまま入堂出来るのが嬉しいですね。





▼本堂正面です。大提灯も患ってるようです。





▼本堂内陣。本尊 十一面千手千眼観音菩薩立(秘仏)毎月17日、18日に開帳されます。
 正面お厨子内のご本尊こそ、古来より眼病に霊験新たかな十一面千手千眼観世音菩薩です。





▼阿弥陀堂。妻側に入口がある梁間四間、入母屋造、桟瓦葺。





▼阿弥陀堂正面です。





▼阿弥陀堂須弥壇。堂内は畳敷き、須弥壇上お厨子に本尊阿弥陀さんが祀られています。
 今日はお姿なしでした。





▼護摩堂と経蔵が前後に並んでます。





▼地蔵堂。





▼親子地蔵さんです。





▼中陽門。本堂裏手に回る入口、奥之院へ続く門です。





▼弁天堂。





▼なぜか茶々さんがお前立ちで祀られています。





▼眼力稲荷。鎮守社、伏見稲荷から勧請。先見の明(心眼・しんがん・こころの眼)を授けてくださるとご
 利益があるそうです。ボクの患い聞き届けてくださるのでしょうか。




ここから参道は奥之院へと上ってゆきます。
         ▼石塔を過ぎて、





▼奥之院のお堂に到着。宝形造、本瓦葺。





▼四方柱の須弥壇は中央にお厨子に本尊観音菩薩(秘仏) が祀られています。
 中御門天皇両親が崩御の追善菩提のために刻されたのが奥之院観音菩薩像です。





▼須弥壇お厨子を横から見ると。





▼脇壇には二十八部衆がズラリ。あまりのきれいさで、フィギャーと間違えました。





▼お堂前の放生池。





▼お堂の裏手に愛染堂と、





▼奥之院の鎮守社、眼力稲荷が並んでいます。ご利益は本堂裏の眼力さんと同じらしいです。





▼奥之院からの眺望、遠く見えるのは比叡山。これで奥之院オシマイ。





▼奥之院からはあじさい廻廊で書院、本堂まで戻ります。廻廊の左右と奥の院参道に四千五百株の紫陽花が
 植わっているそうで六月紫陽花まつりの頃は大人気だそうです。





▼書院に下りてきました。





▼書院からお庭、池泉回遊式庭園、浄土苑です。





▼浄土苑。





▼かなりの巨石が配されています。菩薩に見立てられてるそうです。





▼お庭の隅に心琴窟。水琴窟のことですが耳を澄ませど聞こえませんでした。耳よおまえもか、イヤだな。





▼お庭から書院を見てるつもり。





▼書院の普門殿、仏間です。





         ▼ご本尊阿弥陀さん。





▼書院玄関です。




独鈷水 (おこうずい) をいただきに独鈷水堂へまいりましょう。
▼正面に空海さんが立っておられます。





▼前にお砂踏みがあり、空海さんの足跡を踏みます、この下に四国八十八霊場のお砂が敷いてあるそうです。
 短いですけどボクの足です。





▼独鈷水堂です。左側の井戸から汲んだ独鈷水(おこうずい)を二杯いただきました。よく冷えています。



独鈷水由緒 (揚谷寺HPより抄出)
延鎮僧都が下山された後、延暦二十年(811年)弘法大師が度々当山に参拝されていました。ある時、堂の
傍らにある巌窟の溜まり水で眼のつぶれた小猿を抱き、一心不乱に眼を洗っている親猿の姿を見かけられ、
空海は小猿のために17日間のご祈祷を行いました。すると満願の日に小猿の目がパッチリと開き、喜んで山
へと帰っていったそうです。空海はこの不思議な湧き水を眼病に悩む人々のために霊験あらたかなる霊水に
しようと決意され、さらに17日間の祈祷を施し、独鈷で持って深く掘り広げ、眼病平癒の霊水に成就され
たと伝えられています。この霊水が今も湧き出す独鈷水(おこうずい)です。    



▼いただいたお札です。





▼天気上々、気分爽快、目は不快!





▼御朱印です。




なんとも気持ちのイイお寺です。僧侶方の親切な事、きっと効能あらたか……しかし、
霊験新たかなご本尊十一面さんにはお会い出来ず、眼力さんのご利益は思いと違うし、あとはお大師さんに
お願いするしかないのかな、しかし各所でお願いだけは人一倍しまくった一日でありました。               
                                      拝 南無大師遍昭金剛

今回も長々とおつきあい、ありがとうございました。  目、疲れませんでした? 気をつけて下さいネ! 






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善峯寺は、西国三十三観音霊場第貳拾番札所です。

2014年09月24日 | 京都の古寺巡り



(2014.09.21訪問)


西山古道で結ばれている西山三山の名刹善峯寺を訪ねました。八月初めに訪ねた光明寺以来の三山のうちの
一つです。ケッタイな夏が過ぎ、秋気足早に来つつあるこの時期は、赤が織りなすシーズン前の紅葉雌伏期
か、あの暑いさなかの緑の競演がウソのように山中の樹々は、発散していたグリーンエネルギーが朽ちつつ、
徐々に黄葉に染まりつつあります。善峯寺は西山山中に伽藍を構えています。相当な山中にもかかわらず参
拝者の多さはさすが観音霊場札所、白い巡礼姿の方々が目立ちました。


▼山門。三間一戸、二層楼門、正徳六年 (1716年)建立。




[ 善峯寺 ]
●山号 西山(せいざん)
●寺号 善峯寺 (よしみねでら)
●開基 源算上人 (げんさんしょうにん)
●開創 長元二年 (1029年)
●宗派 天台宗単立
●本尊 千手観世音菩薩立像 (秘仏)
▲拝観料 500円 朱印300円 駐車料500円
▲拝観時間 8:00~16:45
▲西国三十三カ所観音霊場第二十番札所
▲京都市西京区大原野小塩町1372 Tel.075-331-0020
▲http://www.yoshiminedera.com/
▲阪急京都線「東向日」から阪急バス66番 善峯寺行終点「善峯寺」下車 徒歩8分
 

▼山門扁額。




善峯寺縁起 (善峯寺HPより抄出)
善峯寺は平安中期の長元二年(1029年)源算上人により開かれました。上人は比叡山横川の恵心僧都に師
事して、四十七歳で当山に入り、小堂に御自作の千手観音を本尊として奉安されます。長元七年 (1034年)
後一条天皇より鎮護国家の勅願所と定められ「良峯寺」の寺号が下賜されます。長久三年(1042年) 後朱
雀天皇勅命により、洛東鷲尾寺の仁弘法師御作千手観音を当山に遷して本尊し先の観音像を別に祀られまし
た。建久三年(1192年)後鳥羽天皇より「善峯寺」の宸額が下賜されました。また白河天皇や後花園天皇
により伽藍寄進整備がなされ、後嵯峨天皇や後深草天皇など皇室の御崇敬をうけました。鎌倉時代には慈鎮
和尚や証空上人が住職を勤め、また西山宮道覚入道親王を始め、青蓮院門跡より多くの親王が籠居され、多
数の僧の入山により、室町時代には僧坊五十二に及びますが、応仁の乱により大半の坊が焼失、江戸時代に
徳川将軍綱吉の生母桂昌院を大檀那として、現存の鐘楼・観音堂・護摩堂・鎮守社・薬師堂・経堂が復興さ
れて、貴重な什物が寄進されました。現在の当山は、西国三十三所観音信仰、遊龍の松、桜、あじさい、秋
明菊、紅葉など季節の彩り、京都市内の眺望が特徴です。また所有地三十六万坪、境内地三万坪、多くの堂
塔伽藍ならびに数百点にのぼる貴重な什物を受継いでいます。



▼阿形金剛力士。





▼吽形金剛力士。



仁王さん部屋はガラス囲い、金網だったら奥の手があるんですがネ。



▼山門を潜ると一直線に本堂への石段。巡礼の方が三々五々。





▼観音堂 (本堂)。桁行五間、梁間四間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付。元禄五年 (1692年) 再建。
 本尊 千手観世音菩薩立像ですが秘仏 像高178.8cm、木造漆箔、平安後期。





▼南無千手観世音菩薩と揮毫された本堂扁額。





▼本堂前に手水舎。





▼遊龍の松 (天然記念物)。ようもまァここまで延びたものです、五葉松、全長37m。樹齢600年。





▼遊龍の松の碑。





▼遊龍の松の下から覗いてみました。幹の太さにはビックリ。





▼鐘楼。貞享三年(1686年)桂昌院寄進。





▼護摩堂。三間四方、宝形造、桟瓦葺、元禄五年(1692年)桂昌院寄進。





▼護摩堂扁額。





▼五大明王が祀られた須弥壇。五大明王は新しい作でしょう、儀軌に則った彩色と思いますがキラキラです。





         ▼中央本尊不動明王坐像。





▼経堂。宝永二年(1705年)建立。六角堂、二層に見えますが下は裳階です。桂昌院寄進。





▼経堂扁額。





▼傅大士 (ふだいし) を奉安。後ろは輪蔵、鉄眼版一切経が収められています。
 傅大士は中国僧で、輪蔵の制を創設したことにより輪蔵の正面に像が置かれるようになったそうです。





         ▼多宝塔 (重文)。元和七年(1621年)建立。本尊 愛染明王。





▼秋明菊が咲き始めてます。





▼開山堂。貞享二年(1685年)建立。開山源算上人廟所。





▼開山堂扁額。





▼お厨子の中に開山源算上人百十七歳の像が祀られてるそうです。





▼善峯寺の大檀那、桂昌院 (綱吉の生母) 遺髪を納めた廟所。宝永二年(1705年)建立。





▼釈迦堂。桁行三間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付。





▼釈迦堂扁額。





▼釈迦堂内陣扁額。二百三十七世天台座主石室孝暢師揮毫。





▼釈迦堂本尊石像釈迦如来坐像。伝源算上人刻。当初風雨にさらされていたせいか、風化厳しい刻面です。





▼釈迦堂前の手水舎。ココからもまた眺望がいいんです。





▼薬師堂への道すがら。点在する伽藍です。





▼薬師堂への参道。





▼石段の先には薬師堂。





▼境内最高所に建つ薬師堂。本尊 薬師如来、元禄十四年(1701年)建立。





▼薬師堂扁額。





▼本尊薬師如来立像、左右に日光、月光菩薩立像。





▼どうですこの眺望! 真ん中の一番高い山は比叡山と思います。





▼薬師堂裏手に、開山源算上人建立の蓮華寿院旧地を利用した池泉庭園。









▼けいしょう殿。大檀那桂昌院さんの像が置かれています。





         ▼青蓮の滝。細い細い滝見えます?
          水量はもうチョット多いんですがシャッタースピード間違えました。





▼鎮守社稲荷大明神。





▼阿弥陀堂。常行三昧道場。桁行三間、寄棟造、本瓦葺、外縁、一間向拝付。寛文十三年(1673年)建立。





▼阿弥陀堂扁額。





▼阿弥陀堂須弥壇。





        ▼本尊 宝冠阿弥陀如来坐像。
         深い沈思の表情に阿弥陀思想の奥が見えるような。





▼広くて高低差かなりの境内巡りいよいよオシマイ。阿弥陀堂参道を下りましょう。





▼本坊前に咲く秋明菊。本坊庭園の秋明菊が有名らしいのですが、修理工事のため閉庭中でした。





▼本堂前に戻ってきました。





▼本堂から山門。





▼御朱印です。





是非訪ねたかったお寺の一つ善峯寺、境内は広く伽藍は斜面にそって散在、参道は坂あり石段ありで高低差
かなりの相当ハードなところ。数ある大寺院伽藍配置のいずれにも当てはまらない山岳寺院の特色を足で感
じる事の出来る境内は、まわりごたえがありますよ!

このお寺の春秋は云うまでもなく桜と紅葉。境内の一角に白山桜あじさい苑という花苑がありますが、今は
全く色気も何もなし、一方で今、秋明菊の旬と聞いていましたがこの花もこれからとの事でした。

ながながと50カット越え、オシマイ
最後までご覧いただきアリガトウございました。








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聖林寺、あのスーパースターに逢いに。

2014年09月18日 | 奈良の古寺巡り


(2014.09.13訪問)

橘寺を辞した後、次は岡寺にしょうかな、飛鳥寺安居院も久し振りだし、天空の寺威徳院はと考えていたら、
いつの間にか大和路号は県道155号線を走っていました。談山神社を過ぎた辺りで、そうだスーパースター
に逢いに聖林寺に行こうと、大和路号は北に向きを変えたのでありました。


▼スーパースター。



(スーパースターの写真は堂外から撮ってます)


[ 聖林寺 ]
●山号 霊園山 (りょうおんざん)
●寺号 聖林寺 (しょうりんじ)
●開基 伝 藤原定慧 (ふじわらじょうえ) 藤原鎌足の息
●開創 伝 和銅五年 (712年)
●宗派 真言宗室生寺派
●本尊 子安延命地蔵菩薩
▲拝観料 400円 朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:30
▲奈良県桜井市下692 Tel.0744-43-0005
▲http://www.shorinji-temple.jp/
▲近鉄大阪線「桜井」駅下車、奈良交通バス談山神社行「聖林寺」下車 徒歩約3分

▼参道下から見上げるとまるで城壁、砦風山門。




聖林寺縁起 (聖林寺HPより抄出)
聖林寺の歴史には分からないことも多い。この寺は談山妙楽寺(現在の談山神社)の支院の一つであり、藤
原定慧を開基としている。明治の神仏分離のとき、談山山中の伽藍が尽く神社に改装され、山中の塔中すべ
て還俗した中で、唯一仏教寺院として残ったのである。聖林寺という寺号は江戸享保のころ、秋篠寺から妙
楽寺に入った談山の座主、大僧正子暁は当時遍照院と呼ばれていたこの寺に空号になっていた聖林寺を当て
たという。


▼山門。





▼山門扁額。





▼山門から境内。





▼本堂。





▼山号扁額。





▼本堂北側縁から桜井市内と三輪山遠望。





▼植栽が好き放題に育ってます。





▼健気ですね、百日紅の息の長さ感心感心。





         ▼スーパースターの石像版。





▼境内の南方向、庫裏だと思います。





▼鐘楼。





▼先の百日紅の全景。





         ▼十三重石塔。





▼スーパースターがお待ちの大悲殿への階段。





▼今日の大悲殿はボク一人、普通はこうはいきません。





         ▼彷徨流転、艱難辛苦のお顔が、このお顔です。



かっては華々しい荘厳の中で祀られてきたこのお像も、明治の廃仏毀釈の嵐で全ての環境が一変、ほうほう
の体で聖林寺にやってきたようです。
木心乾漆造だからでしょう、なんといっても千二百五十有余年の経時による割れが目立ち、特にお顔に顕著、
ボクにはどうしても菩薩愛を感じることが出来ません。天平仏師の執念が生んだ素晴らしいプロポーション
や量感、天衣や裳の心地よい流れなどどれをとっても一級品、そう云った天下一の評価も、彷徨の旅が尾を
引いているのか、悲しげにそしてお気の毒な、そんな感じがします。
(スーパースターの写真は堂外から撮ってます)



▼御朱印です。





フロク
▼山門石垣下、参道脇にこの二輪がヒッソリと。




聖林寺のスーパースターは客仏扱いの常なのか、相変わらず狭いお堂の中ひとりぼっちで佇んでいます。
国宝というステータスを持ちながらもどこか淋しげな印象が残った観音さんでした。

久々の大和路お寺巡り オ シ マ イ




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橘寺に、こんなにたくさんの芙蓉が咲いているとは。

2014年09月16日 | 奈良の古寺巡り


(2014.09.13訪問)

久々の大和路は上々の好天気、大和路号も明日香路を快調に走っています。第一弾、橘寺へ。
明日香イベント「飛鳥光の回廊」が今日から始まるので、ここ橘寺でもその準備作業が始まっていました。
このお寺、以前からこんなにたくさんの芙蓉、植栽されていました?


▼橘寺スタンダード。




[ 橘寺 ]
●山号 仏頭山(ぶっとうさん)
●院号 上宮皇院 (じょうくうおういん)
●寺号 橘寺 (たちばなでら)
●勅願 伝推古天皇 (すいこてんのう) 聖徳太子叔母
●開基 伝聖徳太子 (しょうとくたいし)
●開創 伝推古天皇十四年 (606年)
●宗派 天台宗
●本尊 聖徳太子像 (重文)
▲拝観料 350円 朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:30
▲奈良県高市郡明日香村橘532 Tel.074454-2026
▲近鉄橿原線「橿原神宮前」駅より、奈良交通バス「岡橋本」下車 徒歩約3分

▼西門。今日はこちらからの入山です。




橘寺縁起 (橘寺パンフより抄出)
橘寺の舊地は伝聖徳太子生誕の地。
聖徳太子は推古天皇十四年天皇の勅で勝鬘経講讃した。その時大きな蓮の花が庭に1mも降り積もり、南の
山に千の仏頭が現れ光明を放ち、太子の冠から日月星の光が輝き、不思議な出来事が起こったので、天皇は
この地にお寺を建てるよう太子に勅した。そこで造ったのが橘樹寺 (たちばなのきてら)で、聖徳太子建立七
ヶ大寺の一つに数えられた。当初は東西870m、南北650mの寺地に、金堂、講堂、五重塔を始め六十
六の堂宇が立ち並んでいた。日本書記には天武天皇十年 (681年) 尼房失火のため十房焼いた記録があり、当
時は尼寺であったと思われる。


▼手水舎。





▼昼前ですがもう酔っぱらっています。





▼本堂横の芙蓉の大きな株。





▼本堂。ユニークな屋根の造り注目!
 桁行三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。後堂が付属してます。元治元年 (1864年) 再建。





▼本堂向拝の屋根。二重破風で後ろ千鳥破風、前は唐破風でいずれも銅板葺。





▼扁額は太子殿。





▼太子愛馬黒駒。斑鳩との往還に疾走する太子の勇姿が目に浮かびます。
 が、当時日本にサラブがいたのかな?とヤボな事は云わないでおきましょう。





▼ここにもすでに酔っぱらいが。





▼石塔競演、異なるデザインの妙味。





▼護摩堂。





▼ホワイトオンブルー。





▼経堂。





▼中央須弥壇に本尊阿弥陀さん。





▼脇殿に傅大士と二童子。左、普建童子 (ふけん) 右、普成童子 (しんせい)。
 傅大士は中国南朝の僧で、輪蔵の制を創設したことにより輪蔵の正面にこの像と二童子像が置かれるよう
 になったそうです。





▼放生池。





▼観音堂。このお堂は安永六年(1777年)に本堂として建立されたが元治元年(1864年)現本堂建立に伴
 い現在地に移築されたそうです。





▼本尊 如意輪観世音菩薩坐像 (重文)。





▼蔵でしょうか、白壁の朽ちつつある姿、妙に印象的!





▼五重塔跡の心礎。直径90cm、三方に添え柱孔、塔高推定38mになるそうです。





▼これはピンクですけど酔っていません。





▼鐘楼。





▼白は清楚ですね。





▼樹齢は判りませんが、ビッグ銀杏。晩秋の黄色、見てみたいです。





▼ピンクも映えますね。





▼芙蓉叢。





▼これも芙蓉ですね、違うかな?





▼往生院。平成九年 (1997年) に写経研修道場として再建。





▼扁額。





▼本尊 阿弥陀三尊。中央壇のお三人見えます?





▼曰く因縁付きの聖徳太子像。ボケボケでみっともない写真でお恥ずかしいですが。





▼浄土出現!華天井。260点奉納されてるそうです。





▼往生院の前に株の大きい酔芙蓉叢、あと一週間も経てば…。













▼東門から本堂へ、一直線の参道。





▼境内から東門越しに。





▼東門越しに境内。





▼東門。橘寺の正門はこちらです。なぜか狛犬が。





▼境内から甘樫丘、川原寺趾遠望。ここでも「飛鳥光の回廊」の準備で忙しいみたいです。





▼橘寺ビュー、一文字白壁。





▼御朱印です。




橘寺にこれだけ多くの芙蓉の株があるとは驚きでした。お寺方とのお話で、咲き具合5~6分、もうチョット
ですねとのこと。それでも相当数の大輪が咲き誇っています。一株が大きく酔芙蓉も混植で多くの花芽が開
花を待っていました。
とりあえず、橘寺 オ シ マ イ

実は第二弾、どのお寺を訪ねるか思案中で~~~す。




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宝筐院、いいお話が残ってます。

2014年09月13日 | 京都の古寺巡り



(2014.09.06訪問)


宝筐院は初めて訪ねます。門前に、小楠公菩提寺寳筐院と刻された石標が建っています。何故足利将軍家縁
の嵯峨野に敵対した南朝方楠木正行の墓所があるのか、不思議に思いつつ山門を潜りました。


▼山門。





[ 宝筐院 ]
●山号 善入山(ぜんにゅうさん)
●寺号 宝筐院 (ほうきょういん)
●開基 白河天皇 (しらかわてんのう)
●開創 平安時代 (1072?1085年頃)
●中興 黙庵周諭禅師 (もくあんぜんじ)
●宗派 臨済宗単立
●本尊 十一面千手観世音菩薩立像
▲拝観料 400円 朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:00
▲京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9-1 Tel.075-861-0610
▲http://www.houkyouin.jp/
▲嵐電「嵐山駅」下車 徒歩約20分
 市バス「嵯峨釈迦堂前」下車徒歩約3分
▲三脚、一脚持参者は拝観不可 



▼寺標には小楠公菩提寺寳筐院とあります。





宝筐院縁起 (宝筐院パンフより抄出)
平安時代白河天皇により創建善入寺と称した。南北朝時代、夢窓疎石の高弟黙庵周諭禅師が入寺、衰退して
いた寺を復興、中興開山となる。室町幕府二代将軍足利義詮(よしあきら)が帰依し、その保護を得て寺は復興。
以後、臨済宗に改められている。貞治六年 (1367年) 足利義詮の没後、その菩提寺となり八代将軍足利義政
の時、義詮の院号「宝筐院」に因んで寺名を宝筐院に改められた。応仁の乱(1467~1477年)により衰微。
室町幕府の衰亡後に衰退。江戸時代、天龍寺末寺の小院となり、伽藍も客殿と庫裏を残すのみとなり幕末に
廃寺となる。大正六年 (1917年) 楠木正行縁の寺として、現在の堂宇が再興された。



▼山門脇の駒札を拡大しました。





▼庫裏玄関。お庭に咲く草花の小鉢をたくさん並べて販売されています。





▼本堂。





▼本堂外縁。





▼本尊 十一面千手観世音菩薩立像。





仏殿両脇に、楠木正行由縁の絵が二つかけてあります。
▼黙庵禅師と楠木正行。





▼楠木正行四条畷合戦の図。



四条畷へ赴く楠木正行が吉野如意輪寺で詠んだ辞世の歌 (なんと二十三歳の歌ですよ)
    かへらじと かねて思へば  梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる



▼では、お庭を巡ってみましょう。





▼回遊式庭園。石組みから滝なんでしょうね。





▼緑一色の中で凄く主張しているオレンジの色。





▼汀の小石など心憎い枯山水の演出です。





▼優雅に飛び、優雅に羽根を休ませています。





▼楠木正行、足利義詮の墓所へ一直線の参道。





▼墓所。墓前灯籠の刻書、右「精忠」左「碎徳」いずれも富岡鉄斎の揮毫。



「精忠」最も優れた忠。嗚呼忠臣楠子之墓(これは大楠公の墓碑名)。
「碎徳」一片の徳。足利義詮の徳の大きさを褒めた言葉。
石扉、右楠木家家紋「菊水」左足利家家紋「足利二つ引」



▼右五輪塔、楠木正行 (まさつら) 首塚。左三層石塔、足利義詮 (よしあきら) の墓。



楠木正行(小楠公)首塚由来( (宝筐院パンフより抄出))
南朝武将楠木正行は四条畷の合戦で北朝と戦い討ち死、黙庵はその首級を生前の厚誼で善入寺に葬った。
この話を黙庵から聞いた義詮は正行を讃え自分もその傍らに葬るよう命じたと云う。



▼御朱印。お寺に残るお話に感激したつかの間、この御朱印ハンコでした。




南朝と北朝、敵対する二人の隠れた美談がこの嵯峨野の地に残っているとは思いがけずの事でした。天下の
逆臣足利尊氏、大忠臣楠木正成を父に持つ足利義詮と楠木正行の二人、勝者と敗者の垣根を越えたお話の真
偽、残るお墓石の真偽はともかく、日本歴史の一時代を画した南北朝から室町時代へと時の流れの一瞬のエ
ポックがこの地に残っているんです。ある意味に置いて、非常な感激でした。

     「桜井のわかれ」を口ずさみながら楠公親子を偲びつつ帰ります。ご一緒にどうぞ!
          
         ♪青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ 
              木の下陰に駒とめて 世の行く末をつくづくと 
                    忍ぶ鎧の袖の上に 散るは涙かはた露か♪




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