土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

再度山大龍寺、ぼけ封じ観音の効験抜群らしいですよ。

2016年06月28日 | 兵庫の古寺巡り





(2016.06.26訪問)


先週、摩耶山天上寺でシャッタートラブルのため悔し涙を飲んで諦めた再度山大龍寺、六甲山鷲林寺を今週は再度アタック。
昨土曜日は降ったり止んだりなので翌日曜日に決行。気を取り直し迷車大和路号は先ず再度山大龍寺を目指しています。
久々の再度山ドライブウエイ、相変わらずグニャグニャのコースも三宮からものの二十分程で山門に到着です。




▼再度山ドライブウエイに面して建つ山門。
 ご住職に聞いたんですが、建立は昭和と新しい山門で、当初は仁王門が入り口でしたが、道路沿いに何も無いのでお寺の所在が判
 らないために目印で建てたそうです。豪華豪勢な目印です。






[ 再度山大龍寺 ]
●山号 再度山(ふたたびさん)
●寺号 大龍寺(たいりゅうじ)
●宗派 東寺真言宗(とうじしんごんしゅう)
●勅願 伝 称徳天皇(しょうとくてんのう)
●開基 伝 和気清麻呂(わけのきよまろ)
●開創 伝 神護景雲二年(768年)
●本尊 観音菩薩立像(秘仏)
▲拝観 志納 朱印 300円
▲時間 何時でもオープン
▲兵庫県神戸市中央区再度山 電話078-341-3482
▲http://www.tairyuji.com/
▲JR「三ノ宮駅」より市バス25系統 森林植物園行(4月1日から11月30日の土曜・日曜・祝日のみ運行します)
 約20分 大龍寺前下車スグ




            ▼寺号石柱。






再度山大龍寺縁起 (再度山大龍寺HPから抄出)
神護景雲二年、称徳天皇の勅をうけた和気清磨呂公が、摂津の国に寺塔建立の霊地を求めて当地の山中まで来られたときのことであ
ります。公を暗殺しようとしてつけ狙っていた僧道鏡の刺客は、忽然と現われた一匹の大蛇に驚いて一目散に逃げ帰ってしまいまし
た。危ないところを助けられた清磨呂公があたりを見まわしてみると、大蛇が消えた跡に「聖如意輪観世音菩薩」が立っておられた
のであります。霊験を感じられた公は、早速この地に伽藍を建立され寺名を「大龍寺」と名付けられました。
延暦ニ十三年、入唐される弘法大師は、旅の所願成就を御本尊に祈願されました。その甲斐があって唐の長安で青龍寺の恵果和尚よ
り秘密の大法を授けられ、大同元年に無事帰国されたのであります。そして、帰朝報告奏上のため上京の途中、ふたたび当山に参籠
され本尊に報恩謝徳のため七日間秘法を勤修されました。弘法大師が再び登山されたというので「再度山」と呼ぶようになりました。




▼山門扁額。霊蹟金光かな。







▼山門。三間一戸、楼門形式、入母屋造、銅板葺、八脚門。







▼山門からイヤ~ナ坂。







▼いきなり上り参道。後で分かったんですが、この上にもう一つ駐車場があったんです。







▼上の駐車場から早速石段参道。







▼仁王門が見えてまいりました。







▼わりと質素な仁王門。三間一戸、入母屋造、本瓦葺。左右に仁王さんが控えています。







▼右に阿形仁王さん。







▼左に吽形仁王さん。



いずれも個性的なお顔の仁王さんで造像は比較的新しいものとお見受けしますが仏師、年代は不詳です。 





▼仁王門から参道。







▼切り妻、銅板葺きの見栄えグーの手水舎。







▼石段参道口に西国三十三観音の石仏がズラ~ッと。







▼テッペンは見えてます、かる~く上りましょ。







▼もうすぐです、本堂の屋根が見えてきました。







▼本堂です。

 





▼本堂外陣のにぎやかな吊り灯籠。

    





▼本堂内陣の荘厳。格子の一角からレンズを当てて、人間の目では殆ど真っ暗でも今時のカメラは写るもんですネ。







▼本尊観音菩薩立像(重文・秘仏)。そうとは思えないですけど、寺伝では如意輪観音と伝わるそうです。



(本尊写真は、神戸十三佛霊場会HPお借りしました)




            ▼ボケ封じ観音立像。ここはボケ封じ観音三十三カ所第八番札所になってます。
             最近のボクも人ごとではありませんのでこれ以上の進行防止を切に切にお願いしときました。

    




▼新しい立派な鐘楼、沁み渡るゴ~ンの響き、いい音でした。入母屋造、銅板葺、四脚。






            ▼本堂前に修行大師の像。






▼本堂左に毘沙門堂。小さいお堂ですが屋根の構造を見て下さい。主屋根は入母屋造、正面破風の主破風は大きな千鳥破風、一間向
 拝が唐破風と変化に富んだ構成です。







▼毘沙門堂の扁額。三本尊ではありません、三面大黒天(秘仏)が本尊。霊明殿にレプリカが置かれてるそうですが、見れませんでした。







▼毘沙門堂内陣。無数の観音小像が奉納され祀られています。正面奥の円鏡の奥お厨子に本尊三面大黒天(秘仏)が祀られているんでし
 ょう。







▼不動明王石像。火焔光背が靡いています。リズミカルなお不動さんですネ。
 ちなみのここは近畿三十六不動尊霊場札所です。







▼護摩堂。右横の建物は何か分かりません。

 





▼諸天堂。堂内覗けど真っ黒ケ。






            ▼奥の院への道しるべ。






▼諸天堂の横から奥の院への参道が始まります。いきなり急坂石段、一番イヤな参道。
 参道沿いに見える石龕は四国八十八ヵ所の石仏が祀られていますが、手を合わせる余裕すらありません。







▼こんな参道が続きます、







▼マダマダ……、







▼最後の石段かな。







▼奥の院が見えました。







▼奥の院大師堂です。小さな可愛いお堂ですネ。どなたもいません。







▼弘法大師と書かれた扁額。魚に見えますけど皆さんいかが。







▼内陣の荘厳、天蓋から下がる瓔珞や羅網がキラキラと輝いてます。奥の須弥壇にお大師さんがお坐りです。







▼玉眼が嵌まった精悍なお顔は壮年期のお姿か、人影のない奥の院でお大師さんと対峙していると思わず、

              観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 
                    照見五蘊皆空 度一切苦厄舎利子 
                           色不異空 空不異色 色即是空……








▼奥の院からもう一度境内に戻ります。







▼大石に半彫りの三体の水かけ地蔵。







▼ピラミッド積みのカラフルな水子地蔵。何体置かれているのか、昇天した子供達の魂に届けとばかりに積み上げたもんでしょうネ。







▼ご朱印を戴きに庫裡へ向います。
 庫裡、納経所、納骨堂、仏殿を兼ねた建物ですが白亜の殿堂と云うべきか、お寺の建物とは到底思えないスゴイ建物。霊明殿と呼
 んでるそうです。入り口の両脇を固めるのは雌雄の獅子のようで大理石ですヨ。







▼堂内の仏殿。
 仏殿の前でお茶菓子を戴きながらご住職としばらく雑談、ざっくばらんで気のいい方、この方なら信者が集まりますワ。
 「お寺の経営は苦しいですわ、うちは檀家が無いのでね」とご住職、
 「ウソでしょう、こんな豪華な建物建てて、広い墓所がありますやん」これは言えませんでした。
 最後に寺名焼き印されたお寺オリジナルお煎餅を戴いて大龍寺を辞しました。               合掌







▼ご朱印です。





大龍寺はいろんな霊場の札所になっているお寺なので、札所巡りファンの方、是非一度お参りを。
ご参考までに。
●近畿三十六不動尊霊場札所 ●西国愛染霊場第五番札所 ●摂津西国三十三カ所霊場第六番札所 
●神戸七福神霊場 ●神戸十三仏霊場第六番札所 ●摂津八十八カ所霊場第八十二番札所 
●近畿十楽観音霊場第八番札所 ●ぼけ封じ三十三カ所霊場第八番札所。




▼再度山ドライブウエイからの神戸市街景観!





戴いたお煎餅をかじりながら、一旦三宮に下り阪神高速で西宮まで、迷車大和路号は六甲山鷲林寺を目指します。





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元興寺、高貴で清楚なブルーの今は。

2016年06月23日 | 奈良の古寺巡り





(2016.06.21訪問)



今日の大阪の空は、梅雨の合間のブルー色。ブルー、高貴なブルー、元興寺のブルー。
フッと気が付くと、猿沢池の亀をおちょくり、いつの間にかボクは奈良町をフラフラ歩いているじゃありませんか。




▼東門(重文)。一間一戸、切妻造、本瓦葺。






            [ 元興寺 ]
            ●寺号 元興寺(がんごうじ)
            ●宗派 真言律宗(しんごんりっしゅう)
            ●開基 蘇我馬子(そがのうまこ)
            ●開創 推古元年(593年)
            ●本尊 智光曼荼羅(掌中示現阿弥陀如来浄土変相図)
            ▲拝観 500円 朱印 300円
            ▲時間 9:00~17:00
            ▲奈良市中院町11番地 電話0742-23-1377
            ▲http://www.gangoji.or.jp
            ▲近鉄「奈良駅」から徒歩15分
             奈良交通バス「近鉄奈良駅」から「福智院町」下車徒歩5分
             JR「奈良駅」から徒歩20分
             奈良交通バス「JR奈良駅」から「田中町」下車徒歩5分




            ▼寺号石標。






元興寺縁起 (奈良市観光協会公式HPから抄出)
前身は六世紀末蘇我馬子によって開かれた法興寺でしたが、平城遷都に伴い今の地に移転され名も元興寺と改められました。かつて
は南都七大寺の一つとして威勢を振い、現在の奈良市街の南東部を占めていました。広大な寺域には、金堂・講堂・塔・僧房などが
立ち並んでいましたが、平安時代半ば、その勢威も衰えてしまいました。現在では僧坊の一画が唯一現存しています。極楽坊はかつ
ての元興寺僧坊の一部で、鎌倉時代に極楽堂(国宝)と禅室(国宝)に改築されたました。




▼本堂極楽堂(国宝)。桁裄六間、梁間六間、寄棟造、本瓦葺。







▼宝物館前の島植えがここでは一番早く咲き揃いますが、今は。







▼極楽堂内の中央四本柱で内陣を構成、右回りに拝観します。







▼この島はボツボツですネ。







▼極楽堂内陣の西面。本尊智光曼荼羅レプリカが嵌っています。







▼島植えのアップ。







▼極楽堂外陣から境内を。







            ▼南戸口から宝物館。前に島植えが見えますが……、






▼こんな感じの咲き具合。

 




            ▼左に何かあるんでしょうか。







▼真ん中の島です。






            ▼見上げてみました。







▼まだら咲きと云ったところでしょうか。







▼浮図田の石仏と桔梗。







▼一輪咲き。

 





            ▼まだまだ蕾が……、

    






▼どうだこれでも不満かい。








▼固まりが所々パラパラと。







▼白はこれだけ。

    





▼宝珠に背を向けて。






            ▼孤高の姿!







            ▼浮図田の中央大通りのハルシャ菊。







▼石塔とハルシャ菊。







▼このブロックは何も咲いてません。







            ▼お地蔵さんもあきらめている感じ。







▼木陰の散歩道。







▼前からコレあったかな。







▼禅室(国宝)の北面の萩の植栽、満開を想像してみて下さい。左にチラッと黄色い花、







▼こんなのがたくさんいます。ハルシャ菊です。






            ▼アップです。この花は好きになれないなァ。なんで元興寺にハルシャ菊?






▼極楽堂前に並んでる蓮鉢もゼンゼン。







▼東門前にこんなのもいました。ボツボツオシマイのようです。







▼なので、北門の前から帰ります。






夏の高貴なブルーは、まだまだ、文月も初めの頃が満開の予感、桔梗好きの方、もう少しお待ちいただいた方がヨロシイかと。
元興寺の桔梗 オ シ マ イ






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摩耶山天上寺、壊れた写真機はただの重い固まり。

2016年06月20日 | 兵庫の古寺巡り





(2016.06.18訪問)


先週須磨寺に続いて今日は六甲山、摩耶山、再山の神戸三山の真言系古刹を鋭意訪問するために相当入れ込んで我が家を出発。
一時間足らずで摩耶山天上寺に到着、ここまでは順調。
写真機め、なななんと云うことだ、十五カット足らずで突然シャッターがおりません。シャッターがおりないと写真が撮れません。
何がどうなっているのかサッパリ分からないままアキラメです。
そうだ携帯があるじゃないか、と云ってもボクのはガラケー、しかし撮りましたヨ。今日の半分以上はガラケー撮影です。
見ればすぐ分かると思いますが、分からんふりして見て下さいネ。もちろん今日はスグ帰りました。




▼参道入口。






            [ 摩耶山天上寺 ]
            ●山号 仏母摩耶山(ぶつもまやさん)
            ●寺号 忉利天上寺(とうりてんじょうじ) 通称 摩耶山天上寺(まやさんてんじょうじ)
            ●宗派 高野山真言宗(こうやさんしんごんしゅう)
            ●勅願 孝徳天皇(こうとくてんのう)
            ●開基 法道仙人(ほうどうせんにん)
            ●開創 大化二年(646年)
            ●本尊 十一面観音菩薩立像(秘仏)
            ▲拝観 志納 朱印 300円
            ▲時間 9:00~17:00
            ▲関西花の寺第十番霊場   
            ▲兵庫県神戸市灘区摩耶山町2-12 電話078-861-2684
            ▲http://www.mayasan-tenjoji.jp
            ▲阪急六甲駅、JR六甲道駅より神戸市バス18系統「摩耶ケーブル下」下車。
             まやケーブル・まやロープウェイ「星の駅」下車 徒歩約10分。
             表六甲または裏六甲ドライブウェイを六甲山牧場を目標に進み、六甲山牧場の間を通って南へ約7分。




            ▼孝徳天皇勅願寺碑。






摩耶山天上寺縁起 (摩耶山天上寺HPから抄出)
摩耶山天上寺は、大化二年孝徳天皇の勅願により、インド僧法道仙人によって開創されました。
弘法大師が唐に留学された際、当時中国で女人守護のみ仏として崇拝されていた梁の武帝自作の香木造りの仏母摩耶夫人像を日本に
請来、当寺に奉安されました。この女尊は、お釈迦さまの生母で、仏教の聖母です。これ以来、当山の名を「仏母摩耶山」寺の名を
摩耶夫人の昇天された忉利天にちなみ「忉利天上寺」と呼ぶようになりました。




▼参道。







▼山門。






            ▼木札には忉利天上寺と書かれています。






▼山門を潜りすぐ左に天竺堂。インドから贈られた大理石の摩耶夫人像をお祀りしています。







▼手水舎。







▼青もみじのトンネル参道。両脇にはもみじが多く植わり、晩秋の紅葉は期待出来るそうですヨ。







▼間もなく境内入り口になります。







▼鐘楼。三十三種の花々が鋳込まれた梵鐘「花曼荼羅の鐘」が吊られています。







▼境内中央に枯山水庭園、忉利天の縁起にちなみ天空の仙境「摩耶創生之庭」と呼んでるそうです。

 





▼全国唯一のお堂、摩耶夫人堂。釈迦生母の摩耶夫人、梵天、帝釈天がお祀りされています。
 日本第一女人守護と刻された石柱が正面に。
 ここでは安産祈願や安産腹帯が戴けますヨ。なんと云っても仏母のみ寺、女人高野ですから。







▼摩耶夫人堂扁額。






                ▼本尊摩耶夫人。美人ですネ、キレイですネ、
                 お釈迦さんが右脇から顔を出してます。






▼摩耶夫人と左帝釈天、右梵天の両脇侍。







▼摩耶夫人堂。左のお堂は金堂です。







▼摩耶天空の庭と天空のテラス。
 法道仙人が天竺より渡来し摩耶山を開創したことをモチーフとした「仙人来朝之庭」
 天空のテラスからは晴れた日には淡路島や明石海峡大橋が見えるんですヨ。写真ことごとく失敗、この景観をお見せ出来ないのが
 誠に残念無念!

 





▼花の寺は今、シモツケが満開。山法師も満開、夏椿は咲き初めでしょうか、そうそうホタルブクロも満開でした。
 花のお寺のお花の写真、お見せ出来ないのが誠に残念、ことごとくピンボケ! アアイヤダ。

    




            ▼延命大地蔵尊、大きなお地蔵さんです。







▼金堂。桁裄七間、梁間七間、入母屋造、銅板葺、三間向拝付。
 本尊十一面観音菩薩立像(秘仏) 像高一寸八分、黄金像、三十三年に一度の御開帳。







▼金堂扁額、山号と忉利天上寺と書かれています。

    





▼金堂内陣の正面。前に愛染明王坐像、後須弥壇には七尊像が祀られています。







▼須弥壇上の諸仏。



(上の二枚の写真は、神戸十三佛霊場会HPからお借りしました)





▼金堂と摩耶創生之庭。







▼出山の釈迦石仏と仏足石。珍しいお釈迦さんの姿です。







▼こちら釈迦涅槃石像。涅槃石像は初めて見ました。






            ▼開基法道仙人。播磨、丹波、丹後、但馬一円にかけての
             古刹開基に関わるとされる法道仙人とはこんな方。






▼一願地蔵堂。堂基壇に並んでる小さいお地蔵さん見えます? 願いが叶って納められたお地蔵さんですって。







▼金堂裏の六地蔵。






            ▼こちら子安地蔵。とりどりの風車が回ってました。






▼舟形光背に半彫りされた石仏が集められています。色が変ですね、なぜでしょう。



と云う疑問が湧いても解決しないまま天空のお寺、摩耶山天上寺 オ シ マ イ





▼ご朱印です。






使い物にならない写真機は写真機と云いません、ただの重い固まり。
アホラシヤの鐘が鳴ってる中、今日一日は早々に終了。





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北御堂、西本願寺の大大阪の拠点。

2016年06月17日 | 大阪の古寺巡り





(2016.06.14訪問)


肉ワカメうどんにエビ天をトッピング、超豪華昼食を済ませたあと、我社から7~8分の所、大大阪の大幹線道路、超有名な御堂筋
に面して御堂を構える、本願寺津村別院、通称北御堂を訪ねました。
我が家も一応は西本願寺門徒の端くれ、我社のご近所にありながら山門上がらず、前も通らずでは余りにも失礼、お詫び旁々西本
願寺の大大阪の拠点を訪ねた訳であります。




▼御堂筋から北御堂を見ると全景は見えません。






[ 北御堂 ]
●山号 龍谷山(りゅうこくさん)
●寺号 本願寺津村別院(ほんがんじつむらべついん) 通称北御堂(きたみどう)
●宗派 浄土真宗本願寺派(じょうどしんしゅうほんがんじは)
●開基 蓮如上人(れんにょしょうにん)
●開創 明応五年(1496年)
●本尊 阿弥陀如来立像
▲拝観 無料 朱印なし
▲時間 7:00~16:30   
▲大阪市中央区本町4-1-3 電話06-6261-6796
▲http://www.kitamido.or.jp
▲地下鉄御堂筋線「本町駅」下車 A階段2番出口 左側(西側)すぐ
 阪神高速「信濃橋出口」から四ツ橋筋北へ信濃橋交差点をこえ、信号二つ目を右へGS角




            ▼寺号サイン。





本願寺津村別院縁起 (北御堂HPから抄出)
1496年、本願寺第八代宗主蓮如上人の手により、大坂に親鸞聖人から伝えられた「お念仏」のみ教えを弘めるため、現在の大阪
城のあたりに石山本願寺が建てられました。その坊舎を中心に寺内町が形成され、大坂の町は大いに発展しましたが織田信長の
兵火で本願寺は大坂を離れ京都へ移転、大坂の門徒はこの地での「お念仏」の灯りをまもるため、天満に近い「楼の岸」に新しい
坊舎を建立。その後、「津村郷」と呼ばれていた現在の地に移り(津村別院の名称の由来)津村御坊は「北御堂」と称されるよう
になり、南御堂(真宗大谷派難波別院。津村別院から南へ約500m)とならび大坂のひとびとに親しまれてきました。
昭和二十年大阪大空襲により全焼、昭和三十九年津村別院再建。




▼山門。あえて形状を云えば、七間五戸、切妻造、本瓦葺、横になが~い山門です。







▼山門から御堂。






            ▼山門を潜り右手に宗祖親鸞さんの銅像。






            ▼親鸞さんお顔。






            ▼左手に津村別院開基の蓮如さんの銅像。






▼御堂正面。僅かに屋根に和様を感じますが、アプローチ石段といい堂形はまさに石の神殿。







▼御堂を石段下から眺めます。   













▼屋根トップの宝珠。







▼石段を上がると正面入り口。お堂入り口のイメージはありません。どこかのなんとか会館風。

 





▼本願寺印が正面に輝いています。







▼一階ホール。正面トビラ左右の壁画は杉本哲郎画伯による「無明と寂光」天地5m、左右8.6mの大きさ。






本堂は三階にあります。京西本願寺の御影堂、阿弥陀堂を知ってるだけに、どんなんかなァ~ドキドキします。

▼入ってビックリ、コンサート会場、黄金に輝く舞台が辛うじて仏の居間か。







▼ほぼ須弥壇の全景。圧倒される黄金の世界に、若い僧侶が襟を正していますネ。







▼須弥壇中央に本尊阿弥陀さんが祀られいますが、お顔が今ひとつよく見えません。
 本尊 阿弥陀如来立像、像高95.6cm、寄木造、漆箔、玉眼が嵌められています。鎌倉時代後半。







▼ご本尊がお立ちのお厨子、これこそ極楽浄土の王の館。

 





▼右脇壇に宗祖親鸞さんのお厨子。親鸞聖人等身大の御影がお祀りされています。全く見えません。

    




            ▼左脇壇には二十三代勝如上人の御影軸が祀られています。
             勝如上人(大谷光照)1911~2002年。大正三年(1914年) 光照が法灯継承者となり
             (昭和二年)1927年に得度、第二十三代門主の法灯を継承。






▼仏殿全景。

    





▼天井照明と天蓋。







▼四階から見た本堂仏殿。







▼燦然と輝く世界から現実に戻ります。御堂から見たこれが山門、もちろん左右はもっと長いです。







▼昼過ぎの御堂筋です。





先ず寺院には見えない外装とキンピカ荘厳の内装との大いなるギャップに驚かされます。
なかなかの演出に信者でなくても極楽浄土とはこんなんだよと云っている説得性に納得するのでは。

現実に戻りたくはありませんが、社に戻り細々と現実の仕事をすることにします。
北御堂これにて オ シ マ イ






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須磨寺、敦盛哀し青葉の笛。

2016年06月13日 | 兵庫の古寺巡り





(2016.06.11訪問)


そのムカシムカシ代理店にいた頃、須磨の離宮公園は絶好のロケ地で、広告制作などでカメラマンやモデルらとよく撮影に訪れた所。
須磨寺はその離宮公園のおトナリ、しかし全く知りませんでした。
今日は三宮で少しばかリ仕事の後、平家の哀歌が残る須磨寺をついでと云っちゃなんですが初めて訪ねました。哀しいお話を予想し
て訪ねたんですが、まるっきり予想が外れたお寺でした。




▼放生池に架かる龍華橋。前方は仁王門、参道が一直線に本堂まで続きます。






[ 須磨寺 ]
●山号 上野山(じょうやさん)
●寺号 福祥寺(ふくしょうじ) 通称須磨寺
●宗派 真言宗須磨寺派(しんごんしゅうすまでらは)
●勅命 光孝天皇(こうこうてんのう)
●開山 聞鏡上人(もんきょうしょうにん)
●開創 仁和二年(886年)
●本尊 聖観世音菩薩坐像
▲時間 8:30~17:00
▲拝観 無料 朱印300円   
▲兵庫県神戸市須磨区須磨寺町4丁目6-8 電話078-731-0416
▲http://www.sumadera.or.jp
▲市バス「天神下」下車北へ徒歩12分
JR「須磨駅」下車 北へ徒歩12分
山陽、阪神、阪急電車「須磨寺駅」下車 北へ徒歩5分
R2からは、水族園前より北へ、離宮道を上がり左折、旧神明道路を西へ
阪神高速月見山ランプ 旧神明道路を西へ




▼仁王門。三間一戸、入母屋造、本瓦葺。源三位頼政の再建と伝えます。両脇奥の間に金剛力士を安置。






須磨寺縁起 (須磨寺HPから抄出)
須磨寺略歴縁起によれば、兵庫区和田岬の海中より出現し給える聖観世音菩薩像を安置するために、淳和天皇の勅命により、兵庫区
会下山に、恵偈山北峰寺が建立された。後に、仁和二年、光孝天皇の勅命により、聞鏡上人が現在の地に上野山福祥寺を建立し、北
峰寺より聖観世音菩薩像を遷し本尊としてお祀りしたのが、当山の開基と伝えられる。南北朝時代から江戸時代にかけて歴代住職が
書き継いだ、当山歴代によれば、本尊聖観世音は嘉応元年(1169年)源頼政が安置したとある。




▼阿形金剛力士。







▼吽形金剛力士。金剛力士は運慶、湛慶作と伝えるらしいですが、これはチョット?ですネ。







▼この参道を行くと本堂です。






            ▼仁王門を潜るとスグ右にお立ちです。






▼源平の庭。平敦盛と熊谷直実の一騎打ち、平家物語名場面を違和感無く再現!
             一の谷の いくさ破れ 討たれし平家の 公達あわれ
                        暁寒き 須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛







            ▼名場面の横には蕪村の句碑。
                     笛の音に 波もより来る 須磨の秋






▼参道に戻りましょう。

 





▼参道石段のテッペンに唐門、前が本堂です。







▼豪勢な一枚岩を刳り貫いた手水鉢。







▼鐘楼。梵鐘を弁慶の鐘といい、源平合戦のとき弁慶が陣鐘に代用したと伝えるそう。鐘高三尺、鐘径一尺八寸、重量五十貫。大体
 想像つきますネ、弁慶のバカ力。(鐘楼の駒札から)







▼本堂です。桁裄五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、三間向拝付。創建仁和二年(886年)、慶長七年(1602年)豊臣秀頼が再建。
 内陣の宮殿(重文)は応安元年(1368年)建立。本尊聖観世音菩薩、脇侍毘沙門天、不動明王が祀られています。







▼本堂扁額。






            ▼本尊聖観世音菩薩坐像。






▼読経中。前方朱色が内陣宮殿(重文)。







▼本堂右に護摩堂。本尊不動明王坐像。桁裄三間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。妻側が正面のお堂です。







▼護摩堂須弥壇。中央に本尊不動明王、右に摩利支天、左に神変大菩薩が祀られています。

    





▼本堂左に大師堂。三間四方宝形造、本瓦葺,一間向拝付。本尊弘法大師、真言八祖をお祀り。







▼大師堂扁額。






            ▼本尊空海さんです。まるで博多人形、きれいお像です。

   




▼大師堂前の敦盛首洗い池。普通の小さい池で、睡蓮が咲き出しています。







▼境内の一部です。







▼鎮守社出世稲荷。平清盛が都守護のため尾玉・荒熊・末廣三明神を勧請。






            ▼出世稲荷扁額と拝殿、本殿。






▼三重塔。弘法大師千百五十年御遠忌、当山開創千百年、平敦盛八百年遠忌を記念して昭和五十九年に再建。旧塔は四百年前の文禄
 大地震の際に倒壊。







▼初層正面、本尊大日如来が見えます。







▼本尊金剛界大日如来坐像。塔再建と同時に像顕されたお像でしょう、きれいな大日さんです。







▼裏扉にいらっしゃるこの方は胎蔵界大日如来。ボク達が馴染んでいる如来顔ではなく、普通の人間顔、より親しめるイイお顔です。
 木目鑿目が残り檀像風、上帛や裙、宝冠、瓔珞など飾り物は彩色と金箔が施されています。まったく新しいお像です。







▼三重塔を廻るように八十八カ所お砂踏み霊場があります。






            ▼三重塔全身を撮るのを忘れました。間違いなく三重塔なんで。






            ▼親子地蔵。須磨沖で起こった哀しい事件が建立理由です。
             お地蔵さんが子供を抱っこしています。






▼一畑薬師の三尊彫り石碑。






            ▼平敦盛首塚。一の谷の戦で、熊谷直実に討たれ戦死した平敦盛の菩堤を弔う為に建立。
             須磨浦公園にある「敦盛塚」には胴体が祀られているそうです。






それでは奥の院へ参りましょう。
▼奥之院への参道。お寺のオネーサン「スグです10分くらい」イヤな予感的中25分かかりました。







▼正確にはここからが参道なんでしょうネ。







▼奥之院のお堂。本尊弘法大師。三間四方宝形造、桟瓦葺。






            ▼本尊弘法大師。大師の右手の五鈷杵から五色綱は、
             お堂正面の五鈷杵に結縁の金剛線として繋がっています。
             空海さんとのご縁を求めてボクも引っ張っておきました。






さて奥之院から戻って書院の方へ行ってみましょう。
▼書院です。入ることは出来ません。   













▼書院前に朱印蔵。







▼横に長い本坊。







▼正面唐破風玄関の彫刻がスゴイ。貫上の花鳥彫りの中央、獅子の顔には玉眼が嵌っています。下の松に鶴は透かしになってます。







▼板戸上の龍の顔にはやはり玉眼が嵌り、四枚それぞれ額装したいくらいの芸術彫りです。







▼本坊庭園の真鍋豊平さんの歌碑。
              ひとすじに こころこめたる ことなれば 
                        ちよのしらべも たえじとぞおもう



真鍋豊平さんは一絃琴の名人だそうで、ちなみに本坊は一絃須磨琴の保存会本部、稽古場になっているそうです。





▼小さな流れも設えてあります。







▼芭蕉の句碑。
    須磨寺や ふかぬ笛きく 木下闇







▼よく歩き回りました、おイトマしましょ。







▼御朱印です。






あの阪神大震災の完膚無き痛手を、よくここまで復興された須磨寺の努力には頭が下がります。
写真では紹介できませんでしたが、このお寺、老若男女子供まで参拝に来られた総ての方に楽しんでお参りしてもらうために「おも
ろいもん」が祀られ置かれています。色々工夫され、笑い触れ合いは心を豊かに、笑いというご利益がいただける、いわばお寺エン
ターテイメント、ワンダーランドとして努力されているオモロイお寺です。
敦盛哀歌は何処へ行ったんだろう。  敦盛さんに合掌






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