土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

西教寺、天台真盛宗、聞き慣れないですが天台三山の一つです。

2015年10月29日 | 滋賀の古寺巡り




(2015.10.24訪問)


浮御堂から坂本の西教寺に向かいます。今、秘仏が公開されている天台真盛宗総本山西教寺は再訪です。京の旧法勝寺
の寺格を引き継いだ西教寺の正式名称は兼法勝西教寺といい、天皇家勅願寺院の格を誇るお寺でもあるんです。その旧
法勝寺に伝わる秘仏が今公開されています。なぜ今は亡き法勝寺なのか、話せば長くなるのでまたの機会に。
取りあえず秘仏お薬師さんに逢いに行きましょう。




▼総門。あの明智光秀の坂本城城門を移築した遺構と伝わるそうです。

 




[ 西教寺 ]
●山号 戒光山 (かいこうざん)
●寺号 西教寺 (さいきょうじ) 正式名称 兼法勝西教寺 (けんほっしょうさいきょうじ)
●宗派 天台真盛宗総本山 (てんだいしんせいしゅう)
●開基 伝 聖徳太子 (しょうとくたいし)
●開創 伝 飛鳥時代 (あすかじだい)
●復興 正中二年 (1325年) 恵鎮上人 (えちんしょうにん) 
●再興 文明十八年 (1486年) 真盛上人 (しんせいしょうにん)
●本尊 阿弥陀如来坐像 (重文)
▲拝観 500円 朱印300円
▲時間 9:00~16:30  
▲滋賀県大津市坂本5丁目13-1 電話077-578-0013
▲http://www.saikyoji.org/index.html
▲近江湖西二十七名刹霊場11番札所
 びわ湖百八霊場11番札所
▲JR湖西線「比叡山坂本駅」下車、江若バス約7分「西教寺」下車又は徒歩30分
 京阪電車「坂本駅」下車、江若バス約4分(西教寺下車)又は徒歩25分
 湖西道路「坂本北IC」から約5分「滋賀里ランプ」から約10分




        ▼総門右に建つ宗名寺号石柱。






西教寺縁起 (西教寺HPから抄出)
西教寺は正しくは天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺といいます。聖徳太子が高麗僧慧慈、慧聡のために創建された
と伝えられています。荒廃しますが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。恵心僧都入寺、修業されたと
ころから次第に栄えるようになりました。鎌倉時代の正中二年に入寺の恵鎮上人は、大乗円頓戒を復興、その後百有余
年を経た文明十八年に真盛上人が入寺され堂塔と教法を再興、不断念仏の道場とされました。もとは天台宗真盛派の寺
格が、戦後天台寺門宗と天台真盛宗として天台宗から分離独立したものです。




▼ボツボツ彩りはじめたモミジのトンネル、真っ直ぐ行きますと突き当たりに……、






▼皇室勅使を迎える勅使門。切り妻造、本瓦葺、四脚門でやはり風格抜群です。






        ▼左に行くと宗祖大師殿の石碑。少し左に……、






▼大師殿の豪華な唐門が。一間一戸、四脚門、入母屋造、前後は唐破風付、檜皮葺。正面が大師殿。
 3mの袖塀がつけられ、築地塀が左右に伸びています。軒の組み物は簡素ですが、龍などの彫り物は豪華で見事です。






▼貫に彫られた彫刻。龍の絡みや鳳凰が凄いですね。






▼宗祖大師殿。大きなお堂で外縁勾欄には擬宝珠が付いています。
 桁裄五間、梁間六間、入母屋造、桟瓦葺、唐破風一間向拝付、銅板葺。






▼内陣の荘厳。数十種はあるかと思われる瓔珞の豪華なこと、さすがに宗祖のための荘厳です。須弥壇最上段にはお厨
 子が置かれ、宗祖真盛上人像が安置されています。像高73.9cm、木造。






▼全面赤絨毯が敷きつめられた外陣も広いです。欄間の「慈攝」と書かれた扁額は、昭和天皇の勅額です。
 「慈攝」とは真盛上人の大師号です。






        ▼唐破風向拝にかかる青もみじ。紅葉の時季だったら絵になりそうですね。






▼大師殿唐門の袖塀瓦にチョコンと坐るエテ公じゃなかったお猿さん。猿は天台の守り神のお使い、色んな処にいます。






▼それでは本堂エリアに……。この石垣の上が中心伽藍です。
 この石垣がかの有名な加工なしの自然石を積んだ穴太衆積。坂本の町を歩くといたるところで見ることができますヨ。






▼手水舎。ココでは水屋と云ってます。入母屋造の本瓦葺の屋根は少々重たい感じがしないでもありません。






▼本堂 (重文)。
 桁裄七間、梁間六間、単層、総欅の入母屋造、本瓦葺、正面三間の向拝付。元文四年 (1739年) 再建。






▼内陣須弥壇中央、本尊阿弥陀如来坐像 (重文) 像高278.8cm、丈六仏、木造、漆箔、平安中期。






▼定朝様の阿弥陀さん、まん丸お顔で半眼は静かに瞑想中か、螺髪や白毫が小振りなところは成仏間もない頃の若い阿
 弥陀さんの印象。






▼本堂欄間の彫り物。仏教説話がこんな彫り物に、欄間左右イッパイに豪華に装飾されています。






▼本堂を斜めから。






▼本堂前にこんな大きな看板が。ココに天台の守り猿のお話が書かれています。






▼本堂と廻廊で繋がる客殿 (重文)。
 桁裄十二間、梁間八間、南面入母屋造、北面切妻造、杮葺。慶長三年 (1598年) 建立。
 桃山御殿と呼ばれ書院造りの大きな建物です。



今日の西教寺訪問の目的は、旧法勝寺秘仏「薬師如来坐像」の特別開帳が客殿賢人の間で公開されているからなんです。
尼僧の方が付っきりで旧法勝寺や秘仏薬師如来坐像のお話を語ってくれました。

お薬師さんは小振りなお像で真っ黒、お厨子も相当黒くススっぽいのは、法勝寺の経て来た災難を一身に受けた結果な
のか。手印の薬壺を持つ与願印と施無畏印は胸元に寄っているので通常の薬師如来と印象が違います。
写真は御法度でした。

参考
天皇勅願寺院「六勝寺」の一つ、白河天皇勅願の「法勝寺」も応仁の乱後、荒廃廃寺となっていたこの「法勝寺」を時
の後陽成天皇勅命により天正十八年末寺の「西教寺」に併合、寺籍や仏像仏具も移し正式寺号を「兼法勝西教寺」とい
うのはこれに由来しているといいます。




▼客殿庭園。
 裏山の傾斜を利用し、中央池は琵琶の姿を取り入れ二つの石組で蓬莱石組が構成されている鑑賞庭園。
 作庭 伝 小堀遠州 江戸初期。
 客殿から書院へも渡り廊下で繋がっていますが、書院の全景は撮ることが出来ません。






▼書院前庭。穴太式庭園で坂本一帯にある庭と共通する類型的な庭園。早い話どこにでもありそうな庭園。
 作庭 伝 不詳 明治初期。






▼裏書院庭。池泉鑑賞式庭園。宗祖真盛上人五百回忌大法会記念事業として作庭。
 作庭 西村繁太郎 平成元年。











▼大本坊。
 元亀二年(1571年)織田信長の比叡山焼き討ちで全焼。その後坂本城主となった明智光秀が、西教寺を菩提寺にと復興
 に尽力、坂本城の陣屋を寄進し大本坊を再建したと伝わるそうです。さすが武家の屋敷ですね、大きな建物です。






▼大本坊扁額。






▼仏間には光秀と妻煕子 (ひろこ) の木彫が祀られています。煕子は細川ガラシャのお母さんです。






▼本坊庭園。三尊石組みを中心に本坊に対してやや斜めに構えた作庭法は、鑑賞を考慮した素晴らしい角度を構成し、
 用石組も大胆豪放な手法で禅院式枯山水庭と茶庭式露地庭との金剛形式を構成した名庭園と云われている。と駒札は
 述べています。
 作庭 不詳 江戸初期。






▼本堂右前にある観音堂。方三間、宝形造、本瓦葺の小さなお堂です。






        ▼本尊 聖観音菩薩立像。






▼納骨堂。






▼鐘楼。桁裄三間、梁間二間、袴腰、総檜造、入母屋造、本瓦葺。安定感抜群の美しい鐘楼です。軒が深く写真では見
 えませんが組み物に配された彫刻や木鼻など精巧な素晴らしい彫り物で飾られています。






        ▼宝篋印塔。






▼明智一族の墓。光秀の評価は色々ありますが、坂本の地や西教寺にとっては恩人と云うことになるんでしょうネ。






▼阿弥陀二十五菩薩の聖衆来迎石仏。






        ▼南無阿弥陀仏。






▼宗祖真盛上人廟。
 御廟は本堂西の高台に建てられ、堂内に宗祖の五輪塔が安置されていました。
 桁裄二間、梁間二間、宝形造、本瓦葺、一間向拝付。天保十三年 (1843年) 建立。






            ▼この方が真盛上人。写真はネットからもらってきました。



真盛上人は十九歳で延暦寺に入り二十年修行、権大僧都を拝命した方です。真盛上人は「戒称二門」「円戒念仏」と
いう阿弥陀仏の名を一心に称えることと称名念仏の励行を唱えました。以来、西教寺は戒律念仏の道場となっています。




▼御朱印です。






天台山門、天台寺門、天台真盛といっても三山でどれだけ教義が違うのかボクは解りませんが、叡山開祖最澄さんが宗
祖であることは間違いなく、ココ西教寺にも寺伝に叡山中興の良源さんや源信さんと云う名僧の名が出てきます。他宗
に対して特に南都に対して好戦的だった最澄さんの元からは平安から鎌倉仏教の名だたる名僧が多く輩出しているのは、
最澄さんの個性と教えが如何に優れていたかを物語っているようです。

長々とどうも、西教寺 オ シ マ イ





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満月寺浮御堂、堅田の落雁は近江八景の一つです。

2015年10月26日 | 滋賀の古寺巡り




(2015.10.24訪問)


近頃の土曜寺巡りは山のお寺巡りが多いので、一つ今週は水辺でどうや、水辺、水辺「そうだ琵琶湖に行こう」と云うこ
とで迷車大和路号は湖西道路を一路北に向かって走っている訳でございます。
とりあえず近江八景の一つ「堅田の落雁」浮御堂を目指しているのでございます。「堅田の落雁」てなんや、と云われて
もなんだかよく知りませんが、琵琶湖には名所処が八カ所あるんでしょう。とにかく「近江八景」の一つなんです。
浮御堂はれっきとした満月寺というお寺の一お堂です。




▼近江八景「堅田の落雁」浮御堂。






[ 満月寺浮御堂 ]
●山号 海門山 (かいもんさん)
●寺号 満月寺浮御堂 (まんげつじうきみどう)
●宗派 臨済宗大徳寺派 (りんざいしゅうだいとくじは)
●開基 恵心僧都源信 (えしんそうずげんしん)
●開創 長徳元年 (995年)
●再興 江戸期 湘南宗元(しょうなんそうげん) 大岫宗般(だいしゅうそうはん) 
●本尊 聖観音菩薩坐像 (重文)
▲拝観 300円 朱印300円  
▲滋賀県大津市本堅田1丁目16-18 電話077-572-0455
▲JR湖西線「堅田駅」から江若交通町内循環バス「堅田出町」下車徒歩約5分 
 名神「大津IC」から約45分
 名神「栗東IC」から約40分
 湖西道路「真野IC」から10分
     




▼竜宮造楼門式山門。湖 (うみ) への門、竜宮門式とは上手いこと考えたモンです。






満月寺浮御堂縁起 (満月寺浮御堂パンフから抄出)
一条天皇の長徳年間(995年頃)比叡山横川恵心院に住した恵心僧都源信が、琵琶湖を山上より眺め一宇を建立して自ら
一千体の阿弥陀仏を刻んで「千仏閣」「千体仏堂」と称し湖上通船の安全と衆生済度を発願したのに始まる。
その後、建武の始めより元亀天正に至る間に度々戦場となり、当寺も荒廃に帰したが、江戸時代に大徳寺の住持、湘南宗
元、大岫宗般等により復興された。




        ▼寺号ではなくて浮御堂と刻された碑。






▼山門。






▼海門と書かれた山門扁額。






▼早速浮御堂へ。






▼湖畔に突き出た参道突端、浮御堂のこちらは裏になります。






▼全景はほぼこのカットのバリエーションです。






▼湖側が正面。扁額です。






▼須弥壇正面お厨子に本尊阿弥陀如来立像(秘仏)が祀られています。






▼お厨子前には阿弥陀さんのお前立ち像と周辺及び四面長押上に「千体仏」と称して阿弥陀さん一千体が祀られています。






            ▼お前立ちの阿弥陀さん。






▼浮御堂バリエーションと云っても、殆ど代わり映えしません。


























▼屋根の宝珠。






▼湖面に高浜虚子の句碑。 湖も この辺りにして 鳥渡る
 満潮時には半分以上水没するそうです。






▼本堂(観音堂)。桁裄三間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺。






               ▼本尊聖観音菩薩坐像 (重文、秘仏)。木造、平安時代。
                須弥壇前にこの写真が立てかけてあります。



               写真はネットからもらってきました。




▼格天井に季節の樹花草花が描かれています。






▼客殿。






▼客殿に沿うように松の枝が伸びています。






▼芭蕉の句碑。 鎖あけて 月さし入れよ 浮御堂






▼御朱印です。






今週のフロク

▼これが広重の近江八景の一つ「堅田の落雁」 写真はウイキより借用






チョットした想い出。
「江若鉄道」この琵琶湖湖岸を走っていた全線単線の気動車(ディーゼル機関)路線を覚えている方もヒョットしたらま
だいらっしゃるかも。
ディーゼル車が引っ張る畳敷きとかストーヴ付きとかの小さい車両はシーズンともなれば行楽客で溢れていました。蓬莱
山や比良武奈岳への登山、またサンケイバレー(琵琶湖バレー)や箱館山スキー場などは無かった時代のマキノスキー場、
青柳浜、堅田の浜や近江舞子浜への湖岸キャンプなど湖岸沿いには名立たる地が並び、ボクなど山岳部トレで比良武奈岳
へはよく入っていました。そんな江若鉄道も1969年全線廃止、今じゃJR湖西線が走っています。そうそうあの泡の雄琴
もうたかたの夢でしたネ。今じゃ立派な雄琴温泉です。





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常勝寺、緑の中の朱、目立ってます。

2015年10月22日 | 兵庫の古寺巡り




(2015.10.17訪問)


とことんマイッタサンのイワヤサンから、ほうほうのていで街中に降りてきました。
次に訪ねる竹林山常勝寺も他の丹波の名刹同様、春は桜花、秋は紅葉のお寺として名高いそうで、時季ともなれば人出
のほうも半端じゃないそうです。
迷車大和路号は、なれば今がチャンスとばかりに、例により自然色気のない、人気(ひとけです)の少ないこの時季の
お寺を訪ねているのであります。ところがナントナント常勝寺境内は朱色が映えまくっていたのでありました。




▼石段の先に仁王門。

 




[ 常勝寺 ]
●山号 竹林山 (ちくりんざん)
●寺号 常勝寺 (じょうしょうじ)
●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
●開基 法道仙人 (ほうどうせんにん)
●開創 大化年間 (645~650年) 
●再興 元禄十年 (1697年) 良海法印 (りょうかいほういん)
●本尊 千手観世音菩薩立像 (重文・秘仏) 三十三年に一度開帳
▲拝観 境内自由 朱印300円  
▲兵庫県丹波市山南町谷川2630 電話0795-77-0074
▲http://www.geocities.jp/chikurin_dousin/frame-chikurinsyouzya-youkoso.htm
▲JR福知山線「谷川駅」から1km、徒歩約20分
 中国自動車道「滝野社IC」から30分
 舞鶴若狭道「丹南篠山口IC」25分 




▼堂々の楼門式仁王門。木造建造物ではないんですヨ。重層楼門、三間一戸、八脚門、初層両脇に金剛力士像。






常勝寺縁起 (常勝寺HPから抄出)
はるかなるインドより万里の波涛を超えて渡来した法道仙人が大化年間(645~650年)七尾七谷の此の山に七堂伽藍
を建て、寺運日増しに栄え、僧坊七十余りの一大地となりましたが、永保年間に羅災堂塔すべて灰燼に帰しました。そ
の後、泉州槙尾山の浄意上人が本堂および諸堂を建てましたが、天正三年(1575年)明智光秀の丹波侵攻で悉く炎上、
その後当山智光法印が再建半ばにして遷化。爾来、元禄十年(1697年)良海法印が本堂を修復。慈眼、松林、普賢、蓮
乗、宝樹の塔頭五ヵ院としたが寺運更に沈み遂に慈眼院のみとなり、明治初期の風雪強くうらぶれの明け暮れでありま
した。当山第十六世、実應法印山林経営に粉骨し法灯高く諸堂修復に粉身し、寺運日を重ねて甦り今日に至りました。
寺宝の銅造千手観世音菩薩立像、木造薬師如来像が国指定重要文化財に指定されている。




▼寺号扁額。






▼金剛力士阿形像。











▼金剛力士吽形像。








いずれの金剛力士も相当傷み激しく、特に吽形像の玉眼は眼窩の奥に入り込み、別の意味での怖さがあります。




▼仁王門を潜ると目の前に長~い イ シ ダ ン。






▼本坊過ぎてもま~だまだ長~い イ シ ダ ン。






        ▼千古の老杉蒼々と参道を覆い、まだあるぞ長~い イ シ ダ ン。






▼参道左右には石仏が並んでいます。萎えかけの心ホッ!






▼もうちょっと……、






▼ついに境内、見えましたよ本堂。やけに朱っぽい建物……、






▼まさしく朱! デコラティヴ本堂! 緑をバックに映え過ぎるほど映えまくっています。
 桁裄三間、梁間五間、入母屋造、銅板葺、一間向拝付。






▼向拝の前柱間の貫を飾る凄い彫刻を見てください! 彫刻は彩色なしの生色、目立つことこの上なし。






▼格子から覗いた内陣。須弥壇中央厨子の中に本尊が祀られています。
 本尊 千手観世音菩薩立像 (重文・秘仏) 三十三年毎に開帳。像高58.2cm、台座14cm、銅鋳造仏、平安末~鎌倉初期。






▼本堂側面。






▼屋根妻の彫刻。微に入り細に入るとはこのことか。相当細かな彫刻が施されています。






▼境内です。建物に比べて地面は荒れ放題。






▼恰好のいい鐘楼です。四本柱、入母屋造、桟瓦葺。






        ▼宝篋印塔。詳細不祥。






▼小さなお社風お堂が、これはお不動さんが本尊の不動堂。






        ▼岩室の中に少年お不動さんかな? キリッとしたいい表情ですけど何方かはよく判りません。






        ▼こちら弁天堂。






▼中に石仏が祀られるこんな岩室が境内や参道あちこちに。






▼放生池越しの境内。






▼薬師堂。方三間、宝形造、銅板葺、向拝付。小さなお堂ですが、屋根のカーブが非常に美しいお堂です。
 本尊薬師如来坐像(重文) 像高77cm、台座34cm、光背126cm、寄木造、玉眼、鎌倉時代。
 ガッチリ施錠され堂内は見ること出来ませんでした。






        ▼薬師堂横の宝篋印塔、これも詳細不祥。






さほど広くない境内散策はこれだけ、さて本坊へ御朱印を戴きに……、

▼もと来たイシダンを下ります。アレ!二人の女の子が降りてゆきますね。見えます?
 実は彼女達学生さんで、このお寺のイシダンは特訓場らしく、今日は七往復の特訓中ですって。君たちは偉い!
 ちなみにこのイシダン何段あるのとボク、350段ですと彼女達。350×2×7=4900段 参りましたアン!






        ▼まだ青もみじが元気です。






▼参道中程の本坊慈眼院です。






▼山門から立派な庫裡を見ます。お庭も小さいながら……。






▼秀明菊が倒れながら、萎れながら、健気に残ってました。満開のときなら秀明菊のお寺としても売れそう。











▼御朱印です。






一直線に続くイシダン参道、遠近法的、幾何学的「美」見ていて実に美しいイシダンです。特訓中の彼女達が「350段」
と云ってましたが、降りながら数えますと「312段」。±5段はお許しを。
今だけの話、一段当たり低い (10cmくらい) ので、上り易いことこの上なし、石龕寺の奥の院惨道に比べたらヘッチャ
ラのへ、のイシダンでした。

丹波の名刹これにて オ シ マ イ !




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石龕寺、心して奥之院参拝を。

2015年10月19日 | 兵庫の古寺巡り




(2015.10.17訪問)


迷車大和路号は丹波路を走っています。長閑な田園風景、道はきれいしクルマは少々、遠くでコンバインが作業中、道
端のコスモス咲き乱れ、秋本番中。いいですネ、気持ち高鳴り口笛が思わず、ベーさんの交響曲第6番を聞きながら(ウ
ソに決まってます)とりあえず紅葉の時季でもないのに丹波紅葉三山の一つ、石龕寺を目指しているのであります。
問題がただ一つ、奥の院は相当な難所、まるで登山だと聞いているのですが……、




        ▼寺号石碑。

 




[ 石龕寺 ]
●山号 岩屋山(いわやさん)
●寺号 石龕寺(せきがんじ) 別称岩屋寺(いわやでら)
●宗派 高野山真言宗(こうやさんしんごんしゅう)
●開基 聖徳太子(しょうとくたいし)
●開創 用明天皇二年(587年) 
●本尊 毘沙門天 
▲拝観 境内自由 紅葉時期は300円 朱印300円  
▲兵庫県丹波市山南町岩屋2番地 電話0795-77-0235
▲JR福知山線「谷川駅」からタクシー10分
 中国自動車道「滝野社IC」国道175号北約30分
 舞鶴若狭道「丹南篠山口IC」25分 




▼道路終点に仁王門。前が駐車場になっています。






石龕寺縁起 (石龕寺案内板から抄出)
寺伝によると、用明天皇の丁未の年(587年)聖徳太子の開基と伝えられ、聖徳太子が深く帰依した毘沙門天を本尊とす
る。鎌倉から室町にかけて隆盛、足利尊氏とその子義詮がこの地に身を寄せたことが記されており、当寺が足利氏とゆ
かりが深い事が伺えます。下って明智光秀の丹波攻め(16世紀末)の際、山門を除いて一山ことごとく焼失しましたが、
以来歴代住職や信徒の尽力により復興されました。寺号の「石龕」とは、仏像などを安置する石窟を意味する。
本堂から登ること約800mの先に奥の院があり、その石窟が石龕寺の寺号の由来となっている。




        ▼山号、寺号が刻された立派な石柱。






▼仁王門。三間一戸、銅板葺き、八脚門。両側に金剛力士が控えています。






        ▼仁王門扁額。






久々正統派仁王さんに会えました。迫力のある像形、まさに仁王立ち、玉眼の目元は血管が浮き出てますよ。
阿吽両像とも仏師肥後法橋定慶(慶派の仏師)、仁治三年(1242年)刻。
仏師定慶さんの伝は諸説あるようですが、慶派としての貫禄は充分窺えます。

▼金剛力士阿形像(重文)。






▼金剛力士吽形像(重文)。






▼仁王門正面。






▼仁王門潜ると青もみじが覆う一直線の参道。丹波紅葉三山の青もみじですヨ!






▼青もみじの中振り返ってみる仁王門。青もみじに埋もれてますネ。






        ▼真言宗の象徴、お大師さんも緑の衣です。






▼この石段を上った所に本堂が。






▼手水鉢に滴る清水。






▼本堂が見えました。






▼本堂。本尊毘沙門天。方三間、宝形造り、銅板葺、唐破風向拝付。残念ながら内部は窺うことは出来ません。
 お堂入り口は正面には無く、両サイドにあります。

 




        ▼毘沙門天王と書かれた本堂扁額。






▼本堂左側面、中央が戸口です。






        ▼仏足石。投げ銭で届かなかった小銭がバラバラと下に落ちてます。






▼不動明王石像。石全体が火焔光背になっていて、デザイン的にも優れた石像ではないでしょうか。






▼鎮守社の焼尾神社。朱に見えるのは覆屋。






▼本殿はガッチリガードされています。祭神 市杵島比売命。唐破風一間流造、檜皮葺。仁治二年(1241年)創建。






▼軒下の組み物。かなり精巧に組み上げられています。






▼三社が祀られています、祭神は分かりません。






        ▼かなり珍しい七福神の石像。






▼護摩壇。






▼護摩壇のダブル石像、右不動明王、左役行者。小角さんは笑っているようです。






さて問題の奥の院へ、散々迷ったあげく、チャレンジ GO !

▼奥の院参道入り口に防御ネット。動物よけなんでしょうかね、何か身震いしますネ。






▼参道なんて云うありがたい道ではありません。登山道でももう少しキレイ、まさに獣道。そしていきなり急坂。本格
 的な山道です。足を滑らせると谷底まっしぐら、慎重の上にも慎重に。所々ロープや手すりなどがあるので、注意さ
 えすればなんとかクリアできます。





▼時々こんな景観にも会いますが……、






▼殆どこんな道……、






▼そしてこんな薄暗さ。一人じゃ怖いですよ。祈、何も出てきませんように。






▼急な登り歩くこと800m、やっと光明、鐘楼が見えてきました。途中何回休憩したか、何回滑ったか、クソ!






▼鐘楼です。疲労困憊! しかし元気一発!ゴ~~ンいい余韻でした。






▼奥の院参道、いきなりビックリしました、人かと思っけど灯籠でした。






▼岩肌にへばりつくように建てられている拝殿。






        ▼毘沙門天王と書かれた扁額。






▼拝殿格子からの内部。






        ▼本尊毘沙門天王石像、半浮き彫りのお像で錫杖をお持ちです。新しい彫刻のようです。



        この拝殿地が石龕寺誕生の地と伝わるそうです。




        ▼拝殿横にこちら珍しい蔵王権現の石像。



極々狭い奥の院、以上でオシマイ。奥之院へ40分、拝観5分。ア~ア。




▼鐘楼の基壇に座ってぼーっとしながら見た景色、丹波市山南町の町並み。






▼御朱印です。






久々の登山参拝でした。奥之院を参拝せずにして石龕寺を参拝したことにあらず。本当はどうするか迷ったんですが、
よっしゃイコ、800mの行程されど800mでした。普通の人20分、ボク40分、元山岳部ヨレヨレ、オレ本当に山岳部
員だったのかなとしばし呆然。以上はボクの今、皆さんはこんなことないと思います。普通の人は!
急坂、道幅狭し、曲がりくね、落ち葉と石ゴロゴロに足を取られないように、谷底真逆さまですよと冗談と本気半々。
これから奥之院目指す方、どうぞお気をつけて!
気をつければ普通の人は普通に登れます。




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転法輪寺、歴史は古いが、お寺は新しいのです。

2015年10月15日 | 兵庫の古寺巡り




(2015.10.10訪問)

石峯寺からは南へ40km弱、しかし思いも寄らない距離と時間がかかりました。転法輪寺は神戸市垂水区、少し西は明
石市になります。やっぱり神戸市は広いです。六甲山系のただ中とは言え高速網は完璧のハズ、迷車大和路号のアホナ
ビはこの高速網を間違いだらけで走っています。なんと六甲トンネルを一往復半ですよ。何回おんなじ道を走ったら気
が済むねん、このアホ!
と云う訳でやたら時間を食ってやっと転法輪寺に着きました。




        ▼天然記念物原生林が残る参道は通行止め、上りきったところに寺号石標。

 




[ 転法輪寺 ]
●山号 龍華山(りゅうげざん)
●寺号 転法輪寺(てんぽうりんじ)
●宗派 高野山真言宗(こうやさんしんごんしゅう)
●勅願 平城天皇(へいぜいてんのう)
●開山 西尊上人(さいそんしょうにん)
●開創 大同元年(806年) 在原行平(ありわらゆきひら) ※行平の生年は弘仁九年(818年)で時代が合いません
●本尊 阿弥陀如来坐像(重文) 
▲拝観 境内自由   
▲兵庫県神戸市垂水区名谷町2089 電話078-791-7885
▲JR山陽本線「垂水駅」東口から山陽バス「中山」下車北へ徒歩5分
 第二神名道路名谷JCTから神戸淡路鳴門自動車道へ垂水ICから約5分 




        ▼境内のイラストマップ。






転法輪寺縁起
寺伝によると、平城天皇が即位の後、病を得たため勅願で在原行平が大同元年(806年)開創。創建時は東垂水に広大な
寺域を誇ったそうで、当初は「大同寺」といい、延喜十年(910年)宇多法皇が行在、寺号を「転法輪寺」と改めたとい
う。その後度々の火災天災を被り各地をさすらい、貞応二年(1223年)現在地に移りその後荒廃。近年になって再建がは
じまり、昭和六十一年(1986年)本堂、太子堂、弁天堂などが再建された。




▼この参道を行くと……、






▼左手だだっ広~い広場?に、まだ木の香りがする阿弥陀堂がポツンと建ってます。






▼ガラス戸から中を覗いてみると,正面に阿弥陀三尊が、前面にロッカー様のものが並んでいます。位牌堂を兼ねてい
 るのかも知れません。






▼参道を行くと石柱門が建ち、正面に本堂が見えます。






▼左手に手水舎。






▼右手に鐘楼が。






▼顕彰碑も。






▼本堂。桁裄五間、梁間五間、寄棟造、本瓦葺。昭和六十一年(1986年)再建。






        ▼寺号転法輪寺と書かれた扁額。






▼本堂正面。格子戸から奥が内陣。






▼格子戸の奥、本尊が見えます。






▼前には密教法具が置かれ、須弥壇中央に身代わり本尊阿弥陀如来坐像、取り巻くように四天王が祀られています。






        ▼非常に新しい身代わり本尊、現代仏師の作。
         本尊(重文)は収蔵庫に収められているそうです。像高142cm、木造、平安後期。

 




▼びんずるさん。一円玉がこぼれてます。






▼本堂側面です。






▼大師堂。残念ながら内部は窺うことは出来ません。空海さんをお祀り。
 方三間、宝形造、本瓦葺。昭和六十一年(1986年)再建。






▼本堂右手に建つ護摩堂は神戸十三仏霊場第一番です。方三間、宝形造、本瓦葺。昭和六十一年(1986年)再建。






▼大きな扁額。






▼内陣中央に本尊不動明王坐像。本尊横にもお不動さんの立像がお立ちです。
 さすがに護摩堂、護摩行で天井はマックロケ。






        ▼本尊不動明王坐像。この本尊も新しいものです。






▼放生池と弁天社。この池は蓮で有名らしいですヨ。






▼無縁塔。






▼小さい五輪塔が集められているようです。






▼境内、だだっ広~いですね。






▼収蔵庫。こちらに本尊阿弥陀如来坐像(重文)が収められています。
 本尊は毎年一月七日追儺式と春秋彼岸にご開帳。






▼立派な庫裡。前はやはりだだっ広~い広場、駐車場になってます。
 アホナビはこの広場に案内してくれました。






▼庫裡玄関。呼び鈴故障中と張り紙、ならばと「ごめんくださ~い」と三回、待てど暮らせど返事なし。






▼しばらくお庭をブラブラ、も一度「ごめんくださ~い」ついにどなたも現われず。
 またしても御朱印不取得。アカンことは続くもんですね。






と云うことで、アホナビに右往左往させられた神戸市垂水区の転法輪寺 オ シ マ イ




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