土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

法華寺に光明皇后を偲びに

2010年03月30日 | 奈良の古寺巡り
光明皇后写しと云われる十一面観音菩薩を拝しに法華寺(総国分尼寺法華滅罪之寺)
を訪ねました。今丁度春期特別公開中、特に今年は遷都1300年祭で5月、6月、10月
にも特別公開があるのでファンの方は是非。

正門の南大門
桃山時代の再建で重文。


小さな本堂の中、数人の方々が正座し、一様にジッと観音菩薩に対座している姿は、
仏に対する敬虔な気持ち、何か拠り所を求め祈るような自分の心がそこにあるので
は。この薄暗い堂内の静寂は時として日本人にひとときの信仰心を与えるのでしょ
うか。

十一面観音菩薩立像、カヤ材一木彫像、一部を除いて総身生地のまま、檀像風のお
像は像高1m、小柄な体躯はお厨子の中で、右手で天衣を摘み、右足を踏み出す様は、
菩薩誓願を普く衆生に、を具現化した姿なのでは。髪、垂髪は青、唇は朱、彫眼は
墨、お髭と眉は青と説明されているものがありますが、ボクには墨にしか見えませ
ん。もっとも、薄暗い中で双眼鏡でジックリ拝見したつもりですがレンズを通して
もうつろです。伝承は伝承として、変化観音の初としてのこのお像の見事さはどな
たも認めるところでしょう。

赤門
東門ともいわれ、今はこの門を利用します。


本堂
境内は雛会式や光明皇后千二百五十年大遠忌の準備で、いささか雑然としています。


境内南西隅に大きな枝垂れ桜。


客殿への参道
公開日以外は閉ざされています。
会津八一(あいづやいち)の歌碑があり
「ふじはらの おほききさきを うつしみに あひみるごとく あかきくちびる」
と刻まれています。


鐘楼
今盛りの雪柳越に。袴腰の立派な鐘楼です。


横笛堂
滝口入道との悲恋のはて、横笛が尼となって過ごしたと伝えます。
横笛像は本堂で見ることが出来ます。


阿弥陀堂


境内のサンシュユの花


からふろ
唯一、光明皇后由縁の建物。皇后が病者や貧窮者の救済につくした非田院や施薬院
の流れでしょうか。


奈良の三大門跡尼寺の一つで、尼寺トップの格と由緒の古さをしても、今のお寺か
らはとても光明皇后を偲ぶことは出来ません。十一面観音菩薩の容姿から時代の息
吹を感じることにと、思うことにしました。
庭園、客殿、慈光殿はまだ公開されていませんでした。

付録です。
法華寺お隣の海龍王寺の奈良一の雪柳です。27日の時点で8~9分咲きとお寺の娘
さんに聞きました。今頃はひょっとして…。










本堂
赤い法被の方達は何者か?答え、この日、本堂でご住職の講演会があるので、その
準備をしている遷都1300年記念事業協会の方たちです。


実は、午前中に興福寺のリニューアルされた国宝館に行きました。すでにチケット
売場はごった返していました。館内も動きがとれません。印象記はまたいつか…。



お彼岸詣りに宝塚中山寺へ

2010年03月25日 | 兵庫の古寺巡り
春のお彼岸と連休の最終日、宝塚の中山寺へ墓参です。我が家は中山寺塔頭、総持
院の檀家で中山寺は菩提寺です。
紫雲山中山寺は真言宗中山寺派の大本山で西国三十三所観音霊場、第二十四番札所
です。「安産祈願のお寺」として名高く、安産を祈る人々が全国から腹帯を授かり
にお参りされるのはご承知の通りです。


このお寺の変わり様は、1995年(平成7年)1月17日(火)早朝のあの阪神淡路大
震災を境に寺景が一変しました。本堂と山門、一部の堂宇を残し壊滅状態、五院の
塔頭も悉くこれでもかというほどの被害でした。然しさすがに大本山中山寺、復興
速度も速かったように思います。
その後新しく建てられた堂宇を含めて忽然とこの中山の地に新たなお寺が誕生した
のではないかと思うほどの変貌ぶりにはビックリです。

山門
仁王像前の柵に西国三十三所観音霊場、第二十四番札所を表す印として、たくさん
のわらじが奉納されています。


参道
お彼岸詣りの人でいっぱいでした。写真には見えませんが、同行二人の白衣を羽織っ
たお遍路さんも多数見かけました。


本堂
軒下の組み物を含めて壁面には仏教由縁画が朱色をはじめ、仏教カラーで彩色され
て古色の柱や扉などとの対比は一種異様な感じがします。これは古来からの彩色様
式の再現と云うことらしいです。
ご本尊は十一面観音菩薩立像、秘仏ですが毎月18日に開扉されます。




大願塔
本堂横の石段を上がったところにある供養塔。多宝塔造りの色鮮やかな新造の堂宇。
上層にはご本尊大日如来、下層には阿弥陀如来が祀られています。






太師堂
云わずと知れた、弘法大師空海さんをお祀りしています。


阿弥陀堂
朱色鮮やかなお堂、回向所として訪れる人はたくさん居られます。


護摩堂
真言宗の一方の顔であるお堂です。


閻魔堂
なぜか皆さん素通りする方が多いように思います。
閻魔大王の扁額がかかり、壇には閻魔大王を中心に司命、司録が祀られています。


子授け地蔵
宝形造りの地蔵堂の中に祀られているお地蔵さん。子授けや安産願いの布が懸けら
れています。


宝蔵
屋根瓦の上に立派な鴟尾がのっています。中にはどのような宝物があるのでしょう。


鐘楼
鐘は見えませんが、組み物の素晴らしさは、お堂とかわりません。


鎮守社


奥の院へは行っておりませんが、この日はジックリ境内を回りました。ボクなど信
仰心が極端に低い人間にとって、この朱色鮮やかな境内は目はチカチカ、頭はクラ
クラで古色のお堂があるとなぜかホッとしました。

斑鳩三塔巡りと思ったのですが……!

2010年03月24日 | 奈良の古寺巡り
初夏の陽気と三連休を頭に入れず、しかもクルマで出掛けたのが失敗。高速を使
わなかったのがもっと失敗。いつもの調子の土曜日という思い込がもっともっと
失敗でした。と反省をしつつこのブログを書いています。

法隆寺地域の仏教建造物として、現存する木造建築物としては世界最古の法隆寺
と現存する最古の三重塔のある法起寺が世界文化遺産に登録されているのはご承
知の通り。法輪寺や中宮寺は残念ながら仏教建造物としてその対象にはなってい
ませんが、登録地域は、周辺の緩衝地帯、斑鳩の里と呼ばれている地域が含まれ
るということです。

人とクルマでひっくり返っている法隆寺を横目に、法起寺、法輪寺の拝観者は数
えるほど、そのぶん両寺をジックリ拝観することが出来ました。

法起寺
郡山から斑鳩に向かうとまもなく左手に国宝三重塔が見えてきます。長閑な里と
は言い難い近頃のこの地に、古代の甍が立ち並んだ情景はなかなか想像しにくい
ものがあります。しかし法起寺はこの斑鳩の地に1400年近い連綿たる歴史を綴っ
て時代の変遷で栄枯盛衰を繰り返しながら今なお法灯を守っています。聖徳太子
一族の息吹が聞こえてきそうな、歴史や伝統といった精神的な価値観はやはり境
内に一歩足を踏み入れてこそ感じるものですね。


西門
今の出入り門です。


内側からの西門です。


南大門
お寺の正門は南大門、このお寺の南大門は何故かポツンと取り残された感が強く
大門とは名ばかりの佇まいです。建立年代は、江戸初期で再興時のものと云われ
ています。


境内
小さな境内ですが、池の廻りや通路は、きちんと植裁されています。


三重塔
現存する最古の国宝三重塔です。法起寺式伽藍配置は塔と金堂の位置が法隆寺と
は逆と発掘成果はは語っています。




三重塔一層の内部です。四天柱と八角の心柱が見えています。中央に見える仏壇
は近世のものだそうです。


本堂
旧講堂跡に建てられています。完全密閉で内部は窺い知ることは出来ません。


承天堂
江戸後期の建立で、旧金堂跡に建てられています。ご本尊は歓喜天が安置されて
いるそうです。


本堂隣の収蔵庫には十一面観音菩薩立像が安置されています。堂々の体躯の観音
像ですが、ガラス越しなのは欠点、周辺に安置されている仏像はほとんど見えま
せん。

法輪寺
法起寺から歩いても5分とかからない所に法輪寺は在ります。周辺を斑鳩の里と
称していますが、近年の変貌は急変で、カメラマンが撮る美しい斑鳩の里イメー
ジも次第に失われて行くのではないかと思ったりもします。
このお寺は法隆寺式伽藍配置でその規模は法隆寺西院伽藍の三分の二規模と云わ
れミニ法隆寺のイメージを感じることは出来ます。伽藍はすべて近世から現代の
再建で、寺歴で云う草創歴史を感じることは出来ませんが、草創時から伝わる仏
像群の素晴らしさは、伽藍の新しさなど一瞬にどこかへ行ってしまうほどです。


南門と珍しい下馬石碑?




南門の法輪寺名入りの丸瓦。


金堂
旧金堂跡に一回り小さく建てられているそうです。
特に興味を引くのは、このお堂の様式です。2層ですが非常にユニークな堂型を
見せています。1層が裳階なのか純粋の2層建てなのかよく判りません。バランス
的に上層がかなり小さいので安定感は抜群の伽藍です。ご本尊は薬師如来、今
こちらには居られません。


三重塔
今ある三重塔は戦前、落雷のため焼失し昭和50年に再建されたものです。然し新
しいとはいえ、ベンガラ色が映える塔姿は、斑鳩三塔の魅力の一つとして見応え
があります。宮大工は薬師寺西塔の西岡常一棟梁です。


収蔵庫(講堂)
旧講堂跡に建てられており、金堂ご本尊の薬師如来をはじめ壇上に七体の仏像が
安置されています。とにかく凄いとしかいいようのない仏像群です。
薬師如来と虚空蔵菩薩は飛鳥仏、止利仏師のにおいプンプンです。講堂の本
尊十一面観音菩薩は像高360cm、十一面観音の儀軌にそった姿で大迫力、平安中
期の作と云われています。三体とも後補の色鮮やかな板光背ですがチグハグ感は
全くありません。さながらステージ上のスターお披露目の華やかさのようです。
嬉しいのはステージ後ろに廻ることが出来、各お像の背面もジックリ見ることが
出来ます。
[ 仏像は在るべき所、それ相応のお堂の中に在るのが本来の姿、祈りや信仰の対
象として仏像は在るハズ ] の思いがあるので興奮の展示礼賛はこのくらいで。

鐘楼


会津八一(秋艸道人)の歌碑
「くわんのん の しろき ひたひ に やうらくの かげ うごかして かぜ わたる みゆ」
十一面観音菩薩を詠んだ歌の歌碑です。


境内には椿が盛り、三重塔前には大きな桜がありますが、満開の頃には塔と桜、
さぞ映えることでしょう。


結局、法隆寺には寄りつくことすら出来ませんでした。斑鳩三塔巡りが、二塔に
なりましたが斑鳩の魅力の一端を改めて味わいました。いままで斑鳩は太子一族
の悲運の地としてどこか暗く、精神的悲哀感を受けるようで、他の寺院のように
頻繁に通うことはなかったのですが、認識を改める良い機会だっのかも知れませ
ん。


桃の花はちょっと早かったようです。

2010年03月18日 | 花巡り
戻り寒波で寒かったのですが、お天気上々でしたので大阪城桃園に行きました。
梅林ほど広くなく、木の本数もかなり少ないようです。全体から見て咲いている
のは半分くらいでしょうか。早咲きと遅咲きの差がかなりあるようです。17日の
咲き具合です。


寒緋 やや浅気味のきれいな緋色、華やかです。




関白 透き通るような白が青空に映えています。






矢口




枝垂れはほとんど蕾です。
枝垂れ源平


羽衣枝垂れ


OBPをバックに撮ってみました。


あと一週間位で見頃が来るのではないでしょうか。

花のお寺もこの雨では…、浄瑠璃寺と岩船寺を訪ねました。

2010年03月16日 | 京都の古寺巡り
浄瑠璃寺


またまた土曜日は雨でした。春の到来を待ちわびる花のお寺の花達は、一雨ごとの
息吹を感じながらも、もう少しの我慢かも知れません。けれどこの時期に美しい色
や形を見せてくれる花々も沢山あるようです。
「馬酔木がそろそろ満開ですよ」とのことを聞き早速土曜日小雨の中、浄瑠璃寺へ
向かいました。ボクはこの「浄瑠璃寺の馬酔木の花」に少々こだわりがあります。
学生の頃に読んだ堀辰雄さんの「大和路・信濃路」の「浄瑠璃寺の春」の稿に感じ
入り、ボクの奈良巡り、古寺古刹そして古仏への興味を与えてくれた一文なのです。
堀さんの馬酔木と古刹と一緒に行かれた奥様への想いが短い随想の中でほのぼのと
感じることができ、お寺の娘さんとのやりとりにも素朴な一面が印象として残って
います。この随筆は1941年に発表されたものらしいです。
参道に咲く大きな灌木に小さな白い花の房の重なりは見事です。


言い訳 / 浄瑠璃寺と岩船寺は共に行政区は京都府ですが、生活圏、観光圏としては
     奈良市だそうで、地元のおばさん達と話をするとそれは感じます。両寺と
も真言律宗、西大寺の影響は少なからずあったようです。

参道と馬酔木に自然荘厳された先に山門が見えます。


浄土池畔建つ阿弥陀堂。
浄土池を中心に取り囲むようにして境内はあり、西に阿弥陀堂が東面し佇んでいま
す。堂内にはかの有名な九体仏、本尊を中心に左右四体の阿弥陀如来九体が整然と
並んでいます。阿弥陀堂一扉に一体の阿弥陀如来、扉を開け放し東から池を通して
眺めることが出来たら、そして一筋の朝陽が堂内に差し込んだら、如来に当たる光
が黄金に輝いたら、真に阿弥陀浄土の一端を見た思いになるのではないでしょうか。
然しこれを求めるのは無い物ねだりでしょうネ。


三重塔下の灯籠を通して阿弥陀堂を撮ってみました。


阿弥陀堂横の石仏です。


鐘楼です。


鐘楼の横にサンシュユの花の黄色が鮮やかでした。




池畔に立つと鯉が寄ってきました。


三重塔の今の姿。覆いでスッポリ。なにやらアライグマが塔内に侵入し、柱、壁面
に爪を立て暴れまくっているとのことで、その修理を含めて平成の修理に取りかか
っています。本坊横の大日堂で初層内部の十六羅漢図の一部が写真パネルで展示さ
れています。今は塔下の石段は昇れません。


参道に咲くシナミ桜。食べることが出来るサクランボがなるそうです。






岩船寺
枯れ木と濃い緑の中、朱色が鮮やかな三重塔が一際目立つ岩船寺も、この時期はや
はり形無しです。色と云えばサンシュユの木が一本黄色い花を付けていました。

山門です。


本堂です。
本尊は阿弥陀如来。像高3m近い堂々の造型です。納衣は朱色が残り、ボクなどがイ
メージする阿弥陀如来とは少し違うようです。堂内にご住職がいらっしたのでお話
を伺うと真言儀軌(密教作法の総てに及ぶ取り決め)では阿弥陀如来は脇侍を置か
ず単独仏で、納衣は濃い朱色、このお寺のように四天王を本尊周囲に安置すること
があるそうです。須弥壇はお堂中央にあり、その陣容は迫力があります。須弥壇左
右、後ろには、鎌倉、室町各時代の仏像が安置してありジックリ拝観できます。


三重塔です。
ボクのウマシカちょんカメラには手ぶれ補正が付いている筈なんですがネェ。




五輪塔と十三重石塔。


三重塔の脇道を少し上ると鐘楼が佇んでいます。


貝吹き岩への道。盛寺の頃、僧集めのためのホラ貝を吹いたと云われる岩がありま
す。かなり歩きます。


岩船寺鎮守社、白山神社と春日神社です。


左白山神社、右春日神社。


当尾の石仏巡りをと思ったのですが、この日は諦めました。しかし雨の中、ハイカ
ーの方たちは元気ですね。