(2017.01.28訪問)
木津川を挟んで奈良に一番近い京都和束町にやってきました。和束茶源郷と呼ばれるお茶の産地です。
R163を木津川沿いに走り、県道5号を信楽方面へ、途中右折れし少し行くとお寺に到着。この府道5号、木津川支流の渓流沿いに走
る何とも云えない味のある渓谷美を満喫しつつ、いずれはR307に合流し信楽に向う道なんです。
川の両サイドの傾斜地に茶畑が広がっています。
♪ 夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る チャンチャン
あれに見えるは茶摘ぢやないか あかねだすきに菅の笠 チャンチャン ♪
茶摘みの頃、お茶の樹の間から顔をだしニッコリ、紺絣に茜たすきの早乙女がチラホラ、いいなァ……。
こんな情景今時見れるのかナ。
あッそうそう、正法寺に行くのでした。早速行ってみましょう。
▼参道入り口の寺号石標。
[ 正法寺 ]
●山号 瑞泉山 (ずいせんざん)
●寺号 正法寺 (しょうほうじ)
●宗派 臨済宗永源寺派 (りんざいしゅうえいげんじは)
●勅願 聖武天皇 (しょうむてんのう)
●開山 行基 (ぎょうき)
●開創 天平年間(729~749年)
●中興 如雪文巌 (にょせつもんがん)
●本尊 阿弥陀如来坐像
▲京都府相楽郡和束町南下河原71 TEL.0774-78-2834
▲拝観料 御朱印なし
▲拝観時間 自由
▲JR加茂駅から奈良交通バス和束町小杉行きで「和束山の家前」下車、徒歩5分
京奈和道「山田川IC」から国道24号、163号、府道5号経由30分
▼優しい石段の参道です。
正法寺縁起
本寺は天平年中聖武天皇が安積皇子の冥福を祈り、行基が開山したもので仏法寺と称し、俗に幡寺と呼ばれていたという。往古は寺
領多く仏法寺山に大伽藍を構えていたが、南北朝の兵火で衰微。江戸期、如雪文巌和尚を中興開山にむかえ、後水尾上皇、東福門院
の帰依により寺観を整え、正法寺と名を改めた。境内を彩る山紅葉は滋賀県臨済宗大本山永源寺から移したものと伝えられている。
▼参道石段の傍らにお地蔵さん。
▼正面に山門、
▼ではなく勅使門で締め切りでした。
▼勅使門手前の石畳、ココから山門に向います。
▼右に折れると石段です。
▼門はありませんがココからの入山になります。
▼鐘楼です。
▼庫裡、書院、本堂と直線で連なる建物。前には立派な石囲いが。
▼書院。
▼境内の一角に真新しい十三重石塔。
▼開かずの勅使門を内側から。
▼本堂です。方三間、入母屋造、銅板葺。急勾配の屋根は軒が深く、独特の堂形ですネ。
▼シンプルな本堂扁額。全く読めません。
▼堂内須弥壇もシンプルな設えですネ。
▼本尊阿弥陀如来坐像。
お像の詳細は不詳ですが、お躯、台座、蓮台、光背もに金泥がよく残り、
実に美しい本尊です。
▼本堂。
▼本堂横に今はもう使われていないような木板が吊られていました。木槌にはカビが付き放題。
▼経蔵か宝蔵かよく判らない蔵。
▼このお堂も名称不詳。本尊がお不動さんなので、便宜上不動堂としておきましょう。
桁裄一間、梁間二間、宝形造、桟瓦葺。小さいお堂ですが、テッペンの露盤と宝珠は独特の形で瓦製です。
▼須弥壇です。
▼中央お厨子に本尊不動明王立像。眷属はいません。
▼不動堂の横に十二支お地蔵さんが集合してはります。皆さん防寒はバッチリ。
▼今年の干支、鶏と遊ぶお地蔵さん。
▼本堂後ろ高台に開山堂。桁裄三間、梁間二間、寄棟造、桟瓦葺。
▼開山堂須弥壇。
▼本尊地蔵菩薩半跏像。法衣の彩色きれいに残り、右手に錫杖、左手に宝珠をお持ちです。お顔と躯の金箔か金泥は後補と思われま
す。このお地蔵さんにも眷属はいません。
▼開山堂。
▼諸堂を下に見て、高台の道を少し辿りましょう。
▼途中に小さなお社がポツンと。
▼歴代何方かの廟堂、
▼一基の墓標が祀られてますが、何方なのか全く位牌文字が読めません。
▼傍らに歴代住職の墓が並んでいます。
▼境内から和束の町を見晴るかして正法寺 オ シ マ イ
正法寺は小さいお寺ですが、アプローチの参道など古刹の雰囲気が溢れ、小さい境内にお堂が密集して立ち並び、嬉しいことに入堂
可能、須弥壇間近で仏像などジックリ拝観出来ます。残念なことに今日は寺方がご不在のようで、お話し出来ずご朱印も頂けなかっ
たんですが、相当な由緒を感じるお寺でした。近江の永源寺末と云うことで永源寺からの紅葉が移植され晩秋の参道と境内は凄いこ
とになると聞きました。
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