土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

世界文化遺産、宇治上神社は意外と小さな神社です。

2012年03月28日 | 京都の古寺巡り


(2012.03.24訪問)

記紀による王位継承を譲り合う美しく悲しいお話を伝える神社を訪ねました。
その主役、仁徳天皇と菟道稚郎子、その父君応神天皇を祀る宇治上神社は、開創不詳の神社とはいえ、この
地はもともと菟道稚郎子の離宮「桐原日桁宮」の伝承地であることからその縁でこの地に社が創建されたの
かもしれませんね。桐原の名は境内桐原水にその名を伝えています。
1994年12月古都京都の文化財として世界文化遺産に登録。

[ 宇治上神社 ]
●開創 不詳
●祭神
中殿 (父)譽田別尊(ほむたわけのみこと) 後の第十五代応神天皇
左殿 (弟)菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)
右殿 (兄)大鷦鷯尊(おほさざきのみこと) 後の第十六代仁徳天皇

宇治上神社縁起
平安時代には現在の宇治上神社、宇治神社合わせて宇治鎮守明神と称され、平等院の鎮守社として藤原頼通
の庇護のもと崇敬と隆盛大いに上がったと伝わるそうです。

▼参道鳥居。脇の石標目立ちすぎ。




▼簡素な山門をくぐるとすぐ拝殿(国宝)。
桁行6間、梁行3間、単層切妻造、妻に庇付、檜皮葺。
屋根の形は非常に美しく、縋破風(屋根の先に付く片流れの屋根の側面に取り付けられる破風)という手法。
桁行6間と神社パンフに記されていますが、不規則な柱間からどう見ても6間には見えません。




▼拝殿前に円錐盛りの清めの砂。




▼拝殿内部。本殿側から撮ってます。




▼本殿覆屋(国宝)。
桁行5間、梁行3間、流造 、檜皮葺。流造独特の屋根のカーブの美しいこと。
日本最古の神社建築だそうです。






▼内殿中殿(国宝)。1間流造、檜皮葺。中央。
祭神 譽田別尊(ほむたわけのみこと) 後の第十五代応神天皇。




▼内殿左殿(国宝)。1間流造、檜皮葺。向かって右。
祭神 菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)。




▼内殿右殿(国宝)。1間流造、檜皮葺。向かって左。
祭神 大鷦鷯尊(おほさざきのみこと) 後の第十六代仁徳天皇。




▼本殿覆屋。




▼本殿覆屋を守護する狛犬阿形。吽形撮り忘れました。




▼摂社 春日神社(重文)。1間流造、檜皮葺。藤原一族の守護神を祀る神社。
祭神 武甕槌命、天児屋根命。




▼末社 稲荷社。祭神 倉稲魂命。




▼桐原水。
宇治茶園を象徴する宇治七名水の一つ。他の六名水がすべて失われ、唯一現存の湧水といいます。



実は古刹もう一ヵ寺訪ねるつもりでしたが、雨宿りでお茶をしていてカメラをいじくっていたら、ギャッ!
バッテリーチャージ 0。あほらしやの鐘が鳴ったのでそのまま帰りました。

紅葉のない琴坂はただの坂道、興聖寺。

2012年03月27日 | 京都の古寺巡り


(2012.03.24訪問)

憎っくき雨です、今日の宇治。
道元さん縁のお寺ということで宇治興聖寺を訪ねました。深草の旧興聖寺には道元さんは10年ほどしか過ご
さず、その後、越前永平寺に移りますが、天下の大著「正法眼蔵」はこの旧興聖寺で書き始めたと伝わりま
す。仏法とは、坐禅の本質とは、修行の意義とはなど、悟りの世界を論じた曹洞宗の根本教典の初がこの興
聖寺から始まったそうです。
禅の修行僧を「雲水」と云いますが、その語源知ってます?

[ 興聖寺 ]
●山号 仏徳山(ぶっとくさん)
●寺号 興聖寺(こうしょうじ)
●宗派 曹洞宗
●開山 道元禅師  
●開創 天福元年(1233年)
●中興 永井尚政 慶安2年(1649年)
●本尊 釈迦牟尼仏

興聖寺縁起
天福元年(1233年)、中国宋から帰国した道元さんが、深草の藤原氏縁の極楽寺跡(現宝塔寺)に創建した興聖
宝林禅寺が興聖寺の開創。このとき道元さんなんと33歳。
その後、道元さんが越前永平寺に移り荒廃、応仁の乱で焼失廃絶。慶安2年(1649年)淀城主、永井尚政が道
元開祖興聖寺を惜しみ現在地に復興。

▼今朝の宇治川。
いきなり怪しげな雲行き、今日一日の象徴。




▼宇治川右岸の遊歩道。
怒濤の波わかります? 本当は歩道こんなに暗くはないんです。




▼興聖寺石標。総門と云われる石門は修理中で青テントがすぽっり。




▼天下の琴坂も錦が無けりゃ薄暗いただの坂道。




▼山門がハッキリしてきました。




▼ポッチャリとした竜宮造りの山門。




▼山門からは医薬門、法堂と一直線。




▼医薬門。




▼医薬門前のひめこまつ。樹齢300年くらいらしいです。




▼鐘楼。




▼法堂。興聖寺の本堂。
本尊 釈迦三尊。慶安元年(1648年)伏見桃山城から移築。




▼法堂扁額。
道元さん開創寺の寺名、興聖宝林禅寺と揮毫されています。




▼梅と法堂。




▼椿と法堂。




▼庭園。




▼僧堂。
座禅道場。慶安元年(1648年)建立。




▼庭園。




▼三面大黒尊天。僧堂に繋がる回廊に大国さんが祀られています。側面の二神はどなたなんでしょう?




▼庭園。




▼廻廊。




▼開山堂。
開山道元禅師像を祀る開山堂(老梅庵)。




▼開山堂前の水のない川畔に蹲。




▼経蔵。




▼講堂。衆寮と云う研修道場。




▼秋葉大権現。
宇治は茶処、火をよく使うことから、火除け信仰で火防鎮護の秋葉神を祀ったのが始まりだそうで、堂内に
は祭神「三尺坊大権現」が祀られているそうです。




▼開梆(かいぱん)。相当使い込んでいるようですね。




▼山門から琴坂。




▼琴坂。秋は紅葉の彩錦、紅いトンネルも、今はただの枯れ木のトンネル。




枯れ木のトンネルを通って、雨の中とりあえず世界遺産宇治上神社へ行きましょうか。

近頃のお天気どう思います? トクに土曜日は。
あんまりアッタマにきたので、バカらしくなって宇治へ行ってきました。
案の定、宇治はあめアメ雨!チョロット青空!すぐにまた雨!
出るとき大阪は晴れていたんですが…。帰って来たら大阪も雨! 
なんちゅう天気や。

せめて一度は梅だよリ、大阪城梅林へ。

2012年03月13日 | 花巡り


(2012.03.12訪問)

梅だよリ満開の情報に誘われて大阪城梅林へ行ってみました。通年よりも相当開花遅れが目立つようでざっと
7分~8分といったところでしょうか。人出は満開。陽が差したと思ったらいきなり真っ黒な空、いきなり吹雪、
スゴイ荒れ様でした。

▼白加賀




▼舞扇




▼紅千鳥




▼八重揚羽




▼紅冬至




▼八重唐梅




▼古城




▼朱鷺の舞




▼夫婦梅枝垂




▼ 塒出の鷹




▼白滝枝垂




▼鹿児島紅




▼鶯宿




▼白玉




▼豊後梅




▼梅林



毘沙門堂は天台宗五箇室門跡寺院のひとつ。

2012年03月12日 | 京都の古寺巡り


(2012.03.10訪問)
寒の戻りとか、三寒四温とか昔の人はうまいこと云ったもので、この日の京都山科は、風強く、空はどんよ
り、少々寒いですが手袋いらず、歩くにつれ体がホカホカ感じ。参道までの山裾の町中は夏みかんがたわわ
なお宅、紅梅がちらほらのお宅、若竹の目に染む若緑が鮮やかなお宅など、春が確実にそこまで来ているよ
う。そんなこんなで山科毘沙門堂を訪ねました。

[ 毘沙門堂 ]
●山号 護法山(ごほうさん)
●寺号 出雲寺 (いずもじ) 通称毘沙門堂
●宗派 天台宗
●勅願 文武天皇
●開基 行基  
●開創 大宝3年(703年)
●再興 公海上人 寛文5年(1655年)
●本尊 毘沙門天立像(秘仏)

毘沙門堂縁起(毘沙門堂HPから抄出)
創建は大宝三年文武天皇の勅願で僧行基によって開かれた。当初は出雲路、上京区相国寺北あった事から護
法山出雲寺といった。度重なる戦乱から苦難の道をたどり、江戸期寛文五年山科安朱の地に再建、後西天皇
の皇子公弁法親王入寺してより門跡寺院となった。
毘沙門堂は天台宗五箇室門跡のひとつで、本尊に京七福神のひとつ毘沙門天を祀ることからこの名がある。
ちなみに五箇室門跡寺院(皇族が住職を務める寺院)とは、
青蓮院、三千院、妙法院、曼殊院、毘沙門堂の五寺院。ようするに格が高いんです。

▼参道口。
後西天皇行幸時に賜った勅号の碑が建っています。手前の石の欄干は極楽橋。




▼参道。




▼急な参道の先に仁王門。




▼仁王門。
寛文5年(1655年)お寺再興時に建立。中央に架かる毘沙門天大提灯。




▼仁王門阿形仁王。




▼仁王門吽形仁王。




▼龍の手水口。
良く彫り込んでいる石造の龍で、鮮やかな苔のグリーンが目にしみます。




▼鐘楼。手前は藤棚。




▼境内で唯一の紅色、五分くらいでしょうか八重の梅。




▼本堂と唐門。
桁行5間、梁行6間、単層入母屋造、本瓦葺。
本尊毘沙門天を祀る。寛文5年(1655年)お寺再興時に建立。現在本堂修理のため足場が組まれています。



▼本堂内陣。
本尊 毘沙門天(秘仏)。
ご本尊はお厨子の中、像高二寸二分と相当小さいお像だそうです。天台宗祖最澄さんの作といわれ、延暦寺
根本中堂本尊薬師如来の余材で刻まれたと伝えられている。
お厨子の前はお前立像、寺僧の説明によると本尊のレプリカではなく、中国明代萬暦8年(1581年)の年代が
墨書されているそうで、謎多き仏像だそうです。像高は50cmくらいありそうです。
ご婦人がお一人一心にお経を称えておられました。




▼一切経蔵。




▼一切経蔵本尊の清水型千手観音。




▼霊殿。
阿弥陀如来を本尊に、歴代僧侶の影像や位牌を安置。天井には霊殿の守護龍が描かれています。
御所の御霊屋として建立されたものを後西天皇より拝領、元禄6年(1693年)移築。




▼霊殿から宸殿への渡り廊下。




▼宸殿。
後西天皇の旧殿を拝領、元禄6年(1693年)移築し新書院としたもの。
各部屋にはトータル116面の襖絵のオンパレード。狩野探幽の養子、狩野益信作。逆遠近法の襖絵は鑑賞者
が中心、見る角度で変化する、ユニークな手法の襖絵です。




▼宸殿。




▼白梅と宸殿。




▼宸殿奥の晩翠園(庭園)。江戸初期の池泉回遊式庭園。




▼手水鉢。
公弁法親王が愛好の鞍馬自然石の手水鉢。江戸寛永寺下向の時も牛に引かせて持っていったという逸品。




▼枝垂れ桜。
宸殿前の枝垂れ桜は樹齢百数十年、枝張り30m。
桜の時期の写真を見ると確かにスゴイ!




▼弁天堂。




▼弁天堂須弥壇。




▼本尊弁天さん。
太閤秀吉の政所高台院が大阪城内に祀っていたものを移祀。
本尊弁天さんは蓬来山に鎮座する盟主の感、この堂々たる体躯は女性神とはとてもとても!




▼薬医門。




▼大玄関。




▼大玄関書。




▼勅使門。
桧皮葺の総門。門跡門主晋山式以外は開門されない開かずの門。




最近思うんですが…。
古寺古刹には桜の名所、青葉の名所、紅葉の名所と謳われる寺院が数多くありますネ、しかし冬期は茶色と
濃緑のみで、茶道の向こうを張った侘寂の世界をかもしています。深閑とした静寂の世界は時として人の息
吹すら聞こえないまさに精神の聖域。入堂した刹那、仏のパワーと響き渡る無言の気を一身受ける心地よさ、
これこそ冬期にお寺を訪ねる極意! みなさんいかが。
大寺院、有名寺院は、なんと云っても年がら年中参拝者で溢れていますネ、従ってこれにあてはまりません
です。
毘沙門堂の桜と紅葉はスゴいらしいですネ、JRもCMで応援、人出も半端じゃないみたい。ですよ。

上醍醐は醍醐寺草創の地、醍醐の水は美味しかったですヨ。

2012年03月06日 | 京都の古寺巡り


(2012.03.03訪問)

▼参道入山口、ぼちぼち行きましょう。




▼坂はこの程度。最初はホイホイ。だけどこれが甘かった。




▼参道中途、女人堂からこの槍山の一帯で太閤さんは贅を尽くした花見を催したそう。今見る限りそんなに広
い平地ではないのですが。




▼さて、一番イヤな石段です。厄介な石段です。これがこれからズーッとですよ。




▼参道中頃に不動の滝、一筋のささやかな滝です。




▼石段から木段に替わってきました。




▼やっと十六丁へ、下からですよ。確かテッペンは十九丁だったと思いますが定かではありません。
この辺りから山上境内と書かれたサインがあり、ほぼ着いたようですが堂宇は見当たりません。




▼ふと上を見ると堂宇が見えます。エーまだあそこまで!




▼ふと谷を見ると竹林がサワサワと。




▼マップがありました、ヤット着いたようです。さっき見えた堂宇はマップ右上の開山堂と如意輪堂です。




▼醍醐水。
開祖聖宝さんが地主神横尾明神から譲られたという今もこんこんと湧く霊水醍醐水。この地が醍醐寺発祥の地
と云われているそうです。




▼霊水が戴けるよう蛇口が付いています。この上なく美味しいお水を戴きました。




▼下醍醐の清瀧宮の本家。醍醐寺の鎮守社。




▼薬師堂(国宝)。
山上伽藍最古の建物。聖宝さんの延喜7年(907年)創建。保安2年(1121年)再建。
本尊 薬師如来坐像(国宝)、脇侍は日光月光菩薩立像(国宝)。聖宝さん弟子の会理僧都作。と伝わるそうです。




▼鐘楼。




▼五大堂。
本尊不動明王はじめ五大明王。
聖宝さんの延喜7年(907年)創建。その後慶長11年再建。またもその後、昭和15年(1940年)再建。
有名な五大力さん、仁王会式はこの五大堂で当初修業されていましたが、現在は下醍醐金堂で修されています。
因みに五大力尊とは、不動明王(中央) 大威徳明王(西方) 軍茶利明王(南方) 降三世明王(東方) 金剛夜叉明王(北方)
の五大明王の総称。




▼本尊不動明王(重文)。




▼五大堂の灯り。




▼さて、最後の登りで醍醐山頂に向かいましょう。五大堂から5分余り、とうとう醍醐山山頂です。




▼如意輪堂(重文)。
舞台造り(懸造り)になっています。本尊如意輪観音。




▼如意輪堂舞台造り。




▼開山堂(重文)。上醍醐最大の堂宇。慶長11年(1606年)再建。
内陣には、中央開山聖宝さん、左空海さん、右一世座主観賢さんのお像が祀られているそうです。
残念ながら内部を見ることは出来ませんでした。




▼醍醐水のところに、准胝堂の石碑があります。
平成20年8月落雷によりお堂全焼。現在は更地になっています。早期復興をお祈りします。






▼開山堂から少し下った所に上醍醐陵があります。
白河天皇皇后藤原賢子、白河天皇皇女媞子内親王、白河天皇皇女令子内親王、鳥羽天皇皇女禧子内親王の陵墓
です。




真言宗醍醐派総本山で当山派修験道の本山でもある醍醐寺、上醍醐の伽藍群は山岳修験の行場としても相当ハ
ードな山岳寺院です。修験の方かこの日も山上伽藍間を早足で回っている方がいましたよ、しかも前向きや後
ろ向きで、疲れを知らない方のようです。

今も腰とふくらはぎパンパン、大判サロンパスを買ってきました。
醍醐寺これで オ シ マ イ !