土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

興禅寺、羅漢石仏で有名なんですよ。

2019年02月25日 | 大阪の古寺巡り





(2019.02.23訪問)


今日は我が大大阪の南、河内長野市にやって参りました。この町は観心寺や金剛寺で著名な町ですが、忘れてはならないのは羅漢石
仏で有名なお寺が在るんです。近年急激に都市化して来た河内長野市美加の台にある興禅寺という曹洞宗のお寺です。蓮池の周囲に
約50体の羅漢さんがズラリと並ぶ景観は半端じゃないそう、早速行ってみましょう。





▼一応山門と見ておきましょう。







            [ 興禅寺 ]
            ●山号 八幡山(はちまんざん)
            ●寺号 興禅寺(こうぜんじ)
            ●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
            ●開創 伝神護景雲元年 (767年)
            ●開基 伝行基(ぎょうき)
            ●本尊 阿弥陀如来坐像 (あみだにょらい)
            ▲大阪府河内長野市美加の台1丁目25-1 TEL 0721-64-0466
            ▲拝観 境内自由 
            ▲南海高野線「美加の台駅」バス南海バスで美加の台団地線「美加の台口」バス停下車 徒歩15分





            ▼山門脇に建つ興禅寺略縁起。







興禅寺縁起
神護景雲元年(767年)行基により創建され、古稱陀洛山 神宮寺または大乗院と称し、上宮神(現在の赤坂上之山神社を鎮守社として
創建元禄12年(1699年)曹洞宗に改宗、伽藍を禅宗様式に改変した。





▼庫裡山門。







▼山門前を通過して行くと蓮池が冬の表情。
 境内には蓮池があって千数百年前からの白い蓮の花「白蓮華」が咲き誇るそうです。
 







▼蓮池を取り囲むように羅漢さんが並んでいます。もちろん同じ人はいません、一人一人お顔が違います。







▼表情仕草や法衣も個性的です。     













▼一段高いところに慈母観音さん。







            ▼龍に乗る観音さん。この彫が凄すぎるほど凄いです。
             衣の裾の表現など石像とは思えない動きを感じます。







▼庫裡を訪ねたんですが残念お留守、よってご朱印またまたナシ。







▼本堂は銅板葺き、両サイドの丸窓が印象的な本堂です。が中を窺うことで来ません。







▼真新しい扁額は寺号が書かれています。







▼本堂本尊阿弥陀如来坐像 (重文)。(本尊写真はネットからもらってきました)







▼本尊説明石碑。これを建てるのならせめてお堂開扉ぐらいはして欲しいもんです。







▼境内の一部。







▼ユニークな宝蔵。







▼石仏が並んでいます。







▼鎮守社の赤坂上之山神社への石段。     













▼赤坂上之山神社の本殿。







▼境内高台から河内長野市街の景観を眺めつつ興禅寺オシマイ。






小さなお寺でしたが、羅漢さんで著名なお寺だけに、池の周囲に整然と並ぶ羅漢さんには一種の感動を覚えます。勿論それぞれにお
名前が書かれていますが、初めて聞くお名前ばかりで覚えるのは少々無理、表情仕草などよくこれだけ多くの羅漢さんを彫ったもん
だと仏師にエールをおくりつつ興禅寺を辞しました。


齢延寺、山門彫刻の見事さに感激。

2019年02月20日 | 大阪の古寺巡り





(2019.02.18訪問)


あべのハルカスの36階へお使いに行った帰り、例によりダラダラと谷町筋を谷九に向かって歩いていると思って下さい。四天王寺前
夕陽ケ丘を過ぎて谷九に近づくと左手に生国魂さんの森が、その一帯が生玉寺町といってお寺村。見るともなく見ながらフラフラ路
地みたいな道を歩いていると突然豪華で立派な山門が目の前に。勿論その門に吸い込まれて行ったのは云うまでもありません。お寺
の名は齢延寺。





            ▼このビルにお使いにいった帰り谷町筋を歩いていると思って下さい。







            [ 齢延寺 ]
            ●山号 生魂山(いくだまさん)
            ●寺号 齢延寺(れいえんじ)
            ●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
            ●開創 元和9年 (1620年)
            ●開基 義春上人 (ぎしゅんしょうにん)
            ●本尊 釈迦如来 (しゃかにょらい)
            ▲大阪市天王寺区生玉町13-31 06-6772-0065
            ▲拝観 境内自由 6:00~18:00
            ▲地下鉄谷町線「谷町九丁目駅」下車 3番出口徒歩8分





▼仁王門前に建つデッカイ寺号石柱。

 





▼立派な仁王門。ですが門前の道が極めて狭い、ビックリするほど狭い道に沿っているんです。
 仁王門としては非情に珍しい構造で、下層屋根部分に室が設えられ梵鐘が吊るされています。
 3間1戸、重層楼門、入母屋造、本瓦葺。初層左右に仁王像安置。







齢延寺縁起
曹洞宗の寺として真田山に開創された齢延寺は、1623年に今の場所、減聖寺坂を上がってすぐ左手のところへ移転。志摩国領主稲葉
家の菩提寺でもあった。江戸時代は「齢延寺の彼岸桜」と呼ばれた桜の名所で、いまも大樹古墓の多い風格のある寺として知られる。
境内には、幕末に私塾泊園書院を興して活躍した儒者藤澤東咳、南岳父子や画家の鍋井克之、名刀鍛冶師の左行秀の墓がある。また、
御方洪庵、斉藤方策と並ぶ浪速の3名医の一人原老柳ゆかりの老柳観音には、病気平癒を願って訪れる参拝者が多い。





▼こういう感じの室造り。室内には十六羅漢が祀られています。







▼山号生魂山と揮毫された仁王門扁額。







▼この仁王門やたら各部に彫刻が施され、素通り出来ない魅力があります。







▼例えばこの奥貫の龍、身はのたうちまわる感じですが、顔はしっかり正面向き、迫力顔でこれでもかと云うほど細かい彫です。







            ▼内柱の彫刻と寺号の木札。







            ▼観音菩薩まで彫られています。







            ▼初層左右の仁王像、先ずは右の阿形金剛力士。     













            ▼左の吽形金剛力士。                 













▼境内から仁王門を振り返ります。前方に見えるのは別のお寺です。







▼観音堂。







▼境内は狭いですがこんな花壇が一時のやすらぎ。







▼立派な向拝付きの庫裏玄関。







▼やはりこの貫にも龍の彫刻。







▼前柱木鼻にも目一杯の植物で飾られています。







            ▼前柱彫刻もこんな感じ。(この写真はネットからもらってきました)







▼本堂です。桁裄5間、入母屋造、本瓦葺、1間向拝付。







▼山号が書かれた本堂扁額。山門扁額と同じ方の揮毫だと思われます。







▼本堂正面ガラス戸から覗いた内陣の様子。瓔珞が半端じゃないですネ。







▼須弥壇最奥に本尊お釈迦さんがお坐りのようです。瓔珞は凄いのですが須弥壇周りは質素な荘厳です。







▼本堂を見納めて齢延寺 オ シ マ イ






街中の極々小さなお寺で、細い路地に面して仁王門が立っていますが、これがただただ驚きの仁王門。柱と云わず貫までが彫刻で飾
られています。失礼ながらこのお寺、小さな境内にこれほど堂々とし、そして似つかわしくない仁王門はかって知りません、しかも
鐘楼まで備えているんです。この生玉寺町はお寺の密集地、どれほどのお寺が甍を接して軒を並べているのか知りませんが、歩いて
いるうちに、新たな発見があるかも知れません。興味津々の生玉寺町でした。



瀧上寺、オシャレな鼓楼山門が迎えてくれました。

2019年02月15日 | 奈良の古寺巡り





(2019.02.09訪問)


世尊寺からいったん来た道を引き返し途中R309へ左折、2キロほど南下すると瀧上寺に到着です。R168とR169に挟まれたR309は
比較的よく走る道なんですが、その途上にある瀧上寺はまったく未知のお寺、東西に流れる吉野川を境に南は紀伊山地、その吉野川
の支流に沿う道沿いに瀧上寺は在ります。黒滝村や天川村が控える魅力満載の地の入口にお寺は在るんです。




▼白漆喰で塗られ鼓楼付の中々オシャレな山門ですネ。

 





[ 瀧上寺 ]
●山号 藤谷山(ふじやさん)
●寺号 瀧上寺(りゅうじょうじ)
●宗派 浄土真宗本願寺派 (じょうどしんしゅうほんがんじは)
●開創 承元2年 (1208年)
●開基 聖空上人 (しょうくうしょうにん)
●本尊 阿弥陀如来立像
▲奈良県吉野郡下市町大字善城26 0747-52-2853
▲拝観料 境内自由
▲近鉄「大和上市駅」から車で10分





▼タヌキのようでタヌキでない、こいつは何者か。







瀧上寺縁起 (瀧上寺HPより抄出))
藤谷山瀧上寺の開基は、宇野太郎有治という。「瀧上寺縁起」によれば、宇野氏は現在の五條市宇野に居城を構え、治承の戦で敗れ
発心して浄土宗の祖法然上人に師事。法名を法光房を賜った。さらに親鸞聖人の教化を受け聖空を賜る。承元元年の両聖人流罪に当
り、聖空は本国に帰り、念仏弘通をもって師恩に報いるため下市の地に入り善城村堂に一宇を創した。 時に承元二年七月であったと
伝えられている。





▼旧山門ではありますが正面に本堂が見えますのでこれが正門でしょうか。







▼手水舎。







▼鐘楼。屋根が立派すぎて4本柱が弱々しく感じたのはボクだけかナ。







▼書院と思われます。







▼多分「藤華閣」と書かれている扁額です。







▼決して広くない境内に堂々と建つ本堂です。前面左右の青銅の灯籠が貫禄を添えています。
 桁裄7間、梁間7間、入母屋造、坂瓦葺、1間向拝付。







▼本堂前面。1間三分割の正面入口は唐紙障子戸、左右は桟唐戸。







▼障子戸の上部、これも欄間と云うんでしょうか、菱形格子に家紋が付けられています。







▼扁額です。藤渓山房と読め、山号からの命名かナ。







▼本堂内陣です。正面三間の中央に本尊阿弥陀さんが立たれ、脇壇には軸が掛けられていますが暗くて詳細は不詳。







▼内陣の扁額は寺号。目立ちすぎるほど目立っています。それにしても上手い字ですネ。







▼本堂斜景。







▼オシャレ山門の鼓楼を見上げて瀧上寺オイトマ。






本堂だけの小さなお寺、庫裡をお訪ねしましたがご不在のようでお寺の詳細をお聞きすることは出来ず、よってご朱印もナシ、なん
にもナシ、消化不良と傷心甚だしく、小雨シトシトの中、瀧上寺これにてオシマイ。


世尊寺、吉野路に悠久の時を刻んでいます。

2019年02月13日 | 奈良の古寺巡り





(2019.02.09訪問)


吉野路大淀町を目指して大和路号は走っています。目指すは吉野の名刹世尊寺。吉野の大寺と呼ばれる世尊寺は1400年の時を刻ん
だその面影を感じさせる遺跡を残し、往時の寺勢を偲ぶことの出来る悠久のお寺。ひたすら南へ南へと橿原、飛鳥、壺阪と吉野路
R169を行くと、吉野川に突き当たりそこが大淀町、左に方向転換、しばらく走ると左に折れる指示、なだらかな坂道を上って行く
と目指す比曽寺跡世尊寺に到着です。





            ▼山門左に史跡比曽寺跡の石標。

 





            [ 世尊寺 ]
            ●山号 霊鷲山(りょうじゅせん)
            ●寺号 世尊寺(せそんじ)
            ●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
            ●開創 用明天皇2年 (587年)
            ●開基 伝聖徳太子
            ●本尊 阿弥陀如来坐像
            ▲奈良県吉野郡大淀町比曽762番地 0746-32-5976
            ▲拝観料 300円 朱印300円
            ▲近鉄「大和上市駅」から車で10分





▼比曽寺から世尊寺への縁起が語られています。







世尊寺縁起
聖徳太子が父用明天皇の勅を受け、建立された比曽寺がその緒と伝わるそうです。このお寺は比曽寺、法興寺、四天王寺、法隆寺と
共に聖徳太子建立四大寺院の一つであり往時は隆盛を極めたと云います。その後比曽寺、吉野寺、現光寺、栗天奉寺、世尊寺と寺名
の変遷はいかにこのお寺が栄枯盛衰を繰り返したかが理解出来ます。武家政治の台頭で情勢の激変と、吉野という僻遠の地のため無
住荒廃を辿り、江戸中期雲門即道禅師が伽藍整備図り、曹洞宗寺院として霊鷲山 世尊寺として今の姿になったと伝えています。
日本書紀や残されている瓦などから少なくとも飛鳥時代(7世紀後半)には存在していたと推測されているお寺です。





▼旧道に面して山門があります。







▼山門から境内を見ますと、中門と本堂が一直線に見渡すことが出来、相当広い境内のようです。







▼中門への参道。







参道中途左右に塔礎石が、往時を偲ぶ三重塔跡。

▼東塔跡。往時の東塔は豊臣秀吉により伏見城に移され、その4年後家康により大津三井寺に移建、現在の塔がそれです。







            ▼現在の三井寺三重塔。この塔がかつての世尊寺の三重塔。







▼西塔跡。西塔は戦乱によって焼失したと今昔物語に記されているそうです。







▼中門です。







▼霊鷲山の山号が揮毫された大きな偏額が掲げられています。







▼鐘楼。







▼庫院と称していますが庫裡のことでしょう。横に長い建物で、瓦の量も半端じゃないでしょうネ。







▼中門を中心にした廻廊内の広場。







▼大師堂。本尊聖徳太子像。桁裄3間、梁間4間、寄棟造、本瓦葺。







▼お堂前面にやたらタコ糸が張り巡らせてあります。鳥除けの糸と説明されていましたがよく判りません。

 





▼法王殿と書かれた大師堂扁額。







▼この空模様、折角の黄色が冴えません。







▼こんな方もいます。







▼敷石が一直線、その先に本堂。







▼本堂。桁裄5間、梁間4間、入母屋造、本瓦葺、3間向拝付、昭和43年 (1968年) 再建。
 旧比曽寺の講堂跡に建てられています。本尊は阿弥陀如来坐像。







▼墨跡鮮やかに知恩報徳と書かれた本堂扁額。







▼本堂内陣。チラッと見えますのが本尊阿弥陀如来坐像。







▼本尊阿弥陀さん。やや笑みを含んだお顔は「吉野路の微笑み仏」と呼ばれているそうです。









{この写真はネットから借用)





            ▼脇壇の十一面観音菩薩立像。この十一面さんが素晴らしい、
             お顔は後補らしいが、躰部は切れ味のいい彫の冴えを魅せています。
             これが真近で拝見出来るのです。







            ▼お顔です。後補と云っても鎌倉期の彫と云います。







▼もう一度本堂。







            ▼十三重石塔。







            ▼石塔軸部四面には如来像が刻されています。







▼芭蕉の句碑。貞享五年 (1688年) 芭蕉がこのお寺を参詣した時、壇上桜を眺めて詠んだ句。
 世にさかる 花にも念佛 まうしけり







▼壇上桜も形なしです。







山門右側に天照大神社が鎮座。祭神天照大神。世尊寺鎮守社、旧比曾村の氏神。

▼鎮守社鳥居と前方拝殿。







▼拝殿。







▼鎮守社本殿。







▼ご朱印です。






旧比曽寺はかなりの寺勢を誇った寺であることは、今に残る旧伽藍の礎石を見てもよく分かります。東西両塔、金堂、講堂とそれを
囲む回廊状から薬師寺式伽藍配置の大寺院であった往時の盛況が偲ばれます。栄枯盛衰は歴史の流れとは云え、今に残る世尊寺は整
然と法灯を守り、往時の寺勢を僅かながらも伝えている気がします。
パラパラときたり止んだりの繰り返し、吉野まで足を運んだ甲斐なしの世尊寺でした。写真のヘタさ加減ご容赦を。
これにて世尊寺 オ シ マ イ
 

願泉寺、南大阪真宗寺院の拠点です。

2019年02月07日 | 大阪の古寺巡り





(2019.02.02訪問)


極楽密寺から真宗本願寺派の南大阪の拠点とも云える貝塚御坊、願泉寺を訪ねます。悪名高きR26を約10キロ北上スグです。
願泉寺は平成16年から23年まで7年がかりで平成大修復工事が行われたそうで、意外だったのはその境内、通常真宗寺院は広い境
内に多くの伽藍が軒を並べているイメージなんですが、ここの主要伽藍は本堂一つ、結構な大きさなんですが、拠点寺院としては少
しばかリ寂しい印象。この日はまったくの無人で、本堂も閉ざされたまま、残念ながら真宗寺院の真髄には触れることは出来ません
でした。




            ▼門前には金凉山と山号が刻された石灯籠が両脇に2基建てられています。

 





            [ 願泉寺 ]
            ●山号 金凉山 (きんりょうさん)
            ●院号 真教院 (しんきょういん)
            ●寺号 願泉寺 (がんせんじ) 別称 貝塚御坊
            ●宗派 浄土真宗本願寺派 (じょうどしんしゅうほんがんじは)
            ●開山 伝行基菩薩 (ぎょうき)
            ●開創 伝天平十二年 (740年)
            ●中興 天文十四年 (1545年) 卜半斎了珍 (ぼくはんさいりょうちん)
            ●本尊 阿弥陀如来立像
            ▲大阪府貝塚市中846 TEL.072-422-1302  
            ▲拝観料 境内自由
            ▲南海本線「貝塚駅」から徒歩約5分





▼山門。真宗の貫禄か豪快な四脚門です。切妻造、本瓦葺。江戸期延宝7年 (1679年)建立。







願泉寺縁起
僧行基の開創と伝えられ、応仁年間に蓮如上人が教えを説いた草庵であるという。 天文十四年 (1545年) 根来寺から卜半斉了珍を
招請、再興し同二十四年 (1555年) 免租権を付与された。その後、織田信長に攻められ兵火にかかり焼失、三年後方8間の本堂を建
立、 天正十一年 (1583年) 顕如上人が紀州鷺ノ森からこの地に移り、2年余りここは本願寺であった。江戸初期、家康より寺内諸
役免許の黒印状を受け明治維新まで貝塚の領主であった。





▼山門貫上の龍の彫刻。







▼手の混んだ彫の龍が睨みつけています。木彫ですが目は玉眼、歯牙は白く着色、しかも持っている龍玉が光ってるんです。







▼両脇に大灯籠を従えた山門。







▼山門からは境内が見えません。3間の隠塀です。







            ▼本堂前に青銅の大灯籠。笠、火袋、竿、基壇にまで彫刻が施されています。







▼本堂 (重文)。桁行9間、梁間9間、入母屋造、本瓦葺、向拝3間付。 寛文三年 (1663) 建立。
 とにかくデカイ、境内に聳え建つと云う感じ。この日は内部を窺うことも入堂することも出来ませんでした。







▼本堂前面が格子戸。







▼本堂内陣の様子。真宗荘厳でキラキラ輝いていますネ。(この写真はネットから借用)







▼本堂外縁は全面格子戸。







▼外縁は前一段落しの二段廊下になっています。        







▼跳ね上げた上蔀戸。金具で吊り下げられています。







▼篰戸の性格上すこぶる頑丈な作りのようですネ。







▼廊下の両端の板戸画、こちらは桜に雉、反対側は雪の情景でした。

 





▼こういうところまで、凝に凝った豪華な大屋根妻の懸魚と破風飾り。







▼破風飾りと奥の貫彫刻。







▼屋根瓦の妙、何種類の瓦が乗っかってると思います?







▼流れ。







▼本堂。







▼手水舎。







▼鐘楼 (重文)。方1間、四本柱、切妻造、本瓦葺。元禄十三年(1700年)建造。







▼鎌倉期の梵鐘。







▼太鼓楼 (重文)。桁行三間、梁間三間、重層、入母屋造、本瓦葺。江戸中期享保四年 (1719年) 建造。







▼経蔵。方1間、宝形造、本瓦葺き、1間向拝は唐破風のとても見栄えのする建物です。







▼経蔵扁額。







▼庫裡玄関。曰く「大玄関は平時は使用いたしません、無理に開けぬよう。こわれます。」
 真宗寺院はご朱印のないところが多く、この一文でこちらもご多分に漏れず無いようですネ。






人っ子一人いない真宗寺院はどこか寂し気、明るい開けっぴろげの本願寺のイメージが少々崩れた今日の願泉寺でした。
オシマイ。