土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

東大寺、陽のおちた境内を久々に歩いてみました。

2013年10月28日 | 奈良の古寺巡り


(2013.10.26訪問)

▼二月堂舞台から生駒の落日。





▼今日はこの講演会に行ってきました。





▼講演開始前にミュージアムへ。
四月堂旧本尊、十一面千手観音立像が主賓で展示、左右はもちろん日、月光菩薩。
四月堂で見た観音さんと、このステージで見る同じ観音さん、まるで印象が違いますヨ。





講演会終了後、五時前なんですがもう薄暗くなっています。
このシーズン、境内にはほとんど光がありません。
▼猫坂あたりはシ~ンとしています。





▼三月堂と二月堂です。このあたりもシ~ンとしています。





焼けがあったら儲けもんと二月堂舞台へ。数人のカメラマンがいました。
▼間もなく沈みます。









▼二月堂舞台の吊灯籠。





▼二月堂南面





▼大鐘楼も闇に染まっています。





▼南大門も闇に染まっています。





▼参道から南大門。





▼ほとんどのお店はオシマイ。まだ六時前なんです。





▼今日から正倉院展の始まりです。奈良博の六時頃。



 ご参考までに
 □平成25年10月26日(土)~11月11日(月)。午前9時~午後6時
 □金、土、日曜日、祝日は午後7時まで。入館は閉館の30分前まで。
 □入場料 当日1,000円 
 オータムレイト700円 (オータムレイトチケットは、閉館の1時間30分前より販売)



▼登大路地下道を駅へ向かう人たち。




夏からいきなり冬の到来を感じさせた今日の奈良でした。



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浅草寺、お寺を訪ねたはずなんですが。

2013年10月22日 | 江戸の古寺巡り


(2013.10.14訪問)

鎌倉から江戸へ向かいます。
とりあえず、浅草へお蕎麦を食べに行きました。
「なにこの真っ黒けのお出汁」「カラ~」「おそば黒すぎない」「おそばバラバラやん」
「このエビ天、大と違うやろ」「大阪でこんなん出したら袋だたきに遭うで」とか何とか悪口言いたい放題、
もちろん小さい声で。
ボクたちは一体どんな店に入ったんでしょうネ。江戸のお蕎麦ってみんなこんなん?

お口直しで、浅草の観音さんへ。二人とも浅草は初めて、浅草寺ってどんなんかな~。



▼雷門ってどんなんかなと思ってました。こんなんでした。



門の前で皆さんナニやってんでしょうね。
雷門と書かれた大提灯、現在門の改修工事中につき実物ではなく写真がぶら下がってます。


[ 浅草寺 ]
●山号 金龍山 (きんりゅうざん)
●寺号 浅草寺(せんそうじ)通称 浅草観音
●宗派 聖観音宗総本山
●開創 推古天皇三十六年(628年)
●開山 勝海上人(しょうかいしょうにん)
●中興 慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)
●本尊 聖観世音菩薩
▲東京都台東区浅草2-3-1 電話03-3842-0181
▲HP http://www.senso-ji.jp/
▲拝観料 境内無料 御朱印300円

浅草寺縁起 (浅草寺HPから抄出)
飛鳥時代、檜前浜成、竹成の兄弟が江戸浦で漁撈中、一躰の観音さまのご尊像を感得。郷司土師中知はこれ
を拝し、聖観世音菩薩さまと知り帰依、その後出家し、自宅を寺となし、礼拝供養に生涯を捧げた。
大化元年(645年) 勝海上人がこの地においでになり、観音堂を建立し、夢告によりご本尊を秘仏と定め、以
来今日までこの伝法の掟は厳守されている。入江の一漁村にすぎなかった浅草は参拝の信徒が増すにつれ発
展、平安初期、慈覚大師円仁さまが来山、お前立のご本尊を謹刻された。鎌倉時代に将軍の帰依を受けた浅
草寺は、次第に外護者として有名な武将らの信仰を集め、伽藍荘厳はいよいよ増した。江戸時代の初め、幕
府の祈願所と定められてからは、堂塔の威容さらに整い、いわゆる江戸文化の中心として、大きく繁栄した
のである。かくして都内最古の寺院である浅草寺は、浅草観音の名称で全国の人達に親しまれ、民衆信仰の
中心地となっている。


▼仲店ってどんなんかなと思ってました。こんなんでした。





▼仁王門ってどんなんかなと思ってました。こんなんでした。









▼本堂ってどんなんかなと思ってました。こんなんでした。





▼本堂。入堂するのに一苦労でした。





▼本堂内陣奥深くにご本尊がいらっしゃるはずです。





▼本堂外陣の天井画を見てホッとしました。前天人之図は堂本印象さん、奥龍之図は川端竜子さんの画です。





▼さすがに近くに見えますワ。





▼五重塔ってどんなんかなと思ってました。こんなんでした。





▼御朱印です。





境内は相当広いようなんですが、ほとんど回っていません。その代り目が回りました。
早々に東京駅に戻ったのは云うまでもありません。




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長谷観音、十一面さんにお目通りしてきました。

2013年10月20日 | 神奈川の古寺巡り


(2013.10.14訪問)

♩七里ヶ浜の磯づたい ♩稲村ヶ崎名将の ♩剣投ぜし古戦場

小学唱歌「鎌倉」ですよ。懐かしくて涙ポロリの方もいらっしゃるのでは。
ホテルを出てしばらく湘南の浜辺をフラフラ、七里ヶ浜から柄にもなく湘南ボーイに浸りきり、稲村ヶ崎で
新田義貞を偲び、長谷観音へと向かいました。江ノ電長谷駅から掃き出されるように人の列が続きます。長
谷観音に詣でる人、高徳院の露坐の大仏さんに詣でる大勢の人波にもまれながら、やっとの思いで長谷の観
音さんにやってまいりました。

▼長谷寺山門。赤い提灯がお迎えです。





[ 長谷寺 ]
●山号 海光山 (かいこうざん)
●院号 慈照院 (じしょういん)
●寺号 長谷寺(はせでら)通称 長谷観音(はせかんのん)
●宗派 浄土宗単立
●開創 伝 天平八年 (736年)
●開基 伝 藤原房前 (ふじわらふささき) 藤原不比等次男
●開山 伝 徳道上人(とくどうしょうにん)
●本尊 十一面観音菩薩立像
▲鎌倉市長谷3-11-2 電話0467-22-6300
▲HP http://www.hasedera.jp/
▲拝観料 300円、御朱印300円
▲JR鎌倉駅下車乗り換え、江ノ電「長谷駅」下車徒歩5分
 
長谷寺縁起 (長谷寺パンフから抄出)
寺伝縁起によれば、養老五年 (721年)、徳道上人は楠の大木から二体の十一面観音菩薩像を造像、一体を大
和長谷寺の本尊とし、残る一体は衆生済度の誓願を込め開眼供養を修した行基により海中に奉じられた。
その後天平八年 (736年) 尊像は相模の国長井浦に顕われ、その旨を受けた大和長谷寺開基藤原房前により鎌
倉に遷座、当山開創の礎となりました。


▼参道。





▼山門。





▼寺標。長谷大観音と刻されています。





▼鐘楼。





▼阿弥陀堂。方三間、宝形造、桟瓦葺。





▼阿弥陀堂本尊。上品上生印相の丈六仏。



頼朝さんの厄災消除を祈願し造立されたと伝わるそうですが、実際は室町時代作とされるそうです。切れ長
の玉眼をやや伏し目がち、一心に本願成就を願う清浄なお顔、一見して定朝の父作と云われる、大原勝林院
の阿弥陀さんにそっくり、定朝の流れをくむ仏師の作ではないかと思ったりしました。


▼本堂。通常観音堂と呼ばれているそうです。桁行五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、裳階付の単層。





▼長谷観音と揮毫された本堂扁額。





▼本尊。長谷寺式十一面観音菩薩立像。像高9.18m、木造仏。まさに大和長谷寺本尊とソックリ、圧倒され
ます。この観音さんが長谷観音のバックボーン。



写真はnetから借りてきました。


▼大黒堂。出世開運大黒天が祀られています。





▼境内眺望散策路から由比ケ浜一望。海の点々はゴミではありません、サーファーです。
♩由比が浜辺を右に見て…という歌詞もありましたネ。





▼経蔵。一切経が収められています。





▼輪蔵。経蔵の中央にあり、一回転させることにより一切経すべて読誦功徳があるそうです。





▼地蔵堂。





▼地蔵堂を囲む千体地蔵尊。





▼弁天窟の入口。




▼弁天窟内部。弁財天を中心に眷属の十六童子が彫られています。
岩盤を彫り貫いたなかなかの雰囲気の回遊洞窟。薄暗い中を歩くゾクゾク感がたまりません。








▼書院。大勢の皆さんが写経中でした。





▼書院庭園。新しく造園された庭園です。








▼卍池。文字通りズバリ卍形の池。





▼良縁地蔵。境内に可愛いお地蔵さんがあちこちに。





▼放生池。








▼内仏殿。寺務所エリアに建つ新しいお堂。何のお堂かは?





▼御朱印。





本尊が長谷寺式十一面観世音菩薩で巨大な木造仏、像姿もよく似、寺名も長谷寺。鎌倉長谷寺は大和長谷寺
末かなと思っていましたが、無関係と云う関係。共通項は徳道上人と藤原房前がキーワード、往時の観音信
仰の広がりで、高野聖をはじめ、大寺の聖達が各地を回り高僧や時の為政者を檀那として観音利益を広めて
ゆき、そんな流れの中で観音信仰の礎を築いた鎌倉長谷寺は「長谷の観音さん」として東国を代表する観音
霊場として今に至ると聞きました。出自の由緒伝承が同じなのは、そう云った事が大いに関係しているので
しょう。


フ ロ ク

♩極楽寺坂越え行けば ♩長谷観音の堂近く ♩露坐の大仏おわします

鼻歌にのせて露坐の大仏さんに初お目見え。
▼巨大な阿弥陀さんもこれだけ大勢に囲まれるとテレがあるのかな。





▼いやいや男前はやはりビシッとしてはります。





▼横顔もさすが。





▼慈悲!慈愛!





奥さんの顔色を窺いながらの鎌倉お寺巡り、結局三ヵ寺で オ シ マ イ




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建長寺、鎌倉五山第一位の禅刹です。

2013年10月16日 | 神奈川の古寺巡り


(2013.10.13訪問)

この連休は奥さん孝行で、奥さんが行きたいという鎌倉とついでに江戸へ行ってまいりました。
鎌倉に着いてすぐ建長寺に行こかは御法度、お寺訪問などと先に云うとおメメの両端がキュッと上がるのは
必定、甘味処で一息入れて、ならばと鎌倉の顔、鶴岡八幡宮へ若宮大路を歩きだしましたが、うちの奥さん
「ウワーなにこれ!」若宮大路は人で埋まってました。早々に八幡さんをクリア、建長寺行は問題なく納得
しました。目指す建長寺はここから鎌倉街道を十五分ほど、しかし鎌倉街道も人とクルマで埋まってますワ。

▼仏殿本尊、地蔵菩薩坐像。




[ 建長寺 ]
●山号 巨福山 (こふくさん)
●寺号 建長寺(けんちょうじ)正式には建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)
●宗派 臨済宗建長寺派大本山
●開創 建長五年 (1253年)
●開基 北条時頼 (ほうじょうときより) 鎌倉幕府五代執権
●開山 蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)
●本尊 地蔵菩薩坐像
▲鎌倉市山ノ内八番地 電話0467-22-0981
▲HP http://www.kenchoji.com/
▲拝観料 300円、御朱印300円
▲JR北鎌倉駅下車徒歩15分 JR鎌倉駅下車徒歩30分
 
建長寺縁起 (建長寺HPから抄出)
開山大覚禅師は中国西蜀淅江省に生まれた。名は道隆、蘭渓と号。禅師は淳祐六年 (1246年)博多に着き、
円覚寺にとどまり、宝治元年に知友智鏡をたよって泉涌寺来迎院に入った。智鏡は鎌倉下向を勧め、禅師は
鎌倉の地を踏む。来朝三年後、時に三十六歳。禅師は寿福寺におもむき大歇禅師に参じた。執権北条時頼は
禅師の居を大船常楽寺にうつし、禅師の元を訪れ道を問うのだった。時頼は建長五年 (1253年) 禅師に開山
説法を乞い純粋禅宗をもとに大禅院が創建、 入寺した禅師は、きびしい規式、作法で門弟を教育、開山みず
から書いた法語規則は国宝としてのこっている。禅師は鎌倉に十三年、弘長二年 (1262年) 京都建仁寺に、
その後鎌倉に戻る。禅師は弘安元年 (1278年)建長寺に再住、七月二十四日、衆に偈を示して示寂。ときに
六十六歳。諡大覚禅師号は、わが国で最初の禅師号である。

伽藍配置。
総門、三門、仏殿、法堂、方丈が一直線に並ぶのは、禅宗伽藍配置の独特のものだそうです。

▼総門。





▼山号が揮毫された総門扁額。



「巨福山」の毫は建長寺十世住持、一山一寧の筆と伝え、「巨」字の第3画目の下に、余分な「点」が書き
加えられているが、この点があることによって字に安定感が出ているとされる。


▼三門 (重文)。三間一戸重層楼門。安永四年 (1775年) 再建。楼上には五百羅漢像が安置されています。残
念ながら非公開。昭和二十九年大修理で茅葺を銅葺に、建立当初の堂々たる雄姿が蘇る。





▼寺号が揮毫された三門扁額。





▼萱葺き屋根の鐘楼。





▼梵鐘 (国宝)。重量2.7トン。建長七年 (1255年) 関東鋳物師筆頭、物部重光鋳造。





▼栢槙の古木。仏殿前の樹齢760年、幹周7m。参道両側に7本の栢槙が植わってます。





▼仏殿 (重文)。建長寺本尊地蔵菩薩坐像が祀られています。
桁行五間、梁間五間、寄せ棟造、銅板葺。将軍秀忠室小督(お江)の方の霊屋を移築したものだそうです。





▼仏殿本尊、地蔵菩薩坐像。像高239.5cm、玉眼、寄木造、室町時代。右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、
衣を通肩着けて蓮華座に結跏趺坐。体は彩色斑ですが、玉眼切れ長の目はいつまでも印象に残る優しいお顔
です。本尊左右の欄間透かし彫刻も細工が見事!





▼仏殿格天井。格子内には鳳凰を始め色々の仏鳥が描かれ、天蓋部分は折上格子。





▼奥、法堂 (重文)。桁行五間、梁間五間、裳階付、銅板葺。文化十一年 (1814年) 再建。





▼法堂本尊、千手観音菩薩坐像。





▼法堂天井の雲龍図。小泉淳作さん筆の雲龍図。





▼法堂本尊前にパキスタンから寄贈されたレプリカ釈迦苦行像が祀られています。





▼唐門 (重文)。勅使門のこと。屋根は唐破風銅板葺、脇柱、戸はキンキラキン。





▼方丈龍王殿。





▼方丈扁額。





▼方丈仏殿。





▼方丈庭園。方丈裏の名園。蘸碧池 (さんぺきち) を中心とした池泉禅宗庭園。大覚禅師の作庭と伝えますが、
江戸時代に改修されていると云われています。











▼建長寺御朱印です。





創建当初の伽藍堂宇は残念ながら残っていません。ほとんどが江戸期の再建や他所からの移築と云いますが、
総門、三門、仏殿、法堂、方丈が一直線に並ぶ景観は、鎌倉五山第一位の風格と重厚さは十分に感じること
が出来、鎌倉と云う地勢の中で武家社会に守られ発展した頭領の面目は、今もこれからも滔々と鎌倉禅の大
河となって行くんでしょうネ。

長谷観音につづきます。

フ ロ ク 
今日の鶴岡八幡宮。





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唐招提寺、時代は隔たっても鑑真精神は生きているようです。

2013年10月07日 | 奈良の古寺巡り



(2013.10.05訪問)

秋季御影堂特別公開! 平成25年10月5日(土)~7日(月)
国宝 鑑真大和上坐像厨子開扉、東山魁夷画伯奉納障壁画公開。
と云うことで、早速訪ねました。


▼鑑真大和上。御影堂拝観記念写真から。
若葉して 御目の雫 ぬぐはばや 
芭蕉が詠んだこのお方が、御影堂宸殿奥深く、皆さんのお越しを待ってはります。



今更ボクなんぞがこの御影について思いを述べた所で言い尽くす事は出来ません。ただ1250年前の仏師?の
精魂込めてた術を今拝見しても時代差なんてなく、今そこに鑑真さんが律の精神を静かにあくまでも静かに
語りかけている、そんな気がします。それほどリアルな鑑真さんです。



▼御影堂山門の受付。





▼御影堂。





▼御影堂宸殿の間越し5~6m離れた松の間に鑑真さんは祀られています。



以前の公開では、宸殿の間に入る事が出来、畳に坐して対面出来たんですが、最近は外縁越しになり、静か
な対面とは行きません。どんな理由があるのか知りませんが、この写真を見てみっともないと思いませんか!
まるで見せ物です。



▼宸殿前庭。








▼御影堂からほんの少し、味ある土塀に沿って鑑真さんの御廟へ。





▼御廟門を入ると両側に緑の絨毯が敷き詰められています。





▼鑑真廟。この下に鑑真さんは眠っています。





▼もう一枚、緑の絨毯。





▼開山堂にも、もう一人の鑑真さんがいらっしゃいます。





▼わかります?もう一人の鑑真さんです。
鑑真和上お身代わり像 (レプリカ) が造られ、この写真では判りにくいですが開山堂で通常拝観出来るように
なりました。



鑑真和上坐像は、年特定の公開日をのぞいて非公開になっていますが、にもかかわらず、博物館に出展やフ
ランス、中国にまで出張したりで、なぜ奈良で見られないんだっ!と普段拝見出来ないことに不平不満が出
て非難ごーごー、ならばと云う訳でレプリカ制作に至ったというお話があったと云います。
真偽のほどは判りませんが。



▼芭蕉句碑。 若葉して 御目の雫 ぬぐはばや



「招提寺鑑真和尚来朝の時、船中七十餘度の難をしのぎたまひ、御目のうち塩風吹入て、終に御目盲させ給
ふ尊像を拜して」詠んだと俳諧紀行「笈の小文」に書かれているそうです。開山堂石段下に建っています。



▼戒壇。往時の姿ではないですが、こここそ唐招提寺の精神でしょう。





鑑真さんにお目にかかった後は、天平のお堂を巡りましょう。

▼きれいな境内案内板が新調されています。





▼金堂。現代の建築技術成果、ものの見事に、天平が蘇りましたネ。





▼金堂拝観の方々です。中の三尊の人気がうかがえます。








▼金堂前の萩もボツボツおしまいでしょうか。





▼中央奥が鼓楼。うちわまきはこのお堂ですよ。右金堂、左講堂。





▼講堂。





▼鐘楼。





▼おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ 秋艸道人(会津八一)の歌碑。





▼滄海。池面は緑の藻で覆われています。名前の由来わかりません、放生池でしょう。ああそうかい!!





▼南大門。





▼御朱印です。鑑真さん御廟の苔庭にて。




鑑真さん紀行 オ シ マ イ。


フ ロ ク
奈良西ノ京歴史の道を唐招提寺から垂仁天皇陵、西大寺へ歩いてみました。


▼歴史の道、みちしるべ。



歴史の道は1972年に奈良市が定めたルートで、全長約 27kmのハイキング道です。



▼道ばたのコスモス。





▼垂仁天皇陵奉拝所。





▼お濠に浮かぶ垂仁天皇陵。前方に田島間守の墓とされる小島が浮かんでます。



全長227m、後円部径123m、高さ17.3m、前方部幅118m、高さ15.6m、周濠部を含めた全長330m、前
方後円墳。第十一代垂仁天皇陵(菅原伏見東陵)に治定。正式には宝来山古墳。


みなさん、トシを考えて歩くようにしましょうネ。今、足腰パンパン、月曜日出勤大丈夫かな。




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