土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

正法寺、茶源郷和束町にある古刹です。

2017年01月30日 | 京都の古寺巡り





(2017.01.28訪問)


木津川を挟んで奈良に一番近い京都和束町にやってきました。和束茶源郷と呼ばれるお茶の産地です。
R163を木津川沿いに走り、県道5号を信楽方面へ、途中右折れし少し行くとお寺に到着。この府道5号、木津川支流の渓流沿いに走
る何とも云えない味のある渓谷美を満喫しつつ、いずれはR307に合流し信楽に向う道なんです。
川の両サイドの傾斜地に茶畑が広がっています。

     ♪ 夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る チャンチャン
             あれに見えるは茶摘ぢやないか あかねだすきに菅の笠 チャンチャン ♪

茶摘みの頃、お茶の樹の間から顔をだしニッコリ、紺絣に茜たすきの早乙女がチラホラ、いいなァ……。
こんな情景今時見れるのかナ。
あッそうそう、正法寺に行くのでした。早速行ってみましょう。




▼参道入り口の寺号石標。






[ 正法寺 ]
●山号 瑞泉山 (ずいせんざん)
●寺号 正法寺 (しょうほうじ)
●宗派 臨済宗永源寺派 (りんざいしゅうえいげんじは)
●勅願 聖武天皇 (しょうむてんのう)
●開山 行基 (ぎょうき)
●開創 天平年間(729~749年)
●中興 如雪文巌 (にょせつもんがん)
●本尊 阿弥陀如来坐像
▲京都府相楽郡和束町南下河原71 TEL.0774-78-2834  
▲拝観料 御朱印なし
▲拝観時間 自由
▲JR加茂駅から奈良交通バス和束町小杉行きで「和束山の家前」下車、徒歩5分
 京奈和道「山田川IC」から国道24号、163号、府道5号経由30分




▼優しい石段の参道です。






正法寺縁起
本寺は天平年中聖武天皇が安積皇子の冥福を祈り、行基が開山したもので仏法寺と称し、俗に幡寺と呼ばれていたという。往古は寺
領多く仏法寺山に大伽藍を構えていたが、南北朝の兵火で衰微。江戸期、如雪文巌和尚を中興開山にむかえ、後水尾上皇、東福門院
の帰依により寺観を整え、正法寺と名を改めた。境内を彩る山紅葉は滋賀県臨済宗大本山永源寺から移したものと伝えられている。




▼参道石段の傍らにお地蔵さん。







▼正面に山門、







▼ではなく勅使門で締め切りでした。







▼勅使門手前の石畳、ココから山門に向います。







▼右に折れると石段です。







▼門はありませんがココからの入山になります。







▼鐘楼です。







▼庫裡、書院、本堂と直線で連なる建物。前には立派な石囲いが。

      




▼書院。






            ▼境内の一角に真新しい十三重石塔。






▼開かずの勅使門を内側から。







▼本堂です。方三間、入母屋造、銅板葺。急勾配の屋根は軒が深く、独特の堂形ですネ。







▼シンプルな本堂扁額。全く読めません。







▼堂内須弥壇もシンプルな設えですネ。






            ▼本尊阿弥陀如来坐像。
             お像の詳細は不詳ですが、お躯、台座、蓮台、光背もに金泥がよく残り、
             実に美しい本尊です。






▼本堂。







▼本堂横に今はもう使われていないような木板が吊られていました。木槌にはカビが付き放題。







▼経蔵か宝蔵かよく判らない蔵。







▼このお堂も名称不詳。本尊がお不動さんなので、便宜上不動堂としておきましょう。
 桁裄一間、梁間二間、宝形造、桟瓦葺。小さいお堂ですが、テッペンの露盤と宝珠は独特の形で瓦製です。







▼須弥壇です。






            ▼中央お厨子に本尊不動明王立像。眷属はいません。






▼不動堂の横に十二支お地蔵さんが集合してはります。皆さん防寒はバッチリ。






            ▼今年の干支、鶏と遊ぶお地蔵さん。






▼本堂後ろ高台に開山堂。桁裄三間、梁間二間、寄棟造、桟瓦葺。







▼開山堂須弥壇。







▼本尊地蔵菩薩半跏像。法衣の彩色きれいに残り、右手に錫杖、左手に宝珠をお持ちです。お顔と躯の金箔か金泥は後補と思われま
 す。このお地蔵さんにも眷属はいません。







▼開山堂。







▼諸堂を下に見て、高台の道を少し辿りましょう。







▼途中に小さなお社がポツンと。







▼歴代何方かの廟堂、







▼一基の墓標が祀られてますが、何方なのか全く位牌文字が読めません。







▼傍らに歴代住職の墓が並んでいます。







▼境内から和束の町を見晴るかして正法寺 オ シ マ イ












正法寺は小さいお寺ですが、アプローチの参道など古刹の雰囲気が溢れ、小さい境内にお堂が密集して立ち並び、嬉しいことに入堂
可能、須弥壇間近で仏像などジックリ拝観出来ます。残念なことに今日は寺方がご不在のようで、お話し出来ずご朱印も頂けなかっ
たんですが、相当な由緒を感じるお寺でした。近江の永源寺末と云うことで永源寺からの紅葉が移植され晩秋の参道と境内は凄いこ
とになると聞きました。





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平等院鳳凰堂です。

2017年01月27日 | 京都の古寺巡り





(2017.01.21訪問)


靖國寺から10分余りで平等院に着きます。この界隈やはりなんと行っても平等院、人とクルマがイヤというほど溢れています。
阿字池対岸から見る鳳凰堂は、丹土古色の濃朱で、落ち着いた極楽浄土の味わいを醸しているようです。
今日の平等院は鳳凰堂限定です。なぜかは聞かないで下さい。




▼鳳凰堂。






[ 平等院 ]
●山号 朝日山 (あさひさん)
●寺号 平等院(びょうどういん)
●開基 藤原頼通 (ふじわらよりみち)
●開山 明尊上人 (めいそんしょうにん)
●開創 天喜元年 (1053年)
●宗派 単立
●本尊 阿弥陀如来坐像
▲京都府宇治市宇治蓮華116 TEL.0774-21-2861
▲拝観料 600円 御朱印300円
▲拝観時間 8:30~17:30  
▲HP http://www.byodoin.or.jp/
▲JR奈良線で「宇治駅」下車、東へ徒歩10分。
 京阪電鉄宇治線で「京阪宇治駅」下車、徒歩10分。




▼鳳凰堂。
























平等院縁起 (平等院HPから抄出)
関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から譲り受けた別業をその子頼通が、永承七年(1052年)にこれを仏寺に改め、平等院としま
した。永承七年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流
行していました。その翌年の天喜元年(1053年)には平等院の阿弥陀堂鳳凰堂が落慶し、堂内には、平安時代の最高の仏師定朝に
よって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたとされています。約千年前に建立された建造物や仏像が今に
伝えられ、世界遺産にも登録されております。




▼裏側から撮った鳳凰です。
 皆さんご存知ですか、鳳凰に雄雌がいるのを。鳳が雄、凰が雌です。平等院ではこの鳳凰の雌雄は決めてないらしいです。









この鳳凰はレプリカです。本物は鳳翔館に展示されています。




鳳凰堂 (国宝) プロフィール!!
鳳凰堂とは中堂、南北翼廊、尾廊の四棟構成の阿弥陀堂。中堂須弥壇にはあの仏師定朝作の阿弥陀如来坐像がど~んと。創建時に使
われた赤褐色の顔料丹土で柱や扉を塗り、屋根の鳳凰像、金具類を金色に復元、屋根瓦も光沢を抑えた「古色仕上げ」が施されてい
ます。




▼中堂のアップ。



















▼阿弥陀さん見えます?







▼やっとお顔が見えました。
 思い切り引っ張り、思い切り明るくして、さわりまくった阿弥陀さんです。







▼御朱印です。







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靖國寺、異国の本尊に初めてお会いしました。

2017年01月23日 | 京都の古寺巡り




(2017.01.21訪問)

隠れ寺の雰囲気がどことなく漂うお寺が宇治にありました。宇治川左岸を東へ、天ヶ瀬ダムの少し手前にそのお寺はあります。この
お寺靖國寺、そうあの江戸九段の靖国神社と少なからずの因縁寺なんです。
戦没英霊を仏式に合祀する日本唯一の寺であると同時に、ミャンマーとの関係も深いらしくその詳細は聞き漏らしましたが、仏舎利
と本尊がミャンマーから贈られたと聞きました。その南伝仏教の本尊釈迦如来坐像に本堂で会うことが出来ました。




            ▼本尊釈迦如来坐像。






            [ 靖國寺 ]
            ●山号 鳳翔山 (ほうしょうざん)
            ●寺号 靖國寺 (やすくにでら)
            ●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう) 大本山永平寺直末
            ●開基 中井祖門 (なかいそもん)
            ●開山 高階瓏仙禅師 (たかしな ろうせん) 永平寺の七十一世貫首 (曹洞宗管長)
            ●開創 昭和二十四年 (1949年)
            ●本尊 釈迦如来坐像
            ▲京都府宇治市宇治金井戸7-14 TEL.0774-21-3023  
            ▲拝観料 境内自由 御朱印300円
            ▲拝観時間 8:00~17:00
            ▲京阪電車宇治線「宇治駅下車。タクシーで約10分。
             名神高速道路・京滋バイパス「宇治西IC」を出て左折、宇治橋を渡り左折。県神社横を左折、平等院前
             を通り、府道大津南郷宇治線天ヶ瀬ダム手前100m(靖國寺の看板有り)を右折。500mほど走り、
             靖國寺の看板を見て右折。300mほどで山門へ。




▼参道入り口です。






靖國寺縁起 (靖國寺HPから抄出)
当寺は、靖国神社に対して全国の戦没英霊を仏式に合祀する日本唯一の寺です。昭和四年、建立者中井祖門師が当時の田中義一首相
と熟議し、賛同を得て発願されました。昭和十六年より全国を托鉢勧募した浄財で用材を購入、本堂建立に着手。各地の信徒の多大
なる寄進により、昭和十八年十一月には入佛式を修行、昭和二十四年四月に勤皇山靖國寺として落慶しました。創建以来、戦没者の
遺骨、無縁の英霊が全国各地より奉安置され、昭和二十六年には靖国神社より二百四十万余りの御分霊をお迎えしてお祀りしていま
す。御開山には永平寺の71世貫首(曹洞宗管長)高階瓏仙禅師を迎え、永平寺御直末寺院となりました。




▼山門。三間一戸、重層門、切妻造、本瓦葺、両脇には仁王像を安置しています。昭和六十三年五月落慶。






            ▼山門木札。






            ▼阿形仁王さん。












            ▼吽形仁王さん。












▼山門表扁額。大本山永平寺七十八世貫首、宮﨑奕保禅師の書。







▼山門から境内。







▼山門中扁額。昭和二十四年落慶時の山号勤皇山と書かれています。







▼不動堂 (十二支天堂)。桁裄三間、梁間五間、入母屋造、桟瓦葺。昭和三十六年建立。本尊一願成就不動明王。







▼不動堂内、中央が本尊一願成就不動明王、左右に干支の守り仏、十二支天刺繍画像が祀られています。

           




            ▼本尊一願成就不動明王。






▼開山堂。歴代住職の尊像と位牌を奉安。桁裄二間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺。






            ▼七重石塔。






▼総欅造の鐘楼。切妻造、本瓦葺。






            ▼梵鐘と吊り金具。超豪華な吊り金具に吊るされた梵鐘、こんなのは初めて見ました。






▼水子地蔵。雛壇に並ぶお地蔵さんの数、半端じゃありません。







▼手水鉢。

           





▼本堂。桁裄三間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付、檜造。昭和二十年 (1945年) 落慶。













▼本堂前面はガラス障子戸。







▼大本堂扁額。大本山永平寺七十六世貫首明峰慧玉禅師書。







▼本堂内陣。







▼超豪華な天蓋の天井絵、天空を舞う二人の天女が描かれています。







▼須弥壇最奥中央お厨子に本尊釈迦如来坐像が祀られています。







▼本尊釈迦如来坐像。お気付きになりましたか、天竺や震旦、百済や新羅、和様の仏像とはチョット違いますネ。
 正解はミャンマーからの友好の証として贈られた釈迦如来像。像高50cmくらい、金銅仏。
 目とお口に少し金の輝きが残っていますが、それ以外は真っ黒、まん丸お顔とホッソリしたお躯は少年の匂いすら感じます。
 残念ながらお像の由緒等は聞き漏らし不祥です。







▼本堂。













▼本堂前に立つ仏舎利塔。ミャンマーから贈られた仏舎利が奉安。一階は永代供養堂、上に重層の六角仏舎利塔。











▼仏舎利塔扁額。






▼仏舎利塔。







▼ご朱印です。






今本堂に祀られている釈迦如来坐像、日頃見慣れている仏像とは違い、写真でしか知らない南伝の小乗仏です。通常ビルマやタイの
仏像はキンピカで大きい仏が多いですが、眼前の仏は像高50cmくらいの金銅仏、初めて見る仏の御姿に仏教伝来の道筋がメッシュ
のように力強く広がって行く初期仏教の姿を垣間みた思いがしました。

靖国寺 オ シ マ イ
せっかくですので、藤原頼通が残したあの超有名寺院へ寄ってみましょうか。




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本圀寺、祖師日蓮上人が総てです。

2017年01月19日 | 京都の古寺巡り





(2017.01.14訪問)


勧修寺から次に訪ねたのは本圀寺。このお寺五〜六年前に一度訪ねているんですが、その時の印象がキンピカ寺。さてさてその後ど
ういう按配になっているか、少々気になりましたので訪ねることに。迷車大和路号は勧修寺から京都外環を北へ、山科駅手前の三条
通を御陵まで走ります。お寺は丁度天智天皇陵の北隣、途中民家が建て込む細い狭い道が続き行き違いもままならず、クルマで行か
れる方要注意ですヨ。しかし迷車大和路号ならスイスイなんです。




▼祖師日蓮上人立像。






[ 本圀寺 ]
●山号 大光山 (たいこうさん)
●寺号 本圀寺 (ほんこくじ)
●宗派 日蓮宗 (にちれんしゅう) 大本山
●開山 日蓮上人 (にちれんしょうにん)
●開創 建長五年 (1253年)
●本尊 一塔両尊
▲京都市山科区御陵大岩6 TEL.075-593-9191  
▲拝観料 500円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:00
▲地下鉄東西線「御陵駅」下車 徒歩約15分




▼琵琶湖疎水に架かる赤い橋、冬ですねェ、殆ど流れはありません。






本圀寺縁起 (本圀寺旧HPから抄出)
建長五年、高祖日蓮大聖人が鎌倉松葉ヶ谷に小庵を構え、法華堂と号したことから始まる。伊豆法難後の弘長三年、大光山本国土妙
寺として創設された宗門史上最初の祖跡寺院である。法難、遠流によって出入りはあられたものの、二十二年にわたる立正安国論の
国諫運動を展開、日蓮大聖人の生涯の中心となるもっとも大切な布教の根本道場である。日蓮大聖人の身延入山および入滅後は日朗
聖人、日印聖人、日静聖人が護山継承され、ときの政治の中心鎌倉にて幕府の強圧と闘いながら、正法宣布の使命遂行に当たられた。
北条幕府が滅び、政治が鎌倉から京都に移った貞和元年、日静聖人の時代、この霊跡大光山は光厳天皇の勅諚によって京都六条に東
西二町、南北六町にわたる広大な永代寺領を賜り、鎌倉松葉ヶ谷から京都へ立正安国、国祷護国の大道場本圀寺として移遷されるに
至った。




▼参道入り口です。欄干の擬宝珠前は確かキンピカでしたが。






            ▼七字名号の立派な石柱が建ってます。






總門要付關と名付けられた門。平成二十八年建立。







赤門出陣関と云われる開運門。通称赤門と呼ばれるそうです。文禄元年 (1592年) 加藤清正寄進。







▼山号を揮毫した扁額。本圀寺八十三世日運上人筆。







▼開運門スグ右に建つ証大菩提鐘楼堂。チョット見にくいですが梵鐘の色は普通ですよネ。







▼五年前キンピカの梵鐘でした。







摂折三解脱門、仁王門です。三間一戸、桁裄三間、梁間二間、切妻造、十二脚門、本瓦葺。
 平成十五年(2003年)5月23日落慶。
 特に変わった感じはありませんネ、ところが……、

     





▼五年前キンピカの仁王さんが左右を守護していました。







▼正嫡付法の扁額。本圀寺六十八世久村日鑒上人筆。







▼今の阿形仁王さんのお顔、色は普通ですよネ。







▼五年前のキンピカ阿形さん。







▼今の吽形さんのお顔。







▼五年前のキンピカ吽形さん。



阿吽両像は運慶二十八世孫仏師常慶作。





妙法華院大本堂。向拝三間の迫力は並ではありません、堂々とした前面ですが、残念ながら正面からは入堂出来ません。
 桁行五間、梁行五間、入母屋造、瓦葺。鉄筋コンクリート造、正面三間の向背付。昭和四十六年(1971年)建立。          

 





▼大本堂外陣。ここから内陣奥の須弥壇までは相当の距離がありそう。







▼天蓋を見て下さい、この豪華なこと。







▼大本堂内陣。最奥須弥壇上に本尊が祀られています。







▼本尊一蓮華台に一塔両尊が本圀寺本尊。
 中央ブルーのが七字名号塔、左右如来坐像。「二仏の印相相伝有り、されどこれを深秘す」とあり、早い話如来名は判りません。






            ▼七字名号塔。一塔両尊造立、貞治五年 (1366年) 仏師は運慶二十八世孫常慶作。






▼これは何かな? 太陽か月か華冠か判りません。







▼大本堂扁額と思われますが、外縁に置いてます。さすがにデカイです。







▼大本堂裏のパワースポット、大岩霊神、通称大岩さん。






            ▼本堂前に立つ祖師日蓮上人立像。






▼次のお堂、本師堂と大本堂をつなぐ渡り廊下。







釈迦尊院本師堂 (釈迦堂)。宗祖日蓮さんの念持仏釈迦如来像を祀るお堂。
 桁行五間、梁間三間、入母屋造、銅板葺。正面三間の向拝付。







▼本師堂内陣です。右に置かれる軸が本尊閻浮第一釈迦仏の御影。







                 ▼本尊閻浮第一釈迦仏の御影。本尊は絶対秘仏。







▼本師堂内陣です。







釈迦尊院本師堂







九頭竜弁財天のキンピカの龍神。財運祈願のご利益新たかな神さまだそうですヨ。







▼大客殿玄関。







▼客殿假諦の間。







▼客殿中諦の間。







▼本堂後ろの丘にキンピカの鳥居。扁額に清正宮と書かれています。







清正公大神儀真生廟。早い話が加藤清正生前廟です。
 本圀寺は加藤清正の帰依熱く、朝鮮出兵の折、戦勝祈願をし出征したといい、勲功勝利に至る守護神として勝利祈願の参詣が多い
 と云います。







▼加藤清正廟。加藤家家紋桔梗と蛇の目です。







▼庫裏です。ここから廻廊、渡り廊下を通り各お堂巡りが出来るようになっています。







▼ご朱印です。






記憶にあるキンピカ寺も一部キンピカ健在もほぼ普通のお寺に、お寺の方に伺うと多方面から品がないと非難轟々、いたたまれなく
なって平成二十五年 (2013年) にほぼ旧に戻したそうですが、それでもまだキンピカパワーは残っているようです。

キンピカ寺院の今、オ シ マ イ



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勧修寺、真言宗の宮門跡寺院です。

2017年01月16日 | 京都の古寺巡り





(2017.01.14訪問)


先週に続いて京山科にやってまいりました。門跡寺院の続き、勧修寺です。色んな読み方をされるお寺、正式には「かじゅうじ」と
云います。今日の京はケッタイな天候、風強くいきなり雪模様、と思うと青空、すると一転俄に又また雪、寒さひとしお、しかし白
壁築地塀の参道を歩くと、門跡寺院の優雅で上品な空気がそこはかとなく漂っているのを感じます。




            ▼山門入り口に建つ寺号石柱もすんなりと読める方はなかなか……、






            [ 勧修寺 ]
            ●山号 亀甲山 (きっこうざん)
            ●寺号 勧修寺 (かじゅうじ)
            ●宗派 真言宗山階派 (しんごんしゅうやましなは) 大本山
            ●勅願 醍醐天皇 (だいごてんのう)
            ●開基 承俊律師 (しょうしゅんりっし)
            ●開創 昌泰三年 (900年)
            ●本尊 千手観音菩薩
            ▲京都市山科区勧修寺仁王堂町27-6 TEL.075-571-0048  
            ▲拝観料 400円 御朱印300円
            ▲拝観時間 9:00~16:00
            ▲地下鉄東西線「小野駅」下車 徒歩約6分
             京阪バス「小野」下車 徒歩約2分




▼参道沿いの白築地塀。左右の樹々は桜、春には桜参道になります。そしてこの先左に山門があります。






勧修寺縁起
昌泰三年、醍醐天皇が母の菩提を弔うため、母の生家を寺に改めた。天皇の祖父、藤原高藤が勧修寺内大臣と称していたことから、
勧修寺と名付け定額寺に列せられ皇室との縁が深く、宮門跡として品格高く維持。鎌倉時代に後伏見天皇の皇子寛胤法親皇が十六世
として入山以来、宮門跡寺院となる。その後応仁の乱で寺は衰退、江戸期になって皇室と徳川氏の帰依、援助で伽藍整備が進み復興
された。




▼山門。袖塀がコの字に構えられた門跡の上品さを醸しているようです。







▼山門からの境内。






            ▼全く読めません。






▼千鳥破風と唐破風の大玄関。







▼庭園の方へ行きましょう。







▼宸殿。桁裄五間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付。元禄十年 (1697年) 旧御所明正院から移築された御対面所。
内部は一の間、二の間、三の間が一列に並ぶ寝殿造風建物です。明正殿とも呼ばれてるそうです。







▼扁額。明正殿と書かれています。







▼内部の様子です。

         





▼前面格子は御所の建物によくありますね。






            ▼庭園への通路に一風変わった灯籠?






▼全面芝の広場へ出ました。向こうに建つのは観音堂。







▼書院 (重文)。桁裄七間、入母屋造、杮葺。御所の建物を拝領したらしいのですが、建物は諸説あると云います。
 門跡御座所、二の間、対面所、私室などで構成。







▼書院広間の障壁画。土佐光起の近江八景図。(ネットからもらってきました)







▼書院前庭の水戸光圀寄進と伝える勧修寺型灯籠。
 灯籠を囲んでいるのは、樹齢750年、檜科のハイビャクシン、これで一本の樹らしいです。







▼書院。

         





▼書院と本堂を繋ぐ渡り廊下。







▼本堂へ丸飛び石。







▼本堂。桁裄六間、入母屋造、檜皮葺、一間向拝付。







▼本堂内陣。格子ガラス戸を覗いてみました。中央に本尊の姿が……、







▼本尊千手観音菩薩立像。像高160cm。室町時代。
 十一面さんと思われますが頭部の様子が分かりません。目の光具合から玉眼が嵌められているようです。







▼枯れ木もココまでなるとダイナミックですね。






            ▼千年杉。京庭園中の最巨木らしいですが、これ枯れてません?






▼観音堂。大斐閣とも呼ばれ昭和六年再建。







▼観音堂正面。






            ▼本尊。色気ムンムンの観音さんですネ。






▼観音堂。






            ▼修行大師像。






▼池泉回遊式名勝庭園「勧修寺氷池園」を歩きましょか。
 今は見る影もありませんが、初夏にはカキツバタや花菖蒲、蓮が池面を飾り、水鳥たちもやってきます。 



















▼遊歩道に並ぶ八十八カ所の石像。







▼蓮さん、夏に備えてパワー蓄えといてネ。







▼弁天堂もひっそりと。







▼岩座に不動明王三尊が……、脇侍は矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)。






            ▼お不動さんにこんな顔で睨まれました。






▼温和な観音さんもいました。







▼中之島にクロちゃん三羽、見えます?



と云う訳で名勝庭園クルッと回って勧修寺 オ シ マ イ





▼ご朱印です。






御所下賜の宸殿や書院をみると元御殿の格式を否応無しに感じます。ただ「やんごとなき」世界の生活感と云うのはあまり感じるこ
とはなく、下賜された建物も現在どのように使用されているのかも想像出来ません。もちろんお寺の中心本堂には本尊も祀られては
いますが、説明にあるお堂内部の造りや仕様をみると、お寺のお堂の感じがしない不思議なお寺です。門跡寺院の格とはこういう所
にあるのかなァと云うのが今日の感想……。





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