土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

奈良公園の百日紅、U~N!

2016年07月29日 | 花巡り





(2016.07.23訪問)


奈良公園一帯は異国へ来たみたい。今日のようなムンムンムシムシのいやらしいお天気でも異国の方は元気です。

●彼らの間をぬって先ずは鷺池に行ってみましょう。
鷺池では浮見堂が閑に閑に池面に影を落としています。  







元気のいい咲き具合。                 







浮見堂を遠くに入れて、                







隣の樹を見ると、                   







チョット拡大して見ると開く寸前の蕾が見えます。    







まだこの状態の芽がたくさん。             







周回の並木を撮ってみました。             







チョット絵になる風景です。              







●奈良公園南側の浅茅が原園地はどんな具合でしょう。
ピンクと赤、キレイですネ。              













なかなか元気のいい樹です。              







            ●広〜い芝生の浮き雲園地は百日紅の名所ですよ。
            鹿くん、なにしてんでしょう。             







この樹はまだ葉っぱが目立ちます。           







青空にピンク、映えてます。けど蕾も映えてます。              







マダマダ蕾が目立ちます。               







●奈良春日野国際フォーラム前の百日紅の苑。      
公園内では一番の密集地。               



















こんなオシャレな所もあるんです。           







もうチョット時をちょうだいと云ってます。       







●奈良春日野国際フォーラムのお庭に行ってみましょう。
お庭から見た本館。                  







屋根を入れて                     







数少ない百日紅もまだこの程度。            







お庭を流れる土手にもあることはあるんですが。     







●忘れてました興福寺にも。
北円堂の見える辺りに。                






余りの寂しさに春日野園地や東大寺周辺はパスしました。
殆どの所まだこれからの感です。特に白の百日紅は殆ど見かけません。
ボクの奈良公園百日紅の咲き具合印象度、ズバリ3分咲き。
葉月初の頃が見頃と予想しますが、なにぶんボクの予想は当たった試しがありませんので、百日紅お好きな方ご自分でご確認を。

念のため、昨年八月二十六日終盤の奈良公園百日紅です。
http://blog.goo.ne.jp/mrslim2/d/20150828





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興福寺、藤原一族の力まざまざと。

2016年07月26日 | 奈良の古寺巡り





(2016.07.23訪問)


久々に迷車大和路号は興福寺を訪ねます。この界隈ボクはクルマ御法度にしてるのですが、ムシムシのいやらしい天気と少々時間が
早かったこともあり、取り敢えず興福寺駐車場を目指しました。ガラガラでした。
実は今日の主目的は奈良公園の百日紅の状況視察、そのついでと云っちゃなんですが、しばらく御無沙汰の興福寺を先に訪ねようと
云う訳です。




            ▼本坊前に建つ寺号石標。






[ 興福寺 ]
●寺号 興福寺(こうふくじ)
●宗派 法相宗(ほっそうしゅう)大本山
●開基 藤原不比等
●開創 和銅三年(710年)
●本尊 釈迦如来。
▲拝観 国宝館+東金堂800円 国宝館600円 東金堂300円 朱印300円
▲時間 9:00~17:00
▲奈良市登大路町48番地 電話0742-22-7755
▲1998年12月「古都奈良の文化財」として世界遺産登録。
▲西国三十三カ所観音霊場第九番札所(南円堂)
▲近鉄奈良線「近鉄奈良駅」から徒歩5分
 JR「奈良駅」から奈良交通市内循環バス「県庁前」下車すぐ




▼東金堂(国宝)。本尊薬師三尊。
 神亀三年(726年) 聖武天皇が叔母元正太上天皇の病気全快を願って建立。
 桁裄七間、梁間四間、寄棟造り、本瓦葺、前面を吹放。応永二十二年(1415年) 再建。





興福寺縁起 (興福寺HPから抄出)
興福寺の前身は飛鳥の「厩坂寺」で、さかのぼると天智朝の山背国「山階寺」が起源となります。その山階寺は、天智八年(669年)に
藤原鎌足が病気の時、夫人鏡女王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊、四天王など諸仏安置のために造営したものと伝えられています。
壬申の乱後、飛鳥遷都で山階寺も移建、地名を取って厩坂寺とされました。平城遷都の際、和銅三年 (710年) 藤原不比等よって移建
「興福寺」と命名。奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、春日社の実権を得、鎌倉、室町時代には興福寺が
大和国守護に当たりました。文禄四年(1595年)の検地で春日社興福寺合体の知行として二万一千余石と定められました。しかし明治
の神仏分離令、廃仏毀釈などで荒廃、その後寺僧有縁の人々の努力で復興されその歴史を刻み続けています。



▼東金堂正面屋根下の組み物。







▼東金堂本尊薬師三尊。中尊薬師如来坐像、右日光菩薩立像、左月光菩薩立像。



(写真はネットからもらってきました)





▼東金堂隅屋根の組み物。突出した斗組の大きさが半端じゃありません。奈良時代のダイナミックな方式らしいです。







▼東金堂。






            ▼五重塔(国宝)。
             天平二年(730年)興福寺創建者藤原不比等の娘光明皇后が建立。
             塔高50.1m、初層方三間で8.7m、本瓦葺。五回の被災再建後、応永三十三年(1426年) 再建。
 
             初層の四方には、薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像を安置。






            ▼塔の美しさを決定付ける逓減率が高く、軒の出が深い力強い塔です。






            ▼五重塔。安定感抜群、本当に美しい塔ですネ。






▼初層隅屋根の組み物。
 三手先組(みてさきくみ)云われる柱筋から前方に突出した斗組をいい、三列外方に突出した組物で、その外形が半端なく思い切り
 突出しています。これも奈良時代のダイナミックな方式らしいです。






            ▼五重塔。






            ▼初層正面。






            ▼五重塔正面。
             8月26日(金)→10月10日(月祝)初層が特別公開されます。






            ▼五重塔相輪。






▼南円堂(重文)。
 弘仁四年(813年)に藤原冬嗣が父内麻呂追善のため建立した八角円堂。
 八角一面は6.4m、対径は15.5m、本瓦葺。創建以来四回の被災再建後、寛政元年(1789年) 再建。
 
 堂内には本尊不空羂索観音菩薩像(国宝)、四天王像(国宝)が安置。
 西国三十三カ所観音霊場第九番札所です。

 

人のいない南円堂って初めてです。アッ、一人だけいました。 





▼八角屋根と唐破風向拝のコンビネーション。







▼屋根テッペンの露盤と宝珠。






            ▼南円堂の本尊不空羂索観音坐像(国宝)。以前描いたペン画です。
             像高336.0cm。桧寄木造、漆箔、玉眼、鎌倉時代。仏師康慶(運慶のお父さん)






            ▼三重塔を通して撮った南円堂。






            ▼南円堂と百日紅。






▼平成三十年落慶予定。気長に待ちましょう。






            ▼三重塔(国宝)。
             康治二年(1143年)崇徳天皇中宮が創建。治承四年(1180年)平家焼き討ちで被災、間もなく再建。
 
             塔高19.1m、初層は方三間で4.8m、本瓦葺。北円堂とともに興福寺最古の建物。



             五重塔と同時に8月26日(金)→10月10日(月祝)初層が特別公開されます。




               




            ▼三重塔の相輪。






▼南円堂石段下の石仏。







▼境内から少し離れた所にポツンと大湯屋。応永三十三年(1426年) 再建。







▼菩提院大御堂。興福寺の塔頭。本尊阿弥陀如来像。興福寺の法相宗を中国から伝えた玄昉僧正が住んでいたとも伝えます。
 桁裄五間、梁間五間、寄棟造、本瓦葺、正面一間向拝付。天正八年(1580年)再建。



何時訪ねても参拝者が居たことはありません。





▼大御堂正面の大提灯。







▼本坊山門からお庭。







▼御朱印です。五十二段で撮りました。






興福寺は今、中金堂復興再建と北円堂回廊基壇の復元工事のため近寄ることは出来ません。
工事中であっても、北円堂は例年の如く年二回の特別開扉は行われるそうで、あの運慶の名作一連にこの秋には会えることが出来ま
すヨ。

次、百日紅です。






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西方院、本堂須弥壇の彫り物、必見の価値あり。

2016年07月22日 | 大阪の古寺巡り





(2016.07.16訪問)


今日の太子町お寺巡りの主目的は実は西方院なんです。寺友N君に騙されたつもりで一度行ってこいよとの情報で、騙されたつもり
で訪ねることにしました。彼にはよく騙されるんですが、今回の情報には納得しました。
西方院は叡福寺の真ん前、谷筋、今の府道を越えた向かいの高台にあります。叡福寺聖徳太子廟に詣でた後はこちら西方院は太子
侍女といわれる三人の尼君が太子菩提を弔うために建立したと伝える古刹です。



▼細~い上り参道。





            [ 西方院 ]
            ●山号 南向山(なんこうざん)
            ●寺号 西方院(さいほういん)
            ●宗派 浄土宗(じょうどしゅう)
            ●開基 伝 三尼公(善信尼 禅蔵尼 恵善尼)
            ●開創 伝 推古天皇三十年(622年)
            ●本尊 阿弥陀如来立像。
            ▲拝観 境内自由 朱印300円
            ▲時間 9:00~17:00
            ▲大阪府南河内郡太子町太子1633 電話0721-98-0133
            ▲近鉄南大阪線「上ノ太子駅」から金剛バス太子線「太子前」バス停下車目の前
             近鉄長野線「喜志駅」から金剛バス太子線「太子前」バス停下車目の前
             南阪奈道路「羽曳野東IC」から南約1.5km



            ▼道端に判り易い道標。






▼参道テッペンに朱の小さな門。






西方院縁起 (西方院パンフから抄出)
推古天皇三十年(622年)、聖徳太子薨去後、その侍女月益(蘇我馬子の娘) 日益(小野妹子の娘) 玉照(物部守屋の娘)の三姫が剃髪し、
善信、禅蔵、恵善と称し、太子御廟前に一宇を建立、太子の遺髪を収め太子作阿弥陀如来像を安置,弥陀の西方浄土を欣求された
と伝えます。




▼山門。






            ▼山門正面から見えるのは本堂です。






▼トテツもない大きいソテツ。






▼本堂。寛永十六年(1639年)再建。
 実は余りの嬉しさに本堂撮り忘れ、この写真ネットから貰ってきたものです。






            ▼本堂扁額と堂内です。






▼本堂須弥壇。






            ▼本尊阿弥陀如来立像。お像の詳細は不祥ですが。聖徳太子作と伝わるそうです。






本堂須弥壇の見事な指物、彫物、色彩の妙をご紹介しましょう。

▼須弥壇上部の左右吊柱貫の長押に鳳凰の彫り物。
 主翼は少し小さいながら、尾羽根の揺れているリズム感が凄く、おっとりした動きの中で目の鋭さ、霊鳥の貫禄充分。もっと凄い
 のは彩色、繧繝彩色ではなく今様グラデーション、選色も非常に巧く、これこそ彩色の妙。完成往時の出来映え、見る人の反応な
 ど見てみたいものです。







▼拡大してみました。







▼右吊柱の木鼻。阿形龍が金泥で口は朱で玉眼が嵌められ右手で柱を掴む力強さは目を見張ります。







▼阿形龍の右、手に笙を持つ天女の彫り物。この彩色も鮮やかで顔もどこか天上の舞を楽しんでいそう。







▼左吊柱の木鼻。吽形龍が左手で柱を掴む力強さは阿形龍と同じです。







▼吽形龍の左、この天女は鼓を打っています。

   





▼本尊阿弥陀さんの蓮台の下を獅子が必死の形相で支えています。





須弥壇そのものが芸術作品、素人目にも仏教美術の粋とも云えるのでは。本堂が江戸初期の再建なので須弥壇造作は少なくともその
前後と考えられ約四百年前の作、平安指物の技術を受け継ぐ指物師、彫師、絵師の総合技の伝統が遺憾なく発揮された秀作だと思い
ます。凄い作品を見せていただきました。須弥壇は限られたスペースに設えられているために、全貌をお見せ出来ないのが残念です。

堂内写真は許可を得て撮影しています。



▼観音堂。本尊十一面観音坐像。お堂はごく最近建てられたものでしょう。







▼観音堂扁額。真ん中が主額だと思いますが全く読めません。

    





▼須弥壇です。中央奥に本尊が祀られています。こちら恵信僧都の作と伝わるそうです。天井を見て下さい……、







▼逆で見にくいですが、龍が一面に描かれています。







▼鐘楼堂。







▼鐘楼正面です。朱色が目立ちすぎる程目立っています。







▼お地蔵さん二体と左の石像判りません。







▼開基の三尼公廟所。石塔が三基建てられています。(写真はネットからもらってきました)







▼ご朱印です。






西方院は小さいお寺です。然し大きな宝物をお持ちです。本堂内須弥壇は歴史的価値や作家は不明で、そのような作品が将来国宝や
重文に指定される保証は無いのですが、見方によってはそれ以上の価値を感じます。
こういった仏教美術に興味のある方には西方院オススメですヨ。
あまりに須弥壇に入れ込み過ぎたので、撮り忘れたお堂やお像かなりありました。勿体無いことをしました。





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叡福寺、聖徳太子磯長廟守護のお寺です。

2016年07月18日 | 大阪の古寺巡り





(2016.07.16訪問)


今日の迷車大和路号は、我が大大阪にも郡名が残る南河内郡太子町を目指しております。
最古の官道竹内街道の近く磯長の地に叡福寺はあります。聖徳太子磯長陵墓を守護するためのお寺として創建されたといいます。
太子信仰の中核をなした古刹として「上の太子」と称され近辺には太子信仰をバックボーンとしたお寺が点在「中の太子」と称さ
れる野中寺、「下の太子」大聖勝軍寺と共に三太子の一つに数えられているお寺です。広い境内は整然と整備され、非常にきれい
なお寺です。




▼参道石段先に南大門。






[ 叡福寺 ]
●山号 磯長山(しながさん)
●寺号 叡福寺(えいふくじ) 通称上の太子
●宗派 真言宗(しんごんしゅう)単立
●開基 伝 聖武天皇(しょうむてんのう)
●開山 不詳
●開創 伝 神亀元年(724年)
●本尊 如意輪観音菩薩。
▲拝観 境内自由 朱印300円
▲時間 7:00~17:00
▲大阪府南河内郡太子町太子2146 電話0721-98-0019
▲近鉄南大阪線「上ノ太子駅」から金剛バス太子線「太子前」バス停下車目の前
 近鉄長野線「喜志駅」から金剛バス太子線「太子前」バス停下車目の前
 南阪奈道路「羽曳野東IC」から南約1.5km




▼南大門。三間一戸、入母屋造、本瓦葺、八脚門。左右に金剛力士を安置。
 信長の兵火で焼失。慶長年間再建されるも腐朽のため昭和三十三年(1958年)再々建。境内唯一朱色の建造物。







▼南大門扁額。内閣総理大臣岸信介謹書と揮毫されています。岸信介さん、今の安倍首相のおじいちゃんです。






叡福寺縁起 (叡福寺パンフから抄出)
推古三十年(622年)聖徳太子薨去後、前日に亡くなった妃の膳部大郎女、二ヵ月前に亡くなった母穴穂部間人皇后と共に埋葬され
墓所を造営したといわれている。太子の没後、太子の墓を守り霊を鎮めるため聖武天皇の勅願により、神亀元年(724年)七堂伽藍
が造営されたと寺伝は伝えています。天正二年(1574年)信長の兵火で焼失、慶長八年(1603年)豊臣秀頼により聖霊殿が再建、その
後宝塔、金堂、廟前伽藍が再建され現在の寺観が再興されました。




▼南大門。左右の金剛力士、小さいと思いません?
 南大門の大きさに比べ、この金剛力士はサイズ的に全く合っていません。以前の門のものなのか、どこか他のお寺から移置
 したのか不詳ですが、結界守護の責任全うは彼らには少々負担が大きいのでは。






            ▼阿形金剛力士。こういう撮り方をすると小ささも判りませんネ。











            ▼吽形金剛力士。












▼真正面に見えるのは二天門です。







▼境内は気持ちがいいほど広いです。







▼金堂。本尊如意輪観音坐像。桁裄五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。享保十七年(1732年)再建。
 中心伽藍の立派なこと、願わくば入堂したかった! 聞けば毎月11日開扉だそうです。







▼お堂に比べて極々控えめな扁額、山号が書かれています。







▼金堂。







            ▼本尊如意輪観音坐像。像高約90cmと云うこと以外詳細は不詳。
             それにしても美しい本尊ですネ、造像年代は相当新しいものかもしれません。



            (写真はネットからもらってきました)




▼金堂。






            ▼南大門から見た宝塔。







▼宝塔(重文)。承応元年(1652年)再建。開扉はされません。内部は本尊釈迦三尊、大日如来が祀られているそうです。







▼上層の軒の組み物肘木と円形勾欄。

    




            ▼宝塔。






▼宝塔の横に白ムクゲ(だと思います)が数株、真っ白と云うのはホントきれいですネ。






            ▼宝塔。

    




▼聖霊殿(太子堂)(重文)。本尊聖徳太子十六歳像。桁裄三間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。慶長八年(1603年)再建。







▼宝蔵。







▼手水舎の龍の水口。
 メチャ暑なので駆けつけ柄杓で五杯、もちろん頭へですヨ。龍口直接も一瞬思ったんですが、さすがそれは思い止まりました。







▼立派な玄関を設えた客殿です。

            




▼念仏堂。本尊阿弥陀如来坐像。僧侶の読経が流れ、数人の方が入堂されていました。







▼廟前伽藍へ行きましょう。前方に見えるのは二天門。







▼参道石段二天門の先に見えるのは太子廟所。







▼単独門ではなく左右に回廊が続いています。本来は廟用門では。

 





▼右脇に持国天。







▼左脇に増長天が祀られ、これらから二天門と名付けられたそうだが、二尊とも新しい感じがします。







▼二天門を潜ると右前に浄土堂。桁裄五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、前方一間の吹き放ち外陣が付きます。
 本尊阿弥陀三尊。慶長二年(1597年)再建。信徒永代供養専用のお堂。







▼久邇元帥宮御遺髪七重石塔。久邇元帥宮とは昭和天皇皇后、香淳皇后のお父上久邇宮邦彦王のことだそうです。







▼見真大師堂。見真大師は親鸞聖人の大師号です。
 方三間、宝形造、本瓦葺、一間向拝付。ご覧のように向拝が歪んで相当痛んでいます、これでも明治四十五年(1912年)建立。







▼経典や写経が納められている経蔵。
 前方は融通念仏宗宗祖良忍聖人の磯長廟です。なぜここにあるかは不詳、良忍さん廟は他所にもあります。







▼鐘楼。二天門からの回廊の端に建てられています。元禄元年(1668年)建立。







▼太子廟の左手に建つ上の御堂。本尊聖徳太子摂政像が祀られているそうです。






            ▼外廊天井の釣灯籠。






▼弘法大師堂。方三間、宝形造、本瓦葺、一間向拝付。空海さん自ら刻んだ大師六十歳像が祀られているそうです。







            ▼大師堂傍らの空海さん修行像。






それでは聖徳太子磯長廟へ。

御陵は磯長山丘陵を利用した円墳。考古学界では「叡福寺北古墳」と呼び、墳丘の高さは7.2m、直径は54.3m。内部は精巧な切
石を用いた横穴式石室で、太子と母穴穂部間人皇后、妃膳郎女の三人の棺が納められていると伝えられることから、三骨一廟と呼
ばれているそうです。石室は現在閉じられており、誰も入ることは出来ないそうです。墳丘の周囲が「結界石」と呼ばれる石の列
で二重に囲まれています。弘法大師が築いたと言われる聖地と俗界をへだてる結界石が490本あり、いずれも観音梵字が刻まれて
います。周辺には周回道がありますが、現在は通行出来ません。




▼聖徳皇太子磯長墓と刻された石柱が建つ御廟前面。







▼三連の拝殿風建物。最前面は檜皮葺唐破風設えで格子戸は締め切り。
 明治期に横穴入口を埋めてしまったため羨道、石室へは入ること不能だそうです。







▼檜皮葺の上に雲に絡む龍の鬼瓦(?)か。







▼三骨一廟のシンボルなのか阿弥陀三尊の懸け仏が目立ちます。







▼円墳を取り囲む二重の結界石。490本あるそうです。せめて周回ぐらいは許可したらどうでしょう、宮内庁さん。







▼円墳の頂上。





単なる考古学的古墳と見るか、聖徳太子、母后、妃の廟と見るかは見解様々でしょう。しかも近年本当に聖徳太子廟なのかの疑問
も呈せられ、明治期の発掘調査の詳細もなく、調査後即横穴入口を埋めてしまったと云うことは、見られたくない何かがあったの
ではと穿った見方も一方ではあるようです。
野暮なことは考えず、古墳を取り巻く結界石を前にして往時を偲んでみましょう。




▼二天門から南大門を見通します。広い境内でしょう。






            ▼聖徳皇太子磯長御廟と刻された南大門前の石柱。






▼ご朱印です。






長々と叡福寺これにて オ シ マ イ

次に訪ねるのは叡福寺真ん前のお寺です。





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王龍寺、鬱蒼のお寺の周りはゴルフ場です。

2016年07月14日 | 奈良の古寺巡り





(2016.07.10訪問)


迷車大和路号は松尾寺から県道7号を富雄川沿いに北に戻り王龍寺を目指します。
王龍寺は黄檗宗のお寺で、ご本尊は岩に彫られた十一面観音菩薩、磨崖仏なんです。どんなご本尊なんでしょうか楽しみです。




▼参道先の山門にどなたかお坐りのようで……、






[ 王龍寺 ]
●山号 海瀧山(かいりゅうざん)
●寺号 王龍寺(おうりゅうじ)
●宗派 黄檗宗(おうばくしゅう)
●開基 本多忠平(ほんだただひら)
●開山 梅谷禅師(ばいこくぜんじ) 黄檗宗の開祖隠元禅師の孫弟子にあたる方
●開創 元禄二年(1689年)
●本尊 十一面観音菩薩立像(磨崖仏)。
▲拝観 境内自由 本堂拝観は庫裡まで 志納
▲奈良県奈良市二名6-1492 電話0742-45-0616
▲http://oryuji.com
▲近鉄奈良線「富雄駅」奈良交通バス「杵築橋」から徒歩20分
 王龍寺は飛鳥カンツリー倶楽部の中にあります。自動車でおいでの場合、ゴルフ場の案内の看板を参考にしてください。




▼山門。かなりのご年配、参道を下りてきたみたいで、声をかけても無言でした。相当お疲れのご様子。






王龍寺縁起 (王龍寺 HPから抄出)
現在の黄檗宗の寺院として体裁がととのえられたのは、江戸時代初期、大和郡山城主本多忠平公によって、元禄二年に堂宇が整えら
れました。現在の本堂は、その当時のものを残しております。開山は梅谷禅師です。禅師は黄檗宗第二代木庵の弟子にあたる方です。
本尊は磨崖仏の十一面観音菩薩像で、南北朝(建武三年)の作で、奈良市の文化財に指定されています。この他、奈良市の天然記念
物に指定されているヤマモモの古木、山門より本堂にいたる参道の周囲、境内の山林も天然記念物に指定、市内の貴重な里山の自然
林の中に王龍寺はあります。



            ▼禅刹のスタンダード石標。
             不許葷酒入山門、ようするに臭いものや酒飲みは立ち入るべからず。






▼山号が書かれた山門扁額。






▼異界突入の雰囲気。






            ▼この薄暗い参道を開運道と云うらしい。






▼では鬱蒼の参道を上りましょう。石段が見えてきました。







▼少し歩くと石仏がまとめて祀られています。







▼石段の先に本堂が見えてきました。







▼この石段がまた凄い石段、歪んでいるのです。






            ▼途中行場でしょうか、瀧が一筋。






▼最後の石段です。







▼先ず本堂の屋根が見え……、







▼お堂の全景が目の前に。







▼樹叢の中でいい佇まいです。    













▼寺号扁額。






今日の目的はご本尊磨崖仏を拝見すること。正面に拝観希望の方は寺務所までと書かれていたので早速庫裡寺務所へ、
ベルを押し呼べど叫べど反応なし……、またやっちゃったア~ア~「昨日電話しとけば」は後の祭りのおそまつ。

▼やむを得ず本堂格子から撮った内陣、奥の明るい所、本尊が彫られた岩です。






            ▼これがご本尊十一面観音菩薩立像です。(写真はネットからもらってきました)

 

            真近で拝せる期待感、ヒョットして触れることも出来そうな期待感、総て今日はアキラメです。   





▼本堂後ろの大岩。







▼高みの法面に羊歯の群生が……、







▼手水鉢に映してみました。







▼六地蔵。







▼皆さんこんなの見たことありますか、背丈グラデのお地蔵さん八体。何か由緒があるんでしょうネ。                   

        




▼もう一度庫裡に向かいましたが、ヤッパリどなたもいらっしゃいません。







▼庫裡山門横のヤマモモの木。どれが幹やら枝やら判りません。樹齢300年以上、樹高約10m、奈良の天然記念物。







▼ゆうに20mはありそうな藤棚。







▼放生池が酷いことになってます。

 





▼蛙の親子も飛び込みためらっているようです。







▼お社と十三重石塔。







▼大黒さんが祀られている大黒堂への上り参道。







▼大黒堂に到着。







▼広場に小さなお堂が一つ。







▼扁額。







▼格子戸から覗いてみると、質素な須弥壇に大黒さんが祀られているようです。







▼瀟洒なお堂ですネ。







▼広場の谷側から下を見ると本堂の屋根が陽を受けてます。







▼帰りは本堂前を通り……、







▼参道を下ります。山門が見えてきました、入山の時お年寄りに会ったきり境内では人の気配ナシでした。




寂し~い王龍寺参拝これにて オ シ マ イ

磨崖仏本尊を是非拝見と思って訪ねたのですがまたもや空振り、毎度毎度タイガースみたいなもんですわ。
深山幽谷の感、山の古刹の雰囲気凄いでしょう、しかし実際は飛鳥カンツリー倶楽部のコースに囲まれた地にこのお寺はあります。
ゴルフ場導入路がお寺参道と重なり、途中右手に寺標がありますが山門は見にくいので見逃すことがありそう、要注意です。




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