(2012.07.28訪問)
天龍寺から嵐山銀座を通り、野宮神社から嵯峨野竹林を越え、小倉池畔を通り緑のお寺、常寂光寺へ。
▼いつ見てもほのぼの、まめ地蔵さんにチョットご挨拶。
▼嵯峨野竹林を歩くと必ず思い出します ♪ デューク・エイセス ♪
♪ 京都 嵐山 大覚寺 恋に疲れた 女が一人
塩沢がすりに 名古屋帯 耳を澄ませば 滝の音
京都 嵐山 大覚寺 恋に疲れた 女が一人
ハイ、皆さんもう一度!
きょうと~ らんざん だいかくじ~ こい~につかれた おんながひとり~ もういいか。
[ 常寂光寺 ]
●山号 小倉山(おぐらさん)
●寺号 常寂光寺(じょうじゃっこうじ)
●宗派 日蓮宗
●開山 日禛上人(にっしん)
●開創 文禄四年(1595年)
●本尊 十界曼荼羅
常寂光寺縁起
文禄四年(1595年) 京山科本圀寺十六世日禛上人が、保津川開削を行った角倉了以とその一族の所有地だった
この名勝小倉山の寄進を受け、ここを自身の隠棲処にし、常寂光寺を開創。
▼珍しい黒い山門。
▼仁王門。山科本圀寺の南門を元和二年(1616年)に移築。
三間一戸、茅葺屋根、両端に仁王像。珍しい茅葺きの屋根は厳めしい仁王門のイメージはありません。
▼これだけガード堅しの仁王さん、仏敵来襲の時どうするのでしょう。
若狭小浜の長源寺から移されたもので、一説に運慶の作と伝わるそうです。
▼山門から一直線に本堂までの参道。
▼本堂が見えてきました。
▼本堂。
二世日韶上人が小早川秀秋から伏見桃山城客殿の寄進を受け本堂として移築。
▼本堂扁額。
▼本堂
▼鐘楼。寛永十八年(1641年)建立。
▼庫裡。
▼とにかく緑一杯の境内。
▼妙見堂。大阪能勢妙見大菩薩を分祀勧請した鎮守社。
▼境内からは、市内や遠く東山を望むことが出来ます。
▼少し上にある多宝塔への参道です。
▼開山堂。開山日禛上人坐像を安置しています。
▼多宝塔(重文)。
方三間、重層、宝形造、檜皮葺、塔高12m。元和六年(1620年)建立。内部は非公開です。
▼青もみじ向こうの多宝塔。
▼謌僊祠(かせんし)。
鎌倉時代の歌人、藤原定家、藤原家隆の木像を安置している。以前現在の仁王門北にあり、寺の建立時
に山上に移転したそうです。
▼ふと見上げると…。
▼時雨亭跡の碑。
藤原定家が「小倉百人一首」をここ時雨亭で編纂したという旧跡。
近くの二尊院、厭離庵にも時雨亭跡の伝えがあるそうですが、謌僊祠の位置や定家の明月記によれば、ここ
が本家かも知れないそう。後世、名所がより名所を作りたがる好例でしょうか。
▼光る苔。
▼仁王門から山門。
さて緑のシャワーを十分浴びましたのでそろそろ帰りましょうか。
常寂光寺は日蓮宗のお寺、同宗のお寺の多くは必ず開祖日蓮さんの大きな像が境内を睥睨しているのですが、
ここには在りません。ボクたちが持つ日蓮さん檄のイメージはこのお寺には皆無です。閑かで優雅で上品な
山寺、そんな印象を持ちました。ただし紅葉のシーズンは別ですよ!
▼帰り道、とあるお宅の庭で見つけました。オシャレな演出です。住む方の感性に敬礼!
↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。
神社・お寺巡り ブログランキングへ
暑さにもめげず精力的に古寺をめぐっていらっしゃるようでなによりです。
いきなり「女ひとり」が登場したのには、驚きました。
ンム?どこかで見たような・・・(笑)。
常寂光寺も確か平家物語ゆかりの寺ですよね。
どんなお話だったかは忘れましたが。
平家物語に登場する哀しい女性たちほど、都から離れた寺院に似合う女性はないと思います。
仁王様の最大の敵は、もしかしたらハトでしょうか。
アライグマやら何やら、近年は仏敵が多くて大変ですね。
寺歴が比較的新しいので、このお寺が平家物語ゆかりとは知りませんでした。
小督さんの車琴の話は聞いたことはあるんですが、経過や姿かたちはマッタク。
ひょっとして定家さんが関係しているのでは。
時雨亭の伝承もあることですし。
「女一人」やっぱり。
なんせボキャ不足で「嵯峨野=おんなひとり」と思い込んでいます。
奈良博へ来られたんですね。近くにおりながらまだ行ってません。