土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

壺阪寺、「目の佛」のご利益をいただきに……。

2017年05月29日 | 奈良の古寺巡り





(2017.05.27訪問)


今日は目の病に効能新たか本尊十一面千手千眼観音菩薩に逢いに壺阪寺を目指しています。
せんだってウチの奥さんがTVで壺阪寺ガイドを見て、目に効くお寺があるので土曜日に行こうと云うので、今日は壺阪詣です。
我が家は二人揃ってN記念病院眼科へ通っています。病名は二人ともまだ有りません。何となく通っているんです。
ここで一発、スカット爽やかな目になるようにと、キリットしたおメメの十一面さんにご利益をいただきにと云うことで……。





▼この方が「目の佛」キリットしたおメメの十一面さんです。







[ 壺阪寺 ]
●山号 壺阪山 (つぼさかやま)
●寺号 壺阪寺 (つぼさかでら) 正称 南法華寺 (みなみほっけじ)
●宗派 真言宗 (しんごんしゅう)
●開基 伝 弁基上人 (べんきしょうにん)
●開創 伝 大宝三年 (703年)
●本尊 十一面千手千眼観世音菩薩坐像
▲奈良県高市郡高取町壷阪3番地 Tel. 0744-52-2016
▲時間 8:30~17:00
▲拝観料 600円 朱印300円 駐車場500円
▲西国三十三カ所観音霊場第六番札所
▲http://www.tsubosaka1300.or.jp/
▲近鉄阿部野橋より吉野行き「壺阪山駅」下車(特急で約40分)バスまたはタクシー





               ▼本堂で祈願の上これをいただきました。眼病封じのお札。
                これで一安心、目の前がパッと明るくなりました。







壺阪寺縁起 (壺阪寺HPより抄出)
創建は大宝三年 (703年) 元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行中、愛用の水晶壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んで祀っ
たのが始まりといわれる。平安期、長谷寺とともに定額寺に列せられ霊験の寺として挙げられている。藤原道長の頃、子島寺の真興
上人が壷阪寺の復興にあたり、真言宗子島法流 (壷坂法流) の一大道場となり、三十三所の観音霊場信仰とともに大いに栄えていった。
その後南北朝や戦国の動乱に巻き込まれ、当時庇護を受けていた越智氏の滅亡とともに壷阪寺も衰退。勢時は山内に三十六堂、六十
余坊の大伽藍を配していたが、境内には三重塔と僅かな諸坊を残すだけとなった。近世には豊臣秀長の家臣本多利久が高取城主とな
り、本多氏とその後の藩主植村氏の庇護を受け復興していった。





            ▼山門脇に建つ寺号石標。







▼仁王門。三間一戸、入母屋造。本瓦葺、十二脚門。両端に金剛力士が睥睨。建暦二年(1212年)建立。

       





▼金剛力士阿形さん。像高3.3m、木造。







▼金剛力士吽形さん。像高3.3m、木造。



両像ともかなりお疲れの様子ですが、目力は凄い! 入り口からしてご利益有りそう。





▼多宝塔。本尊 大日如来坐像、平安時代造像。壷阪寺開創1300年に発願、平成十四年落慶の新しい宝塔。







▼多宝塔本尊大日如来坐像。平安仏にしては痛みが激しくお顔が判別出来ません。







▼多宝塔横に建つ灌頂堂。桁行五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。平成十七年再建。
 本尊 十一面千手観音菩薩、室町時代造像。







▼灌頂堂本尊十一面観音坐像。右前興教大師覚鑁像、左前弘法大師空海像。







▼灌頂堂北側に天竺渡来十一面観音石像。像高500cm。
 壺坂霊験記のお里澤一の澤一開眼から350周年で思いやりの心を後世に伝えることを祈念して造立。







▼優しいお顔ですネ。

 





▼手水舎。







▼大仏さんのもとへ全員集合!
 奥大釈迦如来石像 (壺阪大仏) 像高10m。中央十一面千手観音石像像高3.3m、右文殊菩薩石像像高3m、左普賢菩薩石像3m。
 前右持国天石像、前左増長天石像。奥右多聞天石像、奥左広目天石像。







▼大釈迦如来石像 (壺阪大仏) 像高10m。貫禄のお釈迦さん、螺髪の形注目!ガンダーラ仏を思わせます。







            ▼三重塔 (重文)。塔高23.06m、本瓦葺。明応六年 (1497年) 再建。
             石垣基壇上に建ち、再色彩堂が多い中、古色を見せる塔の姿は、なぜかホッとしますネ。







▼普照堂 (重文)。本堂への礼堂。桁行五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。中央三間が木製扉仕様。確かな建立時期は不明だが文正
 元年(1466年)以前に建立されたものであることがわかっているといいます。内部は本堂と行き来で隔壁がありません。







▼本堂。八角円堂、創建は大宝三年 (703年)。本尊 十一面千手千眼観世音菩薩坐像。







▼礼堂から本堂仏殿。







▼本尊 十一面千手千眼観世音坐像。像高2.4m、木造。
 独特のお顔と頭上の化仏を見てください、通常の十一面とは相当の違いが判りますネ。
 御本尊は「眼の佛」として広く信仰を蒐め、四十の慈手その一手一手が衆生の苦しみを救うと説き、正面向かって右に赤い玉を持
 った手が日摩尼手で眼を救う御手と云われているそうです。
 二人揃って手を合わすなんてことは久々のこと、虚心でお願いしました。







▼本堂から西を望めば、あら偶然二上山が二つ? 一番遠くが本物の二上山。

                





▼眼鏡供養観音石像。なぜか色付きの蓮をお持ちです。台座には使用済みの眼鏡が山ほど奉納されていました。







▼澤一さんの碑がヒッソリ建てられています。







▼大石堂 (納骨永代供養堂)。総重量1,500トンにおよぶ壮大な石の御堂。アジャンタ石窟寺院がモデル。
 中央の塔は仏舎利塔。







            ▼十一面千手観音石像。像高500cm。
             石像でこれだけのものが刻されるテクニック、特に脇手40本の精巧さには驚きです。







            ▼一字金輪曼荼羅。日輪内に金剛界大日如来が智拳印を結び、
             周囲に神宝を配している浮き彫り曼荼羅。







▼境内南の丘の大観音石像。相当デカい観音さんのようです。







▼先ず大涅槃石像。全長8m。すべての教えを説き終えて今まさに入滅せんとするお釈迦さんの姿です。







▼後方の観音さんはどんな思いでお釈迦さんを見ているんでしょうネ。







            ▼大観音石像。なにしろデカイですがブロックの継ぎ目が目立つようになってきましたネ。
             像高20m、全重量1200トン。この石像はインドハンセン病救済事業の縁でインドから
             招来したもの。







▼お顔です。造立後34年、少しおやつれになられたかな。







▼ご朱印です。お里澤市像に置いて撮りました。






ビッグ石像の大半は天竺彫像で現地で分割彫りして日本に運ばれ現場でセットアップ、特にお顔は全員男前ですが、お顔はほとんど
同じに見えました。それにしてもようもまあ、これだけデカイ石像を刻したことと総てが手彫りと云うことに敬意を表します。

大観音石像の丘からもう一度本堂に戻り、二人で十一面さんにごアイサツして、今日の「目の佛」さまへの祈願詣オ シ マ イ





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龍潭寺、彦根藩初代藩主井伊直政が開基です。

2017年05月25日 | 滋賀の古寺巡り





(2017.05.20訪問)


長寿院から僅かに下ったところに龍潭寺があります。元々浜名湖北の井伊谷にあった龍潭寺を、彦根藩初代藩主井伊直政が佐和山山
麓に移建したのが今の龍潭寺だそうで、井伊家とは深い縁を持つ名刹であり、一方太閤はんの重臣で関ヶ原で江戸のタヌキ軍に敗れ
た石田三成が居城とした佐和山城趾が佐和山のテッペンに残る、歴史にエポックを残す地を境内にしているお寺なんです。佐和山全
体が境内とは凄いお寺があったもんですネ。
それでは彦根第二弾、龍潭寺へ行ってみましょう。





▼龍潭寺境内への入口です。こういう門をなんと呼ぶんでしょうネ。







            [ 龍潭寺 ]
            ●山号 弘徳山 (こうとくざん)
            ●寺号 龍潭寺 (りょうたんじ) 正称 龍潭護国禅寺
            ●宗派 臨済宗妙心寺派 (りんざいしゅうみょうしんじは)
            ●開基 彦根初代藩主 井伊直政 (いいなおまさ)
            ●開山 昊天宗建禅師 (こうてんそうけんぜんじ)
            ●開創 慶長五年 (1600年) 
            ●本尊 釈迦如来
            ▲ 滋賀県彦根市古沢町1104 Tel. 0749-22-2777
            ▲時間 9:00~17:00
            ▲拝観料 400円 ご朱印300円
            ▲JR琵琶湖線 「彦根駅」 下車徒歩25分 タクシー5分
             名神高速道路「彦根IC」5分





            ▼禅刹号が刻されている立派な石柱。







▼グリーンシャワーを浴びながら……、







龍潭寺縁起 (龍潭寺ガイドパンフレットから抄出)
奈良時代行基により遠江国井伊谷に開基。井伊直政が佐和山城主になったのを機に、昊天禅師により佐和山山麓に移建開山しました。
井伊家とは深い縁を持つ名刹です。元和三年諸堂が完成後、近江随一の禅刹となり近郊に十余りの末寺を有する巨刹となりました。





▼参道先に山門が……、







▼立派な四脚門です。入母屋造、桟瓦葺。

       





▼袖塀の脇口から入山です。







▼スグ左に庫裡がありここが拝観口のようです。建物周りの緑の量が半端じゃありません。







▼およそ名刹の庫裡とは思えない雑然とした受付。色んなことを書いた紙を貼りまくられ名刹のイメージがいっぺんに崩れました。







▼庫裡に繋がる方丈。







四つのお部屋が続き、襖絵が見応えあります。
方丈襖絵五十六面は、彦根藩士の子として生まれ、蕉門十哲の一人、俳人としても高名で、絵を狩野派の永野安信に学ぶなど諸芸に
通じた多才の人として知られている森川許六が描いたものです、

▼群仙の間の襖絵。







▼室中西湖の間。方丈仏間で、本尊釈迦如来が祀られています。

 





▼室中西湖の間の扁額。







▼獅子の間の襖絵。







                 ▼唐獅子の図。







▼鶴の間。







                 ▼松竹梅鶴図。







▼方丈南庭「ふだらくの庭」開山昊天宗建禅師作庭の枯山水の庭。







▼だるま信仰のお寺としても著名な龍潭寺です。







▼書院のお部屋。







▼欄間の書額。

                





▼額縁庭園。







▼書院東庭「鶴亀蓬莱庭園」佐和山を借景に浄土世界を表した池泉鑑賞式名庭。
 開山昊天宗建禅師と小堀遠州の合作と伝わるそうです。             









ボクは禅刹の名庭と呼ばれる池泉回遊式や観賞式の庭園の「差」というものが今ひとつよく分りません。見てくれの印象ではなく、
作者の作庭に関わる意図や深い精神性など述べられていますが、今は理解に苦しみながらシャッターを押しています。ボクら凡人は
理屈じゃなく「オー、いいお庭だね」でいいのかも知れませんネ。







▼鐘楼。







▼観音堂参道脇に七福神が並んでいます。







▼観音堂。本尊 楊柳観世音菩薩。近寄り難し観音堂はお堂内を覗くことすら出来ませんでした。







▼あの石田三成の銅像。このお寺は佐和山一帯が境内、山頂には石田三成の居城佐和山城跡が残っており、観音堂横から山頂へのハ
 イキングコースがありました。ボクは間違っても登山はいたしません。







            ▼佐和山観音像。







▼アートな土塀。瓦を埋め込んだ赤土塀。強度もですが、合戦に備え鉄砲玉が貫通しない仕様らしいですね。







▼ご朱印です。





彦根龍潭寺これにて オ シ マ イ





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長寿院、彩色彫刻出色の古刹ですよ。

2017年05月23日 | 滋賀の古寺巡り





(2017.05.20訪問)


五月晴れとは今日のお天気を云うのでしょう。湖国の空は抜けるような青一色。新大和路号は名神を一路彦根を目指しルンルンで走
っています。今週は湖北へ十一面さんを訪ね行こうと思ったんですが、大阪からはチト遠い、長浜のお寺もヤッパリ遠い、そうだ彦
根はまだ訪ねたことがなかった、湖北よりは近いと急遽訪ね先を変更、彦根の古刹を訪ねることにしました。





▼参道には弁財天の幟がヒラヒラと。







[ 長寿院 ]
●山号 大洞山 (おおほらざん)
●寺号 長寿院 (ちょうじゅいん) 別称 大洞弁財天 (おおほらべんざいてん)
●宗派 真言宗醍醐派 (しんごんしゅうだいごは)
●開基 彦根第四代藩主 井伊直興 (いいなおおき)
●開創 元禄八年 (1695年) 
●本尊 弁財天
▲ 滋賀県彦根市古沢町1139 Tel. 0749-22-2617
▲拝観料 境内自由 ご朱印300円
▲JR琵琶湖線 「彦根駅」 下車徒歩25分 タクシー5分
 名神高速道路「彦根IC」5分





▼勾配急の参道中程に大鳥居。扁額の字、読めないんですよこれが。しかしなんで鳥居なの?

 





長寿院縁起 (大洞弁財天ガイドパンフレットから抄出)
元禄八年彦根藩四代藩主井伊直興が彦根城の鬼門除けと領内の安泰、領民に普く利益を浴させるため、一人一文の奉加金を募り、藩
金を加え自らが院主となり創建した藩寺です。彦根城から北東1.5キロの佐和山に連なる大洞山の中腹に位置しています。





▼鳥居の先に第一の門……、







▼総門です。

       





▼総門からマダマダ急石段、その上には……、







▼楼門が見えてきました。







▼立派な楼門です。三間一戸、入母屋造、本瓦葺。初層左右に堅牢地神、毘沙門天が安置。







▼初層右に堅牢地神。聞き慣れない神名ですが、天部の一神らしいです。







▼左に毘沙門天。兜の前飾が光輝いてます。







▼楼門から境内、正面に弁財天堂、本堂です。







▼境内から振り返って見る楼門。楼上には、甲冑姿の大黒天が睨んでるそうです。

 





▼楼門戸口が額縁。正面に彦根城が見える筈が……、







▼見えますネかすかに。ロングを持ってきませんでした。105ミリじゃこれが精一杯!







▼本堂弁財天堂 (重文)。本尊弁財天坐像。桁裄三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、向拝一間付、唐破風造。不思議なことにお堂背
 面に向拝一間付。元禄八年(1695年) 建立。







▼扁額。先の鳥居扁額と同じ文字が書かれています。







▼向拝柱の貫彫刻。この写真では分りません (ヘタやねぇ) が、凄い彫刻だと思って下さい。







▼向拝柱の右の木鼻。

       





▼左の木鼻、いずれも象なんですが阿吽は不明。これが阿形と思うんですが。







▼鮮やかな彩色の残る海老紅粱と阿形龍。

             





▼こちら吽形龍。







▼内陣。格子戸の向こうに本尊弁天さんがお坐りです。







▼本尊弁財天坐像。像高約180cm。一点を見つめ左手宝珠、右手に宝剣を持つ福与かなお像です。
 しかしボクが知る弁天さんとはチョット印象が違うようで、男っぽいですネ。







▼お堂側面の組み物も凝りに凝ってますネ。







▼弁財天堂の屋根。上は入母屋の鬼瓦、下が向拝唐破風の鬼瓦、龍の咆哮か……。







▼複雑な造りになっている弁財天堂、典型的な権現造りだそうです。







▼手水舎。







▼校倉造りの宝蔵。







▼境内高台に阿弥陀堂。桁裄五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、三間向拝付。元禄八年(1695年) 建立。







▼通常非公開のお堂なんですが、ラッキーですネ、公開中でした。







▼内部の欄間という欄間にはこれでもかと透かし彫刻。この欄間だけでも見応えがあります。     













▼四本柱の内陣。須弥壇上に本尊阿弥陀如来立像、右釈迦如来坐像、左に大日如来坐像を安置しています。







▼須弥壇の三尊です。光背を見て下さい、相当賑やかな彩色ですネ。







            ▼本尊阿弥陀さんです。







▼スッキリ全景が撮れない阿弥陀堂でした。







▼弁財天堂裏正面に奥の院宇賀神堂への参道石段。







▼宇賀神堂。災厄消除と所願成就の宇賀大神を安置しています。
 桁裄三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。安永四年 (1775年) 建立。
 小さいながらもお堂のエッセンスが詰まってます。







▼屋根の形がまた凝ってます。入母屋屋根に大きめの千鳥破風、向拝が唐破風と代表的な屋根の形状が、この小さなお堂に重量感を
 与えているようです。







▼帰り参道の中途に経蔵が建ってます。思わず通り過ぎるところでした。
 輪蔵に一切経を蔵。方三間の宝形造、本瓦葺。元禄十二年 (1699年) 建立。







▼少し珍しい受け花の上に宝珠がのっています。







▼ご朱印です。







境内には弁財天堂を初め多くのお堂が所狭しと配置され、見事なパズルの一面として収まっているお寺です。お堂密度の非常に高い
お寺とも云えるでしょう。数々のお堂で、目を見張るのはお堂内外部の各所に彫刻を多用し、その色彩が極彩色、漆塗りと非常に装
飾性に富んでおり、創建当初のイメージは、お山の中腹に突如表れた極楽浄土そのものだったのではないでしょうか。これも井伊家
の財力と元禄時代の浮き浮き世情の一端を表しているのかも知れませんネ。

街中を走っていて改めて彦根の町は井伊家のイメージが色濃く残っていることを実感、次に訪ねるお寺も井伊家の菩提寺です。





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福勝寺、見所は虚空蔵さんと裏見の滝。

2017年05月19日 | 和歌山の古寺巡り





(2017.05.14訪問)



長保寺からR42号を下津まで戻り、県道166号を東へ、途中山側にいくらか上った所に福勝寺は長~い石段参道を構えています。
この参道石段を先に発見していたら、キット今日の参拝パスしていただろうと思います。加齢とともに体力急降下、石段イヤや、山
道イヤやとなるとお寺歩きは相当限定されそう。ホントイヤですネ、どうしよう。
そんなこと云ってる場合じゃありません、福勝寺に着きました。このお寺やはり紀州徳川の縁があり、求聞持堂の本尊虚空蔵菩薩は
初代藩主徳川頼宣の念持仏と云われる可愛い虚空蔵さんが祀られていると聞きやって参りました。滝も落ちているらしいですヨ。

長保寺ブログの最後で、「次に訪ねるのは海南唯一の真言宗古刹です」はボクの早とちりで「海南唯一」ではありません訂正します。





▼道路に面していきなりの参道石段で相当の段数が有りそうです。(帰りに写した写真です)
 まったく気付かずそのまま走りますと左手に福勝寺はこちらへの道標がありました。







[ 福勝寺 ]
●山号 岩屋山 (いわやさん)
●院号 金剛寿院 (こんごうじゅいん)
●寺号 福勝寺 (ふくしょうじ)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●開基 弘法大師空海 (こうぼうだいしくうかい)
●開創 延暦二十三年 (804年) 
●本尊 千手千眼観世音菩薩 
▲和歌山県海南市下津町橘本1065 Tel. 073-494-0312
▲拝観料 ご朱印無し、現在朱印用三点印を製作中。
▲JR紀勢本線「加茂郷駅」下車 タクシー15分
 阪和自動車道「下津IC」から5分




▼その道を行くと庫裡前の駐車場に着くラッキーさ。
 重要文化財福勝寺のガイド板、このガイド板重文級。

 





福勝寺縁起
本尊千手千眼観世音菩薩は、唐へ渡る直前の弘法大師が旅立の観音、厄除の観音、雷除の観音と三ご請願を立て安置されたと寺伝に
記されています。江戸初期、紀州徳川家の初代藩主徳川頼宣から厚く信仰を受け、求聞寺堂という紀州藩主の祈祷所が建立され、そ
の後は紀州藩主縁の厄除けの祈願所として現在に至ります。





▼蓮如上人縁の名号堂。真言宗のお寺になぜ蓮如上人? 紀伊熊野を布教中このお寺に泊まった記念に建立されたと聞きました。
 桁裄五間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。小さいお堂にしては立派な造りですが立ち入り禁止になっているのはどこ
 か具合が悪いのでしょうか。







▼サテ本堂はどちらかな、この石段が本堂への道、これは軽く行けそう。

       





▼石段を上りきるとお堂が二つきり、手前求聞持堂、奥が本堂です。







▼鐘楼 (重文)。







            ▼何かの記念碑なんですが、全く刻字が読めません。







▼求聞持堂 (重文)。本尊虚空蔵菩薩。桁裄四間、梁間三間、宝形造、本瓦葺。慶安三年 (1650年) 紀州藩初代藩主頼宣建立。
  虚空蔵求聞持法という真言密教の行法を行うお堂。







▼須弥壇に置かれたお厨子の中に本尊虚空蔵菩薩が。



(この写真はご住職からレクチャーを受ける前に外縁から格子窓を覗いて撮った写真ですのでピンに問題あり) 





            ▼本尊は岩盤上の蓮台に二重円光を背にお坐りです。全高約60cm、像高約20cm、
             木造。木質は判りませんが壇像風お像で、噂に違わず何とも愛らしい虚空蔵さんです。







▼本堂 (重文)。本尊千手千眼観世音菩薩。桁裄三間、梁間三間、寄棟造、本瓦葺。永正十二年(1514年) 建立。
 内陣荘厳は極めて質素、本尊脇侍として千手観音と薬師如来が祀られています。
 本尊は現代仏師の作、新しいものです。旧本尊は盗難に遭い現在行方不明とのことです。







▼山号が書かれた新しい扁額。







▼ご住職に本堂側面の扉を開扉して頂いているところをパチリ。







▼本堂外陣から結界格子の奥が内陣。
 内陣に入れて頂きご住職と立ち話。親切を絵に描いたような方で話し好き、長々とお付き合いくださり一時間ほどお話ししたでし
 ょうか。







▼いつの間にか本堂正面扉が開けられていました。







▼本堂外縁にクッキリと天狗の手形。この境内に昔天狗が住んでいたらしいのですが、ジーッと見たら?
 オッとこれを云っちゃお仕舞か。

       





▼本堂と奥の岩場に結界縄が。







▼これが噂の「裏見の滝」残念ながら水量が……、高さ20m、幅30m                              

























▼積層状態がよく分かる豪快な岩盤。下方が半洞窟になり、滝の裏側に立つことが出来るところから「裏見の滝」呼ばれるそうです。
 滝裏の写真は水量不足と滝との間隔が狭くて撮ることは出来ませんでした。←言い訳。







▼洞窟に石像のお不動さんが。







            ▼舟形光背の不動明王が固いガードに護られています。
             このお不動さん、弘法大師の作と伝わり、雨乞祈祷をするためにこの石座に
             移したそうです。







▼少し離れたところにお地蔵さんが。







            ▼「裏見の滝」の全景ですが、この水量です。







▼これを滝壺と云っていいのかしら?



と疑問を感じたところで福勝寺 オ シ マ イ



庫裡でご住職からお堂案内しましょうかの嬉しいお言葉、断る理由などドコにもありません。
本堂、求聞持堂は内部で繫がっており、そのガイドレクチャーに感激、当方のお粗末な質問にも真摯に相手をして下さるホント親切
を絵に描いたようなご住職、内容豊富な濃い~い時間、時にこういうご住職とお会い出来、こういう時間が持てること、嬉しいじゃ
ないですか。古寺古刹歩きは止められませんネ。
ご朱印は朱印用三印制作中なので出来上がり次第朱印は送るとの事。期待して待つことにしましょう。





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長保寺、このお寺法隆寺と勝負しています。

2017年05月16日 | 和歌山の古寺巡り





(2017.05.14訪問)
久々に新大和路号は紀州路を走っています。阪和自動車道を海南ICで下り、R42を有田方面へ見えつ隠れつの和歌浦湾沿いに海南市
内をしばらく走ると、左→長保寺入口の標識、山手に向かって何ら迷うことなくお寺到着、我が家から約100キロのドライブです。
このお寺自慢があります。山門、本堂、塔と三つ揃って国宝のお寺は、法隆寺とここ長保寺だけ、これは面目躍如、お値打ちですネ。




▼長保寺門前、下方だけ見えているのが大門、仁王門です。






[ 長保寺 ]
●山号 慶徳山 (けいとくざん)
●寺号 長保寺 (ちょうほうじ)
●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
●勅願 一条天皇 (いちじょうてんのう)
●開山 性空上人 (しょうくうしょうにん)
●開創 長保二年 (1000年) 
●本尊 釈迦如来坐像 
▲和歌山県海南市下津町上689 Tel. 073-492-1030
▲拝観料 300円 ご朱印300円
▲時間 9:00~17:00
▲JR紀勢本線「下津駅」下車 タクシー5分
 JR紀勢本線「下津駅」下車 徒歩30分
 阪和自動車道「海南IC」から15分




▼なんと云う贅沢、一枚岩を前面カットし境内イラストマップを嵌めています。






長保寺縁起
長保寺は、一条天皇の勅願を受け性空上人により創建されたと伝えます。本堂をはじめ主要伽藍は鎌倉時代に再建整備されたもので
す。当初は天台宗として創建されたがその後、法相宗、真言宗に宗変わりをし、戦国時代には一時衰退したが、江戸期に紀州徳川の
菩提寺となり、天海僧正により天台宗に改められました。その後紀州徳川の廟所となり寺勢栄え現在に至ります。




▼大門 (国宝)。重層楼門、その名の通り豪快な山門です。初層左右に金剛力士。
 三間一戸、重層楼門、入母屋造、本瓦葺。南北朝時代の嘉慶二年(1388年) 建造。







▼大門扁額。山号と寺号が書かれています。これも国宝。

       





▼右に阿形金剛力士。弘安九年 (1286年) 造立。     













▼左に吽形金剛力士。弘安九年 (1286年) 造立。     









両像とも木割れ、補修痕が目立ち痛々しい感じがします。





▼大門から境内。まっすぐな参道が。多宝塔が僅かに見えます、やはり上り参道石段があるようです。







▼大門前面長押の鯉の彫り物。龍門の滝の故事でしょうか……、







▼後面 (裏側) その龍と虎が彫られています。







▼大門を裏 (境内側) から、スッキリと見えます、堂々の山門ですネ。







▼参道、石段が見えます。







▼石段が二段になってるようです。







            ▼途中にお地蔵さん、平和地蔵です。







▼まだまだ石段……、







▼まだ石段。思わず見とれてしまう各段の石の変化。まるで自然石を積んでる様です。見える屋根は本堂です。







▼本堂エリアです。石灯籠の真ん中の石畳、いい景色です。

       





▼本堂 (国宝)。桁行五間、梁間五間、一重入母屋造、本瓦葺、向拝一間付。長保二年創建、延喜四年(1311年) 再建。







▼斜めから見てみましょう。







▼本堂正面。中央三間は桟唐戸。







▼内陣長押の大扁額。本殿の別名でしょうか世雄殿と書かれています。







▼本堂内陣の荘厳。







▼本尊釈迦如三尊像。中央釈迦如来坐像。右象に乗る普賢菩薩坐像、左獅子に乗る文殊菩薩坐像。







            ▼本尊釈迦如如来坐像。とても鎌倉期の作とは見えず、全身、蓮台、光背の金泥がものの
             見事に残っています。須弥壇まで距離がありますので、確かなことは云えませんが、塗
             り直しや後補の部分があるのかもしれません。







▼別角度の本堂。







▼本堂右前に多宝塔 (国宝)。本尊大日如来。方三間、本瓦葺。正平十二年(1357年)建立。
 初層と上層のバランスが抜群、非常に優美な塔形です。                 













▼多宝塔本尊大日如来坐像。平安時代造像で長保寺で一番古い仏像だそうです。







            ▼智拳印を結ぶ大日如来。お顔はきれいですネ、残念ながら体部と法衣は相当汚れてます。







▼正面からの多宝塔。                                 













            ▼相輪です。







▼阿弥陀堂。桁裄三間、梁間二間、宝形造、本瓦葺、シンプルなお堂ですネ。

 





            ▼本尊阿弥陀如来坐像。像形は定かではありません、相当痛んでるようです。







▼護摩堂。文化庁が色々云ってくるそうで、お寺側で勝手に修復が出来ないそうで、しばらくこの状態だそうです。







▼中を覗いてみると本尊お不動さんは避難中。

                 





▼鐘楼。







▼石段を降りて左に行くと門に囲まれた一角があります。







▼客殿玄関と御霊屋。







▼客殿前庭の寂光の庭。一応枯山水のお庭です。







▼紀州徳川家の墓所廟門。
 徳川宗家を継いだ和歌山藩五代藩主吉宗 (八代将軍) と十三代藩主慶福(十四代将軍家茂)を除いた和歌山藩歴代藩主と、その夫
 人や子息の計18墓所が散在しています。







▼網の目のように石段があり、歴代藩主の廟に向っているんです。誰もいないこんな所一人で回れると思います?







▼初代徳川頼宣廟。廟門から一番近かったけどなにか八方からの冷気が身に降り掛って来るような、ゾクゾクオオコワ。



墓標や石垣、玉垣など石造りにはすべて花崗岩が使われ、近世大名の墓所の代表的なもので国史跡に指定されてるそうです。





▼高所からの見晴らし。







▼さてお暇です。振り返って境内の一望と云っても多宝塔しか見えませんけど、これほどの緑の中で長保寺は千有余年の歴史を連綿
 と紡いでいるのでありました。







▼ご朱印です。







長保寺これにて オ シ マ イ
やはりなんと云っても紀州の寺々は、徳川三家の一つ紀州徳川家の影響を受けたお寺が多いようで、ここ長保寺も初代藩主頼宣が菩
提寺に定め、以下十五代の藩主の廟が境内高所に散在しています。廟と云っても要するにお墓、ボクはお墓巡りをする趣味はないの
で初代だけにご挨拶しておきました。
次に訪ねるのは海南唯一の真言宗古刹です。





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