土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

縁城寺、「橋木の観音さん」と親しまれています。

2019年12月06日 | 京都の古寺巡り




(2019.12.01 訪問)


師走第一弾は發信貴山縁城寺、丹後半島のほぼ中央に位置する京丹後市峰山町にある真言宗のお寺です。大大阪から名神高速、京都
縦貫道を一路北上、宮津天橋立を経由して約150Km、約2時間のコースです。比較的行き慣れたドライブ、大和路号はランラン気分
で目的地に向かって走っています。


[ 縁城寺 ]
●山号 發信貴山 (はしきさん)
●寺号 縁城寺 (えんじょうじ) 愛称はしぎの観音さん
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●開基 善無畏三蔵 (ぜんむいさんぞう)
●勅願 光仁天皇 (こうにんてんのう)
●開創 養老元年 (717年)
●本尊 千手観音立像(重文) 三十三年に一度のご開帳
▲京都府京丹後市峰山町橋木873 TEL.0772-62-0957  
▲拝観料 自由
▲拝観時間 自由
▲https://ja-jp.facebook.com/hashikidera
▲京丹後鉄道宮豊線「峰山駅」からタクシー10分
 

▼勅使門。切妻造、桟瓦吹。従来の勅使門の印象とは少々違いますが勅使門です。
 本堂があるところまで約300mあります。

 



縁城寺縁起
昔、印度の高僧善無畏三蔵来朝し、紫雲の霊瑞を尋ねて当山に来たり。千手観音木像を授かり、その由来を記して尊像の天衣に結び
て帰印され給う」と伝えられる。その後延暦14年(795)、桓武天皇より「縁城寺」の寺号勅額を賜り、また弘法大師が若き日、縁城
寺に三蔵の天衣記があると聞きご来錫披見し、「發信貴山」の山号額を自ら書き残した。その後一時衰微したが、一条天皇の帰依篤
く勅願寺として永延2年(988)再興され、以来丹後地方の庶民の信仰の中心として賑わいを見せた。しかし明治4年(1871)、廃仏毀釈
などのため、漸次衰運に向かうに至った。昭和2年(1927)丹後震災による総門、仁王門、庫裏の全壊、昭和38年(1963)の豪雪による
多宝塔上層部の倒壊等を経て現在に至り、往時の伽藍の復興を望まれる状況にある。



▼縁城寺の略縁起が記されています。






            ▼参道左右に「京都の自然二百選」に選ばれた「シイ」の巨木群。






▼勅使門から少々歩くと短い参道石段。上のお堂は本堂です。






▼鐘楼。






            ▼宝篋印塔 (重文)。
             石造基壇付宝篋印塔で善無畏三蔵の供養のために正平六年(1351年)建立。






▼本堂。桁行五間、梁間四間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付。嘉永元年(1846年)再建。
 丹後地方特有の豪雪被害で多数の丸太が屋根を支えています。






▼龍が波打つ意匠の動きアリアリの海老虹梁。






▼本堂正面です。前面、奥面とも格子戸は妙なリズムを感じませんか。

                                   




            ▼本堂外陣の吹き放ちに安置されている阿形金剛力士。






                   




            ▼こちら吽形金剛力士。






               




▼内陣に掲げられている寺号扁額。






▼本堂内陣の須弥壇。






            ▼お前立の観音さん。






            ▼本尊千手観音立像(重文)。



            (本尊写真はnetから)




▼本堂斜景。






▼甍と朱の共演。






▼多宝塔初層。この写真を見る限り、多宝塔とは思えませんネ。けれど多宝塔の初層なんです。
 天保三年(1832年)建立。丹後震災で相輪が折れ、昭和三十八年(1963年)サンパチ豪雪により二層目が倒壊。
 以降初層に銅板の切妻屋根を載せた応急修理のままになっているそうです。






▼多宝塔斜景。






▼ファショナブル六地蔵さん。






            ▼稚児を抱っこしているお大師さん。






            ▼水子地蔵さん。






            ▼こちら願掛けお不動さん。半浮き彫りの彫刻です。






▼宝蔵への階段。






▼宝蔵。





▼縁城寺の鎮守社。






▼さて参道を戻って…、






▼縁城寺お暇します。写真は唯一の塔頭寺院です。





「最盛期には広大な境内に七堂伽藍が建ち並び七院、二十五坊を擁し奥丹後随一の名刹として名を馳せました」と今の時代に往時の縁
起が語る歴史の盛衰、そして時代の変遷の非情さ、幾世紀後こういったお寺がどんな形で残ってゆくのか非常に興味のあるところです。



勧修寺、真言宗門跡寺院です。

2019年11月28日 | 京都の古寺巡り





(2019.11.23 訪問)


京山科にやってまいりました。今日は色んな読み方をされるお寺、門跡寺院勧修寺への訪問です。正式には「かじゅうじ」。
白壁築地塀の参道を歩くと、門跡寺院の優雅で上品な空気がそこはかとなく漂っているのを感じます。




            [ 勧修寺 ]
            ●山号 亀甲山 (きっこうざん)
            ●寺号 勧修寺 (かじゅうじ)
            ●宗派 真言宗山階派 (しんごんしゅうやましなは) 大本山
            ●勅願 醍醐天皇 (だいごてんのう)
            ●開基 承俊律師 (しょうしゅんりっし)
            ●開創 昌泰三年 (900年)
            ●本尊 千手観音菩薩
            ▲京都市山科区勧修寺仁王堂町27-6 TEL.075-571-0048  
            ▲拝観料 400円 御朱印300円
            ▲拝観時間 9:00~16:00
            ▲地下鉄東西線「小野駅」下車 徒歩約6分
             京阪バス「小野」下車 徒歩約2分




            ▼本来、寺号は誰もが読めなけりゃ意味がないのにネ。






勧修寺縁起
昌泰三年(900年)、醍醐天皇が母の菩提を弔うため、母の生家を寺に改めた。天皇の祖父、藤原高藤が勧修寺内大臣と称していたこと
から、勧修寺と名付け定額寺に列せられ皇室との縁が深く、宮門跡として品格高く維持。鎌倉時代に後伏見天皇の皇子寛胤法親皇が十
六世として入山以来宮門跡寺院となる。その後応仁の乱で寺は衰退、江戸期になって皇室と徳川氏の帰依、援助で伽藍整備が進み復興
された。




▼参道沿いの築地塀。左右の樹々は桜、春には桜参道になります。 






▼山門。






▼名勝庭園へ直行です。赤が映えていそうですネ。






▼これを称してモミジの紅葉と云う。ウン?         











▼竹の垣根も興をそそります。






▼宸殿。桁裄五間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付。元禄十年 (1697年) 旧御所明正院から移築された御対面所。
 内部は一の間、二の間、三の間が一列に並ぶ寝殿造風建物です。別名明正殿と呼ばれています。

       




▼明正殿と書かれた扁額。

                      




▼宸殿内部の様子です。






▼庭に咲く花。






▼書院 (重文)。桁裄七間、入母屋造、杮葺。御所の建物を拝領したらしいのですが、建物は諸説あるそうです。
 門跡御座所、二の間、対面所、私室などで構成されています。






▼書院広間の障壁画。土佐光起の近江八景図。






▼書院前庭の水戸光圀寄進と伝える勧修寺型灯籠。
 灯籠を囲んでいるのは、樹齢750年、檜科のハイビャクシン、これで一本の樹らしいです。






▼赤と青のせめぎ合い。






▼スッポリとブルーシート、本堂は修理中。桁裄六間、入母屋造、檜皮葺、一間向拝付。






▼おことわり書。






▼本堂内陣。






▼本尊千手観音菩薩立像。整ったお顏と像姿、近くで拝したいものです。像高160cm。室町時代。
 十一面さんと思われますが頭部の様子が分かりません。目の光具合から玉眼が嵌められているようです。






▼大斐閣とも呼ばれる昭和六年再建の観音堂。






▼観音堂正面。






            ▼観音堂本尊。なんとも艶やかな観音さん。






▼観音堂側面。






            ▼境内の一角に修行大師像。






▼岩座に不動明王三尊。脇侍は矜羯羅童子と制多迦童子。






▼氷室池。今は見る影もないハスの成れの果て。初夏にはカキツバタや花菖蒲、蓮が池面を飾り、水鳥たちもやってきます。






▼弁天堂。一間四方、勾欄付宝形造。扉は閉まり中には鏡が一つポツンと。弁天さんにはお会いできませんでした。






▼こんな扁額がポツンと。






▼せっせと働くミツバチに敬意を評して、勧修寺 オ シ マ イ











宸殿や書院を拝見すると門跡寺院の格式は否応無しに感じます。ただ今の時代「やんごとなき」世界の生活感は感じることはありません。
仏像で一言、本堂本尊と観音堂本尊との像姿の極端な違いは、徹底した儀軌に基づいた造仏作法によるものなのか、あるいは仏師の遊び
心の余裕さなのか、今となっては計り知れませんが、往時の衆生はどんな感じでこれら二体のお像を拝していたのか興味のあるところです。

光明寺、法然さん渾身の古刹です。

2019年09月19日 | 京都の古寺巡り





(2019.09.15訪問)




久々に京都西山古道を走っています。西山三山という三名刹が古道沿いに法灯を競っています。光明寺、善峯寺、楊谷寺。今日はそ
の一つ青もみじの光明寺を訪ねます。このお寺「平家物語」で熊谷直実と平敦盛の一騎討ちで有名な熊谷直実の出家譚が絡むお寺で
す。参拝者が少ないオフシーズンの今、緑いっぱいの境内から「青葉の笛」でも聞こえてこないかなァ。




            ▼ここは浄土宗発祥の地。







            [ 光明寺 ]
            ●山号 報国山(ほうこくざん)
            ●院号 念仏三昧院 (ねんぶつざんまいいん)
            ●寺号 光明寺(こうみょうじ)
            ●宗派 西山浄土宗 (せいざんじょうどしゅう)
            ●開山 法然上人 (ほうねんしょうにん)
            ●開基 蓮生法師 (熊谷直実)
            ●開創 建久九年(1198年)
            ●本尊 阿弥陀如来立像
            ▲京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1 075-955-0002
            ▲拝観料 境内自由
            ▲拝観時間 9:00~16:00
            ▲http://www.komyo-ji.or.jp/
            ▲阪急京都線長岡天神駅より阪急バス光明寺行10分、光明寺より徒歩5分





▼総門。一間四脚高麗門、切妻造、本瓦葺。天保十六年 (1845年) 建立。







光明寺縁起
宗祖法然上人が43歳の時、日本で最初に念仏の産声を上げられた立教開宗の地であります。法然上人が24歳の時、叡山を降り、こ
の粟生野の里、村役の高橋茂右衛門宅に一夜の宿をお借りになりました。その時、茂右衛門夫婦は、上人の大衆が救われる道を求め
ての旅である事を聞き、「まことの教えを見いだされましたならば、先ず最初に私共にその尊いみ教えをお説き下さいませ」と請願。
承安五年(1175年)3月、浄土宗を開かれた上人は約束の通り、この粟生野の地で初めて念仏の法門を説きました。文治元年(1185年)
熊谷蓮生法師(熊谷次郎直実)が法然上人を訪ね、弟子となり法力房蓮生と名付けられ、数年修行後、吉水を離れ、静かに念仏を称え
られる地を求めて、建久九年(1198年)に、上人ゆかりの地、粟生広谷に寺を建て、法然上人を勧請して入佛落慶法要を営み、開山第
一世と仰ぎ、自らは二世となり、上人から「念仏三昧院」の寺号を頂きました。これが光明寺の発祥です。





▼総門をくぐるとすぐ左に小堂、閻魔堂です。小窓から覗くと……、







▼真っ赤な閻魔さん。







▼閻魔堂の扁額です。







▼本堂目指してレッツゴー!
 総門を入ると道が二手に分かれています。総門の正面から本堂に向かっている坂道が表参道通称「女人坂」です。
 左手の道は秋になると鮮やかな紅葉のトンネルになる通称「もみじ参道」。







▼いい感じの参道石段、緑の最盛期にはグリーントンネル。







            ▼石段上がりきったところに法然上人がいらっしゃいます。
             法然上人誕生八百五十年を記念して昭和五十七年(1982年)建立。

       





▼鐘楼。

 





▼光明寺本堂の御影堂。本尊法然坊源空像(張子の御影)
 堂々の御堂、桁行五間、梁行五間、入母屋造、本瓦葺、総欅造、三間向拝付。宝暦三年 (1753年) 再建。







▼御影堂扁額です。







▼御影堂外陣と内陣の仕切り、内陣へは入れません。







▼内陣須弥壇には本尊のお前立ちだと思いますが定かではありません。

     





▼御影堂。堂前右の松は昭和天皇が皇太子時に光明寺を訪れられ、お手植えになったものです。







▼御影堂隣に阿弥陀堂。このお寺の本尊阿弥陀如来立像が祀られています。
 桁行三間、梁行三間、入母屋造、本瓦葺、総欅造、一間向拝付。寛政十一年 (1799年) 再建。







▼阿弥陀堂正面、全面障子戸です。







▼これでもかと言わんばかりの荘厳がキラキラです。







▼キラキラを通して見る須弥壇。本尊阿弥陀さんと脇侍が見えますネ。

               





▼本尊阿弥陀三尊。像高2m、木造。蓮生さんが琵琶湖堅田の浮御堂から背負って持ち帰ったと云う伝承があるそうです。
 右観音菩薩、左勢至菩薩。

                       




            ▼本尊阿弥陀さんです。立像にありがちな硬さがなく、衣紋の流れや柔らかさは実に自然、
             蓮花にお立ちですがただ足元が見えないのが残念。お身体全体はもっと黄金に輝いています。

           





▼阿弥陀さんのお顔。お顔に比して螺髪が大きく頭部全体がカツラのような印象。若かりし阿弥陀さんかな。







            ▼御影堂裏手に円光大師法然さんの廟がありますが……、







▼実はお参りすることができません、一般は立ち入り禁止になっているんです。







▼テッペンには御廟、納骨堂、勢至堂があります。







            ▼境内には巨木ビャクシンが控えています。樹高15m、樹齢4〜500年、天然記念物。







▼渡り廊下では……、







▼吊燈籠が優雅に揺れています。







▼勅使門。前後唐破風付の四脚門、檜皮葺。







▼書院玄関。書院、方丈は拝観出来ません。







▼玄関から覗いてみました。







▼庫裏です。







▼法然上人袈裟懸松。







▼法然上人火葬跡。
 遺骨は弟子たちがそれぞれ分かち持ったという。1234年法然の弟子源智は、大谷の地に知恩教院大谷寺、後の知恩院を建立
 し、法然の遺骨を廟堂に安置したと伝わります。







▼境内から後山を望むと紺碧の空が広がってました。






それにしてもこのお寺「もみじ寺」として有名らしいですネ。何度か訪ねているのですが、売りのシーズンは訪ねたことがありませ
ん。一つに紅葉期は人人人と人で溢れかえるそうで、どうしても二の足を踏んでしまいます。錦秋紅葉期はもうすぐそこに、相当の
人出覚悟の上で皆さんどうぞ!

光明寺 オ シ マ イ 。

桂林寺、美しい十一面さんに逢えますヨ。

2019年07月14日 | 京都の古寺巡り





(2019.07.06訪問)

先の圓隆寺とごくご近所に曹洞宗のお寺桂林寺があります。このお寺には本尊阿弥陀さんの他に、現代の大仏師松本明慶さん作の、
この上なく美しい観音さんがおられると聞き、早速訪ねることに。百聞は一見に如かずの言葉通り、現代仏師の力量を間近に見る
ことが出来ますよ。




            ▼貫禄の三段積寺号石標が山門前に。







            [ 桂林寺 ]
            ●山号 天香山(てんこうざん)
            ●寺号 桂林寺(けいりんじ)
            ●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう) 中本山
            ●開基 竺翁雄仙 (ちくおうゆうせん)
            ●開創 応永8年 (1401年)
            ●再興 皇慶上人 長徳年間
            ●本尊 阿弥陀如来立像
            ▲京都府京都府舞鶴市紺屋69  0773-75-0168
            ▲拝観 境内自由
            ▲舞鶴若狭自動車道舞鶴西ICから約15分
             JR西舞鶴駅から徒歩約10分





▼山門。寺号木札が架かってないのも珍しいお寺です。







桂林寺縁起
欽明天皇26年 (565年) 勅願により薬師寺として開かれたのがはじまり、応永8年 (1401年) 竺翁雄仙が曹洞宗に改宗。
1451年(宝徳3年)、当時の佐武ケ嶽城主坂根修理亮が父親の桂林院の菩提を弔うために堂宇を増築、寺領30石を寄進し寺号を「桂
林寺」に改称.。1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いで6世大渓は細川幽斎を支援、その功績に対し細川家より阿弥陀像と絹本著色仏
涅槃図、梵鐘が寄進される。江戸時代、歴代藩主から庇護され寺運が隆盛、末寺30余寺を擁する曹洞宗中本山として大きな影響力
を持つようになった。





▼仁王門。初層左右奥に仁王さんがお立ちですが、撮影失敗! 重層、3間1戸、入母屋造。本瓦葺。享保2年 (1717年) 建立。







▼仁王門扁額。全く読めません。







▼石段の先に竜宮門式鐘楼門。







▼上層に梵鐘が吊られているようです。







▼鐘楼門扁額。この文字も読めません、情けない!







▼鐘楼門から正面に本堂。







▼本堂。

 





▼本堂扁額。悪しき例によりこれまた読めません。

 





▼本堂内陣扁額。アホらしいほど読めません。







▼これでもかの荘厳が目を引きます。







▼須弥壇奥に本尊がお立ちです。







▼本尊阿弥陀如来立像。光背一体の真新しい本尊のようです。        













▼阿弥陀さんのお顔。







            ▼脇殿の十一面観音立像。これこそ観音浄土の観音さん、この上なく美しい姿で
             お立ちです。像高約3m、木造、淡彩色、仏師は京都大仏師の松本明慶さん。
             2014年10月5日開眼法要。







▼十一面さんのお顔。







            ▼内陣前に陶器製の狛獅子。右のは左前足で子獅子を踏みつけ、







            ▼左のは右前足で鞠を踏んでいるんでしょうか。







▼選仏場。座禅道場、桁行7間、梁間6間、入母屋造、桟瓦葺。坐禅会が開かれています。(毎月8日 午前5時30分~午前7時00分)







▼選仏場扁額。







▼宝蔵。







▼境内の一角に天光観音菩薩坐像 (准程観音菩薩坐像)
 見事というほか言葉が出ない石仏。ようもまあこれだけ細かい彫りが出来るもんだ! 優しいお顔でしょう。     













▼本坊。こちらで御朱印をいただきます。







▼本坊前のお庭。







▼クレマチス。かな?







▼桂林寺遠景。舞鶴市内に見えますか。

 





▼御朱印です。






ご住職にお寺パンフをお願いすると、「当寺は拝観寺院ではないので作っていません」が話の発端、気の毒に思われたんでしょうか、
方丈でしばらくお話し、茶菓子接待まで受け、こちらが恐縮した訪問でした。読めなかった扁額の読、聞くのを忘れたのは後の祭り!
天香山桂林寺、これにてオシマイ!

圓隆寺、珍しい亀腹を持つ多宝塔に会えますヨ。

2019年07月09日 | 京都の古寺巡り




(2019.07.06訪問)


今日は京都舞鶴市遠征。遠い遠い136キロ先の目指すは医王山多禰寺。Junさんのブログ「多禰寺へ龍を見に行く」を読ませてもらっ
て、これは是非とも訪ねなければならない。ボクは中井一統彫刻のファンで、多禰寺にそれが有るとなると即決、今日訪ねようと。
早速大和路号は京都縦貫を北へまっしぐら、とまでは良かったんですが、もう少しというところで多禰寺への道は、このところの雨
で山道は山崩れで通行不能、アアなんと云うことでしょう! しかししかし舞鶴市にはユニークな多宝塔を持つお寺、圓隆寺があるん
です。




            ▼前道路に面して建つ山号寺号が刻された石標。






            [ 圓隆寺 ]
            ●山号 慈慧山(じけいさん)
            ●寺号 圓隆寺(えんりゅうじ)
            ●宗派 真言宗御室派 (しんごんしゅうおむろは)
            ●開基 伝行基
            ●開創 奈良時代
            ●再興 皇慶上人 長徳年間
            ●本尊 阿弥陀如来、薬師如来、釈迦如来
            ▲京都府舞鶴市引土72  0773-75-1193
            ▲拝観料 境内自由
            ▲舞鶴若狭自動車道舞鶴西ICから約15分
             JR西舞鶴駅から徒歩約8分





▼総門。

 





圓隆寺縁起
奈良時代に行基が創建、のち長徳年間(998~998)に皇慶上人が中興したと伝えられる。本尊は丹後地方最大の丈六仏で、そのお
だやかな表情、ふくよかな体つき、やわらかな衣のラインは定朝式を伝える美しい仏像。また、この仏像のほか、不動明王立像と毘
沙門天立像は、重要文化財に指定されている。





▼総門。3間1戸、入母屋造。桟瓦葺、袖塀付、宝暦3年(1753年)建立。







▼慈慧山と書かれた総門扁額。







▼総門から境内、正面に参道石段が。







▼最初のお堂は、総門を入って右手に大師堂。







            ▼堂前にはお大師さんの若き日の修行像。







▼正面石段左手に薬師堂が。方3間桟瓦葺きの小さなお堂。

 





            ▼正面小窓から堂内を見ると立派な薬師如来がお坐りです。

 





▼境内石段参道。石段を上りきると本堂広場が待ってます。







▼広場右端に鎮守堂と粟嶋堂。







▼太子堂と観音堂が並んでいます。左太子堂、右観音堂。







▼太子堂扁額。聖徳太子殿と書かれた扁額。







▼観音堂。方3間、宝形造、桟瓦葺、1間向拝付。







▼観音堂本尊、聖観音菩薩坐像。







▼出世稲荷神社。







▼本堂正面。桁裄5間、梁間5間、入母屋造、桟瓦葺、1間向拝付、この向拝がまた豪華、千鳥破風の前部が唐破風で重厚な向拝。
 天明6年(1785年) 建立。







▼本堂側面。







▼本堂正面は全面格子が嵌められています。







▼本堂正面屋根裏から向拝屋根裏は相当複雑に組み込まれているようです。







▼本堂床は全面板敷き、中央奥に豪華な瓔珞、華鬘や羅網で荘厳された内陣須弥壇。







▼須弥壇中央に金色に囲まれた本尊阿弥陀如来がお坐りです。肝心のお顔がねぇ〜。







            ▼岩に刻まれた滝不動明王。







▼これが珍しい多宝塔。          













▼多宝塔亀腹。珍しいでしょ、瓦を鱗のように葺いています、もう一つ上層に鳥居が備えられています、これも珍しいですネ。

 





▼多宝塔初層は2重桁。







▼鐘楼。







▼御成門。書院や方丈のエリアです。  







▼客殿。







▼護摩堂。              







 





▼宝蔵でしょうか。






これだけのお寺で、どなたもいらっしゃらない、知りたいこと満載のお寺、仏像ファンにとっては、何とも惜しい気がしました。
せめてお寺ガイドでもと思ったんですが、それも無し、泣く泣く圓隆寺オイトマ、咲き残りの紫陽花が健気に咲いて、健気に見送って
くれました。












これにて圓隆寺オシマイ。