土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

清涼寺、ご本尊とジックリ対面。

2016年02月29日 | 京都の古寺巡り




(2016.02.27訪問)

京阪電車、地下鉄東西線、嵐電と乗り継いで嵐山にやってまいりました。寒かろう、暑かろう、丁度良かろう、晴れでも曇りでも雨で
も、嵐山は人イッパイ!
今日も京都は変なお天気、嵐電を降りて嵐山銀座を北へ、車道を行かねば前に進めません。JR嵯峨野線の踏切、丸太町通を過ぎると人
はいなくなります。嵐山銀座を真っすぐ北にやがて山門が見えてきました。そう今日は清涼寺を訪ねます。





▼一応参道でしょう。この道を戻ると嵐山銀座通りです。







[ 清涼寺 ]
●山号 五台山(ごだいさん)
●寺号 清涼寺(せいりょうじ) 別称 嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)
●宗派 浄土宗(じょうどしゅう)
●開基 奝然上人(ちょうねんしょうにん)
●開創 寛和三年(987年)
●本尊 釈迦如来立像(国宝)
▲拝観 400円 朱印 300円 
▲時間 9:00~16:30
▲http://seiryoji.or.jp 
▲右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46 電話075-861-0343
▲京福電鉄「嵐山駅」下車北へ650m。
 阪急電車「嵐山駅」下車北へ1.5km。
 JR「嵯峨嵐山駅」下車北西0.5km。





▼仁王門。三間一戸、入母屋造、本瓦葺、重層楼門。寛政八年(1796年) 再建。初層に仁王像、上層に十六羅漢像を安置。






清涼寺縁起 (清涼寺HPより抄出)
本尊釈迦如来を北宋より請来した開祖東大寺の奝然法橋が、愛宕山を中国の五台山に模して、大清凉寺の建立をはかったが、事ならず、
弟子盛算が山麓の嵯峨天皇の皇子左大臣源融の山荘を仏寺にした棲霞寺内の釈迦堂に奉安したのが創めであります。




            ▼仁王門左に建つ三国伝来の石碑。







▼山号が書かれた仁王門扁額。







            ▼朱色に染まる金剛力士阿形像。室町時代作。







            ▼金剛力士吽形像。







▼威風堂々の仁王門。嵯峨野のちょうど真ん中に位置し、すくっと立つ姿は「嵯峨野の顔」とも称されているそうです。







▼仁王門から境内。







            ▼仁王門を潜るとスグ左手に建つ多宝塔。
             紅白の梅が塔前を飾りますが、白梅はまだチラホラ。







▼紅梅はほぼ満開。







            ▼紅梅をメインに多宝塔。







            ▼法然上人二十四歳像。







            ▼左手奥まったところに聖徳太子殿、その石標です。







▼やや小振りの八角円堂、聖徳太子殿(夢殿)。由緒は不詳。







▼境内ゆどうふ屋さんの前に手水舎。手を洗って湯どうふをどうぞ、でもないか。







▼堂々の本堂です。本尊釈迦如来立像(国宝)
 桁裄七間、梁間7間、一重入母屋造、本瓦葺、和様と禅宗様を折衷建築。
 寛永十四年(1637年)大火により諸堂宇が消失、徳川五代将軍綱吉、生母桂昌院の発願で寛永十六年(1639年)に再建。







▼本堂前面と大扁額。黄檗宗隠元禅師筆「栴檀瑞像(せんだんずいぞう)」の扁額。しかしなんで隠元さん?







▼本尊釈迦如来立像(国宝)。像高160cm、木造(桜材)。清涼寺式釈迦像。
 本尊釈迦如来は、古来釈尊三十七歳の生身のお姿を伝えた尊像を北宋より請来した開祖東大寺の然法橋が、尊像内に謹封した五臓
 六腑、願文、経巻等の発見により、まさに生身仏であることが実証されました。おん丈は等身大の檀像で顔貌、衣文の様式等、イン
 ド古式の様相を伝えているお像です。生身の釈迦に対する信仰から、全国に五十余をかぞえる模像ができ、嵯峨式釈迦像として重要
 文化財になっているものも多くあります。(清涼寺HPから抄出)







▼本堂。







▼本堂裏の庭園と方丈への渡り廊下。手前左鍵曲がりで方丈に繋がってます。







▼池泉回遊式の庭園。ですが檀家の方しか回遊できません。徹底的に冬枯れの植栽、茶枯れはどこか寂しいですネ。







▼台杉の森。







▼池の島に建つ弁天堂。正面柱間三間、宝形造、銅板葺、正面に唐破風付。建築年代は江戸末期ごろと推定されます。







▼冬枯れの放生池。







▼本堂から渡り廊下で方丈へ、方丈玄関。







▼方丈庭園。枯山水平庭。小堀遠州作と伝わるそうです。









芝も冬枯れは凄い色になるもんですネ。





▼方丈中庭の灯籠と蹲踞。







▼鐘楼。鐘木が変な括り方で梵鐘は撞くことが出来ません。







▼本堂横の清涼寺垣?オシャレな竹垣です。

 





            ▼椿が咲き出してました。







▼阿弥陀堂。嵯峨天皇の皇子左大臣源融が山荘棲霞観(せいかかん)を建立、後に棲霞寺と改めましたが、これが阿弥陀堂の始まりと伝
 えます。







▼阿弥陀堂の内陣です。中央奥の須弥壇に本尊が祀られています。







▼内陣の扁額、読めません。







▼比較的あっさりと纏められている須弥壇。







▼本尊阿弥陀如来立像、脇侍の僧形は何方なのかは不詳。








▼阿弥陀堂をやや斜めから。







▼阿弥陀堂前の白梅は満開ですが紅梅はオシマイみたい。







            ▼開基奝然上人の墓。独特の墓標ですネ。







            ▼嵯峨天皇と檀林皇后(橘嘉智子)の宝塔。
             向こう側の宝篋印塔が嵯峨天皇、手前層塔が檀林皇后の宝塔。
             なぜ両塔がここにあるかは不詳。







▼源融の墓。乱積みの基台にドッシリした宝篋印塔。山荘棲霞観、後に棲霞寺の施主、源融の墓所がここに在っても不思議はあり
 ませんネ。







            ▼源融がモデルと伝わる阿弥陀如来坐像 (国宝)。
             旧棲霞寺の本尊阿弥陀三尊。現在は霊宝館に安置。
             霊宝館は、4月、5月と、10月、11月に特別公開されます。



            (数年前に描いたペン画です)





▼御朱印です。







特別フロク
▼今日の渡月橋。







今日はラッキーなことに、本堂で大法要があり国宝の本尊釈迦如来立像が開扉され、過去外陣からは何度か拝観はしていましたが、今
日は内陣須弥壇前約2m位まで近寄ることが出来ました。像高160cmと小柄ですが、清涼寺式釈迦像と云われ全国に模像が多数刻され
る程、日本の釈迦如来像とは異なった特色を示す独特のお釈迦さんです。内陣の荘厳も釈迦さんを守るお厨子も立派なもので、やはり
拝観はこうありたいものです。今日はほんにラッキーでした。





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快晴 ! 梅三分。

2016年02月19日 | 花巡り




(2016.02.18訪問)



▼朝日新聞の梅だより五分咲きを見て、ここの梅林へ早速。







▼ 古城。ぴったりのネーミングですネ。







▼おあそび古城。







▼紅千鳥。花弁の変色が惜しい!







▼南高。







▼鶯宿。













▼豊後。一輪も付けてません。







▼紅冬至。













▼白加賀。







▼鹿児島紅。













▼旭鶴。







▼玉垣枝垂。













シャワー風と思ったんですが。







▼日光。







▼一重野梅。







▼思いのまま。







▼寒紅。







▼道しるべ。







▼八重野梅。







▼小梅ちゃん。







▼舞扇。







▼緑咢。













▼呉羽枝垂。







▼名も知らず。今日一の咲きっぷり、きれいな花で名前はあるんですが控え忘れでした。



















▼三々五々。







雲のないブルーなんて、しばらくご無沙汰でした大阪の空は。
10階の事務所から東を見れば、生駒バッチリ、上見れば、混じりっけなしのこれぞスカイブルー。
梅はどうかいな、居ても立っても気はそぞろ、
そうこうするうちに大阪城梅林に立っていました。

朝日は五分咲きと云ってましたが、梅林の中で見回すと、いいとこ三分咲きです。
馥郁の薫りが苑内を漂うのはもう少し先でしょう。








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東寺、空海さんの精神が今も……。

2016年02月16日 | 京都の古寺巡り




(2016.02.13訪問)


なんだかんだと愚痴と不満をタラタラ云いつつ、今週も「京冬の旅文化財特別公開」で京都へやってまいりました。
今日は東寺の五重塔特別公開訪問です。五重塔は年数回は特別公開をやってますので、余り有り難みはないのですが、講堂の立体曼荼
羅に決して負けない、塔内の諸仏に圧倒されにボクはよく来るんです。なんと云っても塔そのものや仏像群、柱絵、壁画まで江戸初期
の制作なので比較的彩色も残り、取っ付き易く時代を超えても空海さんの精神は塔内に満ちているようです。





            ▼水鏡?







            [ 東寺 ]
            ●山号 八幡山(はちまんざん)
            ●寺号 東寺(とうじ) 教王護国寺(きょうおうごこくじ)とも称されている
            ●宗派 真言宗総本山(しんごんしゅうそうほんざん)
            ●開基 桓武天皇(かんむてんのう)
            ●開創 延暦十五年(796年)
            ●開山 弘仁十四年(823年)空海に下賜
            ●本尊 薬師如来坐像(重文)
            ▲拝観 800円 朱印 300円 
            ▲時間 夏期8:30~17:30 冬期8:30~16:30
            ▲http://www.toji.or.jp/ 
            ▲京都市南区九条町1番地 電話075-662-0173(拝観受付)
            ▲平成六年(1994年)「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録。

            ▲近鉄京都線「東寺」駅下車 徒歩約10分
             JR「京都」駅下車 徒歩約15分
             市バス東寺東門前下車すぐ





▼南大門(重文)。三間一戸、切妻造、本瓦葺、明治二十八年(1895年)三十三間堂の西門を移築。







            ▼弘法大師立教開宗根本道場 真言宗総本山 東寺と刻されています。







東寺縁起
桓武天皇が延暦十三年(794年)の平安京造営に際し、延暦十五年(796年)東寺を国家鎮護のため羅城門の東に創建。弘仁十四年(823年)
空海に下賜された。講堂には大日如来を中心に国宝の五大明王など二十一体の仏像を安置。この配列は立体曼荼羅といわれる。金堂は
豊臣秀頼の再建。五重塔は徳川家光が再建、塔高55m。大師堂は大師在世時の住房で、弘法大師像と大師念持仏の不動明王坐像を安置。





▼南大門(重文)。九条通りに面し、交通量甚だ多し、クルマがいない珍しい一瞬でした。







                ▼南大門横の「京冬の旅文化財特別公開」ポスター看板です。
                 東寺は「五重塔」と「灌頂院」が公開されています。







▼南大門から望む金堂。







▼金堂(国宝)。桁裄七間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、重層に見えるが下屋根は裳階。













            ▼金堂正面。下屋根裳階がセンターで切り上げ、
             壁面に観相窓が付けられています。







            ▼金堂本尊薬師如坐像(重文)。



             (写真はネットから)

中尊薬師如来坐像 像高290cm、脇侍日光、月光菩薩立像 像高270cm、寄せ木造、慶派二十一代仏師康正、安土桃山期。
中尊の光背には七仏薬師像を、台座の懸裳の下には薬師如来の眷属十二神将像が配されています。
広い堂内には本尊薬師三尊のみが祀られ、よけいな荘厳は一切ありません。これこそがお堂に仏の最高の見本。





▼講堂(重文)。桁裄九間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。承和二年(835年)創建、延徳三年(1491年)再建。
 云わずと知れた21体の密教仏が立体曼荼羅として祀られている大デレゲーション須弥壇に写真はありませんが驚いて下さい。
 今日はどなたも出張されず全員がお揃いでした。



須弥壇中央は大日如来を中心に五智如来、右に金剛波羅密多菩薩を中心に五菩薩像、左は不動明王を中心に五明王像が、須弥壇東端に
梵天像、西端に帝釈天、須弥壇四隅に四天王が安置。合計二十一体の像が整然と安置され、立体曼荼羅を構成しています。
写真が無いのは何とも残念!





            ▼五大明王の中心、不動明王(国宝)。



            (数年前に描いたペン画です)




            ▼おネーサンに大人気の帝釈天(国宝)。



            (数年前に描いたペン画です)





▼瓢箪池畔の白梅。東寺は梅はきわめて少ないようですネ。







            ▼五重塔水鏡、と云うほどでもないか。







▼瓢箪池の忍耐強いカメさん、15分後に見ても同じ姿勢でした。







                それでは五重塔特別公開へ。

                ▼五重塔特別公開のポスター看板です。







            ▼九条通りからの五重塔(国宝)。
             五重塔は焼失すること四回、現在の塔は正保元年(1644年)再建。







▼塔内の諸仏。中央の心柱が大日如来を表し、周りを如来四尊、菩薩八尊が囲んでいます。
 仏像もさることながら、柱、長押、壁面の絵の美しいこと、出来立てのころは眼が回りそうです。



(写真はポスター看板を複写)





            ▼西面の塔です。







            ▼東面、阿閦如来です。







            ▼北面の塔です。







            ▼南面、宝生如来です。







            ▼塔の上層。







            ▼相輪。







さて主伽藍エリアから西院伽藍エリアへ行ってみましょう。

▼食堂横の手水舎。







▼食堂。かっては観音堂と呼ばれ、僧の修行の場。今は四国八十八所、洛陽三十三カ所観音霊場の納経所。







            ▼今の本尊。十一面観音立像。木造彩色、昭和八年(1933年)、仏師明珍恒男さん。







▼西院御影堂門。

 





▼御影堂前堂(国宝)。元は空海さんの住房。前堂、後堂、中門の三部分からなる住宅風複合仏堂。屋根は檜皮葺で複雑な形状構成
 し、前堂に弘法大師像(国宝)が安置されています。







▼御影堂後堂(国宝)。後堂に空海さん念持仏の秘仏不動明王像(国宝)が安置されています。







▼護摩焚で堂内は黒くなっています。







            ▼境内の一角に天皇皇后陛下お手植えの五葉松。







▼この門名は不明ですが、潜るとスグ左に毘沙門堂。







▼毘沙門堂。兜跋毘沙門天像を安置するために建てられたお堂。兜跋毘沙門天は現在宝物館に収蔵。今どなたがお祀りされている
 のか分りません。













▼西院の鐘楼。







▼西院の長~い土塀の南に小子坊があります。小子坊勅使門。
 天皇をお迎えする特別な建物、南北朝時代、光厳上皇はここを仮御所としたそうです。







▼小子坊勅使門門扉の透かし細工、まあ見事な細工ですヨ。







▼本坊山門。







▼本坊玄関と右は庫裡寺務所。いずれもリッパリッパ。







境内南西端に灌頂院があります。密教の奥義の伝法灌頂、後七日御修法など儀式執行のお堂。

▼灌頂院東門。







▼灌頂院堂。「京冬の旅文化財特別公開」中!
「重文両界曼荼羅図」(元禄本・複製)や、最古の彩色曼荼羅「国宝両界曼荼羅図」(伝真言院曼荼羅・模写)、
 日本画家・浜田泰介筆の「国宝十二天屏風」(模写)、伝法灌頂の法具のしつらえなどを特別展示する。
 ほとんどが模写やレプリカに付きここは華麗にスルーです。







▼東寺の鎮守社、八幡宮。







▼八島社殿。地主神、東寺建立以前よりこの地に鎮座、空海さんは伽藍建立に先立ち、地主神として崇めたと伝わるそう。







▼境内北端の弁天堂から五重塔を見る。







▼北大門。







            ▼九条通りR1陸橋から五重塔と南大門です。







さすが空海さんのお寺、東寺は広いし奥深いですネ。
空海理論や密教奥義なんて、ボクなどには理解の外の外なんで、せめてそのエッセンスの外側にでも近づけたら、なんて思うことすら
厚かましい上に土台無理。
司馬さんの「空海の風景」もう一度読んでみようかなァ……。

と云うことで東寺、オ シ マ イ  長々とドウモでした。





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即宗院、月輪殿庭園は、つとに名園と聞きましたが……。

2016年02月12日 | 京都の古寺巡り




(2016.02.06訪問)


京阪「祇園四条駅」から各停で「東福寺駅」をスルーして「鳥羽街道駅」まで戻ります。内緒ですがこちらの方が東福寺には近いので
す。即宗院は東福寺塔頭で境内ほぼ東にあるお寺、今「京冬の旅文化財特別公開」で名勝庭園「月輪殿庭園」が公開されているのでボ
クの第五弾として急遽訪ねることにしたのですが……。


▼東福寺三門(国宝)。
 重層楼門、五間三戸、入母屋造、本瓦葺、棟高は二十二メートル余、楼上は壮麗な極彩色の世界が、内部須弥壇上に本尊宝冠釈迦如
 来、十六羅漢像が安置されています。楼上からの見晴らしもピカイチ。なんと云っても禅刹最古最大の三門。七堂伽藍のトップ三門
 から一直線に並ぶ伽藍の壮観さはなかなかのもの。今日は登楼しませんでしたけど。早速即宗院へ行きましょう。






[ 即宗院 ]
●山号 臥雲山(がうんざん)
●寺号 即宗院(そくしゅういん) 東福寺塔頭寺院
●宗派 臨済宗東福寺派(りんざいしゅうとうふくじは)
●開山 剛中玄柔和尚(ごうちゅうげんじゅうおしょう)
●創建 元中四年(1387年) 
●本尊 宝冠釈迦如来坐像
▲拝観 特別拝観 600円 朱印 300円 東福寺無料駐車場あります
▲時間 9:00~16:00 
▲京都市東山区本町15-813 電話075-561-9200 
▲JR奈良線「東福寺駅」下車 徒歩12分
 京阪電車「東福寺駅」下車 徒歩12分




▼東福寺三名橋の一つ偃月橋(えんげつきょう)。単層切妻造、桟瓦葺木造橋廊。渡ってスグ右に即宗院の山門があるのです。






即宗院縁起 (京都観光Naviから抄出)
大本山東福寺塔頭寺院。元中四年薩摩藩島津氏久が、剛中玄柔禅師(東福寺第五十四世住持)を開山として創建。薩摩藩菩提寺で氏久の
法名「齢岳玄久即宗院」から寺号とした。その地は、関白藤原兼実の山荘「月輪殿」跡で、国宝「法然上人絵伝」にも描かれ、寛政の
「都林泉名勝図絵」にも名園として紹介されている。庭園は現在京都市名勝に指定され、紅葉の美しさと千両の鮮やかさで有名。西郷
隆盛と僧月照は、王政復古を願い、即宗院で幕府転覆の策をめぐらした。西郷隆盛は鳥羽伏見の戦いで勝利を手中にした。戦いの戦死
者524霊を弔うためこの即衆院で斎戒沐浴し碑文を書きしたため、明治二年「東征戦亡の碑」を建立した。




▼この谷、洗玉澗渓谷に架けられています。まるで高さが分からない谷ですネェ、ヘタな写真で済みません。







▼偃月橋扁額。







                ▼山門前の特別公開のポスター看板です。







▼入山受付が山門横に設えられて、受付のお姉さんとお話夢中、山門写真撮り忘れ、いきなり参道です。






又また愚痴が先行しますが……。
池泉回遊式庭園でありながらお庭を巡ることダメ。庭園に降りることモチロンダメ、書院のガラス障子を通してのみ拝観で、ガラス障
子を開けることすらダメ。こちらもダメダメづくしでした。お庭拝見に訪ねたのにこれじゃねぇ。

▼この写真だけナマです。







以下ガラス越しのお庭。心字池などどこにあるの、とても名勝に見えないのが残念です。
























ならばと裏山の西郷さん縁の「東征戦亡之碑」へ。

▼参道。







▼参道脇に千両がたくさん植わってます。黄色の千両もあるんですネ。













▼こちらですよ。







▼外塀と灯籠。







▼「東征戦亡之碑」への参道。







▼途中になかなかユニークな羅漢さんがいましたよ。







▼この上です。







▼建碑のいわれ。







           ▼古い写真を見ると立派な石碑なんですが、今は変な囲いがありますので、
            石碑部分の西郷さん直筆のアップを。
 


           見慣れている西郷さんの豪快な草書崩しの書体からはとても西郷さん書とは思えな
           い実直な筆跡ですネ。見えます? 左端下に西郷隆盛謹書とあります。





▼鳥羽伏見の戦いの薩摩藩戦死者524霊の名前が刻されています。







▼万両。今の時期の赤や黄は結構目立ちますネ。







▼御朱印です。







諸社寺の堂塔伽藍、仏像を初めとする文化財や庭園、そして環境全般の保護や保全のための拝観制約を反対する積もりはいささかもあ
りません。度が過ぎているのを懸念するだけです。特に今回の「京冬の旅文化財特別公開」の拝観制約はアホらしいほどバカげた制約
が目に余ります。当該寺院住職の気分一つなのか、主催する京都市観光協会の差し金なのか、どこに基準があるのかサッパリ分からな
いが、寺院によってはご自由にどうぞが結構ある中で、「拝観させてやる」「見せてやる」が前面にちらつく寺院が少なくない。
と、これ以上書くと差し障りがありそうなのでこれ位で。




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建仁寺、太っ腹の禅刹です。

2016年02月09日 | 京都の古寺巡り




(2016.02.06訪問)


京都五山第参位の「建仁寺」再訪問です。四年前訪ねた時は方丈屋根の葺き替え、建物修復中、覆い屋でスッポリでした。
ちょうど今「京冬の旅文化財特別公開」で建仁寺宗祖栄西禅師の御廟「開山堂」も公開されていますので、これ幸いと京阪電車に乗っ
たと思って下さい。




▼風神さん、雷神さん、相変わらず元気ですネ。
 レプリカではありますが本坊入り口の風雷さん専用部屋で見ることが出来ます。






[ 建仁寺 ]
●山号 東山(とうざん)
●寺号 建仁寺(けんにんじ)
●宗派 臨済宗建仁寺派大本山(りんざいしゅうけんにんじは)
●開基 源頼家(みなもとよりいえ)(三斎)
●開山 栄西禅師(えいさいぜんじ)
●開創 建仁二年(1202年)
●中興 安国寺恵瓊(あんこくじえけい)
▲拝観 500円 朱印 300円 
▲時間 9:00~16:30
▲http://www.kenninji.jp 
▲京都市東山区大和大路四条下がる小松町 電話075-561-6363
▲京阪電車「祇園四条駅」から徒歩7分
 阪急電鉄「河原町駅」から徒歩15分





▼勅使門です。建仁寺の正門ですが、門は通れません。
 脇門からの入山になりますが、こちらから入山の方は少ないようです。 







建仁寺縁起(建仁寺HPから抄出)
当寺は建仁二年、源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。創建時は真言、止観の二院を構え
天台、密教、禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。寛元、康元年間の火災で荒廃するも、正嘉元年(1258年)東福
寺開山円爾弁円(えんにべんえん)が当山に入寺、境内を復興、禅も盛んとなりました。正元元年(1259年)宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道
隆(らんけいどうりゅう)が入寺し禅の作法、規矩が厳格に行われ禅の道場となりました。室町幕府により中国の制度にならった京都五山
が制定、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えますが、戦乱と幕府の衰退により再び荒廃します。天正年間(1573~1592年)安国
寺恵瓊が方丈や仏殿を移築しその復興が始まり、徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築され制度や学問が整備されます。その後明治政
府の宗教政策で臨済宗建仁寺派としての分派独立、当寺はその大本山となります。また廃仏毀釈、神仏分離の法難により塔頭の統廃合
が行われ、境内が半分近く縮小され現在に至ります。





           ▼ダイナミックな寺号石碑。







▼放生池。蓮池ですが今はサッパリ何もありません。







▼三門への参道ですが、石橋は進入禁止。







▼三門ですが通行禁止。







▼三門扁額。御所を望む楼閣という意味で「望闕楼」と名づけられたそうです。







▼三門。重層の楼門、三間三戸、入母屋造、本瓦葺。楼上には釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が祀られています。






▼茶碑。
 建久二年(1191年)に栄西禅師は臨済禅とともに茶の実を持ち帰った。栄西禅師は明恵上人に茶の実を贈り、明恵は京都栂尾に
 植え、明恵が宇治に移植したものが今日の宇治茶と云われているそうです。栄西八百年大遠忌を記念して茶碑が建立された。







▼茶碑の後ろにささやかな茶畑があります。現代のお茶です。







▼七堂伽藍のひとつ浴室。寛永五年(1628年)建立。







▼陀羅尼の鐘。修行僧が亥の刻(午後10時)、観音慈救陀羅尼を返唱しながら撞くことからこの名があるそうです。







           ▼法堂の大双龍図公開ポスター看板。コスパ抜群、三年越しで使用されているポスターです。
             今日はこれも拝観に来たんです。







▼法堂参道。山門から一直線なんですが、一直線には歩けません。







▼法堂(はっとう)。桁裄五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。重層に見えますが下屋根は裳階。







▼法堂正面。







▼堂々の姿をもうワンカット。







▼法堂の側面です。入る人、出る人三々五々。







▼法堂入堂です。床は禅宗仕様の全面瓦タイル敷きです。







▼三方階段の須弥壇下段、本尊は上段に祀られています。







           ▼須弥壇正面と天井の双龍。







▼本尊釈迦如来座像と脇侍迦葉尊者、阿難尊者。







           ▼本尊釈迦如来座像。







▼天井画「双龍図」見上げすぎると首が痛くなりますヨ。
 平成十四年(2002年)創建八百年を記念して制作。「小泉淳作画伯」が約二年の歳月をかけて制作。
 畳108畳相当の大きさだそうです。108、意味深ですね。小泉さんは平成二十四年にお亡くなりになりました。







           ▼チョット角度を変えて。







▼本坊。方丈へはここから入ります。

 





▼閉め切りの方丈唐門。







▼方丈玄関です。







▼大見得を切る。初の禅刹だもんネ。







▼花頭窓から方丈前庭。







▼方丈(重文)。桁裄九間、入母屋造、杮葺。
 慶長四年(1599年)安国寺恵瓊が安芸の安国寺から移築した優雅な建物。







▼方丈前庭は枯山水庭園「大雄苑(だいおうえん)」作庭、七代目小川治兵衛。







▼大雄苑。手前唐門、奥は法堂。







▼大雄苑。







▼座り込む人、立ち見の人、いろいろ。







▼方丈仏間。







▼方丈本尊十一面観音菩薩坐像。東福門院の寄進。







                ▼宗祖栄西禅師軸。







▼方丈礼の間の雲龍図襖。海北友松筆。もちろんレプリカです。







▼方丈西庭も枯山水庭園。皆さん何を感じますか? ボクは目が回りました。













▼方丈北庭の納骨堂。







▼手水鉢。







▼茶席東洋坊。
 天正十五年(1587年)に豊臣秀吉が催した北野大茶会で、利休の高弟真如堂東陽坊長盛が担当した草庵式二帖台目席。副席と伝えられ
 ています。







▼二帖台目の茶室。













▼茶席東洋坊。







           ▼安国寺恵瓊の首塚。



毛利家の軍師僧侶、交渉相手であった秀吉に信頼されて伊予二万三千石の大名に抜擢され、九州征伐や朝鮮の役にも出陣する。
関ヶ原の合戦では西軍につき敗北、捕らわれ西軍の首脳のひとりとして六条河原にて斬首される。享年六十三歳。





           ▼建仁寺方丈襖絵などで活躍した絵師、田村月樵遺愛の長さ三尺の大硯。







小書院と大書院、東西渡り廊下からいずれも正面と云われる潮音庭の風景。「四面正面」と云われる由縁です。

▼潮音庭。小書院と大書院との中庭でこの写真は大書院から見た潮音庭三尊石。
 思わず小書院廊下を行くお姉さん二人に釘付け、日本のおネーサンと思いますが、たぶん。






▼東渡り廊下からの潮音庭。







▼小書院西よりから見た潮音庭三尊石。







▼大書院。







▼小書院南、禅独特の意味を含む○△□乃庭。○□は分かるんですが、△が? 手前にあるのだそうなんですが。







                ▼きれいな建仁寺パンフレット。






京都に在っては珍しい太っ腹、大盤振る舞いそしてプロモーション抜群のお寺です。こんな気持ちのいいお寺は久しくお目にかかった
ことはありません。
べりーぐー! けんにんじ !




                ▼開山堂特別公開ポスター看板。




「京冬の旅文化財特別公開」ボクの第五弾として建仁寺「開山堂」訪問と思ったんですが、宗祖栄西禅師の「廟所」と云うことで山門
内一歩でも入れば総て写真御法度! と大きく告知されてました。これにはナットク!
 

さてどうしよう、そうだ! 東福寺へ行こう! 北門から花見小路の人波をかき分け、京阪「祇園四条」へ歩いて行ったと思って下さい。
つ づ く

 
 
 

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