土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

西国十九番札所、革堂行願寺、都七福神寿老人札所でもあります。

2013年08月29日 | 京都の古寺巡り


(2013.08.24訪問)

相変わらず、やまずあがらずシトシトと……。
初めて寺町通を歩いています。西国十九番札所、革堂行願寺を訪ねます。
京町家の商家のいろんな顔が、歴史を紡ぎつつ今も尚という佇まいを残している、いい町並みの通りです。
そんな通りのお店とお店の間に窮屈そうに山門がありました。

▼本堂前の雨模様。




[ 行願寺]
●山号 霊ゆう山(れいゆうざん)
●寺号 行願寺 (ぎょうがんじ) 別称 革堂 (こうどう)
●宗派 天台宗
●開創 寛弘元年(1004年)
●開基 行円上人 (ぎょうえんしょうにん)
●本尊 千手観音菩薩像 (秘仏)
●西国三十三カ所観音霊場第十九番札所
●都七福神巡り札所(寿老人)
▲ 京都市中京区寺町通り竹屋町上る行願寺門前町17 電話(075)211‐2770
▲境内自由 御朱印 300円
▲地下鉄烏丸線丸太町駅下車徒歩10分
 京阪電車神宮丸太町下車徒歩10分

▼行願寺縁起。




▼寺町通民家に挟まれて窮屈そうな山門。




▼手水舎。




▼本堂前に建つ寺標。




▼実に立派な本堂です。文化十二年(1815年)再建。
外陣は吹き放し、入母屋造、本瓦葺。正面屋根手前唐破風の向拝、奥千鳥破風。



唐破風手前には懸魚、鳳凰の彫刻があり下の蟇股に龍、木鼻に獏が彫られていますが、撮れませんでした。
天台宗本堂の建築様式として注目されているそうです。


▼本堂外陣。見てください、これでもかと長押に奉納額や絵馬が、さすが札所!
それにしても前格子のポスター類何とかならんもんでっしゃろか。




▼行円上人布教真影の石碑。




▼愛染堂。新しいお堂です。




▼寿老人堂。行願寺は都七福神寿老人札所です。



七福神めぐりは、室町時代に京都で最初に七福神信仰がおこり、日本各地に拡がっていったそうです。
この写真はネットで貰ってきました。


▼寿老人堂扁額。




▼この方が寿老人さん。前格子窓から撮りました。




▼真新しい七福神石像。




▼鎮宅霊符神堂。
鎮宅とは家、屋敷の安全と家内安全を願うことで鎮宅霊符神とは北辰妙見菩薩のことだそうです。




▼玄関。




▼庫裡。




▼加茂明神五輪塔。デカイ五輪塔、塔高3mはありそうで鎌倉時代作らしいです。




▼五輪塔水輪が穿かれ不動明王が祀られています。




▼百体地蔵。京の町のあちこちで掘り起こされた無縁のお地蔵さん達でしょうね。




▼御朱印。失礼ながらまったくナニが書いてあるのか判りません。おばあちゃんすんません。




今日一日ズーーーーーーッと シトシト雨。
 
 ♪しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん しとぴっちゃん 
  ♪悲しく冷たい 雨すだれ 幼い心を 凍てつかせ
 ♪帰らぬちゃんを 待っている
  ♪ちゃんの仕事は 刺客ぞなア ア ア ア ア ア。

名曲を口ずさみながら、京阪神宮丸太町駅に向かったのでありました。ちゃんちゃん!
 



↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ


西国十八番札所、六角堂頂法寺。いけばな池坊発祥の地でもあります。

2013年08月27日 | 京都の古寺巡り


(2013.08.24訪問)

今日の京都は朝からイヤな雨の降り方、糠雨が音もなく、止まず上がらずシトシトと……。
昨日までの猛暑、激暑はひとときお休み、そんな中、真新しい西国巡礼御朱印帳をもって京の町へ。
六角堂頂法寺は街中寺院の宿命か、相当狭い寺地にお堂建物や庭がジクソーのようにギッシリ詰め込まれて
います。いけばな池坊発祥の地と云うことで、周囲は池坊関係のビルがとり囲み、まるで池坊盆地の中に立
地しているようです。頂法寺住職も池坊宗匠が兼ねられているそうです。

▼六角堂の名前はこのお堂から。




[ 頂法寺 ]
●山号 紫雲山(しうんざん)
●寺号 頂法寺(ちょうほうじ)愛称 六角堂
●宗派 天台宗単立
●開創 用明天皇二年(587年)
●開基 聖徳太子 (しょうとくたいし)
●本尊 如意輪観世音菩薩坐像 (秘仏)
●西国三十三カ所観音霊場第十八番札所
▲ 京都市中京区六角通東洞院西入ル堂之前町248 電話075-221-2686
▲http://www.ikenobo.jp/rokkakudo/about.html
▲境内自由 御朱印 300円
▲地下鉄「烏丸御池」駅5番出口から徒歩3分
 阪急京都線「烏丸」駅21番出口から徒歩5分 
 市バス「烏丸三条」バス停から徒歩2分
 市バス「烏丸御池」バス停から徒歩4分
 市バス「四条烏丸」バス停から徒歩5分
 
▼寺標、これも六角石柱だったらよかったのに。




頂法寺縁起 (頂法寺 HPから抄出)
物部守屋との戦いに勝利を祈り「勝たせていただければ、四天王寺を建立いたします」と誓いのもと、勝利
した太子は、大阪四天王寺建立のための用材を求めてこの地に来られました。
ある日、泉のそばの枝に護持仏をかけて沐浴、終わって仏を戻そうとされたが、枝から離れません。
「お前の守り本尊となってから、すでに七世が過ぎた。これからは、この場所にとどまって衆生の救済をし
たい」と仏のお告げを聞いた太子は、ここにお堂を建る決心し、一人の老翁に、「この辺りに観音のお堂を
建てるにふさわしい木はないか」と尋ねました。老翁は「この近くに杉の巨木があります。あの木を使うと
よいでしょう」と言い老翁に教えられた場所に行くと、一本の杉の木があったので、それを伐ってこの地に
六角の御堂を建てて護持仏を安置されたと伝えられています。

▼あねさんろっかくたこにしきの六角通に面して建つ立派な山門。




▼千社札が所狭しと。




▼山門をくぐると正面本堂六角堂です。右の柳は縁結びの柳。




▼縁結びの柳、おみくじがワンサカ。どれほどのご利益があったかは定かではありません。




▼手水舎。




▼へそ石。
「本堂古跡の石」とも云われ、もとは門前の六角通りにあったのを、明治のはじめに、ここに移したもの。
かつてここが京都の中心地だったので「へそ石」と呼ばれているそうです。




▼石のお庭の十六羅漢さん。全員愛嬌タップリ!和顔愛語を実践中。




▼石のお庭です。




▼親鸞堂。 (頂法寺 HPから抄出)
親鸞上人は、二十九歳の時、毎夜叡山を下り、この六角堂に百日参籠し、その夢中のお告げで、
浄土真宗を開宗したそうです。




▼親鸞堂の前に親鸞さんのお像。




▼御幸桜(みゆきざくら)。花の時はまるで花笠のようになるんでしょうね。




▼合掌地蔵。




▼一言願い地蔵。




▼太子堂 (開山堂) と禁煙の鳥? 聖徳太子二才像をお祀りしています。




▼本堂前の絵馬。




▼六角堂本堂の扁額。




▼本堂の全景を撮れるところを発見出来ませんでした。で、も一度上からの六角堂。池坊会館9階から撮影。
複雑な屋根組にはビックリ、どうなっているかわかります? 本堂正面は右(南)です。



六角堂名前の由来(頂法寺 HPから抄出)
六の角とは六根。 眼、耳、鼻、舌、身、意によって生ずる六欲のこと。人間の欲望、煩悩を脱して角を無
くし、円満になること。「六根清浄を願う」という祈りを込めて六つの角を造ったと伝えられています。


▼ここから本堂内陣を拝します。



▼本堂大提灯。デカイ、2000mm∅はありそう。




▼本堂内陣。前面堅固な防御、普通のネットではありません、相当ガードが固いです。
本尊は聖徳太子護持仏、御丈一寸八分 (約5.5cm) の如意輪観世音菩薩。
お厨子前は本尊如意輪観世音菩薩(秘仏)の御前立像です。




▼本堂柱に千社札がぎっしり。




▼わらべ地蔵。




▼御朱印です。
三十三札所のうち、十九カ寺は訪ねているんですが、御朱印頂戴はこの六角堂が初めて。
西国巡礼御朱印帳に初めて一筆お願いしました。




フ ロ ク
▼ここからスグ






↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ



百万遍知恩寺は「圓光東漸慧成弘覚慈教明照和順法爾大師」のお寺。

2013年08月20日 | 京都の古寺巡り



(2013.08.17訪問)

「圓光東漸慧成弘覚慈教明照和順法爾大師」は、どなたの大師号と思いますか?
大師とは高徳な僧に朝廷から勅賜の形で贈られる尊称のことで、ご存知弘法大師空海さん、伝教大師最澄さ
ん始め、二十五名の名僧が名を連ねています。
さて上記の答えは、浄土宗を開いた法然さんの大師号なんです。空海さん、最澄さんでも一つの大師号なの
に、法然さん一人で八つの大師号をお持ちなのは新記録、知られている圓光大師法然は元禄十年(1697年)東
山天皇から加諡宣下されたのを初とし、回忌五十年ごとに時の天皇から贈られるのが常になってるそうです。
ちなみに700回忌明治天皇から明照大師、750回忌昭和天皇から和順大師、800回忌今上天皇から法爾大師
を加諡宣下されています。まだまだ増えて行くのです。ではなぜ法然さんだけなのかは謎で、一度宮内庁に
聞いてみたいものです。そんな法然さんの関わる百万遍知恩寺を訪ねました。

▼境内。




[ 知恩寺 ]
●山号 長徳山(ちょうとくざん)
●院号 功徳院(くどくいん)
●寺号 百万遍知恩寺(ひゃくまんべんちおんじ)
●宗派 浄土宗大本山
●創建 建暦二年(1212年)
●開山 法然上人 (ほうねんしょうにん)
●開基 源智上人 (げんちしょうにん)
●本尊 釈迦如来坐像
▲ 京都市左京区田中門前町103 電話075-781-9171
▲http://hyakusan.jp/
▲境内自由 御朱印 300円
▲JR京都駅から市バス206系統17系統「百万遍」下車徒歩すぐ
 京阪電車「出町柳駅」下車徒歩10分
 
▼総門前の念仏根本道場の石柱。高さ5mもあるんです。




百万遍知恩寺縁起 (百万遍知恩寺 HPから抄出)
浄土宗をお開きになられた法然上人は今から約八百数十年前、賀茂の神宮寺を居としお念佛をお説きになっ
ておられました。当時「賀茂の禅坊」と呼ばれ今の「百萬遍知恩寺」の前身です。
建暦二年 (1212年) 正月25日法然上人は入滅され、その後、法然上人の直弟子勢観房源智上人が師の御徳を
偲び、報いる為には、「恩」を「知」らなければならないと、恩を知るお寺、「知恩寺」と名付けられたの
です。元弘元年(1331年)第八世善阿空円のとき、都に疫病が蔓延した際、後醍醐天皇の勅命により七日七夜
百萬遍の念仏を唱えたところ疫病が治まったことから「百萬遍」の号が下賜されました。その後、幾度かの
移転の後、江戸時代に入り、寛文二年(1662年)に現在の地に移転されました。


▼総門。




▼総門札。




▼今は静かな参道。



この参道を挟んで境内では、毎月十五日御影堂前の境内を中心に約350店の手作りフリーマーケットが開催
されています。午前9時頃から午後4時まで老若男女約1万人が来場、大層な賑わいだそうです。


▼参道右脇の手水舎。




▼参道左手には阿弥陀堂(念仏堂)。本尊阿弥陀如来立像。桁行五間、梁間五間、禅宗仏殿様式、入母屋造、
桟瓦葺。文化八年(1811年)建立。毎月十五日開扉されるそうです。




▼参道左手に阿弥陀経を彫り込んだ全国に三基しかない阿弥陀経石碑。




▼本堂(釈迦堂)。桁行五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺。毎月十五日開扉されるそうです。
桁行両サイドと梁間に火頭窓を付けた外観の珍しいお堂です。




▼本堂扁額。後柏原天皇の宸翰「知恩寺」の篇額。




▼本堂須弥壇。本尊釈迦如来坐像。可愛いお釈迦さんで、まん丸お顔で冥想されているところでしょうか。
ただお一人で祀られています。




▼本堂南面の百日紅。




▼本堂前に利剣名号碑。




▼鐘楼です。吊られている梵鐘は江戸元禄年間の鋳造だそうです。




▼勢至堂。四方三間の宝形造、本瓦葺。均整のとれた美しいお堂です。




▼御影堂。桁行七間、梁間七間、入母屋造、本瓦葺、前後面に三間の向拝付。知恩寺で一番大きなお堂です。
総欅造。寛文七年(1667年)建立。




▼御影堂内陣須弥壇。中央立派なお厨子に本尊法然上人木造坐像が祀られています。




▼堂内外陣から内陣の様子です。




▼堂内脇陣に阿弥陀如来立像。



なんとこの阿弥陀さんは快慶さん作と推定されると公表されています。
どこが公表したかは聞き漏らしましたが、説明してくれた僧侶も相当熱が入ってました。とはいえ、重文
指定がなされていないところを見ると決定的な何かが足りないのかな。
それにしても実に端正なお顔でうつむき加減の半眼、法衣の流れも、ドレープも自然でプロポーションも
非がないように見えました。金泥も違和感なく残っています。
外陣から撮らせてもらったのでボクの望遠ではこれが限度ですわ。


▼内陣四本柱の木鼻です。獅子と龍が彫られています。




▼御影堂脇にムクゲが。




▼境内の賀茂明神の分社。




▼方丈門です。この日は方丈庭園の拝観はダメでした。




▼大玄関。




▼庫裡です。




▼御朱印です。
バック写真は、頂いた「法然上人を訪ねて、二十五霊場巡拝のご案内」のパンフレットです。




百万遍知恩寺は洛中に在る浄土宗の大きなお寺です。このお寺を有名にしている行事の一つに、「百万遍大
念珠繰り」が毎月十五日に修されています。今月の大念珠繰りは一昨日終了していますが、せめてその大念
珠、どのくらいのものか拝見しょうと思ってました。
念珠周110m、重さ320kg、珠数1880顆が2連が御影堂内外陣に吊り下げられています。小珠直径10cm、
大珠30cm位でした。大きいです、床に置かれたこの念珠を参拝の方々が、順繰りしてゆくそうです。

念珠アップ撮り忘れ(御影堂内の写真で僅かに映っているのがそれです)、欄間の素晴らしい彫刻撮り忘れ、
法然さんご廟の珍しい念字門撮り忘れ、相当ヒドクなってきました物忘れ、もうイヤ!

フロクです。
▼東山如意ケ嶽、今朝の大文字です。
昨夜(十六日)は祖先の御霊に思いを馳せる五山の送り火でした。相当な人出だったようです。
見えます? からけしを拾いに多数の方が登っていますヨ。





↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ




東大寺お盆法要に参列させていただきました。

2013年08月16日 | 奈良の古寺巡り


(2013.08.13訪問)

八月十三日、東大寺大仏殿内で東日本大震災、紀伊半島大水害物故者慰霊法要が執り行われ、参列させてい
ただきました。

▼毘廬遮那仏の前に立てられた二位牌。




大災害から二年半が経ちます。物質的、精神的に今、生ある被災の方々はどれだけ救済されたのでしょうか。
一万五千を越える犠牲になられた方々、未だ二千数百名の方々が行方不明、二年半前と今の現実、何が変り、
何が変わらないのか、ボクたちはどう捉えたらいいのでしょう。                 合掌

▼中門横の側門前の入山を待つ参列者。




▼参列者の入山です。




■法要次第■

▼入堂。指定された席に着きます。




▼大仏さん三態。ボクの指定の席は大仏さん左脇蓮台の横、日頃撮れないチャンスでした。大仏さんは七日
のお身拭できれいに磨かれていましたヨ。










▼三礼。華厳経浄行品の三宝帰敬礼文唱。




▼唄・散華。散華中段で散華衆が経を唱えながら毘廬遮那仏の周りを行道。



▼表白。筒井寛昭東大寺別当。 

▼読経。一同で般若心経読誦。




▼行道。宝号を唱えながら参列者全員で毘廬遮那仏の周りを行道。



三礼。約一時間の法要終了。

東大寺、興福寺夜間拝観とライトアップ、奈良公園一帯の燈花会、人を呼びますね、夜の奈良。
▼十三日午後八時三十分の大仏殿。観想窓オープン、大仏さんのお顔見えます?




▼中門前鏡池の灯り。




相当ヒドイ写真で恐縮縮縮です。




↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

立本寺、「本寺を立てる」の願いが隠っています。

2013年08月13日 | 京都の古寺巡り


(2013.08.10訪問)

今日の京は36.7℃、どう考えても、考えなくても暑いです。北野白梅町からめげずに歩いています。
先週に続いて今日も日蓮宗のお寺訪問、大本山立本寺を訪ねました。このお寺も観光寺院ではないのと町中
サウナ状態のためか人っ子一人姿無し。少しばっかり境内の荒れとお堂の痛みが目立ちます。昨日本堂と客
殿庭園の拝観をお願いしていたので、若い修行僧お二人が迎えてくれました。

▼客殿西の枯山水庭園「龍華庭園」




[ 立本寺 ]
●山号 具足山(ぐそくざん)
●院号 西龍華院
●寺号 立本寺(りゅうほんじ)
●宗派 日蓮宗大本山
●創建 暦応四年(1341年)
●開山 日像上人 (にちぞう)
●本尊 十界曼荼羅

▲ 京都市上京区七本松通仁和寺街道上る1番町107 電話 075-461-6516
▲http://honzan.ryuhonji.nichiren-shu.jp/index.htm
▲境内自由 庭園拝観料 600円 御朱印 300円
▲京福電鉄北野線「北野白梅町」下車徒歩15分
 市バス「千本中立売」下車徒歩10分
 市バス「北野天満宮前」または「上七軒」下車10分
 市バス「大将軍」下車10分

▼山門前の七字名号碑。




立本寺縁起 (立本寺 HPから抄出)
具足山立本寺は日蓮宗八本山の一。京都の法華系本山十六ヶ寺の内、大本山妙顯寺、本山妙覚寺、本山立本
寺を三具足山といい、いずれも日蓮聖人の孫弟子にあたる日像上人 (龍華樹院) により開山される。日蓮聖人
ご入滅にさいし京都布教の命を受けた日像上人は、いく度も都を追放されながらも民衆救済の使命に燃え、
暦応四年(1341年)四条の櫛笥に妙顯寺を建立するが叡山僧兵によって破却され、明徳四年(1393年)日
実上人がその地に再建、「本寺を立てる」という意味を込め「立本寺」と改名した。
しかし天文五年(1536年)再び叡山僧兵によって破却され、再興されたものの、文禄三年(1594年)秀吉
の命で京極今出川(寺町今出川)に移転。広大な寺域を得たが、宝永五年(1708年)の大火で焼失し現在地
に移転、今に至る。

▼山門。四脚高麗門、本瓦葺、安永七年(1771年)建立。




▼山門の立本寺札。

 


▼鐘楼。寛永年間(1661~1673年)建立。
何かもの足らないとよく見ると梵鐘が吊られていません。先の大戦で接収され、そのままの状態と云うこと
です。




▼刹堂 (鬼子母神堂)。桁行七間、梁間7間、重層入母屋造、本瓦葺、三間向拝付き。享保四年(1719年)再建。
1783年再び焼失、1811年再建。



鬼子母神と十羅刹女をお祀りしています。毎月八日に鬼子母神祭を行い「北野の鬼子母神さん」として多く
の参拝者が訪れるそうです。


▼刹堂の扁額。




▼祖師堂。桁行七間、梁間7間、重層入母屋造、本瓦葺、三間向拝付き。刹堂とソックリのお堂。



元禄年間(1688~1703年)建立。朽ち果てつつあるお堂と云ってもよいほど荒れています。現在は使用さ
れていないそうです。


▼有刺鉄線でガードされた祖師堂の外縁。




▼本堂。桁行7間、梁間7間、入母屋造、本瓦葺、三間向拝付き。享保三年(1743年)建立。



堂内内陣須弥壇には本尊十界曼荼羅とお厨子に入った冑の御影と呼ばれる日蓮上人坐像が祀られ、天井には
角錐の天蓋で豪華に荘厳されています。後堂には光琳門下、渡辺始興の十六羅漢図が墨書で壁面一杯に描か
れています。


▼本堂扁額。向拝軒に寺名、奥に七字名号扁額。扁額立本寺は本阿弥光悦筆と伝えます。




▼本堂にもう少し近づいてみましょう。本堂前には、蓮鉢数十鉢が並んでいます。




▼蓮が二つ咲いていました。







▼方丈入り口。若い僧お二人が迎えてくれました。丁寧な応対にビックリです。




▼大玄関。




▼客殿。日蓮宗客殿の初期の様式らしいです。




▼客殿前庭隅に遠慮勝ちに咲く百日紅。後ろの大屋根は本堂です。




▼客殿南側は全面ガラス障子。我が身が捕らわれの身のような感じ。




▼客殿前庭「龍華庭園」南庭。天保十四年~嘉永三年(1843~1850年)五十世住職、日到上人作庭。



龍華庭園は客殿南と西に作庭された枯山水庭園で京都市指定名勝になっています。


▼「龍華庭園」南庭。右の渡り廊下は本堂へ。




▼「龍華庭園」南庭を西から。




▼「龍華庭園」西庭。




▼「龍華庭園」西庭。西正面奥の築山全面に枯滝を表現。けっして石が崩れているのではありません。




▼「龍華庭園」西庭の蹲。




▼客殿前庭「龍華庭園」西庭のこちらは小川を表現。




▼花枯れが目立ちだした、白百日紅。




▼御朱印です。冑祖師と書かれています。




きょう案内してくれた若者も岡山からの修行僧、修行の中身はボクなんぞ知る由もないのですが、日蓮さん
や日像さんへの畏敬は相当なもの、といってもガチガチの念ではなく柔らかな思考の青年を感じます。
驚いたのは、彼に「岡山に帰るとお寺を継ぐの」と聞くと、「実家は兄が継いでます、私は養子に出される
と思います」先週妙顕寺の青年僧と同じ答えが返ってきました。

▼今日の出町出会いです。午後一時四十分ごろ。




↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ